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80ヶ月め

2017 年 11 月 11 日 土曜日

今日は2011年3月11日から2,437日め
6年8ヶ月
80回目の11日です。

昨日から福島県の会津に来ています。
奥会津の柳津という山間の町の子どもたちと絵を描くセッション。

晩秋の美しい山里を歩きながら、
これからの時代を生きる力なんてものを見つけられたらいいなと思っています。

先日は日曜と月曜とで宮城の塩釜、福島市、群馬と巡ってきました。

福島市で1年の奮闘を経過した食堂「ヒトト」のパーティーへのお誘いを受け、
ならば塩釜まで行ってしまおうと。

震災後にお付き合いが始まった養殖漁を営む共栄丸さんの東塩釜の直売所へ。

東塩釜駅から塩釜港の港湾部の海べりを辿って
共栄丸さんのある千賀の浦市場まで歩いて行くってことやってみました。

気持ちの良い陽気の秋の日の午後、べた凪の港は穏やかで、
多くの釣り人がそれぞれの時間をのどかに過ごしているのが印象的でした。

中央市場のような施設も立派に再建され、
地域の新たなランドマークとして輝いて見えました。

東京で暮らし東北の太平洋沿岸部のことを思うと、
「被災」から「復興」という言葉ですべてを考えてしまいがちですし、
首都圏に向けたメディアの報道もそれに特化しているイメージです。

のどかに釣り糸を垂れている人たちの姿をわざわざ伝えるメディアは無い。

もちろん、今でも助けを必要としている人がいることは事実で、
ボクたちはそんな方々への想像力を失わず日々を生きて行かねばなりません。

が、そろそろ「復興」とは別の言葉を使って
ボクたちが必要とする未来の姿を語ることも始められたらいいなと思いました。

歩いてみて感じる塩釜港周辺の豊かさ。
「松島」という景勝地と分母を同じにする塩釜ですが、
漁業や養殖漁、水産加工業や観光業、寿司屋の密度日本一と言われる飲食業、
銘酒を醸す造り酒屋、古い神社やキュレーションの立派な美術館やギャラリーなど、
これまでの「観光」のあり方とちょっと違う、より文化的な発見の出来る町だなと。

共栄丸さんはきっとその辺のこともマルッと内包させ、
「松島」でも「塩釜港」でもなく万葉の昔から使われた「千賀の浦」という地名を、
あらたなアイデンティとして塩釜の湾岸エリアをブランディングしたいんだろうね。

そんなお考えに沿うデザインやイラストレーションを
この地域に使ってもらえることを考えています。

今回共栄丸さんに行ってみようと思ったもうひとつの理由は、
今年の春に出来たという防潮堤がどんな景観を生んでいるのかを確かめること。

意外やボクの身長よりも低かった防潮堤。

港湾部をここまで歩いてきて、
こんな防潮堤が造られていた漁港もあれば、建設中の場所もあり、
今後どうなってゆくのか分かりかねぬ場所もあって、
このエリアの未来の海の景観に想像出来なかったです。

こうしたことが「復興」という言葉で語るのであれば、
ボクたちはやはり新鮮な言語をもって、
「復興」に拮抗させる形で地域の美しさを育ててゆけばいいんだと思いました。

防潮堤を越えると、やはり美しいです、千賀の浦!

市場を訪れた人が、もっと自然とこの景観に触れられるような動線の構築とか、
デザインやイラストレーションの仕事の現場はいくらでも見つけられそうなのが、
今の東北太平洋沿岸部。

共栄丸さんでは相変わらず美味しい思いをさせてもらっちゃって、
ワカメや牡蠣やホタテの美味しさに、ちょっと飲みすぎ。

酩酊の隙間から覗く働くみなさんの明るく元気な姿。

いろいろ大変はあるだろうけど、明るく元気。

そうそう、2012年の冬にこの姿に出会って、
東京で暮らす自分に足りていないもの、
未来を生きてゆく上で失っちゃいならないものなんてのに気づいたんだ。

この姿、家族にも見せたいと思って、新幹線に乗って来たりもした。

あの日から80ヶ月たった今も、
みなさんはボクなんかよりちょっと先の未来を生きている。

次はまた家族と一緒に、
息子にいろんなもの見せながら来たいと思いました。

日曜の夕暮れ近くの港に沸き立つしなやかに力強い群像を背に福島へ。

開店から1年の奮闘の先で
やはり沸き立つしなやかに力強い群像を見せてくれた食堂「ヒトト」

福島の人に請われて開店にいたったオーガニックベースの小さな食堂にたくさんのお客様が、
福島市に限らず、日本の各地から集まってきたパーティー。

ひとつの店を1年の奮闘だけで語ってはいけないし、
「未来」などという言葉で分かった顔して語る気もなく、

明日が無事であること、
出来れば今日よりちょっとマシなものであるように願うことの先に、
この店をしっかりと視野の中に入れてゆきたいと思いました。

そう出来るために、
やはりボクたちは今まで使ってこなかった新鮮な言葉を見つけ、共有し、
語り合うことを続けてゆきたいな。

うん、2年目、3年目がさらに楽しみ!
個人的に福島県に関わる仕事が続くので、これからもよろしくお願いしますね〜!

そんな旅の帰り道で寄った生まれ育った群馬の地。

あらためて多くのものが失われていることに、さすがに寂しくなった。

変わらずそこにあってくれる赤城山を見て、
少なからず気持ちを落ち着け、あらためて、
自分の足元はどうなっているのか考えました。

2017年10月22日のこと

2017 年 10 月 19 日 木曜日

「おい、おめーもう選挙に行ったか?」

「行ってねえよ、とーちゃん」

「はあ?行ってねーって、今日1日なにやってたんだバカやろー、ゴロゴロ寝てねーで早く行ってきやがれ!」

「バカやろうって言われても、誰に入れていいかわかんねーよ、とーちゃん」

「バカだなぁテメエ、俺だってわかんねーぞ、このやろー」
「それでもこうしてポスターの顔を見てだな、コイツは嘘ついてねえって奴をだな、おめーも色々痛い目に遭ってるだろから分かるだろ?」

「分かるっちゃー分かるかもしんねーけどよぉ、とーちゃん、誰に入れても世の中大して変わんねぇんじゃねえかよー、とーちゃん!」

「バカやろー、テメエ」「テメエの一票で世の中そう簡単にひっくり返るはずねーだろ、バカやろめ!」
「つーか、どーせおめーの考えてることなんざ、働かねぇで一生親のスネかじって生きてゆける世の中でありますように、なんつー甘ったれたもんだろ、バカやろ!」

「なんでそれが分かるんだい、とーちゃん、、」

「バカやろ、やっぱり図星かこのやろ!」
「ったく情けねーなぁ、、」
「おう!いいか、そのドテカボチャみてーなもんの両脇にくっついてる耳の穴かっぽじって良く聞きやがれ!このやろ」
「おめーの一票なんつーもんで大きく変わるようには、残念ながら世の中出来てねえ」
「しかしだな、おめーみてーなもんでも、一票を使うことで、おめえ自身が変わるんだ」
「おめーの入れた政治家とか政党とかが選挙の後なにをするのか、しねーのか、そーゆーことに興味持つことでよぉ、おめーの見る目ってぇもんが育つんだ、バカやろー」
「でな、今度の選挙の一票を失敗しましたって事になってもよ、それでてめーの人生が終わるわけじゃねぇ」
「次は間違えねぇように考えりゃいいだけのことよ」
「それでなにかあった時は俺に任せとけって!それが社会人ってもんだ、このやろー」

「わかったよ、そう枕元でガミガミ言わねーでくれよ、行きゃーいいんだろ、選挙行きゃー、」

「ああ、行きゃーいいんだ、行きゃー」
「じやなきゃ話にならねぇって」

79ヶ月め

2017 年 10 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から2,4006日め
6年7ヶ月
79回目の11日です。

ちょっと前、夏の終わりの頃の話です。
福島県の山都町の有機農家、大江ファームさんより野菜がひと箱とどきました。

福島市で美味しい野菜料理を提供している「食堂ヒトト」の大橋さんからの差し入れ。

お店でも使用している大江さんの野菜を「ぜひ食ってくれ」とのお心遣い。
端正込められ育てられた夏の名残の野菜を家族で食べたこと、
いつか2017年の夏を振り返った時、舌に心にと蘇るんじゃないかと、
そんな力強くも優しい味わいの「THE くいもの」でありました。


枝豆はペペロンチーノに。


モロヘイヤは山芋たっぷりのチジミに。


じゃがいもはごくシンプルにフレンチフライ。
このシンプルな美味さにわが家の小二男子くん
「どんなに食べても食べるのをやめられないよ〜」


だったらトマトはそのまま
やはり「食べるのをやめられない」とのこと。


2種類のじゃがいもを素揚げにし鶏肉のコンフィに添えたら、
皿の上でトリちゃんと主役を張り合っていました。


「生で美味しい」と書かれていた赤いオクラ、
すみません、加熱しちゃいました、、
が、やはりとても美味しかったです。

なんだか安っぽい食レポか「つながり自慢」になってるかもですが、
ボクはなんでこの野菜を食べているのか考えています。

大江さんはまだお会いしたことがありません。
この野菜を食ったら、うん、近々大江ファームに行ってみよう!
そう思っています。

大江さんの野菜を送って下さった「食堂ヒトト」の大橋さんは、
栃木県那須黒磯のSHOZO COFFEEのアパレル店「04 STORE」で働いているのに出会い、
その丁寧な仕事っぷりから感じる熱っぽさに惹かれた方。

震災以降のふるさと福島県でなにかできないかと思い、辿り着いたのが「ヒトト」であり、
ボクは「あの熱っぽい仕事をしていた人」のその後に興味を持ち続けているのです。

そんな出会いの現場SHOZOへは、
大阪の堀江で「ロカリテ」という喫茶店を営んでいたご夫婦さんと一緒に、
初めて足を運びました。

とてもとても美意識の高い、しかし敷居は高くない喫茶店だったロカリテ。

その店主ご夫婦と共にした時間、
ライブイベントだったりワークショップだったり、
いっそなんでもなく静かな語らいの時だったりは、
ボクのものづくりのクオリティーを見直すきっかけになり、
共に行った超有名店のSHOZOでも、自分ならではの発見ができました。

そんなロカリテに導いてくれたのは、
大阪の中津で中古レコード屋をやっていたHawaii record の店主。

好きなアーティストに対する思い入れの熱さがまさに「大阪」
その勢いで「今大阪で一番好きですわー!」とロカリテも紹介くださいました。

そんなハワイレコードは、
大阪の舟場で、ある意味日本のカフェカルチャーの西の先駆けとして牽引していた
コンテンツレーベルカフェの店主奥山さんから紹介を受けました。

コンテンツレーベルカフェ、今から10年ちょっと前にもらい火で消失してしまいました。
それでも、それまでの数年のお付き合いの濃厚さは、
現在店名を「ミリバール」として再開した今も継続しています。

それもこれも店主奥山さんの「人好き」のなせる技。
ミリバールとして再開後、米つくりから関わっているごはんのことや、
独自の野菜の仕入れについて熱っぽく語り合った夜が懐かしいです。

そんなコンテンツレーベルを紹介くださったのは、
福岡出身のユニット”small circle of friends“のサツキさん。

small circle of friendsとの出会いは1994年7月30日。
ものすごく暑い夏の「わすれもしない」福岡西中洲のクロッシングホールでのライブイベント。

「渋谷系」の渦中にいたボクが、
福岡の人のあり方に感銘を受けたイベントの楽屋裏の風景。

人が「人が作りがちなボーダー」をいとも簡単に飛び越え交わってくる風景。
その中心で緩やかなグルーヴを叩き出していたsmall circle of friends

あ、ボクが必要なものはこんなグルーヴだなと直感し、
そんな人たちの作る風景を俯瞰しながら、
「東京でいきがってる場合じゃねえ」と思い、
「東京でこの風景を作らねば!」と思ったひと昔前の経験は、
巡り巡って那須黒磯のSHOZOへ、福島の「ヒトト」へと導いてくれたんだと、
野菜を食って確認した2017の夏でもあります。

ボクは「ひとり」と出会うことで新たな「ひとり」と出会うチャンスを得て、
今に至り、美味い野菜を食った。

ということです。

未だに「フクシマ」や「 FUKUSHIMA」として語られることの多い「福島県」

1人ひとりと丁寧に知り合ってゆけば、そりゃ良いも悪いも感じることが出来る。
でもそこには記号化した「FUKUSHIMA」は無く、
1人ひとりの立っている場所、足の下につけられた地名を知ることになる。

そんな1人の足元にたどりつくのは、ボクひとりでは不可能であり、
そう考えてボクは今在る場所で立ち止まってまわりを見回してみる。

そんなこと考えてたら、群馬のおじさんから野菜が届きました。

お礼の電話をいれると
「クズ野菜でわりやいね〜!」といつもの感じで。
「でも、ナスは近所の人が作ってるやつだから食ってみてくんねえかい」とかね。

もう30年ちかく前に脳梗塞で身体半分をうまく使えないでいるおじさんの野菜。
(「まさおおじさん」> http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=5930 )

美味い福島の野菜に出会った直後で食べたら、
ボクが生まれ育った群馬の土の味がグワッと口の中に広がってね。

なるほど野菜の味は土の味なんだとあらためて実感。
福島の美味しい土が群馬の土を際立たせてる感じさせてくれた、
「俺はこれを食って育ったんだ!」という喜び。

ボクが表現しなくちゃならないもの、
息子をはじめ下の世代に伝えたいことって、
こんなことなんだよな〜。

では、
野菜の味を絵にする?
土っぽい絵を描く?

う〜〜ん、、なんだろ。

答えはすぐには手にできないだろうけど、
ともかく手を動かしてゆかなくっちゃだ。

そんな思いのもと、
先日会津での仕事の打ち合わせの流れで福島市へ。
去年のオープンから2度目の「ヒトト」へ。

群馬、東京、福岡、大阪、那須黒磯、会津
そんな漂泊の先で、当たり前にこで食事をしている。

その当たり前がとびきり美味しい。

大橋さんはじめスタッフさんとお互いの息災を確かめ合う、
なんでもない会話がうれしい。

あとは福島の酒があればなあ〜〜〜〜〜〜〜、、

だが、
夕方には池袋で大切な用事があるんよ、、
と「またね」と店をあとにする。

美味い野菜を食った夏の終わり、
思い返したのは、これまで出会ってきた人のこと。

その1人ひとりを育んできた「土」のこと。

これからさらに日本の各地の人と関わる仕事が続きます。

今はそれが動きだす前の慌ただしさの中に身を置いていますが、
3月11日から6年7ヶ月めの日に、愛しき1人ひとりのことが浮かんできたこと、
次に足を運ぶ場所で生かしてゆこうと思いました。

78ヶ月め

2017 年 9 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から2,376日め
6年半
78回目の11日です。

8月11日からあっという間に1ヶ月が過ぎてしまった印象の今年の夏。

8月13日、毎年この時期に足を運んでいる、福島県いわき市の豊間に行ってきました。

防潮堤とビーチの整備が済んだ薄磯は、多くの海水浴客がいて、
『あの日から6年5ヶ月後の夏』という確かな時の流れを感じました。

もっとも、海から顔を転じた津波被害に遭った場所は、
かさ上げ工事などは進んでいますが、人の生活が戻ってくるのはこれから。

これからこの土地で必要とされるもの、例えば絵だったらどんな仕事ができるのか?
想像力を働かせてみました。


今回は福島の地元新聞「福島民友」の記者さんと待ち合わせて、
絵本「とうだい」の作画の話をしたり、震災から後の活動について話をしたりもしました。

震災前のこの土地を知る記者さん。

震災後にこの土地を知り、復興の経緯を見てきたボク。

お互いの記憶のすり合わせをして、
お互いの違いも共通するものも交換出来たことに、
6年5ヶ月の時の意味を感じることができました。

防潮堤が完成に向かうにつれ、海の見えなくなってしまった豊間。

震災前を知る記者さんはそのことを「仕方ないことだけど寂しい」と語ります。

ただ、なだらかに土の盛られ、植林の行われる防潮堤の景観は、
宮城や岩手の沿岸部で見た垂直で巨大なコンクリートの景観と比べたら、
柔らかな未来の風景を想像出来るもので、

引き続きこの土地を訪れ、どのような人の風景が育って行くのか、
確認し続けてゆこうと思いました。

今回はいわき駅のひとつ手前、湯本駅で降りて海を目指して走ってみましたが、
相変わらずいわきは陽の光が力強く、目にする花が美しい。

ささいなことかもしれませんが、ボクがいわきに「また行きたい」と思うのは、
そんなこの土地の方々の花を愛でる気持ちに触れたいと思うからかもしれません。

花に人を見るボクです。

いわきに行った直前で、熊本の天草を取材していた今年の夏。

天草の沿岸部に残される昔ながらの美しい景観。

東北の太平洋沿岸部でその多くが失われてしまったことを考えると、
どうにも愛しいものだと、
取材には天草市の職員さんがアテンドくださるのですが、
彼らの「見てもらいたい」天草とは違った視点で、
天草の魅力に取り憑かれていったボクです。

「それ、そんなに魅力ありますかね?」なんていう市の職員さんたちに対して、
いちいち泣き出したい気持ちになりながら「素晴らしいです!」ってね。

東日本を知るからこそ見える天草。

その魅力が未来に生きるものであってくれたらなあと心から願い、
今取り組んでいる仕事の絵を描いています。

そんなボクの考えを裏付けてくれたのが、
8月20日21日とお邪魔させてもらった飛騨高山の街。


展覧会とワークショップ開催のためにうかがったのですが、
電車を降りて空気を吸って、すぐにこの土地が特別な場所なのだと分かるような感覚。

富山と尾張や三河を結ぶ交通の要所で、
林業や養蚕など盛んに行われ、それなりに豊かな土地であったはずですが、
戦後の高度成長期にある意味取り残されるも、
70年代に入るあたりで観光で生きる道を明快にして、
今はミシュランのガイドに載るほど「日本の行くべき場所」と認識され、
多くの観光客を集めるに至っています。

ここ数年津波で失われた東北太平洋沿岸部を巡る共に、
津波で失われなかった会津若松なんていう街にも出会うようになりました。

さらには広島の尾道や大分の日田のように古い町並みを残す街。
そして天草、飛騨高山。

そんな場所の魅力は、古いものが残っているから素晴らしいのではなく、
良いものを残してゆこうという人の気持ちこそが美しいのだろうと思えた今年の夏です。

上に掲げた土地の一部は江戸時代に天領であったことで共通しますが、
それ以上に
太平洋戦争の際に無差別爆撃のような空襲を遭わなかった土地であることで共通します。
(天草も尾道も一部で空襲があったのですが、、)

日本が喪失の中にあるなか、街は残った場所。

ボクのつたない想像でしかないのですが、
こんな街で生まれ育った方は、戦後から高度経済成長期、バルブル世と、
日本が激動を繰り返す中、それでも心に優しさのようなものを内包させ、
人の作ってきた良き風景を残して行くことに使命感も抱き、
今の時代に、人に癒しを与えられる場所を守ってきてくれたんだと思っています。

東北の沿岸部で進む復興の中に、
こんな街の過去から今へと育まれてきた優しさのようなマインドが反映されたらいいなと。

高山も天草も尾道も日田も会津若松も
ある意味日本の最先端の場所として再認識されると共に、
各街通しで交流を深め、その魅力を東京(中央)とは別の価値観で深めてゆく。
そんな輪の中に被災し復興を目指す土地の方が自然と混じってくれてたらいいなと。

個人的に、それぞれの土地の方と仕事をしてゆくことがあるはずなので、
ボクは絵をもって人と人の架け橋となってゆけたらいいな。
です。

Eri Liao Trio「紅い木のうた」

2017 年 8 月 12 日 土曜日


5月20日23時56分に見知らぬ名前のメールがとどきました。

はじめまして。
シンガーの Eri Liao と申します。
私のバンド Eri Liao Trio(Eri Liao – vo/ ファルコン – guitar/小牧良平 – bass, guitar) で
8月に自主制作で1stアルバムを出すことになり、
CDジャケットの絵を小池さんにお願いできないかと思い、連絡してみました。
=中略=
アルバムタイトルは『紅い木のうた』、
私の出身の台湾原住民族の曲や、オリジナル曲、ロック、ジャズ、
日本歌謡、テレサテン、ジョビン、カーペンターズなど、
いろいろごちゃまぜな感じを3人でやっています。

もしお願いできたらとても嬉しいです。
ご連絡お待ちしております。よろしくお願いいたします。

Eri Liao
https://eriliao.jimdo.com

Eri Liao Trio
https://eriliao.jimdo.com/profile-1/eri-liao-trio/

エリ・リャオさん、
台湾の山岳民族であるタイアル族の血を引く台北出身で、
小学校の時に日本にやってきて、東大を出て、NYのコロンビア大学に編入し、
しかし中退し、JAZZシンガーの道を歩む、、

ムムム、、


添付されたリンクに並んだ13曲のうち3曲を聞いたところですぐに返信。

「ボクに描かせてください」
「そのためにも、まずは会いましょう」

数日後に彼女と会い、その人となりの惹かれ、
しかし、ライブで見て見ないと描けないなと、

ライブスケジュールを俯瞰したら、行ける日が無い。

ならば自分で作ってしまおうと、
締め切り直前だけど6月30日に代々木上原のhako ギャラリーで Eri Liao Trio ライブ開催。

レコーディングされた音だけでは見えない、
Trioでの演奏ならではの緊張感と親密感に感動。

この日、ほとんどの人が初めて彼らの演奏と唄に出会ったのだけど、
その反響は今も続いているという、
ボクの創ってきた音楽の現場の中でも特別な「なにか」が生まれた夜になりました。

さて、まったく無名だけど、今サイコーの感動を与えてくれる彼らの表現に対して、
どんな絵を添えたら良いのか?

アルバムタイトルは「紅い木のうた」

これがとても難しい。

そして
台北から東京、ニューヨークなどなどの音楽を一晩で浴びるような表現の幅の広さ。

さらに、
台湾語、いくつもある原住民後、北京語、日本語、英語などなどの
多言語による表現のラディカリズム。

屈託無く笑うEriさん、その唄に通底するブルース。
それと拮抗したり包み込んだりのジャンルレスのサウンド。

うーーん、なにを描けば良いのか??

ボクの中で浮上したアイデアすべてを見てもらえたら、
それはひとつ「ひとりの男の人生」くらいの
めくるめく面白さがあったのではないかと。

それくらい、
きっと今まで描いてきたCDジャケットの中で一番頭を働かせたはずです。

いやいや、
ボクはアイデアを整理するのにジョギングすることが多いのですが、
このアルバムのために3~40kmくらいは走ったはずで、
頭も身体もフルに使って向かう方向を定めました。

その間、Eriさんとのコミュニケーションが面白くて。

それは「笑える」という面白さではなく、
とても知的な会話の交換という面白いさ。

加えて、
630上原LIVEに足を運んでくれたみなさんが残してくださった言葉に、
直接だったりsns等で触れたことで、なんとか大きな構図と色彩を得て、

結果、
アルバムの冒頭の曲で「ジャラーン」と鳴らされる広がりある音、
そのコード感だけ表現出来たら、
あとは自信を持って『このアルバムに向き合う人を信じた』「もの」を作ろうと、
Eriさんと確認するに至りました。

あとは人生のご褒美のような制作の時。

デザイナーに沖縄在住の平井晋くんを躊躇なく指名。
なによりもPUNKであること、
その上で品のある「もの」を目指しました。

仕上がり、とても気に入っています。

そして、こういう「もの」は作りっぱなしでなく、
これから未来に向けて育ててゆくものだと思い、
まずはここまでの経緯を備忘録として言葉としておこうと思いました。

Eri Liao という魅力的な表現と、
2人の音楽家のリスペクトが編み合わされたまさに「アルバム」です。

CDが売れない時代になぜ彼らはカタチある「もの」を作るのか?

ボクはその部分を一番に考えたかもしれません。

たとえば、
都会でひとり人暮らししている女性がいるとして、
同世代のEriさんの唄に出会い、その人ならではの善き心の動きの先、
「紅い木のうた」と名付けられたアルバムのジャケットを手にしたまま
ウトウト寝てしまっていた。

そんな簡単に消費されない「もの」としてのCDジャケットであることを願っています。

アルバムの正式な発売は9月半ば。
現在は先行でEri Liao Trio のライブで先行発売されています。
*ライブスケジュール
https://eriliao.jimdo.com/schedule/

初回盤はポスター付き。
メンバーが語る演奏曲への思いが綴られています。

唄が好きなら、音楽が好きなら、表現というものが好きなら、
ともかく出会ってもらいたいEri Liaoさんの唄。
自分の音楽人生を紐解いてゆくと
宇多田ヒカル以来のなにかを感じていたりします。