2019 年 10 月 11 日 のアーカイブ

103ヶ月め

2019 年 10 月 11 日 金曜日


今日は2011年3月11日から3,136日
448週
8年7ヶ月
103回めの11日です。

9月14日に台湾の取材から戻ると、
次の週末は宮城県塩釜へ。

震災直後から企画され8回めの開催となるフェス
GAMA ROCK FES で子供達の顔を描くワークショップを担当しました。

GAMA ROCK はm東日本大震災で被災した宮城県塩竈市を拠点に支援活動を続けてきた
同市出身の写真家・平間至とATSUSHI(Dragon Ash)が中心となって2012年にスタートした野外フェスです。

2013年1月に初めて訪れた塩釜。

そこで魅力的は人、ひとりと出会い、
その1人からさらに1人、1人と知り合ってきて、
残念ながら失われてしまう人もあったけど、
ともかく焦らず1人、1人とやってきて、
今年の春に大きな展覧会を塩釜の美術館で開催。

そのご縁が今回の参加につながりました。

フェスの会場では、これまで知り合いになってくださった方が気軽に声をかけてくれて、
そんな雰囲気の中で子どもたちと向き合えたこと、
このタイミングでこのフェスに関わられたことは、実に自分らしいことだと思えました。

また、このタイミングだからこそ、
息子を一緒に連れてこれたなと。

息子越しに見る塩釜、そして塩釜の人たち。
もしくは、8年前にこんなことがあったんだと、
街を歩きながら語れたこと。

あれからずっと、人ひとりでできることは限りがあるが、
1人だからこそ出来ることもあって、
それがどんなに些細なことでも継続してゆくことの必要を語ってきたけど、

まずは、その意味を息子と感じられた時間となりました。

そして、この歩みは未来に続く。

その前に、
10月19日、再び塩釜へ。

塩釜市の杉村惇美術館で開催されるチルドレンズ・アート・ミュージアムに参加。
詳細> http://sugimurajun.shiomo.jp/archives/4335

再び子どもたちと向き合って、一緒に楽しいものを作ります。

これから先の未来がどんなものなのか?
大人が言葉を詰まらせる

子どもたちが大人になる過程で、困難に向き合った時、
多少のことは自分の力で乗り切れる柔軟な強さを手にしてくれたらいいなと。

そのために、子どもの頃に思いっきり楽しいことを味わってもらいたと願っております。

そんな願いは福島でも。

9月30日の月曜日。
福島市の晴明小学校1年生、2クラス33人の子どもたちと、
思いっきりワルドな絵を描きました。

子どもたちと元気な未来創りたい。
子どもたちのママさんが企画し、
助成金の申請なども行い、
学校の親子交流会として開催になりました。

福島市の1年生、とても良い子!
日本のいろんな場所で子どもたちと接してきたけど、
1番くらいに整然としてるかも。

まあ、学校のクラスという単位なので、そうなのかもだけど、

でも、丁寧にワイルドに彼らの殻を破ってやると、
めちゃくちゃ元気で、ほんとワイルド!

こんなこと何度も経験する必要ないと思うけど、
でも1年生の今出来て良かったんじゃないかな〜〜

リミッター外したらどこまで出来るのか?
自分のサイズを知るところから、本当の優しさなんてものが生まれると思うんだ。

そんなことを信じつつ、お立会い下さったママさんパパさん先生さん、
楽しみや喜びを子どもたちと共有しながら毎日を進めてくれたらいいな。

ママさんたち、企画大変だったと思うけど、
お疲れ様のありがとう!

これは11月22日23日の東京代々木セッションに続く。

ところで、
ボクがこうして毎月ブログを書く中、
たまにフリー素材のイラストレーションをアップすることがあるけど。

この発想はイラストレーターの大先輩の和田誠さんから頂いたものです。

10年以上前、なにかの展覧会の後、青山のカフェでビールをご一緒させていただいた際、
突然「俺は戦争だけはやっちゃダメだと思っているんだ」と和田さんが語り始め、
「そういう俺の絵がインターネットてやつに載っていて、自由に使えるようになってるんだ」みたいな話をしてくれたのです。

和田さんは家が近所なこともあり、
イラストレーターの集まりの後、一緒に歩いて帰るなんてことが何度もあり、
そこで受けたイラスレーターとして、さらには人としての矜持は、
今ボクが生きる上でとても重要なものになっていて、
震災後の東北や熊本を歩く力にもなっていました。

そんな方の訃報が本日午後に届きました。

お亡くなりになったのは7日とのこと。享年83歳。

実は今日の昼前に息子と図書館に行って、和田誠さんが描いた絵本を借りてきたばかり。
やっぱ和田誠さん、一本の線で多くを語ってるなあ〜!なんて感嘆の昼メシ前。

悲しいなあーーーー

でもこの旅は続けてゆきます。
和田さん。

102ヶ月め

2019 年 10 月 11 日 金曜日


今日は2011年3月11日から3,106日
443週5日
8年6ヶ月
102回めに11日。

そして、台湾客家取材18日め。
東勢という街に滞在しています。

東勢という街は、
1999年9月21日の台湾中部大地震の直下にあって、
500名からの死者を出したとのこと。
(震災全体での死亡者は2400名以上)

東日本大震災から8年半の今日、
偶然にも地元の方がその被災の甚大さを分かる場所に連れていってくれました。

1999年9月21日の台湾の震災には、
1995年1月17日の阪神淡路大震災で経験を積んだレスキュー隊が駆けつけたこと、
ニュースで見た記憶がありました。
が!
東日本大震災の際、台湾から大きな義援のお気持ちを頂いたことは、
メディアを通して知っていて、「親日の台湾ありがとう!」という気持ちでいたとして、

では、1999年9月21日に台湾で起きたことに対して、
我々日本人がどれだけの知識を持っているのだろうか?

もしくは、
1935年、日本が台湾を統治していた時代に、
新竹・台中地震が発生して甚大な被害があったことは、
どれだけ当事者意識を持って考えられるのであろうか?

なんてことを思いました。

1999年の震災からの復興において、
東勢の街の方々の気持ちは「思い出したくない」ということが大勢を占めていること、
土地の方に教えていただきました。

台湾滞在18日で、日本と台湾との死生観の違いを感じていたところで、
“被災>復興” というベクトルで人が何を思うのか、
自分の発想や想像力の糧となる出会い。

地元の方のとディスカッションでは、

『被災に対してどんな考えがあろうと、悲しい出来事もこの土地で未来を創る若者たちの力に変えて行かねば』

そんな話をしました。

そして、
台湾と日本は海で隔てられているも、心と心同士は地続きでありたい。
地続きであるよう尽力したい。

そう思いました。

人ひとりの力ではどうにもならぬことが世の中にはあって、
しかし、人の良きマインドを束ねることで突破出来ることも、
確実にある。

20110911
19990921
PEACE!!!!