2016 年 5 月 24 日 のアーカイブ

静岡オシャレセッション

2016 年 5 月 24 日 火曜日

R0017459
5月21日(土)は静岡での展覧会の会場ノアギャラリーを使った絵のワークショップ、
静岡で初めての試み「静岡オシャレセッション」を開催しました。

IMG_5276
参加は、
「静岡県藤枝特別支援学校 焼津分校」卒業生によるアーティストコミュニティ waC(ワック)のメンバー9名、
そのスタッフさんや親御さん、ファンのみなさん。

絵のモデルは、
静岡のPUNKでオシャレな古着&セレクトショップHEIGHTSのイッキくんが、
それこそセレクトしてくれたオープンマインドでオシャレな20代男子と女子の3名。

企画は、
静岡の音楽コミュニティーのターボチャージャーにして、
ギャラリーの企画運営もしてくれてるPEAsデザインのゆっこちゃん。
そうそう「街にひとりいるよね〜!」ってナイスパーソナリティー。

以上のザクッとした人の関わりを破壊して再構築するのがボク。

そんな陣容で、偶然通りかかった人も参加で、
熱くてユルいクリエイティブな3時間を楽しみました!

IMG_5278
楽しむと言っても、ほとんどの人と「初めまして」な状況。

モデルさんに立ってもらってスケッチしてくわけだけど、
1人ひとりの「描く」個性を知らなくちゃねって、
2ポーズの間にコミュニケート&コミュニケート。

そのキーワードは、
「オシャレ」だったり「かっこいい」とか「かわいい」とか、

「アート」とか「芸術」とか観念的なこと言って
思考を停止させてしまってもしょうがないしね、
IMG_5279

で、その辺やっぱ20代のみんなの集まりだから
もうちょっと行けるぞと、
「エッチ」な興味とかもどんどん描いてみちゃっていいんじゃないかな、
とかね。

そうすると、実際に参加者の中に自然なコミュニケーションが生まれ、
手の動きもスムースになってゆくとか、
もしくは、
手の動きが止まっても、そこにその人のパーソナリティーを見つけ、
会話を「待てる」ようになるとか、

R0017449

そうなるとさらに思いきれるなと、
waCのメンバー1人ひとりとモデルさんも交えた他の参加者とのグループを作り、
そこでお互いを描く、
というか、絵という表現を間に置いての会話の現場作り。

そこまでやれたら、
なんつったって、ボクよりずっと若く、
身の回りにオシャレが当たり前に溢れてる人たちだからね〜
オシャレな絵は勝手にうまれてくる。

想像をはるかに超えたスゲー絵
生まれちゃいました。
R0017451

ただ、やっぱこの現場をオーガナイズしたゆっこちゃんや、
モデルをセレクトしてくれたイッキくんが、
現場に自由な空気を送り続けてくれてたからこそ生まれた、
自由でオシャレな作品群であるはず。

その辺やっぱ、どーにもこうにも「人」なんだよね〜。
人!!

これが、気候が良く暮らしやすく人にオープンな街、静岡ならではのことなのか?
その辺の検証は後に譲るとして、「福祉」を超えたところで人への興味は深まるばかり。
R0017452

今回waCのメンバーの中でも「自閉」の特性をもった人が中心に参加とのこと。

日常に接するスタッフさんのマインドのオープンさのお陰で、
出会いの初めからスムースにコミュニケート進められていったんだけど、

セッションを進めてゆく中、
この空間での「障害」のボーダーがとても曖昧になってきて、

モデルで来てくれた20代の子たちの絵が、
いわゆる「障害者アート」って呼ばれるような質感の
タフな輝きをもった作品に仕上がってゆくのを見て、

誤解を恐れずに言えば、
ボクもダレ彼もそれなりの「障害」的資質を持ってるんじゃないか?
なんて思いに至り、

さらにはは、
「健常」ということは実に観念的に曖昧に認識されてることなんじゃないか?
なんてことさえ思ったのです。

R0017472

ボクの手前味噌な話で恐縮だけど、
日々の絵の制作は、アイデアを固めて「さあ描くぞ」という段階になったら、
極端に言えば、自分を世界との関係を断ち切った状態に置いて進めます。

言葉を変えて言えば、意識的に自閉の状況を作り、
それを作業台にして心と手に自由を与えてゆくって感じ。

イラストレーションの制作で言えば、
アイデアを固めるまでは、社会との風通しの良い密なコミュニケーションが必要で、
そんなアイデアを孤独な作業をもって絵にするのがイラストレーターってこと、
かな。

なので、
waCのメンバーのように描くモチーフに対するアプローチや、
実査に描くときの集中力に羨ましさを感じながら、
では「描く」手前でどんなコミュニケーションを創れるのか?

このセッションのキモはそんなことだなあ〜と、
時の経過とともにその確信が深まってゆきました。

R0017471

たとえば、今回のセッションの中で、
モデルさんの履いている「犬の顔が描かれたソックス」に興味持ったwaCのメンバーさんがいて、

そうするとみんなの「おもしろいね〜!」というコミュニケーションが生まれて、
そこには「笑顔」なんてものも生まれて、
あとはそのメンバーさんのクリエイティビティの領域で、
実にユニークな絵に仕上がった。

R0017468
そのことは、
それを側で感じた20代のオシャレさん女子のクリエイティビティを刺激し、
もしかしたら「健常」というリミッターが外れ、
ちょっと出会ったことの無い魅力の絵が仕上がってきた。

R0017465
そんな現象の先で、
筆の遅かったwaCのメンバーさんの作業がグイと加速し、
ボクが描いた凡庸なドローイングが振り切れた作品として再生された。
とかね。

R0017464
だったら、こんなオシャレな絵だっら、Tシャツのデザインに「オシャレ」に落とし込んで、
FUJI ROCK で売っちまおうぜ!みたいなこととかね、
楽しいアイデアも富士の湧水のように湧いてくるわけです。

R0017466
で、さらに思うに、
waCのメンバーさんのような資質を持った人たちを
「障害」もしくは「障がい」という字面で語ることは嫌だなと、

R0017470
それと同じくらい
「天才」という言葉で語ってしまうことの危うさを感じるなあ〜。

「天才」と語ることでボーダーを引いてしまっていないか? 
1人ひとりの個性にアプローチする道を閉ざしてしまってないか?

「天才」と語ってしまう前に、
1人ひとりの名前を覚えることの方がずっとクリエイティブ!

そんなことを、
セッションの中で生まれる新鮮な作品を目の当たりにして思うのです。

R0017469

1人ひとり個性は違うのは当たり前として。
1人ひとりとのコミュニケートをボクたちが深めることで、
(なかには言葉以外でのコミュニケートの道を探る必要がある人もいるけど)
彼らの作品がさらに輝く可能性を見つけてゆく。

たとえば、
今回のようなセッションの現場も小さな社会なわけで、

社会の中での風通しの良いコミュニケーションを持つことで、
彼らのクリエイティビティは真っ当に刺激を受け、
生まれる作品はより社会と豊かに会話し始めるなあと。

R0017482

今回生まれた作品は、
ゆっこちゃんの機転とイッキくんの寛容のもと、
HEIGHTSの店内にレイアウトして飾ってみたんだけど、
これがめちゃくちゃカッコイイ!!

これを誰が描いたか知らないお客さんの男の子が見て、
「すげーカッコいいいっすね!」「これダレの絵っすか??」なんて尋ねてるのが
嬉しくも「してやったり」だし、

waCと街のみんなとで作ったものが、
こうして街で「カッコよく」機能しているってことが、
ちょっと未来のオシャレに触れられたようで、気持ちいい!

R0017485

waCの活動に対する行政からの助成金が
最近打ち切られてしまったとのこと、

行政の人には「芸術」とか「アート」とか立派でお金出しやすいものの手前で、
アイデア次第でもっと社会で「機能」させてゆけるものがあること、
知ってもらいたいし、

しかし、
ただそんなもん、
セレクトショップでオシャレアイテム1個をゲットするような感覚で、
俺たちの当たり前として創って維持していっちまったほうが、
やっぱ、オシャレなんだろうな〜〜!!

こういうことと日々の「支援」ということは冷静に見分ける必要があるし、
そもそも、現場の適切な「支援」のご苦労のもと、
ボクのようなものがヘラヘラと関われることを忘れずにだけどね。

本当にオシャレなことを、
人にオープンで人間力みなぎる街、静岡でゲットしたボクです。

R0017467

そう偉そうに言いつつ、
まだみんなの名前をちゃんと覚えてないじゃないか、、

しょーがねえ、
「またやろう!」
そう願うボクであります。

2016
0521
PEACE!!