‘3月11日からの備忘録’ カテゴリーのアーカイブ

181ヶ月め_はじまりの美術館で

2026 年 4 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から5,510日
787週と1日
15年1ヶ月
181回めの11日です。

「あれから15年」が語られていた今年の3月。
福島の会津地方、猪苗代の「はじまりの美術館」より『旅』にまつわる展覧会への参加のオファーを頂きました。

はじまりの美術館は、主に知的にハンディを持つ人たちの支援をされてこられら安積愛育園が母体となり、2014年に開館した美術館です。

2011年以降東北を巡るフィールドワークをつ続けてきたボクは、ある頃から、少なからずの方に「はじまりの美術館に行ってみてください」と言われるようになり、しかしなかなかタイミングが合わず、昨年初めてうかがうことが出来た場所です。

そんな浅い縁のボクを誘ってくれた今回の企画は、障がいや健常に関係なく「この人の旅が面白い」という直感で選ばれたようなラインナップ。
ここに名前を連ねさせていただくこと、うれしいなあ〜〜。

が!作品ピックアップが4月10日。設営が今日11日!!

旅にまつわる作品や素材は、そりゃたくさんありますよ。
だけど、それをまとめあげて見せられるのか!?
いや、まとめることは無理だろう…

ということで、
結果、どうしようもなく自分らしい、目的を決めず列車に飛び乗るような展示になりそうです。

いや、頑張ります!

コトコトジャーニー

2026年4月25日 – 2026年8月31日

※火曜休館
※5/5(火)・8/11(火)は祝日のため開館、5/7(木)・8/12は振替休館

開館時間:10:00〜18:00

はじまりの美術館
〒969-3122 福島県耶麻郡猪苗代町新町4873

観覧料:
一般800 円、高校生以下無料、
障がい者手帳をお持ちの方および付添いの方(1名まで) 無料
※お得な年間パスポートは1500円で販売

出展作家:
小池アミイゴ、齋藤勝利、高橋彩子、西澤彰、横溝さやか、若木くるみ

主催:社会福祉法人安積愛育園 はじまりの美術館
協力:嬉々‼︎CREATIVE、社会福祉法人館邑会 陽光園、福島県立博物館、最上町中央公民館
後援:福島県、福島県教育委員会、猪苗代町、猪苗代町教育委員会、あさかホスピタルグループ(申請中含む)

・小池アミイゴのスケッチ散歩ワークショップ

2026年5月23日(土)13:30〜15:30
参加費:1,500円(高校生以下・障がい者手帳をお持ちの方 500円)
定員:10名 ※要予約
出展作家・小池アミイゴさんと猪苗代の町をのんびり歩きながら、心に留まった景色をスケッチします。
「絵を描くのは久しぶり」「ちょっと苦手かも…」という方にこそ、体験してほしい時間です。ぜひご参加ください!


1ヶ月前はこんな天気だったが、
今はどうだろう?
5月はどんなだろうか?
8月は?
いなわしろ。

180ヶ月め_会津から飯舘村へ

2026 年 3 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から5,479日
782週と5日
15年
180回目の11日です。

15年前の3月11日の夜の闇の中でボ〜ッと光を放つテレビやPCのディスプレイを凝視し、
「これは10年、20年かかるぞ」と直感したことは、間違っていなかったと思う今です。
今朝は論調に違いのある新聞2紙を買って読み比べしてみましたが、
震災から15年の記事の隣で、イラクで起きている戦争を伝える記事が辛いです。

15年前、自然の中で人はどんな存在であるのか、私たちは強烈な痛みと共に学んだはずです。
が、東日本から視線を広げて眺めてゆくと、人の死こそが目的のような行為が行われている。

あらためて、私たちは15年前の東日本の春に何を見て、何を感じ、誰と何を語りあったのか、
ひとつ大きな深呼吸をした上で振り返り、思い出す必要があると感じた、
気がつけばまだ180回目の11日です。

先日は福島県の奥会津から福島市、飯舘村と巡ってきました。」

福島県立博物館のご縁で2017年よりアートプロジェクトとして関わってきた奥会津の柳津町。
その公民館で開催された、奥会津エリアの伝統的な食文化に出会えるイベント「ままんま博」に参加。


雪深く冬の長い山間の土地で工夫を重ねられてきた、乾物、塩蔵、発酵などの技術で「生かされる」奥会津で採れる食材やはるばる海沿いの土地から運ばれる食材が、それを美味しくいただくために必要な手間をかけられ、おご馳走に変わる、当たり前にしてもはや貴重な知恵が、やはり美味しい。
美味しいだけじゃなく、この季節にこれを食べたからこその体調の良さが実感されちゃうのです。


今回提供された山菜などは、昨年の春のシーズンに山で採られたものだけど、
昨年はその採集に、福島県の都市部の子どもたちと参加するイベントに参加させてもらって、
生活圏である「その辺の山に生える食材」を採取するお母さん方の姿を、めちゃくちゃかっこ良く思ったんよね。

ボクは群馬県の赤城山の南麓、関東平野が始まるあたりで生まれ育ったんだけど、こんなお母さん方の姿は良く見てたし、実際に婆ちゃんの後について山歩きなんかもしていた。
が、高度経済成長が行き着いた先で、里山の知恵の多くは失われてしまったなあと。
自分史の中の最初の喪失として捉えています。

こうした喪失の裏には、残すべき良き文化を言語化出来ていなかったことはあるだろうなと。
確かに「良きもの」とは手間のかかる仕事で成り立っていて、しかしその多くが人ひとりを生かすような価値観のもので、決して大きな収益があるわけではなかったりします。

それでも、その不合理性の中に光る美しさは、やはり人を生かす力になるな〜ということは、この15年のフィールドワークから学んできたことです。


今回の「ままんま博」では、お二人の先生の講演会がありました。

登壇されたのは、ジャーナリストの森枝卓士さんと山形大学農学部の江頭宏昌教授。
どちらも食の研究のスペシャリストで、楽しい話ばかりであっという間の時間でした。最後に質問コーナーがあったので、ボクもひとつ質問。
「森枝さんは熊本の水俣出身で、江頭さんは福岡の北九州市出身。そのお二人が東北で食の研究をされ、今奥会津の柳津でこの地の伝統的な食について語られているのが面白い」みたいなこと。九州も東北も足繁く通った群馬県生まれのボクは、九州の方が「これ美味しいよ〜」などと言葉にしていろいろなものを食べさせてくれたのに対して、東北の方は「まあ食べてみてくれ」のような奥ゆかしい振る舞いをされる方が多いなと。群馬に至っては「うまいもんなんにもねえけんどな」みたいなひと言から食を勧められることばかりだったなと。

森枝さんも江頭さんも、東北とは長いお付き合いだけど、それでも食を楽しそうに語る姿が、やはりボクの知る九州人だなあ〜と。

こうした異文化の交流の中で、『私たちの日常』にはどんな価値があるのか、これからさらに加速させ言語化してゆく意味を感じた、美味しい、おいしい、ままんま博でした。

会津からの帰り道に猪苗代駅で途中下車、「はじまりの美術館」へ。

この日から始まった『日本各地の福祉作業所で生まれたグッズの展覧会』福祉とアートの手しごと市「ぐつぐつグッズ わくわくアイデア」がとても楽しい内容で、自分が関わることの多いジャンルでもあり、多くの学びを得ました。


自分が障害を持つ作家さんと本格的に何かやるようになったのは、福岡のアトリエブラヴォに勤めていた原田さんと出会ってから。
「インクルーシブ」なんて言葉が世の中に無かった時からそのオープンなマインドをフル回転させ、インもアウトもごっちゃ煮させた状況創りをしていて、自分も自然と巻き込まれた感じ。

あの頃すごいなと思ったアトリエブラヴォの「当たり前」は(それ以前から活躍されていた”たんぽぽの家”や”工房まる”などなども含む当たり前)が、20年経ってかなり日本の当たり前になり、10数年前に設立された「はじまりの美術館」を飾っている。

グローバルの意味がかなり変わって聞こえるようになった今、自分は引き続き日本ローカルを歩き、必要とされることを仕事にしてゆきたいなと思いました。

で、ふと、飯舘村に行っておけたらいいなと。
調べてみると「路線バスで行けるんだ〜〜!」これまで数度訪れた飯舘村へは、すべてどなたかの車に同乗させてもらっていたので、今回初めて自分の力で行って歩いてみることにしました。ということで、福島駅前で一泊。

2026年3月7日土曜日の夜の福島市街、人がたくさんで多くの店が賑わっていました。

ボクの初めての福島市は2012年1月。
息を潜めるように雪に覆われていた街の印象は、福島に知り合いが出来る度に更新されて行ったのだけど、それでもコロナ前辺りまでは、知り合った人たちの姿しか見えてなかったはずです。

が、ここ数年で「福島ってこんな活気ある街だったんだね〜」と気がつく、名前を知らぬ多くの人の姿に目が行くようになって、今回。

この賑わいの先、飯舘村で何を見るのだろうか?答えを先回りせず歩けたらいいなと思いました。


福島駅から飯舘村中心地へはバスで1時間10分ほど。
1日6往復のバスが、福島-飯舘-南相馬を結んでいます。
途中福島市内の翁病院を経由しているので、かなり重要なライフラインとしての路線バスなんだろうね。

で、飯舘村までは体感すぐ着いてしまったという印象。

車で送ってもらっていた時も同じなはずだけど、路線バスでストレスなく着いてしまうということは、このエリアの通行量がまだまだ少ないってこともあるんだろう。
なんだけど、途中の山間の道から見える風景は美しく豊かで、若くて初めて来る人にとっては15年前にあったことを想像するのが難しいのではないだろうか。


阿武隈の山並みを縫って、「水境」という地名を超えると飯舘村。

フッと空気が変わる感じがするのは、この土地に生きてきた人たちが地域に与え続けてきた愛の力によるものだろう。


この日はかなり強く冷たい北風が吹いていて、よそ者の自分は「いい加減な気持ちで見てまわるなよ〜」と言われているようです。


農業用にまっすぐに掘られた川面に北風が起こす波紋がキラキラと。
やはり歩かなければ知れないものはあるね〜

歩いてゆくと、健康のために歩いているお年寄りとすれ違うことが数度。


ガス燈のようなデザインの街灯が、山を縫うように走る道沿いに連なって建てられているが、これはいつ設置されたものだろうか?検索してみると震災後のようだけど、後でも前でも、この土地にこのデザインのものを設置した方が良いと考えた人がいたってことなんだよな。歩いてゆくと、お地蔵さんや何かの石碑に多く出会う。

役場前はアート作品が多く設置されていて、設置年を見ると1993年あたり、役場が新築されたのと同時期に設置されたのが多いみたい。
公民館のような施設だろうかには、やはり1993年に故郷創生事業として制作されたレリーフなどが設置されたいた。
竹下内閣の故郷創生事業は1988~9年あたりだったが、そのお金で作られたのかは不明。
アニメキャラを堂々と描いたモニュメントに著作権の問題はあるだろうけど、けど、誰かが「ここにこんなんあったら子どもがたちが喜ぶだろうな」などと願い設置した。なんて想像すると、泣けるぜ。

これまでは車でサッと通り過ぎていた街を歩くと、なるほど、空き家はあるなあ〜。
最近まで帰宅困難エリアが残り、現在も村人の多くが帰村できていない飯舘のリアル。

なんだけど、
点で見るから引いて眺めるまで、どこをどう見てもここが美しい場所であることがわかる。
そしてその美しさは、この土地を愛した人たちの手が入っているからこそ保たれれ来たことがわかる。
その愛の手は、2011年の原発事故後も、可能な限りこの土地に入れられ、この村を保ってきたってことが、痛いほどよくわかる美しなんだ。

村にはやはりあちこちに石碑があって、それは「ここに石段を造った」とか、「ここに灌漑施設を造ったとか」「ここに学校があった」とか、「ここで唄が生まれた」とかが記されている。


阿武隈の山間の土地に可能性を感じた人が入植し、灌木の林やごろごろ転がる大きな岩を排除し、田畑を切り開いて生まれた美しい村、飯舘。

今の都会の暮らしと比べて不合理に見えてしまう暮らしの細部に「ここで生きる」というプライドが宿っていたのが、やはり切実に伝わってくる。

ここでは、昨日会津の柳津のお母さんたちが作っていたような『この場所だからこそ』の食べ物があったんだろうか。
15年より前の飯舘を知らぬ自分です。

が、そうした人が大切にしてきたことを、札束なのか便利さなのかの定規で計り、いわばバカにするような振る舞いでやってきてしまったことがあった。

そして、そこで生まれた電力を使って生きていたのも自分なんだよな。

15年前に気づいたはずのことを、あらためて自分の足の裏と、強烈な北風に教えてもらった飯舘フィールドワーク。

それは自分がまだ子供の頃に失ってしまったと思った故郷のことをあらためて考えるきっかけにもなるし、きっかけにしなくちゃ人間としてどうかしているってことだぜ。

うん。まだたかが15年。たかが5,479日。
やること、やれること、やるべきことばかりだ。

昼メシはこれまで何度か行ったうどん屋で。

日曜の午後。
工事で飯舘に入っているおっちゃんグループが、帰り際に「ここのは日本一うまいうどんだ」と言って金を払っていたけど、自分の心の中で「そーだ、そーだ!」とエールの交換。

このうどんが食えるなら、次は花の季節か草萌える頃かにまた来ます、飯舘村。


今日は強い北風の中、健気に咲くオオイヌフグリの花がまぶしかったぜ。

179ヶ月め_会津から豊間へ

2026 年 2 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から5,451日
778週5日
14年11ヶ月
179回目の11日です。


先日は福島の郡山から会津若松、そして奥会津の柳津と巡り、県立博物館の学芸員チームとこの1年の『会津の食にまつわるプロジェクト』の振り返り。
関わったみなさんと再会し、そこで何があったのかを思い出しながら語り合いました。
子どもたちに関わることの多いプロジェクトだったので、やはりそ『の後の子どもたちはどんなか?』それぞれ責任を感じながらもオープンに話すことが出来てよかったです。

今の小学生は『物心ついたり』『自我が芽生えたり』のタイミングでコロナ。
社会に触れるほとんどの場面で、マスクで顔を覆われた大人からモラルを守ることが求められることを経験してきた人たち。

そんな子どもたちに対し自分がやるべきことは、アートを手段とした気持ちの良い体験から自己肯定感を得てもらうこと。絵を描く紙の上では、無理して良いことを語る必要も無く、好きな色を気持ちよく塗るようなことで心を開いてもらえたらいいなと。大切な話があるならその後で良い。


気がつけば、今向き合う子どもたちば2011年3月以降に生まれた子どもたちなんだなと、、
時が過ぎる速さに慄きつつも、それでも「まだ15年」との思いもあり、今回。

会津から浜通りまで移動、震災後にボランティアで入り、その後定点観測的に足を運び続けてきたいわき市の太平洋岸のビーチ、豊間を目指しました。

しかし豊間、定点観測的に足を運んだと言うも、いつぶりか?と振り返ってみると、コロナ禍突入直前の2020年1月11日ぶり?6年ぶりになるんだ…

「この6年間に何があった?」と振り返るも、2020年コロナ初年に小学5年生だった息子が今は高校1年生になったという時間軸に、自身の仕事や社会的活動の記憶の断片が、時系列を無視する形でランダムに置かれ捻じ曲がり、メビウスの輪のような無限ループになってるのを想像しちゃうのだが…


『東日本大震災からの復興』というテーマで歩み出しように見えた社会は、自分が思ってたほど真っ直ぐな道を選ばなかったんだろう。そこに「いつでも個人的記憶を取り出せる」ネットにシフトしたメディアのあり方が掛け合わさり、時間という概念がネジれ、自分の時間の圧縮や記憶の混乱なんてことが起こっているんじゃないか?

ただ、豊間エリアにある塩屋崎灯台を参照し描いた絵本「とうだい」が今年で発刊10年。
そんな確かな時間軸もあり、今回個人的な検証として、ボランティアから個人的のフィールドワークにシフトし歩いた塩屋崎や豊間で、自分は何を見て、何を見落としていたのかの確認はしておきたいぜ。

会津若松から磐越西線、磐越東線と乗り継いで夜に着いたいわき。急遽とった宿はJRいわき駅に隣接したビルに新設されたもので、そういやこんなホテルも無かったなあ〜。

晩めしを求め街に出てみると、以前はこんなにも見せなかったよな〜。この日は火曜日だったけど、こんな駅前の明け透け場所でキャッチに捕まること無かったよな〜。キャッチをやりすごすした背後から「今夜はダメだな〜」と世界を恨む声が聞こえた。火曜の夜に欲張りすぎ違うか?と思うも、いやいや、みんなそれぞれの事情があるんよ。


明けて朝早くのバスに乗り太平洋岸へ。
途中の真冬の田園風景は、以前よりずっと休耕地が減った印象で、農家のみなさんの努力の跡が美しく広がっている。

初めてボランティアで入った2011年6月。その時の暴力的に破壊された風景に出会い、「これは自分の足で歩いて見なくちゃ」と思い、2ヶ月後には徒歩とランニングを交えて海を目指した。その時の破壊され、ある意味遺棄されたように見えた悲しい風景は、さすがに15年分、きっと良い方に更新されているんだと思った。


これはバスに乗ってる場合じゃないなと、予定よりかなり手前のバス停で降りて、海岸線に沿った道を歩いてみる。

津波被害から7~8年後(?)に整備された運動公園では、多くのお年寄りがゲートボールに興じていて、そこから目を転ずると、以前には無かった立派な老人ホームの建物が見える。
15年前に悲劇に晒された土地で健やかに生きるという選択肢が整えられたんだね。

朝の光に包まれたビーチが美しくて、いつかまた大きな地震や津波があるかもしれないけれど、人間がこの土地を選んで暮らすという選択はごく自然なことと思えた。
ただ原発事故は人が作り出してしまったとても不自然なことなんだ」とも思ったよ。


波打ち際から丘の方に目を転じると、6年前には完成していた高い堤防が白く輝き、その向こうには復興のための造成の必要から切り崩され、稜線を変化させた山の姿が見える。

火曜日の朝、ここまでですれ違った人は無く、遠くに堤防の上を歩く人の姿が見える。

以前は立ち入って良い雰囲気の無かった岬に出てみると、立春の陽の光に包まれた灯台のある塩屋崎の岬が、太平洋にグイッと突き出て見えたのが、実にカッコよかった。


津波による多くの被害者を出した薄磯エリアの整備は進み、被害の爪痕が生々しく残された頃、造成による盛り土で月面のような風景に思えた頃の記憶が更新されてゆく。
6年前、海岸線に沿って何キロも渡り『防災緑地』として整備され始め、松の苗木などが植えられていた場所は、自分の背丈より高い木々に覆われた緑のベルトに育っていた。

↑ 6年前の写真
6年後の写真 ↓

これからさらに何年も時をかけて立派な緑地に育ってゆくのだろうけど、自分はそんな風景を確かめられるまで生きているのか?


6年前には無かった『いわき震災伝承みらい館』に入ってみる。
まず「入場無料」ということが多くを語っているなあ〜。

展示を見ると、知っていたことが少し。あとはほとんど知らなかったことばかりか…

なんだけど、自分の記憶の多くは15年前の春でフリーズさせているなあ。

東京に暮らす自分がそんなであれば、ここでの生活があった人の今はどんなだろう?

自分は想像するしかないんだけど、でも今ここにいることは間違いじゃないように思う。

さらに歩いて塩屋崎へ。
干潮のタイミングで、岬は穏やかに見える。

灯台の立っているのは、岬の先端じゃなく、ちょっと奥まった場所だったっか。
上書きされた記憶を修正する。

昼が近づき腹減ったなと思い、以前は開いていなかった土産物屋や食堂を覗き、でも思い直して塩屋崎の向こう側、豊間のビーチを目指して走る。なんでか走りたくなった。

豊間。

ああ、こんなに美しかったっけかな。

ビーチに出てみると、強い風に煽られた白い砂が川のように流れ海に注いでいる。

石英を多く含む砂は、踏みしめると「キュ」と音を立てる鳴き砂。
よく見ると多くの貝殻が打ち上げられていて、これも時間をかけて白い砂に変わってゆくんだね。

震災から3ヶ月後のボランティ活動の際、このエリアの町会長さんは「震災で砂浜が失われることがとても悲しい」と語っておられたけど、もし今もご健在であれば、この風景をどう思うのだろう?

自分はよそ者として勝手に「美しい」なんて思っちゃっているんだけど、でも人に対する想像力は失わずにいなくちゃだ。

後で調べたら、やはりこのビーチの景観を守ろうとゴミ拾いに尽力されているグループはあって、なるほど、今日これまで極端なプラごみに出会っていないのは、そうしたこともあるんだね。


太平洋、というか地球、というか、宇宙の力で押し寄せる波。
それに抗うように吹く陸からの風と低く舞い上がり流れる白い砂、
そうした力の拮抗から生まれる描くことの出来ぬ紋様を魅せる砂浜。

この世界には人間が我が物顔で居て良い場所はどこにも無いと思ってしまったんだけど、みんなはどう思うのだろう?
先回りせず、1人ひとり確かめてゆけたらいいな。


堤防を超え集落に入る。
真新しい住宅が並んでいる。

「復興」という言葉ではなく「再興」という言葉が浮かぶ風景。
それをより良いものに変えてゆくためには、何が必要なんだろうか、「ここでは無い場所」に暮らしている自分も考え続けなければならない。

震災直後から根性で営業再開したコンビニは、以前の場所から数百メートル移転して営業していて、それは前回と変わらず。ただ、周りの木が育ち、初めて来た場所のように思えた。

Googleで検索すると営業している食堂がいくつかあった。
ひとつめ、営業してなかった。
ふたつめ、駐車場に多くの車があって、よしここで食事しよう!と。
しかし、現金しか使えないとのこと、財布の中の3,000円で食べられるのはエビフライ定食くらいで、名物の鰻重は、今度だな…


しょうがない、3,000円ちょどくらいになるようビールの中瓶を一本頼むと「お車ではないですか?」と当たり前の質問。
「いや、歩きできました」と答えると、しょうがない、そりゃ怪訝な顔されるわな、、

10km以上歩いたからなんてこと関係なく、ほんと美味しいエビフライ定食を食べることが出来た!
こんなん15年前には考えられなかったことだよ。

お店の方にうかがいことが山のようにあったんだけど、でもそのほとんどはこのエビフライが語ってくれたはずなので、「また来ますね」とだけ伝えてお店を出た。

うん、やっは次はぜひ鰻重を食べたいぜ、豊間。

 

 

178ヶ月め_香港レポート

2026 年 1 月 11 日 日曜日


今日は2011年3月11日から5,420日
774週2日
14年10ヶ月
178回目の11日です。

震災から3年目の能登。
東日本の経験から、被災された方の疲れはピークを超えているんじゃないかと想像します。
皆様どうぞうご健康であられますよう、心よりお祈り申し上げます。

東日本は今年の3月11日に「15年」「節目」などと言われるかもしれませんが、
この15年でボクが出会ったきたのは「1人ひとり」というものなので、
引き続きただただ寄り添い並走する気持ちでいたいです。

復興の途上で失われてしまった方も少なからずおります。
そうした方々の意思を、被災の対岸で暮らす自分も大切にし、
これからの社会に活かして行かなければならないと、あらためて強く思う今年の年初でした。

みなさま、引き続きよろしくお願いいたします。


昨年12月20,21日、香港で開催された香港イラストクリエイティブショー10に参加しました。

イラストレーターズ協会のご縁で主催者と知り合い、現地に立ち会うのはこれで3回目。

これまでは協会のバックアップも受けて参加していましたが、
より自由に、より責任を持ったブース運営をしたくて、今回から個人でのエントリー。
ですが、アジア圏でイラストレーションの可能性を探りたい仲間を募って、
主に日本の年賀状にフォーカスしたグッズ販売を行いました。

今回何より、高校1年で16歳の息子を同伴させたことで、多くの気づきを得られました。

そんな息子とブース前で記念撮影。

背景のイラストレーションは、やはり今回お誘いしブースをシェアした京都在住のイラストレーターcacoさんの手によるもの。

過去にも積極的に香港の企画に参加くださって、現地でじわり人気が出ている彼女。
「こんなブースだったらいいな」という要望に、短期間でめちゃくちゃ頑張って応えてくれて嬉しいです。


おかげさまでブースは大盛況。
英語も広東語もまるっきりダメな自分を、英語が得意な息子が現地スタッフとの連携しフォローしてくれたこと、ありがたかったな〜。

今回グッズ提供をお願いしたイラストレーターの仲間には、香港の方に手に取ってもらえるちょっとしたアドバイスをしました。それもまずまずハマったんじゃないかな。


ボクが初めて香港に行ったのは2019年8月。民主化デモが行われていた時です。
日本の報道やネットの情報からその激しさを知るも、現地に行ってみると活気のある香港と出会うばかり。
香港の多くの方はネットでデモの情報を得て、自身の仕事や生活を優先した行動をとっていた。

あれから6年。
個人的に1年半ぶりの香港は、眼に見える部分では変わらず、ダイナミックで朗らかで優しい、そんのイメージ。
飛び込みで入る街の飲食店でも「ああ、日本人か」みたいな感じで、言葉の壁を超えた対応を頂きました。

何より「kawaii」を必要とする香港の若い人たちの存在が、うれしいんよね〜。

渡航する前は「なんで今ゆくのか?」などの危惧もされたけど、いや、そこに絵やイラストレーション、かわいいものを必要とするから行くんだよと。

で、実際に行って絵やイラストレーションを間に置いて人と向き合うと、簡単に飛び越えることの出来る国や政治体制、民族の違いがある。

日本でも香港でも、どこでも、自分が向き合うのは「ひとり」というものであり、その基本の上で『なぜ香港の方が「kawaii」を必要とするのか』を想像することで得られる、クリエイティブなモチベーションが尊い。

そうしたことを、16歳の息子はよりフラットな視線で見てるわけで、食事をしながら「どうだった?」なんて会話が出来たことも大きな財産になりました。


巨大なコンベンションセンターの中のひとつのホールで開催されている香港イラストクリエイティブショー。
その階下ではポケモンの発表会に多くの人が集まっている。
その隣ではAIを使ったアートやデザインの展覧会に、また多くの人が集まっている。
(AIに関して、韓国も中国も日本よりかなり先を走っているイメージ、、)

日本の16歳、何を思う?

で、今回。
主催者がボクのためのライブペインティングのブースも用意してくれたので、ならば自分の勝手な絵を描くんじゃなくて、会場に来られた1人ひとりを描いてみることにしました。

ひとりに対しスケッチして着彩まで5分ほどで行うのを、2日で約4時間半、54名描いたのですが、
疲れた〜〜…
が、それ以上に楽しかったなあー


この画像は描き終えた絵をスマホで撮影した荒い写真を、Photoshopでブラッシュアップしたものだけど、なかなかの雑な絵ばかり。。
なんだけど、現場で向き合い描いたからこそのリアリズムがあって、やっぱ愛しい。

にしても、モデルになってくださった方に申し訳ないぜと、この絵をさらにスケッチする感じで1人ひとり描き直しをしています。


なんでこんな作業をしているのか?描きながら気がつくのは、香港で向き合う人の「キャラ設定されてなさ」。
いわゆる「〇〇系」に自身を押し込んでいない。だからか「キメ顔」が無い。その人なりの「キメ顔」があったとしても、それは「憧れの何者か」になるためでなく、「その人が背負っている何か」が滲んで見える表情だなと(これは台湾でも感じたことだね)。なので「描かなくちゃ」って強く思うんだろう。

香港では二人組、特に女性の二人組をたくさん描きました。
そんな二人組が纏う幸せそうな空気が愛しくてね、この2人の風景は描かなくちゃ!と、ついつい必死になってしまう。


日本でもこんな二人組に出会うけど、纏っているものがちょっと違う。
その違いが面白いのだけど、香港ではより自由なるものを感じるのはなんでだろう?

そんな話も息子と出来てよかった。

スケッチの最後の方でお母さんと娘さんの二人連れを描いたんだけど、2人がギュッと手を握り合ってる姿に、なんだろ、非常にドキドキした自分です。

という感じで、強烈な筋肉痛に襲われたライブペインティングも終了。

ああ、良い出会いばかりだった。

この経験からさらに自分は、自分が描くべきものと人が必要とするものをしっかり噛み合わせて、なんなら人ひとりを救えるくらいの「kawaii」を創ってみたいぜ。

香港のみなさん、また元気で会えましょう!

 

177ヶ月め

2025 年 12 月 11 日 木曜日


今日は2011年3月11日から5,389日
769週6日
14年9ヶ月
177回めの11日です。

今日は近所の小学校6年生と地域の壁画制作。
2018年から9回に渡って制作してきた壁画、子どもたちと学校と親と地域と自分とが連携し、街にとって幸せな壁画を制作してきたプロジェクト「とみがやモデル」の発展版。


渋谷区が先進的に取り組んできた子どもたちの探究的な学びの教育プログラム「シブヤ未来科」をフルに活用し、地域の課題を探究的に調べてきた6年生グループと、学校長の挑戦的なアイデアがうまいこと噛み合い、現在ある壁画から学校に続く道沿いに設置された小田急線線路の防音壁に、落書き防止と地域美化を両立される壁画を制作することに。


これを実現させるため、小田急の担当部署と折衝を行ったり、道路使用許可の申請を行ったり。
また、子どもたちが地域の課題に当事者として向き合えるよう、地域の落書き消しを一緒に行ったり。
その他、デザインやイラストレーションを使い地域に貢献するためのセッションを行ったり。


趣味は「火中の栗を拾う」、特技は「矢面に立つ」な自分ですが、

現在高校1年生の息子が大人になった時、どんな人が社会の仲間であったらいいんだろう?
そんなエクスキューズのもと、ともかく子どもたちと一緒に出来ることを重ねてきての今回です。


さて今の6年生。
小学校入学のタイミングでコロナ元年。

「それやっちゃだめ」「それ人の迷惑になるでしょう」
すべての会話がそんな枕詞から始まったような時代に1年生になった彼ら。

自分との関係で言えば、彼らが4年生の時に初めてセッションを行った世代。
その印象は、めちゃくちゃ頭良くてクレバー。
なんだけど、すべてのアクションの頭に「これやっていいの?」のひと言が入るような世代。

コロナの影響は侮れないです。


そんな彼らに対し、どこか何かのきっかけで1人ひとりのマインドにブレークスルーを起こしてあげたい。

自分のようなものが学校に呼ばれて子どもたちと向き合う意義はそこにあるわけです。
が、答えを先回りせず向き合って1年半。

「そろそろブレークするか!?」と思わせる事象がちらほら見え始めると、これまで押さえてきたものがボンと音を立てて吹き出るような瞬間が何度かあって今回。
壁画制作のタイミングとして最高!と真実実行しました。

そのタイミングがベストであったかどうか、1時間15分の制作時間で描いた50センチ幅で50メートルの壁画を見ていただけたらうれしいです。


今回のプロジェクトに利用した「シブヤ未来科」は、文科省が進めている探究的な学びのカリキュラムのシブヤモデルですが、こうした探究的な学びはこれらからの日本に絶対必要なことと考えています。

しかし、子どもたち1人ひとりが探求脳を獲得するには、自分の中にあるものを気持ちよく出し切り、その気持ちよさを誰かと共有できるようなことが必要だなと。それは自分が多くの現場で子どもたちとのセッションを繰り返してきた経験から実感しています。

子どもとの共感の共有のようなきっかけを創れたら、探究的思考が働き出すまで「待つ」といことが保護的立場にある大人には必要とされます。

そうして探究的思考が働き出しても、安易に成果を先回りして求めず、子どもたちの成長と楽しく並走するようなことも必要です。
自分が子どもたちと向き合った感じだと、子どもたちと出会って1年半は「待つ」ことの必要を感じています。

が、そうして子どもたちと付き合ってみた1年半後、子どもたちは自分と対等の立場で話しかけ、質問し、一緒に考えるようになってくれます。

そうなれば、自分のような者はただ子どもたちの背中を見守るばかり。
いや、ほんとみんないい顔した「人」に育ってくれるなあ〜と。

こうした子どもたちの成長が求められる時代ではありますが、それをすべて学校や先生に任せてしまうと、学校の現場はパンクしてしまうので、保護者や地域や企業や自分のような専門家も学校の力になり、理想的な子どもたちの学びと成長をバックアップする必要があります。

自分の場合は、週に1時間とか2時間の時間を子どもたちのために使うだけですが、それでもそこでの子どもたちの成長は絶大なわけで、その成長は自分の人生の喜びであるなあと。

その喜びは自分の「幸せ」の価値観を思いっきり良い方に更新させてくれるのです。

今回の壁画実現のために、子どもたちや担任とのミーティングから、PTAk、地域、行政、企業などなど、多くの方と語り合い、お力添えをいただいてきました。

そして本番。見守りや片付けを手伝ってくださった子どもたちのお母ちゃんたちと交わすひと言ふた言がオープンで、豊かで。。子どもたちを主語で語ることで、自分たちはこんなにも豊かな会話を持つことができるんよね〜。


にしても、絵を描くことを「アート」や「芸術」という枠に押し込め、何か特別なことのように語ってしまうのは、もったいない。

身の回りの課題を解決するための整理や、人とのスムースなコミュニケーション、ディスカッションの大まかな方向性を共有する手段として。さらには、この課題解決にはどんな学びが必要なのかを導き出すため(従来の国語算数理科社会の学びを受け身では無く能動的に学んでゆくきっかけとか)、絵を描けばいいのにな〜と思うのです。

そうした経験を持った人なら、AIに独創的で適切で社会に有益なプロンプトを打ち込む力を身につけるはずだしね!

さて、子どもたち。
次はなにをやろうか!?

176ヶ月め_都城

2025 年 11 月 10 日 月曜日

今日は2011年3月11日から5,359日
765週と4日
14年8ヶ月
176回めの11日です。

宮崎県都城市のS.A.Lgalleryでの花の絵の展覧会「花さくところ」
11月9日で会期を終えました。

思いがけずとても美しい展覧会が創れ、
思いがけずこれまで描いてきた花の絵に新たな命を吹き込まれたような、
ほんとありがたい時間になりました。


あと、なんだろう。
絵を見てくださる方々の姿も、とても美しく思えたギャラリー。

それは、
ギャラリーのオーナーでこの場所をスタジオとして版画制作を続ける黒木 周さんやそのご家族、
ここを愛する方々のマインドが、この場所を美しく磨いているのではないかと思うのです。

展示設営が終え、当日開場までの時間を使ってご挨拶文を考えていたら、
東日本大震災前に花の絵を描こうと考えたこと、あれこれ思い出したので、
なるべく飾らず言葉にして、ギャラリーの隅っこに貼っておいてみました。

「花さくところ」について

はじめまして、小池アミイゴです。

この度S.A.L galleryからご縁をいただき「花さくところ」という名の展覧会を開催するこになりました。

ボクは普段東京の渋谷区の富ヶ谷という静かな街で、イラストレーションの制作やデザインの仕事をして、時間に余裕あれば好きな絵を描く生活をしています。

花の絵は2009年の1月、食べるために買っておいた菜の花が台所で花を咲かせているのが可笑しくて、描いてみたら「自分らしい」絵に出会えたことから、今も描き続けています。

その年の暮れには息子が生まれたことで、街や人、花への視線に変化が生まれ、「花を描かなくちゃ」って思うことが増えて行きました。

自分にとって花を描くことは人を描くことであり、それは命を扱うようなことでもあるのだろう。そんなことを思い始めた2011年3月11日東日本大震災発災。多くの人が表現することをフリーズさせた中、自分は被災地を歩き、風景や花の絵を描き続けました。それが出来たのは、やはり自分が花の絵を描いていたからだと思います。

2020年、新型コロナで休校となった小学5年の息子との100日間では、息子に「勉強しなさい」と言わねばならぬ自分に対し、『毎日花の絵を描きSNSにポスト』することを義務付けてみました。

交通量が極端に減った東京の街の、春から初夏にかけての息子との濃密な時間。光も空気も美しい街では、やはり花が美しく輝いて見えました。コロナは大変なことだったけど、でも、何が幸せであるか深く考えられた時間を、今は懐かしく思います。

時を遡って2008年12月末。ボクは初めて都城を訪れました。

セツモードセミナーで一緒に絵を学んだ仲間、玉利くんがこの街で亡くなったと聞いたからです。

福岡から高速バスで都城まで。そこから歩いて西都城駅、さらに川を土手沿いに遡って、S.A.Lに程近い玉利さんのご実家まで。

初めましての風景を眺め、冷たい空気を吸って吐いて、色んなことを考えながら辿り着いた彼のアトリエで、玉利くんが描いた懐かしいチューリップの花の絵に再会しました。

2009年1月、福岡に滞在していたボクは、東京でお世話になっていた友人が末期の癌であるとの連絡をもらいました。「どうしたものか」と思いながら東京に戻ると、食べようとして買っておいた菜の花が咲いていて、ボクは2枚の菜の花の絵を描き、1枚を友人の家族に贈りました。


こんな文章を書き終えて、
ああそうだったなと思って。

いろんな人の顔が浮かんで。

そうか、今自分はここにいるんだと。


2008年12月の都城は、
いつか沈んでしまうのではと感じた場所でした。

今回そんな話をすると、
ある方は「大変だった」と、
ある方は「そんなことない、ずっと元気だったよ」と。

2008年はリーマンショックの年ですね。
自分の故郷、群馬県の前橋の街が寂れて沈没しそうだったことに心痛めていた目は、
自然とネガティブなものをキャッチしていたのかもしれません。

それでもボクが乗ったバスが到着したあたり、
バブル期前後の都城がドンと打ち出した「あらたな街」の20年後の姿は、
道に迷い続け、疲れ、ただ立ち尽くすしかない人のようでした。

今回、まさにそのエリアがあらたな力を得て再起している姿に出会うことが出来て、
これは日本の社会の希望だなあ〜と。

2008年に寂れてなんの建物かも想像できなかった、元ショッピングモールは、
立派な図書館として再生され、若者やお年寄りの第三の居場所として活躍していました。

いや、すごい図書館だなあ〜〜
一言では語れない魅力が詰まった場所だけど、ともかく本に手が伸びる場所。
そして居心地が良い場所。

館長さんに伺うと、
この図書館ができてから8年、子どもたちの様子が明らかにポジティブなものに変わったって。

いや、箱を作っただけではそんなことは叶わない。
やっぱ関わる人の在り方がこの図書館なんだろうなと、ここに関わる方と交わす朗らかな会話から実感。


そういや都城市、ここしばらくふるさと納税で得た寄付額日本1位だったんだって。。

2008年、ボクが寂しいと感じてしまった都城だけど、
そこで危機感を持って行動に移した人は確かにあって、今の都城がある。

これは、日本の他のエリアでも頑張ってやれることだろうけど、
「こっちを見て!」と人を振り返らせるアピール力は九州ならでは、
都城ならではなんだろうなと。

東日本の被災エリアの方々や、故郷群馬のあり方など振り返って思ったりもします。

でも、その違いがこそが日本の社会の多様な魅力であると感じるボクは、
それぞれのエリアらしさが発揮される場所創りを地道に取り組んでいるような人を、
たはり地道に応援してゆきたいぜ。

今回は展覧会だけでなく、S.AL.galleryでの大人ワークショップを開催。
さらには昨年知り合った宮崎市在住で図書館司書や絵本専門士を務める佐藤さんの計らいで、
都城を中心に宮崎市や熊本の益城町まで赴き、
子どもワークショップや大人ワークショップ、学校会での講演会や地域のお話会、
イオンモールでのぬり絵似顔絵なんてことまでビッシリと組み込んでもらいました。

おかげさまで、自分の勝手な見た目では得られる宮崎や都城や益城町の魅力を、
子どもたちと接するからこそののリアルさで感じられました。
また、子どもたちを見守る方々との会話から、今の社会で必要とされるこに気づくことも多く、
とても意義のある、絵の具まみれのハードワークの11日間になりました。

うん。これは良い未来を創れそうだ!

しかし、絵の具を何度買い足しては、絞り切られてしまったことか…
しょうがない、みんなまた元気で会おう!

 

175ヶ月め

2025 年 10 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から5,328日
761週と1日
14年7ヶ月
175回目の11日です。

アップした絵は、9月23~26日で初めて滞在した韓国ソウルの仁徳大学での、イラストレーターで長岡造形大学の准教授でもある御法川哲郎さんのワークショップで作成したもの。

日韓国交正常化60周年にあたり仁徳大学が協働しソウル市庁が主催の『SDGs がテーマとした韓日のコンテンツアート交流展覧会』にお声かけいただき作品出品。
日本から招聘された4組の作家のひとりとして、現場でのスピーチを求められての訪韓となりました。


SDGsをテーマとしたポストターを作成する御法川さんのワークショップ。
シンプルで余白のある投げかけに、集まった学生が真摯に答える姿が美しくて、
じゃあ自分は何が出来るのだろうか?と考え、

ともするとデカい話になってしまいがちなSDGsだけど、
自分はここに集まっているみんなに向けたビジュアルを作ってみることに。

じゃあSDGsの17の目標の中から何を選ぶか?
ということで10番「人や国の不平等をなくそう」をチョイス。

ここに集まっているみんなに向けたビジュアル作成だとまずは「韓日」だなと。

スマホでGoogleマップを見てみたら、
あれ?韓国はこれくらいの大きさなんだ〜。と、
あらたねて確認した韓国のサイズが、日本の国土と比べて思ってた以上に小さいことに驚く。

が、自分はここに集まっている学生をリスペクトしてるなあ〜。
人に対するリスペクトは、国土のサイズに比例しないなあ〜。
なんていう中学生くらいの思考を働かせていたら、
「韓国の日本を同じくらいのサイズで描いてみたら面白いだろう」と思いついたのです。

で、まずは構図を意識しながら左手のフリーハンドで二つの国を描いて。

次にその絵を右手でトレースし構図や線を整える。
(教室の窓ガラスが丈夫だったので、窓ガラストレースしたです)

その線が教室内や窓からの風景にマッチするまでその作業を繰り返す。

というのが楽しかったんですよ〜〜〜

この楽しさはどこから来てるんだろ?


今回日本から招聘されたのは、
イラストレーターで日本側学芸員チーフとしての三浦 均さん。
御法川 哲郎、デザイナーでアートディレクターでもある小熊千佳子さんと、
穏やかに熱い方々で、気持ちよく同行させていただいた感じ。

何より、キム・グァンマン仁徳大学総長と、サン・ビョンイル教授のご厚意のもと、
通訳に奔走してくださったチャン・ファソプさん始め多くのサポートを頂いての、
快適なソウルの4日間でした。


そんなソウルは、高度に、そして高密度に都市化されていて圧巻でした。

通訳の方々がボクの韓国の今に対する質問に実にオープンに答えてくれたことで、
『東京のパラレルワールドとしての東アジアの都市』みたいなことじゃなく、
大陸であり半島でもある韓国の首都ソウルというものを、言語化と肌感同時で感じられました。


もちろん心地よさだけでなく、
ソウルとしての、もしくは国としての課題なんてものにも気づきます。

その気づきは、あらためて日本の社会を考えるきっかけになります。


東京羽田から福岡に行くくらいの時間で行けるソウル。

ありゃ〜、こりゃなんで今まで来たことなかったんだろう?と。

4日でインプットされた情報が多すぎて、今はまだうまくまとめられないけれど、
明確に言えることは「思ってたん以上に愛しいなあ〜〜!!」です。

猛烈に働いて、猛烈に学んで、高度なコンテンツ産業を育て、でも子供っぽくなく、
アート対する造詣が深く、ガッツリメシを食ってまた働くソウルの人たち。
格差や孤独、高齢化なんて課題も含めて、これからさらに会話を深めるべき隣人と思います。

滞在4日目、フライトまで時間があったので、
通訳の女性が力説していた「ソウルにはこの川の余白があるから、ソウルの人たちはおかしくならずにいられるんだ」という川、「漢江」を見にゆこうと、御法川さんと江南エリアのホテルから歩き出しました。


広い歩道と街路樹の多さがうれしいです。
車はヒョンデとキアがほとんどで、メルセデスとBMW、たまにレクサス。
全部セダンで、軽自動車は走っていないんだ〜〜〜、、


企業が行政が効果的に設置しているパブリックアートが気持ち良い。


御法川さんが目指した本屋は、とんでもねえ映えスポットでした。


美味いコーヒーにも出会えました。

そしておじさん2人、
具合悪くなるまで歩いて、
ついにソウルの美しい余白と出会う。

ああ、これは人が生かされる景色だなあ〜〜


ボクはこの余白を描かねばならないし、
この川にまた会いにこなければならない。

 

 

 

 

174ヶ月め_まえばしセッション2

2025 年 9 月 10 日 水曜日


今日は2011年3月11日から5,298日
756週6日
14年6ヶ月
174回めの11日です。

あの日から14年半後のボクは、
自分が生まれ育った群馬の前橋で、
前橋市役所の職員で構成された15名ほどのチームと、
「まえばし」についてあれこれ考えています。

前回の7月14日のセッション後、
市の職員が描いた『わたしのまえばし』の絵を一枚のポストカードにして、
市役所2,700名の職員に配布しました。

その裏面では、
より多くの「わたしのまえばし」の情報を集めたい考えを伝えています。

そうして集まったアンケートは110件ほど。

『2,700分の110かあ〜』という思いもありつつ、
それは自分の無名性によるものだから仕方ないと。

そもそも大学やコンサルなどの権威の裏付けの無い自分が、
行政とプロジェクトに関われるだけで有難いことであり、
自分のような者は関わる人と膝突き合わせ地道にやってゆくしかないのです。

なんですが!
このアンケートで伝えられた「わたしのまえばし」の1人ひとりの濃厚さ!
観念的に考えられた「良い街」からは感じられない温かな血の流れ、などなど。
これは大変なものを受け取ってしまったぞ!と。

1人ひとりの言葉を自分の体に落とし込もうとメモしていったら、
こんなんなっちゃいました。

これを市の職員のコアグループと解析。
取材のスケジュールを組んだところです。

以前にも書きましたが、
前橋市は2000年代の社会の教科書に「日本の典型的なシャッター商店街」として紹介されました。

郊外の養蚕地帯で育ったボクにとって、憧れの街だった活気ある前橋。
その喪失感は、東日本の津波被害に遭った土地に立った時と似たもので、
失われた30年の中での経済という大津波は、自分に恐怖に似た感情湧き起こすものでした。

そんな時代を生きてこられた100名ほどの「わたしのまえばし」は、設問の投げ方も影響したはずですが、
(ボクはドライな言葉を選んだけど、コアグループはエモーショナルな言葉をチョイスした)
フィジカルな記憶の残る少し過去の前橋を、焦点を定めずふわっと眺めるような視線で捉えた、
やさしい言葉使いで表現されていました。

そこには、自分が感じている喪失感のようなものは無く、
ただ誠実に生きてこられた人の営みが、前橋のあちらこちらに当たり前のように漂っているイメージ。

うん、そりゃそうだよ、
前橋で生きてこられた方には、自分のようにたまに東京から来て嘆いてる場合じゃ無い日常があり、
街のリアリズムに対しやさしさを鎧に前進するしかなかったはず。

もちろん、こんなアンケートに答えてくれる方はそもそも意識の高い方であるわけで、
人としてのしなやかな強さをより感じられるアンケート結果にはなっているはずです。

そんなこんなを踏まえてコアグループでディスカッション。

メンバーからはやはり
「後ろ向き(過去向)の回答が多く、今後のシティープロモーションにどう反映させたらいいか?」
「ふわっとした視点で、お店や建物を特定するものが少ない」
などの懸念が出たんだけど。

その『やさしくふわっとした視線』を、過去方向から未来方向に変えて見たら、
そこにはとても良い社会の風景が見えてこないだろうか?

過去をやさしく捉えた視線が、未来で捉えたくなる店や建物のデザインはどんなだろう?
そんなディスカッションから生まれる街っていいよね〜

前橋という街が、そんな1人ひとりの視線の先で再生される街であったら、
それは世界のトップランナーになりうるんじゃないだろうか。

などなど。

前橋は眼鏡のJINSを創業された田中仁さんが尽力され、
アートを核とした街(まちなかエリア)の再建が進められています。

そのエネルギーに、自分が市の職員と進めているやさしい視線が交差したり並走したり、
そんなことから生まれる街に、とても興味があります。

さらにその視線はアートもまちなかも超え郊外にも、前橋を抱く赤城山エリアにも、
利根川の流れに沿って広大な関東平野にも向かうものです。

その視線が何を捉えられるのか、何を捉えようとするのか。

その解像度をより高くするために、
自分がやることは、これまで取り組んできたイラストレーションやアートというものの発想を活かし、
可能であれば、自分が接するすべての人がアーティストである社会を目指したいぜ。

それは都会的な価値観を身に纏いスノッブな振る舞いを見せるようなことでは無く、
東北の沿岸部で出会ってきた漁師さんの生きる術を言語化してゆくようなことかも。

そして、美しいものを美しいと語れる社会になればいいな思うのです。

さて、
そうしたことを実現させるために、自分は何かしらの絵を描くことを求められるプロジェクトです。

ではどんな視点で見てどんな絵を描けばいいのか?

その責任を重く感じつつ、楽しく見て、多くを語り合い、考え、表現出来るよう、
ああ、やっぱ必要なのはコミュニケーションの現場作り。
引き続き尽力してまいります。

173ヶ月め_花まんごー

2025 年 8 月 12 日 火曜日


今日は2011年3月11日から5,267日
752週3日
14年5ヶ月後
173回めの11日です。

先日沖縄の友人よりマンゴーが届けられ、
そのお礼をFacebookのメッセンジャーを使って伝えようとし、
「まんごー」とタイプしたところで何かを押してしまい、
「まんごー」という名前のFacebookグループが出来てしまったようで、
多くの方から「招待ありがとうございます」とメッセージを頂き、
そしてきっと、それ以上の方にご迷惑をかけてしまったはずです。

まずはお騒がせしてしまったこと、ここにお詫び申し上げます。

そうした私の過ちに対し、
「招待ありがとうございます」と伝えて下さった方の多くが
「何が始まるんでしょうか?」「いっそ何かやってください」などなどのコメントを下さりました。

タイミングが7月20日投票日の参議院議員選挙の直後だったこともあって、
ボクが「まんごー」という名を使って何か考えているんだと期待されたのかもしれません。

そこで、
『みなさんが見たその辺で咲いている花の写真を、なぜその花を見たのかの簡単な説明と一緒にアップしてください』
『それに対してその花の絵を描いて返信します』
という企画を立ててみました。

ここに掲載されている60点の花の絵はこの企画で描いたものです。
(その後ポストされた写真1点はまだ描けていない、、)

ここで1人ひとりの花物語に触れることは避けます。

ただ、日本で「戦争」が語られる季節に、
今年はさらに「80年」というワードが添えられるタイミングで、
見渡せば1945年8月15日以前に生まれた方、戦争体験を語れる方がわずかになっている今、
ボクは花物語を伝えて下さった1人ひとり、その尊さを強く感じ、
こうした1人ひとりの物語が不当に失われてしまわぬためにはどうするべきか?
日々繰り返して考えています。

2011年3月11日から14年半。
自分が生まれたのは1945年8月15日からわずか17年3ヶ月後。
2025年8月から17年3ヶ月前のこと、
昨日のことのように思い出すことの出来るボクです。
(さらに…)

172ヶ月め

2025 年 7 月 11 日 金曜日


今日は2021年3月11日から5,236日
748週
14年4ヶ月
172回目の11日です。

参議院議員選挙投票日が近づき、
あらゆる方向からなんやかやの言葉が飛び交っていますが、
東北各県の候補者の公約を眺めてみると、
「震災復興」のようなワードはあまり語られなくなっているんですね。
ならば石川県は?と調べてみると、
なるほど、今回の参議院議委員選挙の争点は「物価対策」

「生活者の暮らしをいかに守るのか?」という問いに対し、
それを争点とすることで「票」が集まるという思惑の元、
各党各候補施策案を公約にしているのが2025年7月の日本の風景なんでしょう。

そんな今の「雰囲気」に呑まれることなく、しかし引いた位置では見守り、
自分は引き続き能登や東北や、群馬だったり地元のシブヤだったりに思いを寄せ、
政治では出来ない手法で、社会の幸せみたいなものにコミットした活動を重ねようと思います。


昨日は渋谷区地元小学校の5年生ひとクラスと1時間、そして6年生全生徒と1時間、
それぞれ自主性を持った探求学習のマインドにに火を着けるセッションに呼ばれました。

これは渋谷区が先進的に進める探求的学びのカリキュラム「シブヤ未来科」の時間を利用したもの。

5年生は、初夏から初めているバケツを使った米の栽培、から、収穫した米をどうするのか?
経営、商品開発、広報、出版などの視点から考えるというもの。

6年生は、地域の課題にコミットした学びを導き出すための、ごく初期段階のセッション。

旧来の『与えられた課題をひたすら覚え、応用力を高める』という学びでは、
社会に益をもたらすイノベーションは生まれないだろう。そんな危機感から、
『自分で課題を見つけ、自分で考え、自分で解決する道を探る』
そんな人材が育ってくれたらいいなという願いの元に考えられた教育プログラムです。

課題に対して当事者意識を持つことで、自主的な学びの意識が高まる。
そこに旧来の記憶&繰り返し&応用学習も必要に応じて組み込むことで、
バランスのとれた”ぶっ飛んだパーソナリティ”が育つことは、ポジティブなことです。

ボクは、震災以降被災地と呼ばれる場所のデカすぎる課題を前に、
絶えず考続けている人たちに出会いました。

当事者意識を持って絶えず考え、しかし被災された仲間同士の考えを否定することなく、
聞く耳を持ってさらに考えることで、いつかその場所に新鮮な発想を纏った何かが生まれる。

そんなことをたくさん見てきたので、
今を生きている子どもたちにも、ぜひそうあってもらいたいと思うのです。

もちろん、大震災や原発事故のようなものは起こってもらっては困るわけで、
そうした経験が必要というわけでな無いです。

未曾有と言われるような事態に直面しなくても、
たとえば、身の回りの他愛もないと思えることでも、ある人にとっては重大事だったりするので、
やはり日常で聞く耳を持った”ひとり”であることが重要だなあと。

聞く耳を持てるためには、まずは自信が表現することを恐れぬ”ひとり”であるべきです。
(そもそもなんでこんなにも表現を恐れなきゃならないのだ?日本の社会。)

子どもたちとのセッションも、ひとつのテーマに対し、思い浮かぶことなんでもいいからアウトプットしてみる、
ブレインストーミングを内包した簡単なアートセッションを行うところから始めます。

ボクが答えを先回りすることなく、ごく簡単な表現を利用し子どもたちのアウトプットを促すと、
出る、出る。

良きも悪しきも混在した子どもたちの言葉や発想は、
すべて愛しくて楽しくて、アウトプットし尽くした子どもたちの顔はみな湯上がりのように良い顔している。

良い顔出来てることは、心のゆとりをもたらし、
「じゃあ他の人はどんなこと語ったんだろう?」
なんて興味心に火をつけます。

そうして出会う「自分と同じ」だとか、「思いもよらぬ」だとか、
他者への興味が、実は自主性の発火点になることは、
ボクが呼吸をしてきたすべての現場で起こったことです。

今回の5年生も6年生も、大人の求める回答、もしくは「子どもらしい自主性」なんてものに答えようとして、
結果、エクセルやワード、キャンバといった道具を使うことが目的の学びに陥る可能性を感じてしまいました。

が!

そんな容易く「自主性」は芽生えなですよね。
そもそもオトナで自主的な探求が出来てる人って、ほとんど見たことないのにね、、
子どもには安易に求めちゃっていないだろうか?

目的は「自主的な探求的な学びを引き寄せる力を持った人の育成」で良いのだけど、
子どもたちの発想を一度更地に戻してやったり、
1人ひとりまったく別の「自主性の着火口」を一緒に見つける作業こそ、
オトナがコミットする部分じゃないだろうか。

というわけで、この学校で過去にトライしてきた通り、
見晴らしの良い発想の荒野に立つためのブレインストーミング。
そこで大量に吐き出した大量のワードをタイプし、
chatジピティ子ちゃんに食わせてパワーワードを生成。

さあ子どもたち!
AIが考えた凡庸な言葉をなぎ倒し
2025年のこの仲間だからこそ吐けるワードを導き出してくれ!!

アップした絵は、
1人ひとりが思う米の魅力を気持ち良い一本の線で表現したもの。
と、一部自分とのコラボ。 

ネットに転がっている素材を使ってアプリで小綺麗にデザインするより、
おめーら1人ひとりの破壊力は素晴らしいのだ!!