2018 年 9 月 のアーカイブ

池袋木曜セッション・シーズン8

2018 年 9 月 28 日 金曜日


池袋コミュニティ・カレッジでの絵のセッション。
昨晩がシーズン7の最終日。
秋の味覚を色にして、手でちぎって、
秋の一皿を演出しました。

美味しい記憶の色。
手を動かすことのフィジカルな快感。
目の前に広がる思いがけない秋色の風景の喜び。

参加者が、それこそ黙々と手を動かしている姿が美しくて、
もしくは、子どもの頃に入った蚕室の生ぬるさと共に聞こえた、
蚕たちが一途にムシャムシャと桑の葉を食む音を思い出しました。

蚕はたくさん食べて繭になって、
そこから生糸が作られて。
織られ、染められ、仕立てられ、
着物や帯になってゆく。

着物や帯がイラストレーションと呼ばれるものであったらいいなと、
池袋の生ぬるい現場、大切にしてゆけたらと思った夜です。

昨晩のボクは、新蕎麦と秋茄子とキノコの色彩と戯れ、
気がつけばなにか秋色の生物が歩き出しました。

かすみ草の絵は前回。

“手のひら生物”は前々回生まれたもの。

参加者みんなの手の中で生まれるものも、
やはりかわい子ちゃんばかりであります。

10月11日からは池袋木曜セッションシーズン8スタート。
参加ご希望の方は以下のリンクをご参照くださいませ。
https://cul.7cn.co.jp/programs/program_701881.html

Deep Fall_知床2017晩秋

2018 年 9 月 18 日 火曜日


6分間の知床LOVEな映像を作りました。

昨年の10月、台風とともに初めて足を運んだ知床。
夜が明けると台風一過の光が眩しくて、美しくて。

そんな旅を通して心の中でループしていたのが、
Eri Liaoさんの歌うDeep Fall という美しい曲。

心の中にそんなものを放り込んでおけたおかげで、
ボクの視線はいつも以上に静かだったはずです。

あれから11ヶ月後の今、鉛筆を握ってみたら、
やはりこの曲に導かれ、新たな旅に出たような。

当初50枚くらい描くのだろうと考えていたところ、
出会うすべてが美しくて、作画は100枚に至りました。

あらためて、
美しいなあ〜、知床。

そして、北海道。

みなさん、おやすみになる前の6分ほど、
深い秋の旅を共にしてくれたら幸いです。

90ヶ月め

2018 年 9 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から2,741日め。
391週4日
7年6ヶ月
90回めの11日です。

8月のある日、
塩釜にゆきました。

東日本の悲劇ののち、
一番の友人になってくれた水間さわ子さんとのお別れの式に参列。

こんなことをここに記すのはとても嫌なことだし、悲しいことだし、
しかし、こうやって毎月の11日にブログを書き続けていたことは、
こんな時、東日本の方と悲しみを共にするためなんだよなと、、

大規模な自然災害に対して無力な存在でしかないボクに、
水間さんはその51年の人生をかけて教えてくれたようです。

ボクは遺されたご家族の悲しみの大きさを語ることの出来る言葉を待たず、
ただ自分のことを無責任に語るに終始するばかりですが、

ボクが好きになる方は、
頑張り屋で働き者で、自分のことより人のことに夢中になるような人ばかりだと。

そんな人柄がその人生を縮めてしまうこともあるんだろう。

が、今はボクこそ頑張って、その喪失をこれからの人生の隣に置きながらも、
そんなひとりが生きていた時間を受け継ぎ、前へ進んでゆこうと、
なんとかそう出来るよう目の前の一個一個をやってゆこうと思います。

宮城県東塩釜の水間さんご一家の共栄丸水産さん、
並びに、東北の太平洋沿岸部で養殖漁を営まれるみなさん、
水間さわ子さんという方が、ボクという1人に与えてくださった「海に生きること」
そこから得られる想像力を絶やすことなく、
みなさんが丹精込めて作られるワカメや昆布や牡蠣を食いにゆきますね!


こうしてブログを書いている間にも、
猛暑や水害、大きな地震と続いたこの夏の日本です。

命の喪失の前に、やはりただ自分の無力を知るばかり。

被災された方やその周辺に暮らす方々に対して、
絵なんてものが力になれるようなことはずっと先となるはずです。

ただそれでも、
もし小さなお子さんをお持ちの方で、
1日の中でちょっとでも余裕を見つけることが出来ましたら、
お子さんと絵本を読むようなことをされてみてください。

きれいな絵と言葉で優しい物語が綴られた1冊。

それがたとえば被災の現場ではなく、ごく当たり前の日常の中でも、
どうしても生活に追われてしまう中、
お子さんに対する言葉もきついものを並べてしまいがちになる。

そんなことはほとんどのご家族の当たり前であり、
そうした生活のリアリズムに対して一々目くじら立てるようなことやっていたら、
日々はとても息苦しいものになってしまうはずで、
ボクの立場でそういったことを否定するつもりはありません。

ただ、そんな中でもお子さんとの間に心を寄せ合える絵本という形であったら、
ちょっとだけ深呼吸し、
そこに綴られた物語をお子さんと会話するようにして読んでくれたらいいなと。

これは長野県茅野市の今井書店の高村さんの受け売りなんすけどね、、

美しい絵本に綴られた美しい言葉をお子さんと共有するちょっとの時間。

絵があることでお子さんが何かを語る。
それを説明する必要もなく物語を語ることだけで、
お子さんとの間に豊かなコミュニケーションが生まれるのが絵本だと思うのです。

教訓や教養を得るなんて立派な目的である必要は無く、
「読み」「聞かせる」のではなく「見て」「語りあう」

人の命が奪われてゆく事態の中に置かれても、
すぐれた絵本の中には普遍的な物語が流れています。

それをお子さんと語り合うようにして楽しむことで、
物語は生きたものに、そして親子の物語へと育ってゆくはずです。


厳しい現実を前に何を呑気な、
そんなお考えの方もあると思います。

ただ、厳しい現実を前に頑張る親に対して、
子どもたちもまた、親に迷惑かけまい、ワガママ言うまいと頑張りすぎている場合があります。

そんな時に心優しい物語を親と子で訳あうことが出来たらなあ〜
そんなちょっとの瞬間に豊かな笑顔や涙を共有することで、
救われることはたくさんあるんだってこと、
これまでの東日本や熊本などなどでの経験から実感しています。

そんなことを考えながら先日は九州へ。 

「うちはここまで水に浸かったよ」
なんて会話をあちこちで聞きながら、
絵本を読んだりみんなと絵を描きました。

子どもたちとの小さな会話を積み重ねていった先で、
とても勢いのある綺麗な絵に出会えた旅。

必要とされる現場があれば飛んでゆきますよ〜!

LOVE HOKKAIDO

2018 年 9 月 7 日 金曜日

想像力をフル回転させていつもと変わらぬ1日を大切に生きる。

今この瞬間に困難に直面している「ひとり」を想像し心を寄せる。

そうして生まれたものはいつか必ず人を助けるものになるという想像のもと手を動かす。

こういう事に慣れることも飽きることも出来ず、

相変わらず上手いことも言えず。

なにか使い道あるようでしたら使ってみてください。