‘毎月11日の備忘録’ カテゴリーのアーカイブ

116ヶ月め

2020 年 11 月 11 日 水曜日

今日は2011年3月11日から3,533日、
504週5日
9年8ヶ月
116回目の11日です。

アップした絵は、東京都世田谷区にある公立特別支援学校。肢体不自由者のための教育機関として日本最古の歴史を有する、都立光明学園の子どもとのコラボから生まれた花の絵です。

ボク1人の力では生まれ得ない「なにか美しきもの」に感動。
この感動は世の中をちょっと良い方に変えてゆく力になるんじゃないかと、
壁画完成まであと少しの今の言葉を綴っておこうと思います。

きっかけは今年の元旦。
行きつけの店で隣に座った方が、この学校のPTA会長さんを勤められている方で、お子さんのことも含め、福祉とは、教育とは、表現とは、愛だの恋だの酔いに任せて語ったことから、ボクと光明の子どもたちとで何か出来たら面白いね!なん盛り上がったことから始まりました。

が、その後新型コロナ感染拡大で足踏み。

夏が始まるころ、あらためて校長先生はじめ学校関係のみなさんとミーティング。
コロナで何も出来ないって状況を突破したい意思が集約されたのでしょう。
来年取り壊しとなる旧校舎の壁面に壁画を作ろう!と、発想は一気に飛躍。

そこには、ボクが暮らす街で出来ていること、
地域と学校とPTAと関係企業と子どもたちとボクとで制作している壁画という「見えるもの」「シェア出来る発想」があったことが大きかったと思います。


学校業務を終えた後、わざわざ梅ヶ丘から代々木八幡まで壁画を見に来てくれた校長先生はじめ教職員の皆さん。
その熱心な姿勢に、肢体不自由と言われる子どもたちとどこまで出来るのか、不安を伴うプレッシャーを感じた、なあ〜。

が、そうした感情は教職員さんたちとの何気ない会話がほぐしてくれる。
子どもたちと日常を過ごすプロの力に、甘えるところは甘えれば良いと実感。

事前に美術担当の先生方とのワークショップを開催させてもらい、
ボクが子どもたちの何に感動してこんなことを続けているのかを共有出来たことも、その後の現場での力になったはずです。

ともかく一歩一歩、必要な会話を積み上げ、しかし、蹴散らしていいものは蹴散らせる。
そんなことが可能な関係性の足場造りをまず。

そして子どもたちとのセッション。

歩けない、立てない、手が思うように動かせない、発語が思うようにいかない、病弱で病院での療養を続けざるを得ない、などなど、子どもたち1人ひとり目に見てわかる違いがあり、その上でさらに1人ひとりの個性や表現の違いを壁面に集約させる。
って、どうやるんだろう??

ともかく、壁面に立てぬ子どもたちとは、10メートルと5メートル2枚のキャンバスを用意し、
出来ないことを出来るようにするのでは無く、
出来ることを出来るだけ表現してもらうセッションからスタートしました。

最初は破壊でいいやってね。
見た目大きな破壊でも、小さな点1つでも、子どもたち1人ひとりの「出来る」はめちゃくちゃパワーあることを確認。


そのうち気持ちの良い「なにか」が見えてくる。
そうなるまで待つ作業。

「布の上にペンや絵の具で描こう!」
そう伝えた瞬間に、実は「自由」というものに拘束がかかる。
だったら、絵の具を一本絞り切るくらい好きにやったらいいぜ!
だ、なあ〜。。

アクリル絵の具”リキテックス”でご協力のバニーコルアートさん、
心強いっす。。

光明学園の授業時間で行う作業です。

1コマ45分で中学生のクラスから小学校低学年のクラスに変わり、
次は高校生がやって来るとか、、
いつもは子どもたちが飽きるまでお付き合いするボクのスタイルは、
この現場で行うことが出来ません。


しかも、1人ひとり出来ることが違う。
(これに関しては、健常と呼ばれる人も同じなのだが〜)

1コマ数名から十数名まで、参加人数はバラバラな中、
1人ひとりの個性にも健康状態にも注視しコミュニケートする45分。
そんなのを、1日に4回繰り返しす日もありました。

45分はうっかりしていたら戸惑っているだけで終わってしまう長さです。

でも、自分か彼らが生むものに先回りした価値を求めない限り、
一瞬一瞬に目の前で起こることは、とてもエキサイティングな喜びに溢れたものとして、心の中に飛び込んできます。

そしてボクもやりながら学んでゆく。



体に不自由のある子どもたちには、マンツーマンで先生が付きます。

日頃から子どもたちと接している先生方の介助は素晴らしく、
ボクが代わりにやれることはごく限られたものでしかありません。

もしくは、なにかひと言コミュニケートする場合も、
先生の翻訳のような行動を待つ場合もあります。


そんな先生方が大きなキャンバスの前で子どもたちを支える姿は、
基本、子どもたちを背後から支える形になります。

場合によっては複数の先生方がチームとなり、
支える人とコミュニケートする人との役割分担をしながら、
子どもたちをキャンバスに向かわせる態勢とります。


じゃあボクの仕事はなんだろう?

もしくは、介助を受けて筆を動かす子どもたちは楽しいだろうか?
そんな興味から、子どもたちと同じ視線の高さまで自分が降りていったら、
いや〜、世界が広がっていったなあ〜〜!

キャンバスに頬を付けたところから見るキャンバスの荒野のダイナミックな風景!
彼らはこんな風景を見ながら、そこで出来ることを真剣に、もしくは楽しい目つきして、出来る限りやろうとしている。


正直、先生の手助けが過剰に入る瞬間なんてのもあって、
その直前まで子どもがとてもいい顔してたりしたら、
「待ちましょう!」なんて叫び気味に伝えたりの失礼をしていた俺。

いや、でも何度「待ちましょう!」を言ったか。

あとは「ゆっくり、ゆっくり」とか「出来ないこと無理しなくていいよ〜」とか。

体の自由が効かなくても、たとえ指先がちょっと動かせるくらいであっても、
子どもが自分で見つけた表現の喜びを、ちょっとでも形にすることが出来たら、そこからどれだけの感動が得られるか!

今までものすごい数の子どもとの現場を作って来て、
そうしたことを頭でわかっているつもりでいて、
しかし、光明学園の15メートルキャンバスの9回のセッションで、
明快に気付かされた。


セッションの最初の方で、15メートルの中でボクがコミュニケーションを焦って描いてしまった女の子の顔が、最後のセッションまで所在無く放置されていたのだが、色ぬりの範囲を徐々に徐々にと広げてきた1人の女の子が、最後に塗る方向を変え、ボクが描いた顔に赤い絵の具をベタ。
さらに皿から絵の具をボタボタボタ〜と垂らし「やり切った!」て顔を見せた。

その瞬間作品が完成したという実感がドバッと湧いてきたのですよ。


5mキャンバス

すごいな〜、子どもたちの力。

そうしたことを、視線を子どもたちと同じ高さに置くことで共有する喜び。

アートなんてものに求められることは、まずは視線の共有なのではないだろうか?

そして、「介助」「コミュニケート」「共有」
この3つのワードから見える子どもたちの風景の違い。
その違いは悪いことでは無く、発想を前に進める力だ。

そして作業は屋外へ。

高校生とのリアルな壁の前での壁画制作。

・この前を歩く街の人がハッピーになる壁画にしたいこと。

・そのためには、自分で描きたいというものを思いっきり表現する必要があること。

・しかし、学校の勉強では無いから、上手いとか下手のジャッジは無いこと。

・ならば、オシャレであるとか、カッコいいとか、自分が元気になれる言葉で絵を描けばいいぜ!

みたいな呼びかけの元手を動かしてもらったら、
やっぱりハッピーなものが生まれました。



が、時間が足りず放課後、そして日を改めての3度のセッション。

初日は休んで、最後の日だけ参加した女の子が、
なかなかすぐにアプローチ出来なくていて、
先生方は「好きなもの描いていいんだよ」なんてお声掛けしてくれてたけど、
ボクは「無理してやる必要ないよ」とただ待っていたら、
細い筆に黄色い絵の具をつけて画面にポチっと。


5メートルくらいの幅の中に黄色いポチひとつ。

が、それが一気に画面に命を吹き込むような、絶妙なポチで。

いいね〜!って伝えたら、

「はあ、そうですか」と、ちょっと安心した表情で答えてくれた。

そこから、壁全体を制圧するような作業が始まるんだよ。

子どものポジティブなマインドが生むものは、なんちゃーないタッチ1つであっても全て美しい。


俺は何に立ち会っているのだろうか。

が、さらに、
学校にも通えぬ病弱な体質で、コロナの影響もあり人との接触が極端に限られる生徒さんとのセッションが待っているのだ。

「会うことの出来ぬ子どもたち」とどのようにコミュニケートするのか?

自信などまったく無いが、ともかく手紙を交換するように、絵を交換して作品にしてみようと。

まずはその旨をはっちゃけたビデオレターを撮影し子どもたちに伝える。
(先生方もだんだんとワルダクミ体質になってくれている!)

で、そよ風分教室(成育医療研究センター病院に入院)の子どもの元に先生方が赴き(今はコロナの影響もありオンライン)学習指導するグループには「自分の好きなものを言葉で伝えて〜」と。

そしたら、
良く消毒された紙にドラなんちゃらやピカなんちゃらやエバなんちゃらや、ラーメンやら鍋焼きうどんやら、、
はい、全部ボクがモノクロのシルエットで描きましたぜ!


裏面にひと言ふた言メッセージを添えて送り返してやったら、
うわ!

なんか見たことないタイプの絵になって帰ってきたぜ!


それとは別に、なにやらカラフルな絵が届けられる。

“病訪”と言って、各地に散らばっている病院に先生が赴いて学習指導をする、
もしくは”在訪”と言って、自宅で療養しながら学習をする、
(でいいのか?分類が業界用語すぎて把握しきれないかも)

そんな子どもたちには、
「気合の線一本を描いてくれれば、そこから発想を広げて絵になるかも〜」
なんて投げかけだったのだが、

気合の線と一緒に色まで着いたのが突きつけられた。

むむ、どれも素晴らしく完成しちゃってるじゃん!




で、裏を見るとビッシリ、
どんな思いでこれを描いたか、何が出来て何が出来なかったか、
ビデオで見たアミイゴという人は変な人だと思ったなどなど書かれている。


これは先生が子どもたちの手となりという作業ではあるけど、
そんなん26枚も送りつけてきやがって!
愛死にしてしまうぜ、、
その前に泣いてるぜ、、

しょうがねえ、アトリエで1人子どもたちが描いているものを見ていたら、
地球の重力から解放されたように宙に咲く花が見えた。

そうか、しょうがねえ、と、全ての絵に花を描きこむ。

それが自分勝手なものにならぬよう、
コロナ自粛の春に描いた100点の花の絵を広げた中でね。


会うことのできぬ子どもたち。
しょうがねえ、俺は思いっきり絵で語るのだ〜〜
むむ??
なんだか風呂に浸かった後のような気持ちになったぞ。
そして生まれた花の絵。

冒頭の絵も含め、なんだか見たことの無いものが生まれたぞ〜
それはとてもセクシーで美しい。

「肢体不自由」というワードの中から、
「セクシー」なんて言葉が浮上してきた作業は、
あと数人の子供とのセッションを経て、
11月30日に壁画として完成させます。

ボクはイラストレーターを名乗り活動を続けていますが、
その目的は、世の中のみんなが自分の意思でものを考え、
自分なりのハッピーを形作る手助けになるものを創ること。
なんだろうな〜と。

そうしたことは、震災以降の10年弱の中で、目に見える形として実感してきて、
そうしたものを必要としている人も視野に捉えていて、

そうすると、今までのイラストレーションのあり方って変えて考えて行く必要があって、
もちろんこれからもイラストレーターとしてイラストレーションの制作は続けてゆくけど、
イラストレーションという発想を社会にシェアし、使ってもらうようなことも必然的にやってゆかねばならないのだと考えています。

それがどんなスタイルなのか、まだわからないけど、
でも、光明学園の皆さんが暑い中わざわざ代々木八幡まで壁画を見に来てくれ、
そこで自信の学園で行うことに確信を持ってくれ、コロナの状況を突破するシステム構築の元、関わる皆さんがちょっとずつスキルアップを達成しながら、壁画制作を実行したということ。

そこにはほとんどボクが筆を振るってこさえたものは無いのだけど、
なんだか美しものに出会え、関わる人の良い顔に出会えるものが生まれていることが、うれしいなあ〜。

あらためて、
こういうことって、福祉や学校という現場に限らず、必要としている場所はあるんじゃないだろうか。



115ヶ月め

2020 年 10 月 11 日 日曜日

今日は2011年3月11日から3,502日、
500週2日
9年7ヶ月
115回目の11日です。

コロナで行動が制限される今ですが、
9月の土曜日に、近所の落書き消しを街の仲間と行いました。


震災から続けているブログで「なんのこっちゃ?」でしょうが、
この9年7ヶ月で感じたこと得たものなどが、ひとつ自分の暮らす街で形になったのではと思い、言葉にしておこうと考えました。

こんなことをやろうとする引き金になったことが2つ。

ひとつは、息子の通う小学校の子どもたちと2年前よりセッションを重ねている、代々木八幡駅ガード下40メートルの壁画制作。

その2年前の9月の初セッションの絵を、ここを管理する東京都担当部署の担当者より「落書き」の烙印を押され、2ヶ月後には白系の色で淡く塗りつぶした冬景色に変えるつもりでいたのが、半年間なにも出来ない状況になってしまったこと。

地域と学校とPTAと子どもたちとボクとで連携を深め進めている、とても豊かな発想の企画の”はず”で、
「えー、ボクと担当者で直接話させてもらえたらいいのにーー、、」
なんだけど、
なにやら東京都と渋谷区と地域とで難しい構図があるみたい、、

てか、「落書き」とレッテル貼ったものをその後半年も放置させるって、おかしくないか??
(ちなみに、ボクは「落書き」という言葉をあまりネガティブに考えていなく、気持ち悪いアートや芸術を押し付けられるのであれば、楽しい落書きを選ぶな。)

ともかくこの状況にモヤモヤとムカムカを交錯させ続け、
半年後に作業再会、その後5回のセッションを重ね、
しかしコロナで最後の作業が出来ないでいる壁画だけど、
今は街の人のBGMとして機能してくれているはず。
(今でも悪く言う人もいるけど、それはどんな表現にも必ずあることだからなあ、ともかく街との親和性の高い公共物に仕上げるしかないね。)

ともかく、この経験で感じた『コミュニケーションが滞ることでやるべきことが出来なることへの苛立ち』
これってすごーーく無駄なことなんじゃないかと思ったんだよね。

そして、

7月2日に不審者情報回ってきたこと。

7月2日午前8時10分頃初台1丁目付近の路上で登校中の他校高学年女児が腕をつかまれる事案が発生しました。

この情報をFBでシェアしたところ、
友人が連絡をくれて、その被害に遭ったのは私の娘で、過去にも似たようなことがあった、と、、

そりゃあ「カチーン」と来るわいね。

今年は新型コロナ感染拡大の影響で3月から5月一杯まで学校は休講。
6月から学校が再会されるも、分散登校だったり、オンライン併用だったり。
そんな状況下で子どもたちの気持ちってどんなだろうと、我が子ひとりを見ているだけでは分からないことだらけの中、バカチンが子どもに手を出すって、、

これはみんな不安だし、人に対する不信感もハンパないだろうと、
しばらく朝の登校の見守りをすることにしました。

こうしたことは、地域のボランティア組織やPTAでも出来るのかなと、
問題の投げかけてみたら、「要請があれば」とか「〇〇にお伺いを立てて」みたいな言葉が返ってきて「カチーン」再燃。

オトナが子どもたちにやるべきことは明快で、
なるほどこれは誰かに言われてやるようなことじゃないなと、
勝手に自主見守りを続けることにしました。

そんなマインドで街を見回すと、
息子の通学路の壁面の落書きがずーっと放置されているのに「カチーン」

ボク自身Hip-Hopカルチャーの影響下でグラフィティーアートが大好きであるのだけど、それとこれは別問題。

割れ窓理論」で語られるように、こんな路地に好き勝手なタギングされたら、『ここは犯罪し放題ですよ!』と言ってるようなものだろう。

で、
あれ?
ここも東京都の管轄だよね??

子どもたちと描いた壁画を「落書き」と判断し、作業を半年も停滞させたのに、
あれあれ?ここはもう何年放ってあるんだ?

そんな疑問をFBに投げかけたら、渋谷区の区議さん神園さんが渋谷区担当部署に繋いでくれた。

渋谷区 環境政策部環境整備課きれいなまちづくり係からメールでコンタクトを受けたのが7月20日あたり。

係のみなさんとオンラインのミーティングをしたのが27日。

なるほど、これくらいの手はずは必要なんだろうと思い、話を聞いてみたら、
落書き消しの資材はお貸しくださるとのこと。その際落書き消しの区としての”許可”も行うみたいな話。

さらには、東京都の”許可”に加え、
落書き消しのための道路使用許可証を警察署で取らねばならないとのこと。

えーーーーーーっと、落書きを消すだけの話なんだけど、、
落書きする人は許可なんかもらってないしなあぁ〜〜

もちろんわかるよ、
ここは道路で、壁面の使用はそのまま道路交通法の下にあるだろうし、何を使って消すか描くかなどは、環境に関わる問題だから、一定の管理下に置かれる必要があること。

が、しかし、
子どもたちの安全を守ろうって問題の本質は共有出来るのか?

渋谷区担当者は、
許可を得たいので、「いつ」「何人」で行うか教えてくれと。

いや、これ明日でもやっちまいたいのだが〜〜、

それでも渋谷区の担当者の対応が親身なものに感じたので、
わかりましたと、とりあえず。

日程は猛暑の時期を避け、しかし、子どもたちの夏休みが終わってしまわぬ8月後半までにはやれなばとスケジュールを組む。

それに間に合うようにと代々木警察署に道路使用許可証の申請に行ってみたら、
まあ、自分の無知も悪いのだろうが、
縦割り行政の弊害っていうのかなあ〜、あれもこれも足りないみたいな対応で、
いやいや、俺は落書き消しの話をしに来たのであって、行政の仕組みのレクチャーを受けにきたんじゃねーぞ!と、担当のおっちゃん刑事に噛み付く。

されに「現場の使用状況が誰が見てもわかる図面を書いてこい」「こんなん書いたことあるの?」みたく言われ、カチーーン、、
おいおい、誰に口聞いてんだと言い返すも、
しょうがねえ、出直しだ。

家に返って作成しましたよ、
誰が見てもよーーーーーっくわかる図面。

次の日渋谷区役所で落書き消しの申請と共に、
落書き消し資材一式の借用を受ける。

が、東京都との連携が遅れ、
日程を再調整する必要があるとのこと。

むむむ、夏休み終わるなあ〜
しかも、熊本の豪雨被災地に行く予定が被ってくる。。
日程は熊本から帰った直後のピンポイントなスケジュールで決め込んで、

なんやかスッタモンダな状況だけど、
渋谷区の担当者の対応は相変わらず親身で、
東京都の許可証は、渋谷区から代々木警察署に届けてくれるって。
しょうがねえ、
思い荷物を2つぶら下げやれることやるべく代々木警察署まで。


すると、
道路使用許可、するっと申請通った。

昨日の警察のオッチャンも、今日はなぜか対応が良く、
「こんなの渋谷区が消せばいいのになあ」などとさえ言ってくれ、
いやいや本来は東京都なんじゃ無いかなどと語っているうち、
結果お互い歩み寄り。
俺たちは街を良くして行こうという仲間であることを確認。

申請料2700円は、まあ俺の勉強料なんだろう。
オッチャンは、渋谷区マターで行えば徴収なないんだが〜などと、
まあいいよ、落書き消すだけの事にめんどくせえ道はいらねえ。

ただ「誰が見てもわかる図面」、わりかしスルーな感じでファイルに入れてしまったのは、ちょっと寂しかったぞ!オッチャン、、

そして9月4日落書き消し。
消そうと思い立ってから2ヶ月だよ。

メンバーはこれを面白がってくれる人に限るなとFBで募り、
ただ、この店が出来てくれたおかげで街が楽しくなったという珈琲屋Little Nap COFFEE の店主濱ちゃんには是非お手伝いしてもらいたいなと。

ボクが本当にやりたいことは、落書き消しってより壁面が綺麗になること。
そのためのクオリティを担保してくれるのが濱ちゃんだろうって考え。



濱ちゃんも俺も現場での判断が早く、
ここをより綺麗にするにはという考えが素早く投下されてゆく。


うれしかったのは、笹塚ボウルのオーナー財津さんの参加。

震災直後の街で笹塚ボウルがやれたことのデカさ。
ヤンキー気質のとっぽい男はやることが早く的確なのだ。

よく働くリトルナップの若手スタッフや、
今回コーディネートくださった神園さん、
地域のボランティアグループで絶えず地域のことに尽力している菱倉さん、
PTAの活動に必ず程よい距離感で力を発揮してくれる加部さん、
ただ気になったって言って見に来てくれる人とかも含め、みんなありがたい。

が!

「自分でした落書きが見つかって罰を与えられている奴らにしか見えねーぞ!」という言葉もたくさんもらった。

そうそう、それなんだよ、
まさにそう言われることが裏テーマってくらいの作戦。

ここでやったことは、
街の美化や子どもたちの安全というイデオムもあるが、
お洒落やアート、楽しいやcoolなんて文脈でやってるし、
欧米を真似たタギングよりも、
hip-hopカルチャーの影響下で、落書きを消すグラフィティというアートフォームをこの街のリアルに合わせて絞り出した、なんてことも言わせてください。

で!俺の思惑の完成形を凌駕する、リトルナップ濱ちゃんクオリティ投下で、渋谷区富ヶ谷二丁目はさらにお洒落になりました!ということです。

作業を終えてみればみんなから自然ともれた「なんか楽しかったね〜」という言葉。

それこそ自分が作りたかったもの。

そして、リトルナップ差し入れのレモネード、
うまかったな〜〜〜

うん、この夏一番美味しかったものだ。


ビフォー
アフター


この壁の上の歩道はいつも綺麗になっていて、
登校の見守りをしていたら、ビルのオーナーさんがピンセットまで使って歩道の掃除をしているのに出くわした。

ボクはイラストレーションを作ることを仕事としているけれど、
なにかを社会に足してゆくだけでなく、
こうしてゴミをピンセットで摘まみ上げるようなものが、
放置された壁面の汚れを綺麗にするようなことが、
イラストレーションで出来たらいいなと思っている。

こうしたことは、震災からまもなく10年の被災地と呼ばれる土地でも必要とされてくることだと思い、
10年間の延長が決まった復興庁に問い合わせてみたら、そうした予算は無いとのこと。

もうちょっとコミュニケーションとれたら、こうしたことの必然が伝わると思うのだが、
今は縦割りのなんちゃらに縛られること無く、目の前にある問題をさっさと片付けてしまって現れる風景を、
見てもらうしかないよな〜〜。

壁面美化完了の連絡を渋谷区にとどけ「お疲れさん」を交換。

東京都はその後この現場を見に来たかな?

114ヶ月め

2020 年 9 月 10 日 木曜日


今日は2011年3月11日から3,472日、
496週
9年6ヶ月
114回目の11日です。

熊本県で7月4日の発生した豪雨被害。
その被災地3カ所の保育園の子どもたちと絵を描いてもらいたいとの要請を受け、PCR検査陰性を確認直後、熊本に飛びました。

日本の沢山の自治体を繋ぐ”応援村“の『77億人えがおプロジェクト』の要請で、
くまモン夢学校“企画として開催のワークショップ。


小山薫堂さんが企画を牽引する中、松任谷正隆さんとのディスカッションの中で生まれた『77億人えがおプロジェクト』は、コロナ禍の中人と人の関係が希薄になりが世界を、こどもたちが描く笑顔の絵で元気にしてゆこう!という発想のもと動き出しました。


すでに2,000点ほど集まっている「笑顔の絵」は、ユーミンの名曲「守ってあげたい」に載せ、ミュージックビデオとしてNHKで放送される作品になる予定です。

が、
こんなタイミングで行って良いのか?
豪雨被害から2カ月弱のタイミングで迷惑ではないか?
もしくは、いただいたテーマ「笑顔」が子どもたちにとって先回りし過ぎではないか?
中には笑顔どころじゃない子どももいるんじゃないか?
そんなエクスキューズが頭を駆け巡ります。

東日本大震災以降絵を描くことを通して接してきた子どもたちから学んだことは、子どもたちの今をただただ抱きしめてあげる。

そんなだったので、
今回も「なにが生まれるかわからないけどいいですか?」との考えをご理解を頂いた上でのセッションとなりました。

現場では自分から自身の体調チェクをしてもらうようお願いし、感染予防を徹底。(「もうしわけないですが、体温計らせてください」のようなお心遣いの言葉をかけてもらうことが多いので、まずは自分から。)


そうした原則を足場に子どもたちと向き合ってみたら、
「今来ることが出来て良かった」と思えるセッションとなりました。

3日間で巡った球磨村、人吉市、芦北町の保育園。

それぞれのエリアの豪雨被害の惨状は、
たとえば福島県いわき市豊間で見た風景、
たとえば、岩手県宮古市鋤ケ崎で見た風景、
もしくは、熊本県益城町で見た風景と重なる
「壊滅」という言葉しか浮かばない風景でした。


ここで生まれ、豊かな自然環境の元 4年、5年と元気に育ち、
しかし、7月4日の夜に恐怖の夜を経験したした子どもたち。

保育園の先生方がしっかり向き合い、守ってきたんだろうね、
俺のような外部の異物が乱入しても、まずはしっかり向き合ってくれ、
笑顔も投げてくれ、
じゃあ絵を描くよ!となれば、グイグイの前に進んで行く。


が、アウトプットされる絵には、洪水の恐怖が絵具と混ぜこぜになって表現されているのも感じる。

が、オープンなコミュニケーション重ね続け、彼らが動かす手の勢いを加速させてゆくと、そうした「なにか恐ろしきもの」が「なにか美しきもの」へと昇華させちゃうのが、本来子どもが持ち合わせる力なんだろう。



笑顔を描くというお題を超えた、黒く塗り込められたりA4の紙の美しさ!


別の現場では、絵の具で黒く塗った手を紙に叩きつけるようにして塗っていた男の子がいて、でも「やりたいことはとことんやったらいいね!」見守り、その勢いのある表現に美しさも見つけられて、
でも一応先生に「彼はなにかあった?」と聞いてみると、
洪水の夜にものすごい恐怖の体験をした子なんだって。


が、絵を描き終えてしまえば笑顔爆発させた元気でいい子に戻っている。



しかしBOY、君はいつもいい子でいる必要は無く、
憤る気持ちがどうにもならなければ、また絵の中で暴れれば良いよ。

紙を叩く手が人に向かってはつまらない。
しかし、紙に向かえばそれが君のアート。


そして、こんなワイルドなセッションを経験した保育園の先生たちは、
これからも君のアートに付き合ってくれるはずだぜ!



笑顔も恐怖もどちらも子どもたちの表現。
そのどちらも否定するすることなく、受け止めることの大切さ。

何より、描いた笑顔の絵以上に、心と体を振り切って描いた子どもたち1人ひとりの笑顔こそが、本来オトナたちが子どもたちと作って行くべきものなのだろう。


子どもたちの描く笑顔に癒されている場合では無く、子どもたちが笑顔でいられるよう目の前にあるやるべきことやってゆかねば。



しかし保育園の先生たちの愛に溢れた尽力を目の当たりに、俺もまだまだやらなー!と思えた熊本子どもセッション。

芦北の保育園では、1階の広い保育室が被災して使えず、しかし復興に尽力する親御さん達を助けているという避けられぬ理由もあり、2階のスペースをフルに活用し保育を行っていました。



園長先生に発災時から今まで、そしてこれからも続くであろう苦労話しをうかがい。その全てが子どもたちを守るということに向かっていることを知り、ただただ胸を締め付けられるばかり。
東京で(東日本の現場なども知りながらも)ぼんやりとしてしか感じられなかった被災は、ひとりの話をうかがうだけでその輪郭を確かにし、想像を超えた実像を心に叩き込んできます。


しかしメディアはどうしても「大規模な絵」を求めてしまうわけで、
そうしたことを批判する以前に、静かな心でひとりの言葉に触れるようなことをしてゆかねばと、あらためて痛感。

子どもたちに笑顔を描いてもらうというファンタジーのような企画だっけど、
ボクは笑えぬ子どもたちもいるであろうことを想像し、彼らのリアルにだけフォーカスしコミュニケートした。
そうして見えたものこそ、未来笑顔を創る力になるはず。

現場を繋ぎ構築してくださった皆々様、ありがとう。

どこの現場でも、車で現場を去るボクたちに手を振り続けてくれた人たち。
また会いに行き、ありがとうを伝えます。

その前に、お世話になった球磨村、人吉市、芦北町、そして津奈木町へラブレター

使い道あったら使ってみてください。

人吉ではボランティアセンターとなっているホテルに寄って、色々お話を聞けたのだけど、コロナで外部からボランティアの受け入れが出来ない中、県内の学生のネットーワークを構築して、かなり素早いボランティア組織を形成した実行力に関心。
ほんと、誰かにお伺いを立てるなんてこと以前に、目の前の困難は誰かが排除しなくちゃって、これはリアルに命の問題。

で、やはりこういう現場に駆けつける人たちは、なんつーか人として色気があるんだよね〜。


そんな現場で気仙沼で会ったお兄さんと再会。
だよな、俺たちはこういう場所で再会する仲間なんだよなと、お互エールを送りあい、次の台風を心配し、別れました。


113ヶ月め

2020 年 8 月 9 日 日曜日

今日は2011年3月11日から3,441日
491週4日
9年5ヶ月
113回めの11日です。

コロナの状況が続く中、家にいる小五の息子と戦争について語ることの多い夏休みを過ごしています。

75年前の8月9日、もし予定通り小倉に原爆が落とされていたら?
自分が生まれてこなかった可能性を想像し凍りつく10歳に、なにを語ればよいのだろうか、戦争を直接経験していない自分が試されることです。

ただ、何万人という数字は途方もなく受け止め難いものだけど、
親しい1人を失うということから遡って想像出来ることはある。

2011年3月11日の経験から語れることはあり、
自分が作るものもそんな足場に立ったものであろうと願っています。


そして、やはり「ひとり」という単位から想像を働かせていったイラストレーションの仕事です。

オンラインフォーラム 
がんと生きる ~こころとからだ 私らしく~
2020年9月5日(土) 13時~15時45分

オンラインによるライブ配信:無料
↓詳細、視聴申し込みフォーム
https://www.npwo.or.jp/info/16849
必要とされる方はぜひご視聴ください。

制作の方向性としてクライアントから届けられたのは、
「がん患者さんは実は強いのです」という言葉。

自分の経験を振り返り、
がんで先に逝ってしまった友人と交わした言葉、
今もがん治療中の友人たちと交わした会話、
カミさんのがん闘病の側で感じたことなど、
「強い」を先回りして語ることはボクには出来ないなあ〜。

1人ひとり病状も環境も経済状況も違う中、
「がん患者はこうあるべき」的なことに追随して苦しくなってしまう人はいないだろうか?

もしくは、
被災された方に向けられた「がんばれ」という言葉や、
無邪気に語られる「被災者から逆に元気をもらっちゃいました」のような言葉から考えたこと。

そして、実際にがん治療を続ける友人との会話からいただいたインスピレーションから、タンポポとシロツメクサの花の絵を描きました。

が、この絵が正解ということでは無く、「がんと生きる」という”強い”言葉を優しく抱きしめるようなものにしなければと、イラストレーターのエゴはタンポポの根元に埋めてしまい、協力を頂いたデザイナーとディスカッションを重ね、情報をスムースに伝えることに粛々と取り組みました。

正解の無い仕事ですが、ある人にとっては生活に寄り添うものであればいいなと思うし、ある人にとっては踏み潰していっていいものだと思う、そうした幅は確保しつつ、
製作中に交わしたコミュニケーションは、これかも続けてゆくべきものだという確信を得たことは大きなことです。

生活を彩るなにか華々しきものを提供するイラストレーションという仕事ですが、
イラストレーションという仕事を通して、関わる人たちが想像し語り、より良き社会を作る力を創造する。
今はそんなことを考え、仕事をしています。

もしくは、ソーシャルディスタンスが求められる社会の中にあって、人ひとりの存在も社会の環境の一部であるという考え。
そこから導く一枚の絵はどんなものだろうか?
つねき考え続ける夏です。

111ヶ月め。そして100日の花

2020 年 6 月 11 日 木曜日

今日は2011年3月11日から3,380日
482週6日
9年3ヶ月
111回目の11日です。

息子の休校が始まって一昨日で100日。
学校は先週から再開していますが、
コロナウイルスの感染リスクを減らすため、
各クラスを2グループを分け1日置に学校に通う、
自宅待機グループはオンラインで授業に参加や自主学習。
諸々手探りではありますが、まずは with コロナの毎日へ一歩。
東京にも梅雨入り宣言の出された102日目の6月11日です。

9年3ヶ月前の6月11日は福島県いわき市の豊間へ。
震災復興のボランティアで訪れた地は、
「復興」なんて言葉を想像すら出来ぬ風景の中にあり、
これは時間をかけて見てゆかねばならない事だと思いました。

それから多くの人と出会い重ねてきたコミュニケーションから、
今起きていることに対しても、人との顔の見える関係を構築し、
コミュニケーションを重ねてゆくことで解決出来ることはあるなと。

震災という悲劇を通して学んできたこと、
今こそ自分の身の回りで活かしてゆかねばと考えています。

息子の学校が休校になった日から続けてきた花の絵、
毎週ごとにブログにまとめていましたが、
ここ数週間は忙しくしてしまい手付かず。

以下3週間分まとめてみます。



2020年5月18日(月)

休校78日め。
1週間ごとの学習課題受け取りに付き合い小学校まで。
途中、途中で風景が更新されている足もとの草花に目をやり、
カタバミの種を飛ばしたり、
何かの綿毛を拾っては土に生けてみたり、
ドクダミの花の大きさを確認したり。

学校に着くと、久々会う子どもたちがひと回り大きくなったような。

が!それ以上に大きくなっていたのは大根の花の茂み!!

花壇から溢れるようにして茎が絡まり自重で重なり合いしている上一面に白い花が咲き乱れている。

すごいな〜!なんて見てると、ベテラン先生がやって来て、今は手入れする人がいないから、こんなにまで育つの初めてですよ。などど、困ったような、しかし嬉しそうな口調で語る。

息子の同級生のお父さんも交わり、あ、距離は保ちつつ、しばらく大根の花談議。

そうして描いた花、スマホ撮影だけど、実際はワイルドに可憐な絵になった、はず。
ほんと、生命力だぜ!

午後に雑誌をの取材をzoomで受け、絵や音楽、映画のことを語る。
絵を描き始めたころのことを語ると、今も変わらぬ発想の源流を見た。
側で聞いてる息子には俺が語る声しか聞こえず、たまに笑っていやがる。
めんどくさいオヤジでゴメンよ、、

夕方、日課のリフティングをしていると、息子のサッカークラブのメンバーのお母様がマスクを持って来てくれた。
サッカークラブとして用意してくださったとのこと、ありがたいなあ。

持ちつ持たれつ、目指すべきは子どもたちが元気でいられること。
それはとてもシンプルなことだ。

2020年5月19日(火)

休校79日め。最初に花を描いた3月2日には一輪だけ咲いていベランダの鉢植えの小薔薇。その後一度散って、最近になって一気にまた花を咲かせ始めたのを描きました。

イラストレーターズ協会とPTAとで zoomによるミーティングのあった雨の1日。
生まれて初めて直面するコロナの状況で、考えるべきこと、判断しなければならないこと、すべてにエネルギーが必要です。
しかし、普段はベタベタした付き合いの無いイラストレーターの仲間の今を語る言葉は、人それぞれではあるけれど、全てがリアルで、今の自分を知るチャンスになるし、仕事を続けて行く上でのチカラにもなるなあ〜と。

普段の仕事は孤独でしかないけれど、こうした仲間を感じられることを心からありがたく思うとともに、こうしたものを必要とする人にもチャンスを作って行かねば!と思ったし、描くことに生かされてきた30数年を振り返りそう思いました。

そんなだから息子との時間も薄まったかといえばそうでもなく、限られた時間だからこその会話にハッとすることばかり。ためにし村上春樹の本を読ませたら、難なく一気読み。
で、久々チェコアニメをDVDで見始めた小五男子。
2歳くらいから何度も見たチェコアニメ「ぼくらとあそぼう!」を未だに大爆笑で見る、ある意味チカラがあるんだなあ〜。羨ましいなあ〜。。
っと、何やら今日描いたバラの花の絵の色、このアニメーションの色彩の影響下にあるんじゃないかと。

息子に見せ続けたチェコアニメの影響を受けたオヤジ。生きてるだけで丸儲けです。


2020年5月20日(水)

息子休校80日め。
ともかく仕事しなくちゃ日で、息子がネット授業の実験でタブレットに食いつく側でひたすら筆を動かす、が、タブレットでの先生対子どもたちとのスムースなコミュニケーションは構築途上、、
一々気になり、息子と改善策を話し合う。
なんてことですぐに昼メシ。

午後、近所のアルゼンチンガッツリソーセージサンドの店主を、ランニング専門誌に紹介した取材日とのこと、ご挨拶に息子と伺う。
いつも息子に良くしてくれる店だけど、今はソーシャルデイスタンシング。
そして、割ってしまったコーヒーサーバーを買い換えるためにジョグで駅の方まで。
途中、井の頭通り沿いのツツジの植え込みがヒルガオに制圧されているのを、ムスコと「おおーー!」なんて盛り上がって見る。
用事を済ませて帰り道。
雑草生茂る土手で、色んな葉っぱに絡まって咲くヒルガオが、可憐だが逞しく見えて、描きました。
の流れから日課のリフティングチャレンジ。
調子悪いな〜、なんて時に限って記録更新49回!
が、これまでの記録44回までは無言でやっていたが、それから先、息子への自己顕示欲が「45」「46」と俺に発語させるんだ、
で「49」その次、俺はもはや自己顕示の欲望に呑まれ切り、バランスを崩し、「ごぉー、わぁーー!」と叫びながら足を伸ばすも、ボールはそれにかすりもせずアスファルトの人となったのだ。
49回と50回で、見える風景は違いすぎる!



2020年5月21日(木)

息子休校81日め。
雨に濡れてたかわい子ちゃんのチェリーセージの花を描きました。
階段下で大家さんが育てていて、これまでは名前を覚えようともせず、金魚みたいな、しかし金魚草では無い花、くらいの認識でしたが、今年はバッチリ名前を調べました。

チェリーセージは種類が豊富で、中でもこのサルビア・ミクロフィラ、別名ホット・リップスは、赤と白のコントラストがセクシーな花。

そろそろ学校再開が見えてきた息子は、「新しい生活様式」的ワードに敏感になり、未来なんてものを想像して心配を口にするも、そんなん自分で作ってゆけばいいよ!みたく言うと、そうだね〜!だって。
そうそう、今は花とか草とか毎日見てるじゃん、そういうことから色んなこと学べばいいよと、無責任なこと言ってるバカ親は、俺です。

そんな小学5年男子、今日は「ケセランパサラン」というものの存在を知り大盛り上がり!
それは俺が小学校の頃、都市伝説的に盛り上がったヤツだぜ!と伝える間も無く、ネットで情報を確認、もはや1日でケセランパサラン博士になっていやがんの。

で、枇杷の木の周りで見つけやすいと、大家さんの庭に侵入、立派な枇杷の木を見上げたりゆすったり。
でも雨降ってるからね、ケセランパサランは萎んじゃってるんじゃないか?と、ともかくご気楽な親子の会話。
人生はケセラセラであります。



2020年5月22日(金)

息子休校82日め。一気に花を咲かせ始めたドクダミ。
その中で、いつもリフティングをやってる場所の植え込みに一輪だけ花を咲かせていたかわい子ちゃんを描きました。

こんな花一輪を見つけても「かわいいね〜」と語るようになった小五男子、この休校期間は悪いものじゃ無いはず。
で、今ならオンラインで友達同士”あつ森”が定番なんだが、うちの坊ちゃん、哀れゲーム機を持たず、、今日はオヤジに当てがわれた仮面ライダー図鑑で仮面ライダー1号、2号の秘密を探る。
そんなの45年前のものなのに、、
で、その後はDVDコレクションからチャーリーブラウンを選び鑑賞。
こちらは55年前の作品なのだが、、が、やっぱ音楽いいよな〜!会話が生かしてるんだよなー!やっぱ色がキレイ!!なんて語り合い、何度も見たが、見飽きることの無い世界観に、目指すはこれだよな、な!?息子。
などと心で繰り返す、ニンテンドーSwitchを買ってやれない不甲斐無き親は、
俺だ。


2020年5月23日(土)

息子休校から83日め。
ベランダのカミさんが買ってきたプチトマトの苗に花が咲いたので描きました。小さな花だけど、その佇まいは、夏なんです。
今日は土曜日だけど、その辺の曜日は関係無く、俺は床にあぐらかいて児童文学の大量な挿絵を絵具で描く。
その隣で、PCとタブレット二台を駆使した息子は、プログラミングのリモート講座を受け、「スクリプトを変えますね〜」などと液晶画面の向こう側に伝えている。
なので、息子の寝たこの時間にスクリプトと意味を調べてたところなのだ。
人生は学びの連続だぜ。

そして、昨日に引き続きチャーリブラウン盛り上がりで、家にあるDVD3本を見比べ。
今日はペパーミント・パティとマーシーの歪んだ関係を掘り下げ、わちゃわちゃ質問をしてくる。
パワハラしてるオッサンは、一度チャーリーブラウンを見たらいいと思うな。

何やら世の中が動き出そうとしている気配の中、都内はまだ以前より空気が良く、夕日がとても綺麗だった。
そんなことを、ビールを買いに行ったコンビニ帰りに、息子の同級生のパパさんと出会ったので話した。

で!リフティングチャレンジ、俺は新記録の51回連続を達成!
息子は1週間ほど停滞、だが、ボールにアプローチするマインドが、明らかに83日前とは違ってポジティブだから、大丈夫。

そして、おお!息子よ、夕方のこの時間、いつも西日が眩しかったけど、太陽が北に移動してあまり眩しくなくなったなあ〜!
えーっと、お!あと1か月で夏至だねえ!などという親子の会話。

ほんと、夏はすぐそこまで来てるんです。


2020年5月24日(日)

息子休校84日め。
近所で咲き始めたアジサイを描きました。
新緑と呼べるみずみずしい緑の葉に囲まれて、控えめに咲き始めたアジサイに、
6月再開されるであろう学校に通う子どもたちのことを思う。

みんなー!誹謗中傷なんぞしない生き方をしてくれよー!

引き続き仕事の制作みっちりサンデー。

それでも日課のリフティングチャレンジ。

息子はこの頃俺と距離をとって練習するように。
こんな練習いいんじゃないかと投げかけるも、
それは違うみたいな態度をとりスルー。
が、俺の視線の及ばぬ場所でやりやがる。

思春期に片足突っ込んでる姿が、まあかわいいやいね。

で、俺は昨日の右足連続51回に続いて、両足連続46回を記録。
両足で連続出来るようになると、100回の壁を破りやすくなるのではないかと、
何のためにリフティングやっているのか分からず、そう思う。

2020年5月25日(月)

息子休校85日め。
大家さんの庭に咲いたユリオプスデージーの花を描きました。
今日の昼前は週に1度の登校日で、校庭で担任に課題を渡し、
次の課題を受け取り、元気?ハイ!みたいな言葉を交わすのにお付き合い。

先週よりさらに初夏が深まり、梅雨の気配なんてものも感じる季節になってきたねぇ〜と、道端に咲く花など見ながら語る帰り道。

午後は暇を持て余す息子にもしやと、DVDで持っていた映画「ニュー・シネマ・パラダイス」を見せてみたら、結構食いついてきた。

てか「ヒマだからゲーム」みたいな選択肢が無い家だからなあー、、
こういうのも我慢して見るしかないのだ、息子よ。

で、そうだった、ただハートウォーミングな映画じゃなかった、男と女のなんやかやも露骨に描かれている映画なのだ、、
「この人たち何をやってるの?」の質問には、人間の交尾だ。と無骨に答えるしかなかったダメなオヤジは、俺だ。

で、映画館取り壊しのシーンでは、これは来るなと思ったら案の定、号泣の10歳男子くん。

これはケアせねばと、
失われしものの意味、
いまこうして映画館を見ていることの真の喜びについて、
退屈だと思っても我慢して見ることで得られる人生の豊かさなどなど語り聞かせつつ、映画史上に散々と輝くキスシーンの連続を見ながら、泣き笑いの顔で見入るオッサンと息子との、きっと2度と繰り返すことのないであろう家族の風景。

なるほど、今日描いた花の絵がこんなんになるはずだ。

で、今は明日の作画のためにトリフォーの「アメリカの夜」を見終えたところ。

映画万歳!ではないか、2020年5月25日

2020年5月26日(火)

息子休校から86日め。
近所の坂の途中の家の脇の薄暗い路地でこじんまりと、
しかし踊るようにして咲いていた野芥子の花を描きました。

この辺では大きく育つ鬼野芥子を良く目にするけど、
野芥子も自分の居場所を見つけて健気に生きてますね。

緊急事態宣言解除の今日の昼前は、いいかげん画材が底をついてしまったので、今日から限定だけど営業再開の新宿世界堂まで、密を避けた往復8キロのランニングで行ったです。

世界堂のビニールで仕切られたレジで画材を受け取る際
「しばらく大変だけど、頑張ってゆきましょう」などとレジ子さんにエールを送ると、
レジ子さんの顔が、見えるの目だけだが、パッと明るく開いたように見え、ありがとうございますを返してくれた。

ボクの「新しい日常」は、これをベースに積み重ねて行けば良い。

午後、課題を一通り終えた息子がグダグダになってるのをよそ目に、軽く加速度を上げ始めた仕事の依頼や作画でてんてこ舞い。
電話で脳みそ断線しそうなラフ修正の相談をしていると、
ビンポーン。
生協パルシステムの納品だろうと、
息子!伝票持って受け取りしてくれい!とお願い、

あ、いやこちらのことでスミマセン、、と電話の向こうに平謝りしてると、息子さんは早くもベッドでグダグダの人に、、

あれ?と玄関に行ってみると、生協の兄さんひとりで玄関先で商品の搬入している。
ごめんなさい、、
そして電話の向こうに、ちょっ、ちょっとスミマセンと断り、生協の冷凍食品や野菜を受け取りつつ、
息子ーー!伝票渡したら商品受け取れやーっ!叫ぶ、どこにでもあるような家族の風景。
も、きっと6月に入ると失われるのだ。

2020年5月27日(水)

息子休校から87日め。校門の前の雑草の茂みにひとつだけ咲いていた露草の花を描きました。
そして、晩めし後のPTA zoom直後に寝倒れ、気がつけば朝の7時。


2020年5月28日(木)

息子休校から88日め。
夕方の雷雨でいつものリフティングの練習は出来ず。
しょうがねえ、ボクは大家さんの庭のプランターに咲く茄子の花を描き、
息子は課題の選挙ポスター本ちゃんを描きました。

ポスター制作。2週間前のアイデア出しのサムネイルから、色鉛筆を使ったラフの制作と重ね、本日根性のフリーハンドいっき描き!なのだが、隣で仕事の風景画やらラフやらを制作してるオヤジ、息子のやることに干渉するつもりは毛頭ないのだがなぁ〜〜、、
が、
描きたいことと伝えたいことの線引きだけはしとけ!とか、
自分の気持ち良さは大切に、人が感じる気持ち良さには想像力を働かせ続けろよ!とか、
勢いは大切に、細部は繊細になっ!とか、
細部に気を取られすぎず、一々引いて見てみるんだぞ!とか。

ゴシックと明朝をまだまだ混ぜたら気持ち悪いぞ!とか、
ならばちょっとこれを読んでみな!と、「あなたの一票」をタイプした文字列を、ゴシック、丸ゴシック、明朝、ボールドなどなど変換したのを音読させたり。(文字のデザインに併せてはつごのニュアンスが変わるあそび、これは楽しい!みんなお子さんとやってみたらいいね。)
ともかくうるせ〜オヤジになってしまったが、
それでもまあ最後の判断は自分でやって、
特に「修正って楽しいね〜!」などという、言葉先行で発想を進めるタイプとしては、意外なところでフィジカルな喜びを見つけられただけでも、まあいいや。

今は上手さなんかより身体で覚える楽しさが、いつか自分を救う日が来るだろう。
まだ茄子を食うことが出来ずとも。


2020年5月29日(金)

息子休校から89日め。
この期間に息子が何度も口にした「カタバミ」が小さく群生するのを描きました。

朝一でリモートミーティングのあった息子。クラスメイトが先生のクジ引きのランダムな順番で自己紹介して行く中、いつ自分の番になるのかソワソワ緊張しながら待つ姿が、リモートであろうと懐かしいなあ〜。

たかが自己紹介だが俺も緊張してたよな、、などと眺める。

リモート実験中なので、うまく行かない子もいるのだけど、そうしたことも含めて、やはり子どもたちはかわいいやいなあと、小さく群れて小さな花を探しているカタバミにも、なんだかグッと感じるコロナ休校の今年。

今日はブルーインパルスが東京の空を飛ぶとの情報に、息子と身構えていると、家の真上を通過してゆくではないか!

南の窓で写真をパチリ。

北側のベランダに走りまたパチリ。

医療従事者者へのエールのため飛んだとあるけど、とりあえずはしゃいでしまった父子。
あらためてその意味を息子に伝えつつ、2周目はもっと決定的な写真を撮ってやる!という浅ましき男である、俺は。

ベランダでご近所さんと目配せしたり、息子と思いっきり歓声をあげたり。
それは良かったけど、これでコロナが消えたわけじゃない。
気を緩めず、しかし、生きるエネルギーは絶やさず、ともかく元気でやってこう。

リフティングは、最高記録タイの51回連続も、息子とのパス交換が本格的に楽しくなる技術がお互いに身に付いた2020の89日。

あとちょっとでこんな日々も終わるのだなあ。

2020年5月30日(土)

息子休校から90日め。
鉢植えのパンジーに絡む雑草のカタバミを描きました。
うん、色の関係がプリティ。

今日誕生日のカミさんは、施設長として務める保育園の6月1日再開に向けて、園で準備。
休園になって45日間ほどだったけど、なんやかんやで休めてないので、これからもお互いの仕事を尊重しながら、力合わせてやってゆかねばだ。

息子はマイペース。
俺が小一時間ほど絵を描いている間に平家物語の上巻を読んでしまったとのことで、人の世の無情についてなんやかや語りかけてくる。

で、そろそろこの休校も終わりが近いということで、昼メシは息子お気に入りのアルゼンチンサンド屋へ。注文後、三密を避け店外で待っていると、街を揺るがす息子の叫び声「うわーぉ!」なんだ!?と駆けつけると、植え込みのオリーブの木の葉っぱを触っていたら、グニャ、何かの幼虫を掴んでしまった!だって。

外で待つ何組かのお客様、皆さんマスク越しだけど笑顔になったから、まあ良し。

で、帰って色々しらべて、これはスズメ蛾の幼虫でしょうと。
夕方にカミさんの誕生日祝いの肉を買いに出たついでに、またオリーブの木を確認。今度はお店のねーさんも巻き込んで、オリーブの木の幼虫トライブ。

ああ、ほんとこんな時間はもう2度とは無いだろうな。
などと、ブルーインパルスの興奮で緩みに触れ過ぎた印象の街で、そう思った。

日課のリフティングチャレンジ、息子を差し置いて3日連続の最高記録51回、タイ、、
なんであと一回の集中力が発揮できない!
しかし、90日前は2回から始めたからなあ、、



2020年5月31日(日)

息子休校から91日め。
昨日息子と見た西洋金糸梅の花を描こうかと考えていたら、お向かいのおば様が茶花として育てている金糸梅や河原撫子、ホタル袋の花を持ってきてくださったので、金糸梅にフォーカスしながら描きました。
休校期間で育った地域の方との交流、これをさらに育てて行くことが、コロナに負けぬライフスタイル構築につながるといいな。

今日は昼間にzoomを使ったトークセッション。
絵と生き方を学んだセツモードセミナーのことや、この季節に毎年行っていた外房大原でのスケッチ旅行のことなど、主に四谷デッサン会に集う人たちに向けて2時間。

なんだか言いたいことを口にしづらくなってしまっている今に、ちょっとでも風穴空けられたらいいなと、かなり免疫力高めのぶっちゃけトークに終始してしまったが、参加者の皆さんは大丈夫だっただろうか、、

でも、ほんと、みんな、辛い気持ちや恐る思いを自分の中に溜め込んでしまわぬようにね〜!
みんなが気持ちよく語れるような、何か美しきものを作り続けてゆけたらいいなと願いつつ、脳みそ酸欠になるほど語ったのだ。

こうした語りは全て自分に返ってくるしね!アップした風景画は、Googleのストリートビューを使って描いた外房大原の風景。


四谷デッサン会のみんなが去年から復活させた”大原写生会”今年はコロナの影響で中止。こういう絵は、永遠に楽しい。明日から学校もカミさんが施設長を務める保育園も再開。

とは言っても息子はあと2日は家で授業再開の準備。この3ヶ月、ボクの感覚だとあっという間だったけど、あと2日の間でなにか美しき風景を息子と共有できたらいいなと願っています。

まあ、願うだけで特別なことはやれないのだがね。



2020年6月1日(月)

息子休校から92日め。
本日より登校を始める1年生を校門で迎え、「おはようございます」の声をかける係で向かう小学校までの道の途中、雨の中で花を咲かせた百合の花を描きました。
1年生と6年生のみの分散での登校開始日。
それも1学年を2つのグループに分けて登校日を1日ずらし、さらに1年生と6年生で時間を違えてのコロナ対策。
いつもより遅い登校時間ではあるけれど、お父さんお母さんと並んで学校に向かう子どもたちのかわいさ!
PTA活動にはどうしても「やらされる」というイメージが付いて回るのだけど、いやいや、こんな子どもたちが安全無事に学校や地域で過ごせるように働くことは、まずはヨロコビだなあ〜。
分散登校初日が明後日のウチの5年生男子くんは、まあマイペース。
「わあ!」なんて声をあげたので飛んでいってみると、日日草の花びらについた雨粒がキレイ!だって。
その他、ナメクジを指で押してみたら柔らかくて「わあ!」とか、俺が昼メシで食べてスパイシーカレーを「恐怖でしかないがひと口食べてみたい」とパク。やはり「わあ!」
が、スパイスの香りだけは最強とのこと。
興味の向くままケ・セラ・セラ
百合の花の絵は、今日の印象はこれで良いだろうけど、しばらく眺めた後、手直しするかも。

2020年6月2日(火)

息子休校から93日め。
朝の見守り、PTAとして校長先生とのミーティングなどで往復した息子小学校への道ばたで咲いているカンシロギクを描きました。
寒白菊と書きますが、ちょっ走っただけで汗の出るような寒くない陽気。
休校が始まって3ヶ月、
だなあ〜。
そして明日はついに息子登校日。
その準備も含めオンラインの学活があったのだが、「遊んでいたら忘れた〜」などと学校から戻った俺に半ベソの告白。
まあしょうがないじゃん!
その辺は仕事再開から2日目のカミさんも同じ。
隠さず告白するのも、まあ可愛いいもんだ。
ともかく明日から楽しく、しかし引き続き十分注意しながらやってきましょう!

なんやかんやで疲れの抜けぬまま、しかしルーティンのリフティングチャレンジ。

1回更新の連続52回達成!

息子と笑い話しながらでの達成。
リラックスも集中のバランス、大切だ。
息子は14回の記録のままだが、試合中ボールウォッチャーに終始していた男の子が、ちったぁーボールに食いついてくるようのなった。

顔つきも93日分更新。

このロンバケが彼の未来をちょっとでも豊かなものに変える経験のなるよう、
なんやかやこれからが重要なんだと思うぜ。


2020年6月3日(水)

息子休校から94日め。

新しい生活初日。

5年生初授業から帰った息子と昼メシ食べながら、世界で起きていることについて話していたら、たまらず黒い花の絵を描きたくなったので、描きました。

追記
息子とのリフティングチャレンジ連続60回の新記録。


2020年6月4日(木)

息子休校から95日め。
新しい生活2日めにして息子さんチームは自宅待機。

パツンパツンで仕事しなければ俺は、息子の相手をすることが出来ず。
しかし息子ももう慣れたもので、ひとりでグダッと、でもきっと一緒にいる俺に気を使いながら、今日はエジソンの伝記など読み始め、それなりにハマっている。

俺はNetflixのアメリカにおけるアフリカ系の人々が差別を受け続ける社会的システムを開設するプログラムを流したまま作画。
たまに息子から質問が飛んだりするので、それに答えていたら、思いが高まりベランダに咲くイチゴの花を描きました。

モノクロで描く絵は、見てくれる人の想像の余地をどこまで伸ばせるのか、描きながらも引き算してゆくような感じで筆を動かしています。

人の想像力を信じられなくなったら嫌だなあと、そこは日々闘うような気持ちで、しょうもない花の絵など描いています。

そういえば、今から31年前の今日は、昼めし時に絵の恩師である長澤節先生と外房大原の晴海食堂の座敷で一緒になり、テレビに映る中国の大きな広場で起きていることを見ていました。

その時長澤節先生が吐き捨てるように語ったひと言は、その後にボクが描く絵に光と影の濃淡を与え続けてくれています。



2020年6月5日(金)

息子休校から96日め。
新しい生活3日めは息子チーム登校日。

給食はまだ先なので、息子が帰る昼まで作画。
こっちの絵の具が乾くまでにあっちの絵を描き、
その合間にお気に入りのグラスにに生けられた花束、
カミさんが誕生日のプレゼントに勤務先の保育園でもらってきたのを描きました。

帰ってきた息子に昼メシ食わせると、
友だちと公園で水鉄砲バトルやるんだと出かけ、
しかししばらくすると帰ってきて「水鉄砲壊れた〜」だって。

で、アレ、水筒はどうした?と尋ねると、公園に忘れたと、、

早く取りに行ってこい!と言うと、

水鉄砲に代わる武器がぁ〜、と、、

だったらコレだ!とピコピコハンマー手渡したら、
ニヤッと笑って「いいね〜!」

小学5年男子ってこんなんだったっけ?

でもまあ久々の友だちとの時間、もろもろ気を付けて行ってきやがれ!だね〜。

で、俺は保護者会。
体育館でソーシャルディスタンシングな集い。

相変わらずPTAの委員決めがスムースな、開けた関係の子どもたちの親。良い街、良い学校なのだ。

子どもたちの安全、みんなで守って行きましょう!

からの仕事の取材夜まで。

久々の本格的な外での仕事。
もちろんあらゆることに気をつけながらだけど、コロナの3ヶ月を経験した今、思いのある人たちの語る言葉の確かさ!

その言葉に見合った絵がどう言うものなのか、
ゼロから考え、よりベストな絵を導き出さねばだ。


2020年6月6日(土)

息子休校から97日め。
新しい生活は4日めだが、土曜日。
ベランダで実をつけ始めたプチトマトの花を描きました。
息子は蚊に喰われたと早起き。
俺は仕事が気になり早起き。
保育園の始まったカミさんはゆっくり寝てればいいやと思うも、いつもの休みの日より早く起き出してきて、なんだか新しい生活なんだろう、俺たちは。

ともかく1日パッツンパッツンで仕事をやって、夕方は息子の矯正歯科。

相変わらず交通機関は使わず渋谷まで走ったり歩いたり。
前回が4週間前だから、さすがにちょいと人の増えた街を、デカい声で何か叫んでやってきた友人とハグするマスク無しの女性など横目に抜けてゆく。

息子を矯正歯科に預けたら、画材のウエマツ、明日の朝食のクロワッサン、プリンターのインク購入でビックカメラと、ダッシュ20秒圏内で一気に買い物。
息子をピックアップしてから久々のコーヒー屋へ、コーヒー豆を購入しつつ、これまでの期間の営業やみんなの健康状態など確認。
まだまだ大変は続くけど、お互い助け合ってやってゆきたいね〜。

で、帰りは久々の地下鉄。
息子の足元に放置されているストローの刺さったプラカップを見て、親子でゲンナリ、、

想像力、失ったらあかんよ〜、、

そんなわけで、今日描いた絵は、いつものボードを切らしてしまっていたので、片手で握れちゃうサイズのキャンバスにペイント。

小さくてなに描いているのか分からなくなってしまったが、なんだが免疫力高そうなモノは生まれた。



2020年6月7日(日)

息子休校から98日め。
新しい生活5日めだが日曜日。

息子は明日月曜日も自宅待機日なので、
3月からあまり変わらぬ生活が続いてゆくイメージ。

朝からカラスが盛り上がっていた日曜日。

緑の濃くなる街で、控えめな、
しかし目に鮮やかな薄紫色を見せる額紫陽花を描きました。

1ヶ月くらい前に描いた時は白かったのだが、今は薄紫。
その色が緑色色をより引き立てているような関係。
そんな自分の感じた魅力を絵にするのは、難しいねえ〜、、

息子さんは参加するサッカークラブ初のオンラインレクリエーション。
インストラクターの方の指導の元、実際にサッカーをふプレーする際のケガをしないようにと、体幹をキープしながらの脱力ダンス。

zoomに並ぶ顔がみんな元気でうれしくなるね!

ところで、ダンスの指導は普段息子にアドバイスしていることと一緒なのだが、なぜ俺が言うと嫌な顔する??

PCの画面に向かって思いっきり素直な表情を飛ばす息子、、
まあしょうがねえか。

2020年6月8日(月)

息子休校から99日め。
公園まで息子を迎えにゆく途中で、西日を背に受け鮮やかに輝いていたタチアオイの花を描きました。

息子チームは自宅でオンライン授業。
先生方がなんだかんだと準備を進めてこられ、
1時間めからのオンラインは初。

なわけで俺も寝ている場合じゃ無く、
ちょっと昔なら寝る時間から仕事スタート。

午前中4時間のオンライン授業、
隣で音声だけ聞こえてくるが、中々の内容。

つい息子に「それはこうだろう」なんて声をかけてしまったり、
授業が終えた瞬間からから、疑問に感じたことを一緒に調べたり。
これはこれで楽しくないか!?

が!!この日は渋谷区と世田谷区の学校に爆弾仕掛けたメールが届けられたとのこと、、
授業を一旦中止にして、学校に行ってるチームは校庭に退避で安全確認。

まあ愉快犯みたいなものなのだろう、大事には至らぬも、
今日は大阪の池田の小学校で痛ましい事件が起きてから19年の日。
ほんとシャレにならんし、これからも顔の見える関係のみんなで力を合わせ、子どもたちを守ってゆかねばだ!!

そんなわけで、午後に公園に遊びに出た息子のことが気になり、迎えに行ってみたあれから19年めの6月8日。

アリを捕まえるんだと、ガラス容器に砂糖を入れて持って出た息子だが、仕掛けていたガラス容器、誰が間違えて蹴ってしまったと。

まあアリさんを慣れぬ環境に連れてゆくのも何だしね、
これでよかったんじゃないのかな。

2020年6月9日(火)

息子休校から100日め。
近所で栽培されているキュウリの花を描きました。
幼稚園みたいな色だと思いながら描いていたけど、
そうだ、俺が幼稚園の時の園児服と帽子の色だ。

今日は登校日で、なんと給食まで食べて帰ってきた息子と学校のことなど話しながら、100日間で掘り下げていった自分ってものに気がついた真夏日。

流石にご近所に迷惑かかるようになったリフティングチャレンジを、近所の公園まで行って再開。

すると、息子と保育園から一緒のイケメン君がやってきて、ひとことふたこと言葉を交わす。
息子と彼はどちらもマイペースで、あまり言葉を交わさず。

しかし、出会って7年の仲間、これからも大切にしてゆきなよ〜!

そんな気持ちもキャウリに託したか。

で、軽く100日を振り返ると、
「コロナ禍」という言葉は「コロナ苦」と言い換え、
「自粛」は「自主予防」という言葉に置き換えている俺。
ワザワイだから仕方ねえとは言い切れないものがあるし、ワザワイはシェア出来ないが苦労なら分かち合えるだろう。そして、自粛などするヒマも無くやるべきことやっり続けけているし、微力でしかないが、これからも感染拡大を防ぐ一翼でありたいぜ。

などとイキってみるも、
明日はまた息子は自宅での学習。

101日めもこれまでと変わらず新たな日常の模索なのだ。

2020年6月10日(水)

息子休校から101日め。

代々木上原までヘアカットしてる息子を迎えにいった帰り、
花屋で見たブーゲンビリアの花を描きました。

100日続けてきて、街で見かける花の色もすっかり夏を迎える鮮やかなものに。
なかなか自分の手に負えぬ花ばかりになってきたが、新しい生活の中で目に止まったものがあれば、これからも描いてゆくつもり。
が、夏の前に梅雨だ、、

が、その前にずっと描き続けている絵本を仕上げなければだ。

去年の今頃、イラストレーターの大先輩である山口はるみさんと話をしていて、
「あなたは人も花のようにして描けばいいのよ」なんて言っていただき、
この100日間は特に、花を描きながら人を描き、人を描きながら花を描くことを続け、
そこに息子との時間が掛け合わされて、
さて、なにか生まれるのだろうか。

コロナ苦はこれからも続くのだが、
この経験は絶対なにか美しきものに昇華しなければならない。