‘SOUL’ カテゴリーのアーカイブ

75ヶ月め

2017 年 6 月 10 日 土曜日


今日は2011年3月11日から2,284日め
6年3ヶ月
75回目の11日です。

アップした絵は以前描いた気仙沼唐桑の鮪立(しびたち)の集落と漁港。
津波で大変な被害を受けた場所ですが、
震災以前に撮影された写真と唐桑で出会った人の思い出話しを参考に描きました。

そんな話をうかがったのが鮪立の民宿「つなかん」

そこで料理人として働いていた竜介くんが、
「つなかん」を営む盛屋水産さんが育てたワカメを
東京の代官山で期間限定で販売する際、
この絵をポストカードにしてワカメに添えてくれてます。

・6月3、4日(土日)8~11 (木〜日)15~18(木〜日)
・14時〜20時
・ballena 代官山 
 〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西1丁目34−21 クレスト代官山302
 (東横線代官山駅徒歩2分、JR恵比寿駅から徒歩10分、UNITのすぐそばです。)

・主催:今井竜介 
・連絡先 sushi.to.oyster@gmail.com  
・協力:盛屋水産、池田晶紀、小池アミイゴ、鈴木歩、株式会社BambooCut、
・Ballena代官山、仕出し弁当きのこ、つなかんファンの皆様)
・FBページ https://www.facebook.com/events/1723291957969487/?fref=ts

=唐桑御殿つなかんとは=
宮城県気仙沼市唐桑町の小さな入江で、牡蠣の養殖業者が東日本大震災をきっかけに、始めた民宿です。
「御殿」の名前にふさわしい入母屋造りの一軒家。明るく、元気で、魅力的な女将さん。
家族で育てる牡蠣やホタテなどの海産物が食べられる宿でした。
しかし、そんな言葉では言い表せない魅力的な場所でもありました。
そのことが、この展示を通じて少しでも伝わることを願っています。
この3月に海難事故があり、社長含む家族3名がいなくなってしまいました。
それでも、残された女将さんは、再開に向けて動き出そうとしています。
今回、初めて、つなかんのことを知った方も、再開の一報がありましたら、ぜひ、唐桑を訪れてみてください。

http://moriyasuisan.com/

先日ちょっと顔を出して展示を見てきました。
そこに『明るく、元気で、魅力的な女将さん』いちよさんが、
海難事故からしばらく経ってとった行動について書いてありました。

海に生きるということ、強烈に知らしめられたこと。

それはここでボクが言葉にしてしまってはいけないように思います。
ただ、竜介くんが友人であってくれることで知る「人というもののなんたるか」
心に刻んで、これから創るものに反映させてゆこうと思います。


先日は会津へ。

昨年3月に初めて行って歩いた会津。

その際「これは初夏の風景を見ておかねば」と直感し、
今回梅雨入り直前のタイミングで行くことにしました。


前回は郡山から会津に入りましたが、
今回は特急が会津山田まで通った東武日光線を利用。

江戸-日光-会津 という江戸時代の必然を辿る道ですが、
それにしたって昔の人はよくもこんな深い山を抜けていったものだと。

会津山田から第三セクターの会津鉄道に乗り換えてゆくと、
会津は突然その姿を現すというイメージで、広大な会津盆地に出会います。

田植えが始まった季節の会津盆地は水の国。

この土地の豊かさに惹かれた昔の人々の気持ち、わかるな〜
(さらに…)

74ヶ月め

2017 年 5 月 11 日 木曜日


今日は2011年3月11日から2,253日め
6年2ヶ月
74回目の11日です。

アップした絵は、
現在熊本県葦北郡津奈木町のつなぎ美術館で開催中の展覧会に出品しているF40号の絵。

今年3月に津奈木町に行った帰りに見た
「3月21日17時37分の不知火の海」です。

去年の4月、今年の3月、展覧会開催の4月とボクはこの海に出会い、
その度その美しさに心を奪われるのですが、
今のところその視線はどうしようもなく観光客のものでしかありません。

今は『美しい熊本の風景との出会いに無垢に驚いている自分』を
面白がって筆を走らせているのだと思います。

熊本を描いた絵で構成された壁面の反対側には、
主に東北の沿岸部を描いた絵があります。

6年かけてジワリその土地に暮らす人を知っていった「東日本」

描いた絵の背景にはそんな人の暮らしや「生」が塗りこまれているはずだと、
ここ1年で描いた熊本の絵との対比の中で感じています。

熊本の南の町での展覧会の会期7月17日まで、
そこで出会う人との会話の先で、新たな視線を持って見える風景はあるかな?

ともかく答えを先回りすることなく、
1つひとつ確かめてゆこうと思っております。


つなぎ美術館での展覧会の設営から開催までの数日は、
津奈木町ととなりの水俣のホテルに滞在していました。

群馬で生まれ育ち、今は東京に暮らすボクにとって、
「水俣」を考えると必ず「病」という文字がセットになって浮上していました。

子どもの頃に白黒テレビの映像と一緒に耳にした「みなまた」という言葉。

『今ボクが生きている世界には痛みと共に生きている人がいる。』

それはどんな場所なのだろうか?

すべてがモノクロームの印象のまま「水俣病」の街を想像し続けて、
やっと、
やっとそこに立つことができました。


市街地から走ってゆくと、件の工場の敷地の広さを実感します。

その先でささやかなスケールの漁港に出会います。

丸島港

漁業が盛んであったであろう頃の残像を、
漁港を囲む街並みから感じながらも、
ただただ思うのは「いいところだなあ〜」ということ。


不知火からの海はどこまでも穏やかで、
すれ違う人はそんな海のリズムを纏っているのでしょう、
その姿をとても優雅なものに感じました。

そしてなにより、
もちろん水俣はモノクロームではなく、
豊かな色彩に彩られた場所だったという感動。

そんなの「当たり前」なのですが、
人の意識のほとんどは思い込みに支配されてしまっているんだということ、
あらためて確認しました。

そして、
先日行った岩手県宮古市の田老の漁港を思い返してもみました。

田老も丸島とで漁港としてのスケール感が重なります。

そこに多くの共通する美しさを感じながらも、
田老から失われてしまったものを丸島に見つけようとしたり、
水俣で起きたことがなんであったのか?
田老でお話をうかがった漁師のおっちゃんの言葉の寂しさを重ねて想像したり。

もちろん、なにかを分かるはずは無く、
分かったようなことも言えるはずなく、
そのどこまでものどかな風景に甘えさせてもらっただけの時間、
だったはず。

そんな風景との出会いがうれしくて、
結局つなぎ美術館まで13kmくらいを走ってしまったのですが、
その途中、水俣川で行われていた高校生のカナディアンカヤックの競技会が、
やはりどうにもエレガントに見えてね〜。

豊かさってなんだろう?

これまで何度も何度も繰り返して考えてきたことをあらためて考え、
それはその時設営中の展覧会のレイアウトに少なからずの影響を与えたはずです。

ボクは今回の水俣や津奈木に滞在中、
その直前にあった政府の復興相の東日本大震災に関する発言、
「また社会資本等の毀損も、いろんな勘定の仕方がございますが、25兆円という数字もあります。これはまだ東北でですね、あっちの方だったから良かった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大なですね、甚大な被害があったというふうに思っております」
についても考え続けていました。

東北の太平洋沿岸部を巡ってきた自分。

東日本の東京に暮らす自分。

熊本県水俣市から津奈木町を往復して展覧会を作っている自分。

それぞれの自分が何を思うのか?
それぞれの自分で想像力の足りていないところは無いか?


昼間にカナディアンカヤックが滑り抜けていた水俣川は、
展覧会の設営の終えた夕暮れ時にはその姿もまったく変えていました。


沈みゆく夕日が演出する光の変化の中で、
数え切れぬほどの色彩を発見させてくれる風景。

その色彩の1つひとつを「何色」と語る語彙力を持たぬボクは、
バスを飛び降り、
ただ「わーー」と心で叫びながら水俣川の堤防を走ってゆきます。


夕闇迫る中、高校生のグループがカヌーを漕ぎだします。

不知火の海に穏やかに注ぐ水俣川。

カヌーの波紋は水面に現れると、
粘土に指で筋を入れたように、しばらくその姿を崩すことなく連なり、
さらなる色彩を魅せてくれた後、徐々に解けるようにして海に交わってゆきます。

ボクはこんな「質」の水に出会ったのは初めてだけど、
たとえば、気仙沼唐桑の入り江の奥の鮪立や小鯖なんて場所の海でも、
波の穏やかな時はこんな粘性の高い水に出会うことはあるのだろうか?

熊本で出会うタンポポの花は白いです。

西日本で未だ生息している日本の在来種だそうで、
「黄色はタンポポ」で育ってきたボクにはとても新鮮に、
しかし、出会ったこと無いくせに懐かしく感じられる花でした。

こんなささやかな場所にも自分の無知に出会える、
無知なるが上の出会いの喜びはありますね。

そんなことを考えて、あらためて、
たとえば人の命に関わる深刻な公害があったとして、

「これはまだ水俣でですね、あっちの方だったから良かった。
これがもっと福岡に近かったりすると、莫大なですね、甚大な被害があったというふうに思っております。」

とは言えないだろう。

そんなこと言えないってわかっていても、
そんなボクこそ、実際に来るまで水俣はモノクロームの世界と認識していたわけで、

しかし、実際は想像力が追いつかないほど色彩が豊かで、
タンポポの花は白く、

つくずく想像力が働かない、
もしくは働かせないことは恐ろしいことだと思いました。

そんなことを東京の帰りまでに、
津奈木町で、熊本市内で、福岡で出会う人たちと話してみると、

九州の人にとっては「東北」は「FUKUSHAM」であることが多く、
それは
ボクが「水俣」と「病」をセットで考えていたことと重なり、

しかし今のボクは、
「東北」は「岩手県宮古市鍬ヶ崎」だったり「宮城県気仙沼市唐桑町鮪立」だったり
「福島県いわきし豊間」だったりがある場所であり、

「水俣」には「丸島」があって「水俣川河口」があって、
そこから8km走ってゆくと津奈木町で、
そこから坂を登ったり降りたりしてゆくと「赤碕」という場所がある。

そんな自分は「TOKYO」に暮らしているという以上に、
「東京都渋谷区の代々木あたりで、街のみなさんと声かけながら生きている」であるなと。

そのことを必死に伝えるボクです。

そうすると九州の友人はこう続けます。

「東北でよかった」とかじゃ無いよね、
「なんでそこに原発があり、なんでそこにチッソって会社の工場があるのか?」

東京という大都会に含まれて生きるボクが常に考えて置かなければいけないこと。
ボクは良い友人に恵まれています。

1997年に水俣湾は安全宣言がなされ、漁が再開されたそうです。

「奇病」と呼ばれるものが発生し、
しばらく経った1956年に水俣病が水俣市から公式発表され今日まで、
どれだけの尽力が重ねられてあのボクの出会った美しい海が帰ってきたのか。

水俣や津奈木町の方とお話すると、
みなさん「ここはいいところだよ〜」と語ってくれます。

ボクのようなものが「東北でよかった」なんて言葉を振り回してはいけないな。

たとえば、福島県双葉郡大熊町に生まれ育った人が、
たとえば、宮城県気仙沼唐桑町鮪立に生きる人が、
「ここはいいところだよ〜」と心から言える日が来ることを願い、

しかし自分は自分の無力を日々確かめ、足りない想像力を働かせ続け、
小さなものを創り続けてゆきます。


水俣の沿岸部を歩いていたら、
草に覆われた丘に見えたところが
実はそこそこ高さのある古い防潮堤でした。

なるほど、こんな巨大な建造物も、
時と共にこんなにも風景に馴染んでしまうんだ。

そしてもう一度、
岩手の田老の漁港のことを考えてみたけれど、

やはりまったく想像力が追いつてゆかない。

「セツブレンド」

2017 年 4 月 23 日 日曜日


15年くらい前になにかの雑誌に寄稿した「セツブレンド」というカフェを巡るエッセイ。
細部を手直しして掲載してみます。
写真は2015年11月10日。
「めぐみめぐる」という展覧会初日の朝、ランニングでタンバリンギャラリーに向かう途中で撮影。

『セツブレンド』

午前11時
「ガガガガ ガ ガー」とミルの働く音が聞える

午前11時15分 
鳴らされる鐘の音
3階のアトリエまで登ってきたコーヒーのにおい

季節は5月にしておく

ボクらは痩せっぽちのモデルから視線を外し
親指と人差し指と中指の間で火照った鉛筆を置く

2階のロビーへ

人とすれ違うのがやっとの階段は建物の西側にあり
窓に中庭の大きなポプラの樹が演出する木漏れ日が差すのは
午後1時を過ぎたころから

セツモードセミナーはまだ春の名残の朝の冷ややかさの中にある

階段は最後の4歩で右にカーブ
その先にコーヒーに並ぶ人の姿が見える

デッサンの合間に置かれた30分のコーヒーブレイク

コーヒー  100円
カフェオレ 100円

その隣りには
『下品な缶コーヒーはセツに持ち込まないでください』
と書かれた張り紙が見える

セツモードセミナーの通称『セツブレンド』

長沢節が「コレ」と指定したブレンド
長沢節が「コレ」と指定した深めの焙煎

両手の平で包んで余るくらいの大振りなミル
30センチの背丈のホーローのポットに移されたお湯
手鍋イッパイに温められたミルク

白髪のH先生の淹れた一杯がボクのお気に入り

バイトちゃんの落としたヤツはマズくて飲めたもんじゃない

コーヒーは人なんだと知る

ロビーは吹き抜けのギャラリーになっていて
大きくL字にとられた2階フロアの手すりはヒザほどの高さしかなく
『そこに座って足を投げ出すのがセクシー』とは長沢節の目論み

ボクらはそんなワルダクミとは関係無く
ひとりとひとりの心地よい距離を保ちながらコーヒーを口にする

ボクはロビーから外へ

中庭にはザクッと植えられた草花が野草のような顔をして
どこかから降ってくる初夏の風に煽られ揺れている

その影だか光だかがセツモードセミナーの壁の白さに揺らめいて
ボクらの揺らめく孤独と共鳴したり相反したりを繰り返す

そんな曖昧たる輝きに目を細め
珈琲をまたひと口

揺らめくボクら1人ひとりの孤独は珈琲の苦さと甘さに支えられ
確かな像を結び、かける。

ボクらは孤独であることを好ましいものとして受け入れ始めている

孤独でなければ気づくことのできぬ自分以外の孤独があることを
一杯の珈琲が教えてくれている

30分は30分のまま
再び鳴らされた鐘の音にかき消され
ボクらは30分前よりきっちり孤独になって
痩せっぽちなモデルの前に立ち
再びその痩せっぽちな線を追った

「弱いから好き」

1999年6月
長沢節はボクらにそんな言葉を残して逝く

ボクらはそんな言葉と引き替えに
100円のセツブレンドを失った

1年

2017 年 4 月 14 日 金曜日


熊本大分地震から1年。

先日、去年7月に益城町で見たコスモスを描きました。

ただ、
描いている最中にテレビで浅田真央さんの引退会見をやっていて、
かなり気持ちを引っ張られたかもな仕上がり。

こういう絵は画面上で描いては潰しを何度も重ねるのですが、
これは1発で描き終えてしまいました。

人ひとりが生きるということ、
反芻して考えている今年の春です。

昨日は絵本「とうだい」の原画展を開催させてもらってる、
長崎県諫早のオレンジスパイスさんからメッセージをいただきました。

陸前高田で被災された方で今は長崎で暮らされている方が、
オレンジスパイスでボクの絵に出会い、
生まれ育った土地や海を思い出し、
長崎に来て初めて津波で失われたお父様の話をすることが出来た。

それまでは周りのみなさんが気を使ってくださるのがわかり、
「そういうことを」を語れないでいたそうです。

まず、
そういうことをボクに伝えてくださったオレンジスパイスという場所と人に感謝。

ここまでじっくり育ててきたオレンジスパイスとボクとの信頼関係を誇りに思います。

そしてボクは『ボクの絵にご利益があった』なんて思い上がりに陥ること無く、
絵だからこそ出来ること、イラストレーションの可能性なんてものを、
真摯に(もちろんクレージーにセクシーにクールにも)追い求めて行かねばならない、
そんな責任を感じるお話を手渡されたと思っています。

あれから1年。

絵なんてものが必要とされる日がいつか来ればいいなと願い、
今日もつまらぬ絵を描こうと思います。

73ヶ月め

2017 年 4 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から2,223日め
6年1ヶ月
73回目の11日です。

3月17日から19日は
2年ぶりの岩手県の宮古へ。

小さな映画祭の企画のひとつとして、
ボクが描いた宮古の風景を中心とした絵の展覧会の開催や、
子どもたちとのワークショップやパネルディスカッションへの参加が主な目的。

描いた絵は、震災から6年と1週間後の朝の宮古湾。

閉伊川が宮古湾に流れ込むあたりの汽水域で、
水の流れが複雑な上に気まぐれな春風が細かい波を立たせ、
実に豊かなな光の表情を見せてくれました。

自分では「全く描けていない」状態ですが、
こんな風景を見せてくれた宮古で出合った人たちのことを思い、
今描けるものとして遺してみます。

そんな愛しさと表裏一体となり、
複雑な思いにも呑まれ続けた今回でした。

盛岡から106号線の山道を100km弱行くと宮古。
そのほとんどの場所で復興道路(?)の大規模工事に出会いました。

宮古へはバスでも電車でも車でも行ったことがありますが、
そこまで連なる自然の豊かさにも、
そこに道路や線路を通した人の執念にも畏敬の念を持ち続けてきたボクです。

初めての宮古
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=7333

2度目の宮古
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=8965

3度目の宮古
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=10098

4度目の宮古
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=11168

しかし、
2年前に宮古まで足の記憶がバッサリ削ぎ落とされてしまうような道路工事の圧倒的な迫力。

後で宮古の方に話を聞いたところによると、
今までは盛岡から車で2時間かかる「辺鄙」な宮古だったところ、
震災後視察に訪れたなにか偉い人が「もっと早く着くように」と考え、
1時間で盛岡と宮古が行き来する道路工事にGOサインが出たそうです。

その破壊力の凄まじさ、

だけじゃないな、

なんだろ?

もやもやする風景の違和感、、

寝不足の頭がさらにぼーっと、ある意味思考停止な状態に陥りながらも、
結局バスの車窓からの風景を見続けていました。

で、そうか!
これは台風10号の被害からの復興工事も並行され行われているんだってこと、
川沿いに沿って斜めに立ってる樹木や、
その根本に絡みついてる流木などを見て気がつきました。

震災の津波による無慈悲な破壊の風景。
それと変わらぬ、
もしくはそれ以上の破壊を閉伊川流域にもたらした台風10号の被害。

東京ではきちんと報道されていなかった自然災害のディテールを、
バスの車窓からというへなちょこな環境からではありますが、
見て知ることが出来ました。

自然の美しい風景を呑み込んでゆく新たな道路の工事。

そこに切なさを感じるのは、
この土地で生きていないボクの無責任な感情でしかありませんね。

なにかひとつ起これば、
甚大なる被害を受け入れざるを得ない土地での暮らし。

そこに生きる人にとって本当に大切なものはなんだろうか?

ともかく止まった思考をなんとか動かすことをしてゆかねばです。


宮古に着くと映画祭の現場へ。

宮古市の文化による復興支援プログラムチーム”ほっこりみやこ”主催の映画祭、
「みやこほっこり映画祭」

地元の有志や各本面で活躍する人たちが集い作られたコミュニティーシアター、
東北太平洋沿岸部で唯一の映画館だった「シネマリーン」を失ったことを受け、
造り酒屋であった東屋さんの築100年以上の蔵をリノベして造られた映画館、
その名も「シネマ・デ・アエル」を中心とした表現とコミュニケーションの現場です。

・シネマ・デ・アエル
https://cinemadeaeru.wixsite.com/cinema-de-aeru

わさわさわさわさ、人が蠢く感じで映画館が、ギャラリーが生まれている真っ只中に飛び込み、
ボクもギャラリーで絵の設営。

東京に暮らすボクが、震災後の宮古に「たまに」足を運んで、
かっこいいこと言っちゃったりもして、自分勝手に描いた絵です。

喪失の記憶なんてものがそう簡単に癒えるものでは無いこと、
ちょっとは理解しているつもりなので(その痛みはわかるはずないのだが、、)、
ほんとにプレッシャーのデカイ現場です。

専門的な知識や技術を持った方の手が入ってる現場とは言え、
やはり有志にの手によるワークショップ的手法で作られた空間。
目に見える不備もあります。

が、それがなんとも人間臭くて、
こういう展示って、ボクは基本孤独を持って取り組むのですが、
なんだろね、ずっと誰かと会話しているように設営を進められ、
結果、宮古の蔵の中ならではこその展示空間を創ることが出来ました。

あとは足を運んでくださる1人ひとりのもの。

多くのことを現場のスタッフさんに委ね、
会期を通して展覧会が育ってくれたらいいなと思いました。

今回映画館として上映されたのは、
「みんなのアムステルダム国立美術館へ」
https://cinemadeaeru.wixsite.com/cinema-de-aeru/news

そして、
宮古の津軽石地区の盛合家が遺していた昭和初期の暮らしの記録の映像
「盛合家の秘蔵映像」

なぜ??
なぜオランダの国立美術館が再建されるというドキュメンタリー映画を、
宮古なんていう土地で、せっかく1本の映画を上映するというのに、
なんでこんな一般的でないものをチョイスするの??

だよね、普通に考えると。

寝不足もきわまり、これは途中で寝ちゃうかもです、なんて言い訳をした上で見はじめたら、
面白い!
なんだこの映画、結局一度もコクリとすることなく見てしまった。

人が蠢き、なにか巨大なものを再建しようとしている。
映像の美しさが、古い蔵という装置の空気感とも宮古の北国の春の空気とマッチして、
ボクにとっては思いっきりエンターテイメント。

で、国立美術館の下が自転車専用道路として解放されているのを、
新装された施設ではどう扱うのか?

館長や建築家や行政やサイクリスト協会などなどの思惑が交差し、
スッタモンダの末、館長の辞任なんて事態の上、凡庸な折衷案に着地する。

ほんと面白い人間ドラマだった。

それと『昭和初期の今は失われてしまった田舎のコミュニティの歳時記的映像』の併映。

こちらは映像を止めては、お客さんとして集まっている地元のお年寄りに、
その場面の説明を記憶の中から掘り起こしてもらったり。

主催者のセンス、というか一種狂気じみた発想を感じる現場。

で、こんなソリッドなセンスの現場に「ほっこり」ってことば使うかぁ??
面白いとこに来ちゃったぞ!
です。

ボクがお願いされたトークセッション、
テーマは「アートによる地域作り」みたいな感じで、
同席させていただいたのは青森県立美術館などで活躍されてきた立木祥一朗さん。

 
「はじめまして」

だったけど、
氏が手がけた青森での奈良美智さんの展覧会、
吉井酒造煉瓦倉庫を使いボランティアスタッフと共に運営した
「Yoshitomo Nara + graf: A to Z」の話が聞きたくて、
特にどんなコミュニケーションで現場を作っていったか質問したら、

「狂気のひとりと出会う」

みたいな話に行き着いて、面白いかったなあ〜〜

これ一般的には勝手なコンプライアンスがかかって言葉にされないのだろうけど、
「ひとり」との出会いに内容される狂気じみた必然、
そんなのが面白くて、なによりもクリエイティブで、
ボクもそこを信じてやってきたことがデカくて、
立木さんなんて言ったらもう立派な経歴の持ち主なんだけど、
2人の間では「楽しい」が加速し、現場にそれが一気に広がっていったのがわかった。

そうそう、ボクも立木さんも「狂気のひとり」であるってことだよね。

う〜〜ん、これはやはり本格的に面白い現場だ!

ということで、夜の飲み会でその真実にせまってみたら、
これがやっぱとても面白かった!

なぜ「ほっこり」なのか?

それに強烈なアゲンストをぶつけるデザイナー。

受けて立つオーガナイズ側の有坂さん。

その有坂さんの考えに思いっきり共感。

ここではボクの考えに変えて言葉にしちゃうけど、
それは震災後に確かになってきたボクの価値観とも言えるけど。

カッコいい言葉で「わかってる」人を集めてる場合じゃなないぞ。

「ほっこり」に子どもやじーちゃんばーちゃんまでもが集まってくれる。
しかし、そこにあるものの質は高い。

カッコいいこと言ってなにか素晴らしげなものを啓蒙してゆくんじゃなくて、
今ある場所を風通しよいコミュニケーションのもと確認し、
そこから必要な未来をたぐり寄せてゆく。

そのためにも、もはやボクも「ほっこり」じゃなくちゃダメだーー!!
と実感した夜の狂気の酒席。

取材での同行者がふた組あったけど、
残念、ここは見ていないのだ〜〜〜、、

東京にもどり有坂さんからいただいたメッセージ

絆ブームがようやく終わったと思ったら、今度は「未来」という言葉がいろいろなところで溢れて、とどまってゆっくり考えること、復興に向けて進歩的でないことがなんとなく言いづらいような空気を感じています。また被災した地域の子供や若者ににこれからのことを聞くと、地域への貢献や担い手としての自覚や責任を口にすることが多く、それは良いことなのだけれど、少なくとも想像の上では自分の思うままの人生を創ることができる自由を、自ら否定してしまっているような考えを聞くことが多くあります。

うん。

東北の子どもたちは、シャイで、
しかし、きちんと段階を踏んでコミュケートすると、
そも心にはとても豊かな色彩を持っていて、
それが、もともと物事をしっかり考える気質や粘り強さと出会うことで、
東北人ならではの美を創造してゆけるんだろと思っていて、

先回りして未来を語っちゃう前に、
ボクのようなものがお手伝い出来ることはあるなと思ったし、
出来たら、これは余裕あったらってことかもしれないけど、
焦らずボクが恋した宮古だったり東北の魅力を再確認していってもらいたいな〜

東京にもどると、スタッフとして入っていた19歳の学生さんが、
彼女が暮らす「盛岡の魅力ってなんでしょう」なんてことをfacebookで投げかけていて、
多くの人がそれに真摯に答えているのに出会って、
うん、こういうイベントの意味はちゃんと若い人に手渡されているなと。

懇親会の席でボクが語ったダジャレをひとつ。

「シネマ・デ・アエルは、死ぬまで会えるということで、今後とも宜しくお願いいたします!」

そんな人間交差点を離れ、これまで絵にして来た場所、
まだ描くことの出来ないでいる場所をフィールドワーク。

現在造られている防潮堤の高さのイメージを言葉にすると、
新幹線の高架くらいの高さの壁が湾をぐるっと囲むってイメージ。

鳥はいいなあ〜

3度目となる田老地区にも足を運んでみました。

田老の駅に着き、同行の取材者から感想を求められましたが、
すみません、なにも答えられません。

簡単に言葉にしてはいけないことがあるなと。

それは震災後のわりと直後にここに来た時の風景と同じく、
防潮堤建設の始まった今の風景がボクに思考停止を求めてきたのでしょう。

言葉にすることで、
ボクは自分の言葉に縛られものを見てしまいます。

ボクは言葉で先回りする以前で、
その場所の距離感や気温、通り過ぎる風の質感を体を使って測り、
一歩出すごとに足の裏から頭の先に抜ける振動の変化を心に刻み
工事現場の音と波や海鳥の鳴き声のセッションに耳を澄ませたり。

そして、
美しさとは出会い頭にやってきます。

美しさの際に置かれたものは、
ただ見るだけにしておきます。

漁師のおっちゃんと一言二言

ここは住むには最高の場所だよ。

でも、歳とっちゃったからね、、

なんであんなもの造るのかね?

津波が来たらまず逃げることなんだよ。

昔の人が知恵を働かせ置いた逃げ場としての高台の神社。
そこから俯瞰した田老の港が思いがけず小さく見えて、
ちょっと心が動き出した。

そうしたら地面にへばりついて咲いている花を見つけました。

まあ、季節もあるのだけれど、
3度目の田老ではじめて花を見た。

いや、これはきっと漁師のおっちゃんが見せてくれたんだろね。

それだけじゃない、
宮古で食べたなんでもないものがみんな美味しくて、

こういったものを守ってゆくことの大変さを考え、
しかし、それ以上にその美味しさに触れるからこそ、
ボクのようないい加減な存在の者でも見えてくるものがある。

「被災地を応援」なんてことは出来ないけど、
その土地や人を愛することの炎を絶やさぬよう、
喜びをもって続けてゆけることは、見つけようとすればいくらでも見つかる。


アムステルダムの美術館の自転車専用通路の凡庸な折衷案と、
巨大防潮堤反対に対する「海の見える窓」の設置の近似値。

ボクがやるべきことは、少なくともそういうことじゃないよね!

なんてことを確信的に突きつけてくれた
あれから6年の春に宮古で出会った愛しき狂気の群像、
その1人ひとりがうれしい。

いや、実際キレイゴトばかりじゃないし、
大変なことばかりだろうけどね、
ほっこり愛と狂気を温めてゆきましょう!

今回この場所にボクを呼び込んでくれた田代さん。

あらたなスタートラインを見せてくれてありがとう。

またね〜!

ブーーッと県北バスは106号線を盛岡へ。

来るときは殺伐としたものばかりキャッチしてしまった風景だけど、

いやいや、
まだまだ深く美しいぜ、岩手!

またね〜、宮古

またね〜、盛岡

次の日ボクは熊本へ。
そのことに関しては追ってお伝えいたします。

そんな旅から戻ると、
やりきれぬ喪失の報がいくつか届く。

あれから6年の春。
ともかく今は絵を描きたい!