2017 年 4 月 11 日 のアーカイブ

73ヶ月め

2017 年 4 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から2,223日め
6年1ヶ月
73回目の11日です。

3月17日から19日は
2年ぶりの岩手県の宮古へ。

小さな映画祭の企画のひとつとして、
ボクが描いた宮古の風景を中心とした絵の展覧会の開催や、
子どもたちとのワークショップやパネルディスカッションへの参加が主な目的。

描いた絵は、震災から6年と1週間後の朝の宮古湾。

閉伊川が宮古湾に流れ込むあたりの汽水域で、
水の流れが複雑な上に気まぐれな春風が細かい波を立たせ、
実に豊かなな光の表情を見せてくれました。

自分では「全く描けていない」状態ですが、
こんな風景を見せてくれた宮古で出合った人たちのことを思い、
今描けるものとして遺してみます。

そんな愛しさと表裏一体となり、
複雑な思いにも呑まれ続けた今回でした。

盛岡から106号線の山道を100km弱行くと宮古。
そのほとんどの場所で復興道路(?)の大規模工事に出会いました。

宮古へはバスでも電車でも車でも行ったことがありますが、
そこまで連なる自然の豊かさにも、
そこに道路や線路を通した人の執念にも畏敬の念を持ち続けてきたボクです。

初めての宮古
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=7333

2度目の宮古
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=8965

3度目の宮古
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=10098

4度目の宮古
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=11168

しかし、
2年前に宮古まで足の記憶がバッサリ削ぎ落とされてしまうような道路工事の圧倒的な迫力。

後で宮古の方に話を聞いたところによると、
今までは盛岡から車で2時間かかる「辺鄙」な宮古だったところ、
震災後視察に訪れたなにか偉い人が「もっと早く着くように」と考え、
1時間で盛岡と宮古が行き来する道路工事にGOサインが出たそうです。

その破壊力の凄まじさ、

だけじゃないな、

なんだろ?

もやもやする風景の違和感、、

寝不足の頭がさらにぼーっと、ある意味思考停止な状態に陥りながらも、
結局バスの車窓からの風景を見続けていました。

で、そうか!
これは台風10号の被害からの復興工事も並行され行われているんだってこと、
川沿いに沿って斜めに立ってる樹木や、
その根本に絡みついてる流木などを見て気がつきました。

震災の津波による無慈悲な破壊の風景。
それと変わらぬ、
もしくはそれ以上の破壊を閉伊川流域にもたらした台風10号の被害。

東京ではきちんと報道されていなかった自然災害のディテールを、
バスの車窓からというへなちょこな環境からではありますが、
見て知ることが出来ました。

自然の美しい風景を呑み込んでゆく新たな道路の工事。

そこに切なさを感じるのは、
この土地で生きていないボクの無責任な感情でしかありませんね。

なにかひとつ起これば、
甚大なる被害を受け入れざるを得ない土地での暮らし。

そこに生きる人にとって本当に大切なものはなんだろうか?

ともかく止まった思考をなんとか動かすことをしてゆかねばです。


宮古に着くと映画祭の現場へ。

宮古市の文化による復興支援プログラムチーム”ほっこりみやこ”主催の映画祭、
「みやこほっこり映画祭」

地元の有志や各本面で活躍する人たちが集い作られたコミュニティーシアター、
東北太平洋沿岸部で唯一の映画館だった「シネマリーン」を失ったことを受け、
造り酒屋であった東屋さんの築100年以上の蔵をリノベして造られた映画館、
その名も「シネマ・デ・アエル」を中心とした表現とコミュニケーションの現場です。

・シネマ・デ・アエル
https://cinemadeaeru.wixsite.com/cinema-de-aeru

わさわさわさわさ、人が蠢く感じで映画館が、ギャラリーが生まれている真っ只中に飛び込み、
ボクもギャラリーで絵の設営。

東京に暮らすボクが、震災後の宮古に「たまに」足を運んで、
かっこいいこと言っちゃったりもして、自分勝手に描いた絵です。

喪失の記憶なんてものがそう簡単に癒えるものでは無いこと、
ちょっとは理解しているつもりなので(その痛みはわかるはずないのだが、、)、
ほんとにプレッシャーのデカイ現場です。

専門的な知識や技術を持った方の手が入ってる現場とは言え、
やはり有志にの手によるワークショップ的手法で作られた空間。
目に見える不備もあります。

が、それがなんとも人間臭くて、
こういう展示って、ボクは基本孤独を持って取り組むのですが、
なんだろね、ずっと誰かと会話しているように設営を進められ、
結果、宮古の蔵の中ならではこその展示空間を創ることが出来ました。

あとは足を運んでくださる1人ひとりのもの。

多くのことを現場のスタッフさんに委ね、
会期を通して展覧会が育ってくれたらいいなと思いました。

今回映画館として上映されたのは、
「みんなのアムステルダム国立美術館へ」
https://cinemadeaeru.wixsite.com/cinema-de-aeru/news

そして、
宮古の津軽石地区の盛合家が遺していた昭和初期の暮らしの記録の映像
「盛合家の秘蔵映像」

なぜ??
なぜオランダの国立美術館が再建されるというドキュメンタリー映画を、
宮古なんていう土地で、せっかく1本の映画を上映するというのに、
なんでこんな一般的でないものをチョイスするの??

だよね、普通に考えると。

寝不足もきわまり、これは途中で寝ちゃうかもです、なんて言い訳をした上で見はじめたら、
面白い!
なんだこの映画、結局一度もコクリとすることなく見てしまった。

人が蠢き、なにか巨大なものを再建しようとしている。
映像の美しさが、古い蔵という装置の空気感とも宮古の北国の春の空気とマッチして、
ボクにとっては思いっきりエンターテイメント。

で、国立美術館の下が自転車専用道路として解放されているのを、
新装された施設ではどう扱うのか?

館長や建築家や行政やサイクリスト協会などなどの思惑が交差し、
スッタモンダの末、館長の辞任なんて事態の上、凡庸な折衷案に着地する。

ほんと面白い人間ドラマだった。

それと『昭和初期の今は失われてしまった田舎のコミュニティの歳時記的映像』の併映。

こちらは映像を止めては、お客さんとして集まっている地元のお年寄りに、
その場面の説明を記憶の中から掘り起こしてもらったり。

主催者のセンス、というか一種狂気じみた発想を感じる現場。

で、こんなソリッドなセンスの現場に「ほっこり」ってことば使うかぁ??
面白いとこに来ちゃったぞ!
です。

ボクがお願いされたトークセッション、
テーマは「アートによる地域作り」みたいな感じで、
同席させていただいたのは青森県立美術館などで活躍されてきた立木祥一朗さん。

 
「はじめまして」

だったけど、
氏が手がけた青森での奈良美智さんの展覧会、
吉井酒造煉瓦倉庫を使いボランティアスタッフと共に運営した
「Yoshitomo Nara + graf: A to Z」の話が聞きたくて、
特にどんなコミュニケーションで現場を作っていったか質問したら、

「狂気のひとりと出会う」

みたいな話に行き着いて、面白いかったなあ〜〜

これ一般的には勝手なコンプライアンスがかかって言葉にされないのだろうけど、
「ひとり」との出会いに内容される狂気じみた必然、
そんなのが面白くて、なによりもクリエイティブで、
ボクもそこを信じてやってきたことがデカくて、
立木さんなんて言ったらもう立派な経歴の持ち主なんだけど、
2人の間では「楽しい」が加速し、現場にそれが一気に広がっていったのがわかった。

そうそう、ボクも立木さんも「狂気のひとり」であるってことだよね。

う〜〜ん、これはやはり本格的に面白い現場だ!

ということで、夜の飲み会でその真実にせまってみたら、
これがやっぱとても面白かった!

なぜ「ほっこり」なのか?

それに強烈なアゲンストをぶつけるデザイナー。

受けて立つオーガナイズ側の有坂さん。

その有坂さんの考えに思いっきり共感。

ここではボクの考えに変えて言葉にしちゃうけど、
それは震災後に確かになってきたボクの価値観とも言えるけど。

カッコいい言葉で「わかってる」人を集めてる場合じゃなないぞ。

「ほっこり」に子どもやじーちゃんばーちゃんまでもが集まってくれる。
しかし、そこにあるものの質は高い。

カッコいいこと言ってなにか素晴らしげなものを啓蒙してゆくんじゃなくて、
今ある場所を風通しよいコミュニケーションのもと確認し、
そこから必要な未来をたぐり寄せてゆく。

そのためにも、もはやボクも「ほっこり」じゃなくちゃダメだーー!!
と実感した夜の狂気の酒席。

取材での同行者がふた組あったけど、
残念、ここは見ていないのだ〜〜〜、、

東京にもどり有坂さんからいただいたメッセージ

絆ブームがようやく終わったと思ったら、今度は「未来」という言葉がいろいろなところで溢れて、とどまってゆっくり考えること、復興に向けて進歩的でないことがなんとなく言いづらいような空気を感じています。また被災した地域の子供や若者ににこれからのことを聞くと、地域への貢献や担い手としての自覚や責任を口にすることが多く、それは良いことなのだけれど、少なくとも想像の上では自分の思うままの人生を創ることができる自由を、自ら否定してしまっているような考えを聞くことが多くあります。

うん。

東北の子どもたちは、シャイで、
しかし、きちんと段階を踏んでコミュケートすると、
そも心にはとても豊かな色彩を持っていて、
それが、もともと物事をしっかり考える気質や粘り強さと出会うことで、
東北人ならではの美を創造してゆけるんだろと思っていて、

先回りして未来を語っちゃう前に、
ボクのようなものがお手伝い出来ることはあるなと思ったし、
出来たら、これは余裕あったらってことかもしれないけど、
焦らずボクが恋した宮古だったり東北の魅力を再確認していってもらいたいな〜

東京にもどると、スタッフとして入っていた19歳の学生さんが、
彼女が暮らす「盛岡の魅力ってなんでしょう」なんてことをfacebookで投げかけていて、
多くの人がそれに真摯に答えているのに出会って、
うん、こういうイベントの意味はちゃんと若い人に手渡されているなと。

懇親会の席でボクが語ったダジャレをひとつ。

「シネマ・デ・アエルは、死ぬまで会えるということで、今後とも宜しくお願いいたします!」

そんな人間交差点を離れ、これまで絵にして来た場所、
まだ描くことの出来ないでいる場所をフィールドワーク。

現在造られている防潮堤の高さのイメージを言葉にすると、
新幹線の高架くらいの高さの壁が湾をぐるっと囲むってイメージ。

鳥はいいなあ〜

3度目となる田老地区にも足を運んでみました。

田老の駅に着き、同行の取材者から感想を求められましたが、
すみません、なにも答えられません。

簡単に言葉にしてはいけないことがあるなと。

それは震災後のわりと直後にここに来た時の風景と同じく、
防潮堤建設の始まった今の風景がボクに思考停止を求めてきたのでしょう。

言葉にすることで、
ボクは自分の言葉に縛られものを見てしまいます。

ボクは言葉で先回りする以前で、
その場所の距離感や気温、通り過ぎる風の質感を体を使って測り、
一歩出すごとに足の裏から頭の先に抜ける振動の変化を心に刻み
工事現場の音と波や海鳥の鳴き声のセッションに耳を澄ませたり。

そして、
美しさとは出会い頭にやってきます。

美しさの際に置かれたものは、
ただ見るだけにしておきます。

漁師のおっちゃんと一言二言

ここは住むには最高の場所だよ。

でも、歳とっちゃったからね、、

なんであんなもの造るのかね?

津波が来たらまず逃げることなんだよ。

昔の人が知恵を働かせ置いた逃げ場としての高台の神社。
そこから俯瞰した田老の港が思いがけず小さく見えて、
ちょっと心が動き出した。

そうしたら地面にへばりついて咲いている花を見つけました。

まあ、季節もあるのだけれど、
3度目の田老ではじめて花を見た。

いや、これはきっと漁師のおっちゃんが見せてくれたんだろね。

それだけじゃない、
宮古で食べたなんでもないものがみんな美味しくて、

こういったものを守ってゆくことの大変さを考え、
しかし、それ以上にその美味しさに触れるからこそ、
ボクのようないい加減な存在の者でも見えてくるものがある。

「被災地を応援」なんてことは出来ないけど、
その土地や人を愛することの炎を絶やさぬよう、
喜びをもって続けてゆけることは、見つけようとすればいくらでも見つかる。


アムステルダムの美術館の自転車専用通路の凡庸な折衷案と、
巨大防潮堤反対に対する「海の見える窓」の設置の近似値。

ボクがやるべきことは、少なくともそういうことじゃないよね!

なんてことを確信的に突きつけてくれた
あれから6年の春に宮古で出会った愛しき狂気の群像、
その1人ひとりがうれしい。

いや、実際キレイゴトばかりじゃないし、
大変なことばかりだろうけどね、
ほっこり愛と狂気を温めてゆきましょう!

今回この場所にボクを呼び込んでくれた田代さん。

あらたなスタートラインを見せてくれてありがとう。

またね〜!

ブーーッと県北バスは106号線を盛岡へ。

来るときは殺伐としたものばかりキャッチしてしまった風景だけど、

いやいや、
まだまだ深く美しいぜ、岩手!

またね〜、宮古

またね〜、盛岡

次の日ボクは熊本へ。
そのことに関しては追ってお伝えいたします。

そんな旅から戻ると、
やりきれぬ喪失の報がいくつか届く。

あれから6年の春。
ともかく今は絵を描きたい!