‘ワークショップ’ カテゴリーのアーカイブ

116ヶ月め

2020 年 11 月 11 日 水曜日

今日は2011年3月11日から3,533日、
504週5日
9年8ヶ月
116回目の11日です。

アップした絵は、東京都世田谷区にある公立特別支援学校。肢体不自由者のための教育機関として日本最古の歴史を有する、都立光明学園の子どもとのコラボから生まれた花の絵です。

ボク1人の力では生まれ得ない「なにか美しきもの」に感動。
この感動は世の中をちょっと良い方に変えてゆく力になるんじゃないかと、
壁画完成まであと少しの今の言葉を綴っておこうと思います。

きっかけは今年の元旦。
行きつけの店で隣に座った方が、この学校のPTA会長さんを勤められている方で、お子さんのことも含め、福祉とは、教育とは、表現とは、愛だの恋だの酔いに任せて語ったことから、ボクと光明の子どもたちとで何か出来たら面白いね!なん盛り上がったことから始まりました。

が、その後新型コロナ感染拡大で足踏み。

夏が始まるころ、あらためて校長先生はじめ学校関係のみなさんとミーティング。
コロナで何も出来ないって状況を突破したい意思が集約されたのでしょう。
来年取り壊しとなる旧校舎の壁面に壁画を作ろう!と、発想は一気に飛躍。

そこには、ボクが暮らす街で出来ていること、
地域と学校とPTAと関係企業と子どもたちとボクとで制作している壁画という「見えるもの」「シェア出来る発想」があったことが大きかったと思います。


学校業務を終えた後、わざわざ梅ヶ丘から代々木八幡まで壁画を見に来てくれた校長先生はじめ教職員の皆さん。
その熱心な姿勢に、肢体不自由と言われる子どもたちとどこまで出来るのか、不安を伴うプレッシャーを感じた、なあ〜。

が、そうした感情は教職員さんたちとの何気ない会話がほぐしてくれる。
子どもたちと日常を過ごすプロの力に、甘えるところは甘えれば良いと実感。

事前に美術担当の先生方とのワークショップを開催させてもらい、
ボクが子どもたちの何に感動してこんなことを続けているのかを共有出来たことも、その後の現場での力になったはずです。

ともかく一歩一歩、必要な会話を積み上げ、しかし、蹴散らしていいものは蹴散らせる。
そんなことが可能な関係性の足場造りをまず。

そして子どもたちとのセッション。

歩けない、立てない、手が思うように動かせない、発語が思うようにいかない、病弱で病院での療養を続けざるを得ない、などなど、子どもたち1人ひとり目に見てわかる違いがあり、その上でさらに1人ひとりの個性や表現の違いを壁面に集約させる。
って、どうやるんだろう??

ともかく、壁面に立てぬ子どもたちとは、10メートルと5メートル2枚のキャンバスを用意し、
出来ないことを出来るようにするのでは無く、
出来ることを出来るだけ表現してもらうセッションからスタートしました。

最初は破壊でいいやってね。
見た目大きな破壊でも、小さな点1つでも、子どもたち1人ひとりの「出来る」はめちゃくちゃパワーあることを確認。


そのうち気持ちの良い「なにか」が見えてくる。
そうなるまで待つ作業。

「布の上にペンや絵の具で描こう!」
そう伝えた瞬間に、実は「自由」というものに拘束がかかる。
だったら、絵の具を一本絞り切るくらい好きにやったらいいぜ!
だ、なあ〜。。

アクリル絵の具”リキテックス”でご協力のバニーコルアートさん、
心強いっす。。

光明学園の授業時間で行う作業です。

1コマ45分で中学生のクラスから小学校低学年のクラスに変わり、
次は高校生がやって来るとか、、
いつもは子どもたちが飽きるまでお付き合いするボクのスタイルは、
この現場で行うことが出来ません。


しかも、1人ひとり出来ることが違う。
(これに関しては、健常と呼ばれる人も同じなのだが〜)

1コマ数名から十数名まで、参加人数はバラバラな中、
1人ひとりの個性にも健康状態にも注視しコミュニケートする45分。
そんなのを、1日に4回繰り返しす日もありました。

45分はうっかりしていたら戸惑っているだけで終わってしまう長さです。

でも、自分か彼らが生むものに先回りした価値を求めない限り、
一瞬一瞬に目の前で起こることは、とてもエキサイティングな喜びに溢れたものとして、心の中に飛び込んできます。

そしてボクもやりながら学んでゆく。



体に不自由のある子どもたちには、マンツーマンで先生が付きます。

日頃から子どもたちと接している先生方の介助は素晴らしく、
ボクが代わりにやれることはごく限られたものでしかありません。

もしくは、なにかひと言コミュニケートする場合も、
先生の翻訳のような行動を待つ場合もあります。


そんな先生方が大きなキャンバスの前で子どもたちを支える姿は、
基本、子どもたちを背後から支える形になります。

場合によっては複数の先生方がチームとなり、
支える人とコミュニケートする人との役割分担をしながら、
子どもたちをキャンバスに向かわせる態勢とります。


じゃあボクの仕事はなんだろう?

もしくは、介助を受けて筆を動かす子どもたちは楽しいだろうか?
そんな興味から、子どもたちと同じ視線の高さまで自分が降りていったら、
いや〜、世界が広がっていったなあ〜〜!

キャンバスに頬を付けたところから見るキャンバスの荒野のダイナミックな風景!
彼らはこんな風景を見ながら、そこで出来ることを真剣に、もしくは楽しい目つきして、出来る限りやろうとしている。


正直、先生の手助けが過剰に入る瞬間なんてのもあって、
その直前まで子どもがとてもいい顔してたりしたら、
「待ちましょう!」なんて叫び気味に伝えたりの失礼をしていた俺。

いや、でも何度「待ちましょう!」を言ったか。

あとは「ゆっくり、ゆっくり」とか「出来ないこと無理しなくていいよ〜」とか。

体の自由が効かなくても、たとえ指先がちょっと動かせるくらいであっても、
子どもが自分で見つけた表現の喜びを、ちょっとでも形にすることが出来たら、そこからどれだけの感動が得られるか!

今までものすごい数の子どもとの現場を作って来て、
そうしたことを頭でわかっているつもりでいて、
しかし、光明学園の15メートルキャンバスの9回のセッションで、
明快に気付かされた。


セッションの最初の方で、15メートルの中でボクがコミュニケーションを焦って描いてしまった女の子の顔が、最後のセッションまで所在無く放置されていたのだが、色ぬりの範囲を徐々に徐々にと広げてきた1人の女の子が、最後に塗る方向を変え、ボクが描いた顔に赤い絵の具をベタ。
さらに皿から絵の具をボタボタボタ〜と垂らし「やり切った!」て顔を見せた。

その瞬間作品が完成したという実感がドバッと湧いてきたのですよ。


5mキャンバス

すごいな〜、子どもたちの力。

そうしたことを、視線を子どもたちと同じ高さに置くことで共有する喜び。

アートなんてものに求められることは、まずは視線の共有なのではないだろうか?

そして、「介助」「コミュニケート」「共有」
この3つのワードから見える子どもたちの風景の違い。
その違いは悪いことでは無く、発想を前に進める力だ。

そして作業は屋外へ。

高校生とのリアルな壁の前での壁画制作。

・この前を歩く街の人がハッピーになる壁画にしたいこと。

・そのためには、自分で描きたいというものを思いっきり表現する必要があること。

・しかし、学校の勉強では無いから、上手いとか下手のジャッジは無いこと。

・ならば、オシャレであるとか、カッコいいとか、自分が元気になれる言葉で絵を描けばいいぜ!

みたいな呼びかけの元手を動かしてもらったら、
やっぱりハッピーなものが生まれました。



が、時間が足りず放課後、そして日を改めての3度のセッション。

初日は休んで、最後の日だけ参加した女の子が、
なかなかすぐにアプローチ出来なくていて、
先生方は「好きなもの描いていいんだよ」なんてお声掛けしてくれてたけど、
ボクは「無理してやる必要ないよ」とただ待っていたら、
細い筆に黄色い絵の具をつけて画面にポチっと。


5メートルくらいの幅の中に黄色いポチひとつ。

が、それが一気に画面に命を吹き込むような、絶妙なポチで。

いいね〜!って伝えたら、

「はあ、そうですか」と、ちょっと安心した表情で答えてくれた。

そこから、壁全体を制圧するような作業が始まるんだよ。

子どものポジティブなマインドが生むものは、なんちゃーないタッチ1つであっても全て美しい。


俺は何に立ち会っているのだろうか。

が、さらに、
学校にも通えぬ病弱な体質で、コロナの影響もあり人との接触が極端に限られる生徒さんとのセッションが待っているのだ。

「会うことの出来ぬ子どもたち」とどのようにコミュニケートするのか?

自信などまったく無いが、ともかく手紙を交換するように、絵を交換して作品にしてみようと。

まずはその旨をはっちゃけたビデオレターを撮影し子どもたちに伝える。
(先生方もだんだんとワルダクミ体質になってくれている!)

で、そよ風分教室(成育医療研究センター病院に入院)の子どもの元に先生方が赴き(今はコロナの影響もありオンライン)学習指導するグループには「自分の好きなものを言葉で伝えて〜」と。

そしたら、
良く消毒された紙にドラなんちゃらやピカなんちゃらやエバなんちゃらや、ラーメンやら鍋焼きうどんやら、、
はい、全部ボクがモノクロのシルエットで描きましたぜ!


裏面にひと言ふた言メッセージを添えて送り返してやったら、
うわ!

なんか見たことないタイプの絵になって帰ってきたぜ!


それとは別に、なにやらカラフルな絵が届けられる。

“病訪”と言って、各地に散らばっている病院に先生が赴いて学習指導をする、
もしくは”在訪”と言って、自宅で療養しながら学習をする、
(でいいのか?分類が業界用語すぎて把握しきれないかも)

そんな子どもたちには、
「気合の線一本を描いてくれれば、そこから発想を広げて絵になるかも〜」
なんて投げかけだったのだが、

気合の線と一緒に色まで着いたのが突きつけられた。

むむ、どれも素晴らしく完成しちゃってるじゃん!




で、裏を見るとビッシリ、
どんな思いでこれを描いたか、何が出来て何が出来なかったか、
ビデオで見たアミイゴという人は変な人だと思ったなどなど書かれている。


これは先生が子どもたちの手となりという作業ではあるけど、
そんなん26枚も送りつけてきやがって!
愛死にしてしまうぜ、、
その前に泣いてるぜ、、

しょうがねえ、アトリエで1人子どもたちが描いているものを見ていたら、
地球の重力から解放されたように宙に咲く花が見えた。

そうか、しょうがねえ、と、全ての絵に花を描きこむ。

それが自分勝手なものにならぬよう、
コロナ自粛の春に描いた100点の花の絵を広げた中でね。


会うことのできぬ子どもたち。
しょうがねえ、俺は思いっきり絵で語るのだ〜〜
むむ??
なんだか風呂に浸かった後のような気持ちになったぞ。
そして生まれた花の絵。

冒頭の絵も含め、なんだか見たことの無いものが生まれたぞ〜
それはとてもセクシーで美しい。

「肢体不自由」というワードの中から、
「セクシー」なんて言葉が浮上してきた作業は、
あと数人の子供とのセッションを経て、
11月30日に壁画として完成させます。

ボクはイラストレーターを名乗り活動を続けていますが、
その目的は、世の中のみんなが自分の意思でものを考え、
自分なりのハッピーを形作る手助けになるものを創ること。
なんだろうな〜と。

そうしたことは、震災以降の10年弱の中で、目に見える形として実感してきて、
そうしたものを必要としている人も視野に捉えていて、

そうすると、今までのイラストレーションのあり方って変えて考えて行く必要があって、
もちろんこれからもイラストレーターとしてイラストレーションの制作は続けてゆくけど、
イラストレーションという発想を社会にシェアし、使ってもらうようなことも必然的にやってゆかねばならないのだと考えています。

それがどんなスタイルなのか、まだわからないけど、
でも、光明学園の皆さんが暑い中わざわざ代々木八幡まで壁画を見に来てくれ、
そこで自信の学園で行うことに確信を持ってくれ、コロナの状況を突破するシステム構築の元、関わる皆さんがちょっとずつスキルアップを達成しながら、壁画制作を実行したということ。

そこにはほとんどボクが筆を振るってこさえたものは無いのだけど、
なんだか美しものに出会え、関わる人の良い顔に出会えるものが生まれていることが、うれしいなあ〜。

あらためて、
こういうことって、福祉や学校という現場に限らず、必要としている場所はあるんじゃないだろうか。



77億人えがおプロジェクト

2020 年 10 月 20 日 火曜日

熊本の人吉と東京の立川で子どもたちと笑顔を描き倒したワークショップ風景が、
ユーミンの「守ってあげたい」のメロディーに乗っかった5分番組として放送されます。
『77億人えがおプロジェクト』
初回はNHK総合 2020年10月16日(金)午前10:45 ~50で放送されましたが、
今後も繰り返し放送される予定ですので、絵を描くことで開く子どもたちの表情、ぜひ出会ってもらいたいです。

ちょっと息苦しさを感じる今の世界ですが、
子どもたちの笑顔で良いものへと変えてゆけたらいいなと、
今後もボクの活動は続いてゆきます。

114ヶ月め

2020 年 9 月 10 日 木曜日


今日は2011年3月11日から3,472日、
496週
9年6ヶ月
114回目の11日です。

熊本県で7月4日の発生した豪雨被害。
その被災地3カ所の保育園の子どもたちと絵を描いてもらいたいとの要請を受け、PCR検査陰性を確認直後、熊本に飛びました。

日本の沢山の自治体を繋ぐ”応援村“の『77億人えがおプロジェクト』の要請で、
くまモン夢学校“企画として開催のワークショップ。


小山薫堂さんが企画を牽引する中、松任谷正隆さんとのディスカッションの中で生まれた『77億人えがおプロジェクト』は、コロナ禍の中人と人の関係が希薄になりが世界を、こどもたちが描く笑顔の絵で元気にしてゆこう!という発想のもと動き出しました。


すでに2,000点ほど集まっている「笑顔の絵」は、ユーミンの名曲「守ってあげたい」に載せ、ミュージックビデオとしてNHKで放送される作品になる予定です。

が、
こんなタイミングで行って良いのか?
豪雨被害から2カ月弱のタイミングで迷惑ではないか?
もしくは、いただいたテーマ「笑顔」が子どもたちにとって先回りし過ぎではないか?
中には笑顔どころじゃない子どももいるんじゃないか?
そんなエクスキューズが頭を駆け巡ります。

東日本大震災以降絵を描くことを通して接してきた子どもたちから学んだことは、子どもたちの今をただただ抱きしめてあげる。

そんなだったので、
今回も「なにが生まれるかわからないけどいいですか?」との考えをご理解を頂いた上でのセッションとなりました。

現場では自分から自身の体調チェクをしてもらうようお願いし、感染予防を徹底。(「もうしわけないですが、体温計らせてください」のようなお心遣いの言葉をかけてもらうことが多いので、まずは自分から。)


そうした原則を足場に子どもたちと向き合ってみたら、
「今来ることが出来て良かった」と思えるセッションとなりました。

3日間で巡った球磨村、人吉市、芦北町の保育園。

それぞれのエリアの豪雨被害の惨状は、
たとえば福島県いわき市豊間で見た風景、
たとえば、岩手県宮古市鋤ケ崎で見た風景、
もしくは、熊本県益城町で見た風景と重なる
「壊滅」という言葉しか浮かばない風景でした。


ここで生まれ、豊かな自然環境の元 4年、5年と元気に育ち、
しかし、7月4日の夜に恐怖の夜を経験したした子どもたち。

保育園の先生方がしっかり向き合い、守ってきたんだろうね、
俺のような外部の異物が乱入しても、まずはしっかり向き合ってくれ、
笑顔も投げてくれ、
じゃあ絵を描くよ!となれば、グイグイの前に進んで行く。


が、アウトプットされる絵には、洪水の恐怖が絵具と混ぜこぜになって表現されているのも感じる。

が、オープンなコミュニケーション重ね続け、彼らが動かす手の勢いを加速させてゆくと、そうした「なにか恐ろしきもの」が「なにか美しきもの」へと昇華させちゃうのが、本来子どもが持ち合わせる力なんだろう。



笑顔を描くというお題を超えた、黒く塗り込められたりA4の紙の美しさ!


別の現場では、絵の具で黒く塗った手を紙に叩きつけるようにして塗っていた男の子がいて、でも「やりたいことはとことんやったらいいね!」見守り、その勢いのある表現に美しさも見つけられて、
でも一応先生に「彼はなにかあった?」と聞いてみると、
洪水の夜にものすごい恐怖の体験をした子なんだって。


が、絵を描き終えてしまえば笑顔爆発させた元気でいい子に戻っている。



しかしBOY、君はいつもいい子でいる必要は無く、
憤る気持ちがどうにもならなければ、また絵の中で暴れれば良いよ。

紙を叩く手が人に向かってはつまらない。
しかし、紙に向かえばそれが君のアート。


そして、こんなワイルドなセッションを経験した保育園の先生たちは、
これからも君のアートに付き合ってくれるはずだぜ!



笑顔も恐怖もどちらも子どもたちの表現。
そのどちらも否定するすることなく、受け止めることの大切さ。

何より、描いた笑顔の絵以上に、心と体を振り切って描いた子どもたち1人ひとりの笑顔こそが、本来オトナたちが子どもたちと作って行くべきものなのだろう。


子どもたちの描く笑顔に癒されている場合では無く、子どもたちが笑顔でいられるよう目の前にあるやるべきことやってゆかねば。



しかし保育園の先生たちの愛に溢れた尽力を目の当たりに、俺もまだまだやらなー!と思えた熊本子どもセッション。

芦北の保育園では、1階の広い保育室が被災して使えず、しかし復興に尽力する親御さん達を助けているという避けられぬ理由もあり、2階のスペースをフルに活用し保育を行っていました。



園長先生に発災時から今まで、そしてこれからも続くであろう苦労話しをうかがい。その全てが子どもたちを守るということに向かっていることを知り、ただただ胸を締め付けられるばかり。
東京で(東日本の現場なども知りながらも)ぼんやりとしてしか感じられなかった被災は、ひとりの話をうかがうだけでその輪郭を確かにし、想像を超えた実像を心に叩き込んできます。


しかしメディアはどうしても「大規模な絵」を求めてしまうわけで、
そうしたことを批判する以前に、静かな心でひとりの言葉に触れるようなことをしてゆかねばと、あらためて痛感。

子どもたちに笑顔を描いてもらうというファンタジーのような企画だっけど、
ボクは笑えぬ子どもたちもいるであろうことを想像し、彼らのリアルにだけフォーカスしコミュニケートした。
そうして見えたものこそ、未来笑顔を創る力になるはず。

現場を繋ぎ構築してくださった皆々様、ありがとう。

どこの現場でも、車で現場を去るボクたちに手を振り続けてくれた人たち。
また会いに行き、ありがとうを伝えます。

その前に、お世話になった球磨村、人吉市、芦北町、そして津奈木町へラブレター

使い道あったら使ってみてください。

人吉ではボランティアセンターとなっているホテルに寄って、色々お話を聞けたのだけど、コロナで外部からボランティアの受け入れが出来ない中、県内の学生のネットーワークを構築して、かなり素早いボランティア組織を形成した実行力に関心。
ほんと、誰かにお伺いを立てるなんてこと以前に、目の前の困難は誰かが排除しなくちゃって、これはリアルに命の問題。

で、やはりこういう現場に駆けつける人たちは、なんつーか人として色気があるんだよね〜。


そんな現場で気仙沼で会ったお兄さんと再会。
だよな、俺たちはこういう場所で再会する仲間なんだよなと、お互エールを送りあい、次の台風を心配し、別れました。


109ヶ月め

2020 年 4 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から3,319日
474週1日
9年1ヶ月
109回めの11日です。

今年の2月に福島県の奥会津の昭和村の子どもたちと
10日間に渡っておこなった「アトリエしょうわのこども」
(ブログにちょっと記録してあります。)
http://www.yakuin-records.com/amigos/?paged=3
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=14336

その記録集が作られ送られてきました。

2つのプロジェクトがまとめられた冊子の中で、
ボクのプロジェクトは14pに渡って紹介されています。

新型コロナに対する非常事態宣言が出された今から振り返ると、
ギリギリのタイミングでの開催だったんだいう驚きと共に、
ほんと出来て良かったことだと思っています。

どうしようもない閉塞感に覆われた社会の中で、
昭和村の数人の子どもたちは、きっと自分なりの作る喜びを見つけて、
厳しい状況を乗り越えてくれるはず。

そんな確信を持てるレポートを、
このプロジェクトに関わってくださった方々が綴ってくれています。

プロジェクト3年めにして、ボクが何か語るより、
関わってくださったみなさんの語ることが増えていることも、
ここから未来を想像した時の希望を感じさせることです。

なにより人口1200名ほどの村、昭和村という希望!

コロナが蔓延する世界と向き合い、
あらためて人はどう生きるべきかなどと考える足元が、
昭和村に続いているってことがうれしい。

震災をきっかけに東北をめぐるようになり、
子どもたちと向き合う仕事を頂くようになり、
自分や家族の生き方を更新して考える力を手に出来ているはずで。

それは、今度はコロナで疲弊した社会に注いでゆかねばならないことだと考えています。

この春は東京や兵庫で子どもたちとのワークショップが計画されていましたが、
すべて延期。

ボク自信、小学生の息子と家に閉じこもる日々が続いている中、
地域や学校で志を共にする人たちと、子どもたちのことに関して情報交換をし続けています。

なんとか、この閉塞感に子どもたちが潰されてしまわぬよう願うも、
直接的な接触が出来ないのであれば、それなりの考えを進めていますし、
コロナが収束した際は、みなさんの必要がある限り、
たとえば子どもたちとデッカい絵を描くことなどやってあげたいなあ〜

震災直後から子どもたちと絵を描いたことで積み重ねてきた経験、
それを必要とする場所に届けてゆきますので、みなさんぜひお声掛けください。

また、昭和村のレポートもお譲りする余裕がありますので、
必要な方はお声掛けください。

今年の昭和村でのセッションでの風景。

去年はまわりの子どもたちのペースに呑まれ、
絵にあまりアプローチしなかった2年生男子。

今年はボクが来る前に、他の子どもたちと色々仕込んで待ち構えていたみたいだけど、
セッションを重ねる中で目論見のタガが外れていったのかな?

気持ちよく筆を振り回している最中、
突然「絵は 自由だなあ〜」と叫ぶ。

そこに居合わせた大人たちみんなで「おお〜!」

ボクは自分のワークショップの中で「自由」という言葉をほとんど使わないはず。

それを子どもたちに与えてしまうのがどうも面白く無く、
しかし、子どもが自分の足で歩み自由のシッポを掴む、
その瞬間の表情が、やはり希望であり未来を感じることなんだよね。

コロナで失われるものは莫大にあるだろうけど、
しかし、それでも焦らず子どもの居場所を守り、
時が来たら爆発的に楽しい現場を作ることで、
次に進むきっかけをみんなで創ってゆけたらいいなと願っています。

108ヶ月め

2020 年 3 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から3,288日
469週5日
9年
108回目の11日です。

1年後には10年となりますが、
これからの1年は、10年を「節目」と呼ばない生き方をしなければならない、
そう考えています。

2011年3月11日、
前日に亡くなった坂上二郎さんを偲び、
コント55号のDVDを見ていた2時46分。

それから7年、2011年3月11日はたえず去年のことのように感じてきて、
しかし、一昨年の3月のこの時期に父を亡くしてからは、
その記憶が間に差し込まれた向こうに感じる3月11日となっています。

そして、2年前に亡くなった父に関することを、
今だに何もできていないということに驚き、

たとえば、
2013年3月11日に、震災で被災された方々がどんな心情であるのか想像している今。

やはり想像力には「節目」をつられないボクです。

3月11日の今日、
岩手日報で続けられている”いわてのテとテ“を今年も絵でお手伝いしました。

今年は、震災の夜にトラックのおじさんたちに助けられた子どもたちが、9年後に感謝の手紙をトラックのおじさんたちに届けた物語。
リンク先、ぜひチェックしてみてください。
>> https://www.iwate-np.co.jp/content/…/newspaper/2……00311.html

ここにも「節目」など感じることのできぬ、
人と人の繋がりが生きています。
生かされています。


先日は福島県奥会津の昭和村で本年度の子どもワークショップ、
“アトリエしょうわのこども”のセッション2を行いました。

現在の人口が1200名ほどの昭和村で、
過疎による人口減と伝承技術消滅の危機に対して発案された、
からむし織の継承者を育てる”からむし織姫体験制度“が始まったのが1994年。

それから26年後の昭和村、
それまでの経過を知らぬボクですが、
「昭和村ならでは」を感じた今回です。

ボクが向き合った子供達は、今回は0歳から小学5年生まで。

こうしたワークショップは日本中で開催してきましたが、
未就学の子どもたちはどこでも変わらず子どもらしく、
しかし小学生に上がるくらいから地域やコミュニティーによる特徴が見えてくる傾向にあります。

昭和の子供たちは小学校に上がっても良い意味で子供っぽくあるのですが、
他の土地の子どもたちが良く使う「ふつう」という言葉を使わないなと。

子どもたちとなにかクリエイティブなことをやろうとする時
「ふつうそんなのやらないよ」なんて言われるのがなかなか辛い、、

「普通かあ〜」「じゃあ普通って?」そんな会話からクリエイティブを振り出しに戻すことがしばしば。

もしくは、きつい天然パーマのボクの頭が「ふつうじゃない!」みたく盛り上がっちゃったりね。

で、昭和の子どもたちもボクの頭をいじってくるのだけど、
それがほんとに面白がっているのが伝わってきて、ちっとも嫌な気がしないんだよね。

そういえば、村の中を歩いていてお年寄りとすれ違ったとして、
みなさんスッと通り過ぎてくれる。

ボクなんか地方の小さな村や町を歩いていると、
そのまま不審者で通報されてしまうんじゃないかって存在感なはずです。

でも昭和のお年寄りはボクの存在を「当たり前」として見てくれるのか、
その視線に「好奇」や「疑い」を感じることなく、
軽く会釈しスッとすれ違ってくれるのが、気持ち良い。

「普通」を使わぬ子どもたち
「当たり前」を生きるお年寄り

それは、昭和村が外の人を受け入れることで生きる道を選んだからじゃないかな〜〜?
どうだろう。

1st.セッションで子どもたちがお年寄りから料理を教えてもらい、
絵を描くワークショップをやったけど、
その時のお年寄りのみなさんの教え方の上手さ!優しさ。。

これはものすごい財産なんじゃないだろうか。

公民館に貼ってあった昭和村小学校全校27名の新年の書き初め、
その字の確かさに、習字を指導された方の愛と情熱を感じるんだよな〜。

今回のセッションでは、リラックマを描きたくて仕方ない3年生女子がいて、
もちろんここは学校のカリキュラムを行う場所じゃないので、とことん描いてもらうわけで。

で、仕上がった絵を見てみると、
たしかにリラックマなんだけど、線が気持ち良い!
ちょっとしたデザインのセンスを感じたりするくらい線が確か。

で、みんなで村の”からむし博物館”や”工芸館”を見に行って、
印象に残った絵を描いてもらったら、
やっぱリラックマちゃんのデザインセンスが素晴らしくて、
コラボ作品を作ってしましました。

これには村のオトナさんたちも「おお〜!」

もちろん彼女だけでなく、
クリエイティビティぶっ放す子どもたちばかり!

「子どもたちに自由やらせる」とか「自主性に任せる」じゃなくて、
「子どもたちが自ら見つける自由を守り、自主性を生かすコミュニケートを重ねる」
そんなことを意識してやったことだけど、

子どもたちから気づかされることはとても大きく、
それはそのまま、この村の魅力、大人たちが積み重ねてきたことが、
なにか魅力的な目に見えるものとして現れたというセッションではなかったかと。

こうしたことは9年後の被災地で、
コンクリートの復興と並行させた心の復興に生かせることではないかと思いつつ、

いやいや、コロナの閉塞感に包まれた今、あらゆる現場で必要とされることでもあるはずと。

2020の先で10年があろうと、
これからも人の必要に答えることをやってゆこうと思うのであります。

それにしても、奥会津の山間の美しい村、昭和村との心の距離はもはやお隣さん。

その昭和村で育まれた発想は、ひとつドアを開けたら世界につながっているように思うのだ。

そしてそこで育った子どもたち、
楽しみだ〜〜!