2018 年 10 月 のアーカイブ

雨ニモマケズ、動物園に行ってきました。

2018 年 10 月 13 日 土曜日


9月のある日、猛暑を心配し、台風の進路にも気を配りながらも、
街のみんな40名くらい、たまにパラっと降る雨を友達にし、
福岡の薬院のカフェsonesから福岡市動物園まで歩いていって、
みんなで絵を描いて帰ってきました。

これで5回目の開催となる福岡市動物園まで歩いていって絵を描くピクニック

福岡のアーティスト集団”アトリエブラヴォ
正式名称で語ると、
社会福祉法人 JOY明日への息吹障害福祉サービス事業所JOY倶楽部のアート部門”アトリエブラヴォ”

ボクとそのメンバーとそのファンと、
9月30日で開店20周年を迎えた福岡市薬院の老舗カフェsonesの店主やスタッフ常連さんと、
ともかくブラリ歩いて動物園まで行って、その時の一番楽しい方法で絵を描いて帰ってくる。

それだけのこと。

何度か続けているうちに、
アミイゴのA、アトリエブラヴォのA、ソネスのSで「AAS」と呼ぶようになった企画です。

今回2018年9月のこのタイミングで開催をお願いしたのは、

・ボクが九州に行く予定があった

・松田くんという今までに無い福祉のあり方を考えている27歳に出会い、
 ならばボクが福岡でやってきたことを見てもらおうと思った。
 *MUKU http://muku-official.com
 *株式会社ヘラルボニーhttps://www.facebook.com/heralbony/

・アトリエブラヴォの正体だった原田くんが退所して、佐賀に別の施設を作ったので、
 PICFA https://www.facebook.com/picfa.kagehospital/
松田くんと原田くんを合わせてみたくなった。
(このことは別に機会に紹介します)

・原田くんなき後の、またメンバーやスタッフが数名入れ替わった後のアトブラと遊んでみたかった。
 で、もちろん松田くんを放り込んでみたかった。

・SONESもまたスタッフの入れ替わりの時期で、
 20周年のお祝いに、若いスタッフさんの経験値を上げるお手伝い出来たらと思った。

福祉の言語と、絵描きの言語と、カフェの言語、
異なる言語に生合成を与える力を持っていた原田くんが抜けた今回、

これまではただただ破壊者であればよかったボクが、
その役割も担わねばならない雰囲気だったのだけど、
結局、ボクの良い部分がマスキングされるくらいならぶっ壊してしまえと、
小雨降る福岡の街に広大な灰色のコミュニケーションの原野を広げて見せたら、
心配はまったく稀有に、みんな自然とコミュニケートを深めてくれました。

sonesが用意してくれた弁当は相変わらず滋味深く美味しくて、
ただ、それをみんなと食べるスペースが、いつもよりスクエアな空間だったので、
1人ひとりが瞬間瞬間でどんなマインドであるか探り、
よりオープンな会話が生まれるような空気作りは頑張ったけどね、、

てを使って絵を描き始めたら、
障害とか健常とか年齢とか関係なく、
「ぎゃー」とか「わー」とか渾々と会話が湧いて出ました。

そんなわけで、理屈をこねるよりみんなの絵を。


たとえば、ボクがスケッチしたキリンにアトブラの川上さん着彩とか。


松田くんの描いた鹿に、アトブラの〜、、誰だ?着彩したのは。。


逆に、アトブラの、あれ?誰だっけかなのスケッチに、あれあれ??参加者の誰かが着彩したキリン?
これ白黒だけの時も、北欧のデザインみたいでとてもオシャレだった。


これはやはりアトブラの誰かのスケッチに、ちっちゃい子どもが色を着けた「たまんねー」一枚。


これ、ボクがFBで紹介した何枚かの絵の中で、なぜか一番「いいね!」をもらったやつで、
参加者の誰かが描いたスケッチに、アトブラのスタッフなりたてのヤングな女の子が着彩したもの。
かなわんね〜〜、、


で、これはアトブラのメンバー同士のコラボかな??

いや、いつもアトブラのアトリエで生まれる絵は素晴らしいのだけど、
動物園でのコミュニティーの中で生まれた絵は、
より微笑ましく世界と語っているようなものが多くて、
ボクはこうしたコミュニティーの中から生まれるものに、
非常に可能性を感じているんだよ。。


たとえば、
ボクが描いた線画をアトブラのみんなが着彩することで生まれるイラストレーション

社会の壁を突き破るしなやかな鉾になると思うんだけどなあ〜

まあ、なかなか理解されない発想だと思うし、
思っているだけじゃしょうがないので、今まで通り個人的にやってくんだけどね。

で、
そんなコミュニティの中で、
気がつけば自分もかなり抜けのあるものを描けてたりする。

アミイゴスケッチ&着彩の鹿ちゃん。
ちょっとお気に入りです。

以下ズラッと。


この像とか、圧倒的じゃん!


たまらん!ガオーー

などとハシャイでいるばかりにはいかず、
やはり体力的にキツイって人も中にはいるのだけど、
その辺の福祉的なケアをしてもらえたら、

帰り道、
気がつけばそこに”福祉の介助”をする人が1人のいない状況で、
ボクたちはちんたらカフェsonesを目指して歩いていて、
(これって福祉の現場ではかなりレアなことらしいです)

中には気持ちが一気にナーバスに振れちゃう人もいるんだけどね、
「うん、俺もそうだよ、」「その感じわかる〜、」「生きるってツライね〜、」なんて話していたら、
なんかお互い笑い出しちゃったりで、
もちろん雨なんかとっくの昔に上がっていたしね。

でなにより、
ボクは絵を介する限り、ほんとみんなと豊かな会話が出来るなあ〜と。

何度もこんなことやってきて、
その部分に関しては、ボクは持ってるんだと思えた今回。

ではこれが東京で出来るかって言ったら、
東京にはsonesが無い。

そこなんだよな。。

似たことは出来るかもしれないけれど、
最後の部分、
なんだろな、、

なんとなく、ボクのような者を馬鹿正直に信頼してくれるってこと?

sonesもアトブラも関わる人が変わり、
組織としての見た目なんてのも変化あるように感じるのだけど、
いやいや、アトブラ の1人ひとりとは、
今まで通りコミュニケートする限りまったく変わらぬ、
というか、お互いの成長を感じるものを作れた今回。

やっぱ人

人なんだよね〜

東京!渋谷!!よよぎー!!!
「ダイバー」とかの理屈以前で、
こういうの創れたら、楽しいぞ〜〜!!

福岡の薬院のsonesに着いたら、
さっそく今日生まれた絵を展示。

sones、20周年おめでとう!
という気持ちと、
これからもお互い頑張ろう!
という気持ちで、
アミイゴ鬼のレイアウト施しておきました。

こうして書いてる時点で展示は終わっちゃってるけどね、、

そんなわけで、
sonesのみなさん、アトリエブラヴォのみなさん、福岡の街のみなさん(一部遠方よりお越しの方も)
良い時間をありがとう
これからも末長くよろしくです〜!

2018
0909
アミイゴ
PEACE!!

91ヶ月め

2018 年 10 月 11 日 木曜日


今日は2011年3月11日から2,771日め。
395週6日
7年7ヶ月
91回めの11日です。

描いたのは熊本県水俣市にある島子の漁港の夕暮れ時の風景です。

昨年“つなぎ美術館”での展覧会開催のため滞在した水俣。

群馬県生まれで東京で活動しているボクにとって、
実際に足を運ぶまでの水俣は、イコール「水俣病」であり、
それにまつわる過去の報道やユージン・スミスさんの写真で見るモノクロの世界でした。

しかし、実際に歩いた水俣はとてものどかで、
柔らかな色に彩られた土地でした。

特にこの島子の集落の美しさ。

入江の奥の漁港の海面が、鏡の表面のように滑らかで、
そこに映り込む山や集落、漁船の影が微笑ましくて、
外海である不知火の向こうに見える天草の島影が神々しくて、

そこに暮らす人にも、その向こうに暮らす人にも、
優しい気持ちをもって想像力を働かせることが出来ました。

夕暮れ時のことを、
その薄暗さの中に佇む人が誰なのか分からぬことから「誰そ彼その時」と呼び、
それが訛って「たそがれ時」になったというのは、
ハナレグミの仕事で知ったことですが、

1日の労働を終え、社会の一員から「ひとり」に戻るこの時間、
これがどれだけ優しく美しいものであるか、
それがその街に生きるための1番の魅力になるんじゃないかと思っています。

もしくは、その街の魅力にしてゆくべきと思っています。


昨年、今年と、魅力的と言われるポイントを隈なく案内していただいた、
水俣の対岸、熊本県天草市ですが。

いわゆる観光スポットと呼ばれる場所、
夕日の絶景ポイントと呼ばれるようなところ以上に心に響いたのは、
夕暮れ時の市役所近くの川の風景。

ボクを一生懸命アテンドしてくれた市役所の若手職員さんちが、
普段働いている現場のすぐそばのなんでも無い風景だけど、

そこには確かな人の気配が息づき、
しかし、それが誰であるのか分からぬよう「たそがれの光」が優しく包んでくれている。

自分の足で立つことの出来る場所で、
安心感に包まれながらも
自分までもが何者であるのかわからなく面白さ。

たそがれの街で自分を失い、
しかし、灯りの点された家に帰り我にかえる。

社会で生きてゆく上で、人は多くのものを背負わなくちゃならないのだけど、
1日の中でそんな「たそがれ」の時を持てることは、
長い人生を息切れせずに生きてゆくために必要なことなんじゃないかと。


昨年の今頃、やはり町内をくまなく案内していただいた北海道の斜里町。

知床の大自然や、活況を見せるシャケ漁や大規模な農業の現場、
斜里町の魅力は圧倒的ものでした。

それでもボクが心惹かれたなは、斜里川にかかる鉄橋の夕景。
なんでもない日常の、目の端に捉えられるかどうかの風景。

熊本の夕暮れ時と違うのは、
この「たそがれ」の後、外気は一気に下がること。

うっかりしていては死に至る寒さとの境目に置かれた一瞬の、
ピンと張った緊張感を緩めることなく佇む深い深い優しさの風景。

この街の人の優しさ温かさに触れれば触れるほど、
こんななんでもないたそがれの風景に心奪われ、
またこの街を好きになってゆくボクです。


やはり去年3月に歩いた、岩手県宮古市の田老地区では、
日中、震災の津波で甚大な被害を受けた漁港を去年の夏に描き、

しかし、他の土地を歩いて得た感覚をもって、
最近描き直しました。

生活インフラの整備や巨大防潮堤の建設が進む地区で、
しかし、住宅の再建は未だ手付かずといった印象で、
「この地区の黄昏時の風景が〜」なんて呑気なことは
語ることは出来ないでいます。

この絵を去年描いて完成したと思った時は、
もっとキラキラしていた水面ですが、
今回の描き直しでは、よりトーンを抑えつつ、
以前より海に深みを与えてみました。

「ああ、これがボクが見て感じた田老の海だ」と気がつくまで、
1年半くらいかかったということです。

田老では、工事関係者とすれ違い、
漁師のおじちゃんと一言二言言葉を交わすくらいが、
人との触れ合いのすべてでした。

いつかこの土地の「たそがれ」の景色に心奪われる日がくるといいな。

そう出来る日が来ることを願いながら、また足を運んでみようと思います。

天草では、まるで天草の人そのもののように見えた、
海沿いの道路の脇に咲くポピーの花を見ました。

震災からの復興
TOKYO2020に向けての開発

ボクの身の回りの世界の風景がググっと変わってゆく今、
街は「たそがれ」を失わないでいてもらいたと願うし、
そうあるよう街に暮らす1人ひとりが守るべきものがあると思う、
91ヶ月めの午後です。

この秋、各地で開催したワークショップのこととか、
ちゃんとアーカイブしておきたいことがたくさんあるのですが、
今日はちょっと、日本の各地で出会いお世話になった幾人かのことを思い、
言葉を紡いでみました。

そでがうらポスター3点

2018 年 10 月 5 日 金曜日


千葉県袖ケ浦市のシティープロモーションのためのポスター3種を制作し、
袖ケ浦の東京湾を挟んだ対岸、品川を中心としたJRの各駅に掲示されました。

袖ケ浦は人口6万ちょっと。
豊かな工作地帯と沿岸部に並ぶ工場群を有し、
安定した税収の元、確かな街づくりが進められています。

東京へのアクセスもアクアラインを使えば1時間以内と、
ベッドタウンとしても期待され、
子育て環境の充実が図られていることなどから、
緩やかな人口増を成し得ている優良な自治体です。

ただ、隣接する木更津市などと比べて、
「袖ケ浦」の認知度はイマイチ。

毎年なんらかなシティープロモーションを行ってきた中、
袖ケ浦の知名度向上と共に、
子育て環境の充実などを伝えるポスター制作をすることになり、
ポスター制作の全般を、ボクと袖ケ浦市役所の若手職員のグループとでやる。
そんなオーダーを受けました。

ボクをチョイスしてくれた職員さんは、
ボクのイラストレーションの仕事には、
clammbonやハナレグミのアートワークで出会ったとのこと。

顔合わせした初めての打ち合わせから、
風通しの良い会話で「袖ケ浦」を語り合えることが出来ました。

音楽のチカラ、偉大ですね。

ボクは5月、6月と袖ケ浦でフィールドワーク。
そして、市役所若手職員とのミーティングを行いました。 


初っ端の顔合わせが風通し良くても、
庁舎内のミーティングとなると、そこは市役所。

みなさんとても真摯に行政を語ってくれてます。
が、この街で暮らす喜びがズバッと伝わる言葉には出会えず。

そもそも、ボクが何者なのか?
東京から来た怪しいコンサルタントみたいな奴なんじゃないかと、
少なからず燻しがる視線も感じちゃうしね〜、、

ならばと、みなさんに白い紙を配って、
袖ケ浦で一番楽しかった思い出を、誰でも描ける1本の線で表現してもらいました。

まあ、線を一本引くのでも、つい真面目に考えてしまいがちな市の職員という立場。

なので、魔法の言葉をいくつも投げかけ、ともかく笑顔で、だれでも描ける1本の線を描く。

そうして生まれたもの、出会う物語がすべて面白くてね〜〜!

実は1回目のミーティングでポスター3種の構図が明快に見えてしまいました。

なにより、その後の軽い打ち上げでの柔らかな会話の中に、
袖ケ浦の喜びがたっぷり詰まっていてね。

ボクはみなさんのマインドをトレースしてゆくだけで、
面白いものが作れる確信に至りました。

まあ、結果随分呑んでしまって、東京への帰り道はグラングランでしたがね、、

2回目のミーティングは、
絵の構図に添える言葉、コピーをさらにブラッシュアップさせるために、
やはりワークショップを行い、言葉のリアリズムを高めてゆきました。

言葉にリアルが宿ることで、絵の構図がさらに明快になり、
関わるみんなは湯上りのような笑顔。

そうです、ボクたちは袖ケ浦に生きる人たちが笑顔になれるものを作るのです。
そのためには、ボクらこそ笑顔のマインドで臨まなければならないのです。

ここから先はボクとデザインをお願いした沖縄在住の平井晋くんとの頑張りの領域。

ここまで時間をかけてきた分、制作時間が思いっきり圧縮されていたのだけど、
猛暑の夏に笑顔を忘れず頑張りました。

そうして生まれたものは、
グラフィックデザインの権威ある賞をもらうようなものでは無く、
しかし、この街で生きる甘露なよろこびは込められたはず。

そして、なにより、
関わってくれたみなさんのこのプロジェクトをとおして開いたマインドが、
行政の現場でも、日常の細部にでも生かされ、シェアされてゆくことで、
「そでがうら」が育ってゆくイメージがあります。

なにか立派な価値を啓蒙的に与えるものでは無く、
そこに含まれさらに育ててゆくようなポスターの制作。

ボクは袖ケ浦の街で、街で奮闘する若者たちとちょっと未来の深呼吸をした。

そんな仕事になりました。

うん。袖ケ浦LOVEです!

そう言い切れる仕事が出来た!
イエイ。

このご縁が、今後単に「仕事」と呼ばれるものに限らず、
よりクリエイティブな人の繋がりとして育っていってくれたらいいな。

みんなー!「ありがとう」という前に「またね〜」
です。

ところで、
ビジュアルの一部は映像化され、
品川駅港南口のデジタルサイネージより、
1分間に1000人は通り過ぎるイメージの人の波に向かって
「そでがうら」を叫んでいましたよ〜!

ひらいくん、グッジョブ。

そして、
以下のリンクは雑誌「イラストレーション」のウエッブ版に掲載された、
袖ケ浦でのこと。
https://i.fileweb.jp/news/topics/6659/
取材編集の柿本さん、グッジョブ!

そして、
掲示期間中の羽田空港は、
地下一階が「そでがうら」

3階出発ロビーは「旅する日本語

すみません、ちょっと自慢の9月でした。

アザミの花

2018 年 10 月 5 日 金曜日


麦畑に咲くアザミの花を描きました。

震災以降唯一何もしなかった日、
2014年5月14日大分県杵築市山香で
朝のジョギングの途中で出会ったアザミです。

何もしないでいられた場所、
今も変わらず大切であり続けています。

そんな場所があってくれているからこそ、
勇気を持って旅に出ることが出来ています。