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116ヶ月め

2020 年 11 月 11 日 水曜日

今日は2011年3月11日から3,533日、
504週5日
9年8ヶ月
116回目の11日です。

アップした絵は、東京都世田谷区にある公立特別支援学校。肢体不自由者のための教育機関として日本最古の歴史を有する、都立光明学園の子どもとのコラボから生まれた花の絵です。

ボク1人の力では生まれ得ない「なにか美しきもの」に感動。
この感動は世の中をちょっと良い方に変えてゆく力になるんじゃないかと、
壁画完成まであと少しの今の言葉を綴っておこうと思います。

きっかけは今年の元旦。
行きつけの店で隣に座った方が、この学校のPTA会長さんを勤められている方で、お子さんのことも含め、福祉とは、教育とは、表現とは、愛だの恋だの酔いに任せて語ったことから、ボクと光明の子どもたちとで何か出来たら面白いね!なん盛り上がったことから始まりました。

が、その後新型コロナ感染拡大で足踏み。

夏が始まるころ、あらためて校長先生はじめ学校関係のみなさんとミーティング。
コロナで何も出来ないって状況を突破したい意思が集約されたのでしょう。
来年取り壊しとなる旧校舎の壁面に壁画を作ろう!と、発想は一気に飛躍。

そこには、ボクが暮らす街で出来ていること、
地域と学校とPTAと関係企業と子どもたちとボクとで制作している壁画という「見えるもの」「シェア出来る発想」があったことが大きかったと思います。


学校業務を終えた後、わざわざ梅ヶ丘から代々木八幡まで壁画を見に来てくれた校長先生はじめ教職員の皆さん。
その熱心な姿勢に、肢体不自由と言われる子どもたちとどこまで出来るのか、不安を伴うプレッシャーを感じた、なあ〜。

が、そうした感情は教職員さんたちとの何気ない会話がほぐしてくれる。
子どもたちと日常を過ごすプロの力に、甘えるところは甘えれば良いと実感。

事前に美術担当の先生方とのワークショップを開催させてもらい、
ボクが子どもたちの何に感動してこんなことを続けているのかを共有出来たことも、その後の現場での力になったはずです。

ともかく一歩一歩、必要な会話を積み上げ、しかし、蹴散らしていいものは蹴散らせる。
そんなことが可能な関係性の足場造りをまず。

そして子どもたちとのセッション。

歩けない、立てない、手が思うように動かせない、発語が思うようにいかない、病弱で病院での療養を続けざるを得ない、などなど、子どもたち1人ひとり目に見てわかる違いがあり、その上でさらに1人ひとりの個性や表現の違いを壁面に集約させる。
って、どうやるんだろう??

ともかく、壁面に立てぬ子どもたちとは、10メートルと5メートル2枚のキャンバスを用意し、
出来ないことを出来るようにするのでは無く、
出来ることを出来るだけ表現してもらうセッションからスタートしました。

最初は破壊でいいやってね。
見た目大きな破壊でも、小さな点1つでも、子どもたち1人ひとりの「出来る」はめちゃくちゃパワーあることを確認。


そのうち気持ちの良い「なにか」が見えてくる。
そうなるまで待つ作業。

「布の上にペンや絵の具で描こう!」
そう伝えた瞬間に、実は「自由」というものに拘束がかかる。
だったら、絵の具を一本絞り切るくらい好きにやったらいいぜ!
だ、なあ〜。。

アクリル絵の具”リキテックス”でご協力のバニーコルアートさん、
心強いっす。。

光明学園の授業時間で行う作業です。

1コマ45分で中学生のクラスから小学校低学年のクラスに変わり、
次は高校生がやって来るとか、、
いつもは子どもたちが飽きるまでお付き合いするボクのスタイルは、
この現場で行うことが出来ません。


しかも、1人ひとり出来ることが違う。
(これに関しては、健常と呼ばれる人も同じなのだが〜)

1コマ数名から十数名まで、参加人数はバラバラな中、
1人ひとりの個性にも健康状態にも注視しコミュニケートする45分。
そんなのを、1日に4回繰り返しす日もありました。

45分はうっかりしていたら戸惑っているだけで終わってしまう長さです。

でも、自分か彼らが生むものに先回りした価値を求めない限り、
一瞬一瞬に目の前で起こることは、とてもエキサイティングな喜びに溢れたものとして、心の中に飛び込んできます。

そしてボクもやりながら学んでゆく。



体に不自由のある子どもたちには、マンツーマンで先生が付きます。

日頃から子どもたちと接している先生方の介助は素晴らしく、
ボクが代わりにやれることはごく限られたものでしかありません。

もしくは、なにかひと言コミュニケートする場合も、
先生の翻訳のような行動を待つ場合もあります。


そんな先生方が大きなキャンバスの前で子どもたちを支える姿は、
基本、子どもたちを背後から支える形になります。

場合によっては複数の先生方がチームとなり、
支える人とコミュニケートする人との役割分担をしながら、
子どもたちをキャンバスに向かわせる態勢とります。


じゃあボクの仕事はなんだろう?

もしくは、介助を受けて筆を動かす子どもたちは楽しいだろうか?
そんな興味から、子どもたちと同じ視線の高さまで自分が降りていったら、
いや〜、世界が広がっていったなあ〜〜!

キャンバスに頬を付けたところから見るキャンバスの荒野のダイナミックな風景!
彼らはこんな風景を見ながら、そこで出来ることを真剣に、もしくは楽しい目つきして、出来る限りやろうとしている。


正直、先生の手助けが過剰に入る瞬間なんてのもあって、
その直前まで子どもがとてもいい顔してたりしたら、
「待ちましょう!」なんて叫び気味に伝えたりの失礼をしていた俺。

いや、でも何度「待ちましょう!」を言ったか。

あとは「ゆっくり、ゆっくり」とか「出来ないこと無理しなくていいよ〜」とか。

体の自由が効かなくても、たとえ指先がちょっと動かせるくらいであっても、
子どもが自分で見つけた表現の喜びを、ちょっとでも形にすることが出来たら、そこからどれだけの感動が得られるか!

今までものすごい数の子どもとの現場を作って来て、
そうしたことを頭でわかっているつもりでいて、
しかし、光明学園の15メートルキャンバスの9回のセッションで、
明快に気付かされた。


セッションの最初の方で、15メートルの中でボクがコミュニケーションを焦って描いてしまった女の子の顔が、最後のセッションまで所在無く放置されていたのだが、色ぬりの範囲を徐々に徐々にと広げてきた1人の女の子が、最後に塗る方向を変え、ボクが描いた顔に赤い絵の具をベタ。
さらに皿から絵の具をボタボタボタ〜と垂らし「やり切った!」て顔を見せた。

その瞬間作品が完成したという実感がドバッと湧いてきたのですよ。


5mキャンバス

すごいな〜、子どもたちの力。

そうしたことを、視線を子どもたちと同じ高さに置くことで共有する喜び。

アートなんてものに求められることは、まずは視線の共有なのではないだろうか?

そして、「介助」「コミュニケート」「共有」
この3つのワードから見える子どもたちの風景の違い。
その違いは悪いことでは無く、発想を前に進める力だ。

そして作業は屋外へ。

高校生とのリアルな壁の前での壁画制作。

・この前を歩く街の人がハッピーになる壁画にしたいこと。

・そのためには、自分で描きたいというものを思いっきり表現する必要があること。

・しかし、学校の勉強では無いから、上手いとか下手のジャッジは無いこと。

・ならば、オシャレであるとか、カッコいいとか、自分が元気になれる言葉で絵を描けばいいぜ!

みたいな呼びかけの元手を動かしてもらったら、
やっぱりハッピーなものが生まれました。



が、時間が足りず放課後、そして日を改めての3度のセッション。

初日は休んで、最後の日だけ参加した女の子が、
なかなかすぐにアプローチ出来なくていて、
先生方は「好きなもの描いていいんだよ」なんてお声掛けしてくれてたけど、
ボクは「無理してやる必要ないよ」とただ待っていたら、
細い筆に黄色い絵の具をつけて画面にポチっと。


5メートルくらいの幅の中に黄色いポチひとつ。

が、それが一気に画面に命を吹き込むような、絶妙なポチで。

いいね〜!って伝えたら、

「はあ、そうですか」と、ちょっと安心した表情で答えてくれた。

そこから、壁全体を制圧するような作業が始まるんだよ。

子どものポジティブなマインドが生むものは、なんちゃーないタッチ1つであっても全て美しい。


俺は何に立ち会っているのだろうか。

が、さらに、
学校にも通えぬ病弱な体質で、コロナの影響もあり人との接触が極端に限られる生徒さんとのセッションが待っているのだ。

「会うことの出来ぬ子どもたち」とどのようにコミュニケートするのか?

自信などまったく無いが、ともかく手紙を交換するように、絵を交換して作品にしてみようと。

まずはその旨をはっちゃけたビデオレターを撮影し子どもたちに伝える。
(先生方もだんだんとワルダクミ体質になってくれている!)

で、そよ風分教室(成育医療研究センター病院に入院)の子どもの元に先生方が赴き(今はコロナの影響もありオンライン)学習指導するグループには「自分の好きなものを言葉で伝えて〜」と。

そしたら、
良く消毒された紙にドラなんちゃらやピカなんちゃらやエバなんちゃらや、ラーメンやら鍋焼きうどんやら、、
はい、全部ボクがモノクロのシルエットで描きましたぜ!


裏面にひと言ふた言メッセージを添えて送り返してやったら、
うわ!

なんか見たことないタイプの絵になって帰ってきたぜ!


それとは別に、なにやらカラフルな絵が届けられる。

“病訪”と言って、各地に散らばっている病院に先生が赴いて学習指導をする、
もしくは”在訪”と言って、自宅で療養しながら学習をする、
(でいいのか?分類が業界用語すぎて把握しきれないかも)

そんな子どもたちには、
「気合の線一本を描いてくれれば、そこから発想を広げて絵になるかも〜」
なんて投げかけだったのだが、

気合の線と一緒に色まで着いたのが突きつけられた。

むむ、どれも素晴らしく完成しちゃってるじゃん!




で、裏を見るとビッシリ、
どんな思いでこれを描いたか、何が出来て何が出来なかったか、
ビデオで見たアミイゴという人は変な人だと思ったなどなど書かれている。


これは先生が子どもたちの手となりという作業ではあるけど、
そんなん26枚も送りつけてきやがって!
愛死にしてしまうぜ、、
その前に泣いてるぜ、、

しょうがねえ、アトリエで1人子どもたちが描いているものを見ていたら、
地球の重力から解放されたように宙に咲く花が見えた。

そうか、しょうがねえ、と、全ての絵に花を描きこむ。

それが自分勝手なものにならぬよう、
コロナ自粛の春に描いた100点の花の絵を広げた中でね。


会うことのできぬ子どもたち。
しょうがねえ、俺は思いっきり絵で語るのだ〜〜
むむ??
なんだか風呂に浸かった後のような気持ちになったぞ。
そして生まれた花の絵。

冒頭の絵も含め、なんだか見たことの無いものが生まれたぞ〜
それはとてもセクシーで美しい。

「肢体不自由」というワードの中から、
「セクシー」なんて言葉が浮上してきた作業は、
あと数人の子供とのセッションを経て、
11月30日に壁画として完成させます。

ボクはイラストレーターを名乗り活動を続けていますが、
その目的は、世の中のみんなが自分の意思でものを考え、
自分なりのハッピーを形作る手助けになるものを創ること。
なんだろうな〜と。

そうしたことは、震災以降の10年弱の中で、目に見える形として実感してきて、
そうしたものを必要としている人も視野に捉えていて、

そうすると、今までのイラストレーションのあり方って変えて考えて行く必要があって、
もちろんこれからもイラストレーターとしてイラストレーションの制作は続けてゆくけど、
イラストレーションという発想を社会にシェアし、使ってもらうようなことも必然的にやってゆかねばならないのだと考えています。

それがどんなスタイルなのか、まだわからないけど、
でも、光明学園の皆さんが暑い中わざわざ代々木八幡まで壁画を見に来てくれ、
そこで自信の学園で行うことに確信を持ってくれ、コロナの状況を突破するシステム構築の元、関わる皆さんがちょっとずつスキルアップを達成しながら、壁画制作を実行したということ。

そこにはほとんどボクが筆を振るってこさえたものは無いのだけど、
なんだか美しものに出会え、関わる人の良い顔に出会えるものが生まれていることが、うれしいなあ〜。

あらためて、
こういうことって、福祉や学校という現場に限らず、必要としている場所はあるんじゃないだろうか。



MORITRATIONの取材を受けました。

2020 年 10 月 20 日 火曜日

彦坂版画工房のもりといずみくんに取材されましたの前半。
https://www.hicohan.com/interview/interview-891/
画法は違うが仕事のあり方や仕事を創る発想は似ていて、
とてもリスペクトしている彦坂版画工房
https://www.hicohan.com

仕事の在り方にフォーカスした独自の取材記事を、
自身のサイトに搭載する発想。流石です!

普段あまり語らないイラストレーションの話ですが、
鼻で笑って苦笑いしてもらえたら幸いであります。


早川史哉さんの本

2020 年 9 月 30 日 水曜日

Jリーグのアルビレックス新潟に所属の選手 早川史哉さんと、
長年アルビレックスの広報として活躍されてきたフリーライターの大中祐二さんとの共著、
「生きる、夢をかなえる」を紹介します。

 『生きる、夢をかなえる 僕は白血病になったJリーガー』

発売日:  2020年10月03日頃

著者/編集:  早川史哉大中祐二

出版社:  ベースボール・マガジン社

発行形態:  単行本

ISBNコード:  9784583113173

これは使わなかったイラストレーション

まず、大中さんとは20年来の仕事仲間。
彼がワールドサッカーマガジンの編集に携わっていた時ご縁をいただき、
日本が初めてサッカーW杯に出場、そして日韓W杯が開催されるとい大きなうねりの中で、多くの仕事を共にしてまいりました。

日韓W杯を前に9回に渡る連載となった、ブラジル代表のロマーリオを巡るコラムは、結果ロマーリオが代表を外れるという切ない結末を迎えるのですが、
がしかし、この連載に関わる皆さんの情熱に押され、ボクは毎回訳の分からぬ絵を描き、それは恐ろしくヘタクソだけど熱々のページへと昇華。
誰かに評価をしていただくなんてことが関係なく、「いい仕事したな〜」という実感だけが今も残っている連載となりました。

「サッカーとボク」を語っておけば、
部活ではバスケやバトミントンを選んだ自分ですが、
三浦知良という人がブラジルから帰ってきたというニュースに出会い、
『この人を見続けていたら、新しい日本人像というものに出会えるのではないか』と考え、日本代表や黎明期のJリーグのサッカーを見るようになり、その後の中田英寿の出現や、地方ローカルで成功を収め続けてきた鹿島アントラーズのあり方などを通して、数多の新鮮な発想に出会い重ねることが出来、今という時代を生きる力を手にすると共に、自分が描く「日本人」の姿を学ぶことにもなりました。

サッカーの専門誌でこんなん描かせてくれてありがと〜〜

当時のことに関しては、今回の出版に合わせて行われたインタビューで大中さんも語ってくれていますので、ぜひ覗いてみてください。
https://soccermagazine.jp/j2/17394667

ボクもそうだけど、大中さんもなかなか熱い人であります。

そんな大中さんが週刊サッカーマガジンの新潟担当になり「アミイゴさん、新潟熱いから一度来てみてください」と言われ、アルビレックス新潟を取材に行ったのが、2004年10月17日。



スケッチブックに描いたままを誌面見開きで使ってもらった。

「サッカーで新潟が変わってゆく!」
新潟スタジアム”ビックスワン”で出会ったのは、そんなサッカーの喜び。

個人的に応援していた鹿島アントラーズが負けてしまった試合だけど、
地方都市の未来をピッチに描くようなサッカーを通した取り組みにとても感激。

三浦知良を見ていたら、未来の地域作りに出会えた。

が、
この取材の1週間後に中越地震が発生。

スタジアムに集ったあの笑顔はどうなってしまうのだろうか?
こうしたことにイラストレーションは何が出来るのだろうか?

ボクのその後の活動の出発点のひとつは、大中さんに導かれ足を運んだ新潟の地平線から始まっています。


ギャラは義援金に回してもらった。てか受け取れないよな〜

勢いに任せて水彩で描いたビックスワンの絵。
ヘタクソだけど、こんな絵をブラッシュアップさせてゆくことが自分の仕事になってゆくはずだと実感したはず。

こんなご縁の先で、大中さんは新潟へ移住。
この魅力的なチームの力になるよう尽力してゆきます。

「その後もいろいろあったなあ〜〜!」の先で、
今回早川史哉さんの著作のお手伝いをさせてもらうことになり、
また「アミイゴさん、史哉くんに会いに新潟に来てください」と。

うっす。
もちろん行くっす!

去年の11月、霰(あられ)舞う極感の練習場で会った早川史哉さん、
とて魅力的な青年でした。

もともとU17の日本代表のキャプテンを任されるような資質の人です。

当時J1だったアルビレックスに入団し、将来を嘱望されるも、
白血病の診断を受け闘病。

しかし、今彼はまたプロとしてピッチの上に立っている。

それがどういうことか、
なぜ彼にはそれが可能だったのか。

三浦知良という人の背中を追っていったら、
今の時代を生きる上で必要とされることを実践してきた1人の青年に出会えた。

それはボクが考えるイラストレーションの仕事の最大の喜びではないだろうか。

やはり大中さんを通して仕事を共にさせていただいてきた、デザイナーの高橋さんから投げていただいたオーダーに対して、ボクは勝手にいくつかの暴走を行い、
頼まれてもいない絵を投げ返したりした仕事。

しかし、こんななんちゃーない絵を、大中さんはとても喜んでくれ、
てか、高橋さんも採用してくれ、
ボクとしても2004年の秋から始まった物語に、ひとつ答えることができたかなと。

ひとりのサッカー選手の語る困難を乗り越えた先の今。
そして未来。

「白血病」という強いワードに困惑する方もあるかもしれませんが、
読者の皆さんには、ひとりの魅力的な青年の「今」を知ることで、明日を生きる力を生むきっかけになればいいなと、心から思うのです。

それはきっと、大中さんにもボクにも言えることで、
この本をスタートラインすることで生まれる「明日」とか「10年後」なんてものが楽しみなのです。

鈴木テル子さん。

2020 年 8 月 16 日 日曜日

伊豆七島のひとつ、神津島の 神津島村郷土資料館 に展示されていた小さな絵に釘付けになりました。

描かれている女性がイキイキとして綺麗。
衣装が丁寧におしゃれに描写されているが、
合わせてフィジカルな表現も確かでとてもセクシー。

もちろん色も綺麗だし、
自然と人が織りなす構図が素晴らしい!


作者は鈴木テル子さん。
その名前を知らぬでいた作家さんは、
人形作家としても素晴らしい作品を遺しています。

もう他界された方ですが、
その足跡が記されていました。

鈴木テル子

大正10年-1921年3月22日 東京深川に生まれる

大正12年 (2才)関東大震災で京都へ引っ越す

昭和 6年  (10才) 交通事故に遭い障害を持つ

昭和 7年 (11才) 両親の郷里、神津島に帰る

昭和13年 (17才) 人形作りを開始

昭和19年 (23才) 母親死亡

昭和23年 (27才) 父親死亡

昭和24年 (28才) 第一回現代人形美術展入賞

昭和26年 (30才) 本格的に作画を開始

昭和38年 (42才) 島の娘を題材にした絵葉書発行

昭和54年 (57才) 大島老人ホームに一時入所

昭和59年 (62才) 大島老人ホームに正式入所

(没年は個人的に確認出来ていない)

11歳で神津島に渡り、その後大島の老人ホームに入所するまで、一度も神津島を出ない生活の中で創作を続けてこられたとのこと。

若くして負った障害やご両親の早逝といった喪失は、
すべて島の女性たちの風俗を描写するエネルギーに変えられたのでしょうか。

しかし、そうした彼女の境遇を知らくても、
遺された作品が今もイキイキと目の前で呼吸を続けていることに感動するのです。

なんだろうね、実際は厳しい労働のはずなんだろうけど、
描かれている女性たちはみな、地球の重力から解放されたようにフワッとエレガントな姿でいる。

ここでアップしているのは、資料館で了承を得て撮影した写真と、
島内の公設の物産販売のコーナーで売られていたポストカードです。


ポストカードは昭和38年に一度作成されたことがあったそうですが、そうしたものの原画が見つからず、昭和が終わるくらいの時期に再度描き下ろしてもらい、現在販売しているポストカードを作成したとのこと。

彼女を知る人に尋ねると、彼女の作品は体系的に管理されていないとのこと。
遺された作品がどれだけあるのか?その辺もわからないでいるそうです。

ボクはどうしてもイラストレーター目線で絵を見てしまうのですが、
鈴木テル子さん、やはりすごい!
もはや恋愛の対象のようでさえあり、
もしご存命だったら、会いたかったなあ〜。。


テル子さんの作品、神津島だけじゃなくて、日本の宝として多くの人に見てもらいたい。
そのためにもデジタルアーカイブ化だけでもしておけたらなあ〜


誰かやらねば!

自分がやるか。


75年目の8月15日

2020 年 8 月 16 日 日曜日