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「はるのひ」原画展

2021 年 2 月 3 日 水曜日

2021年2月12日徳間書店より刊行される絵本『はるのひ』
ことくんが お父さんと声掛け合いながら春の野を駆ける小さな冒険物語。
その原画展を神保町の絵本専門店ブックハウスカフェ で開催します。
それにあわせて「はるのひ」をめぐる3つのイベントを用意しました。

小池アミイゴ 絵本『はるのひ』原画展
2021.2.10(水)- 3.2(火)
11:00~18:00
ブックハウスカフェ ギャラリー
入場無料、会期中無休

ブックハウスカフェ
〒101-0051
東京都千代田区 神田神保町2丁目5 北沢ビル1F
TEL:03-6261-6177
https://www.bookhousecafe.jp
都営三田線、新宿線、東京メトロ半蔵門線
神保町駅A1出口を出て右方向、徒歩1分

「はるのひ」の3つのイベント

1)はるのひオンラインギャラリー
2021.2.14 (日) 13:00~ (約60分)

『はるのひ』の原画展のようすをライブ配信します。
作者の解説とともにお楽しみください。

参加費無料、だれでも視聴できます!
ブックハウスカフェのインスタグラムにてご参加ください。
https://www.instagram.com/bookhousecafelove/

2)ギャラリートーク『はるのひ』が生まれるまで
小池アミイゴ×茅野由紀(ブックハウスカフェ店長)
2021.2.20 (土) 15:00~ (約60分)

『はるのひ』の制作秘話やこれまで制作してきた絵本について、
お客様を迎え、楽しく語ります。オンラインでの視聴も可能です。

*店舗参加:定員10名 *オンライン参加:定員50名
・店舗での参加:1,000円・店舗での参加絵本付き:2500円
・オンライン参加:1.000円 ・オンライン参加絵本付き:2.500円

*要予約: ブックハウスカフェのオンラインショップ
https://bookhousecafe.stores.jp/


リンク先に現れる以下の購入フォームから選択出来ます。

上記よりご希望のコースを選び、参加費をお支払いくださいませ。

オンライン参加の方はご予約の際に視聴に必要な情報をご確認ください。
社会情勢に寄っては店舗参加を見合わせる可能性がありますので、
事前の情報確認をよろしくお願いいたします


物語の舞台となった土地をzoomでつなぎ
小池アミイゴの地域愛をお裾分けする時間

3)”はるのひのある場所”
2021.2.28 (日) 14:00~ (約60分)

作画の背景にある風景や人との出会いを作者が語ります。
大分県の山香町や福島県の昭和村などを予定

*要予約 *参加費:無料 *オンライン参加:定員90名

参加希望の方はメール amigosairplane@icloud.comまで、
件名「228はるのひzoom」で、小池宛てにご送信ください。
参加用URLを送ります。定員に達し次第、締め切りになります。


ブックハウスカフェ
〒101-0051
東京都千代田区 神田神保町2丁目5 北沢ビル1F
TEL:03-6261-6177
https://www.bookhousecafe.jp
都営三田線、新宿線、東京メトロ半蔵門線
神保町駅A1出口を出て右方向、徒歩1分
『はるのひ』作/絵 小池アミイゴ
徳間書店刊:本体1,600円(税別)
ISBN 9784198651602

本文・カバーデザイン:城所潤・舘林三恵
編集:高尾健士
印刷:株式会社東京印書館








光明学園で花の絵の展覧会

2021 年 1 月 15 日 金曜日

世田谷区梅ヶ丘にある都立光明学園のギャラリースペースを使った
花の絵の展覧会が始まりました。

題して、
小池アミイゴ花の絵の展覧会「小池花店」梅ヶ丘支店
光明でてんらん会のDMをわたしたら、
みんな「2階なんだ…」と淋しい顔するので、
こいつはここでやらなきゃだ!と思ったのだ。

去年の夏から冬にかけて子どもたちとセッションを重ねた
光明学園での壁画プロジェクト。

肢体不自由な子どもたちが通う学校で、
やれること、やるべきことをやって、
「やってよかったね〜!」と声掛けあえて、

「実は年末に花の絵の展覧会があるんですよ」と、
学校関係者に展示のDMを渡すと、

「あ、成城学園でやるんですね!」と喜んでもらい、
しかし、
「ああ、2階なんですね。」「エレベーターとかついてないですよね、、」と、
寂しい顔されちゃってね。。



そりゃそうですよ。
子どもたちとあれだけ密に関わり絵を描いて、
「よい壁画できたね!」なんて言うも、
自分の展覧会に来てもらうにはあまりにもハードルの高い2階への階段、、

花の絵などという他愛も無いものなんだけど、
それでも今一番見てもらいたいのは一緒に絵を描いてきた子どもたち!

くはーーー!!
アートだイラストレーターだなんて言葉の上に胡座かいてる場合じゃねえ。

「じゃあ、光明学園で展示しますよ!」と。

光明学園の新校舎には車椅子でも安心安全に利用することの出来る、
緩やかで長いスロープが1階から3階まで造られていて、
去年から子どもたちの作品を展示するギャラリーとして利用されていて、


その一部を利用させていただき、
花の絵を展示できることになりました。

壁画の時もそうだったけど、
情熱のPTA会長さんとその仲間たち、そして判断の早い校長先生、
その他、子どもたちのセッションを通して信頼関係を高めてくださった先生方、
みなさんの力が結集された形で実現。

『都立学校』という現場でボクのような部外者の展覧会が、これだけの規模で、
こんなん出来るのか!?

前例とかまったくわからないけど、
ただ必然を言葉にして交換していったらこんなん出来た。
です。

なにより、
子どもたちの作品と自分の絵が自然と寄り添う空間。

ああ、もう、これからの展示って、
すべてこんな形で作るべきじゃないかって思えるほど美しい。

そして、子どもたちがこの試みでなにかを得ることと共に、
この現場に関わる人たち、
日々子どもたちの教育と介助に奮闘する皆さんがなにを思い、
感じ、考えてくれるかだなあ〜。

迷惑に思う人もいたっていいと思う。

ただ、自分は目に見えるものを作る仕事をしているので、
前例の無い現場であろうと、まずは目に見えるものを届け、
そこから会話を始めてゆきたいんよね。

世の中安易に作れる書類作成ソフトのおかげで、
まずは体を動かし確かめるべきことでも、
大量に文字がタイプされた書類の指示待ちなんてこと多すぎやしないだろうか。

でもそこに花の絵がひとつでもあれば、
かしこまった言葉では無く、生きるのに足る言葉で、
生きるのに必要な考えの交換がスムースに出来やしないだろうか。
なんてね。

今回きっと、自分が作ったものの中でもとびきり美しいものが作れたように感じています。

それは、
肢体不自由と言われる子どもたちが安心安全な気持ちで移動出来る、
緩く、長く、美しいスロープが造られたことの上にあります。

そんな場所があったから、ボクと学校の皆さんの前向きな会話が生まれた。

逆もしかり。

ボクが他愛も無い花の絵を描き続けてきたので、
都立高校で展示する会話を作れた。

今から10年、20年未来に向けて、
ちょっと面白いことをやれているような。

ただ残念なのは、
都立高校で、COVID-19感染拡大もあり、
一般の方は見ること出来ません。。

その分は、3月の個展で出来る限りのことをやろうと思いつつ、
こうした展示、病院でやれたらいいな〜。
てか、やらねば!
です。


116ヶ月め

2020 年 11 月 11 日 水曜日

今日は2011年3月11日から3,533日、
504週5日
9年8ヶ月
116回目の11日です。

アップした絵は、東京都世田谷区にある公立特別支援学校。肢体不自由者のための教育機関として日本最古の歴史を有する、都立光明学園の子どもとのコラボから生まれた花の絵です。

ボク1人の力では生まれ得ない「なにか美しきもの」に感動。
この感動は世の中をちょっと良い方に変えてゆく力になるんじゃないかと、
壁画完成まであと少しの今の言葉を綴っておこうと思います。

きっかけは今年の元旦。
行きつけの店で隣に座った方が、この学校のPTA会長さんを勤められている方で、お子さんのことも含め、福祉とは、教育とは、表現とは、愛だの恋だの酔いに任せて語ったことから、ボクと光明の子どもたちとで何か出来たら面白いね!なん盛り上がったことから始まりました。

が、その後新型コロナ感染拡大で足踏み。

夏が始まるころ、あらためて校長先生はじめ学校関係のみなさんとミーティング。
コロナで何も出来ないって状況を突破したい意思が集約されたのでしょう。
来年取り壊しとなる旧校舎の壁面に壁画を作ろう!と、発想は一気に飛躍。

そこには、ボクが暮らす街で出来ていること、
地域と学校とPTAと関係企業と子どもたちとボクとで制作している壁画という「見えるもの」「シェア出来る発想」があったことが大きかったと思います。


学校業務を終えた後、わざわざ梅ヶ丘から代々木八幡まで壁画を見に来てくれた校長先生はじめ教職員の皆さん。
その熱心な姿勢に、肢体不自由と言われる子どもたちとどこまで出来るのか、不安を伴うプレッシャーを感じた、なあ〜。

が、そうした感情は教職員さんたちとの何気ない会話がほぐしてくれる。
子どもたちと日常を過ごすプロの力に、甘えるところは甘えれば良いと実感。

事前に美術担当の先生方とのワークショップを開催させてもらい、
ボクが子どもたちの何に感動してこんなことを続けているのかを共有出来たことも、その後の現場での力になったはずです。

ともかく一歩一歩、必要な会話を積み上げ、しかし、蹴散らしていいものは蹴散らせる。
そんなことが可能な関係性の足場造りをまず。

そして子どもたちとのセッション。

歩けない、立てない、手が思うように動かせない、発語が思うようにいかない、病弱で病院での療養を続けざるを得ない、などなど、子どもたち1人ひとり目に見てわかる違いがあり、その上でさらに1人ひとりの個性や表現の違いを壁面に集約させる。
って、どうやるんだろう??

ともかく、壁面に立てぬ子どもたちとは、10メートルと5メートル2枚のキャンバスを用意し、
出来ないことを出来るようにするのでは無く、
出来ることを出来るだけ表現してもらうセッションからスタートしました。

最初は破壊でいいやってね。
見た目大きな破壊でも、小さな点1つでも、子どもたち1人ひとりの「出来る」はめちゃくちゃパワーあることを確認。


そのうち気持ちの良い「なにか」が見えてくる。
そうなるまで待つ作業。

「布の上にペンや絵の具で描こう!」
そう伝えた瞬間に、実は「自由」というものに拘束がかかる。
だったら、絵の具を一本絞り切るくらい好きにやったらいいぜ!
だ、なあ〜。。

アクリル絵の具”リキテックス”でご協力のバニーコルアートさん、
心強いっす。。

光明学園の授業時間で行う作業です。

1コマ45分で中学生のクラスから小学校低学年のクラスに変わり、
次は高校生がやって来るとか、、
いつもは子どもたちが飽きるまでお付き合いするボクのスタイルは、
この現場で行うことが出来ません。


しかも、1人ひとり出来ることが違う。
(これに関しては、健常と呼ばれる人も同じなのだが〜)

1コマ数名から十数名まで、参加人数はバラバラな中、
1人ひとりの個性にも健康状態にも注視しコミュニケートする45分。
そんなのを、1日に4回繰り返しす日もありました。

45分はうっかりしていたら戸惑っているだけで終わってしまう長さです。

でも、自分か彼らが生むものに先回りした価値を求めない限り、
一瞬一瞬に目の前で起こることは、とてもエキサイティングな喜びに溢れたものとして、心の中に飛び込んできます。

そしてボクもやりながら学んでゆく。



体に不自由のある子どもたちには、マンツーマンで先生が付きます。

日頃から子どもたちと接している先生方の介助は素晴らしく、
ボクが代わりにやれることはごく限られたものでしかありません。

もしくは、なにかひと言コミュニケートする場合も、
先生の翻訳のような行動を待つ場合もあります。


そんな先生方が大きなキャンバスの前で子どもたちを支える姿は、
基本、子どもたちを背後から支える形になります。

場合によっては複数の先生方がチームとなり、
支える人とコミュニケートする人との役割分担をしながら、
子どもたちをキャンバスに向かわせる態勢とります。


じゃあボクの仕事はなんだろう?

もしくは、介助を受けて筆を動かす子どもたちは楽しいだろうか?
そんな興味から、子どもたちと同じ視線の高さまで自分が降りていったら、
いや〜、世界が広がっていったなあ〜〜!

キャンバスに頬を付けたところから見るキャンバスの荒野のダイナミックな風景!
彼らはこんな風景を見ながら、そこで出来ることを真剣に、もしくは楽しい目つきして、出来る限りやろうとしている。


正直、先生の手助けが過剰に入る瞬間なんてのもあって、
その直前まで子どもがとてもいい顔してたりしたら、
「待ちましょう!」なんて叫び気味に伝えたりの失礼をしていた俺。

いや、でも何度「待ちましょう!」を言ったか。

あとは「ゆっくり、ゆっくり」とか「出来ないこと無理しなくていいよ〜」とか。

体の自由が効かなくても、たとえ指先がちょっと動かせるくらいであっても、
子どもが自分で見つけた表現の喜びを、ちょっとでも形にすることが出来たら、そこからどれだけの感動が得られるか!

今までものすごい数の子どもとの現場を作って来て、
そうしたことを頭でわかっているつもりでいて、
しかし、光明学園の15メートルキャンバスの9回のセッションで、
明快に気付かされた。


セッションの最初の方で、15メートルの中でボクがコミュニケーションを焦って描いてしまった女の子の顔が、最後のセッションまで所在無く放置されていたのだが、色ぬりの範囲を徐々に徐々にと広げてきた1人の女の子が、最後に塗る方向を変え、ボクが描いた顔に赤い絵の具をベタ。
さらに皿から絵の具をボタボタボタ〜と垂らし「やり切った!」て顔を見せた。

その瞬間作品が完成したという実感がドバッと湧いてきたのですよ。


5mキャンバス

すごいな〜、子どもたちの力。

そうしたことを、視線を子どもたちと同じ高さに置くことで共有する喜び。

アートなんてものに求められることは、まずは視線の共有なのではないだろうか?

そして、「介助」「コミュニケート」「共有」
この3つのワードから見える子どもたちの風景の違い。
その違いは悪いことでは無く、発想を前に進める力だ。

そして作業は屋外へ。

高校生とのリアルな壁の前での壁画制作。

・この前を歩く街の人がハッピーになる壁画にしたいこと。

・そのためには、自分で描きたいというものを思いっきり表現する必要があること。

・しかし、学校の勉強では無いから、上手いとか下手のジャッジは無いこと。

・ならば、オシャレであるとか、カッコいいとか、自分が元気になれる言葉で絵を描けばいいぜ!

みたいな呼びかけの元手を動かしてもらったら、
やっぱりハッピーなものが生まれました。



が、時間が足りず放課後、そして日を改めての3度のセッション。

初日は休んで、最後の日だけ参加した女の子が、
なかなかすぐにアプローチ出来なくていて、
先生方は「好きなもの描いていいんだよ」なんてお声掛けしてくれてたけど、
ボクは「無理してやる必要ないよ」とただ待っていたら、
細い筆に黄色い絵の具をつけて画面にポチっと。


5メートルくらいの幅の中に黄色いポチひとつ。

が、それが一気に画面に命を吹き込むような、絶妙なポチで。

いいね〜!って伝えたら、

「はあ、そうですか」と、ちょっと安心した表情で答えてくれた。

そこから、壁全体を制圧するような作業が始まるんだよ。

子どものポジティブなマインドが生むものは、なんちゃーないタッチ1つであっても全て美しい。


俺は何に立ち会っているのだろうか。

が、さらに、
学校にも通えぬ病弱な体質で、コロナの影響もあり人との接触が極端に限られる生徒さんとのセッションが待っているのだ。

「会うことの出来ぬ子どもたち」とどのようにコミュニケートするのか?

自信などまったく無いが、ともかく手紙を交換するように、絵を交換して作品にしてみようと。

まずはその旨をはっちゃけたビデオレターを撮影し子どもたちに伝える。
(先生方もだんだんとワルダクミ体質になってくれている!)

で、そよ風分教室(成育医療研究センター病院に入院)の子どもの元に先生方が赴き(今はコロナの影響もありオンライン)学習指導するグループには「自分の好きなものを言葉で伝えて〜」と。

そしたら、
良く消毒された紙にドラなんちゃらやピカなんちゃらやエバなんちゃらや、ラーメンやら鍋焼きうどんやら、、
はい、全部ボクがモノクロのシルエットで描きましたぜ!


裏面にひと言ふた言メッセージを添えて送り返してやったら、
うわ!

なんか見たことないタイプの絵になって帰ってきたぜ!


それとは別に、なにやらカラフルな絵が届けられる。

“病訪”と言って、各地に散らばっている病院に先生が赴いて学習指導をする、
もしくは”在訪”と言って、自宅で療養しながら学習をする、
(でいいのか?分類が業界用語すぎて把握しきれないかも)

そんな子どもたちには、
「気合の線一本を描いてくれれば、そこから発想を広げて絵になるかも〜」
なんて投げかけだったのだが、

気合の線と一緒に色まで着いたのが突きつけられた。

むむ、どれも素晴らしく完成しちゃってるじゃん!




で、裏を見るとビッシリ、
どんな思いでこれを描いたか、何が出来て何が出来なかったか、
ビデオで見たアミイゴという人は変な人だと思ったなどなど書かれている。


これは先生が子どもたちの手となりという作業ではあるけど、
そんなん26枚も送りつけてきやがって!
愛死にしてしまうぜ、、
その前に泣いてるぜ、、

しょうがねえ、アトリエで1人子どもたちが描いているものを見ていたら、
地球の重力から解放されたように宙に咲く花が見えた。

そうか、しょうがねえ、と、全ての絵に花を描きこむ。

それが自分勝手なものにならぬよう、
コロナ自粛の春に描いた100点の花の絵を広げた中でね。


会うことのできぬ子どもたち。
しょうがねえ、俺は思いっきり絵で語るのだ〜〜
むむ??
なんだか風呂に浸かった後のような気持ちになったぞ。
そして生まれた花の絵。

冒頭の絵も含め、なんだか見たことの無いものが生まれたぞ〜
それはとてもセクシーで美しい。

「肢体不自由」というワードの中から、
「セクシー」なんて言葉が浮上してきた作業は、
あと数人の子供とのセッションを経て、
11月30日に壁画として完成させます。

ボクはイラストレーターを名乗り活動を続けていますが、
その目的は、世の中のみんなが自分の意思でものを考え、
自分なりのハッピーを形作る手助けになるものを創ること。
なんだろうな〜と。

そうしたことは、震災以降の10年弱の中で、目に見える形として実感してきて、
そうしたものを必要としている人も視野に捉えていて、

そうすると、今までのイラストレーションのあり方って変えて考えて行く必要があって、
もちろんこれからもイラストレーターとしてイラストレーションの制作は続けてゆくけど、
イラストレーションという発想を社会にシェアし、使ってもらうようなことも必然的にやってゆかねばならないのだと考えています。

それがどんなスタイルなのか、まだわからないけど、
でも、光明学園の皆さんが暑い中わざわざ代々木八幡まで壁画を見に来てくれ、
そこで自信の学園で行うことに確信を持ってくれ、コロナの状況を突破するシステム構築の元、関わる皆さんがちょっとずつスキルアップを達成しながら、壁画制作を実行したということ。

そこにはほとんどボクが筆を振るってこさえたものは無いのだけど、
なんだか美しものに出会え、関わる人の良い顔に出会えるものが生まれていることが、うれしいなあ〜。

あらためて、
こういうことって、福祉や学校という現場に限らず、必要としている場所はあるんじゃないだろうか。



77億人えがおプロジェクト

2020 年 10 月 20 日 火曜日

熊本の人吉と東京の立川で子どもたちと笑顔を描き倒したワークショップ風景が、
ユーミンの「守ってあげたい」のメロディーに乗っかった5分番組として放送されます。
『77億人えがおプロジェクト』
初回はNHK総合 2020年10月16日(金)午前10:45 ~50で放送されましたが、
今後も繰り返し放送される予定ですので、絵を描くことで開く子どもたちの表情、ぜひ出会ってもらいたいです。

ちょっと息苦しさを感じる今の世界ですが、
子どもたちの笑顔で良いものへと変えてゆけたらいいなと、
今後もボクの活動は続いてゆきます。

114ヶ月め

2020 年 9 月 10 日 木曜日


今日は2011年3月11日から3,472日、
496週
9年6ヶ月
114回目の11日です。

熊本県で7月4日の発生した豪雨被害。
その被災地3カ所の保育園の子どもたちと絵を描いてもらいたいとの要請を受け、PCR検査陰性を確認直後、熊本に飛びました。

日本の沢山の自治体を繋ぐ”応援村“の『77億人えがおプロジェクト』の要請で、
くまモン夢学校“企画として開催のワークショップ。


小山薫堂さんが企画を牽引する中、松任谷正隆さんとのディスカッションの中で生まれた『77億人えがおプロジェクト』は、コロナ禍の中人と人の関係が希薄になりが世界を、こどもたちが描く笑顔の絵で元気にしてゆこう!という発想のもと動き出しました。


すでに2,000点ほど集まっている「笑顔の絵」は、ユーミンの名曲「守ってあげたい」に載せ、ミュージックビデオとしてNHKで放送される作品になる予定です。

が、
こんなタイミングで行って良いのか?
豪雨被害から2カ月弱のタイミングで迷惑ではないか?
もしくは、いただいたテーマ「笑顔」が子どもたちにとって先回りし過ぎではないか?
中には笑顔どころじゃない子どももいるんじゃないか?
そんなエクスキューズが頭を駆け巡ります。

東日本大震災以降絵を描くことを通して接してきた子どもたちから学んだことは、子どもたちの今をただただ抱きしめてあげる。

そんなだったので、
今回も「なにが生まれるかわからないけどいいですか?」との考えをご理解を頂いた上でのセッションとなりました。

現場では自分から自身の体調チェクをしてもらうようお願いし、感染予防を徹底。(「もうしわけないですが、体温計らせてください」のようなお心遣いの言葉をかけてもらうことが多いので、まずは自分から。)


そうした原則を足場に子どもたちと向き合ってみたら、
「今来ることが出来て良かった」と思えるセッションとなりました。

3日間で巡った球磨村、人吉市、芦北町の保育園。

それぞれのエリアの豪雨被害の惨状は、
たとえば福島県いわき市豊間で見た風景、
たとえば、岩手県宮古市鋤ケ崎で見た風景、
もしくは、熊本県益城町で見た風景と重なる
「壊滅」という言葉しか浮かばない風景でした。


ここで生まれ、豊かな自然環境の元 4年、5年と元気に育ち、
しかし、7月4日の夜に恐怖の夜を経験したした子どもたち。

保育園の先生方がしっかり向き合い、守ってきたんだろうね、
俺のような外部の異物が乱入しても、まずはしっかり向き合ってくれ、
笑顔も投げてくれ、
じゃあ絵を描くよ!となれば、グイグイの前に進んで行く。


が、アウトプットされる絵には、洪水の恐怖が絵具と混ぜこぜになって表現されているのも感じる。

が、オープンなコミュニケーション重ね続け、彼らが動かす手の勢いを加速させてゆくと、そうした「なにか恐ろしきもの」が「なにか美しきもの」へと昇華させちゃうのが、本来子どもが持ち合わせる力なんだろう。



笑顔を描くというお題を超えた、黒く塗り込められたりA4の紙の美しさ!


別の現場では、絵の具で黒く塗った手を紙に叩きつけるようにして塗っていた男の子がいて、でも「やりたいことはとことんやったらいいね!」見守り、その勢いのある表現に美しさも見つけられて、
でも一応先生に「彼はなにかあった?」と聞いてみると、
洪水の夜にものすごい恐怖の体験をした子なんだって。


が、絵を描き終えてしまえば笑顔爆発させた元気でいい子に戻っている。



しかしBOY、君はいつもいい子でいる必要は無く、
憤る気持ちがどうにもならなければ、また絵の中で暴れれば良いよ。

紙を叩く手が人に向かってはつまらない。
しかし、紙に向かえばそれが君のアート。


そして、こんなワイルドなセッションを経験した保育園の先生たちは、
これからも君のアートに付き合ってくれるはずだぜ!



笑顔も恐怖もどちらも子どもたちの表現。
そのどちらも否定するすることなく、受け止めることの大切さ。

何より、描いた笑顔の絵以上に、心と体を振り切って描いた子どもたち1人ひとりの笑顔こそが、本来オトナたちが子どもたちと作って行くべきものなのだろう。


子どもたちの描く笑顔に癒されている場合では無く、子どもたちが笑顔でいられるよう目の前にあるやるべきことやってゆかねば。



しかし保育園の先生たちの愛に溢れた尽力を目の当たりに、俺もまだまだやらなー!と思えた熊本子どもセッション。

芦北の保育園では、1階の広い保育室が被災して使えず、しかし復興に尽力する親御さん達を助けているという避けられぬ理由もあり、2階のスペースをフルに活用し保育を行っていました。



園長先生に発災時から今まで、そしてこれからも続くであろう苦労話しをうかがい。その全てが子どもたちを守るということに向かっていることを知り、ただただ胸を締め付けられるばかり。
東京で(東日本の現場なども知りながらも)ぼんやりとしてしか感じられなかった被災は、ひとりの話をうかがうだけでその輪郭を確かにし、想像を超えた実像を心に叩き込んできます。


しかしメディアはどうしても「大規模な絵」を求めてしまうわけで、
そうしたことを批判する以前に、静かな心でひとりの言葉に触れるようなことをしてゆかねばと、あらためて痛感。

子どもたちに笑顔を描いてもらうというファンタジーのような企画だっけど、
ボクは笑えぬ子どもたちもいるであろうことを想像し、彼らのリアルにだけフォーカスしコミュニケートした。
そうして見えたものこそ、未来笑顔を創る力になるはず。

現場を繋ぎ構築してくださった皆々様、ありがとう。

どこの現場でも、車で現場を去るボクたちに手を振り続けてくれた人たち。
また会いに行き、ありがとうを伝えます。

その前に、お世話になった球磨村、人吉市、芦北町、そして津奈木町へラブレター

使い道あったら使ってみてください。

人吉ではボランティアセンターとなっているホテルに寄って、色々お話を聞けたのだけど、コロナで外部からボランティアの受け入れが出来ない中、県内の学生のネットーワークを構築して、かなり素早いボランティア組織を形成した実行力に関心。
ほんと、誰かにお伺いを立てるなんてこと以前に、目の前の困難は誰かが排除しなくちゃって、これはリアルに命の問題。

で、やはりこういう現場に駆けつける人たちは、なんつーか人として色気があるんだよね〜。


そんな現場で気仙沼で会ったお兄さんと再会。
だよな、俺たちはこういう場所で再会する仲間なんだよなと、お互エールを送りあい、次の台風を心配し、別れました。