‘雑記’ カテゴリーのアーカイブ

MORITRATIONの取材を受けました。

2020 年 10 月 20 日 火曜日

彦坂版画工房のもりといずみくんに取材されましたの前半。
https://www.hicohan.com/interview/interview-891/
画法は違うが仕事のあり方や仕事を創る発想は似ていて、
とてもリスペクトしている彦坂版画工房
https://www.hicohan.com

仕事の在り方にフォーカスした独自の取材記事を、
自身のサイトに搭載する発想。流石です!

普段あまり語らないイラストレーションの話ですが、
鼻で笑って苦笑いしてもらえたら幸いであります。


鈴木テル子さん。

2020 年 8 月 16 日 日曜日

伊豆七島のひとつ、神津島の 神津島村郷土資料館 に展示されていた小さな絵に釘付けになりました。

描かれている女性がイキイキとして綺麗。
衣装が丁寧におしゃれに描写されているが、
合わせてフィジカルな表現も確かでとてもセクシー。

もちろん色も綺麗だし、
自然と人が織りなす構図が素晴らしい!


作者は鈴木テル子さん。
その名前を知らぬでいた作家さんは、
人形作家としても素晴らしい作品を遺しています。

もう他界された方ですが、
その足跡が記されていました。

鈴木テル子

大正10年-1921年3月22日 東京深川に生まれる

大正12年 (2才)関東大震災で京都へ引っ越す

昭和 6年  (10才) 交通事故に遭い障害を持つ

昭和 7年 (11才) 両親の郷里、神津島に帰る

昭和13年 (17才) 人形作りを開始

昭和19年 (23才) 母親死亡

昭和23年 (27才) 父親死亡

昭和24年 (28才) 第一回現代人形美術展入賞

昭和26年 (30才) 本格的に作画を開始

昭和38年 (42才) 島の娘を題材にした絵葉書発行

昭和54年 (57才) 大島老人ホームに一時入所

昭和59年 (62才) 大島老人ホームに正式入所

(没年は個人的に確認出来ていない)

11歳で神津島に渡り、その後大島の老人ホームに入所するまで、一度も神津島を出ない生活の中で創作を続けてこられたとのこと。

若くして負った障害やご両親の早逝といった喪失は、
すべて島の女性たちの風俗を描写するエネルギーに変えられたのでしょうか。

しかし、そうした彼女の境遇を知らくても、
遺された作品が今もイキイキと目の前で呼吸を続けていることに感動するのです。

なんだろうね、実際は厳しい労働のはずなんだろうけど、
描かれている女性たちはみな、地球の重力から解放されたようにフワッとエレガントな姿でいる。

ここでアップしているのは、資料館で了承を得て撮影した写真と、
島内の公設の物産販売のコーナーで売られていたポストカードです。


ポストカードは昭和38年に一度作成されたことがあったそうですが、そうしたものの原画が見つからず、昭和が終わるくらいの時期に再度描き下ろしてもらい、現在販売しているポストカードを作成したとのこと。

彼女を知る人に尋ねると、彼女の作品は体系的に管理されていないとのこと。
遺された作品がどれだけあるのか?その辺もわからないでいるそうです。

ボクはどうしてもイラストレーター目線で絵を見てしまうのですが、
鈴木テル子さん、やはりすごい!
もはや恋愛の対象のようでさえあり、
もしご存命だったら、会いたかったなあ〜。。


テル子さんの作品、神津島だけじゃなくて、日本の宝として多くの人に見てもらいたい。
そのためにもデジタルアーカイブ化だけでもしておけたらなあ〜


誰かやらねば!

自分がやるか。


父の言葉、父からの言葉。

2018 年 3 月 25 日 日曜日


平成30年3月17日に父 小池宏が亡くなりました。
昭和13年8月6日に群馬県で生まれて、享年79歳でした。

3月20日に親族のみの見送りの会を設けました。
生前にお世話になった皆様には、
ご報告が遅くなってしまったこと申し訳なく思うばかりですが、
静かな別れは父の願いでありましたので、
御香典等のお心遣いの辞退と共に、ご理解いただけたら幸いに存じます。

以下にこれまでの経過を記しておきます。

昨年7月9日に脳梗塞を発症させ群馬県伊勢崎市の三原記念病院に入院。
主に肢体の右側と喉に障害が見られ、発語に難儀するようになりました。

それでも闘病と共にリハビリを頑張っていたのですが、
8月20日にさらに脳梗塞を発症、
熱い希望であった家に帰ることが叶わなくなりました。

10月31日に在宅型有料老人ホーム アンボーリータへ入所。
併せて小規模多機能介護施設 平成の家を利用を開始。
生活全般のケアを受けながら、リハビリを続ける日々を過ごしていました。

しかし、12月8日に発熱。
その後一旦は回復に向かいましたが、
12月20日に肺炎の発症が確認され、伊勢崎福島病院に緊急入院。
家族として覚悟しなければならない状況であることを告げられました。

それから何度か危険な状況を向かえながらも、
若い頃から鍛えてきた強靭な体力と心臓をもって、
その生をつないできた父ですが、
3月9日に容体が急変。

その後さらに生を燃やし続けるも、
3月17日、ボクの確認では13時に、
初春の大地に雨水が染み込むような静けさと穏やかさをもって、
息をひきとりました。

音楽、特にクラシック音楽を愛した父の最期の一曲は、
ルービンシュタインのピアノによるベートーベンのピアノソナタ第八番ハ短調作品13「悲愴」
第2章アンダージョ・カンタビレ
演奏時間5分36秒。
残り42秒ほどのことろでピアノが軽やかに動くところでバイタルが消えました。

医師の死亡診断は、
妹が到着直後の13時58分

遺体は17日中に前橋メモリードホールに移送。

父が安置されていた部屋では、
父が生まれ育った土地の風景が思い浮かべられる最も父らしい曲、
ベートーベンの協奏曲第六番「田園」を流し続けました。

そして、
20日昼前に晩年に帰依をしたキリスト教に即したお別れの時を持ち、
その後親族によるお別れの集いを、無宗教の家族葬として執り行い、
前橋斎場にて荼毘に付すに至りました。


3月17日は、前日までの曇り空も晴れて、
父の愛した群馬の名峰たちが春の霞の中で優しくもキリッとその稜線を見せ、
父を見送ってくれているように感じたものです。

滞在していたホテルから病院まで、
粕川という川の土手を駆けていったのですが、
この川を10kmも遡れば、父の生まれ育った旧粕川村室沢という集落にたどり着くはず。
さらにその先を望めば、父もボクもそのシルエットを背負って生きてきた赤城山。
足元には菜の花や水仙など、父の愛した野の花が可憐に点在しているのを見ました。

父の言葉で最後に確認出来たのは昨年12月25日。

「もっと働きてえ」
「もっと人の役にたちてえ」

2002年8月に1度目の脳梗塞を発症するまでは、
ともかく仕事、仕事。
そして、仕事以外でも自分のことより人のために尽力し、
ごく個人的のことは1人で、
趣味を超えた山歩きの中に昇華していたような人です。

体の自由が制限されてからは、
クラシックミュージックへの心酔から憧れに繋がったはずの
キリスト教の学びが生きる支えであると共に、
他者の幸せを望み続きた晩年でありました。

後添いの方を4年前に亡くし、
その後はひとり暮らしを余儀なくさせてしまいましたが、
ボクの息子に愛を注いでくれ、
ボクとしては、父との間にどうにもならなく存在した齟齬も、
柔らかく溶けていった4年。

その人生を俯瞰してみると、苦悩に満ちた期間も長かったはずですが、
最後はほんと、春の始まりの時の柔らかな光を身に纏ったような、
穏やかな表情で逝きました。

その最晩年に父に寄り添い続けられたことは、
今後のボクの作るものに力強く反映させてゆかねばなりません。

昨年の7月から3月までの8ヶ月ちょっとの期間に出会ってきた、
医療、介護、行政、金融、葬儀などなどの仕事に就かれている方々、
その真摯な仕事ぶりと対応に頭がさがるばかりでなく、
絵を生業にしているボクでも見習うべき美しきマインドに出会えた期間でもあり、
父はその人生をかけてそんな出会いをボクに与えてくれたんだと。

父の「もっと働きてえ」「もっと人の役にたちてえ」という願いには、
「だいじょうぶ、こうしてベッドに寝てても、ちゃんと人の役にやってるぜ!」と
答えておきました。

人のためにその人生を捧げた父は、
経済的ななにかを一切残さず逝ってしまいました。

ただ、ボクが小学校3年生の時、
従兄弟のお爺様が亡くなったことで「人はいつか死ぬ」ということを受け入れきれないでいたボクは、
父や母、お婆ちゃんやおじちゃんおばちゃん1人ひとりに泣きながら「死なないでくれ」とお願いしていたのだけど、

父は「お前が死ぬ時まで生きていて、一緒に死んでやるからだいじょうぶだ」って、
アッケラカンと確信に満ちた口調で返してくれて、
子どもながらに「そんなことは出来ないだろう」と思ったけれど、
不思議と心が軽くなったことを記憶しています。

そんな言葉がボクをここまで生かしてくれてるし、
人生の事あるごとにボクを突き動かす力になっているはずだし、
震災以降ボクを東北方面に弾き飛ばしていった力にもなったはずだし、
ボクも息子にそんなアッケラカンとした力を手渡して行かねばです。

ワタリガニがやって来ました。

2017 年 6 月 8 日 木曜日


いつもお世話になっている宮城県塩釜で養殖漁を営む共栄丸さんから、
渡り蟹と牡蠣を送っていただきました。


渡り蟹は実際に渡ってきたところを捕獲。
養殖から一歩踏み出し、地域の味覚発掘中の共栄丸さん。

牡蠣はシーズン最後の旨味たっぷりの加熱用。
生食より加熱した牡蠣が好きなので、
待ってました!って感じで牡蠣フライ。


これはもう”大ご馳走”です。

共栄丸さんは、養殖の昆布やワカメ、牡蠣やホタテを地域ブランドどして育てると共に、
塩釜港から松島湾にいたるエリアを、万葉からの呼び名「千賀の浦」を復活させ、
地域のアイデンティティの軸にしようと取り組んでいます。

そして渡り蟹。

ごめんよ、カニくん、カニさん。
食べ方の下手なボクは家族のレクチャーを受けながら、
なんとかカニくん、カニさんを味わい尽くしました。


ありがとう、カニくん、カニさん。
渡り蟹と合わせて呑んだ酒が、いつもの数十倍旨く感じました。

カニの種類は色々あれど、
やっぱ一番好きなのは渡り蟹。

共栄丸さん、ありがとう。
(さらに…)

諏訪から名古屋へ

2016 年 12 月 9 日 金曜日

11月21日朝、新宿から高速バスを駆って長野県茅野市を目指しました。

JR茅野駅前の今井書店。
店主の高村志保さんが絵本「とうだい」に
並々ならぬ愛を注いでくれているのをネットを通して知り、
ぜひ会ってみたいと思った衝動旅。

わずかな時間でしたが、
高村志保さんの絵本に注ぐ熱い思いを浴びました。

ボクの仕事はこんなひとりに支えられているし、
こんなひとりに鍛えられるべきものだと、
同時にうかがった町の本屋さんの厳しい現実も含め、
帰ってきてからの仕事への気持ちが正された時。

高村さん、
今井書店の美しい本棚に出会わせてくださったこと、
そしてたくさんの愛をありがとうございました!

「とうだい」の原画1点を置いてきました。
12月一杯くらいは今井書店で出会っていただけますので、
みなさんぜひ「町の熱い現場」今井書店へぜひ!

茅野市電車で10分、
上諏訪へ。

廃材が若々しく生き返る未来の現場。
ReBuilding Center JAPAN へも「とうだい」原画お届け。

ポートランドが礎となる未来の発想の現場。
それを日本で展開するマインドの若々しさ清々しさにクラっときてね〜、
オーナーの東野さんとつい長話し。

リビセンのこと、そして東野さんたちスタッフのことなどは、
これから数々のメディアで紹介されるはずなので、
ボクが変に説明してしまう必要はないと思うのだけど、

東野さんとは今年5月にSHOZOで展覧会をやってる時に出会ったってことが、
ボクにとって意味深いことだと思うし、
SHOZOとの関係と同じく、焦ることなくじっくり付き合ってゆきたいと思っています。

そんな出会いの1日がうれしくて、
つい諏訪湖一周ランニング16km

自分の足で走ってみたら、
この土地の持つ力に思いっきり魅せられました。

あくる日の昼前に下諏訪フィールドワーク

3時間ほどでしたが、
やはり諏訪の魅力に取り憑かれかなりの距離を歩いたなあ〜

諏訪の御柱

人間の自然との共存
と言うより
人間は自然に含まれる

そんな哲学を感じました。

本来拝殿を持たぬ山の神様は、
森の木漏れ日や川のせせらぎや鳥の声などの揺らぎでもって
人間をトランスの境地に誘い、
そこが何かのボーダーであることを知らしめたんじゃないかなんて、

そして、ここから見る東日本が面白い!
(この辺はまたなにかのタイミングで言葉にしてみます)

日本列島の中央構造帯の真ん中で、
なにかを分かち、なにかとなにかが交わる場所。

わずかな時間の諏訪滞在だけど、
深い想像の時を楽しめた。
間違いなく、また来ます。

諏訪からは高速バスで名古屋へ
本屋巡礼、名古屋のメルヘンハウス

入店したとたん「アミイゴさん!?」

なるほど、キミか!
セツモードセミナーの後輩にあたる丈太郎くん、
日本最古の絵本専門の本屋の2代目として奮闘していました。

そして、
絵本に関する熱い思い、「とうだい」に対する愛、
ここでも全身で浴びることができました。

茅野市の今井書店もここも、
今原画を展示しているジュンク堂書店池袋店児童書コーナーも、
先週ワークショップでお世話になった湘南Tsiteの蔦屋書店の児童書コーナーも、
良い売り場は目が痛くない。

そして、売り場に立つ人の哲学が生きている。
ともかく美しい。

そんなマインドは森岡書店の「一冊の本を売る」という発想に集約されるんだろう。

そんな現場の1人ひとりが1冊の本をそれを必要とするひとりに手渡してゆく。

これからボクが作るもの、
そこには編集やデザインのプロが関わってゆくのだけど、
本屋という最前線に立たれる方とのコミュニケーションも、
作品に反映されるべきだし、
そもそもボクたちは同じ足場、同じ目線の高さで一緒になにかを創ってゆく、
そんなマインドを育ててゆかねば、
大切な場所や人はますます失われていってしまうんだと思いました。

で、メルヘンハウスから歩いてライブハウスtokuzoへ!

今年一番LOVEなアーティストYeYeのサイコーなアルバム「ひと」のレコ発ツアーLIVE。

かなりの直感をもって、
これは名古屋のtokuzoで聴きたいぞ!と。

答えは大正解!!

音楽と人に対する愛に溢れた、
そして食い物も一杯のハイボウルも当たり前に美味い現場で初 YeYe BAND

いい時間だったなあ〜〜

YeYe バンドのメンバー、
みんなバカチンでサイコーだったなあ〜

酔っ払ったなあ〜〜

あ!!高速バスの時間、、

バイバイまたね〜〜〜〜〜〜

っと、、
高速バス駆け込み、

う〜〜〜、きもちわり〜〜〜〜と早朝の新宿まで。

出会ったみんなーーー!
ほんと、またね〜〜〜!!

さあ、中2日で東北へ!!