2017 年 11 月 28 日 のアーカイブ

知床にて

2017 年 11 月 28 日 火曜日


1ヶ月ほど前、10月末、秋の終わりの季節の知床、斜里町を巡ってまいりました。

初めての知床。
「アミイゴさんが知床に行ったらなにで出会い、なにに気がつくか楽しみ」と言ってくださった方の導きより、
地域ブランディングに奔走されている方々にお会いし言葉を交わし、人の肩越しに見えてくる風景に出会ってきた。
そんな感じです。


初日の移動は台風の風雨と共に、

次の日からは地元方が「この季節にしては出来過ぎ」と語った気持ちの良い天気のもと、

美しい泉に出会い、

大自然とのキワで生きた人の息吹を感じ、

この土地で生きる必然とそのダイナミズムに驚愕し、

ささやかな花の美しさに心奪われ、

「はるか国後」を

意外や身近に感じ、

そんなこんなをすべて人の暮らしと大自然の交わるあたりで感じることが出来た時間でした。

思いっきり語り、思いっきり描きたい、そんな知床ですが、
以下出会った方のお話から。


大型の農業機具の製作販売をされている方。

もともと鍛冶屋を生業にされていたお父様の代からの起業とのこと。

「わたしはこの辺りで一番貧乏でした」
「昔はこの辺に多くの鍛冶屋がいましたが、その中でも父は鍛治の腕が良くなかった」
「時代の変化の中で、鍛冶屋がどんどん廃業して行く中、父は腕が悪かった分、早くから大型の農業機具の製造のほうにシフトしていったので、生き残ることが出来た」

そんな話。

人が大自然に挑んできた土地を生き抜いた方の大河ドラマ、
ズシンと心に響きました。

また、これは今の時代でも置き換えられることはありますね。


知床自然センターで出会ったお話はこんな。

クマが人里に降りてくる目的は、食べること、生きること。
なので、クマは人に出会ったとしても、無闇に襲うことはしない。

それは、襲ってしまうことで自分が怪我を負ってしまえば、自然の中で生きてゆける確率が一気に下がってしまい、
本来の目的と外れてしまうからだ。

もし人がクマに出会ったら、刺激することなく、静かに後ろに下がればよい。

そう聞いて触らせてもらったクマの牙も爪も先が丸く滑らかで、
人を引き裂くようには出来ていないものだと知りました。

知床で出会ったエコロジーは「人は動物として自然との距離間を思い出せ!」ということであり、
それは普段の街の中での生き方にも、
国と国の関係なんてものも生かして行かねば、
クマに笑われてしまうことなのだと思いました。

そしてあらためて、知床で出会った美しいビーチにて。

美しいビーチは人の暮らしと自然との領域を曖昧にし魅せてくれる。
だから美しく感じ、しかし描くのがとても難しい。

人の暮らしの「キワ」を一本の線としてどこに引くべきなのか?

そんなギリギリの命題を描く絵の上で永遠と悩み続けなければならず、
それでも上手く描けたと思う瞬間を得るも、次の瞬間にはもう「これは違う」と。

仕方なくその線を潰して上書きするのか、またべつにで絵を描くのか、
そんなことを繰り返すばかりで正解になんか至らないんだ。

震災以降ボクが描き続けてきた波打ち際の風景がなんであるのか、
知床で出会った美しいビーチは、
ボクが描こうとしているものが「人の暮らし」であることを逆説的に教えてくれたように思っている。

この穏やかに美しいビーチの風景に出会う2日前、
ボクは同じ場所が台風の風雨で荒れ狂っているのを見た。

それは人が立ち入ってはならぬボーダーを明確に知らしめてくれるもの。

そして嵐の去った後、その言わば生死のキワから数十メートル先の波打ち際を歩けたこと。
そのささやかさ。

日々を生きる上での喜びは「立ち入ってなならぬ生死のボーダー」の先に広がるささやかな余白にあるんだと実感した。

知床は、ある季節から先、人の日々は生死のキワに置かれる。
厳しい寒さの冬にそのへんでフラフラしていたら、人は死んでしまうのだ。

そんな想像の中、これまで歩いた西表島、竹富島、石垣島、沖縄、天草、津奈木、水俣、百道浜、唐津、尾道、淡路、湘南、塩釜、富山湾、新潟港、大原港、銚子、鹿島、石巻、気仙沼、唐桑、宮古、東京などの水際の風景を差し替えては、人の暮らしというものを考えている。

ビーチに押し寄せる波のカタチに1つとして同じものは無く、
ビーチを訪れる人の時もまた一瞬でその表情を変えてゆく。

ただ人は一々そんなことを考えることもせず、「
寄せては返す波」という定型文のリズムの中に我が身を置くことで、
毎日を生き抜く術を得ているんだ。