‘ワークショップ’ カテゴリーのアーカイブ

114ヶ月め

2020 年 9 月 10 日 木曜日


今日は2011年3月11日から3,472日、
496週
9年6ヶ月
114回目の11日です。

熊本県で7月4日の発生した豪雨被害。
その被災地3カ所の保育園の子どもたちと絵を描いてもらいたいとの要請を受け、PCR検査陰性を確認直後、熊本に飛びました。

日本の沢山の自治体を繋ぐ”応援村“の『77億人えがおプロジェクト』の要請で、
くまモン夢学校“企画として開催のワークショップ。


小山薫堂さんが企画を牽引する中、松任谷正隆さんとのディスカッションの中で生まれた『77億人えがおプロジェクト』は、コロナ禍の中人と人の関係が希薄になりが世界を、こどもたちが描く笑顔の絵で元気にしてゆこう!という発想のもと動き出しました。


すでに2,000点ほど集まっている「笑顔の絵」は、ユーミンの名曲「守ってあげたい」に載せ、ミュージックビデオとしてNHKで放送される作品になる予定です。

が、
こんなタイミングで行って良いのか?
豪雨被害から2カ月弱のタイミングで迷惑ではないか?
もしくは、いただいたテーマ「笑顔」が子どもたちにとって先回りし過ぎではないか?
中には笑顔どころじゃない子どももいるんじゃないか?
そんなエクスキューズが頭を駆け巡ります。

東日本大震災以降絵を描くことを通して接してきた子どもたちから学んだことは、子どもたちの今をただただ抱きしめてあげる。

そんなだったので、
今回も「なにが生まれるかわからないけどいいですか?」との考えをご理解を頂いた上でのセッションとなりました。

現場では自分から自身の体調チェクをしてもらうようお願いし、感染予防を徹底。(「もうしわけないですが、体温計らせてください」のようなお心遣いの言葉をかけてもらうことが多いので、まずは自分から。)


そうした原則を足場に子どもたちと向き合ってみたら、
「今来ることが出来て良かった」と思えるセッションとなりました。

3日間で巡った球磨村、人吉市、芦北町の保育園。

それぞれのエリアの豪雨被害の惨状は、
たとえば福島県いわき市豊間で見た風景、
たとえば、岩手県宮古市鋤ケ崎で見た風景、
もしくは、熊本県益城町で見た風景と重なる
「壊滅」という言葉しか浮かばない風景でした。


ここで生まれ、豊かな自然環境の元 4年、5年と元気に育ち、
しかし、7月4日の夜に恐怖の夜を経験したした子どもたち。

保育園の先生方がしっかり向き合い、守ってきたんだろうね、
俺のような外部の異物が乱入しても、まずはしっかり向き合ってくれ、
笑顔も投げてくれ、
じゃあ絵を描くよ!となれば、グイグイの前に進んで行く。


が、アウトプットされる絵には、洪水の恐怖が絵具と混ぜこぜになって表現されているのも感じる。

が、オープンなコミュニケーション重ね続け、彼らが動かす手の勢いを加速させてゆくと、そうした「なにか恐ろしきもの」が「なにか美しきもの」へと昇華させちゃうのが、本来子どもが持ち合わせる力なんだろう。



笑顔を描くというお題を超えた、黒く塗り込められたりA4の紙の美しさ!


別の現場では、絵の具で黒く塗った手を紙に叩きつけるようにして塗っていた男の子がいて、でも「やりたいことはとことんやったらいいね!」見守り、その勢いのある表現に美しさも見つけられて、
でも一応先生に「彼はなにかあった?」と聞いてみると、
洪水の夜にものすごい恐怖の体験をした子なんだって。


が、絵を描き終えてしまえば笑顔爆発させた元気でいい子に戻っている。



しかしBOY、君はいつもいい子でいる必要は無く、
憤る気持ちがどうにもならなければ、また絵の中で暴れれば良いよ。

紙を叩く手が人に向かってはつまらない。
しかし、紙に向かえばそれが君のアート。


そして、こんなワイルドなセッションを経験した保育園の先生たちは、
これからも君のアートに付き合ってくれるはずだぜ!



笑顔も恐怖もどちらも子どもたちの表現。
そのどちらも否定するすることなく、受け止めることの大切さ。

何より、描いた笑顔の絵以上に、心と体を振り切って描いた子どもたち1人ひとりの笑顔こそが、本来オトナたちが子どもたちと作って行くべきものなのだろう。


子どもたちの描く笑顔に癒されている場合では無く、子どもたちが笑顔でいられるよう目の前にあるやるべきことやってゆかねば。



しかし保育園の先生たちの愛に溢れた尽力を目の当たりに、俺もまだまだやらなー!と思えた熊本子どもセッション。

芦北の保育園では、1階の広い保育室が被災して使えず、しかし復興に尽力する親御さん達を助けているという避けられぬ理由もあり、2階のスペースをフルに活用し保育を行っていました。



園長先生に発災時から今まで、そしてこれからも続くであろう苦労話しをうかがい。その全てが子どもたちを守るということに向かっていることを知り、ただただ胸を締め付けられるばかり。
東京で(東日本の現場なども知りながらも)ぼんやりとしてしか感じられなかった被災は、ひとりの話をうかがうだけでその輪郭を確かにし、想像を超えた実像を心に叩き込んできます。


しかしメディアはどうしても「大規模な絵」を求めてしまうわけで、
そうしたことを批判する以前に、静かな心でひとりの言葉に触れるようなことをしてゆかねばと、あらためて痛感。

子どもたちに笑顔を描いてもらうというファンタジーのような企画だっけど、
ボクは笑えぬ子どもたちもいるであろうことを想像し、彼らのリアルにだけフォーカスしコミュニケートした。
そうして見えたものこそ、未来笑顔を創る力になるはず。

現場を繋ぎ構築してくださった皆々様、ありがとう。

どこの現場でも、車で現場を去るボクたちに手を振り続けてくれた人たち。
また会いに行き、ありがとうを伝えます。

その前に、お世話になった球磨村、人吉市、芦北町、そして津奈木町へラブレター

使い道あったら使ってみてください。

人吉ではボランティアセンターとなっているホテルに寄って、色々お話を聞けたのだけど、コロナで外部からボランティアの受け入れが出来ない中、県内の学生のネットーワークを構築して、かなり素早いボランティア組織を形成した実行力に関心。
ほんと、誰かにお伺いを立てるなんてこと以前に、目の前の困難は誰かが排除しなくちゃって、これはリアルに命の問題。

で、やはりこういう現場に駆けつける人たちは、なんつーか人として色気があるんだよね〜。


そんな現場で気仙沼で会ったお兄さんと再会。
だよな、俺たちはこういう場所で再会する仲間なんだよなと、お互エールを送りあい、次の台風を心配し、別れました。


109ヶ月め

2020 年 4 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から3,319日
474週1日
9年1ヶ月
109回めの11日です。

今年の2月に福島県の奥会津の昭和村の子どもたちと
10日間に渡っておこなった「アトリエしょうわのこども」
(ブログにちょっと記録してあります。)
http://www.yakuin-records.com/amigos/?paged=3
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=14336

その記録集が作られ送られてきました。

2つのプロジェクトがまとめられた冊子の中で、
ボクのプロジェクトは14pに渡って紹介されています。

新型コロナに対する非常事態宣言が出された今から振り返ると、
ギリギリのタイミングでの開催だったんだいう驚きと共に、
ほんと出来て良かったことだと思っています。

どうしようもない閉塞感に覆われた社会の中で、
昭和村の数人の子どもたちは、きっと自分なりの作る喜びを見つけて、
厳しい状況を乗り越えてくれるはず。

そんな確信を持てるレポートを、
このプロジェクトに関わってくださった方々が綴ってくれています。

プロジェクト3年めにして、ボクが何か語るより、
関わってくださったみなさんの語ることが増えていることも、
ここから未来を想像した時の希望を感じさせることです。

なにより人口1200名ほどの村、昭和村という希望!

コロナが蔓延する世界と向き合い、
あらためて人はどう生きるべきかなどと考える足元が、
昭和村に続いているってことがうれしい。

震災をきっかけに東北をめぐるようになり、
子どもたちと向き合う仕事を頂くようになり、
自分や家族の生き方を更新して考える力を手に出来ているはずで。

それは、今度はコロナで疲弊した社会に注いでゆかねばならないことだと考えています。

この春は東京や兵庫で子どもたちとのワークショップが計画されていましたが、
すべて延期。

ボク自信、小学生の息子と家に閉じこもる日々が続いている中、
地域や学校で志を共にする人たちと、子どもたちのことに関して情報交換をし続けています。

なんとか、この閉塞感に子どもたちが潰されてしまわぬよう願うも、
直接的な接触が出来ないのであれば、それなりの考えを進めていますし、
コロナが収束した際は、みなさんの必要がある限り、
たとえば子どもたちとデッカい絵を描くことなどやってあげたいなあ〜

震災直後から子どもたちと絵を描いたことで積み重ねてきた経験、
それを必要とする場所に届けてゆきますので、みなさんぜひお声掛けください。

また、昭和村のレポートもお譲りする余裕がありますので、
必要な方はお声掛けください。

今年の昭和村でのセッションでの風景。

去年はまわりの子どもたちのペースに呑まれ、
絵にあまりアプローチしなかった2年生男子。

今年はボクが来る前に、他の子どもたちと色々仕込んで待ち構えていたみたいだけど、
セッションを重ねる中で目論見のタガが外れていったのかな?

気持ちよく筆を振り回している最中、
突然「絵は 自由だなあ〜」と叫ぶ。

そこに居合わせた大人たちみんなで「おお〜!」

ボクは自分のワークショップの中で「自由」という言葉をほとんど使わないはず。

それを子どもたちに与えてしまうのがどうも面白く無く、
しかし、子どもが自分の足で歩み自由のシッポを掴む、
その瞬間の表情が、やはり希望であり未来を感じることなんだよね。

コロナで失われるものは莫大にあるだろうけど、
しかし、それでも焦らず子どもの居場所を守り、
時が来たら爆発的に楽しい現場を作ることで、
次に進むきっかけをみんなで創ってゆけたらいいなと願っています。

108ヶ月め

2020 年 3 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から3,288日
469週5日
9年
108回目の11日です。

1年後には10年となりますが、
これからの1年は、10年を「節目」と呼ばない生き方をしなければならない、
そう考えています。

2011年3月11日、
前日に亡くなった坂上二郎さんを偲び、
コント55号のDVDを見ていた2時46分。

それから7年、2011年3月11日はたえず去年のことのように感じてきて、
しかし、一昨年の3月のこの時期に父を亡くしてからは、
その記憶が間に差し込まれた向こうに感じる3月11日となっています。

そして、2年前に亡くなった父に関することを、
今だに何もできていないということに驚き、

たとえば、
2013年3月11日に、震災で被災された方々がどんな心情であるのか想像している今。

やはり想像力には「節目」をつられないボクです。

3月11日の今日、
岩手日報で続けられている”いわてのテとテ“を今年も絵でお手伝いしました。

今年は、震災の夜にトラックのおじさんたちに助けられた子どもたちが、9年後に感謝の手紙をトラックのおじさんたちに届けた物語。
リンク先、ぜひチェックしてみてください。
>> https://www.iwate-np.co.jp/content/…/newspaper/2……00311.html

ここにも「節目」など感じることのできぬ、
人と人の繋がりが生きています。
生かされています。


先日は福島県奥会津の昭和村で本年度の子どもワークショップ、
“アトリエしょうわのこども”のセッション2を行いました。

現在の人口が1200名ほどの昭和村で、
過疎による人口減と伝承技術消滅の危機に対して発案された、
からむし織の継承者を育てる”からむし織姫体験制度“が始まったのが1994年。

それから26年後の昭和村、
それまでの経過を知らぬボクですが、
「昭和村ならでは」を感じた今回です。

ボクが向き合った子供達は、今回は0歳から小学5年生まで。

こうしたワークショップは日本中で開催してきましたが、
未就学の子どもたちはどこでも変わらず子どもらしく、
しかし小学生に上がるくらいから地域やコミュニティーによる特徴が見えてくる傾向にあります。

昭和の子供たちは小学校に上がっても良い意味で子供っぽくあるのですが、
他の土地の子どもたちが良く使う「ふつう」という言葉を使わないなと。

子どもたちとなにかクリエイティブなことをやろうとする時
「ふつうそんなのやらないよ」なんて言われるのがなかなか辛い、、

「普通かあ〜」「じゃあ普通って?」そんな会話からクリエイティブを振り出しに戻すことがしばしば。

もしくは、きつい天然パーマのボクの頭が「ふつうじゃない!」みたく盛り上がっちゃったりね。

で、昭和の子どもたちもボクの頭をいじってくるのだけど、
それがほんとに面白がっているのが伝わってきて、ちっとも嫌な気がしないんだよね。

そういえば、村の中を歩いていてお年寄りとすれ違ったとして、
みなさんスッと通り過ぎてくれる。

ボクなんか地方の小さな村や町を歩いていると、
そのまま不審者で通報されてしまうんじゃないかって存在感なはずです。

でも昭和のお年寄りはボクの存在を「当たり前」として見てくれるのか、
その視線に「好奇」や「疑い」を感じることなく、
軽く会釈しスッとすれ違ってくれるのが、気持ち良い。

「普通」を使わぬ子どもたち
「当たり前」を生きるお年寄り

それは、昭和村が外の人を受け入れることで生きる道を選んだからじゃないかな〜〜?
どうだろう。

1st.セッションで子どもたちがお年寄りから料理を教えてもらい、
絵を描くワークショップをやったけど、
その時のお年寄りのみなさんの教え方の上手さ!優しさ。。

これはものすごい財産なんじゃないだろうか。

公民館に貼ってあった昭和村小学校全校27名の新年の書き初め、
その字の確かさに、習字を指導された方の愛と情熱を感じるんだよな〜。

今回のセッションでは、リラックマを描きたくて仕方ない3年生女子がいて、
もちろんここは学校のカリキュラムを行う場所じゃないので、とことん描いてもらうわけで。

で、仕上がった絵を見てみると、
たしかにリラックマなんだけど、線が気持ち良い!
ちょっとしたデザインのセンスを感じたりするくらい線が確か。

で、みんなで村の”からむし博物館”や”工芸館”を見に行って、
印象に残った絵を描いてもらったら、
やっぱリラックマちゃんのデザインセンスが素晴らしくて、
コラボ作品を作ってしましました。

これには村のオトナさんたちも「おお〜!」

もちろん彼女だけでなく、
クリエイティビティぶっ放す子どもたちばかり!

「子どもたちに自由やらせる」とか「自主性に任せる」じゃなくて、
「子どもたちが自ら見つける自由を守り、自主性を生かすコミュニケートを重ねる」
そんなことを意識してやったことだけど、

子どもたちから気づかされることはとても大きく、
それはそのまま、この村の魅力、大人たちが積み重ねてきたことが、
なにか魅力的な目に見えるものとして現れたというセッションではなかったかと。

こうしたことは9年後の被災地で、
コンクリートの復興と並行させた心の復興に生かせることではないかと思いつつ、

いやいや、コロナの閉塞感に包まれた今、あらゆる現場で必要とされることでもあるはずと。

2020の先で10年があろうと、
これからも人の必要に答えることをやってゆこうと思うのであります。

それにしても、奥会津の山間の美しい村、昭和村との心の距離はもはやお隣さん。

その昭和村で育まれた発想は、ひとつドアを開けたら世界につながっているように思うのだ。

そしてそこで育った子どもたち、
楽しみだ〜〜!

107ヶ月め

2020 年 2 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から3,260日
465週5日
8年11ヶ月
107回目の11日です。

去年に続き福島県奥会津の昭和村に滞在し子どもたちと絵を描くアトリエを、
今年は「アトリエしょうわのこども」と名付け開設しました。

2月4日から9日までの6日間をセッション1とし、
ここまでの作品の一部はアトリエとして利用した昭和村公民会で展示。
2月27日から29日の期間では、発表会も含めたセッション2を開催します。

震災後の東北をアートの力で元気にしてゆこうと試み”福島藝術化計画 × ART SUPPORT TOHOKU – TOKYO“の一環として、
3年前にお声かけいただき、今年で3度めとなる子どもたちとのセッション。
同じ場所で同じ子どもたちと、お互い1歳づつ年を重ねた再会は豊かな発見の現場となりました。

いつもは学童保育の現場として使われている公民館の一室を、
ボクが絵を描くアトリエとして使い、
そこに学校を終えた子どもたちがやってきて、宿題をしたり遊んだり絵を描いたり。
そんなコンセプトは去年と同じ。

昨年以上に考えたこと。

・子どもたちがいられる場所であること。
・子どもに「子どもらしさ」を先回りして求めない。
・子どもに「自由」を与えるのではなく、子どもが「自由である方」に向かってゆける現場であること。
・自分の知らない昭和村のことは子どもに教えてもらう。
・アートや藝術を教えない。(求められたら技術は伝える)

今回あらたにお願いされたこと。

・未就学の子どもたちと遊んでください。

・”からむし博物館”を利用したワークショップを考えてください。

今回ボクから提案したこと。

・昭和村の伝統的な食べ物を作って食べて描いてみたい。

以上、
これらは達成目標じゃなくて、
『この道を子どもたちと歩いっていったら何に出会うかな?』みたいなもの。

「こっちに行ってみよう」と呼びかけるけど、
その先を決めるのは子どもたち。

オトナのボクは子どもが見つけたものを一緒になって驚いたり楽しんだり。

ただ、子どもが危険に直面したり不条理な暴力が発生したら、
オトナの責任を発動させる。

そんな感じ。

で、
裏テーマ。

・子どもたちによる昭和村のブランディング

子どもたちが描いたものから『直感的に昭和村の楽しさに触れるもの』作れたら、
面白いよね〜〜!

というワルダクミ。

もちろん、望む通りのものばかり生まれるはずもなく、
脱線と失敗の連続。

が、その脱線と失敗がオトナの思惑を遥かに超えた豊かなコミュニケーションを生むのだから、
面白くて仕方ないのだ。

その昔、山に囲まれた日本有数の豪雪地帯ゆえ、
冬の間は自給自足が常とされた昭和村。

1950年代の5000名弱の人口をピークに、60年代の高度経済成長期から今に至るまで、
ゾッとするほどの加速度の人口減を経験した、現在人口1200名の自治体の昭和村。
(今回村の人口推移の年表を見て、毎年100名、200名と人口が減った過去を知り
 「おお、、」などと実際に声を上げてゾッとした俺っす)

過疎化と住民の高齢化に対し、危機感を持って生まれた新たなる産業としてのかすみ草栽培。

そして、
伝統農法であり伝統技術でもある”からむし”の生産を継承し、村を外部からのマンパワーで活性化させる、
村に一定期間滞在しからむし織の技術習得が行える“織姫体験生制度”

村の未来を創造するべく、オトナは確かな尽力を重ねてきた。

それを受け継ぐ子どもたちは、そうしたことにどんな名前を与え、
どんな色彩を与え、そんな形へとブラッシュアップさせてゆくのか、

もしかしたらボクなんかよりずっと多くの新鮮な情報に触れているかもしれない子どもたち、
その子たちの一瞬一瞬で見せる表現は、やはり新鮮で、ワイルドで、美しくしい。

その一瞬一瞬ていうものこそ、言葉にして伝えてゆくべきことなんだけど、
それはセッション2が終わったっら、今回生まれたもののその後の姿などとともに、
丁寧にまとめてゆけたらいいなと考えています。

ただ、セッション1を終えて確かな手応えとして感じていること、
去年と比べて、子どもたちも、それを見守るオトナたちも、
コミュニケーションのあり方が豊かなになってるなあ〜

それは2度めによる「慣れ」もあるだろうけど、
でも、去年子どもたちと一緒にやれたことが、
絵を描く際の子どもたちの会話の中に確かに生きているのが感じられる。

てか、絵を描くことがもはや会話のようであることが、
ほんと素晴らしいぞ!しょうわっ子2020。

震災があって意識してやってきたことが、
目の前でよくわかる形として見えたこと。

2年連続のチャンスをいただけた昭和村やプロジェクト関係各位に感謝。

人口1200名の村が日本のトップランナーの躍り出る可能性、
あるぞーー!!

では昭和村、「アトリエしょうわのこども」セッション2で〜

105ヶ月め

2019 年 12 月 11 日 水曜日

今日は2011年3月11日から3,197日
456週と5日
8年9ヶ月
105回目の11日です。

10月31日未明に起きた首里城の火災は、
この場所を愛するボクにとって受け入れがたい出来事でした。

自分に出来ることは絵を描くことだろうと、
40号Mのボードに心象風景としての首里城を描きました。

こちらの絵はA2サイズくらいに印刷出来るデーターになっています。

今後チャリティーなどお考えの方でこの絵を使うアイデアのある方は、
無償で提供いたしますのでご連絡ください。

11月23日は、渋谷区代々木の”はるのおがわプレーパーク”で絵の具遊び。

9月30日に福島県福島市の清明小学校1年生と絵を描いたセッションの、
渋谷区へのおすそ分け企画。

福島からママさんに連れられやって来た3組の子どもたちと、
代々木の子どもたちとワイルドなセッションです。

代々木と福島の子どもたち、それぞれ経験も突破力ある子たちです。
その中でも特にコミュニケーション能力高い子がコアとなり、
オトナの思惑など蹴散らし破壊に破壊を重ねたクリエイティブな時間。

氷雨降りそぼる初冬の公園の水溜りに飛びこみ奇声を上げる子どもたちを見ながら、
母たちは代々木と福島の子どもたちの遊び場についてオープンに語り合う。

「フクシマ」というワードに言葉が出なくなってしまうオトナは今もいます。

ボクはそれを否定するつもりは無く、
ただ、子どもたちが元気に自分を発揮している姿に触れることで、
解凍さる言葉というものはあるなあと。

この日も福島県に対しての思い込みがいくつか解凍され、
「ではなにが必要なのか」という前向きな会話が交わされていましたよ〜

それにしても、
泥遊び用の着替えがゴソッとストックされている”はるのおがわプレーパーク”の底力!

代々木と福島とで経験のシェア。
このセッション、次はまた福島で開催されるかもね〜

そんなわけで、5メートルの壁画一気に完成!

福島チームは代々木八幡の銭湯にGO!!でありました。

ところでこの絵の具遊びは、
渋谷区が推進する”アロー プロジェクト”に紐つけしてありました。
http://shibuya-arrow.jp

渋谷駅周辺での発災時に、渋谷来訪者を一時退避場所である
青山学院大学と代々木公園にアートの矢印で導くプロジェクト。

リンク見てもらえたら分かるように、
イケてるアーティストが感性と筆を振り切るローカル最先端な発想。

が!こんなんこそ子どもたちとやったら楽しいだろうし、
前例をひとつ作っておけば、被災地なんて呼ばれているエリアに落としこむことも出来るだろうと、
区役所ご担当者に相談し、プロジェクトの名前をお借りし代々木にドロップ。

子どもたちが塗り込んだ絵には、
実は事前に矢印が描かれていて、

マスキングテープを剥がしてみると〜〜〜、

子どもたちのワイルドとのコントラストも眩しく一時避難所を指し示す矢印登場!
スタッフ一同「おおおーー!」な仕上がりと相成りました。

作画完成時、土砂降りの中わざわざ区長の長谷部さんも駆けつけてくれるも、
「矢印描いてないじゃん!!」などと、、
いやいや、まあ見ておいてくれと「USA」をダンスしながら代々木公園の方を指差しときましたが、
はい、やることやっていますよ〜!


福島と代々木の子どもたちとの「アロープロジェクトやってみた壁画」は、
来年1月いっぱいくらいまで”はるのおがわプレーパーク”物置小屋壁面にて、
西参道を行き交う人々に緊急時の避難所を指し示しつつ、
街にワイルド&セクシーに寄り添ってまいります。

本年度最重要案件、
宮城県の唐桑半島にある家族経営のお店”プランタン”様のロゴを制作。

この度無事に店舗に看板として設営したとの連絡を頂きました。

津波で流された店を、古民家再利用で店舗名も営業内容も改め再建したのが5年前。
ボクは友人の導きでこの店と出会い、ワークショップなど開催。

ご一家の地域に向けた愛ある眼差しとそれに伴う身の丈いっぱいに頑張る営業の姿に感激。
すぐにこの店のファンになりました。

「カラクワのプランタン」なんて聞いて、何かオシャレなものに出会うのか?なんて思うも、
行ってみれば人んちの居間。

「茶処」を謳う店内はどこまでも手作り。
が、トイレに美しく設けられたオムツ替えのスペースに、このご一家のなんたるかを見た。

なにより、提供される食いもんがうめーのよ。
カフェメシなんつー虚弱なものじゃねえ「ザ・食いもん」認定。

今回5年のタイミングで地域商工会などの助言と助成を受けてロゴの刷新や看板作りに着手。

あらためてご一家にとってこの店はどんなものなのか、
店名の再考なんてところから店を一軒立ち上げるくらいの会話や、
現状ご家族で行える接客のオペレーションの確認や、
未来のご一家のあり方も想像したコミュニケーションを重ねこんなロゴを制作。

が、なにか足りないなあなんて悩んでいたところ、海老茶色のご指定を頂きPC上で色変換。

ふわっと浮かぶご家族の顔!
お互いいい仕事したなあ〜!です。

今回のデザインには地域の「cafe縛り」なんてレギュレーションもあったのですが、
逆に『唐桑が今後必要とするデザインをこの店から発信』なんてことも込めています。

送って頂いた看板の写真を見て思うのは、ボクの考える「復興」という言葉の意味。

被災があり悲しいことも辛いこともあったけれど、どうにか生きる最低限の状況が整った後、
そこから未来を生きるためのアイデンティティを手に出来たパーソナルな心情。

国や県、大企業の描く復興からしたら些末なものでしかないだろうけど、
そこには人ひとりが生きてゆく意味が込められているし、
これは必要とする人にたやすくシェア出来ることでもある。

あの日から9年を前に掲げられた看板が、
地域再生の灯台の灯りのように見えたらいいな。

プランタンは春を意味するフランス語。
ここからまた新たなスタートだね〜
これからもよろしくねー!

プランタン
〒988-0534 宮城県気仙沼市唐桑町宿浦409-2
0226-25-8077
FBページ> https://www.facebook.com/prin.non/