2019 年 11 月 11 日 のアーカイブ

104ヶ月め

2019 年 11 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から3,167日
452週3日
8年8ヶ月
104回目の11日です。

10月19日から22日までの期間で、
宮城県塩釜市、福島県喜多方市、群馬県富岡市と巡るご縁がありました。

それぞれの市の人口は今年の秋の時点で、

宮城県塩釜市
54,064人

福島県喜多方市
46,592人

群馬県富岡市
48,349人

5万人前後で似た規模の自治体、
被災地と呼ばれたり、台風被害が受けたばかりのエリアも含む自治体ですが、
それぞれの今にそれぞれの元気な姿がありました。

10月19日は塩釜市の杉村惇美術館で開催されたチルドレンズ・アート・ミュージアムで、
子どもたちと(一部オトナも)お面を作るワークショップセッションを開催。
チルミュ詳細> http://sugimurajun.shiomo.jp/archives/4335

チルドレンズ・アート・ミュージアムは、もともと岡山県倉敷の大原美術館で行われたものを参考にし、
倉敷と塩釜で人的な交流も重ね、今年で2回目の開催となるイベント。

地域に生まれた美術館を、どれだけ地域のものにしてゆくのか?

コンクリートの箱を造って、しかし地域のニーズに応えられぬでいる美術館などが見られ日本で、
しばらく使われずにいた公民館だった歴史的な建物を、リノベーションし美術館に変えた杉村惇美術館。

もともとの志がこれまでと違うスタートで生まれたはずで、
美術館に紐つく人たちがオープンで、塩梅の良い緩さもあって、
本来アートってこんな感じだよなと、
自分の表現の原点を確認出来るような場所でもあるように感じています。

そんな場所があること、
そこに美意識とコミュニケーション能力を持つ人が1人、2人と関わることで、
発信される言語も窓口となるデザインもより平易な表情になり、
美術館は、さらには地域は、こんだけ楽しそうな表情を見せるんだなあ〜と、
感激の現場、思いっきりハードワークしてまいりました。

打ち上げでは、日本の各地からやってきた、
アートに関わる人や子どもに関わる人たちと交流。
では自分は絵で何が出来るだろうか?
とても明快に考えることが出来たはずです。

明けて20日は会津の喜多方へ。
秋の東北の風景や台風被害の様子が見えたらと、
仙台からバスで会津若松まで移動してみました。

東北の秋はただただ美しく、
200kmほどの移動の間、目に見える台風被害の爪痕には出会わず、
しかし、こうしてのほほんと風景を楽しんでいる今も
困難な状況に置かれている人がいることへの想像がバスと並走していました。

日常の足元から視線を上げ美しきもの見る。
その美しさはその先に美しさにつながり、被災のヘリに至ります。

台風被害の実像は、顔を合わせてお話しする方の実体験だったり、
どなたかお知り合いが苦しい立場にあることが語られることで浮かび上がり、
ボクのようなものでも、当事者としての足場を得るように感じました。

美しきものと悲劇が隣り合わせにしてあること。
そのどちらにも視線を送り想像を働かせ続け、美しき人に出会うことは、
いつかなにかの時に人を助ける力へと育ってゆくことを、
2011年3月11日から今に至る時の中で経験し実感しているボクです。

喜多方では、喜多方市美術館で開催の、ボクの絵と生き方の師匠、長沢節先生の展覧会が開かれ、
美術館の企画としてボクのワークショップを開催しました。

喜多方はとても美しい町です。

会津に「北方」に在る喜多方ですが、
江戸から近代へと続く時代の中、会津と新潟を結ぶ交易の拠点として栄え
戦後の高津経済成長期を超えた先で、
ある意味ひっそりとその美しさを維持してきたような印象を受けます。

たとえば、街路に植えらた花が、華美に陥ることなく当たり前に佇んでいるような姿であること。
こうしたセンスって簡単に手に入れられることじゃ無いなと思うのです。

たとえば、ワークショップ終了後に見上げた空の深く複雑な色合いの美しさ。
こうしたものに日常から包まれ生きてこれたらからこそ育まれる美意識ってあるなあ。

だから、ワークショップに参加された方々の醸す色も複雑に深く美しかったです。

普段絵を描いていないなんて人が多かったけど、ほんとかな?

これなんか小学生の描いた絵だよ。。

今回のワークショップを企画してくださった学芸員さんは、
ボクが塩釜で開催した展覧会やワークショップも見にきてくださり、
とても丁寧なコミュニケーションのもと、この日を創ってくださいました。

うかがえば塩釜がご実家とのこと。

とても落ち着いた美しさを宿す喜多方市の美術館で、
市民のニーズに応え美術館という装置を生かすアイデアを創造してゆくことは、
美しくも人口減少などの社会問題を抱えている中、
社会にいかに持続可能な「生きる喜び」を創造するかというと重なるはずだと思います。

塩釜では、社会の中でなにか楽しいことを創造しようとする際のモチベーションが、
8年8ヶ月経った今も震災で社会が壊れかけた(壊れた?)ことへの危機感によって、
束ねられているように感じています。

この熱量の一部が喜多方で生かされるイメージを、
1人の学芸員さんとのコミュニケーションから得たセッションでもありました。

などと呑気なことを考えていると、
帰り道の郡山で台風被害の傷跡を目にし、自然というもの不条理を実感し、
旅先で出会う人たちが、これからも心穏やかに生きてゆけたらいいなと、
ただただ願うのでした。

そして群馬の富岡へ。

台風被害の片鱗に触れながらも、
やはり美しく長閑な風景の連なった先で友人の結婚式。

世界遺産富岡製糸所を有する街の市役所は、隈研吾氏のザインで建てられていて、
周辺の景観と共にとても気持ちの良い空間が生まれていました。

友人は群馬のアパレルのコミュニティの真ん中あたりにいて、
そこに音楽やアート、スポーツなのでコミュニティが緩やかに重なり合って、
なんだかオシャレでオープンな人の輪を形成しています。

オシャレにオープンに整備された富岡の街を、
今回は手作の結婚式という形で利用した彼ら。

オシャレにオープンに整備された富岡市も、
実は財政的に苦戦していることも伺った今回。

こうしたフレッシュな試みがさらに持続的に行われ、
富岡ならではの幸せの形を創ってゆけたらいいのだろうなと思う中、
同規模の街、塩釜でやれていること、そこに関わる人のあり方など、
愛しき群馬の人たちとシェアすることで、これからの活動が確かなものになるんじゃないか?
なんて思ったのです。

富岡に至る風景は、台風の傷跡も目に入るも美しく豊かで、
思いがけぬ変化を見せ連なる山の稜線は、目に新鮮な喜びを与えてくれました。

それはこの土地に暮らす人にとっては当たり前のものかもしれませんが、
やはり特別なことなことなんだと、東北を巡った後だからこと強く感じたかもしれません。

群馬の友人たちが同規模の人口を有する塩釜や喜多方を知る事で、
あらためて富岡を知ることにならないかなあ〜。

喜びや幸せのベクトルがグローバルな方向に束ねられてゆくようなイメージでいる今という時代。

本来は1人ひとりあっちこっちの方に向かっていいものなんだろうけど、
人と違うことを恐れる風潮や、そもそもの手っ取り早さとかで、
本当に願っている方か分からぬまま足を向けてしまっていることはあるなと。

そうした1人ひとりの漠然とした恐れみたいなものを、
生活が営まれているローカルコミュニティの中で醸造された美意識でもって、
1人ひとりの矢印はあっちこっちに向いたまま優しく束ね、
持続可能な幸せの形を形成出来る方に導くようなことやれたらいいな。

たとえば、絵やイラストレーションはなにが出来るだろうか?なんて考えた
宮城-福島-群馬の時でした。

いや、しかしいい結婚式だったなあ〜
感動した!
そして、楽しいことは愛に溢れ狂おしいほど馬鹿げたものがいい。

おめでと!エバちゃん。

ところで、
美しい本が届きました。
熊本の街の路地裏で、弱くも美しき人々の交差する本屋。
ボクにとっては、ビールの小瓶がどこよりも美味しく飲めるカウンターのあるカフェ。

橙書店のツッパリ店主 田尻久子さんが綴る、
橙書店の日々をオレンジ色に彩る人々の33篇の風景。

生きることに閉塞感を感じる時代にあって、
デカイ花火を上げるでなく、弱き人に視線を送り続け、ただ愛すこと。

こんな時代に自分が愛する本だけ売る本屋。
そこには並並ならぬ苦労と、ある意味の狂気さえあるでしょう。

が、こんな場所があるから生きてゆける人ばかり。

被災地と呼ばれる場所をめぐる中、
よく「熊本には橙書店てのがあるんですよ〜」なんて語ってきたボク。

「復興」という言葉の中には、
「こんな店と出会えるようになった」という物語があるはずと考えています。

よかったらぜひ手に取り、ページをめくっていただけたらと。

田尻久子さんにしか出来ないこともあるだろうけど、
それは「私にしか出来ないこと」と薄い壁ひとつ隔てたものだと思うんよね。

なんてことを思いながらページをめくると、なるほど、ボクのことも書かれています。

俺のなんたるかもザクっと掘り起こしやがって、、
晶文社より1650円でホロリリリース。
久子、ラブだぜ〜〜〜