‘SOUL’ カテゴリーのアーカイブ

78ヶ月め

2017 年 9 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から2,376日め
6年半
78回目の11日です。

8月11日からあっという間に1ヶ月が過ぎてしまった印象の今年の夏。

8月13日、毎年この時期に足を運んでいる、福島県いわき市の豊間に行ってきました。

防潮堤とビーチの整備が済んだ薄磯は、多くの海水浴客がいて、
『あの日から6年5ヶ月後の夏』という確かな時の流れを感じました。

もっとも、海から顔を転じた津波被害に遭った場所は、
かさ上げ工事などは進んでいますが、人の生活が戻ってくるのはこれから。

これからこの土地で必要とされるもの、例えば絵だったらどんな仕事ができるのか?
想像力を働かせてみました。


今回は福島の地元新聞「福島民友」の記者さんと待ち合わせて、
絵本「とうだい」の作画の話をしたり、震災から後の活動について話をしたりもしました。

震災前のこの土地を知る記者さん。

震災後にこの土地を知り、復興の経緯を見てきたボク。

お互いの記憶のすり合わせをして、
お互いの違いも共通するものも交換出来たことに、
6年5ヶ月の時の意味を感じることができました。

防潮堤が完成に向かうにつれ、海の見えなくなってしまった豊間。

震災前を知る記者さんはそのことを「仕方ないことだけど寂しい」と語ります。

ただ、なだらかに土の盛られ、植林の行われる防潮堤の景観は、
宮城や岩手の沿岸部で見た垂直で巨大なコンクリートの景観と比べたら、
柔らかな未来の風景を想像出来るもので、

引き続きこの土地を訪れ、どのような人の風景が育って行くのか、
確認し続けてゆこうと思いました。

今回はいわき駅のひとつ手前、湯本駅で降りて海を目指して走ってみましたが、
相変わらずいわきは陽の光が力強く、目にする花が美しい。

ささいなことかもしれませんが、ボクがいわきに「また行きたい」と思うのは、
そんなこの土地の方々の花を愛でる気持ちに触れたいと思うからかもしれません。

花に人を見るボクです。

いわきに行った直前で、熊本の天草を取材していた今年の夏。

天草の沿岸部に残される昔ながらの美しい景観。

東北の太平洋沿岸部でその多くが失われてしまったことを考えると、
どうにも愛しいものだと、
取材には天草市の職員さんがアテンドくださるのですが、
彼らの「見てもらいたい」天草とは違った視点で、
天草の魅力に取り憑かれていったボクです。

「それ、そんなに魅力ありますかね?」なんていう市の職員さんたちに対して、
いちいち泣き出したい気持ちになりながら「素晴らしいです!」ってね。

東日本を知るからこそ見える天草。

その魅力が未来に生きるものであってくれたらなあと心から願い、
今取り組んでいる仕事の絵を描いています。

そんなボクの考えを裏付けてくれたのが、
8月20日21日とお邪魔させてもらった飛騨高山の街。


展覧会とワークショップ開催のためにうかがったのですが、
電車を降りて空気を吸って、すぐにこの土地が特別な場所なのだと分かるような感覚。

富山と尾張や三河を結ぶ交通の要所で、
林業や養蚕など盛んに行われ、それなりに豊かな土地であったはずですが、
戦後の高度成長期にある意味取り残されるも、
70年代に入るあたりで観光で生きる道を明快にして、
今はミシュランのガイドに載るほど「日本の行くべき場所」と認識され、
多くの観光客を集めるに至っています。

ここ数年津波で失われた東北太平洋沿岸部を巡る共に、
津波で失われなかった会津若松なんていう街にも出会うようになりました。

さらには広島の尾道や大分の日田のように古い町並みを残す街。
そして天草、飛騨高山。

そんな場所の魅力は、古いものが残っているから素晴らしいのではなく、
良いものを残してゆこうという人の気持ちこそが美しいのだろうと思えた今年の夏です。

上に掲げた土地の一部は江戸時代に天領であったことで共通しますが、
それ以上に
太平洋戦争の際に無差別爆撃のような空襲を遭わなかった土地であることで共通します。
(天草も尾道も一部で空襲があったのですが、、)

日本が喪失の中にあるなか、街は残った場所。

ボクのつたない想像でしかないのですが、
こんな街で生まれ育った方は、戦後から高度経済成長期、バルブル世と、
日本が激動を繰り返す中、それでも心に優しさのようなものを内包させ、
人の作ってきた良き風景を残して行くことに使命感も抱き、
今の時代に、人に癒しを与えられる場所を守ってきてくれたんだと思っています。

東北の沿岸部で進む復興の中に、
こんな街の過去から今へと育まれてきた優しさのようなマインドが反映されたらいいなと。

高山も天草も尾道も日田も会津若松も
ある意味日本の最先端の場所として再認識されると共に、
各街通しで交流を深め、その魅力を東京(中央)とは別の価値観で深めてゆく。
そんな輪の中に被災し復興を目指す土地の方が自然と混じってくれてたらいいなと。

個人的に、それぞれの土地の方と仕事をしてゆくことがあるはずなので、
ボクは絵をもって人と人の架け橋となってゆけたらいいな。
です。

Eri Liao Trio「紅い木のうた」

2017 年 8 月 12 日 土曜日


5月20日23時56分に見知らぬ名前のメールがとどきました。

はじめまして。
シンガーの Eri Liao と申します。
私のバンド Eri Liao Trio(Eri Liao – vo/ ファルコン – guitar/小牧良平 – bass, guitar) で
8月に自主制作で1stアルバムを出すことになり、
CDジャケットの絵を小池さんにお願いできないかと思い、連絡してみました。
=中略=
アルバムタイトルは『紅い木のうた』、
私の出身の台湾原住民族の曲や、オリジナル曲、ロック、ジャズ、
日本歌謡、テレサテン、ジョビン、カーペンターズなど、
いろいろごちゃまぜな感じを3人でやっています。

もしお願いできたらとても嬉しいです。
ご連絡お待ちしております。よろしくお願いいたします。

Eri Liao
https://eriliao.jimdo.com

Eri Liao Trio
https://eriliao.jimdo.com/profile-1/eri-liao-trio/

エリ・リャオさん、
台湾の山岳民族であるタイアル族の血を引く台北出身で、
小学校の時に日本にやってきて、東大を出て、NYのコロンビア大学に編入し、
しかし中退し、JAZZシンガーの道を歩む、、

ムムム、、


添付されたリンクに並んだ13曲のうち3曲を聞いたところですぐに返信。

「ボクに描かせてください」
「そのためにも、まずは会いましょう」

数日後に彼女と会い、その人となりの惹かれ、
しかし、ライブで見て見ないと描けないなと、

ライブスケジュールを俯瞰したら、行ける日が無い。

ならば自分で作ってしまおうと、
締め切り直前だけど6月30日に代々木上原のhako ギャラリーで Eri Liao Trio ライブ開催。

レコーディングされた音だけでは見えない、
Trioでの演奏ならではの緊張感と親密感に感動。

この日、ほとんどの人が初めて彼らの演奏と唄に出会ったのだけど、
その反響は今も続いているという、
ボクの創ってきた音楽の現場の中でも特別な「なにか」が生まれた夜になりました。

さて、まったく無名だけど、今サイコーの感動を与えてくれる彼らの表現に対して、
どんな絵を添えたら良いのか?

アルバムタイトルは「紅い木のうた」

これがとても難しい。

そして
台北から東京、ニューヨークなどなどの音楽を一晩で浴びるような表現の幅の広さ。

さらに、
台湾語、いくつもある原住民後、北京語、日本語、英語などなどの
多言語による表現のラディカリズム。

屈託無く笑うEriさん、その唄に通底するブルース。
それと拮抗したり包み込んだりのジャンルレスのサウンド。

うーーん、なにを描けば良いのか??

ボクの中で浮上したアイデアすべてを見てもらえたら、
それはひとつ「ひとりの男の人生」くらいの
めくるめく面白さがあったのではないかと。

それくらい、
きっと今まで描いてきたCDジャケットの中で一番頭を働かせたはずです。

いやいや、
ボクはアイデアを整理するのにジョギングすることが多いのですが、
このアルバムのために3~40kmくらいは走ったはずで、
頭も身体もフルに使って向かう方向を定めました。

その間、Eriさんとのコミュニケーションが面白くて。

それは「笑える」という面白さではなく、
とても知的な会話の交換という面白いさ。

加えて、
630上原LIVEに足を運んでくれたみなさんが残してくださった言葉に、
直接だったりsns等で触れたことで、なんとか大きな構図と色彩を得て、

結果、
アルバムの冒頭の曲で「ジャラーン」と鳴らされる広がりある音、
そのコード感だけ表現出来たら、
あとは自信を持って『このアルバムに向き合う人を信じた』「もの」を作ろうと、
Eriさんと確認するに至りました。

あとは人生のご褒美のような制作の時。

デザイナーに沖縄在住の平井晋くんを躊躇なく指名。
なによりもPUNKであること、
その上で品のある「もの」を目指しました。

仕上がり、とても気に入っています。

そして、こういう「もの」は作りっぱなしでなく、
これから未来に向けて育ててゆくものだと思い、
まずはここまでの経緯を備忘録として言葉としておこうと思いました。

Eri Liao という魅力的な表現と、
2人の音楽家のリスペクトが編み合わされたまさに「アルバム」です。

CDが売れない時代になぜ彼らはカタチある「もの」を作るのか?

ボクはその部分を一番に考えたかもしれません。

たとえば、
都会でひとり人暮らししている女性がいるとして、
同世代のEriさんの唄に出会い、その人ならではの善き心の動きの先、
「紅い木のうた」と名付けられたアルバムのジャケットを手にしたまま
ウトウト寝てしまっていた。

そんな簡単に消費されない「もの」としてのCDジャケットであることを願っています。

アルバムの正式な発売は9月半ば。
現在は先行でEri Liao Trio のライブで先行発売されています。
*ライブスケジュール
https://eriliao.jimdo.com/schedule/

初回盤はポスター付き。
メンバーが語る演奏曲への思いが綴られています。

唄が好きなら、音楽が好きなら、表現というものが好きなら、
ともかく出会ってもらいたいEri Liaoさんの唄。
自分の音楽人生を紐解いてゆくと
宇多田ヒカル以来のなにかを感じていたりします。

77ヶ月め

2017 年 8 月 11 日 金曜日


今日は2011年3月11日から2,345日め
6年5ヶ月
77回目の11日です。

8月5日より4泊5日のスケジュールで
熊本の天草を取材してまいりました。

天草に着いた夜の「本渡ハイヤ祭」から、
山の頂上や岬のとったん、人の家の食卓と、
ともかく巡りに巡った5日間となりました。

天草市役所の主に若手職員有志による企画。
天草出身の脚本家 小山薫堂さんの地域作りゼミ「N32」に関わる市役所のみなさんが、
税金に頼らぬ方法で人と地域を育ててゆく試みの一歩か二歩めかのタイミングで、
ボクも歩みを共にさせていただき、これから共に歩んでゆきます。

初めての天草行きに際して、
名刺がわりに、熊本の不知火の海の向こう側、
芦北や津奈木町や水俣から見えた天草も描かれている絵3点を送りつけたところ、
市長さんのお話をうかがうチャンスを得ました。

非常に人情家である中村市長さん、
その人格と天草や天草の若い世代にかける熱いお気持ちに触れたことで、
天草を見るボクの視点も更新されたようです。

簡単に言ってしまうと「お客様」から「当事者」の視線に変わったという感じ。

もしかしたら、市長さん、その辺も計算済みなのかな。

ともかく貴重なお時間、ありがとうございました!

「天草の東シナ海に沈む夕日はものすごく綺麗だから見てくれ」

そんな市役所のみなさんのお気持ちに対して、
ボクは相変わらず街中のしょうもない夕暮れ時の光に心を奪われています。

ともかく良い絵を描いて、
まずは市役所ヤングガンズなみなさんとあらためてコミュニケートする。

そこからさらに削り出してゆくことで、
これから先の天草にとって必要な価値観が見つかったらいいな。

1000枚ほど撮ってきた写真を見返しても、
そこに答えは無く、
答えは天草で生きる人の中に埋まっているんだと、

ただ、思いがけず多様性の土地であった天草、
(直前での津奈木町や水俣での経験があってこその発見ばかり!)

そこからなにかひとつを掘り出すことは難しく、
掘り出したものを並べたり組み合わせたり、
そんな作業までお付き合いしてゆく必然を感じています。

こんなリミッターの外れた仕事のあり方を提示してくださった小山薫堂さん、
ありがとうございます。

こんな仕事のあり方をボクも考えていたのですが、
小山さんは実際に動かすためのギアの入れ方が見事!

4日目の夜には、小山さんを交えたゼミと食事会に参加させてもらいましたが、
なるほど、人とこんなコミュニケーションとるんだ!と、
心にメモ、メモ、の繰り返しでした。

この仕事のあり方や方法を今の段階で「こういうことだ」と叫んでしまっても意味は無く、
まずは良い絵を描いて、みなさんに喜んでいただけるものを届けること、
そこでどんなレスポンスがあり、あらためてそれに答えてゆく。

そんなことが出来たら「イラストレーション天草モデル」として
たとえば東北の太平洋沿岸部の友人のもとにも届けられるはずです。

いや、ほんとこれからです。
絵なんてものが今の時代で力を発揮できるのは。

天草についてもっと語りたいことはあるのだけど、
(もしくは、津奈木町や水俣、東北の沿岸部と並列して語るとか)
変に観光案内な感じになってしまうのも違うなと、

その辺、心の粗熱が抜けたあたりであらためて言葉にしてみます。

ただ、天草で確信出来たことは、
ボクが必要としている風景は、人との出会いが見せてくれるってこと。

てことは、あらためてだけど、
天草、人がサイコーなんだ。

5日間、お心づくしをいただいた天草市役所ヤングガンズなみなさん、
ほんとありがとう!
LOVEです。

そして、これからもよろしくお願いいたします。

加害者の土俵に立ってはいけない

2017 年 7 月 26 日 水曜日


全国手をつなぐ育成連合会発刊の交流誌「手をつなぐ」7月号の特集
「負担をかける人間は生きる価値がない」に抗する5つの視点”ヘイトにさよなら”
編集者さんからご指名を受け、5つの視点にそれぞれ絵を添えています。

昨年の7月26日に津久井やまゆり園で起きた事件から1年に合わせ、
5名の識者や障害の当事者による障害者ヘイトに対する提言。

とても難しい問題に対するイラストレーションですが、
編集者さんはボクの普段の活動を知っていてくれ、
「アミイゴ、おめーだったらこの問題に対して何を描く?」
そんな投げかけだと思いました。

テキストをいただき、しばらく時間をかけて考え、
自分の中での正解は、テキストの内容を説明するのでなく、
自分の経験を描くこと。

「障害者」をめぐるボクの思いっきりハッピーな風景を切り取り、絵にしました。
加えて編集者さんからの提案で、
すべてのイラストレーションにボクがなにを経験したのか簡単な説明をつけてあります。

扉ページは、昨年福岡の競艇場のワークショップでの現場で出会った父娘さんが魅せた美しい風景。

その次は平塚養護学校でみんなとデカイ絵を描いたワイルドな思い出

車椅子は日田のまみちゃん。大分の山香の森の中のフェスでご主人さんと熱々でした。

相撲とっている風景は、
2年前に福岡のみんなで動物園に歩いてゆき、絵を描き、弁当食べた後のひとコマ。
アトリエブラヴォのメンバー樋渡さんとボクは熱き相撲ファン同士だったりします。

同じく福岡では、
グラムというオシャレでイカレタ美容室で作ったサイコーにオシャレなイベントで、
健常も障害も区別のつかぬ鮮やかに絵の具まみれの楽しい記憶があります。

今回の「手をつなぐ」特集の中でストンと心に飛び込んできた考え。

「負担をかける人間は生きる価値がない」という考えに対して、
「障害者だって役に立つ」と答える。

いやいや、加害者の土俵に立ってはいけない。

うん、その通りだと思います。

なぜボクが彼らと付き合っているのか、
その一番は楽しいから。

二番は無いです。

もうちょっと踏み込んで言えば、
今日偶然にも福岡のアトリエブラヴォの画集の前書きとして届けた文章の一部。

ボクたちは彼らを「天才」なんて言葉で語ってしまいがちですが、
本当にすごいことは、彼らが街や人に向かって開いていること。
「天才」なんて言葉でボーダーを引いてしまう以前に、
ボクたちはこれからも友人でありましょう。

「手をつなぐ」はその辺で手に入る冊子ではないのですが、
興味ある方はぜひどこかで手にされ見てみてください。

最後に、
こういった仕事の現場は予算規模が限られていること想像出来ますが、
ボクの絵が必要でとされるのであれば描きますんで、
躊躇すること無くビシバシバンバンお声掛けくださいねー!!

75ヶ月め

2017 年 6 月 10 日 土曜日


今日は2011年3月11日から2,284日め
6年3ヶ月
75回目の11日です。

アップした絵は以前描いた気仙沼唐桑の鮪立(しびたち)の集落と漁港。
津波で大変な被害を受けた場所ですが、
震災以前に撮影された写真と唐桑で出会った人の思い出話しを参考に描きました。

そんな話をうかがったのが鮪立の民宿「つなかん」

そこで料理人として働いていた竜介くんが、
「つなかん」を営む盛屋水産さんが育てたワカメを
東京の代官山で期間限定で販売する際、
この絵をポストカードにしてワカメに添えてくれてます。

・6月3、4日(土日)8~11 (木〜日)15~18(木〜日)
・14時〜20時
・ballena 代官山 
 〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西1丁目34−21 クレスト代官山302
 (東横線代官山駅徒歩2分、JR恵比寿駅から徒歩10分、UNITのすぐそばです。)

・主催:今井竜介 
・連絡先 sushi.to.oyster@gmail.com  
・協力:盛屋水産、池田晶紀、小池アミイゴ、鈴木歩、株式会社BambooCut、
・Ballena代官山、仕出し弁当きのこ、つなかんファンの皆様)
・FBページ https://www.facebook.com/events/1723291957969487/?fref=ts

=唐桑御殿つなかんとは=
宮城県気仙沼市唐桑町の小さな入江で、牡蠣の養殖業者が東日本大震災をきっかけに、始めた民宿です。
「御殿」の名前にふさわしい入母屋造りの一軒家。明るく、元気で、魅力的な女将さん。
家族で育てる牡蠣やホタテなどの海産物が食べられる宿でした。
しかし、そんな言葉では言い表せない魅力的な場所でもありました。
そのことが、この展示を通じて少しでも伝わることを願っています。
この3月に海難事故があり、社長含む家族3名がいなくなってしまいました。
それでも、残された女将さんは、再開に向けて動き出そうとしています。
今回、初めて、つなかんのことを知った方も、再開の一報がありましたら、ぜひ、唐桑を訪れてみてください。

http://moriyasuisan.com/

先日ちょっと顔を出して展示を見てきました。
そこに『明るく、元気で、魅力的な女将さん』いちよさんが、
海難事故からしばらく経ってとった行動について書いてありました。

海に生きるということ、強烈に知らしめられたこと。

それはここでボクが言葉にしてしまってはいけないように思います。
ただ、竜介くんが友人であってくれることで知る「人というもののなんたるか」
心に刻んで、これから創るものに反映させてゆこうと思います。


先日は会津へ。

昨年3月に初めて行って歩いた会津。

その際「これは初夏の風景を見ておかねば」と直感し、
今回梅雨入り直前のタイミングで行くことにしました。


前回は郡山から会津に入りましたが、
今回は特急が会津山田まで通った東武日光線を利用。

江戸-日光-会津 という江戸時代の必然を辿る道ですが、
それにしたって昔の人はよくもこんな深い山を抜けていったものだと。

会津山田から第三セクターの会津鉄道に乗り換えてゆくと、
会津は突然その姿を現すというイメージで、広大な会津盆地に出会います。

田植えが始まった季節の会津盆地は水の国。

この土地の豊かさに惹かれた昔の人々の気持ち、わかるな〜
(さらに…)