‘ワークショップ’ カテゴリーのアーカイブ

104ヶ月め

2019 年 11 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から3,167日
452週3日
8年8ヶ月
104回目の11日です。

10月19日から22日までの期間で、
宮城県塩釜市、福島県喜多方市、群馬県富岡市と巡るご縁がありました。

それぞれの市の人口は今年の秋の時点で、

宮城県塩釜市
54,064人

福島県喜多方市
46,592人

群馬県富岡市
48,349人

5万人前後で似た規模の自治体、
被災地と呼ばれたり、台風被害が受けたばかりのエリアも含む自治体ですが、
それぞれの今にそれぞれの元気な姿がありました。

10月19日は塩釜市の杉村惇美術館で開催されたチルドレンズ・アート・ミュージアムで、
子どもたちと(一部オトナも)お面を作るワークショップセッションを開催。
チルミュ詳細> http://sugimurajun.shiomo.jp/archives/4335

チルドレンズ・アート・ミュージアムは、もともと岡山県倉敷の大原美術館で行われたものを参考にし、
倉敷と塩釜で人的な交流も重ね、今年で2回目の開催となるイベント。

地域に生まれた美術館を、どれだけ地域のものにしてゆくのか?

コンクリートの箱を造って、しかし地域のニーズに応えられぬでいる美術館などが見られ日本で、
しばらく使われずにいた公民館だった歴史的な建物を、リノベーションし美術館に変えた杉村惇美術館。

もともとの志がこれまでと違うスタートで生まれたはずで、
美術館に紐つく人たちがオープンで、塩梅の良い緩さもあって、
本来アートってこんな感じだよなと、
自分の表現の原点を確認出来るような場所でもあるように感じています。

そんな場所があること、
そこに美意識とコミュニケーション能力を持つ人が1人、2人と関わることで、
発信される言語も窓口となるデザインもより平易な表情になり、
美術館は、さらには地域は、こんだけ楽しそうな表情を見せるんだなあ〜と、
感激の現場、思いっきりハードワークしてまいりました。

打ち上げでは、日本の各地からやってきた、
アートに関わる人や子どもに関わる人たちと交流。
では自分は絵で何が出来るだろうか?
とても明快に考えることが出来たはずです。

明けて20日は会津の喜多方へ。
秋の東北の風景や台風被害の様子が見えたらと、
仙台からバスで会津若松まで移動してみました。

東北の秋はただただ美しく、
200kmほどの移動の間、目に見える台風被害の爪痕には出会わず、
しかし、こうしてのほほんと風景を楽しんでいる今も
困難な状況に置かれている人がいることへの想像がバスと並走していました。

日常の足元から視線を上げ美しきもの見る。
その美しさはその先に美しさにつながり、被災のヘリに至ります。

台風被害の実像は、顔を合わせてお話しする方の実体験だったり、
どなたかお知り合いが苦しい立場にあることが語られることで浮かび上がり、
ボクのようなものでも、当事者としての足場を得るように感じました。

美しきものと悲劇が隣り合わせにしてあること。
そのどちらにも視線を送り想像を働かせ続け、美しき人に出会うことは、
いつかなにかの時に人を助ける力へと育ってゆくことを、
2011年3月11日から今に至る時の中で経験し実感しているボクです。

喜多方では、喜多方市美術館で開催の、ボクの絵と生き方の師匠、長沢節先生の展覧会が開かれ、
美術館の企画としてボクのワークショップを開催しました。

喜多方はとても美しい町です。

会津に「北方」に在る喜多方ですが、
江戸から近代へと続く時代の中、会津と新潟を結ぶ交易の拠点として栄え
戦後の高津経済成長期を超えた先で、
ある意味ひっそりとその美しさを維持してきたような印象を受けます。

たとえば、街路に植えらた花が、華美に陥ることなく当たり前に佇んでいるような姿であること。
こうしたセンスって簡単に手に入れられることじゃ無いなと思うのです。

たとえば、ワークショップ終了後に見上げた空の深く複雑な色合いの美しさ。
こうしたものに日常から包まれ生きてこれたらからこそ育まれる美意識ってあるなあ。

だから、ワークショップに参加された方々の醸す色も複雑に深く美しかったです。

普段絵を描いていないなんて人が多かったけど、ほんとかな?

これなんか小学生の描いた絵だよ。。

今回のワークショップを企画してくださった学芸員さんは、
ボクが塩釜で開催した展覧会やワークショップも見にきてくださり、
とても丁寧なコミュニケーションのもと、この日を創ってくださいました。

うかがえば塩釜がご実家とのこと。

とても落ち着いた美しさを宿す喜多方市の美術館で、
市民のニーズに応え美術館という装置を生かすアイデアを創造してゆくことは、
美しくも人口減少などの社会問題を抱えている中、
社会にいかに持続可能な「生きる喜び」を創造するかというと重なるはずだと思います。

塩釜では、社会の中でなにか楽しいことを創造しようとする際のモチベーションが、
8年8ヶ月経った今も震災で社会が壊れかけた(壊れた?)ことへの危機感によって、
束ねられているように感じています。

この熱量の一部が喜多方で生かされるイメージを、
1人の学芸員さんとのコミュニケーションから得たセッションでもありました。

などと呑気なことを考えていると、
帰り道の郡山で台風被害の傷跡を目にし、自然というもの不条理を実感し、
旅先で出会う人たちが、これからも心穏やかに生きてゆけたらいいなと、
ただただ願うのでした。

そして群馬の富岡へ。

台風被害の片鱗に触れながらも、
やはり美しく長閑な風景の連なった先で友人の結婚式。

世界遺産富岡製糸所を有する街の市役所は、隈研吾氏のザインで建てられていて、
周辺の景観と共にとても気持ちの良い空間が生まれていました。

友人は群馬のアパレルのコミュニティの真ん中あたりにいて、
そこに音楽やアート、スポーツなのでコミュニティが緩やかに重なり合って、
なんだかオシャレでオープンな人の輪を形成しています。

オシャレにオープンに整備された富岡の街を、
今回は手作の結婚式という形で利用した彼ら。

オシャレにオープンに整備された富岡市も、
実は財政的に苦戦していることも伺った今回。

こうしたフレッシュな試みがさらに持続的に行われ、
富岡ならではの幸せの形を創ってゆけたらいいのだろうなと思う中、
同規模の街、塩釜でやれていること、そこに関わる人のあり方など、
愛しき群馬の人たちとシェアすることで、これからの活動が確かなものになるんじゃないか?
なんて思ったのです。

富岡に至る風景は、台風の傷跡も目に入るも美しく豊かで、
思いがけぬ変化を見せ連なる山の稜線は、目に新鮮な喜びを与えてくれました。

それはこの土地に暮らす人にとっては当たり前のものかもしれませんが、
やはり特別なことなことなんだと、東北を巡った後だからこと強く感じたかもしれません。

群馬の友人たちが同規模の人口を有する塩釜や喜多方を知る事で、
あらためて富岡を知ることにならないかなあ〜。

喜びや幸せのベクトルがグローバルな方向に束ねられてゆくようなイメージでいる今という時代。

本来は1人ひとりあっちこっちの方に向かっていいものなんだろうけど、
人と違うことを恐れる風潮や、そもそもの手っ取り早さとかで、
本当に願っている方か分からぬまま足を向けてしまっていることはあるなと。

そうした1人ひとりの漠然とした恐れみたいなものを、
生活が営まれているローカルコミュニティの中で醸造された美意識でもって、
1人ひとりの矢印はあっちこっちに向いたまま優しく束ね、
持続可能な幸せの形を形成出来る方に導くようなことやれたらいいな。

たとえば、絵やイラストレーションはなにが出来るだろうか?なんて考えた
宮城-福島-群馬の時でした。

いや、しかしいい結婚式だったなあ〜
感動した!
そして、楽しいことは愛に溢れ狂おしいほど馬鹿げたものがいい。

おめでと!エバちゃん。

ところで、
美しい本が届きました。
熊本の街の路地裏で、弱くも美しき人々の交差する本屋。
ボクにとっては、ビールの小瓶がどこよりも美味しく飲めるカウンターのあるカフェ。

橙書店のツッパリ店主 田尻久子さんが綴る、
橙書店の日々をオレンジ色に彩る人々の33篇の風景。

生きることに閉塞感を感じる時代にあって、
デカイ花火を上げるでなく、弱き人に視線を送り続け、ただ愛すこと。

こんな時代に自分が愛する本だけ売る本屋。
そこには並並ならぬ苦労と、ある意味の狂気さえあるでしょう。

が、こんな場所があるから生きてゆける人ばかり。

被災地と呼ばれる場所をめぐる中、
よく「熊本には橙書店てのがあるんですよ〜」なんて語ってきたボク。

「復興」という言葉の中には、
「こんな店と出会えるようになった」という物語があるはずと考えています。

よかったらぜひ手に取り、ページをめくっていただけたらと。

田尻久子さんにしか出来ないこともあるだろうけど、
それは「私にしか出来ないこと」と薄い壁ひとつ隔てたものだと思うんよね。

なんてことを思いながらページをめくると、なるほど、ボクのことも書かれています。

俺のなんたるかもザクっと掘り起こしやがって、、
晶文社より1650円でホロリリリース。
久子、ラブだぜ〜〜〜

101ヶ月め

2019 年 8 月 11 日 日曜日


今日は2011年3月11日から3,075日
439週2日
8年5ヶ月
101回目の11日です。

7月19日20日と岩手県の岩手町で子どもたちと大きな絵を描いてきました。

人口12,000人ほどの町をいかに維持し盛り上げてゆくのか?

地域おこし協力隊で町の運営に関わっているグループからのお声掛けで、
3月に町を歩いてみて、まずは子どもたちの元気を町の方々に伝え、
そこから町を健全に育ててゆくための会話を持ったらどうかと提案し、
実現にいたりました。


ワークショップの現場は、町内に3つある小学校のうち、
一番児童数の多い沼宮内(ぬまくない)小学校の子どもたちが利用する学童保育の施設。

図書館や子どもたちが伸び伸びと遊べそうなホールも併設された立派な施設。
自然豊かな土地にあって、この環境は素晴らしいなあ〜。

岩手町の子どもたち、とても元気でいい子です。

「いい子」と言っても、オトナの言うことに従順ってことじゃなくて、
元気だけど優しく、ちょっとしたことに気づき人を尊重する力があるって感じかな。

いやいや、絵を描く局面局面、もうめちゃくちゃですよ、、
しかし、やはりどこかに優しさが通底している。

他の土地で出会うことのあるピリピリしたものは無く、
大らかに優しく元気。

地域はこの子たちをこのまま無事に育ててゆくことが、
この町を豊かにしてゆくことの一番の力になるんだと思いました。

ここで生まれた作品は、
新幹線の”いわて沼宮内駅”の構内にお盆の期間まで展示してもらっています。

こうしたものは基本「何が描かれているかわかんねえな〜」と言われるものと考えています。

ただ、そうして通り過ぎる人の中のひとりでもいいから、
「岩手町の子どもたち、すごいな!」と気づいてくれる人が現れ、
町や子どもたちの未来に力を貸してくれたらいいんだと思います。

地域振興は、公共事業投入や「中央」からやってきたコンサルタントの力技などで進められてきた部分があり、
しかしボクたちが目指すのは、もっと気の長い、持続可能で豊かな社会を創ることだよね。

一気に変化を求めるで無く、じっくりと聞く耳を持ったコミュニケーションのもと、
たとえば接するオトナが「そういえば俺もあんなだったなあ〜」なんて、
子どもたちが絵を描く姿に触れ、自身の生まれ育った土地での歴史を振り返る、
そこに掛け替えの無いものを再発見する。

そんなことだと思うんだよね。

で、それはまだ震災の爪痕が残る場所でやれるイメージは、ボクの中には無くて、
しかし、岩手町なら出来る。

人口12,000人に自治体が、街づくり人づくりといった部分で、
突然日本のトップランナーに躍り出る可能性はある。


町で始まった美術館のあるエリアの新たな楽しみ方の発見など、
今後ボクも緩やかに関わってゆくことがありそうな岩手町。

豊かな自然の景観。

北上川の源流を有し、
坂上田村麻呂の名前の刻まれる歴史。

たとえば「沼宮内」(ぬまくない)なんて言葉のアイヌ由来のロマンチシズム。

群馬生まれのボクが「懐かしい〜」と声に出した、
人の心が確かに込められた田園の美しき景観。

2015年を最後に廃校になった小学校の美しさ!

東北太平洋沿岸部が、震災後その姿を大きく変えている中、
岩手町が今の日本の中で担う役割、確かにあるなあ〜。

2時間に1本だけど、東京と直通の新幹線走っているしね。

ここまで町を育ててこられた先人の意思や知恵を尊重しつつ、
さてここでどんな未来を創造したら良いのか、
楽しみだな〜

願わくば自分の描くものもお役に立てるよう、
しっかり準備すると共に、さらに見る目や聞く耳を育てておきますね!
岩手町。

この1ヶ月は子どもと交わることが多かったです。

ダンボールの写真は東京の天王洲でのワークショップ。

新しすぎる街で過去に何度か繰り返して来て今回、
やっとこの街で暮らす人との距離が縮まったイメージ。

こちらは毎年恒例になってきた湘南T-SITEのLIFEsonの夏祭り。

今年は昨年に続き提灯作りと、あらたに花笠作り。

盆踊りチームが来てくれるってことで、より和なテイストを提案してみました。

オシャレでスタートした店も、
「和」だしヤンキーテイストでさえある。

こういうのいいなあ〜と思っていると、
参加者が「毎年これで正月迎えるようなもの」
「もはや私たちにとってFUJI ROCKです」って、
泣かせてくれちゃうね〜

やはり新しすぎる街で、ちょっと故郷が見えてきたかな?

これはカミさん案件。
彼女が施設長をしている保育園の運動会での”エビカニクス”の応援用グッズを息子と制作。

手作り楽しいですよ〜

そして、

昨年に続き、ボクの暮らす地域の子どもたち39名を連れて、
山登りサマーキャンプのお手伝い。

渋谷区運営の上原地区活動委員会の事業のひとつ。

ざくっと言えば、地域のおっちゃんおばちゃんが見守りボランティア活動の一環で、
子どもたちと遊ぶ時間を持つってこと。

ボクはこの土地に20年ちょい暮らすも、まだまだよそ者。
ただ息子にはここを故郷にしてあげられたらいいな。
そう考えると、息子と触れる友だちたちもここが故郷でなくっちゃ。
てこは、センスの合うわかり合った者同士でつるんでいるだけじゃダメで、
ちゃんと地域のことにコミットしなくちゃって考えで、
2200メートルの山の頂上に立ったわけです。

で、先輩たちがやってきたことは、ボクが真似できるようなことでは無く、
でも自分が出来ることは子どもたちへ。

キャンプファイヤーの点火劇ための衣装とか、
山登りキャンプの合間に作っちゃうとか、やっぱワイルドで楽しいです。

そして、子どもたちが「わーっ!」と楽しむ姿があれば、
オトナも動かざるを得ない。

恥ずかしいとか言わず”火の神”に成りきり、
本気の演技で子どもたちの喝采を受けていた会長、
かっこいいです。

うん、ほんと今「かっこいい」てことの意味が更新されている時代だと思う。

そして、
地区活動委員会のご縁で隣のエリアでも子どもワークショップ。

子どもたちが爆発的に表現し、ママさんたちの心が解放され、
地域にオープンな会話の風がビュービューと吹くよう、関わる皆さん全力です。

何かに反対することから導く平和もあれば、
子どもたちの表現を全肯定することから導く平和なんてものもあるだろうと考えた8月6日。

こいつらの頭の上で破裂さえて良いものなど何もないぞ!!

子どもたちの喜ぶ声が響けば、
オトナが動く。

こういうことに反感を持つ人もいるのが、
残念ながら今の日本という社会なんだろう。

しかし、
本当に苦しい立場に置かれた人を救う道には、
子どもたちの喜びの声が響いているべきだと思うのだ。

震災以降の東北を歩いていたら、
いつのまにか自分の暮らす街の子どもたちと遊んでいる自分がいて、
その足元から視線を上げると、やはり東北までの道が見える。

100ヶ月め

2019 年 7 月 11 日 木曜日


今日は2011年3月11日から3,044日
434週6日
8年4ヶ月
100回めの11日です。

6月は宮城県塩釜へ。
利府聖光幼稚園で子どもたちとのワークショップ、
3月に展覧会でお世話になった杉村惇美術館で大人向けのワークショップ。


聖光幼稚園でのワークショップは、
杉村惇美術館での展覧会で知り合った山田みちえさんのグループ、
えぜるプロジェクトが主催で、共催はシオーモ絵本のなかまたち。

震災以降の塩釜で、子どもたちの元気のために尽力されてきた方々が、
利府聖光幼稚園のご協力のもと開催してくださいました。

聖光幼稚園、驚きの敷地の広さと子ども大喜びの高低差を有する施設です。

この日集まってきた子どもたちの半分はこの園の在園生か卒園生。

ここでのびのびと育ってきたんだろうな〜と想像できる子どもたちは、
コミュニケーションのあり方がある程度出来上がっていて、
みんなとても元気なんだけど、ちょっとしたことで譲り合いがあったりで、
ボクがここに来て何をやるまでも無く、みんないい子!!

なんだが、
セッションが進むにつれリミッターが外れ、みんな見た目以上の力を発揮!

はい終了〜!と告げた後も「もっとかきたーい!」だって。
いやー、ワイルドに美しいものに出会えてボクは嬉しいよ!

みんなまた遊ぼう!なんて言っていると、
多くの子どもたちが片付けを手伝ってくれる。

これ大人の誰に言われたってわけじゃなくて、自分から。

ボクは子どもとのワークショップで「描いて楽しかった!」だけ持って帰ってもらえればいいと思っていて、
実際、子どもたちは絵を描くと「プイ」って次の楽しいことに向かっていったりしちゃうものなんだけど、
ここの子どもたちは自分からお手伝いをしてくれる。

震災以降の子どもたちとのワークショップで、
子どもたちが自分の一歩で絵を描く手前で、
どうしても親の顔色を見てしまう傾向が高まった、
特に東日本でそういう傾向が強くて、

それは、震災以降の人を思いやる気持ちの高まりが、
大人同士の会話や社会との関わりに過度な遠慮(リミッター)を生み、
結果子どもたちの表現へのアプローチにも影響しているんじゃないかと。

この傾向は、震災からある程度距離のある都市部で特に感じることなんだけどね。

しかし、塩釜に隣接する利府の大らかな敷地を有する幼稚園に集まってきた子どもたちは、
表現することを恐れず、しかし他人を労り、最後の片付けまで手伝ってくれようとした。

これは、この幼稚園やこの企画に携わってくださったオトナたちが子どもたちとどう接し、
子どもたちの親御さんたちとどんな親鸞関係を構築してきたか、なんだろうな。

そうしたことにおいて、
被災地と呼ばれる土地のおいて醸し出されてきた人のマインドは、
被災から遠くの都市部のそれよりずっと未来にあり、
ボクはここで感じたことを、今度は東京の自分の暮らす場所に持ち帰らなくちゃって思いました。

現場を整えてくださったみなさん、ありがとう!
打ち上げの寿司、美味かったー
震災がきっかけで出会った塩竈から、今は豊かさを頂いている俺っす。

そして2日目。

塩釜市立杉村惇美術館でのワークショップは、
秋に開催される「チルドレンズ・アート・ミュージアムしおがま」のキックオフ企画。
*「チルドレンズ・アート・ミュージアムしおがま」去年のサイト> http://sugimurajun.shiomo.jp/archives/4335

アートを通して子どもと接するであろう大人の頭を柔らかくしておきたい!てワルダクミです。

企画は高田彩さん。

今年春の展覧会でもご尽力いただいた美術館スタッフであり、
ご自宅で展開のアートスペース”ビルド・フルーガス“の運営もされています。

ローカルが面白くなるために必ず必要とされる丁寧な汗かきさん。

そもそもボクの名前じゃそんなに集まるはずも無い人を、
現場のキャパきっちり集めてくださり、
ボクの予測不能な現場進行を邪魔することなくスムースに行える環境を作ってくれます。

春の展覧会の運営やワークショップで彼女の能力に驚き、信頼し、
今回はより自分らしく現場を創ることが出来たはずです。

「絵が描けなくて、、」と語るオトナなみなさんが創造する、
その人だからこそ描けた1枚の絵の素晴らしさ。

そこにはボクだからこその何かがきっかけとしてあるだろうけど、
高田さんのような方の力がしっかりと足場としてあるからこその、
安心感の上に咲いていることでもあるなと思うのです。

彼女のような能力を持った方を何人か日本の中で知っていて、
その土地その土地で色々とお世話にもなっていますが、
しかし、残念ながらどこにでもいるってワケでは無く、
これから未来、彼女のような人が生まれ育ってゆく社会であるよう、
ボクは出会う人と語り合ってゆかねばと思っています。

今回の塩釜では、さらに多くの方と言葉を交わすことが出来、
そこは未来を思い描く会話の現場であると共に、
今の厳しさをシェアする時であり、失われたものへの慈しみの場所でもあり、
これは100ヶ月なんていうことを「節目」にしてはいけない、
今まさにそこに息づく人の感情の問題であることだと、
さらに、さらに心に刻んできました。

ひとつひとつのことはこのような場所で言葉にすることでは無く、
ただ、それは誰にでも開かれていることなので、
今からでもぜひ、東北の太平洋沿岸部を歩いてみてください。

もちろん、熊本でも西日本でも、北海道でもどこでも、
ひとりのサイズで受け取れることは、実はとてつもなく大きなことなんだと、
確かな実感のもと感じている今です。

ところで、
そうやって知り合えたひとり、
塩釜在住の彫刻家 佐野美里さんの展覧会が東京の清澄白河のondoギャラリーであったので、
息子と一緒に行ってきました。


小学4年生男子が作家さんに質問ぜめの展覧会。

そこにはたくさんの会話と笑顔があって、
しかし、そこに至る彼女の創作のマインドはどこまでも真摯で、
それは3月11日以降風景や花の絵を描いてきたボクのなにかと重なることも多く、
俺ももっと頑張らなくちゃなあ〜
もっと朗らかなもの作ってゆきたいなーー!
なんて思えた展覧会でもありました。

ほんとありがた出会いばかりだぜ。

そして塩釜、こんどは秋だね!

その前に、来週は岩手県岩手町へ。

その後、福島市や喜多方市でもなんやかやのワルダクミ。

みなさん、みちのくで会いましょう!

なんて思っていたらピンポ〜ン。。

塩釜から米が届いた。

山田さ〜〜ん!
ありがとう。。
心していただきます。

人に生かされているなあ、俺。

96ヶ月め

2019 年 3 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から2,922日
417週3日
8年
96回めの11日です。

3月2日から10日まで塩竈市立杉村惇美術館で開催の展覧会「東日本」
無事に終えることが出来ました。

東北ではまったく無名のボクですが、
8日間の会期をと通し、口コミでのお客様が増えてくれたのは、
震災の次の年に東京で展覧会を開催した時に似ていました。

1枚の絵を間に生まれる会話を楽しんでくださる多くの方に出会えたこと、
あれから8年という時の流れを感じることが出来ました。

そして、あらためて、
「それどころでは無い」という立場に置かれたままの人を想像したのも、
美術館という装置ならではなんだと思いました。

また、長崎から、愛媛から、大阪から、東京から、福島からと、
わざわざ遠方より足を運んでくださった方があったことは、
杉村惇美術館という美しい場所の求心力でもあったなと。

しかも、ただ美術館という箱があるだけでは無く、
企画運営する方々の魅力が細部に宿っているからこその、
美術館の求心力であったと思います。

熊本で、福島で、美術館関係者から「塩釜には彼女がいるから」と伺っていた、
ビルド・フルーガスの高田彩さんには、
噂通りの見事なオーガナイズを頂きました。

杉村惇美術館の館長さんである岩澤さんは、
お客様にボクの展示をまるで自分の展覧会のように語ってくださるので、
ギャラリーが終始朗らかな空気に包まれていました。

他の学芸員さんも実に丁寧な現場創りに尽力されていて、
いい加減になりがちなボクの展覧会を凛としたものに仕立て上げてくれ。

併設されたカフェのスタッフさんにしても、
美術館のカフェとしての美意識を貫く所作がとても綺麗でね〜。

お客様として足を運んでくださった皆さんの「来てよかった〜」は、
そんな皆さんの尽力の賜物に間違いありません。

例えば「被災地の復興」ということを考えてみても、
こんな方々の奮闘が美意識の現場を育ててゆく姿も、
これからの復興に欠かせないものだと思いました。

しかし、こんな現場がひとつあるだけで、
ずいぶん豊かさを感じるものです。

宮城県の他のエリアから来た人が、
塩竈にこの美術館が出来たことを羨ましく語っていましたが、
実際ボクもこの場所で多種多様な方と会話が出来たなあと。

美しい箱とそこを運営する人の尽力で、
地域の風景がちょっと豊かに見えること。

そこに自分も絵で関われたこと、うれしく思います。

会期中2度開催したワークショップも、
ボクの思惑以上に意義深いものになったはずです。

集まってくださったみなさんの、
想像以上のクリエイティビティに出会えた喜び。

それ以上に、
みんなで絵を描いたからこそ生まれた「はじめまして」同士のオープンな会話。

そして、美術館の、普段なら静寂に包まれているはずのギャラリーに響いた、
元気な子どもたちの声!

子どもたちの持っている力の鮮やかさに、
パパママたちの歓声が上がる。

アートとか芸術とか語ってかしこまってしまわず、
今を生きる人の必要に答える美術館のあり方。

新鮮だなあ〜〜!

もちろん、これで震災前の塩竈に戻ったわけでは無く、
多くはこれからだろうし、失われたものを取り返せるわけでもなく。

それでも、震災の経験した土地が手にした「人の必然に当たり前に答えるマインド」は、
日本のみならず世界でも最前線の感性によって形成されているように思いました。

*この感じ、2月の福島県昭和村でも感じたこと。
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=13989

あらためて、
ボクがなぜ塩竈市立杉村惇美術館で展覧会を開いたかを記しておきます。

2011年3月11日以降始めた震災被災地を中心としたフィールドワーク。

その10回目くらいに当たる2013年1月末から2月頭にかけてのフィールドワークで、
岩手県の宮古や宮城県の気仙沼を巡った後、
一関のホテルで見ていたテレビで、塩竈の港の施設が再開されたみたいなニュースをやっていて、
そういえば東京で塩竈を報道されることは少ないなと。

初めて訪れた塩竈は、確かに津波の爪痕は残っていて、
しかし以前の街の姿を知らぬボクはただウロウロするばかり。

そうしてたどり着いた塩竈港では、
カモメ(うみねこ?)にかっぱえびせんを投げ与えている女の子に出会ったりしてね。

港には復興市場なる仮説の海産物の販売所があって、
隅っこのプレハブの中で震災被害の写真展をやっていて、
そこで海産物の発送の仕分けをやっていた女性に「ちょっと見ていいですか〜?」って聞いたら、
「どーぞ!見て見て!!」ってすげー元気に返されて。

港町の女、やっぱ元気だね〜なんて思っていると、
「ちょっとこっち来て!」って、ご家族が営まれている海産物の直売所に呼ばれて、
「牡蠣食べて!」「わかめ食べて!」「どう?おいしいでしょ!」って。

いやいや、被災地の甘い汁吸いすぎだろうなんて言ったら、
「いいの、いいの!」「これ作ってるの私の旦那なの」
「すごーくいい男なんだから!」なんてご主人自慢。

『被災地に行ったら、逆に被災者に元気もらっちゃいました』
こんな話を良く聞くけど、それは言っちゃお終いだろうなんて考えていたボクが、
しっかり元気が湧いてきちゃった「ひとり」との出会い。

ボクは絵を描いていることを告げ、
持っていたカモメやシロツメクサを描いたポストカードを渡して東京に帰ると、
しばらくして彼女からの手紙。

そこに書かれた、
震災の直後に海から見上げた空に見たカモメに、生きてる実感を得たこと。
保育士としての二十歳の初出勤の朝に、足元にシロツメクサを見て、不安の気持ちが和らいだこと。
ご主人のことが大好きなこと、、
また塩釜に来るのであれば、ご主人が働く海を見てもらいたいこと。
塩竈神社の塩竈桜もぜひ見て、いつか描いてもらいたいことなどなどが、
小気味好くも美しい文体で描かれていました。

「ああ、出会ってしまったなあ〜!」

ボクは塩竈桜の咲く季節を調べ、
5月5日に再び塩竈へ。

彼女の働く海の上を羽ばたくカモメを描き、
2度目の開催となった「東日本」という展覧会のメインビジュアルにして、
彼女に送りました。

2014年1月の東京青山での展覧会の初日の朝、
彼女が塩竈から、保冷ボックス一杯の牡蠣やワカメを抱えてやってきて、
オープンした展覧会を15分くらい見たら、「来れてよかった」って、
日帰りとも言えぬトンボ帰りで塩竈に帰っていった。。

そうしてボクは震災後初めて被災地と呼ばれる土地に友を得た。

そのカモメの絵は、展覧会に多くのお客様を呼んでくれ、
主に西日本での巡回展を呼び寄せ、
「とうだい」という絵本の作画の仕事に結びつき、
「赤崎水曜日郵便局」の書籍化の際の装丁画の仕事にも結びつき、
(偶然だけど、筆まめな彼女の水曜日の手紙も掲載されていた!)
水曜日郵便局のお膝元、熊本県津奈木町の”つなぎ美術館”での展覧会開催に至る。
(最初に描いたカモメの絵が大阪の方の元に羽ばたいていったので、あらたに描き下ろした)

そこでの水曜日の出会いは、
水曜日郵便局次の開催地、宮城県東松島の宮戸島を舞台とした
「鮫ヶ浦水曜日郵便局」にボクを引き込み、
水曜日の手紙をテーマとした絵本制作のオファーをもらう。

オリジナルのストーリーは作れるか?の問いに、
松島湾の南っ側の塩竈に、よく手紙をくれる人がいて、
その人をモチーフにストーリー作れるって、
「うーこのてがみ」というタイトルの絵本の制作を始めました。

その間、彼女は事あるごとに手紙を送ってくださり、
またご主人とのラブラブ話はさらに深まり、、

ボクと長崎の諫早のオレンジスパイスさんとで運営している”peaceてぬぐい”に添える手紙に、
『被災地の今を伝える手紙』として数度登場願ったり。

ボクもフラリ塩竈を訪れては、
彼女のご家族の営む海産物の直売所で、相変わらず美味しい思いをして、
復興市場から津波で流される以前の場所、越ノ浦に直売所が戻った際のお祝いに行ったり。
「暮しの手帖」の震災特集に登場もしてもらったなあ。

で、そんなお付き合いの中、
彼女が尋常ならざるくらい「人のために働く人」であることを知り、
家族の仕事を助けながら、さらに家計を助ける仕事に奮闘している姿に、
無茶はさせられないなあと、
東京の展覧会に駆けつけトンボ帰りをした意味なんかを噛み締めていて、、

が、2018年、震災から7年目の春に、
「そろそろ私がやりたいと思うことに集中してゆくんだ」って、
仕事を減らして、例えば大切に考えている
塩竈港の万葉の昔から伝わる呼び名「千賀の浦(ちがのうら)」を復活し、
地域ブランドに育ててゆくことなど、
ともかく愛する家族や地域の元気のためにやれることやってゆこうって。

ならばボクの描いたカモメの絵なんかも使ったらいいよ!なんて話をして、
でもその前に羽田空港で羽ばたかせるから、
そんなんをきっかけにしていってくれたらいいよ!なんてね。

そしたら「羽田空港ぜったいに見にゆくから!」って、、

無理して羽田来ること無いよ!
俺、塩竈で展覧会ひらいて、あのカモメの絵も連れてゆくからさ!なんて言えば、

「いや、展覧会は私が企画する」「いい場所見つかったから楽しみにしていて!」だって。

ボクはその間、震災後の活動がユニークだと、
あるテレビ番組の制作チームに取材されていて、
カメラがボクの方を向く度に、
違うんだよ、すごいのは彼女なんだよ!なんて思っていて。

結局この取材はテレビ局上の方の人の
「ボクと”被災者”との関係が分かりづらい」みたいな”分かりやすい”理由でお蔵入り、、

でもいいんだ、
被災者と付き合うのが目的じゃねーよ、、
彼女のような「ひとり」と出会い、その関係を大切に育てることが、
人に、地域に、どれだけの幸せを生むことか!
(ただ、ボク以外の人たちは番組を楽しみにしていたのだが、、)


2018年8月、「うーこのてがみ」の作画を始める。

うん確かに「うーこ」の動きは彼女の動きに似ているぞ!
彼女と出会った際、自分の店にボクを誘った時の軽快な足取りとか、まさにだなあ〜、
なんてニヤニヤしながら筆を進めている中、彼女の訃報が届く。

49歳

ボクはボクの勝手な歴史の中で、彼女のことを端折ってここに書いているけど、
彼女の家族や知り合いの喪失を肩代わりなどすることは出来るはずもなく、
ただ、彼女の家族の皆さんやお知り合いの皆さんと、もっと彼女の話をしたくてね、
いや、もうなんも知らないから、

どうやら彼女がボクの展覧会を考えてくれていたのと、
カモメの絵がご縁で知り合いになっていった美術館が一緒らしいってことで、
塩竈市立杉村惇美術館に100点以上の絵を送りつけ、
結果、
映像作品も含め90点の作品の人生最大展を8日間だけ開催した。

それは刻々と変化する塩竈の光とお会いする皆さんとの会話に溢れた、
とても美しい、
きっとボクがこれまでに創ってきたものの中で一番美しいものになったはず。

水間さわ子さんという「ひとり」に出会い、
ボクは震災後の混乱する気持ちのままカモメを見上げ、
その後を生きるための基準となるような絵を描き、
遅ればせながら塩竈に届けた。

すべてはこれからだ。

展覧会から明けて3月11日。
宮城県塩竈は雨。

この後雨脚はさらに強まり暴風雨化するとの予報に、
いくつかの予定をキャンセルし、東京に戻りました。

なにかあったらすぐ駆けつければいいね。
塩竈、心の距離はめちゃくちゃご近所になったしね。

2019
0311
PEACE!!

95ヶ月め

2019 年 2 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から2,894日
413週3日
7年11ヶ月
95回めの11日です。

2月4日から7日までの4日間、
福島県奥会津の昭和村に滞在し、
公民館に置かれた学童保育(放課後クラブ)を利用する子どもたちと
ワークショップセッションを行いました。


折り重なるように連なる山間の地で、
山手線の内側ほどの広さを有する昭和村。

日本を、というか世界を代表する豪雪地帯で、
1927年、 昭和2年 野尻村・大芦村が合併、昭和村として誕生。

山を縫うように走る街道沿って集落が点在し、
人口は1.220名ほど。

人口密度は1平方キロに5.9名

村立昭和小学校のに児童数は28名。

そのうち放課後クラブの利用は
1年生から4年生までの10名前後。

放課後クラブには、まずは低学年がやって来て、
その1時間後くらいにお兄ちゃんお姉ちゃんちゃんたちが参加。

みんなそれぞれの個性を発揮しながらも、
兄弟のような関係性で放課後の時間を過ごしている印象。

支援員さんには4名の登録があって、
そのうちお2人がメインに活動。
子どもたちの宿題を見たり遊びの相手をしたりと
日々奮闘されています。

ざくっと紹介するとこんな現場。

いつものワーークショップのように、
みんな揃ったところで「せーの」で始めることが難しいなと、

この場所をボクのイラストレーションの仕事のアトリエとして、
そこにやって来た子どもたちが、プロの画材を使って絵を描いたりして遊ぶ。

そんな設定で進めてみることを思いつきました。

昭和村の特産物には”からむし”があります。

伝統的な織物、越後上布や小千谷縮の原材料として使用されている麻科の植物。
その本州唯一の生産が行われているのが昭和村で、
近年まで村に唯一の現金収入をもたらすものでもありました。

その伝統や技術が、村の人口減などにより後継者確保が難しくなってきた平成6年、
村役場は村外から後継者を募集。

10か月間村に滞在し、からむし栽培から織りまでの一連の作業を体験する、
“からむし織姫”のプロジェクトとして現在も行われていて、
これまでに70数名の方が”織姫”として参加、
その3分の1がその後も村に暮らし、
ボクが向き合う子どもたちも織姫さんのお子さんが少なからず混じっています。

人口分布が高齢者に偏った、
今の日本を象徴するような自治体の姿をしているけれど、

そこには”ものづくり”を大切に考える人がいて、
“ものづくり”の志を持った人が移り住んでくる。

そんな環境の中で生まれ育った子どもたち。

日々自然から多くを学ぶだろうし、

昭和村だからこそ身に付くデザイン感覚なんてものもあるだろう。

廃校となった小学校の古い校舎を遺し維持する。

そんなオトナたちのモノに対する矜持も、
彼らがしなやかに強く育つための力になるだろう。

地域のお年寄りから孫のように思われ育ち、
家族や兄弟のような関係で遊ぶ子どもたち。

そんな子どもたちが面白くないはずが無い。

さて、ボクはここでなにをすればいいだろうね?

気がつけば、放課後クラブを利用する子どものほとんどは、
東日本大震災発生前後に生まれなんだ。

ここ数年、子どもとのワークショップを通して感じてきた変化。
大人への気遣いをする子どもたちが増えてきたこと。

それは昭和村にも当てはまるんだろうか?

その辺焦ることなく1人ひとりを向き合ってゆきしかないなと、
まずは1人ひとりの顔を描くところはから始めてみました。

なるほど、なるほど、
みんな面白い!

シャイにしている子に限って、
繊細だけど、とてもシンプルで力強い表現をしたり。

噂を聞きつけて未就学の子どもが乱入してきたのも楽しい!

そして、
昭和の子どもたちは手を動かしながら良くしゃべる、しゃべる!

子どもたちが絵を描くことは、そのまんまコミュニケーションなんだってこと、
色んな現場で語ってきたボクだけど、
ここの子どもたちが絵を描くことは、そのまま会話であり、
それがワイルドだけどとてもスムースに行われているのが素晴らしく、
そこには自然と1人ひとりの役割が派生し、それをお互い尊重し、
そんなみんなで描いて生まれる絵には、自然と強固な構図が構築されている。

ボクはここで子どもたちになにか与えるというより、
子どもたちの持っている力を楽しんじゃえばいい。
きっとそういうことなんだろう、昭和村。

4日間、色んなことを試してみて、
ここで今語れることは一部でしか無いのだけど、
そんなこんなの発表会は2月21日に昭和村で。

22日にもう一度彼らとセッションを行い、この企画は終了。

しかし、これからも彼らの成長にお付き合いしてみたいな。
彼らがその資質を失わずオトナになれる世界創りこそ、
「復興」だし、より好き東北だったりするはず。

なんだろ、
冬の間雪に閉ざされる過疎の土地が、
世界にグッと突き出た岬のように思えるんだよね。

その先端から見渡す世界の面白さ。

ちょっと気持ちがある限り、
手を伸ばせば捕まえられる場所にある世界。

人を金で換算するグローバルでは無く、
グローバルをローカルの集積であると考える人にとって、
世界の出発点は必ず昭和村のような場所であるんだと思った。

あの日から間も無く8年と言われる冬に、
ボクは実に自分らしい場所に立つことが出来たと思い、

ここに導いてくださったみなさんや、
お力添えをくださるみなさんに感謝。

全てが終わったら、あらためて詳細レポート作りますね〜

あ、滞在中ボクMお良い絵が2点描けましたよ〜

昭和村生まれの絵が羽田空港を飾る。
楽しみだな〜