‘ワークショップ’ カテゴリーのアーカイブ

108ヶ月め

2020 年 3 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から3,288日
469週5日
9年
108回目の11日です。

1年後には10年となりますが、
これからの1年は、10年を「節目」と呼ばない生き方をしなければならない、
そう考えています。

2011年3月11日、
前日に亡くなった坂上二郎さんを偲び、
コント55号のDVDを見ていた2時46分。

それから7年、2011年3月11日はたえず去年のことのように感じてきて、
しかし、一昨年の3月のこの時期に父を亡くしてからは、
その記憶が間に差し込まれた向こうに感じる3月11日となっています。

そして、2年前に亡くなった父に関することを、
今だに何もできていないということに驚き、

たとえば、
2013年3月11日に、震災で被災された方々がどんな心情であるのか想像している今。

やはり想像力には「節目」をつられないボクです。

3月11日の今日、
岩手日報で続けられている”いわてのテとテ“を今年も絵でお手伝いしました。

今年は、震災の夜にトラックのおじさんたちに助けられた子どもたちが、9年後に感謝の手紙をトラックのおじさんたちに届けた物語。
リンク先、ぜひチェックしてみてください。
>> https://www.iwate-np.co.jp/content/…/newspaper/2……00311.html

ここにも「節目」など感じることのできぬ、
人と人の繋がりが生きています。
生かされています。


先日は福島県奥会津の昭和村で本年度の子どもワークショップ、
“アトリエしょうわのこども”のセッション2を行いました。

現在の人口が1200名ほどの昭和村で、
過疎による人口減と伝承技術消滅の危機に対して発案された、
からむし織の継承者を育てる”からむし織姫体験制度“が始まったのが1994年。

それから26年後の昭和村、
それまでの経過を知らぬボクですが、
「昭和村ならでは」を感じた今回です。

ボクが向き合った子供達は、今回は0歳から小学5年生まで。

こうしたワークショップは日本中で開催してきましたが、
未就学の子どもたちはどこでも変わらず子どもらしく、
しかし小学生に上がるくらいから地域やコミュニティーによる特徴が見えてくる傾向にあります。

昭和の子供たちは小学校に上がっても良い意味で子供っぽくあるのですが、
他の土地の子どもたちが良く使う「ふつう」という言葉を使わないなと。

子どもたちとなにかクリエイティブなことをやろうとする時
「ふつうそんなのやらないよ」なんて言われるのがなかなか辛い、、

「普通かあ〜」「じゃあ普通って?」そんな会話からクリエイティブを振り出しに戻すことがしばしば。

もしくは、きつい天然パーマのボクの頭が「ふつうじゃない!」みたく盛り上がっちゃったりね。

で、昭和の子どもたちもボクの頭をいじってくるのだけど、
それがほんとに面白がっているのが伝わってきて、ちっとも嫌な気がしないんだよね。

そういえば、村の中を歩いていてお年寄りとすれ違ったとして、
みなさんスッと通り過ぎてくれる。

ボクなんか地方の小さな村や町を歩いていると、
そのまま不審者で通報されてしまうんじゃないかって存在感なはずです。

でも昭和のお年寄りはボクの存在を「当たり前」として見てくれるのか、
その視線に「好奇」や「疑い」を感じることなく、
軽く会釈しスッとすれ違ってくれるのが、気持ち良い。

「普通」を使わぬ子どもたち
「当たり前」を生きるお年寄り

それは、昭和村が外の人を受け入れることで生きる道を選んだからじゃないかな〜〜?
どうだろう。

1st.セッションで子どもたちがお年寄りから料理を教えてもらい、
絵を描くワークショップをやったけど、
その時のお年寄りのみなさんの教え方の上手さ!優しさ。。

これはものすごい財産なんじゃないだろうか。

公民館に貼ってあった昭和村小学校全校27名の新年の書き初め、
その字の確かさに、習字を指導された方の愛と情熱を感じるんだよな〜。

今回のセッションでは、リラックマを描きたくて仕方ない3年生女子がいて、
もちろんここは学校のカリキュラムを行う場所じゃないので、とことん描いてもらうわけで。

で、仕上がった絵を見てみると、
たしかにリラックマなんだけど、線が気持ち良い!
ちょっとしたデザインのセンスを感じたりするくらい線が確か。

で、みんなで村の”からむし博物館”や”工芸館”を見に行って、
印象に残った絵を描いてもらったら、
やっぱリラックマちゃんのデザインセンスが素晴らしくて、
コラボ作品を作ってしましました。

これには村のオトナさんたちも「おお〜!」

もちろん彼女だけでなく、
クリエイティビティぶっ放す子どもたちばかり!

「子どもたちに自由やらせる」とか「自主性に任せる」じゃなくて、
「子どもたちが自ら見つける自由を守り、自主性を生かすコミュニケートを重ねる」
そんなことを意識してやったことだけど、

子どもたちから気づかされることはとても大きく、
それはそのまま、この村の魅力、大人たちが積み重ねてきたことが、
なにか魅力的な目に見えるものとして現れたというセッションではなかったかと。

こうしたことは9年後の被災地で、
コンクリートの復興と並行させた心の復興に生かせることではないかと思いつつ、

いやいや、コロナの閉塞感に包まれた今、あらゆる現場で必要とされることでもあるはずと。

2020の先で10年があろうと、
これからも人の必要に答えることをやってゆこうと思うのであります。

それにしても、奥会津の山間の美しい村、昭和村との心の距離はもはやお隣さん。

その昭和村で育まれた発想は、ひとつドアを開けたら世界につながっているように思うのだ。

そしてそこで育った子どもたち、
楽しみだ〜〜!

107ヶ月め

2020 年 2 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から3,260日
465週5日
8年11ヶ月
107回目の11日です。

去年に続き福島県奥会津の昭和村に滞在し子どもたちと絵を描くアトリエを、
今年は「アトリエしょうわのこども」と名付け開設しました。

2月4日から9日までの6日間をセッション1とし、
ここまでの作品の一部はアトリエとして利用した昭和村公民会で展示。
2月27日から29日の期間では、発表会も含めたセッション2を開催します。

震災後の東北をアートの力で元気にしてゆこうと試み”福島藝術化計画 × ART SUPPORT TOHOKU – TOKYO“の一環として、
3年前にお声かけいただき、今年で3度めとなる子どもたちとのセッション。
同じ場所で同じ子どもたちと、お互い1歳づつ年を重ねた再会は豊かな発見の現場となりました。

いつもは学童保育の現場として使われている公民館の一室を、
ボクが絵を描くアトリエとして使い、
そこに学校を終えた子どもたちがやってきて、宿題をしたり遊んだり絵を描いたり。
そんなコンセプトは去年と同じ。

昨年以上に考えたこと。

・子どもたちがいられる場所であること。
・子どもに「子どもらしさ」を先回りして求めない。
・子どもに「自由」を与えるのではなく、子どもが「自由である方」に向かってゆける現場であること。
・自分の知らない昭和村のことは子どもに教えてもらう。
・アートや藝術を教えない。(求められたら技術は伝える)

今回あらたにお願いされたこと。

・未就学の子どもたちと遊んでください。

・”からむし博物館”を利用したワークショップを考えてください。

今回ボクから提案したこと。

・昭和村の伝統的な食べ物を作って食べて描いてみたい。

以上、
これらは達成目標じゃなくて、
『この道を子どもたちと歩いっていったら何に出会うかな?』みたいなもの。

「こっちに行ってみよう」と呼びかけるけど、
その先を決めるのは子どもたち。

オトナのボクは子どもが見つけたものを一緒になって驚いたり楽しんだり。

ただ、子どもが危険に直面したり不条理な暴力が発生したら、
オトナの責任を発動させる。

そんな感じ。

で、
裏テーマ。

・子どもたちによる昭和村のブランディング

子どもたちが描いたものから『直感的に昭和村の楽しさに触れるもの』作れたら、
面白いよね〜〜!

というワルダクミ。

もちろん、望む通りのものばかり生まれるはずもなく、
脱線と失敗の連続。

が、その脱線と失敗がオトナの思惑を遥かに超えた豊かなコミュニケーションを生むのだから、
面白くて仕方ないのだ。

その昔、山に囲まれた日本有数の豪雪地帯ゆえ、
冬の間は自給自足が常とされた昭和村。

1950年代の5000名弱の人口をピークに、60年代の高度経済成長期から今に至るまで、
ゾッとするほどの加速度の人口減を経験した、現在人口1200名の自治体の昭和村。
(今回村の人口推移の年表を見て、毎年100名、200名と人口が減った過去を知り
 「おお、、」などと実際に声を上げてゾッとした俺っす)

過疎化と住民の高齢化に対し、危機感を持って生まれた新たなる産業としてのかすみ草栽培。

そして、
伝統農法であり伝統技術でもある”からむし”の生産を継承し、村を外部からのマンパワーで活性化させる、
村に一定期間滞在しからむし織の技術習得が行える“織姫体験生制度”

村の未来を創造するべく、オトナは確かな尽力を重ねてきた。

それを受け継ぐ子どもたちは、そうしたことにどんな名前を与え、
どんな色彩を与え、そんな形へとブラッシュアップさせてゆくのか、

もしかしたらボクなんかよりずっと多くの新鮮な情報に触れているかもしれない子どもたち、
その子たちの一瞬一瞬で見せる表現は、やはり新鮮で、ワイルドで、美しくしい。

その一瞬一瞬ていうものこそ、言葉にして伝えてゆくべきことなんだけど、
それはセッション2が終わったっら、今回生まれたもののその後の姿などとともに、
丁寧にまとめてゆけたらいいなと考えています。

ただ、セッション1を終えて確かな手応えとして感じていること、
去年と比べて、子どもたちも、それを見守るオトナたちも、
コミュニケーションのあり方が豊かなになってるなあ〜

それは2度めによる「慣れ」もあるだろうけど、
でも、去年子どもたちと一緒にやれたことが、
絵を描く際の子どもたちの会話の中に確かに生きているのが感じられる。

てか、絵を描くことがもはや会話のようであることが、
ほんと素晴らしいぞ!しょうわっ子2020。

震災があって意識してやってきたことが、
目の前でよくわかる形として見えたこと。

2年連続のチャンスをいただけた昭和村やプロジェクト関係各位に感謝。

人口1200名の村が日本のトップランナーの躍り出る可能性、
あるぞーー!!

では昭和村、「アトリエしょうわのこども」セッション2で〜

105ヶ月め

2019 年 12 月 11 日 水曜日

今日は2011年3月11日から3,197日
456週と5日
8年9ヶ月
105回目の11日です。

10月31日未明に起きた首里城の火災は、
この場所を愛するボクにとって受け入れがたい出来事でした。

自分に出来ることは絵を描くことだろうと、
40号Mのボードに心象風景としての首里城を描きました。

こちらの絵はA2サイズくらいに印刷出来るデーターになっています。

今後チャリティーなどお考えの方でこの絵を使うアイデアのある方は、
無償で提供いたしますのでご連絡ください。

11月23日は、渋谷区代々木の”はるのおがわプレーパーク”で絵の具遊び。

9月30日に福島県福島市の清明小学校1年生と絵を描いたセッションの、
渋谷区へのおすそ分け企画。

福島からママさんに連れられやって来た3組の子どもたちと、
代々木の子どもたちとワイルドなセッションです。

代々木と福島の子どもたち、それぞれ経験も突破力ある子たちです。
その中でも特にコミュニケーション能力高い子がコアとなり、
オトナの思惑など蹴散らし破壊に破壊を重ねたクリエイティブな時間。

氷雨降りそぼる初冬の公園の水溜りに飛びこみ奇声を上げる子どもたちを見ながら、
母たちは代々木と福島の子どもたちの遊び場についてオープンに語り合う。

「フクシマ」というワードに言葉が出なくなってしまうオトナは今もいます。

ボクはそれを否定するつもりは無く、
ただ、子どもたちが元気に自分を発揮している姿に触れることで、
解凍さる言葉というものはあるなあと。

この日も福島県に対しての思い込みがいくつか解凍され、
「ではなにが必要なのか」という前向きな会話が交わされていましたよ〜

それにしても、
泥遊び用の着替えがゴソッとストックされている”はるのおがわプレーパーク”の底力!

代々木と福島とで経験のシェア。
このセッション、次はまた福島で開催されるかもね〜

そんなわけで、5メートルの壁画一気に完成!

福島チームは代々木八幡の銭湯にGO!!でありました。

ところでこの絵の具遊びは、
渋谷区が推進する”アロー プロジェクト”に紐つけしてありました。
http://shibuya-arrow.jp

渋谷駅周辺での発災時に、渋谷来訪者を一時退避場所である
青山学院大学と代々木公園にアートの矢印で導くプロジェクト。

リンク見てもらえたら分かるように、
イケてるアーティストが感性と筆を振り切るローカル最先端な発想。

が!こんなんこそ子どもたちとやったら楽しいだろうし、
前例をひとつ作っておけば、被災地なんて呼ばれているエリアに落としこむことも出来るだろうと、
区役所ご担当者に相談し、プロジェクトの名前をお借りし代々木にドロップ。

子どもたちが塗り込んだ絵には、
実は事前に矢印が描かれていて、

マスキングテープを剥がしてみると〜〜〜、

子どもたちのワイルドとのコントラストも眩しく一時避難所を指し示す矢印登場!
スタッフ一同「おおおーー!」な仕上がりと相成りました。

作画完成時、土砂降りの中わざわざ区長の長谷部さんも駆けつけてくれるも、
「矢印描いてないじゃん!!」などと、、
いやいや、まあ見ておいてくれと「USA」をダンスしながら代々木公園の方を指差しときましたが、
はい、やることやっていますよ〜!


福島と代々木の子どもたちとの「アロープロジェクトやってみた壁画」は、
来年1月いっぱいくらいまで”はるのおがわプレーパーク”物置小屋壁面にて、
西参道を行き交う人々に緊急時の避難所を指し示しつつ、
街にワイルド&セクシーに寄り添ってまいります。

本年度最重要案件、
宮城県の唐桑半島にある家族経営のお店”プランタン”様のロゴを制作。

この度無事に店舗に看板として設営したとの連絡を頂きました。

津波で流された店を、古民家再利用で店舗名も営業内容も改め再建したのが5年前。
ボクは友人の導きでこの店と出会い、ワークショップなど開催。

ご一家の地域に向けた愛ある眼差しとそれに伴う身の丈いっぱいに頑張る営業の姿に感激。
すぐにこの店のファンになりました。

「カラクワのプランタン」なんて聞いて、何かオシャレなものに出会うのか?なんて思うも、
行ってみれば人んちの居間。

「茶処」を謳う店内はどこまでも手作り。
が、トイレに美しく設けられたオムツ替えのスペースに、このご一家のなんたるかを見た。

なにより、提供される食いもんがうめーのよ。
カフェメシなんつー虚弱なものじゃねえ「ザ・食いもん」認定。

今回5年のタイミングで地域商工会などの助言と助成を受けてロゴの刷新や看板作りに着手。

あらためてご一家にとってこの店はどんなものなのか、
店名の再考なんてところから店を一軒立ち上げるくらいの会話や、
現状ご家族で行える接客のオペレーションの確認や、
未来のご一家のあり方も想像したコミュニケーションを重ねこんなロゴを制作。

が、なにか足りないなあなんて悩んでいたところ、海老茶色のご指定を頂きPC上で色変換。

ふわっと浮かぶご家族の顔!
お互いいい仕事したなあ〜!です。

今回のデザインには地域の「cafe縛り」なんてレギュレーションもあったのですが、
逆に『唐桑が今後必要とするデザインをこの店から発信』なんてことも込めています。

送って頂いた看板の写真を見て思うのは、ボクの考える「復興」という言葉の意味。

被災があり悲しいことも辛いこともあったけれど、どうにか生きる最低限の状況が整った後、
そこから未来を生きるためのアイデンティティを手に出来たパーソナルな心情。

国や県、大企業の描く復興からしたら些末なものでしかないだろうけど、
そこには人ひとりが生きてゆく意味が込められているし、
これは必要とする人にたやすくシェア出来ることでもある。

あの日から9年を前に掲げられた看板が、
地域再生の灯台の灯りのように見えたらいいな。

プランタンは春を意味するフランス語。
ここからまた新たなスタートだね〜
これからもよろしくねー!

プランタン
〒988-0534 宮城県気仙沼市唐桑町宿浦409-2
0226-25-8077
FBページ> https://www.facebook.com/prin.non/

104ヶ月め

2019 年 11 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から3,167日
452週3日
8年8ヶ月
104回目の11日です。

10月19日から22日までの期間で、
宮城県塩釜市、福島県喜多方市、群馬県富岡市と巡るご縁がありました。

それぞれの市の人口は今年の秋の時点で、

宮城県塩釜市
54,064人

福島県喜多方市
46,592人

群馬県富岡市
48,349人

5万人前後で似た規模の自治体、
被災地と呼ばれたり、台風被害が受けたばかりのエリアも含む自治体ですが、
それぞれの今にそれぞれの元気な姿がありました。

10月19日は塩釜市の杉村惇美術館で開催されたチルドレンズ・アート・ミュージアムで、
子どもたちと(一部オトナも)お面を作るワークショップセッションを開催。
チルミュ詳細> http://sugimurajun.shiomo.jp/archives/4335

チルドレンズ・アート・ミュージアムは、もともと岡山県倉敷の大原美術館で行われたものを参考にし、
倉敷と塩釜で人的な交流も重ね、今年で2回目の開催となるイベント。

地域に生まれた美術館を、どれだけ地域のものにしてゆくのか?

コンクリートの箱を造って、しかし地域のニーズに応えられぬでいる美術館などが見られ日本で、
しばらく使われずにいた公民館だった歴史的な建物を、リノベーションし美術館に変えた杉村惇美術館。

もともとの志がこれまでと違うスタートで生まれたはずで、
美術館に紐つく人たちがオープンで、塩梅の良い緩さもあって、
本来アートってこんな感じだよなと、
自分の表現の原点を確認出来るような場所でもあるように感じています。

そんな場所があること、
そこに美意識とコミュニケーション能力を持つ人が1人、2人と関わることで、
発信される言語も窓口となるデザインもより平易な表情になり、
美術館は、さらには地域は、こんだけ楽しそうな表情を見せるんだなあ〜と、
感激の現場、思いっきりハードワークしてまいりました。

打ち上げでは、日本の各地からやってきた、
アートに関わる人や子どもに関わる人たちと交流。
では自分は絵で何が出来るだろうか?
とても明快に考えることが出来たはずです。

明けて20日は会津の喜多方へ。
秋の東北の風景や台風被害の様子が見えたらと、
仙台からバスで会津若松まで移動してみました。

東北の秋はただただ美しく、
200kmほどの移動の間、目に見える台風被害の爪痕には出会わず、
しかし、こうしてのほほんと風景を楽しんでいる今も
困難な状況に置かれている人がいることへの想像がバスと並走していました。

日常の足元から視線を上げ美しきもの見る。
その美しさはその先に美しさにつながり、被災のヘリに至ります。

台風被害の実像は、顔を合わせてお話しする方の実体験だったり、
どなたかお知り合いが苦しい立場にあることが語られることで浮かび上がり、
ボクのようなものでも、当事者としての足場を得るように感じました。

美しきものと悲劇が隣り合わせにしてあること。
そのどちらにも視線を送り想像を働かせ続け、美しき人に出会うことは、
いつかなにかの時に人を助ける力へと育ってゆくことを、
2011年3月11日から今に至る時の中で経験し実感しているボクです。

喜多方では、喜多方市美術館で開催の、ボクの絵と生き方の師匠、長沢節先生の展覧会が開かれ、
美術館の企画としてボクのワークショップを開催しました。

喜多方はとても美しい町です。

会津に「北方」に在る喜多方ですが、
江戸から近代へと続く時代の中、会津と新潟を結ぶ交易の拠点として栄え
戦後の高津経済成長期を超えた先で、
ある意味ひっそりとその美しさを維持してきたような印象を受けます。

たとえば、街路に植えらた花が、華美に陥ることなく当たり前に佇んでいるような姿であること。
こうしたセンスって簡単に手に入れられることじゃ無いなと思うのです。

たとえば、ワークショップ終了後に見上げた空の深く複雑な色合いの美しさ。
こうしたものに日常から包まれ生きてこれたらからこそ育まれる美意識ってあるなあ。

だから、ワークショップに参加された方々の醸す色も複雑に深く美しかったです。

普段絵を描いていないなんて人が多かったけど、ほんとかな?

これなんか小学生の描いた絵だよ。。

今回のワークショップを企画してくださった学芸員さんは、
ボクが塩釜で開催した展覧会やワークショップも見にきてくださり、
とても丁寧なコミュニケーションのもと、この日を創ってくださいました。

うかがえば塩釜がご実家とのこと。

とても落ち着いた美しさを宿す喜多方市の美術館で、
市民のニーズに応え美術館という装置を生かすアイデアを創造してゆくことは、
美しくも人口減少などの社会問題を抱えている中、
社会にいかに持続可能な「生きる喜び」を創造するかというと重なるはずだと思います。

塩釜では、社会の中でなにか楽しいことを創造しようとする際のモチベーションが、
8年8ヶ月経った今も震災で社会が壊れかけた(壊れた?)ことへの危機感によって、
束ねられているように感じています。

この熱量の一部が喜多方で生かされるイメージを、
1人の学芸員さんとのコミュニケーションから得たセッションでもありました。

などと呑気なことを考えていると、
帰り道の郡山で台風被害の傷跡を目にし、自然というもの不条理を実感し、
旅先で出会う人たちが、これからも心穏やかに生きてゆけたらいいなと、
ただただ願うのでした。

そして群馬の富岡へ。

台風被害の片鱗に触れながらも、
やはり美しく長閑な風景の連なった先で友人の結婚式。

世界遺産富岡製糸所を有する街の市役所は、隈研吾氏のザインで建てられていて、
周辺の景観と共にとても気持ちの良い空間が生まれていました。

友人は群馬のアパレルのコミュニティの真ん中あたりにいて、
そこに音楽やアート、スポーツなのでコミュニティが緩やかに重なり合って、
なんだかオシャレでオープンな人の輪を形成しています。

オシャレにオープンに整備された富岡の街を、
今回は手作の結婚式という形で利用した彼ら。

オシャレにオープンに整備された富岡市も、
実は財政的に苦戦していることも伺った今回。

こうしたフレッシュな試みがさらに持続的に行われ、
富岡ならではの幸せの形を創ってゆけたらいいのだろうなと思う中、
同規模の街、塩釜でやれていること、そこに関わる人のあり方など、
愛しき群馬の人たちとシェアすることで、これからの活動が確かなものになるんじゃないか?
なんて思ったのです。

富岡に至る風景は、台風の傷跡も目に入るも美しく豊かで、
思いがけぬ変化を見せ連なる山の稜線は、目に新鮮な喜びを与えてくれました。

それはこの土地に暮らす人にとっては当たり前のものかもしれませんが、
やはり特別なことなことなんだと、東北を巡った後だからこと強く感じたかもしれません。

群馬の友人たちが同規模の人口を有する塩釜や喜多方を知る事で、
あらためて富岡を知ることにならないかなあ〜。

喜びや幸せのベクトルがグローバルな方向に束ねられてゆくようなイメージでいる今という時代。

本来は1人ひとりあっちこっちの方に向かっていいものなんだろうけど、
人と違うことを恐れる風潮や、そもそもの手っ取り早さとかで、
本当に願っている方か分からぬまま足を向けてしまっていることはあるなと。

そうした1人ひとりの漠然とした恐れみたいなものを、
生活が営まれているローカルコミュニティの中で醸造された美意識でもって、
1人ひとりの矢印はあっちこっちに向いたまま優しく束ね、
持続可能な幸せの形を形成出来る方に導くようなことやれたらいいな。

たとえば、絵やイラストレーションはなにが出来るだろうか?なんて考えた
宮城-福島-群馬の時でした。

いや、しかしいい結婚式だったなあ〜
感動した!
そして、楽しいことは愛に溢れ狂おしいほど馬鹿げたものがいい。

おめでと!エバちゃん。

ところで、
美しい本が届きました。
熊本の街の路地裏で、弱くも美しき人々の交差する本屋。
ボクにとっては、ビールの小瓶がどこよりも美味しく飲めるカウンターのあるカフェ。

橙書店のツッパリ店主 田尻久子さんが綴る、
橙書店の日々をオレンジ色に彩る人々の33篇の風景。

生きることに閉塞感を感じる時代にあって、
デカイ花火を上げるでなく、弱き人に視線を送り続け、ただ愛すこと。

こんな時代に自分が愛する本だけ売る本屋。
そこには並並ならぬ苦労と、ある意味の狂気さえあるでしょう。

が、こんな場所があるから生きてゆける人ばかり。

被災地と呼ばれる場所をめぐる中、
よく「熊本には橙書店てのがあるんですよ〜」なんて語ってきたボク。

「復興」という言葉の中には、
「こんな店と出会えるようになった」という物語があるはずと考えています。

よかったらぜひ手に取り、ページをめくっていただけたらと。

田尻久子さんにしか出来ないこともあるだろうけど、
それは「私にしか出来ないこと」と薄い壁ひとつ隔てたものだと思うんよね。

なんてことを思いながらページをめくると、なるほど、ボクのことも書かれています。

俺のなんたるかもザクっと掘り起こしやがって、、
晶文社より1650円でホロリリリース。
久子、ラブだぜ〜〜〜

101ヶ月め

2019 年 8 月 11 日 日曜日


今日は2011年3月11日から3,075日
439週2日
8年5ヶ月
101回目の11日です。

7月19日20日と岩手県の岩手町で子どもたちと大きな絵を描いてきました。

人口12,000人ほどの町をいかに維持し盛り上げてゆくのか?

地域おこし協力隊で町の運営に関わっているグループからのお声掛けで、
3月に町を歩いてみて、まずは子どもたちの元気を町の方々に伝え、
そこから町を健全に育ててゆくための会話を持ったらどうかと提案し、
実現にいたりました。


ワークショップの現場は、町内に3つある小学校のうち、
一番児童数の多い沼宮内(ぬまくない)小学校の子どもたちが利用する学童保育の施設。

図書館や子どもたちが伸び伸びと遊べそうなホールも併設された立派な施設。
自然豊かな土地にあって、この環境は素晴らしいなあ〜。

岩手町の子どもたち、とても元気でいい子です。

「いい子」と言っても、オトナの言うことに従順ってことじゃなくて、
元気だけど優しく、ちょっとしたことに気づき人を尊重する力があるって感じかな。

いやいや、絵を描く局面局面、もうめちゃくちゃですよ、、
しかし、やはりどこかに優しさが通底している。

他の土地で出会うことのあるピリピリしたものは無く、
大らかに優しく元気。

地域はこの子たちをこのまま無事に育ててゆくことが、
この町を豊かにしてゆくことの一番の力になるんだと思いました。

ここで生まれた作品は、
新幹線の”いわて沼宮内駅”の構内にお盆の期間まで展示してもらっています。

こうしたものは基本「何が描かれているかわかんねえな〜」と言われるものと考えています。

ただ、そうして通り過ぎる人の中のひとりでもいいから、
「岩手町の子どもたち、すごいな!」と気づいてくれる人が現れ、
町や子どもたちの未来に力を貸してくれたらいいんだと思います。

地域振興は、公共事業投入や「中央」からやってきたコンサルタントの力技などで進められてきた部分があり、
しかしボクたちが目指すのは、もっと気の長い、持続可能で豊かな社会を創ることだよね。

一気に変化を求めるで無く、じっくりと聞く耳を持ったコミュニケーションのもと、
たとえば接するオトナが「そういえば俺もあんなだったなあ〜」なんて、
子どもたちが絵を描く姿に触れ、自身の生まれ育った土地での歴史を振り返る、
そこに掛け替えの無いものを再発見する。

そんなことだと思うんだよね。

で、それはまだ震災の爪痕が残る場所でやれるイメージは、ボクの中には無くて、
しかし、岩手町なら出来る。

人口12,000人に自治体が、街づくり人づくりといった部分で、
突然日本のトップランナーに躍り出る可能性はある。


町で始まった美術館のあるエリアの新たな楽しみ方の発見など、
今後ボクも緩やかに関わってゆくことがありそうな岩手町。

豊かな自然の景観。

北上川の源流を有し、
坂上田村麻呂の名前の刻まれる歴史。

たとえば「沼宮内」(ぬまくない)なんて言葉のアイヌ由来のロマンチシズム。

群馬生まれのボクが「懐かしい〜」と声に出した、
人の心が確かに込められた田園の美しき景観。

2015年を最後に廃校になった小学校の美しさ!

東北太平洋沿岸部が、震災後その姿を大きく変えている中、
岩手町が今の日本の中で担う役割、確かにあるなあ〜。

2時間に1本だけど、東京と直通の新幹線走っているしね。

ここまで町を育ててこられた先人の意思や知恵を尊重しつつ、
さてここでどんな未来を創造したら良いのか、
楽しみだな〜

願わくば自分の描くものもお役に立てるよう、
しっかり準備すると共に、さらに見る目や聞く耳を育てておきますね!
岩手町。

この1ヶ月は子どもと交わることが多かったです。

ダンボールの写真は東京の天王洲でのワークショップ。

新しすぎる街で過去に何度か繰り返して来て今回、
やっとこの街で暮らす人との距離が縮まったイメージ。

こちらは毎年恒例になってきた湘南T-SITEのLIFEsonの夏祭り。

今年は昨年に続き提灯作りと、あらたに花笠作り。

盆踊りチームが来てくれるってことで、より和なテイストを提案してみました。

オシャレでスタートした店も、
「和」だしヤンキーテイストでさえある。

こういうのいいなあ〜と思っていると、
参加者が「毎年これで正月迎えるようなもの」
「もはや私たちにとってFUJI ROCKです」って、
泣かせてくれちゃうね〜

やはり新しすぎる街で、ちょっと故郷が見えてきたかな?

これはカミさん案件。
彼女が施設長をしている保育園の運動会での”エビカニクス”の応援用グッズを息子と制作。

手作り楽しいですよ〜

そして、

昨年に続き、ボクの暮らす地域の子どもたち39名を連れて、
山登りサマーキャンプのお手伝い。

渋谷区運営の上原地区活動委員会の事業のひとつ。

ざくっと言えば、地域のおっちゃんおばちゃんが見守りボランティア活動の一環で、
子どもたちと遊ぶ時間を持つってこと。

ボクはこの土地に20年ちょい暮らすも、まだまだよそ者。
ただ息子にはここを故郷にしてあげられたらいいな。
そう考えると、息子と触れる友だちたちもここが故郷でなくっちゃ。
てこは、センスの合うわかり合った者同士でつるんでいるだけじゃダメで、
ちゃんと地域のことにコミットしなくちゃって考えで、
2200メートルの山の頂上に立ったわけです。

で、先輩たちがやってきたことは、ボクが真似できるようなことでは無く、
でも自分が出来ることは子どもたちへ。

キャンプファイヤーの点火劇ための衣装とか、
山登りキャンプの合間に作っちゃうとか、やっぱワイルドで楽しいです。

そして、子どもたちが「わーっ!」と楽しむ姿があれば、
オトナも動かざるを得ない。

恥ずかしいとか言わず”火の神”に成りきり、
本気の演技で子どもたちの喝采を受けていた会長、
かっこいいです。

うん、ほんと今「かっこいい」てことの意味が更新されている時代だと思う。

そして、
地区活動委員会のご縁で隣のエリアでも子どもワークショップ。

子どもたちが爆発的に表現し、ママさんたちの心が解放され、
地域にオープンな会話の風がビュービューと吹くよう、関わる皆さん全力です。

何かに反対することから導く平和もあれば、
子どもたちの表現を全肯定することから導く平和なんてものもあるだろうと考えた8月6日。

こいつらの頭の上で破裂さえて良いものなど何もないぞ!!

子どもたちの喜ぶ声が響けば、
オトナが動く。

こういうことに反感を持つ人もいるのが、
残念ながら今の日本という社会なんだろう。

しかし、
本当に苦しい立場に置かれた人を救う道には、
子どもたちの喜びの声が響いているべきだと思うのだ。

震災以降の東北を歩いていたら、
いつのまにか自分の暮らす街の子どもたちと遊んでいる自分がいて、
その足元から視線を上げると、やはり東北までの道が見える。