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116ヶ月め

2020 年 11 月 11 日 水曜日

今日は2011年3月11日から3,533日、
504週5日
9年8ヶ月
116回目の11日です。

アップした絵は、東京都世田谷区にある公立特別支援学校。肢体不自由者のための教育機関として日本最古の歴史を有する、都立光明学園の子どもとのコラボから生まれた花の絵です。

ボク1人の力では生まれ得ない「なにか美しきもの」に感動。
この感動は世の中をちょっと良い方に変えてゆく力になるんじゃないかと、
壁画完成まであと少しの今の言葉を綴っておこうと思います。

きっかけは今年の元旦。
行きつけの店で隣に座った方が、この学校のPTA会長さんを勤められている方で、お子さんのことも含め、福祉とは、教育とは、表現とは、愛だの恋だの酔いに任せて語ったことから、ボクと光明の子どもたちとで何か出来たら面白いね!なん盛り上がったことから始まりました。

が、その後新型コロナ感染拡大で足踏み。

夏が始まるころ、あらためて校長先生はじめ学校関係のみなさんとミーティング。
コロナで何も出来ないって状況を突破したい意思が集約されたのでしょう。
来年取り壊しとなる旧校舎の壁面に壁画を作ろう!と、発想は一気に飛躍。

そこには、ボクが暮らす街で出来ていること、
地域と学校とPTAと関係企業と子どもたちとボクとで制作している壁画という「見えるもの」「シェア出来る発想」があったことが大きかったと思います。


学校業務を終えた後、わざわざ梅ヶ丘から代々木八幡まで壁画を見に来てくれた校長先生はじめ教職員の皆さん。
その熱心な姿勢に、肢体不自由と言われる子どもたちとどこまで出来るのか、不安を伴うプレッシャーを感じた、なあ〜。

が、そうした感情は教職員さんたちとの何気ない会話がほぐしてくれる。
子どもたちと日常を過ごすプロの力に、甘えるところは甘えれば良いと実感。

事前に美術担当の先生方とのワークショップを開催させてもらい、
ボクが子どもたちの何に感動してこんなことを続けているのかを共有出来たことも、その後の現場での力になったはずです。

ともかく一歩一歩、必要な会話を積み上げ、しかし、蹴散らしていいものは蹴散らせる。
そんなことが可能な関係性の足場造りをまず。

そして子どもたちとのセッション。

歩けない、立てない、手が思うように動かせない、発語が思うようにいかない、病弱で病院での療養を続けざるを得ない、などなど、子どもたち1人ひとり目に見てわかる違いがあり、その上でさらに1人ひとりの個性や表現の違いを壁面に集約させる。
って、どうやるんだろう??

ともかく、壁面に立てぬ子どもたちとは、10メートルと5メートル2枚のキャンバスを用意し、
出来ないことを出来るようにするのでは無く、
出来ることを出来るだけ表現してもらうセッションからスタートしました。

最初は破壊でいいやってね。
見た目大きな破壊でも、小さな点1つでも、子どもたち1人ひとりの「出来る」はめちゃくちゃパワーあることを確認。


そのうち気持ちの良い「なにか」が見えてくる。
そうなるまで待つ作業。

「布の上にペンや絵の具で描こう!」
そう伝えた瞬間に、実は「自由」というものに拘束がかかる。
だったら、絵の具を一本絞り切るくらい好きにやったらいいぜ!
だ、なあ〜。。

アクリル絵の具”リキテックス”でご協力のバニーコルアートさん、
心強いっす。。

光明学園の授業時間で行う作業です。

1コマ45分で中学生のクラスから小学校低学年のクラスに変わり、
次は高校生がやって来るとか、、
いつもは子どもたちが飽きるまでお付き合いするボクのスタイルは、
この現場で行うことが出来ません。


しかも、1人ひとり出来ることが違う。
(これに関しては、健常と呼ばれる人も同じなのだが〜)

1コマ数名から十数名まで、参加人数はバラバラな中、
1人ひとりの個性にも健康状態にも注視しコミュニケートする45分。
そんなのを、1日に4回繰り返しす日もありました。

45分はうっかりしていたら戸惑っているだけで終わってしまう長さです。

でも、自分か彼らが生むものに先回りした価値を求めない限り、
一瞬一瞬に目の前で起こることは、とてもエキサイティングな喜びに溢れたものとして、心の中に飛び込んできます。

そしてボクもやりながら学んでゆく。



体に不自由のある子どもたちには、マンツーマンで先生が付きます。

日頃から子どもたちと接している先生方の介助は素晴らしく、
ボクが代わりにやれることはごく限られたものでしかありません。

もしくは、なにかひと言コミュニケートする場合も、
先生の翻訳のような行動を待つ場合もあります。


そんな先生方が大きなキャンバスの前で子どもたちを支える姿は、
基本、子どもたちを背後から支える形になります。

場合によっては複数の先生方がチームとなり、
支える人とコミュニケートする人との役割分担をしながら、
子どもたちをキャンバスに向かわせる態勢とります。


じゃあボクの仕事はなんだろう?

もしくは、介助を受けて筆を動かす子どもたちは楽しいだろうか?
そんな興味から、子どもたちと同じ視線の高さまで自分が降りていったら、
いや〜、世界が広がっていったなあ〜〜!

キャンバスに頬を付けたところから見るキャンバスの荒野のダイナミックな風景!
彼らはこんな風景を見ながら、そこで出来ることを真剣に、もしくは楽しい目つきして、出来る限りやろうとしている。


正直、先生の手助けが過剰に入る瞬間なんてのもあって、
その直前まで子どもがとてもいい顔してたりしたら、
「待ちましょう!」なんて叫び気味に伝えたりの失礼をしていた俺。

いや、でも何度「待ちましょう!」を言ったか。

あとは「ゆっくり、ゆっくり」とか「出来ないこと無理しなくていいよ〜」とか。

体の自由が効かなくても、たとえ指先がちょっと動かせるくらいであっても、
子どもが自分で見つけた表現の喜びを、ちょっとでも形にすることが出来たら、そこからどれだけの感動が得られるか!

今までものすごい数の子どもとの現場を作って来て、
そうしたことを頭でわかっているつもりでいて、
しかし、光明学園の15メートルキャンバスの9回のセッションで、
明快に気付かされた。


セッションの最初の方で、15メートルの中でボクがコミュニケーションを焦って描いてしまった女の子の顔が、最後のセッションまで所在無く放置されていたのだが、色ぬりの範囲を徐々に徐々にと広げてきた1人の女の子が、最後に塗る方向を変え、ボクが描いた顔に赤い絵の具をベタ。
さらに皿から絵の具をボタボタボタ〜と垂らし「やり切った!」て顔を見せた。

その瞬間作品が完成したという実感がドバッと湧いてきたのですよ。


5mキャンバス

すごいな〜、子どもたちの力。

そうしたことを、視線を子どもたちと同じ高さに置くことで共有する喜び。

アートなんてものに求められることは、まずは視線の共有なのではないだろうか?

そして、「介助」「コミュニケート」「共有」
この3つのワードから見える子どもたちの風景の違い。
その違いは悪いことでは無く、発想を前に進める力だ。

そして作業は屋外へ。

高校生とのリアルな壁の前での壁画制作。

・この前を歩く街の人がハッピーになる壁画にしたいこと。

・そのためには、自分で描きたいというものを思いっきり表現する必要があること。

・しかし、学校の勉強では無いから、上手いとか下手のジャッジは無いこと。

・ならば、オシャレであるとか、カッコいいとか、自分が元気になれる言葉で絵を描けばいいぜ!

みたいな呼びかけの元手を動かしてもらったら、
やっぱりハッピーなものが生まれました。



が、時間が足りず放課後、そして日を改めての3度のセッション。

初日は休んで、最後の日だけ参加した女の子が、
なかなかすぐにアプローチ出来なくていて、
先生方は「好きなもの描いていいんだよ」なんてお声掛けしてくれてたけど、
ボクは「無理してやる必要ないよ」とただ待っていたら、
細い筆に黄色い絵の具をつけて画面にポチっと。


5メートルくらいの幅の中に黄色いポチひとつ。

が、それが一気に画面に命を吹き込むような、絶妙なポチで。

いいね〜!って伝えたら、

「はあ、そうですか」と、ちょっと安心した表情で答えてくれた。

そこから、壁全体を制圧するような作業が始まるんだよ。

子どものポジティブなマインドが生むものは、なんちゃーないタッチ1つであっても全て美しい。


俺は何に立ち会っているのだろうか。

が、さらに、
学校にも通えぬ病弱な体質で、コロナの影響もあり人との接触が極端に限られる生徒さんとのセッションが待っているのだ。

「会うことの出来ぬ子どもたち」とどのようにコミュニケートするのか?

自信などまったく無いが、ともかく手紙を交換するように、絵を交換して作品にしてみようと。

まずはその旨をはっちゃけたビデオレターを撮影し子どもたちに伝える。
(先生方もだんだんとワルダクミ体質になってくれている!)

で、そよ風分教室(成育医療研究センター病院に入院)の子どもの元に先生方が赴き(今はコロナの影響もありオンライン)学習指導するグループには「自分の好きなものを言葉で伝えて〜」と。

そしたら、
良く消毒された紙にドラなんちゃらやピカなんちゃらやエバなんちゃらや、ラーメンやら鍋焼きうどんやら、、
はい、全部ボクがモノクロのシルエットで描きましたぜ!


裏面にひと言ふた言メッセージを添えて送り返してやったら、
うわ!

なんか見たことないタイプの絵になって帰ってきたぜ!


それとは別に、なにやらカラフルな絵が届けられる。

“病訪”と言って、各地に散らばっている病院に先生が赴いて学習指導をする、
もしくは”在訪”と言って、自宅で療養しながら学習をする、
(でいいのか?分類が業界用語すぎて把握しきれないかも)

そんな子どもたちには、
「気合の線一本を描いてくれれば、そこから発想を広げて絵になるかも〜」
なんて投げかけだったのだが、

気合の線と一緒に色まで着いたのが突きつけられた。

むむ、どれも素晴らしく完成しちゃってるじゃん!




で、裏を見るとビッシリ、
どんな思いでこれを描いたか、何が出来て何が出来なかったか、
ビデオで見たアミイゴという人は変な人だと思ったなどなど書かれている。


これは先生が子どもたちの手となりという作業ではあるけど、
そんなん26枚も送りつけてきやがって!
愛死にしてしまうぜ、、
その前に泣いてるぜ、、

しょうがねえ、アトリエで1人子どもたちが描いているものを見ていたら、
地球の重力から解放されたように宙に咲く花が見えた。

そうか、しょうがねえ、と、全ての絵に花を描きこむ。

それが自分勝手なものにならぬよう、
コロナ自粛の春に描いた100点の花の絵を広げた中でね。


会うことのできぬ子どもたち。
しょうがねえ、俺は思いっきり絵で語るのだ〜〜
むむ??
なんだか風呂に浸かった後のような気持ちになったぞ。
そして生まれた花の絵。

冒頭の絵も含め、なんだか見たことの無いものが生まれたぞ〜
それはとてもセクシーで美しい。

「肢体不自由」というワードの中から、
「セクシー」なんて言葉が浮上してきた作業は、
あと数人の子供とのセッションを経て、
11月30日に壁画として完成させます。

ボクはイラストレーターを名乗り活動を続けていますが、
その目的は、世の中のみんなが自分の意思でものを考え、
自分なりのハッピーを形作る手助けになるものを創ること。
なんだろうな〜と。

そうしたことは、震災以降の10年弱の中で、目に見える形として実感してきて、
そうしたものを必要としている人も視野に捉えていて、

そうすると、今までのイラストレーションのあり方って変えて考えて行く必要があって、
もちろんこれからもイラストレーターとしてイラストレーションの制作は続けてゆくけど、
イラストレーションという発想を社会にシェアし、使ってもらうようなことも必然的にやってゆかねばならないのだと考えています。

それがどんなスタイルなのか、まだわからないけど、
でも、光明学園の皆さんが暑い中わざわざ代々木八幡まで壁画を見に来てくれ、
そこで自信の学園で行うことに確信を持ってくれ、コロナの状況を突破するシステム構築の元、関わる皆さんがちょっとずつスキルアップを達成しながら、壁画制作を実行したということ。

そこにはほとんどボクが筆を振るってこさえたものは無いのだけど、
なんだか美しものに出会え、関わる人の良い顔に出会えるものが生まれていることが、うれしいなあ〜。

あらためて、
こういうことって、福祉や学校という現場に限らず、必要としている場所はあるんじゃないだろうか。



77億人えがおプロジェクト

2020 年 10 月 20 日 火曜日

熊本の人吉と東京の立川で子どもたちと笑顔を描き倒したワークショップ風景が、
ユーミンの「守ってあげたい」のメロディーに乗っかった5分番組として放送されます。
『77億人えがおプロジェクト』
初回はNHK総合 2020年10月16日(金)午前10:45 ~50で放送されましたが、
今後も繰り返し放送される予定ですので、絵を描くことで開く子どもたちの表情、ぜひ出会ってもらいたいです。

ちょっと息苦しさを感じる今の世界ですが、
子どもたちの笑顔で良いものへと変えてゆけたらいいなと、
今後もボクの活動は続いてゆきます。

115ヶ月め

2020 年 10 月 11 日 日曜日

今日は2011年3月11日から3,502日、
500週2日
9年7ヶ月
115回目の11日です。

コロナで行動が制限される今ですが、
9月の土曜日に、近所の落書き消しを街の仲間と行いました。


震災から続けているブログで「なんのこっちゃ?」でしょうが、
この9年7ヶ月で感じたこと得たものなどが、ひとつ自分の暮らす街で形になったのではと思い、言葉にしておこうと考えました。

こんなことをやろうとする引き金になったことが2つ。

ひとつは、息子の通う小学校の子どもたちと2年前よりセッションを重ねている、代々木八幡駅ガード下40メートルの壁画制作。

その2年前の9月の初セッションの絵を、ここを管理する東京都担当部署の担当者より「落書き」の烙印を押され、2ヶ月後には白系の色で淡く塗りつぶした冬景色に変えるつもりでいたのが、半年間なにも出来ない状況になってしまったこと。

地域と学校とPTAと子どもたちとボクとで連携を深め進めている、とても豊かな発想の企画の”はず”で、
「えー、ボクと担当者で直接話させてもらえたらいいのにーー、、」
なんだけど、
なにやら東京都と渋谷区と地域とで難しい構図があるみたい、、

てか、「落書き」とレッテル貼ったものをその後半年も放置させるって、おかしくないか??
(ちなみに、ボクは「落書き」という言葉をあまりネガティブに考えていなく、気持ち悪いアートや芸術を押し付けられるのであれば、楽しい落書きを選ぶな。)

ともかくこの状況にモヤモヤとムカムカを交錯させ続け、
半年後に作業再会、その後5回のセッションを重ね、
しかしコロナで最後の作業が出来ないでいる壁画だけど、
今は街の人のBGMとして機能してくれているはず。
(今でも悪く言う人もいるけど、それはどんな表現にも必ずあることだからなあ、ともかく街との親和性の高い公共物に仕上げるしかないね。)

ともかく、この経験で感じた『コミュニケーションが滞ることでやるべきことが出来なることへの苛立ち』
これってすごーーく無駄なことなんじゃないかと思ったんだよね。

そして、

7月2日に不審者情報回ってきたこと。

7月2日午前8時10分頃初台1丁目付近の路上で登校中の他校高学年女児が腕をつかまれる事案が発生しました。

この情報をFBでシェアしたところ、
友人が連絡をくれて、その被害に遭ったのは私の娘で、過去にも似たようなことがあった、と、、

そりゃあ「カチーン」と来るわいね。

今年は新型コロナ感染拡大の影響で3月から5月一杯まで学校は休講。
6月から学校が再会されるも、分散登校だったり、オンライン併用だったり。
そんな状況下で子どもたちの気持ちってどんなだろうと、我が子ひとりを見ているだけでは分からないことだらけの中、バカチンが子どもに手を出すって、、

これはみんな不安だし、人に対する不信感もハンパないだろうと、
しばらく朝の登校の見守りをすることにしました。

こうしたことは、地域のボランティア組織やPTAでも出来るのかなと、
問題の投げかけてみたら、「要請があれば」とか「〇〇にお伺いを立てて」みたいな言葉が返ってきて「カチーン」再燃。

オトナが子どもたちにやるべきことは明快で、
なるほどこれは誰かに言われてやるようなことじゃないなと、
勝手に自主見守りを続けることにしました。

そんなマインドで街を見回すと、
息子の通学路の壁面の落書きがずーっと放置されているのに「カチーン」

ボク自身Hip-Hopカルチャーの影響下でグラフィティーアートが大好きであるのだけど、それとこれは別問題。

割れ窓理論」で語られるように、こんな路地に好き勝手なタギングされたら、『ここは犯罪し放題ですよ!』と言ってるようなものだろう。

で、
あれ?
ここも東京都の管轄だよね??

子どもたちと描いた壁画を「落書き」と判断し、作業を半年も停滞させたのに、
あれあれ?ここはもう何年放ってあるんだ?

そんな疑問をFBに投げかけたら、渋谷区の区議さん神園さんが渋谷区担当部署に繋いでくれた。

渋谷区 環境政策部環境整備課きれいなまちづくり係からメールでコンタクトを受けたのが7月20日あたり。

係のみなさんとオンラインのミーティングをしたのが27日。

なるほど、これくらいの手はずは必要なんだろうと思い、話を聞いてみたら、
落書き消しの資材はお貸しくださるとのこと。その際落書き消しの区としての”許可”も行うみたいな話。

さらには、東京都の”許可”に加え、
落書き消しのための道路使用許可証を警察署で取らねばならないとのこと。

えーーーーーーっと、落書きを消すだけの話なんだけど、、
落書きする人は許可なんかもらってないしなあぁ〜〜

もちろんわかるよ、
ここは道路で、壁面の使用はそのまま道路交通法の下にあるだろうし、何を使って消すか描くかなどは、環境に関わる問題だから、一定の管理下に置かれる必要があること。

が、しかし、
子どもたちの安全を守ろうって問題の本質は共有出来るのか?

渋谷区担当者は、
許可を得たいので、「いつ」「何人」で行うか教えてくれと。

いや、これ明日でもやっちまいたいのだが〜〜、

それでも渋谷区の担当者の対応が親身なものに感じたので、
わかりましたと、とりあえず。

日程は猛暑の時期を避け、しかし、子どもたちの夏休みが終わってしまわぬ8月後半までにはやれなばとスケジュールを組む。

それに間に合うようにと代々木警察署に道路使用許可証の申請に行ってみたら、
まあ、自分の無知も悪いのだろうが、
縦割り行政の弊害っていうのかなあ〜、あれもこれも足りないみたいな対応で、
いやいや、俺は落書き消しの話をしに来たのであって、行政の仕組みのレクチャーを受けにきたんじゃねーぞ!と、担当のおっちゃん刑事に噛み付く。

されに「現場の使用状況が誰が見てもわかる図面を書いてこい」「こんなん書いたことあるの?」みたく言われ、カチーーン、、
おいおい、誰に口聞いてんだと言い返すも、
しょうがねえ、出直しだ。

家に返って作成しましたよ、
誰が見てもよーーーーーっくわかる図面。

次の日渋谷区役所で落書き消しの申請と共に、
落書き消し資材一式の借用を受ける。

が、東京都との連携が遅れ、
日程を再調整する必要があるとのこと。

むむむ、夏休み終わるなあ〜
しかも、熊本の豪雨被災地に行く予定が被ってくる。。
日程は熊本から帰った直後のピンポイントなスケジュールで決め込んで、

なんやかスッタモンダな状況だけど、
渋谷区の担当者の対応は相変わらず親身で、
東京都の許可証は、渋谷区から代々木警察署に届けてくれるって。
しょうがねえ、
思い荷物を2つぶら下げやれることやるべく代々木警察署まで。


すると、
道路使用許可、するっと申請通った。

昨日の警察のオッチャンも、今日はなぜか対応が良く、
「こんなの渋谷区が消せばいいのになあ」などとさえ言ってくれ、
いやいや本来は東京都なんじゃ無いかなどと語っているうち、
結果お互い歩み寄り。
俺たちは街を良くして行こうという仲間であることを確認。

申請料2700円は、まあ俺の勉強料なんだろう。
オッチャンは、渋谷区マターで行えば徴収なないんだが〜などと、
まあいいよ、落書き消すだけの事にめんどくせえ道はいらねえ。

ただ「誰が見てもわかる図面」、わりかしスルーな感じでファイルに入れてしまったのは、ちょっと寂しかったぞ!オッチャン、、

そして9月4日落書き消し。
消そうと思い立ってから2ヶ月だよ。

メンバーはこれを面白がってくれる人に限るなとFBで募り、
ただ、この店が出来てくれたおかげで街が楽しくなったという珈琲屋Little Nap COFFEE の店主濱ちゃんには是非お手伝いしてもらいたいなと。

ボクが本当にやりたいことは、落書き消しってより壁面が綺麗になること。
そのためのクオリティを担保してくれるのが濱ちゃんだろうって考え。



濱ちゃんも俺も現場での判断が早く、
ここをより綺麗にするにはという考えが素早く投下されてゆく。


うれしかったのは、笹塚ボウルのオーナー財津さんの参加。

震災直後の街で笹塚ボウルがやれたことのデカさ。
ヤンキー気質のとっぽい男はやることが早く的確なのだ。

よく働くリトルナップの若手スタッフや、
今回コーディネートくださった神園さん、
地域のボランティアグループで絶えず地域のことに尽力している菱倉さん、
PTAの活動に必ず程よい距離感で力を発揮してくれる加部さん、
ただ気になったって言って見に来てくれる人とかも含め、みんなありがたい。

が!

「自分でした落書きが見つかって罰を与えられている奴らにしか見えねーぞ!」という言葉もたくさんもらった。

そうそう、それなんだよ、
まさにそう言われることが裏テーマってくらいの作戦。

ここでやったことは、
街の美化や子どもたちの安全というイデオムもあるが、
お洒落やアート、楽しいやcoolなんて文脈でやってるし、
欧米を真似たタギングよりも、
hip-hopカルチャーの影響下で、落書きを消すグラフィティというアートフォームをこの街のリアルに合わせて絞り出した、なんてことも言わせてください。

で!俺の思惑の完成形を凌駕する、リトルナップ濱ちゃんクオリティ投下で、渋谷区富ヶ谷二丁目はさらにお洒落になりました!ということです。

作業を終えてみればみんなから自然ともれた「なんか楽しかったね〜」という言葉。

それこそ自分が作りたかったもの。

そして、リトルナップ差し入れのレモネード、
うまかったな〜〜〜

うん、この夏一番美味しかったものだ。


ビフォー
アフター


この壁の上の歩道はいつも綺麗になっていて、
登校の見守りをしていたら、ビルのオーナーさんがピンセットまで使って歩道の掃除をしているのに出くわした。

ボクはイラストレーションを作ることを仕事としているけれど、
なにかを社会に足してゆくだけでなく、
こうしてゴミをピンセットで摘まみ上げるようなものが、
放置された壁面の汚れを綺麗にするようなことが、
イラストレーションで出来たらいいなと思っている。

こうしたことは、震災からまもなく10年の被災地と呼ばれる土地でも必要とされてくることだと思い、
10年間の延長が決まった復興庁に問い合わせてみたら、そうした予算は無いとのこと。

もうちょっとコミュニケーションとれたら、こうしたことの必然が伝わると思うのだが、
今は縦割りのなんちゃらに縛られること無く、目の前にある問題をさっさと片付けてしまって現れる風景を、
見てもらうしかないよな〜〜。

壁面美化完了の連絡を渋谷区にとどけ「お疲れさん」を交換。

東京都はその後この現場を見に来たかな?

早川史哉さんの本

2020 年 9 月 30 日 水曜日

Jリーグのアルビレックス新潟に所属の選手 早川史哉さんと、
長年アルビレックスの広報として活躍されてきたフリーライターの大中祐二さんとの共著、
「生きる、夢をかなえる」を紹介します。

 『生きる、夢をかなえる 僕は白血病になったJリーガー』

発売日:  2020年10月03日頃

著者/編集:  早川史哉大中祐二

出版社:  ベースボール・マガジン社

発行形態:  単行本

ISBNコード:  9784583113173

これは使わなかったイラストレーション

まず、大中さんとは20年来の仕事仲間。
彼がワールドサッカーマガジンの編集に携わっていた時ご縁をいただき、
日本が初めてサッカーW杯に出場、そして日韓W杯が開催されるとい大きなうねりの中で、多くの仕事を共にしてまいりました。

日韓W杯を前に9回に渡る連載となった、ブラジル代表のロマーリオを巡るコラムは、結果ロマーリオが代表を外れるという切ない結末を迎えるのですが、
がしかし、この連載に関わる皆さんの情熱に押され、ボクは毎回訳の分からぬ絵を描き、それは恐ろしくヘタクソだけど熱々のページへと昇華。
誰かに評価をしていただくなんてことが関係なく、「いい仕事したな〜」という実感だけが今も残っている連載となりました。

「サッカーとボク」を語っておけば、
部活ではバスケやバトミントンを選んだ自分ですが、
三浦知良という人がブラジルから帰ってきたというニュースに出会い、
『この人を見続けていたら、新しい日本人像というものに出会えるのではないか』と考え、日本代表や黎明期のJリーグのサッカーを見るようになり、その後の中田英寿の出現や、地方ローカルで成功を収め続けてきた鹿島アントラーズのあり方などを通して、数多の新鮮な発想に出会い重ねることが出来、今という時代を生きる力を手にすると共に、自分が描く「日本人」の姿を学ぶことにもなりました。

サッカーの専門誌でこんなん描かせてくれてありがと〜〜

当時のことに関しては、今回の出版に合わせて行われたインタビューで大中さんも語ってくれていますので、ぜひ覗いてみてください。
https://soccermagazine.jp/j2/17394667

ボクもそうだけど、大中さんもなかなか熱い人であります。

そんな大中さんが週刊サッカーマガジンの新潟担当になり「アミイゴさん、新潟熱いから一度来てみてください」と言われ、アルビレックス新潟を取材に行ったのが、2004年10月17日。



スケッチブックに描いたままを誌面見開きで使ってもらった。

「サッカーで新潟が変わってゆく!」
新潟スタジアム”ビックスワン”で出会ったのは、そんなサッカーの喜び。

個人的に応援していた鹿島アントラーズが負けてしまった試合だけど、
地方都市の未来をピッチに描くようなサッカーを通した取り組みにとても感激。

三浦知良を見ていたら、未来の地域作りに出会えた。

が、
この取材の1週間後に中越地震が発生。

スタジアムに集ったあの笑顔はどうなってしまうのだろうか?
こうしたことにイラストレーションは何が出来るのだろうか?

ボクのその後の活動の出発点のひとつは、大中さんに導かれ足を運んだ新潟の地平線から始まっています。


ギャラは義援金に回してもらった。てか受け取れないよな〜

勢いに任せて水彩で描いたビックスワンの絵。
ヘタクソだけど、こんな絵をブラッシュアップさせてゆくことが自分の仕事になってゆくはずだと実感したはず。

こんなご縁の先で、大中さんは新潟へ移住。
この魅力的なチームの力になるよう尽力してゆきます。

「その後もいろいろあったなあ〜〜!」の先で、
今回早川史哉さんの著作のお手伝いをさせてもらうことになり、
また「アミイゴさん、史哉くんに会いに新潟に来てください」と。

うっす。
もちろん行くっす!

去年の11月、霰(あられ)舞う極感の練習場で会った早川史哉さん、
とて魅力的な青年でした。

もともとU17の日本代表のキャプテンを任されるような資質の人です。

当時J1だったアルビレックスに入団し、将来を嘱望されるも、
白血病の診断を受け闘病。

しかし、今彼はまたプロとしてピッチの上に立っている。

それがどういうことか、
なぜ彼にはそれが可能だったのか。

三浦知良という人の背中を追っていったら、
今の時代を生きる上で必要とされることを実践してきた1人の青年に出会えた。

それはボクが考えるイラストレーションの仕事の最大の喜びではないだろうか。

やはり大中さんを通して仕事を共にさせていただいてきた、デザイナーの高橋さんから投げていただいたオーダーに対して、ボクは勝手にいくつかの暴走を行い、
頼まれてもいない絵を投げ返したりした仕事。

しかし、こんななんちゃーない絵を、大中さんはとても喜んでくれ、
てか、高橋さんも採用してくれ、
ボクとしても2004年の秋から始まった物語に、ひとつ答えることができたかなと。

ひとりのサッカー選手の語る困難を乗り越えた先の今。
そして未来。

「白血病」という強いワードに困惑する方もあるかもしれませんが、
読者の皆さんには、ひとりの魅力的な青年の「今」を知ることで、明日を生きる力を生むきっかけになればいいなと、心から思うのです。

それはきっと、大中さんにもボクにも言えることで、
この本をスタートラインすることで生まれる「明日」とか「10年後」なんてものが楽しみなのです。

114ヶ月め

2020 年 9 月 10 日 木曜日


今日は2011年3月11日から3,472日、
496週
9年6ヶ月
114回目の11日です。

熊本県で7月4日の発生した豪雨被害。
その被災地3カ所の保育園の子どもたちと絵を描いてもらいたいとの要請を受け、PCR検査陰性を確認直後、熊本に飛びました。

日本の沢山の自治体を繋ぐ”応援村“の『77億人えがおプロジェクト』の要請で、
くまモン夢学校“企画として開催のワークショップ。


小山薫堂さんが企画を牽引する中、松任谷正隆さんとのディスカッションの中で生まれた『77億人えがおプロジェクト』は、コロナ禍の中人と人の関係が希薄になりが世界を、こどもたちが描く笑顔の絵で元気にしてゆこう!という発想のもと動き出しました。


すでに2,000点ほど集まっている「笑顔の絵」は、ユーミンの名曲「守ってあげたい」に載せ、ミュージックビデオとしてNHKで放送される作品になる予定です。

が、
こんなタイミングで行って良いのか?
豪雨被害から2カ月弱のタイミングで迷惑ではないか?
もしくは、いただいたテーマ「笑顔」が子どもたちにとって先回りし過ぎではないか?
中には笑顔どころじゃない子どももいるんじゃないか?
そんなエクスキューズが頭を駆け巡ります。

東日本大震災以降絵を描くことを通して接してきた子どもたちから学んだことは、子どもたちの今をただただ抱きしめてあげる。

そんなだったので、
今回も「なにが生まれるかわからないけどいいですか?」との考えをご理解を頂いた上でのセッションとなりました。

現場では自分から自身の体調チェクをしてもらうようお願いし、感染予防を徹底。(「もうしわけないですが、体温計らせてください」のようなお心遣いの言葉をかけてもらうことが多いので、まずは自分から。)


そうした原則を足場に子どもたちと向き合ってみたら、
「今来ることが出来て良かった」と思えるセッションとなりました。

3日間で巡った球磨村、人吉市、芦北町の保育園。

それぞれのエリアの豪雨被害の惨状は、
たとえば福島県いわき市豊間で見た風景、
たとえば、岩手県宮古市鋤ケ崎で見た風景、
もしくは、熊本県益城町で見た風景と重なる
「壊滅」という言葉しか浮かばない風景でした。


ここで生まれ、豊かな自然環境の元 4年、5年と元気に育ち、
しかし、7月4日の夜に恐怖の夜を経験したした子どもたち。

保育園の先生方がしっかり向き合い、守ってきたんだろうね、
俺のような外部の異物が乱入しても、まずはしっかり向き合ってくれ、
笑顔も投げてくれ、
じゃあ絵を描くよ!となれば、グイグイの前に進んで行く。


が、アウトプットされる絵には、洪水の恐怖が絵具と混ぜこぜになって表現されているのも感じる。

が、オープンなコミュニケーション重ね続け、彼らが動かす手の勢いを加速させてゆくと、そうした「なにか恐ろしきもの」が「なにか美しきもの」へと昇華させちゃうのが、本来子どもが持ち合わせる力なんだろう。



笑顔を描くというお題を超えた、黒く塗り込められたりA4の紙の美しさ!


別の現場では、絵の具で黒く塗った手を紙に叩きつけるようにして塗っていた男の子がいて、でも「やりたいことはとことんやったらいいね!」見守り、その勢いのある表現に美しさも見つけられて、
でも一応先生に「彼はなにかあった?」と聞いてみると、
洪水の夜にものすごい恐怖の体験をした子なんだって。


が、絵を描き終えてしまえば笑顔爆発させた元気でいい子に戻っている。



しかしBOY、君はいつもいい子でいる必要は無く、
憤る気持ちがどうにもならなければ、また絵の中で暴れれば良いよ。

紙を叩く手が人に向かってはつまらない。
しかし、紙に向かえばそれが君のアート。


そして、こんなワイルドなセッションを経験した保育園の先生たちは、
これからも君のアートに付き合ってくれるはずだぜ!



笑顔も恐怖もどちらも子どもたちの表現。
そのどちらも否定するすることなく、受け止めることの大切さ。

何より、描いた笑顔の絵以上に、心と体を振り切って描いた子どもたち1人ひとりの笑顔こそが、本来オトナたちが子どもたちと作って行くべきものなのだろう。


子どもたちの描く笑顔に癒されている場合では無く、子どもたちが笑顔でいられるよう目の前にあるやるべきことやってゆかねば。



しかし保育園の先生たちの愛に溢れた尽力を目の当たりに、俺もまだまだやらなー!と思えた熊本子どもセッション。

芦北の保育園では、1階の広い保育室が被災して使えず、しかし復興に尽力する親御さん達を助けているという避けられぬ理由もあり、2階のスペースをフルに活用し保育を行っていました。



園長先生に発災時から今まで、そしてこれからも続くであろう苦労話しをうかがい。その全てが子どもたちを守るということに向かっていることを知り、ただただ胸を締め付けられるばかり。
東京で(東日本の現場なども知りながらも)ぼんやりとしてしか感じられなかった被災は、ひとりの話をうかがうだけでその輪郭を確かにし、想像を超えた実像を心に叩き込んできます。


しかしメディアはどうしても「大規模な絵」を求めてしまうわけで、
そうしたことを批判する以前に、静かな心でひとりの言葉に触れるようなことをしてゆかねばと、あらためて痛感。

子どもたちに笑顔を描いてもらうというファンタジーのような企画だっけど、
ボクは笑えぬ子どもたちもいるであろうことを想像し、彼らのリアルにだけフォーカスしコミュニケートした。
そうして見えたものこそ、未来笑顔を創る力になるはず。

現場を繋ぎ構築してくださった皆々様、ありがとう。

どこの現場でも、車で現場を去るボクたちに手を振り続けてくれた人たち。
また会いに行き、ありがとうを伝えます。

その前に、お世話になった球磨村、人吉市、芦北町、そして津奈木町へラブレター

使い道あったら使ってみてください。

人吉ではボランティアセンターとなっているホテルに寄って、色々お話を聞けたのだけど、コロナで外部からボランティアの受け入れが出来ない中、県内の学生のネットーワークを構築して、かなり素早いボランティア組織を形成した実行力に関心。
ほんと、誰かにお伺いを立てるなんてこと以前に、目の前の困難は誰かが排除しなくちゃって、これはリアルに命の問題。

で、やはりこういう現場に駆けつける人たちは、なんつーか人として色気があるんだよね〜。


そんな現場で気仙沼で会ったお兄さんと再会。
だよな、俺たちはこういう場所で再会する仲間なんだよなと、お互エールを送りあい、次の台風を心配し、別れました。