千葉県袖ケ浦市のシティープロモーションのためのポスター3種を制作し、
袖ケ浦の東京湾を挟んだ対岸、品川を中心としたJRの各駅に掲示されました。
袖ケ浦は人口6万ちょっと。
豊かな工作地帯と沿岸部に並ぶ工場群を有し、
安定した税収の元、確かな街づくりが進められています。
東京へのアクセスもアクアラインを使えば1時間以内と、
ベッドタウンとしても期待され、
子育て環境の充実が図られていることなどから、
緩やかな人口増を成し得ている優良な自治体です。
ただ、隣接する木更津市などと比べて、
「袖ケ浦」の認知度はイマイチ。
毎年なんらかなシティープロモーションを行ってきた中、
袖ケ浦の知名度向上と共に、
子育て環境の充実などを伝えるポスター制作をすることになり、
ポスター制作の全般を、ボクと袖ケ浦市役所の若手職員のグループとでやる。
そんなオーダーを受けました。
ボクをチョイスしてくれた職員さんは、
ボクのイラストレーションの仕事には、
clammbonやハナレグミのアートワークで出会ったとのこと。
顔合わせした初めての打ち合わせから、
風通しの良い会話で「袖ケ浦」を語り合えることが出来ました。
音楽のチカラ、偉大ですね。
ボクは5月、6月と袖ケ浦でフィールドワーク。
そして、市役所若手職員とのミーティングを行いました。
初っ端の顔合わせが風通し良くても、
庁舎内のミーティングとなると、そこは市役所。
みなさんとても真摯に行政を語ってくれてます。
が、この街で暮らす喜びがズバッと伝わる言葉には出会えず。
そもそも、ボクが何者なのか?
東京から来た怪しいコンサルタントみたいな奴なんじゃないかと、
少なからず燻しがる視線も感じちゃうしね〜、、
ならばと、みなさんに白い紙を配って、
袖ケ浦で一番楽しかった思い出を、誰でも描ける1本の線で表現してもらいました。
まあ、線を一本引くのでも、つい真面目に考えてしまいがちな市の職員という立場。
なので、魔法の言葉をいくつも投げかけ、ともかく笑顔で、だれでも描ける1本の線を描く。
そうして生まれたもの、出会う物語がすべて面白くてね〜〜!
実は1回目のミーティングでポスター3種の構図が明快に見えてしまいました。
なにより、その後の軽い打ち上げでの柔らかな会話の中に、
袖ケ浦の喜びがたっぷり詰まっていてね。
ボクはみなさんのマインドをトレースしてゆくだけで、
面白いものが作れる確信に至りました。
まあ、結果随分呑んでしまって、東京への帰り道はグラングランでしたがね、、
2回目のミーティングは、
絵の構図に添える言葉、コピーをさらにブラッシュアップさせるために、
やはりワークショップを行い、言葉のリアリズムを高めてゆきました。
言葉にリアルが宿ることで、絵の構図がさらに明快になり、
関わるみんなは湯上りのような笑顔。
そうです、ボクたちは袖ケ浦に生きる人たちが笑顔になれるものを作るのです。
そのためには、ボクらこそ笑顔のマインドで臨まなければならないのです。
ここから先はボクとデザインをお願いした沖縄在住の平井晋くんとの頑張りの領域。
ここまで時間をかけてきた分、制作時間が思いっきり圧縮されていたのだけど、
猛暑の夏に笑顔を忘れず頑張りました。
そうして生まれたものは、
グラフィックデザインの権威ある賞をもらうようなものでは無く、
しかし、この街で生きる甘露なよろこびは込められたはず。
そして、なにより、
関わってくれたみなさんのこのプロジェクトをとおして開いたマインドが、
行政の現場でも、日常の細部にでも生かされ、シェアされてゆくことで、
「そでがうら」が育ってゆくイメージがあります。
なにか立派な価値を啓蒙的に与えるものでは無く、
そこに含まれさらに育ててゆくようなポスターの制作。
ボクは袖ケ浦の街で、街で奮闘する若者たちとちょっと未来の深呼吸をした。
そんな仕事になりました。
うん。袖ケ浦LOVEです!
そう言い切れる仕事が出来た!
イエイ。
このご縁が、今後単に「仕事」と呼ばれるものに限らず、
よりクリエイティブな人の繋がりとして育っていってくれたらいいな。
みんなー!「ありがとう」という前に「またね〜」
です。
ところで、
ビジュアルの一部は映像化され、
品川駅港南口のデジタルサイネージより、
1分間に1000人は通り過ぎるイメージの人の波に向かって
「そでがうら」を叫んでいましたよ〜!
ひらいくん、グッジョブ。
そして、
以下のリンクは雑誌「イラストレーション」のウエッブ版に掲載された、
袖ケ浦でのこと。
https://i.fileweb.jp/news/topics/6659/
取材編集の柿本さん、グッジョブ!
そして、
掲示期間中の羽田空港は、
地下一階が「そでがうら」
3階出発ロビーは「旅する日本語」
すみません、ちょっと自慢の9月でした。