2018 年 4 月 のアーカイブ

85ヶ月め

2018 年 4 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から2,588日
369週5日
7年1ヶ月
85回めの11日です。

ちょっと報告が遅くなってしまいましたが、
peaceてぬぐい7刷りめが動いています。
https://www.facebook.com/peacetenugui/

これまで東日本大震災や熊本の震災の以降の現場をつないできたてぬぐい。

あれから7年の春の7刷りめでは、さらに一歩踏み込んだ発想を盛り込んでみました。

ひとつは、
震災以降懇意にさせてもらってきた塩釜で養殖漁を営む共栄丸水産さんの願い、
塩釜港から松島湾に至る海を万葉の歌人にも詠われた名前「千賀の浦」で呼ぶこと、
そのロマンチックな発想を後押ししたいと思いました。

やることはとてもシンプル。

てぬぐいに付けたポストカードに個人的な「海にまつわる幸せな思い出」を綴り、
共栄丸様付け”千賀の浦さん”宛に送ること。

peaceてぬぐいを管理運営してくださっているのは、
長崎県諫早市のオレンジスパイス

諫早湾の干拓事業で広範囲な海を失った町と、
東日本大震災の被害を受けた千賀の浦という海。

この2つの場所を一本のてぬぐいで結び、
それを頼りに1人ひとりの海の記憶が千賀の浦に注がれる。

この手紙を書くことには一切の見返りはありません。

ただ、このてぬぐいを手にし手紙を書く方の
人や海に対する想像力が働き続けてくれたらいいなと思います。

peaceてぬぐいに添えたポストカードの絵は、
1年間羽田空港でも見ることが出来ます。

羽田空港国内線第一ターミナル出発ロビー

空の旅の直前で「あの絵は宮城県塩釜の”千賀の浦”って名前の美しい海だよ」
そんな会話が生まれたうれしいですし、
この絵がどんどん一人歩きし、千賀の浦にまつわる仕事をしてくれたら面白いなと、
これまでのイラストレーションのあり方を超えた発想を働かせてみるつもりです。

今回のpeaceてぬぐいにはもうひとつのストーリーを添えています。

気仙沼唐桑でプランタンという喫茶を営む一家に加わった
小さな仲間をめぐるささやかな日常の描写です。

「被災地」「被災者」というワードで語らなければならない事態は、
現在もどうしようもなく存在することです。

それでも「なんでも無い日々」を語ることは、
明日を確かに迎えるための力になるはず。

もしこれから「被災地」と呼ばれる土地に行かれる方がありましたら、
その視線の何割かは、
奇跡的にそこにある「なんでも無い日々」に注いでもらえたらいいなと思います。

プランタンさんには、
震災以降青山のHADEN BOOKS の林下さんとヴァイオリニストの金子飛鳥さんとボクとで続けてきた、
「本・つながる・未来」というプロジェクトの7年めの最初の一歩として、
絵本をお届けすることを進めています。

詳細はあらためてお伝えしますが、
小さな命の生まれた場所が、地域の子育て中の家族の拠点と育ってゆくことを想像し、
子どもたちが未来を生きてゆくための心の免疫力を高められるような、
豊かな物語を届けたいと思っています。

父が亡くなった後、いろいろやらなくちゃならないことがあって、
時間を見つけては群馬に行っています。

先日は父の入院していた病院へ医療費を払いに、
駅から伊勢崎市を流れる粕川に沿って歩いてゆきました。

季節が2歩3歩と進んだ土手にあがると、
菜の花の咲く粕川の風景に「おお」と声が漏れました。

全国的に有名な場所では無く、観光案内で語られることも無い、
なんでもない河原の風景がこれほど美しいものかと。

父をケアし、わずかだったけど共に過ごした時は、
ボクにこんな風景を見せてくれたんだと思いました。


粕川の河原では、関東地方では目にすることのなかった
白い花のタンポポに出会いました。

西日本に自生してきた日本の固有種のタンポポ。
気候の変化でこちらでも咲くようになんたんだろうか?

ただ、この花に気づくことが出来たのは、
去年の春に熊本で生まれて初めてこの白い花に出会えていたからこそ。

一昨年の熊本の震災発生以降、熊本での人との確かな出会いがあり、
その経験はボクの視線を熊本城にも、街を歩く足元にも届くものにしてくれました。

粕川を遡ってゆくと、父の生まれ育った、ボクも生まれ育った旧粕川村、
現在の前橋市粕川町にいたります。

粕川に沿って赤城山に向かい細長くなだらかに連なる町です。
春の暖かさに包まれた田舎の風景の中、
父の気配を感じられるであろう場所を走って回ってみました。

この季節のタンポポは、地面にへばりつくようにして花を咲かせているんだ。
そんな発見。

冷たく強い風の吹く冬の群馬で、
地面いっぱいに葉を広げて陽の光をなるべくたくさん浴びようとするタンポポ。

花の咲く季節もまだ頭を低くして風をやり過ごし、
しかし、周りに背の高い草が伸び始めると、
タンポポも花の茎を虫たちを呼び寄せるのに必要なだけ伸ばす。

そうしてその環境の必然に合わせてその立ち姿を変え、
しかし、綿毛を遠くに飛ばすその時が来たら、
一気にその茎を伸ばし綿毛を風の中に突き出す。

こんなことに心を奪われるのは、
3月11日以降の東北の各地を歩き出会った人から、
身をもって感じさせていただいたものがあるから。


そして今、
父の不在が見せてくれた故郷の風景は、
たとえば、あまりにも当たり前のはずの「田んぼの風景」は、
実は放っておいたら失われてしまう「棚田の風景」であったことに気づき、


2018年4月はもう2度と出会うことが無いんだってことに気づく。

美しい風景との出会いは、
人との出会いと別れがあってこそのボクです。

父の喪失を経験し、
あらためて2011年3月11日のこと、
12日のこと、
13日のこと、
14日のこと、
15日のこと、

そこを生きた1人ひとりのことを想像するも、
いまだに想像力が追いついていないことに気がつく、
あれから7年めの春のボクです。

ただ、今なにが必要とされているのか、
ボクであればなにを描けば良いのか、
7年の出会いと喪失の分だけ明快になっているボクでもあります。

自分が出来ることを、
それを必要とする顔の見える1人へ。

そんな基本をもって生きて行こうと、
あらためて心に念じた2018年春。

もっと絵を描きてー!!

です。

羽田空港国内線第一ターミナル出発ロビー

2018 年 4 月 10 日 火曜日


放送作家で脚本家、くまモンの生みの親でもある小山薫堂さん企画で、
羽田空港国内線第一ターミナル出発ロビーで展開の「旅する日本語」
https://event.tokyo-airport-bldg.co.jp/tabisuru/

2016年、17年と、小山さんの旅にまつわる美しい日本語のエッセイに、
片岡鶴太郎さんが絵を添え、羽田空港にドン、ドン、ドン、と展示されてきた
一辺が4メートル超の11面のボード。

今年度4月1日からボクが絵を担当します。

小山さんからエッセイをいただき、
3点は過去に描いた絵から「ぜひこれを使いたい」と思ったものを選び、
あとの8点は、これまで撮りためた4万枚の写真からフィットするものチョイス、
それを素材に描き下ろしました。

小山さんのメランコリックだけど救いに満ちたストーリーに添えた絵ですが、
その背景には、沖縄で、福岡で、東京で、会津で、いわきで、塩釜で、
ボクが出会ってきた人たちが魅せてくれたストーリーが息づいています。

このストーリーがこれに出会う人のストーリーと共鳴し、
さらに美しい1人ひとりの旅の物語へと昇華してくれたらうれしいです。


小山薫堂さんと出会う以前から、この企画を素晴らしいと思い、
家族に「いつかここを担当したいな」なんて話をしていた現場。

今年の1月に小山さんから連絡をいただき、
ここの絵を描いてもらいたと伝えられた際、
つい「おお!」と声を上げてしまいました。

先日、設営の済んだ羽田に初めて行って、
エレベーターで出発ロビーまで上がって見て、
やはり「おお!」

11本のエッセイに11枚の絵が強度の高いデザインを与えられて並ぶ風景は、
ちょっと膝が震えてしまったくらい素晴らしい仕上がりでした。

しかも、南ウイングに11点。
それと同じものが北ウイングにも11点。。

壮観です。

が、
この言葉と絵に見送られて旅立つ人のことを想像すると、
その責任の重さにやはり膝が震えます。

絵の制作時期は今年の2月。

昨年末に父が危篤になり病院に搬送され、
その後何度か危篤と言われる状況を繰り返し、
ボクもできる限りのケアをしてきたのだけど、

しかし、なぜかこの絵の制作期間中の父は容体が安定していて、
入稿が終えたところで、結果最後の危篤となり、
やるべきことを出来たボクは父が息をひきとるまでの9日間、
これまでの人生の中で最も静かに父の側に寄り添うことが出来た。

昨年7月に脳梗塞で倒れた後、
一緒に九州に行くことを目標に頑張ってきた父だけど、
残念、ちょっとフライトを早まってしまった。

羽田のこの風景、見せてやりたかったぜ。。

この企画は、この羽田の現場で終わりでは無く、
みなさんから広く「旅する日本語」のストーリーを募ったり、
さらに翼を広げ、言葉や絵の可能性を探ると共に、
これから未来を生きて行く上で必要とされる真の豊さなんてものを
育ててゆけるものでもありたいと願っております。

今後の展開は逐次お伝えしてまいりますが、
まずはお時間合えば羽田空港まで、
飛行機に乗る用事が無くても、楽しんでもらえるんじゃないかな〜〜
です。