‘SOUL’ カテゴリーのアーカイブ

149ヶ月め

2023 年 8 月 10 日 木曜日


今日は2011年3月11日から4,536日
648週
12年5ヶ月後
149回目の11日です。

10日に東京から福島市に移動し、
11日の今日は現在会開催中展覧会「ハルカラ_」でワークショップとトークショーです。

ギャラリー・オフグリッドでの展覧会や企画の詳細はこちらでご確認くださいませ。
> http://www.iipower.jp/index.html

2011年3月11日の夜、
「これは10年、20年とかかることだ」と直感し、
震災は原発事故で困難な立場に置かれた人たちに対して、
先回りした発言や行動はせず、ただただ気持ちを寄り添わそうしたら、
「あの日から」12年5ヶ月めの日に、
福島市の再生可能エネルギーの電力会社のギャラリーで、
ただただ描いてきた東北の風景や花の絵の展覧会会場にいる自分です。

そんな極個人的な物語が東京のような場所ではまったく「ウケなく」なっている、
「今」というものを認めざるを得ない、あれから12年5ヶ月でもあります。

あらためて「興味無くなったんだ」と寂しく思うも、
でも、ほんと、まだまだやれること、出来てないことばかりなので、
やるしか無いんよね。。

東北や福島に限らず、
生きている限り良き出会いから受け取る美しきものはただただ儚く、
その一瞬の輝きに触れることは、ただただ豊かなことなんだよ。

が、それを表現しようとすると、
言葉でも絵でも難しい、

しょうがねえ、やっぱ続けるしかないか〜。。

冒頭にアップした絵は、
この展覧会を作るに当たって、去年9月に初めて飯舘村に行った帰り、
喜多方に移動する道で見た夕空。

飯舘の美しさを見つけようとして、しかし、その道中の風景に心を奪われる。

そうした揺れや誤差の中に、人というものを考え始めている12年と5ヶ月後の自分です。


今回も生き物のような展示空間にしたギャラリー・オフグリッドですが、
7月25日の設営の際に忘れてきたり間に合わなかった作品を持ってきました。


これは初日から展示している飯舘村比曽の田神社3月の風景。

展覧会に足を運んで下さった飯舘村の農家さんが、
絵を見ながら飯舘での農業や生活、どんな花が咲くとかどんな祭りがあるなんて話をしてくれました。

なんちゃーなくとも「描きたい」という気持ちの込められた絵の前で、
人はこれだけ穏やかに、豊かに語ってくれるんだな〜。

2011年3月11日以前の東日本を知らぬ自分は、
そうしたお話の中から、これから生きるのに必要なことを見つけ、
出来れば美しい絵を描きたいと思っています。

震災後、東京などで繰り返し出会って来た1枚の絵の前での語らい。
12ねん5ヶ月後の福島でやっと一歩です。

で、今回描いたのは同じく飯舘村比曽の田神社7月の風景。

飯舘電力のソーラーパネルが、自然や人の生活と美しく調和して設置されている村も、
福島第一原子力発電所の事故被害から、なんとか次のフェーズに移る、そんなタイミングに見えます。

が、そんな村の植物の勢いに負け、絵が甘くなっているなあ〜、俺。
どうしたらこの緑の力強さを表現出来るのだろう。

2023年8月11日のワークショップやトークショー、
自分にとっても次に向かう力にしたいです。

 

 

 

148ヶ月め_福島市で展覧会開催

2023 年 7 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から4,505日
643週4日
12年4ヶ月
148回めの11日です。

福島市にあるギャラリー “GOG” で展覧会を開催します。

「ハルカラ」 小池アミイゴ個展
飯舘、福島、東日本 ただただ描いた展覧会
at GOG
2023年7月26日(水) – 9月1日(金) _休/土日祝日
open 10:00 – 17:00
GOG (ギャラリーオフグリッド)
〒906-8042 福島市荒町4-7 県庁南再エネビル3F
Googleマップ> https://goo.gl/maps/KxoN5vmqU5A7vgFo6

展覧会特設ページ> 展覧会詳細

震災後に興された再生可能エネルギーの電力会社 “飯舘電力” が有するギャラリー、
ギャラリー・オフグリッド での個展です。

ボクを5年連続で奥会津エリアの子どもたちとのアートセッションに導いてくれた、
福島県立博物館のワルダクミキュレーターチームが繋いでくれた企画。

昨年より飯舘村の取材を重ね、
同村の震災と原発事故の被害から復興を目指す姿を知ると共に、
飯舘電力の取り組みの理解を深めてまいりました。

しかし、知れば知るほど無力感を感じるのは、
震災直後から始めた東北のフィールドワークを通しての実感。

それでも自分は絵を描く仕事をしていて、
その経験から出会える「美しきもの」を
ただただ描くだけだろうなと。

実はこれまでで一番頭を悩ませたかもしれませんが、
ある瞬間から悩んでる自分そのままを描いてみようと思えたことで、
なんとか展覧会を実現させられそうです。

他愛も無い絵の展覧会ですが、
1枚の絵があるからこそ生まれる会話というものを信じ、
美しい空間を整えお待ちしております。

が!!!
ギャラリーが開いてるのが月~金の10時~17時だって!?

ですよね〜

夏休みと言えどそりゃ無いぜ!

ということで、
*8月12日(土)と13日(日)は特別オープンしアミイゴ在廊予定です。
普段仕事で来られない方はこのチャンスにぜひ。

以下今決まっている企画。

【イラストレーター小池アミイゴの夏休みびじゅつクラブ】
・7月26日(水)〜7月28日(金)13:00〜17:00
※7月27日(木)15:00〜16:00はお休み
・参加費・予約_不要
ギャラリーが「夏休みの居場所」になればいいな企画です。

【小池アミイゴの誰でも絵が描けるワークショップ】
福島の飯舘村のデカい段ボールジオラマをシアワセ色に塗っちゃいましょうセッション。
◎日 時:8月11日(金)13:30〜15:00
◎対 象:小さなお子さんからじーちゃんばーちゃんまで。
◎申込不要・参加費無料 汚れてもOKなオシャレでご参加ください。

【トークセッション】酒とメシとサスティナ・ブルー
◎日 時:8月11日(金)17:00〜18:00
◎申込不要・参加費無料
◎お話する人
・小池アミイゴさん(イラストレーター)
・佐藤彌右衛門さん(会津電力顧問・大和川酒造9代目)
・会津若松で食の仕事をされている夢実さんも参加してくれます。

企画は詳細ページにさらに詳しく書かれています。
展覧会詳細

そしてやはり7月26日から食堂ヒトト
絵本「はるのひ」の原画展を開催。

自著「はるのひ」で描いた風景は、福島で見た田園の風景も引用しています。

冒頭にアップした絵は、福島県南相馬郡飯舘村の”飯舘復興三千本桜“の風景。

震災前より、地元のご夫婦が植え始めた桜が、
今やこの村の、てか福島の復興のシンボルのようにして春に咲き乱れます。

人の力、すげー!

自分の絵は、さてどうなんだろう?
これからも悩み続け、しかし描き続けたいです。

 

 

147ヶ月め

2023 年 6 月 13 日 火曜日


今日は2011年3月11日より4,475日め
639週2日
12年3ヶ月
147回目の11日から1日過ぎた夜です。

先日、宮城県の太平洋沿岸部の街より訃報が届きました。

震災から数年の夏に1度だけ仕事をして、
その間ずっと怒り憤った口調だったけど、
だからこそ自分は信頼を寄せられ、
しかし直接はまだ会えないままで。

しかし、
SNSを通して吐き出された震災後を生きる心情や、
お子さんとのトゲはあるけど微笑ましい会話、
ここ数ヶ月は突然身に降りかかった病魔との闘い、
(この方の場合「折り合いの付け方」と感じたのだが)
そして最後は病魔と殴り合うような言葉まで届けてくれた方。

ご本人は「そんなことねーわ」と否定するでしょうが、
自分は「人の生き方」ってものを、SNSを通してでも感じられた、
実はものすごい発信力のあった方だんだと思っています。

それはフォロワー数とか「いいね!」の数とは関係なく、
人生のある一瞬でも、お互いガチに向き合い、何かを形に出来た関係だからこそ、
安易な数字遊びに振り回されることなく、
SNS上であっても交わす言葉の背景まで感じられたということだと思っています。

今年に入って(コロナが落ち着いて?)、
体調を崩されたという方が身の回りに多くおられます。

その度に地震の無力を感じ、
なんだろね、震災前後から花の絵を描き続けているのは、
自身の無力を忘れないようにしているのだろうか?
なんてことを、12年3ヶ月かけて気づいたのかも。

ただ、自分の中に答えを見つけようという気持ちは無く、
これまで出会った愛しく1人ひとりとの会話を大切にし、
その言葉の背景を察することを、まだまだ続けて行くんだろうな。

アップした花の絵は、
2011年6月に初めて宮城県気仙沼まで行った帰り、
中尊寺に向かう道で雨に濡れて咲いていた白詰草。

これまで何枚か描いてきて、
この絵は数年前に描いたものを、この方の生前の言葉に思うことがあり、
描き直してみたものです。

今は愛知県春日井市勝川の古本屋「かえりみち」のギャラリー「ki」の壁に、
6月25日まで咲いています。

生きていれば失うことばかりですが、
失うことも生きることに含まれることを受け入れれば、
その喪失にピタリとハマる人や場所に出会えるのだなあと。

2023年6月、ボクは愛知県春日井市勝川で古本屋を営む若い夫婦と、
ささやかだけど、何やら生きる上で必要とする時と共に出来たようです。

そんなお話は後ほど。

Kさん、
出会えたことに感謝します。

146ヶ月め

2023 年 5 月 11 日 木曜日

今日は2011年3月11日から4,444日
634週と6日
12年2ヶ月
146回めの11日です。

今日は都営新宿線菊川駅まで。
先日、恵比寿の影丘の家がSNSで発信していた、「元水曜日のカンパネルラのコムアイさんが企画した太陽光パネルと一緒に寝そべる子どもワークショップ」が気になって問い合わせ。

協賛されていた太陽光パネルなどを扱う株式会社アイジャストをご紹介頂き、

代表の辻さんとマーケティングなど担当する早川さんに活動の詳細を伺ってきました。

いや、ものすごく面白かったな〜!

それを語る前に、
菊川の駅に着くまでの車内でタイプした「今日のブログ用のテキスト」を、まずは。

ボクは8月から9月にかけて、福島県の福島市を拠点に、飯舘村や喜多方市で展覧会開催を目指しています。

これは、これまでボクを福島の奥会津での子どもアートセッションを企画し続けてくれた、福島県立博物館のバックアップの元、自然エネルギーの飯舘電力とのコラボとしてカタチにしてゆくものです。

テーマとして「もっと再生可能エネルギーを知ってもらいたい!」は当たり前として、よりフォーカスしたいのは「自分たちが生きる社会はどんなのが良いだろうね?」と考えることの出来る場所創り。

綺麗な絵があって、世代関係なくなにか楽しいことが行われ、出来れば美味しいものもあればいいな。
そんな場所でオープンに語り合うことで、みんなが望む世の中の姿に自然エネルギーというものが自然と噛み合ってくれたらいいのだろうと。

そうした場所作り(展覧会作り)に向けて、これまで「電力」を語る際の「国を発展を支える基幹産業」「水力、火力、原子力」といったマッチョな枕詞だけでは無く、「生活を共にする気のおけぬパートナー」くらいの言葉で語れる裏付けを見つけ出さなければだな〜。

もちろんそんなこと自分1人で出来るわけは無く、自分は自分が得意とする絵や、それを描くための目とか駆使し、やはり人がオープンに語り会える場所創りを、地道にやってゆかねばなんだよね。

+++

さて菊川のアイジャスト到着。


代表の辻さんが語る電力の話、
自分が電車の中で整理つけようとしていたことを片っ端から端的に言語化してくれてビックリ!

日本の場合、電力は大企業のために作られているようなものだが、
電力の多くは家庭で使われているので、女性に向けた言葉で語られなければおかしい。

そんな自分に足りないところを、女性スタッフの早川さんがフォローしてくれ、
「だれでも電気を作って使える使い勝手の良いシステム」を開発。

家の片隅にポンと置けるキャリーケースの中に、
太陽光電力を溜め込み使えるためのオフグリットシステムを収納。
太陽光パネルとの組み合わせで、ゴハン15杯は炊けちゃう電力が手作り出来るだって。


で、充電が切れたら自然と家庭用コンセントと切り替えられるシステムも搭載。

とうことは、このシステムを複数縦列させることで、
ひとつのシステムの電気を使っている間に、他のシステムが充電可能。

ということは、日の光がある限り電力供給が途絶えることが無いということだと。

このシステムと現在ある再生可能エネルギー電力会社の電気を併用したら、
かなり気持ちの良い世の中になるんじゃないか。
みたいな話。

面白いなあ〜

現在50万円ほどで販売可能なこのシステムだけど、
とりあえず日本の全ての家庭に無償で配布した上で、
日本のエネルギーのことをあらためて考えるなんてことしたら、
いいんじゃないかな〜。

そんな予算が国にあるかどうかは置いといて、
それくらいの発想をする政治なり経済の、ほんとに偉い人出てこないか〜!

なんていう、思いっきり飛躍した会話ができたのがうれしい。

そうなんだよ。

頭がとても良い人が一生懸命考えて、
言葉や数字を並べて「これやるべき」とか言うのと、

こんなシステム考えたんだけど、みんなどう思う?
とか、
こんな絵を描いたけど、みんな勝手なこと話して〜

みたいな合意形成のあり方、
どっちが面白いかな〜?

きっとどっちも必要だと思うのだけど、
なんだか前者の方が偉そうにしてるし、
人のこと気にする事無くやれちゃうから、
言葉や数字で人を殴るような合意の現場が氾濫しちゃっていたのだろう。

が、もう変えなくちゃだ。

その他面白いお話を、知恵熱出るほどたくさん伺ったけど、
その辺は追って整理して言葉にしてゆくけど、
本日早川さんが放ったキラーワードを。

「電気ってだれでも作れるって知ってもらいたいですねっ!」

なんだか地面から生えてきた言葉のようだぜ。


飯舘村や飯舘電力に関しては、
昨年9月をキックオフに、今年の3月と4月もフィールドワークを重ね、
関わるみなさんともミーティングを行い、
今後どんなことをしたらいいのか朧げながら見えて来たところで、
今回の取材。

やはり人との出会いは大きな財産であり、
自分の絵やイラストレーションは、そうしたご縁の背中に必死で喰らいつき、
必要あれば関わるみなさんを温めるものであればいいなと願っています。

というわけで、
この話はまたあらためて。

 

 

直島子どもアートセッション 4 days

2023 年 4 月 26 日 水曜日


2023年4月16日~19日
香川県瀬戸内の直島での”子どもアートセッション4DAYS”
笑顔のフィニッシュを迎えました。

子どもたちとの現場となったのは、
NAOSHIMA SAILERS CLUB

町立直島小学校や直島幼児学園(認定子ども園)に隣接する高台に新設され、
今年の4月から運用が始まったばかりの放課後クラブです。

その空間は子育て中の親の誰もが「わ〜!」と声を上げ、
「ここで子供を預かってもらえること、うれしい!」と思えるだろう場所。

この運営は “なおしまキッズポート
それぞれお子さんを持つおかーちゃんたちが、
直島で生きる上で必要なことを自分たちで創ってしまおう!
もしくは「しまわねば。」という必然で組織し実行に移した、
子供たちの居場所と未来にコミットしたグループです。


今回、この企画のコーディネーターの方にキッズポートを紹介いただき、
オンラインで「はじめまして」のミーティング。
その瞬間「ああ、この人たちとなら新鮮な何かを創れるな!」と直感。

その後のアイデアのキャッチボールもスムースに、
当初の「子どもたちとのワークショップを4月19日水曜日にやってください」というオーダーに対して、
週末を加えた複数日のセッションを行うべきと判断。
しかし事前情報はできるだけ遮断し、直島の「はじめまして」の場所を目指しました。


直島子どもアートセッションDAY 1 は、4月16日(日)

子どもたちと「アートの理屈」を蹴散らして、
身体が喜ぶワイルドなアート体験を、子どもの親もスタッフも自分も共有しよう!
という試み。

だけど、
実際は「なんのこっちゃ?」と感じて終わってしまった親御さんもいたはず。

なんだけど、
自分はものすごい量の「この場所に集った子どもたちの情報」を得て、
残り3日間のセッションでの振る舞いのイメージを高めることが出来ました。


一応この日のおさらい。

・「学校や家でやったら怒られるようなことやるよー!」

・なので、子どもたちに指導はしない。

・というわけでセッション中は「じょうず」という言葉は禁句。

・自分がやることのほとんど全ては、子どもたちが行うクリエイティブなアクションに対する共感。
「いいね〜!」「かっこいいねー!」「おっしゃれ〜!!」みたいな声かけに終始。

・子どもたちの「見て!見て!」にただ「見て」うなずく。

・それだけでも子どもたちは「よっしゃー!」とさらにクリエイティブを加速させ前進。

・その姿は「子どもたちが自分から自由を獲得している」ということであり、
 大人はその自由のフィールドを暴力や事故から守る。

・そして子どもたちはさらに安心し、さらにクリエイティブを加速させる。

・で、子どもがクリエイティブなテーマを掴んで、その実現に対するアドバイスを求めてきたら、
(たいていは「ねえ、これやって〜」みたいな話だけどね、、)
クオリティを高めるためのアドバイスを(べらんめいな職人言葉で)行う。
「じょうず」という言葉の使い所があるとしたらここだけど、自分はやはり使わなかったかな。。

これらひっくるめて言ってしまえば、
子どもたちととことんガチで向き合い楽しみ尽くす。

自分は子どもたちに「寄り添う」では無く「背中を追い」、
子どもたちが魅せる一瞬一瞬のアクションをキャッチし続けているのだけど、
子供たちの先回りは決してしないし、子どもたちが創ったものに対してジャッジもしない。

なぜなら、そうした方が楽しいから。

で、
大暴れでやり切った子どもたち、意外と視野の広い落ち着いた人格を獲得するぜ!
という余談で初日終了。

参加者多くて2部制になって、魂抜かれるほど疲れたが、
その疲れはただただ喜びだ。

直島子どもアートセッション DAY2 – DAY4 の三日間 は、
放課後クラブであるNAOSHIMA SAILRS CLUB の一部を自分の仕事用のアトリエとして使い、
学校から帰ってきたこの施設を利用する子どもたちとの自然なアートセッション。


自分が持ち込んだ画材は全てプロユースのもので、
しかも服に着いたら落ちないアクリル絵の具だったりで、
で、想定外だったのは、小学生も制服着用なんだ〜〜、、
という「親御さん、もしもの場合はごめんなさい、」な状況で、
子どもたちが自分から興味を持ったアートアクション(絵の具遊び)を、
プロの自分とのコミュニケーションを持って実践。


これは福島県奥会津の昭和村で確立した現場作りなんだけど、
直島では SAILERS CLUB があるので、安心して投下出来ました。

五月雨式にセーラーズクラブにやってくる子どもたちと、
マンツーマンのような形でコミュニケートするセッションでは、
「クオリティ」という言葉が飛び交って、

いや〜〜、作って、創って、造りまくったね〜!

それが何であるのかなんてことより、
作って、創って、造りまくることにこそ意味があったような、
そんな、ワイルドでクールで、ある意味セクシーでさえあった創造の事件現場。
(「セクシー」は「生きる」と訳して読んでもらえたらいいな)

そもそもこのセッションはなんであるのかなんだけど、
まずこの企画に対してお金を出してくれる人の存在があります。

アメリカとイギリスの慈善活動家たちが日本各地の文化に触れる旅を楽しむ。
その行程の中には震災被害に遭った福島と神戸、
そしてアートの島として海外でも有名な直島が組み込まれていて、
それぞれの地域や子どもたちの未来に対する投資を行う。
欧米では美術館などが主催し行われれているパトロンツアーを、
日本で実験的に行ったという事みたい。

で、直島でのドネーションの使い方として、
子どもたちとガチで取っ組み合っている自分が使命され、子どもたちとセッション。セッションの最終日にお金を出して下さった皆さんをお客様として迎え、
子どもたちが創った作品の除幕式。

ツアー参加者それぞれが寄付したお金の価値を子どもたちの笑顔で確認し、
やはり笑顔で帰国するという旅。

で、いいのかな。

自分はその意味を確認することなく直島に向かい、
この場所で子どもたちたその親御さんと過ごすことで、
意味が後から喜びと共について来たという感じだろうか。


アメリカ、イギリス、日本のエージェントもガッツリ噛んで作り上げた実験現場は、
海外アートに詳しい友人に言わせると、とても意義ある事みたい。社会の格差が広がる中、資産を持つ人が持たざる者への支援に人生の幸福を感じる生き方。

もちろん格差なんか無くなればいいのだけど、
だけど、7歳、8歳、9歳くらいのワイルドな絵の具遊びと、
海外からのお客様との喜びに溢れたコミュニケーションを経験した子どもたちの未来は、
彼らなりの幸せの形を生んでくれるんじゃないかと。

アートが目的で無く、人と人が繋がること。

繋がって良かったねでは無く、子どもたちの未来にコミットする発想を生まなくちゃなんだよね。

そうしたことに少なからずの確信を込めた希望を持って、
自分はハードワークをこの現場に投下。

それは海外からのパトロンさんにガッツリ伝わったはず。

楽しかったね!
また会おう、イエイ。

そんなこんなで自分にとって2度目の直島は、
素泊まりの民宿とセーラーズクラブとコンビニを結ぶ一本道の往復に明け暮れ、
(夜は民宿で東京の仕事やら連絡後とやらで、、)
有名な美術館やアート作品に触れることの無い、きっと自分らしい時間を過ごしました。
(昨年この件のミーティングで初めて来た直島は滞在5時間、、)


それでも、直島は30年ちょっと前から始まった島の再生、
そしてアートを生かした地域作りの力で、
なにげない風景の中にも、愛ある人の手が施された景観に出会い、
ボ〜ッと歩いている時間がとても幸せでした。


なんだけど、
ではこれはいつまで続くんだろう?
そんなことを なおしまキッズポートのみんなと語り合った日々でもありました。

直島、ちょうど町会議員選挙が始まり、しかし立候補者が少なく無投票で当選とのこと。

大きな精錬所とベネッセを有し「アートの島」として憧憬の眼差しを向けられる場所は、
住民からしたら今の所勝手に潤っていて変わる必要は無くイメージなんだろう。

だけど、だからこその課題を感じたおかーちゃんたちは、
直島再生の30年の歴史の先に、子どもたちの港 なおしまキッズポートを発想し、
さらに子どもたちやおかーちゃんたち、さらには地域の方々のための「とうだい」のような場所、
NAOSHIMA SAILERS CLUB を建てた。

除幕式の最後の方で、自分が作画を担当した絵本「とうだい」を読み語りする時間を頂きました。

「おーい、おーい、あらしにまけるな!」
「とうだいは ここにいるぞ!」

とうだいにできることはひかること。

くるくるなみを つきぬけろ!

ぴかぴか かぜをこえてゆけ!

くるくる ぴかぴか

子どもまみれの4日間。

海外からのお客様に綺麗な発音で自己紹介出来る島の暴れん坊たちは、
自分たちが自己紹介するならみんなもするべきだと言い寄るタフさを持っている。
その多くが島を出るのがこれまでの直島だったのが、さてどんな未来が彼らの幸せなんだろう。
まずは選挙の選択肢を増やしておく必要はあるんだろうな。
で、俺はかーちやんたちに呼ばれたら「直島また行くよー!」であります。

 

 

145ヶ月目_直島へ

2023 年 4 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から4,414日
630週と4日
12年1ヶ月
145回目の11日です。

週末から香川県の直島に行き、
16日から19日まで子どもたちとのアートセッションを行います。

舞台となるのはNAOSHIMA SAILORS CLUB
一般社団法人キッズポートが運営する立派な学童保育の施設です。
https://youtu.be/C7A-eQUvh-k

ワークショップのメインのひとつは16日の日曜日、
子どもたちといつものワイルドな絵の具遊び。

そして19日に海外のお客様をお迎えし作品の発表会。

その間SAILORS CLUBの一部を自分のアトリエに見立て仕事の絵を描いていると、

学校が終わって学童保育を利用する子どもたちがやってきて、
自然とアートセッションが生まれる。といいな〜
という目論見。

これは福島県奥会津の昭和村でやってきたことの直島バージョンです。

NAOSHIMA SAILORS CLUB、もしくはキッズポートは、
2人の女性が主となり運営しているそうです。

今回のセッションに向け、何度かオンラインでお話してきましたが、
とても話がしやすい方々。

いわゆる息があうって感じで、
彼女たちが気づいている直島の課題や子どもたちの問題に対して、
自分にどんな働きが出来るのか、とても新鮮な気持ちで臨めそうです。

フライヤーに掲載されている”対象”が”0歳~150歳”と自分の軽口のままになっているとかね、
わかってる〜!なのです。

そして4月19日。

事の始まりは去年の秋。

知人からの「子どものためのアートスクール開催について直島に来てミーティング出来ませんか?」とのオファーに答え、初めての直島へ。

ところがミーティングにズラッと参加したのは欧米から来られら方々。

それは、
アメリカの慈善活動家が日本の直島など数カ所で、アートによる子どもたちの育成と地域振興に投資したい。
とのことで、
アミイゴ、ともかく一度何が出来るか直島で見せてくれ。
ということのようです。

というわけで、
今回19日にその投資家グループを迎えて発表会を行うというミッションなんですが、
その現場としてコーディネーターさんが繋いでくれたキッズポートの2人と出会えたことが、
まずはラッキー。


アートの島ともてはやされる直島も、
子どもたちが抱える課題は他の土地と変わらず存在し、
ではここで何が必要なのか。
ここで出来ていることはどんな事なのか。
それは他の土地に置き換えて考えられるのか。
などなど、大きな学びの時間になるイメージでいます。

明日12日は日帰りですが福島の飯舘村へ、
この半年で3度目のフィールドワークを行い、
ここで何が出来るのか、
それは自分1人で導き出すのでは無く、
その後足を運ぶ直島から得るものもあるんだろうなと思っています。

ちなみに、
去年秋の直島から徳島の神山町への漂泊したフィールドワークについては、
以前のこちらの記事 > https://yakuin-records.com/amigos/?p=15508 と、
ダイハツの運営するサイト「まどをあけて」no.6 で読んで頂けます。


表紙には徳島県神山町で珈琲の焙煎を行う「豆ちよ」さんを描きました。

地方ローカルで奮闘する方から学びを得る日々であります。

 

144ヶ月め

2023 年 3 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から4,383日。
626週と1日
12年
144回目の11日です。

この12年で7回目の開際となる個展「東日本」
本日3月11日が最終日。17時に閉廊になります。

写真の真ん中の大きな絵は、
震災から10年後の2021年夏に福島県浪江町で自生を始めた絶滅が危惧されている”水葵”の群生。
報道に出会い、常磐線に飛び乗り見にゆきました。

それを見ているのは、福島市の食堂「ヒトト」の立ち上げに尽力された大橋さん。

栃木のSHOZO COFFE のスタッフで会った時知り合い、
震災後「福島の力になりたい」とUターン。
3月11日以降の福島の等身大の情報を共有してくれる仲間のひとりです。

「あの日から12年」と語られる今日。
そんな友人の存在を日本の各地に感じられることを、とても豊かなことだと思っています。

そして、やれること、やるべきことはまだまだあるな〜と。

少なからずの絵が売れている今回の展覧会。

その売り上げは、
たとえば明日福島に移動し行う飯舘村のフィールドワークに充てます。

昨年9月に再生可能エネルギーの “飯舘電力”の案内で巡った飯舘村

震災後色々な土地を巡ってきましたが、
飯舘には他の場所にある何かが欠けているように感じました。

その欠落をボクが埋めることは出来ないはずですが、
飯舘にあるものを「アート」と呼ばれるものを働かせて埋めることは出来るのではと。

現状「なにかやる」としか言えない状況ですが、
そこには自分のお金と時間を注ぐ意義があることは直感できています。

それは、2011年3月11日の夜の暗闇の中で感じた直感と似たものであり、
それは自分だけでなく、
自分の息子の未来なんてものにもコミットするものであると思います。


そんなこんなの会話を、北海道、岩手、福島、栃木、群馬、長野、大阪、愛媛などなど、
わざわざ遠方からお運びくださる方と思いっきり出来ている展覧会。

今日の5時間、大切にしますね!

「東日本」season7小池アミイゴ2011年3月11日からの展覧会
2023年3月2日(木) – 3月11日(土)
open 12:00 – 19:00 最終日~17:00マデ
SPACE YUI
〒107-0062 港区南青山3-4-11 ハヤカワビル1F
TEL.03-3479-5889

ところで3月15日は地域の落書き消し。
自分が「被災地」と呼ばれた場所で掴み自分の暮らす地域に投下したことを、
地元小学校の6年生がキャッチしてくれ、自主的な取り組みに変えてくれたので、
当たり前のオトナとして当たり前に熱烈応援。
東京代々木は「被災地」と呼ばれる場所と地続きであります。

 

143ヶ月め

2023 年 2 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から4,355日
622週1日
11年11ヶ月
143回めの11日です。

1月27-29日、群馬県前橋市の「陶舗石渡」での「はるのひの展覧会」にお運びくださったみなさま、
「記録的寒波襲来」と言われたタイミングで足を運んでくださったこと、大変有り難く感じています。

あらためて、
ありがとうございました。

アップした絵は、群馬円伊勢崎市の安堀町あたりかたら見た赤城山の風景。
この絵の左手方向に行った所に、亡父がお世話になっていた施設があり、
車を運転しないボクは、駅から30分くらいの道を歩いて父に会いに行っていたのでした。

前橋で展覧会を開際したことに関して、
ちょっと振り返っておこうと思います。

群馬県の赤城山南麓の関東平野が始まるあたりで生まれ育ったボクは、
子どもの頃遊んだ美しい田畑や小川が、農薬の使用や社会の効率化で失われてゆくのに出会いました。

田舎で育った自分にとって、電車で25分の街「前橋」はキラキラした夢の街であました。
その活気が失われてゆくのは、80年代の半ばくらいだったでしょうか。

80年代、そんな群馬の田舎を後にし東京の大学に進学。
暮らすために選んだ街は、昔ながらのコミュニティが生きている文京区の静かなエリアでした。
そこから他の東京の美しい場所、人が人のスピードで生んだような街を、やはり自分の足で歩き、
絵を描くようになったら、そんな街にイーゼルと立てるようになりました。

そんな街はバブルが発生した1986年以降、一気に破壊されてゆきます。

ボクはそれに抗うように絵を描き続けました、最後は無理をし過ぎてダウン。
それは1989年、昭和が終わった時でした。

夏の間1ヶ月を病院で過ごしたボクは、
あらためて自分にとって大切なものは何であるのかを、じっくり考えることが出来ました。

それは子どもの頃に駆け回った、なんでも無い当たり前の故郷の風景だったように思います。

あらためて自分が何者であるのか考えたことで、何を描けば良いのかもあらためた先、
1993年3月に群馬の実家が消失しました。

バブルが弾けて仕事が減っていたタイミングで、それはかなり厳しいことでした。

ただ、家族をケアするために一時的に住所を群馬に戻したことで、
子どもの頃に失われてしまったと思っていて故郷の風景にとことん向き合うチャンスを得、
時間が許す限り絵を描き続けました。

自分の色に個性を感じてもらえるとしたら、その経験が大きいのではは思います。

ではそれをイラストレーションに落とし込むには?
そんなことを考え始めたところで、1995年1月に阪神淡路大震災が起きます。

「ああ、絵描きは無力だな」と感じつつ、
次に何か起きた時は無力では無い自分でありたいと願い、
そのためには、大きなところを目指す前に、とことんローカルを知ろうと考えました。

その頃「夢の街前橋」はかなり痛々しい状況になっていて、
仕事で群馬と東京を往復する際歩く前橋の街の姿に、いつも悲しい気持ちになっていました。

前橋がこんなであれば、他の街はどうなんだろう?
人は幸せで生きているのだろうか?
みんなそれぞれの街でうたえる歌を持っているのだろうか?
そんなことを知りたくて、その後日本各地を巡ることを始めました。

そうして巡る土地は、どこも美しく、どこも課題を抱えていました。
そして、好き人に必ず出会うことが出来ました。

自分が失ってしまったと思っていた里や街は、
好き人がある限り死にはしないのだろうと確信を持ち、
いつか群馬の力になれることが出来たらいいなと願うようになる。

そんな考えをやっと持てるようになった2011年3月11日、
日本のどこにでも存在する「好き人」が失われた震災が起きました。

ボクはやはり大きな無力感に叩き落とされるも、
これまでの経験を活かして、自分の足で歩くことは続けられました。

そうして歩く先で出会うのは、その価値に気づかずにいた「さらなる好き人」の存在。

そんな人々や風景との出会いを背景にに塗りこんだのが、
2021年に発表した「はるのひ」という絵本です。

間も無く「あれから12年」と語られる3月11日がやってきますが、
その12年のほとんどは学びの時であったように、今振り返って実感しています。

ただ、その学びが生かされた現場を、2023年1月27-29日の三日間、
自分が勝手に「失われた」と思っていた前橋の街で、
街の再生を図る人たちの存在に助けられ、創ることが出来た。

2011年3月11日以降、日々行う事にはなんらかのスタートラインを引いている印象があったのだけど、
2023年1月の前橋では、新たな太いスタートラインを、皆さんの力もお借りして引くことが出来た。
そんな実感を手にしました。

75年続いた「陶舗石渡」は、展覧会が終えたら改装され、
前橋市民が緩やかに関わることの出来る餡子屋「あんこもん」として生まれ変わります。

餡子で街の再生

気持ち良すぎる発想だぜ!

群馬、前橋、ありがとう。
一緒に未来の方に向かって爆走して行きますね!

 

 

 

 

トルコ・シリア大地震

2023 年 2 月 8 日 水曜日

1人でも多くの人が救われますように。
#turkey #syria #earthquake
#トルコ #シリア #大地震
Feel free to use this picture.

個展「東日本」season7

2023 年 1 月 20 日 金曜日



小池アミイゴ2011年3月11日からの展覧会

「東日本」season7

会期:2023年3月2日(木) – 3月11日(土) 日曜休

open 12:00 – 19:00 最終日~17:00マデ

スペース ユイ SPACE YUI 
〒107-0062
港区南青山3-4-11 ハヤカワビル1F
TEL.03-3479-5889
http://spaceyui.com/

2011年3月11日の東日本大震災発災後、「被災地」と呼ばれる場所を歩き絵を描くことは、自分の足元を見つめ直すことに繋がり、自分の日常がある東京代々木の街での「見る目」や「振る舞い」を更新させてくれました。
そうしたローカルでの発見は、自分の活動範囲を、北海道の知床から台湾の山間の町にまで広げる力になっています。

ただ、活動エリアがどれだけ広がっても、自分の視線はまずは「ひとり」に注ぐものであり、その「ひとり」とは自分の足で歩いた先で出会うものであることは、「あの日」から変わっておらず、yuiで7回目の開際となる展覧会も、過去の6回と同じく「東日本」という名前で開催することにしました。

世界を見渡せば悲しい出来事だらけの今ですが、この「はるのひ」の展覧会から世界がちょっとでも良いもに変わるよう、小さな会話がたくさん生まれる場所であることを願っております。

また、
この展覧会は年内に開催予定の福島市での展覧会にリンクさせて行く予定でいます。

震災後の福島県でボクと子どもたちとのセッションを企画運営してくださった、
福島県立博物館の学芸員チームからあらたに投げられたテーマは、
「福島県内で興った再生可能エネルギーの事業を次の世代に手渡すために、
絵やイラストレーションを使った『なにか』をやってくれ」というもの。

そのコアとなる飯舘電力と会津電力の視察を行い、ミーティングも重ね、
おぼろげながらも自分が何をやれば良いのか見えてきたように思います。

飯舘電力では再生可能エネルギーの今を知ってもらうためのフィールドワークを、
フィジカルでもオンラインでも重ねています。
https://ene-tour.site/

こうした活動に、さらにパーソナルな物語を織り込んでゆくような仕事を、
絵やイラストレーションというものが出来るのではないかと。

福島は足を運べば運ぶほどその美しさに魅せられる場所です。

しかし飯舘村は震災による原発事故によって現在も帰宅困難地域を擁したままです。

そこで興った飯舘電力は、単に再生可能エネルギーを生み出すだけでなく、
これから人はどう生きるべきかを考える、社会実験的な役目も持っているはずです。

ボクは飯舘村に限らず、人はどう生きたら幸せなのかを、
息子たち世代の未来を想像しながら、自分の出来ることを考えてゆく。

福島から離れた東京青山での展覧会を、そんな考える現場にもしたいと考えています。