‘SOUL’ カテゴリーのアーカイブ

156ヶ月め

2024 年 3 月 10 日 日曜日


今日は2011年3月11日から4,749日
678週と3日
13年め
156回めの11日です。

先日、渋谷区うちの近所のパン屋のカフェに居合わせた仙台在住の方と話し込むことがありました。

震災直後から東北に行くようになったこと。
そんな中で、まだ小さかった息子に初めて寿司を食わせたのが仙台だったこと。
その際、お店の常連さんにとても良くしてもらったことなどなど。

共通の知人の名前も数名上がり、話は絵本「うーこのてがみ」について。

この絵本は、アートプロジェクト「鮫ヶ浦 水曜日郵便局」と連携し創作したこと。

プロジェクトの舞台は津波被害の大きかった宮城県東松島市の宮戸島であり、
絵本を制作する際に取材に行ったこと。

うーこのモデルは、宮戸島と松島湾の挟んだ対岸の塩釜で、
わかめの生産をされているご家族の長女であること。

彼女とは震災から1年10ヶ月後の塩釜港の復興市場で出会ったこと。
その際に白詰草を描いたポストカードを手渡したこと。

家に帰って間もなく、彼女から手紙が届いたんだけど、
そこには彼女の白詰草にまつわるパーソナルな思い出と、
震災直後ご主人の仕事場である松島湾の海から見上げた空に、
カモメが何事も無いよう飛んでいる姿に希望を感じた話が書かれていて、
自分はそこで「被災」と「復興」の意味を自分なりに言語化出来たこと。

自分はすぐに塩釜に行き、彼女に会って、
「ご主人さんの仕事場見てくるね!」と松島湾へ。
そこで見たカモメの姿を描いた絵がきっかけで、

「とうだい」という絵本の作画担当が決まり、
熊本でのアートプロジェクト「赤崎水曜日郵便局」の書籍の表紙を担当し、
そのプロジェクトの母体である「つなぎ美術館」での展覧会、
さらには「鮫ヶ浦水曜日郵便局」に紐ついた「うーこのてがみ」の制作に繋がったこと。

「うーこのてがみ」はうーこが友人との手紙のやりとりを重ねることで、
今自分が生きている場所の魅力に気がつくというファンタジー。
ボクは彼女から手渡され『人ひとりが生きるに必要な大切なこと』を
リアリズムを持ってこの物語にこめています。

さらに、同じ絵柄で塩釜の市場の壁画も作成したこと。

しかし、その壁画も「うーこのてがみ」も、彼女には見てもらえなかったこと。

震災直後から家族の力になろうと奮闘してきた彼女は、
ボクに家族が営む海産物のブランディングの仕事を投げてくれたり、
塩釜でのボクの展覧会も計画してくれていたんだけど、

頑張りすぎたんだろう、
2018年夏に急逝されてしまった。

こんなお話を初めて会った人に夢中になって語っているのは、
2024年3月11日の自分は、昨夏能登で出会った人たちと会う約束をしているからだろう。

2011年3月11日以降に出会ったことは、
自分に多くのことを与えてくれた。

それをどのようの形で次に手渡してゆくのか。

あらためて見つめ直す、
あれから13年の11日です。

155ヶ月め

2024 年 2 月 11 日 日曜日


今日は2011年3月11日から4,720日
674週2日
12年11ヶ月
155回目の11日です。

2024年2月11日は大分県別府の鉄輪で壁画制作を行っています。

そんなわけで、このブログは後日書いているのですが、
11日から14日までの作業で、知人が新たにオープンするお店の壁に菜の花を描きました。


ボクよりちょっと先輩の和田さんは、
東日本大震災をきっかけに職を失うも、
その人柄が引き寄せる「出来る」仲間たちの助言を受け、
築地で「おかみ丼々 和田」というお店を始めました。
2012年、和田さんが60歳の時です。

うどん屋での修行で身につけた自慢のお出汁で作るどんぶりメシの店は、
お客様のニーズに応え、良い酒と美味いおばんざいの楽しめる店へと成長。
熱烈なファンを獲得することになります。

しかし、コロナによるパンデミックで足踏み。
やはり多くのお客様の力で持ち堪えるも、
ご自身の人生を考え、2年前に鉄輪へ移住。

この2年間に彼女を慕い鉄輪を訪れる方が急増。
地域の方にも慕われ、協力も得て、
72歳になった今、この地域の新たな拠点として店を、
古い建物をリノベーションし作ることになりました。

築地時代はボクの展覧会によく足を運んでくださり、絵を購入してくれたり、
ボクの友人で、東北での被災から再建した生産者さんと繋がってくれたり。

そんなご縁に対して「店が出来たら絵を描きに行きますよ!」と約束。

さらに、大分に移住した作家で大工仕事もする友人を紹介。

ざっとこんな理由でボクは鉄輪で菜の花の絵を描いているのです。

大国入った友人とは、
東京で大分で、ライブイベントや展覧会などなど、
自分たちが本当に美しいと思える場所作りをしてきました。

東日本大震災の余震で街がグラついていた2011年4月には、
まさに花の絵の展覧会を一緒に作っていたなあ〜。

そんな彼との久々のコラボは、とても嬉しくとても緊張感のあるものです。

また、ボクは和田さんに請われてここに来たのですが、
だからって自分勝手な絵を描くわけにはいかず、
ともかく、関わるみんなとコミュニケーションをとって、
関わるみんなのベストとなるものを作らねばです。

そのために、鉄輪の街を歩き回って、ここがどんな場所なのか、
ここに足を運ぶ人が求めるものがなんであるのかをキャッチ。

そしてまた関わるみんなとの会話。
そこから感じる熱を頼りに答えらしき方に向かって筆を動かしてゆきました。

この作業の背景には「今後能登をどう描けばいいのか?」というエクスキューズが、
渦巻いていたはずです。

2011年3月11日から続けてきたことは、ひたすら考え続けるってことなんだろうか。
いつも同じところをグルグル回っているだけで、
しかし、その時々で出会う人や空の色、道端に咲いてる花なんてものが、
まだまだ考え続けないといけないぜ!と語ってくれて、
そうだね、しょうがねえ、まだまだグルグル考え続けるしかねえな。
と。

和田さんが新たに生きる場所で、
自分のこれからをグルグルと考えることの出来た創作の美しき時間。
ありがとうございました。

店が出来るの、楽しみ!

 

震災後の子どものための絵のワークショップ

2024 年 1 月 21 日 日曜日


絵のワークショップをやるようになって20年以上経ちますが、
2011年3月11日の東日本大震災発災後に「子どものためにワークショプを開催してくれ」との声が増え、
それに対して基本的にすべて引き受けています。

お声掛けくださるのは個人から行政まで様々。

その際「講師料はいくらでしょうか?」と質問を受けますが、
それに対してまず「出来る範囲で考えてください」と伝え、
次に「一度やってまた同じようなことが出来るイメージを持って考えてみてください」と。
もし仲間がいるのなら、そのことを皆さんで考えられ、
その上でお金が無いというのであれば、無報酬でも引き受けます。

このことで重要なのは、自分が報酬を得ることでは無く、子どもたちが笑顔になれること。

こんな確信を持って活動するのは、やはり東日本大震災以降で、
それは未曾有と言われた悲劇に対するボクなりの闘い方なんでしょう。

ただ、こうしか経験は、自分の仕事にリアリティをもたらし、
ボクやボクの家族、さらには自分が属するコミュニティを確かななものにする力になっているはずです。

写真は12年前の3月に気仙沼で開催したワークショップ。
この時は共に行動する仲間を得て、大漁旗に絵を描くワークショップとして開催しました。

その時のワークショップをアーカイブしたブログ
https://yakuin-records.com/amigos/?p=7542
震災から1年後の気仙沼のことも綴っています。
https://yakuin-records.com/amigos/?p=7578

今読み返すと、自分は震災後の混乱の中にあるし、
子どもと向き合い起きることに対して言語化が追いついていなかったことに気づきます。

そもそも全ての現場で行うことが初めて行うこと。

それはどんな状況でもまず飛び込んでしまう自分の良いか悪いか分からぬ資質によりますが、
こうした現場を重ねて行く中で言葉が追いついてきたこともあります。

この時の気仙沼の経験のひとつは、後ほどあらゆる現場で以下のように語るようになります。

震災から1年後の気仙沼で子どもと大漁旗に絵を描くワークショップをやったんだけど、
テーマは「学校や保育園や家でやったら怒られちゃうだろうけど、今日は好きなもの描こう!」ってね。
沢山集まってくれた中でも、オシャレした女の子3人組が最初からテンション高くてね。
何か叫びながらなんだけど、すごく綺麗な色を使ってオシャレな絵を描いてゆくので、
「キミたち、おしゃれだね〜!」なんてレスポンス返していったら、さらにオシャレを加速させて。
これは傑作が出来るぞ!って思ってたところ、1人の女の子の目つきが変わって、、
何するんだ!って思ったら、真っ赤な絵の具でベタっと「復興するぞ!」と書いたんよ。

それまで美しく楽しくおしゃれに仕上がっていた画面が台無しになっちゃって、、
でも「好きなもの描こう!」て言った自分はそれを否定するわけにはいかず、
「復興するぞ!だね〜」と声をかけたら、なんかその子の目が悲しそうなんよ。
で、「それ書いて楽しかったかな?今日は好きなものだけ描いていいんだぜ」
「今日みんなで描いた絵、めちゃくちゃオシャレで俺は元気になったぜ!」
そんな声掛けしたら表情が緩んで、ホッとした柔らかな表情を見せてくれた。

これはどういうことか考えたんだけど、
すべての大人が「復興」のために頑張っている。
それを見ている子どもたちは、自分の楽しいより「復興するぞ!」と書いた方が、
大人が喜んでくれる。もしくは安心してくれる。
そんな先回りした考えがあったんだろう。

大人に連れてこられた絵のワークショップで、それに答えるように「元気に」絵を描く姿を見せたら、
オトナが喜んでくれるであろう言葉を、険しい表情で書き殴った子どもたち。

すげーいい子たち。
だけで、俺は大人だから、君たちが好きな絵を描いて、出し切ってホッとした顔見せてくれるのが、
幸せなんだ〜

そのために気仙沼まで来たんよ。

もしくは熊本地震から3ヶ月後の熊本市内でのワークショップ。

その日は、大人たちが震災復興バザーをやっている隣のスペースで、
子どもたちと絵を描いてくださいというオーダー。

みんなで大きな絵を描きはじまたんだけど、
ひとりものすごく反抗する子がいる。

ボクはこの子とほぼマンツーマンでのコミュニケーションになってしまったのだけど、
反抗の意味が掴めないでいる。

彼女の反抗は絵を描くのを楽しんでいる子たちのマインドも揺るがしちゃって、、
これはもう無理だと、
このワークショップはその子とボクがガチで向き合う姿を他の子に見てもらうものでいいやと、
さらに徹底的に彼女の反抗的なアクションに付き合う。

と、絵の具をベターっとつけた紙パレットをキャンバスに投げつけ踏みつけ、、
「そこまでやれば気持ちいいだろう!」と言って、
その子が紙パレットを剥がすと、それがとても綺麗。
「おい、それ綺麗だなあ〜!」と伝えたら、初めてニヤっとだけど笑って、
親がいる部屋の方に走っていってしまった。

いや、すごい暴れん坊だったなあ〜と思って、
その日の夜のバザーの打ち上げのような会場で言ってみると、
さっきの子がニッコニコで募金集めをやっている。

なんだ?すげーいい子じゃん。

彼女を知る大人に聞けば、彼女の家は地震の被害が酷かったそう。

そうか、
彼女は大人たちが復興のために奮闘するバザー会場に連れて来られて、
そこでバザーのお手伝いをせず、絵を描くワークショップに参加させられた。

オトナが復興に向けて頑張っているのに、
私は子どもだからって絵を描いて遊ばなければならないの?

彼女の反抗のエネルギーはそんなだったのだろう。
それは夜の表情でわかった。

でも、
絵を描くワークショップの現場で絵の具を投げつけたことでアウトプットできたことがあってこその、
夜の表情とも言えなくないかな。

別れ際に「ありがとー」と、いわゆる子どもらしく朗らかに声をかけてくれたことで、
なんだが自分も救われちゃったぜ。

熊本では同じタイミングで別の場所でもワークショップをやったんだけど。

そちらは親と子が一緒の現場で、子どもたちは親の視線に守られて安心して出し切っていった。

自分の子どもたちとのワークショップでは、
アートは手段であり、
目的は子どもたちの心の中で蓋をされてしまった恐怖の記憶のアウトプットだったり、
この先の未来を生きるための「気持ちの良い自分」の発見だったり、
子どもたちとと日常を共にする親やコミュニティの関係性の更新だったり。
そんなことを確信的に思えた熊本でも2本のワークショップでした。

そして、
12年前の気仙沼も、8年前の熊本も、今自分が暮らす東京も、2024年の能登も、
すべては自分の中では地続きであり、
もし自分のような者でも必要とされるのであれば、画材を担いで向かいますよ!
ということです。

154ヶ月め_能登へ

2024 年 1 月 11 日 木曜日


今日は2011年3月11日から4,689日
12年10ヶ月
154回目の11日です。

1月1日に発生した能登半島地震。
今日11日の段階で、213名の方が犠牲になり、
まだ安否がわからない方も多数おられるとのこと。

これ以上被害が広がらないことを願うばかりであります。

能登は昨年7月にご縁をいただき、
その際にお世話になった方が現地から情報発信して下さっています。

ただただ厳しい現地の状況に触れ、
災害救助の能力を持たぬ自分の無力を知るばかり。

ほんとみなさん、どうかご無事であってください。

自分で出来ることとして、
東日本大震災の時のアクションを踏襲し、
能登で地震のあった夜、義援活動に使えるデザインの配布を始めています。
https://yakuin-records.com/amigos/?p=15978
↑リンク先の画像やこちら↓の画像は自由にお使いください。


また、
この画像を使ったポストカードを印刷し、
SNSで募った希望者に配布しました。

現在在庫が少なくなってしまっていますが、
もしご希望あれば増刷し送りますので、ご遠慮なくお申し付けくださいませ。
(これらの活動はすべて無償で行っております。)

元旦の16時台に発生した地震なので、
日本の多くの家庭で、普段テレビを見ない人がこの悲劇を目の当たりにしたのが、
東日本大震災以来の状況ではないかと想像します。

仕事で日本各地を巡って気がつくのは、
日本で暮らすほとんどの方は心優しき人であること。

そんな方の想像力を揺すぶらせてしまうのも、
自然災害の恐ろしさと考えます。

東日本を振り返れば、
当時は1年で3万人を超える人が自殺していた時代でした。

日本に暮らす多くの方が生きづらさを感じていたところに、
多くの人命が失われてしまう事態が起きた。
さらには、生活が破壊される事故が起きた。

自分は被災されその瞬間困難に直面されている人と共に、
この瞬間こころを痛めた被災と対岸にある人のことも想像しました。

多くの人が悲惨な映像に接し心をフリーズさせていることは想像出来ます。
そんな1人が小さなアクションを起こすことで、心を1mでも動かすことの重要さを直感し、
誰でも使える日本列島の絵を描いて、3月11日の夜にネットでシェアしました。


今回も同様のアクションを行ってみると、
やはり東日本の時と同じくらいのリアクションを頂き、
能登半島地震に多くの方が心痛めておられることが実感出来ました。

自分のこれまでの経験では、
被災に対して人ひとりが役に立てるフェーズは必ずやってきます。

それが何年後になろうとも、
今困難な状況に置かれている人に対する想像力を失わない限り、
力を必要とされる場面は訪れます。

メディアから伝わる義援活動は、個人の能力を遥かに超えた数字で伝えられたりします。
「〇〇さんが数千万円の寄付を行った」みたいなことですね。

それは素晴らしいことですが、善良な1人がそうした情報に潰される必要は無く、
1人の人間として想像力が途切れぬ分母の小さな働きを考えることも、
困難な状況にある方を助ける力になると信じてもらえたらいいな〜

日本に暮らす心優しき誰か1人が、
今困難に直面している誰か1人の笑顔を作れたら、
それはものすごく大きな力に育ちます。

今は復興では無く、救助と復旧の段階ですが、
いつか復興の段階に入った時、
1人に生まれた笑顔が、そのまわりの人を助ける力になる。

そんな想像を被災の対岸で育てることは、
たとえば、今多くの場所で起きている義援活動の現場に、
風通しの良い会話が生まれることで確かなものになるはずです。

1月2日には近所の仲間のコーヒー屋リトルナップコーヒースタンドが、
正月休みを返上した募金活動を、ボクの絵使って始めました。

自分も駆けつけてみると、
ちょっと驚くくらいのお金が集まっている。
のだが、
それ以上に後から後から駆けつける人たちが無言で募金し、
しかし、その後はみなさん語り合っている。

この意語り合っている風景こそ力だなと。

募金の送り先は北陸出身の店主に安心してお任せ出来ます。
そして、もしこの街で災害が起きた際は、
そこに助け合って生きようとする仲間を想像することが出来るのが、
このような活動の意義のひとつです。

自分の活動を振り返れば、
今から31年前の3月に実家を焼失したところから始まっています。

東京から群馬の実家に駆けつけると、
近所の名もなき人々が余計なことを口にせずただ家族を助けてくれている。

義援とは人が生きるに必要な空気や水を無言で分け合うようなことだ。

その時の実感が、阪神淡路の無力感、
初めてボランティアに参加した中越地震、
実際に自分も被災した福岡東方沖地震、
自分に守るべき子供が出来た直後の東日本を経験し、
自分の当たり前に育ってきて、今があります。

残念ながらXのようなSNS上では、言葉の殴り合いが始まってしまっているのは、
東日本の直後と似ています。

ただ、当時Twitterで語られたことは、
被災エリアで苦しんでいる人が見ることは無く、
(そもそもじーちゃんばーちゃんまだスマホ持っていなかった)
なんとういうか、持論に対する承認欲求が渦巻いていただけのように思えました。

今回の地震では、能登の方が情報に対しての予防線を張っている印象です。

被災の対岸にあると認識されている方におかれましても、
情報の接し方に気をつけて、大切なことは信頼おける人と確認し合い、
心の平穏と被災者への想像力を維持されることが、
災害との戦い方のひとつのように思うのです。


あらためて、
昨年の夏の始まりに歩いた能登の里山の美しさを思うと、
心締め付けられるばかりの今です。

失われたものは取り返しようが無く、
またこれからも多くのものが失われてしまうはずです。

それでもそこに救いを見出すのが人であることは、
東日本でボクが学んできたことです。

災害救助に従事されておられる方のご健闘と、
困難に向き合う皆様の安全を心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

 

能登半島地震

2024 年 1 月 1 日 月曜日


余震と津波、ともかく身を守って。
落ち着いた行動をされてください。
ニセ情報に振り回されぬよう、
正しい情報を見極め役立ててください。
自分として何が出来るか考え続けます。

画像はご自由にお使いください。


昨晩より被災の状況が見えてきたので、
絵に添えるテキストを更新しました。

昨晩から今日にかけて「絵を使わせてください」の問い合わせが増えてますが、
これに関しては自分への確認は必要ありませんので、ご自由にお使いくださいませ。

153ヶ月め

2023 年 12 月 11 日 月曜日

今日は2011年3月11日から4,658日
665週3日
12年9ヶ月後
153回目の11日です。

先月の11月11日は岩手県紫波町の地域フェスに参加していて、
震災から初めて?もしくは2度目のブログを書かない11日になってしまいました。

今年は特に休む間もなく色々続いて、、
自分がやるべきことが出来ているのか危うく思うも、
ともかく必要とされる現場に導かれることこそ、
自分が生きている意味だろうなと。

行く先々では、東京では得られないゆったりとした時間を過ごす瞬間もあるわけで、
ご縁をいただく方に感謝すると共に、やはり自分の出来ることを全力であります。

ちょっと視線の角度を変えれば、
世界は戦争や紛争が絶えること無く。
そうしたことに対して己の無力を感じるも、
そうしたことの手前、
自分の手の届くところではやれることがあるぜ!と。

どんなに小さな事でも、良きものへ変えられるよう、
心も体も使ってゆこうと思うばかりです。

岩手県紫波町でお手伝いしたのは「ひづめ百年文化祭」2DAYS

伝統芸能とヒップホップダンスやeスポーツ、自分のワークショップや各種手仕事の出展者、程よい飲食の出店ブースと、
とてもバランスの良い企画でした。


それはこの街の成り立ちや地域性によるものだろうね。

今回三泊四日で得た情報量が多くて、どの写真を選べは自分が感じた「良さ」を伝えられるのか悩んだのだけど、悩みながら自然と「奥行き」みたいなテーマにフォーカスしてゆきました。

歴史的な奥行きは、えんぶりやさんさ踊りと子どもたちとのダンスとの縦方向グラデが深くて。
さらに、ヒップホップダンスのようなものが100年後には田植え踊りのように伝統芸能と呼ばれている世界線が見えたのが、面白かったなあ。

その縦構図と交差する横の奥行きが、この土地ならでは文化を醸しているのだろうと。
ひづめ100年文化祭の舞台は、1600年代に創建された平井家の邸宅。

八戸の飛び立ちとして南部藩の米の集配に携わった平井邸はともかく巨大。
街道に面した間口から奥へ奥へと連なる間取りは壮観!

その軒先から東に向かってまっすぐ荷物伸びる古い街道を歩くと、目の前に北上川。

奥州の舟運の大幹線として、豊かさや文化を運んで来た川。
そのさらに東を想像すれば、日の登る太平洋。

人が行き交うことが当たり前の宿場町でもあった土地は、今でも外から訪れる人に対してウエルカムであることを、身をもって感じた今回。

一泊目は日本の街づくりの先進事例として視察件数日本一を誇った複合施設OGALのオガールイン。
東北本線の紫波中央駅の目の前、そこから二階建ての施設が2棟、やはり奥行き深く連なり、そこに清潔で使い勝手の良い宿や体育館(紫波町はバレーボール推しの町!)、飲食店やマーケット、そして図書館と役場まで一緒になっている。

これらの施設はいきなり建てられたのでは無く、盛岡市から20分ほどという利便性を活かしたベッドタウンとして、まずは宅地開発を進めた上で、10年ほど前に生活インフラとしての施設を加えていったとのこと。
そんなん造ったら、他のエリアの地盤沈下が進んでしまいかねないのだが、結果、この場所に人が集う効果は町全体にゆっくりと確かに広がり、人口減を抑えるだけで無く、町全体に行き渡る生活費インフラの整備を進めたり、移住者を増やしたり、新たな産業を起こすきっかけになったり。

しかし建物が出来ても、それだけで上手く行くはずは無いよね。
そんな頭で役場や図書館の紹介もしてもらったのだけど、
なるほどー!紹介される人みなさんオープンなマインドで、自ら課題を見つけ解決方法を考えている言葉使いをされているんだよね。
図書館は高い天井と深い奥行きを持つ気持ちの良い建物なんだけど、そこには静かに音楽が流れていて、スペースによっては飲食店可能!
何より、本棚で面出しされている本の並びが美しい、楽しい、さいこー!
ここに本を並べた人は、やはりその通りの人だった。

ひづめ百年文化祭の実行委員長は、自分の池袋でのアートセッションに参加させてしてくれていたハンコ作家でもある天野咲耶さん。

3年前に彼女がなぜこの町に移住したのか、図書館の本棚を見て分かった気がしたよ。
という魅力的な町で、しかし国指定の文化財である邸宅や伝統芸能のような取り扱い注意のコンテンツも交えた地域フェスの実行委員長を、よそ者が勤める苦労は計り知れず。

しかし、良くぞ自分を導いてくれたなと。心より感謝とリスペクト。
ミーティングの際、あまりにも多くに気を遣っていたのだろうね、声が小さかったのでつい「結果声を出した方が、みんな困らないぜ!」と熱いエールを送ったのでした。
そんな自分は紫波町の奥行きの軒先に立ったくらいのものでしか無く、紫波町のみなさん、これからどうぞよろしくお願いいたします。

=追記=

岩手県紫波町でのひづめ100年文化祭、みんなでヤバい絵を描くワークショップ2day、爆発的終了。

サブタイトルは「岩手のシャイなワルイコのみんなー、俺にかかって来なさい。」だったが、
俺はこれで紫波町出禁か、、

先日の会津に続き、スイッチが入るのに時間のかかる子どもたち。
とても豊かな文化の裏付けとお子さんを大切にする土地柄。
しかし、ほったからかしにされたら凍死してしまう冬の厳しさのある土地で、モラルのあり方は熊本や静岡とは当然変わってくる岩手。(雪の深い奥会津も似てる)
色んな要因でシャイ、というか、奥ゆかしい振る舞いの子どもが育つのだろうね。
それは否定されるものでは無く、しかしなぜ大谷翔平は岩手から現れたのか?

お子さんを見守る親御さんとのコミュニケーションと距離感に気を使い、子どもたちがまとっているモラルみたいなものを一枚一枚剥いでいったら、子どもはやっぱ子どもであり、大谷翔平のような存在になれる可能性はみんな持ってるぜ!と。
歴代最強の絵が仕上がった。
いつもより気温の低い現場で、いつも以上に慎重に進めたことも良かったのかもね。
ともかくこんなにもワイルドな現場作りが出来て、ありがとう!紫波町。
あ、同時進行のオトナ向けワークショップ。
終始俺からステイがかかるほど、前へ前へなオトナナたち。
うん。
子どもたち心配無し!
PEACE!!

151ヶ月め「ハルカストリングス」

2023 年 10 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から4,597日
656週5日
12年7ヶ月
151回目の11日です。

この日にハルカストリングのアルバム「風の中の夢」が発表されました。

2017年、突然「アルバムのジャケットを描いてください」とメッセージをくれたシンガーのエリ・リャオさん。

アルバムに収録された数曲を聞いて、すぐに「描くよ!」と返信。

台湾でタイヤル人として生まれ、
幼少期に日本に移り住み、
アメリカでジャズを歌い、
日本に戻ってからは自身のルーツを探るようにEri Liao を唄う。

彼女の歌と並走するギーターのファルコンが創り上げるサウンドがまた新鮮で、
この音楽に並走させる絵を考えるのは、楽しかったな〜。

一般にはまだ無名の彼らは、自分の中では日本のトップランナーのひと組みである以上に、
世界への扉を開けてくれたような存在なんです。

そんな彼らが、震災後数年に渡り表現の場を共にしたヴァイオリニストの金子飛鳥さん(当時の表記で、今は”マレー飛鳥”)の、
飛鳥ストリングスと組んで「Songs&Strings」名義でライブをやり始めたのは、自分にとって大きな事件でした。

そして今回「このメンバーでアルバムを作ったので、またアルバムジャケット作ってください」と、
今度はファルコンからのオファー。

もちろんやるぜ!と。

ただ、
「Songs&Strings」というユニット名とサウンドが合ってないんじゃないか?
とか、
ファルコンから投げてもらったアルバムのビジュアルイメージの「青い空や海」はなんか違うぞ、、
とか、
アーティス写真の立ち位置変だぞ!
とか、

↑ の写真は自分の意見が反映されたもの。
「Songs&Strings」はファルコンと何度もアイデア投げ合って「ハルカストリングス」を絞り出した。

ともかくめんどくせえことを伝えながら、
ビジュアルのコアなイメージを探ってゆきました。

ファルコンからは長文のメールで、曲が生まれた背景が語られた文章をもらって、
そこには、コロナ前、コロナ中、ウクライナ戦争に思うことなどが綴られていて、
これは益々「青い空や海が見えなくなったなあ」と。

その頃同時に進めていた福島県飯舘村取材の際、
震災と原発事故で人の姿が失われた状態から回復の途上にある村で、
丘の上に友人に立ってもらって描いた絵をベースに、
サウンドのイメージとなるデジタルパターンを載せることを思いつきました。

10月のアルバム発表前にデジタルシングル2曲をリリースするということで、
同じ絵をベースに、2種類のパターンを載せて発表することを提案。

ここでもうギャラは使い果たしているのだけど、
ともかくこの音楽をこれを必要とする人に美しく手渡したい!
そんな気持ちのみで、この夏はずっとハルカストリングスに向き合っていました。

劇的なストリングスアレンジの上に大らかな歌が流れるこの曲には、
テクノ的なエッジとミニマル感をケミカルな色彩で表現。
大切にしたい風景の儚さを演出しました。


ミニマルなストリングのリズムで始まる「夏の雨」は、
ある夏の日と地続きである春や秋、冬の記憶を、引いた視線で表現しました。

そしてアルバムは、

希望のイメージの白い鳥と、不穏な時代を象徴する戦闘機の姿を掛け合わせたパターンを、
向かい風の画面に飛ばしてみました。

ほんと色んなパターンを考えた今回、
こんな不穏な提案もしてみました。

もしくは、アジア的な祝祭感を演出してみたり。

多言語シンガーであるエリ・リャオさんの魅力を前面に出すアイデアとか。

回り道は大変だったけど、
彼らの音楽を目で見えるものとして表現することは楽しいことであり、
また、震災後続けてきたことの、よりシェアしやすいビジュアル化という側面もあり、
この仕事をやることに確かな必然を感じられたことに、大きな喜びを感じています。

なのでみなさん、
ぜひ聞いてください。

2011年3月のあの日から12年7ヶ月、
このアルバムと夏に福島市で展覧会を開際したとこは、
ボクの創作を次の10年に押し出すための力になってくれるはずであり、
そんな自分が周りを見渡した時、この音楽と共に並走する人の姿が見えたら、
それは勇気であります。

ハルカストリングス1st album”風の中の夢”
本日10/11リリース!

サブスク配信
CD通販
Disk Union
10/20金 CD発売ライブ青山『月見ル君想フ』

 

150ヶ月め

2023 年 9 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から4,567日
652週3日
12年6ヶ月
150回目の11日です。

150ヶ月。
それはもう「あまちゃん」も10年後の再放送がクライマックスに向かうわけです。

が、
「あまちゃん」の3月11日の描写回は、10年前の放送当時と変わらず、
というか、2011年3月11日の変わらぬ切迫感をボクに与えました。

12年半の時の間では、記憶が曖昧になっていることも多く、
それでも明確に思い出されるのは3月11日のことだし、
その後残念ながら失われた幾人かの「愛しき善良なる頑張り屋さん」の姿だったりします。

そしてつくづく、自分が生かされていることに感謝し、
己の無力を知るも、なにかの力になれることを考え続ける毎日であります。


福島市のギャラリー・オフグリッドでの展覧会「ハルカラ」は会期を終え、
もう会津若松と喜多方での巡回展が始まっていますが、ちょっと振り返り。

8月11日はワークショップとトークショーを開催しました。

防災ジオラマを推進する法人から、飯舘村の段ボールを提供頂き、
しかい思う存分好き勝手な絵を描いて、、

でも、集まってくれた皆さんの中で思いっきりハッピーが湧き上がって。

白く四角い紙を与えられ絵を描くのとは別の、
もっと体が喜ぶ創作体験になったのではないでしょうか。


トークショーに駆けつけたくださった、
喜多方の大和川酒造の九代目にして自然エネルギーの会津電力を興した佐藤彌右衛門さんと、
福島の食堂ヒトトで知り合い、今は会津若松で食堂”紺と種”やギャラリー、民泊を営む夢実さんと、
震災から12年の振り返りと、最後は子どもたちの未来をどうしようって話へ。

自分ごとより人様のことを思い奮闘される皆さんの言葉、
確かだったなあ〜。


福島市はちょうど盆踊り。

知り合いが何人も関わっているプロジェクト福島の盆踊りは、
やはり震災から何年も続けてきたからこその確かさと、
ここで歩みを止めぬ意思を感じた楽しさでした。

なんやかやひとりでやってきた自分も、
なんやかや共に走ってくれる人が現れた福島で、
これからやれることの本番のように思いました。

ものすごく暑かった福島市での展覧会も終え、
お世話になったみなさんにご挨拶した9月3日と4日。

食堂ヒトトのごはんに生かされ。

以前から友人にうわごとのように言われてきた「あんざい果樹園に連れていきたい」を実現させ。

なるほど、ここの果樹は描きたくなるわ!と思い。

会津へ。

人と人が創る空間と向き合う。

つくずく自分は人に生かされ、育てられていることを自覚し、
ではここで何が出来るのか、これからも考え続けてゆくんだと思うぜ。

東京に帰る日は土砂降り雨。

夢実ちゃんの”紺と種”に福島市から食堂ヒトトが出張しごはんを提供するということで、
駆け込み。

料理にも使われている野菜は、
喜多方市で有機栽培を実践されている大江ファームのもので、
お客さんしても来られるとのこと、久々の再会。


暑すぎる夏の野菜の生育の話をうかがいながら食べるごはんが、ありがたい。

帰りの電車に合わせてわさわさと後にしてしまったが、

「福島の処理水」が捉えどころなく語られる夏に、
自分がいただいたものは「安齋さんが福島市で育てた桃や梨」だったり、
「大江さんが喜多方で育てた野菜」だったり、
「ヒトトのみんながこさえたゴハン」だったり、
大和川酒造の酒だったり。

作った人の顔が明快な捉えどころあるものばかり。

会津、中通り、浜通りと、それぞれ特徴のある土地が
偶然ひとつの行政区としてまとめられている福島県に対して、
自分は応援するなんて気持ちになる間も無く、
ただ人の手が真っ当にかけられた食べ物を、
美味しく頂いただいたのでした。


2023夏
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149ヶ月め

2023 年 8 月 10 日 木曜日


今日は2011年3月11日から4,536日
648週
12年5ヶ月後
149回目の11日です。

10日に東京から福島市に移動し、
11日の今日は現在会開催中展覧会「ハルカラ_」でワークショップとトークショーです。

ギャラリー・オフグリッドでの展覧会や企画の詳細はこちらでご確認くださいませ。
> http://www.iipower.jp/index.html

2011年3月11日の夜、
「これは10年、20年とかかることだ」と直感し、
震災は原発事故で困難な立場に置かれた人たちに対して、
先回りした発言や行動はせず、ただただ気持ちを寄り添わそうしたら、
「あの日から」12年5ヶ月めの日に、
福島市の再生可能エネルギーの電力会社のギャラリーで、
ただただ描いてきた東北の風景や花の絵の展覧会会場にいる自分です。

そんな極個人的な物語が東京のような場所ではまったく「ウケなく」なっている、
「今」というものを認めざるを得ない、あれから12年5ヶ月でもあります。

あらためて「興味無くなったんだ」と寂しく思うも、
でも、ほんと、まだまだやれること、出来てないことばかりなので、
やるしか無いんよね。。

東北や福島に限らず、
生きている限り良き出会いから受け取る美しきものはただただ儚く、
その一瞬の輝きに触れることは、ただただ豊かなことなんだよ。

が、それを表現しようとすると、
言葉でも絵でも難しい、

しょうがねえ、やっぱ続けるしかないか〜。。

冒頭にアップした絵は、
この展覧会を作るに当たって、去年9月に初めて飯舘村に行った帰り、
喜多方に移動する道で見た夕空。

飯舘の美しさを見つけようとして、しかし、その道中の風景に心を奪われる。

そうした揺れや誤差の中に、人というものを考え始めている12年と5ヶ月後の自分です。


今回も生き物のような展示空間にしたギャラリー・オフグリッドですが、
7月25日の設営の際に忘れてきたり間に合わなかった作品を持ってきました。


これは初日から展示している飯舘村比曽の田神社3月の風景。

展覧会に足を運んで下さった飯舘村の農家さんが、
絵を見ながら飯舘での農業や生活、どんな花が咲くとかどんな祭りがあるなんて話をしてくれました。

なんちゃーなくとも「描きたい」という気持ちの込められた絵の前で、
人はこれだけ穏やかに、豊かに語ってくれるんだな〜。

2011年3月11日以前の東日本を知らぬ自分は、
そうしたお話の中から、これから生きるのに必要なことを見つけ、
出来れば美しい絵を描きたいと思っています。

震災後、東京などで繰り返し出会って来た1枚の絵の前での語らい。
12ねん5ヶ月後の福島でやっと一歩です。

で、今回描いたのは同じく飯舘村比曽の田神社7月の風景。

飯舘電力のソーラーパネルが、自然や人の生活と美しく調和して設置されている村も、
福島第一原子力発電所の事故被害から、なんとか次のフェーズに移る、そんなタイミングに見えます。

が、そんな村の植物の勢いに負け、絵が甘くなっているなあ〜、俺。
どうしたらこの緑の力強さを表現出来るのだろう。

2023年8月11日のワークショップやトークショー、
自分にとっても次に向かう力にしたいです。

 

 

 

148ヶ月め_福島市で展覧会開催

2023 年 7 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から4,505日
643週4日
12年4ヶ月
148回めの11日です。

福島市にあるギャラリー “GOG” で展覧会を開催します。

「ハルカラ」 小池アミイゴ個展
飯舘、福島、東日本 ただただ描いた展覧会
at GOG
2023年7月26日(水) – 9月1日(金) _休/土日祝日
open 10:00 – 17:00
GOG (ギャラリーオフグリッド)
〒906-8042 福島市荒町4-7 県庁南再エネビル3F
Googleマップ> https://goo.gl/maps/KxoN5vmqU5A7vgFo6

展覧会特設ページ> 展覧会詳細

震災後に興された再生可能エネルギーの電力会社 “飯舘電力” が有するギャラリー、
ギャラリー・オフグリッド での個展です。

ボクを5年連続で奥会津エリアの子どもたちとのアートセッションに導いてくれた、
福島県立博物館のワルダクミキュレーターチームが繋いでくれた企画。

昨年より飯舘村の取材を重ね、
同村の震災と原発事故の被害から復興を目指す姿を知ると共に、
飯舘電力の取り組みの理解を深めてまいりました。

しかし、知れば知るほど無力感を感じるのは、
震災直後から始めた東北のフィールドワークを通しての実感。

それでも自分は絵を描く仕事をしていて、
その経験から出会える「美しきもの」を
ただただ描くだけだろうなと。

実はこれまでで一番頭を悩ませたかもしれませんが、
ある瞬間から悩んでる自分そのままを描いてみようと思えたことで、
なんとか展覧会を実現させられそうです。

他愛も無い絵の展覧会ですが、
1枚の絵があるからこそ生まれる会話というものを信じ、
美しい空間を整えお待ちしております。

が!!!
ギャラリーが開いてるのが月~金の10時~17時だって!?

ですよね〜

夏休みと言えどそりゃ無いぜ!

ということで、
*8月12日(土)と13日(日)は特別オープンしアミイゴ在廊予定です。
普段仕事で来られない方はこのチャンスにぜひ。

以下今決まっている企画。

【イラストレーター小池アミイゴの夏休みびじゅつクラブ】
・7月26日(水)〜7月28日(金)13:00〜17:00
※7月27日(木)15:00〜16:00はお休み
・参加費・予約_不要
ギャラリーが「夏休みの居場所」になればいいな企画です。

【小池アミイゴの誰でも絵が描けるワークショップ】
福島の飯舘村のデカい段ボールジオラマをシアワセ色に塗っちゃいましょうセッション。
◎日 時:8月11日(金)13:30〜15:00
◎対 象:小さなお子さんからじーちゃんばーちゃんまで。
◎申込不要・参加費無料 汚れてもOKなオシャレでご参加ください。

【トークセッション】酒とメシとサスティナ・ブルー
◎日 時:8月11日(金)17:00〜18:00
◎申込不要・参加費無料
◎お話する人
・小池アミイゴさん(イラストレーター)
・佐藤彌右衛門さん(会津電力顧問・大和川酒造9代目)
・会津若松で食の仕事をされている夢実さんも参加してくれます。

企画は詳細ページにさらに詳しく書かれています。
展覧会詳細

そしてやはり7月26日から食堂ヒトト
絵本「はるのひ」の原画展を開催。

自著「はるのひ」で描いた風景は、福島で見た田園の風景も引用しています。

冒頭にアップした絵は、福島県南相馬郡飯舘村の”飯舘復興三千本桜“の風景。

震災前より、地元のご夫婦が植え始めた桜が、
今やこの村の、てか福島の復興のシンボルのようにして春に咲き乱れます。

人の力、すげー!

自分の絵は、さてどうなんだろう?
これからも悩み続け、しかし描き続けたいです。