2020 年 8 月 のアーカイブ

鈴木テル子さん。

2020 年 8 月 16 日 日曜日

伊豆七島のひとつ、神津島の 神津島村郷土資料館 に展示されていた小さな絵に釘付けになりました。

描かれている女性がイキイキとして綺麗。
衣装が丁寧におしゃれに描写されているが、
合わせてフィジカルな表現も確かでとてもセクシー。

もちろん色も綺麗だし、
自然と人が織りなす構図が素晴らしい!


作者は鈴木テル子さん。
その名前を知らぬでいた作家さんは、
人形作家としても素晴らしい作品を遺しています。

もう他界された方ですが、
その足跡が記されていました。

鈴木テル子

大正10年-1921年3月22日 東京深川に生まれる

大正12年 (2才)関東大震災で京都へ引っ越す

昭和 6年  (10才) 交通事故に遭い障害を持つ

昭和 7年 (11才) 両親の郷里、神津島に帰る

昭和13年 (17才) 人形作りを開始

昭和19年 (23才) 母親死亡

昭和23年 (27才) 父親死亡

昭和24年 (28才) 第一回現代人形美術展入賞

昭和26年 (30才) 本格的に作画を開始

昭和38年 (42才) 島の娘を題材にした絵葉書発行

昭和54年 (57才) 大島老人ホームに一時入所

昭和59年 (62才) 大島老人ホームに正式入所

(没年は個人的に確認出来ていない)

11歳で神津島に渡り、その後大島の老人ホームに入所するまで、一度も神津島を出ない生活の中で創作を続けてこられたとのこと。

若くして負った障害やご両親の早逝といった喪失は、
すべて島の女性たちの風俗を描写するエネルギーに変えられたのでしょうか。

しかし、そうした彼女の境遇を知らくても、
遺された作品が今もイキイキと目の前で呼吸を続けていることに感動するのです。

なんだろうね、実際は厳しい労働のはずなんだろうけど、
描かれている女性たちはみな、地球の重力から解放されたようにフワッとエレガントな姿でいる。

ここでアップしているのは、資料館で了承を得て撮影した写真と、
島内の公設の物産販売のコーナーで売られていたポストカードです。


ポストカードは昭和38年に一度作成されたことがあったそうですが、そうしたものの原画が見つからず、昭和が終わるくらいの時期に再度描き下ろしてもらい、現在販売しているポストカードを作成したとのこと。

彼女を知る人に尋ねると、彼女の作品は体系的に管理されていないとのこと。
遺された作品がどれだけあるのか?その辺もわからないでいるそうです。

ボクはどうしてもイラストレーター目線で絵を見てしまうのですが、
鈴木テル子さん、やはりすごい!
もはや恋愛の対象のようでさえあり、
もしご存命だったら、会いたかったなあ〜。。


テル子さんの作品、神津島だけじゃなくて、日本の宝として多くの人に見てもらいたい。
そのためにもデジタルアーカイブ化だけでもしておけたらなあ〜


誰かやらねば!

自分がやるか。


75年目の8月15日

2020 年 8 月 16 日 日曜日

113ヶ月め

2020 年 8 月 9 日 日曜日

今日は2011年3月11日から3,441日
491週4日
9年5ヶ月
113回めの11日です。

コロナの状況が続く中、家にいる小五の息子と戦争について語ることの多い夏休みを過ごしています。

75年前の8月9日、もし予定通り小倉に原爆が落とされていたら?
自分が生まれてこなかった可能性を想像し凍りつく10歳に、なにを語ればよいのだろうか、戦争を直接経験していない自分が試されることです。

ただ、何万人という数字は途方もなく受け止め難いものだけど、
親しい1人を失うということから遡って想像出来ることはある。

2011年3月11日の経験から語れることはあり、
自分が作るものもそんな足場に立ったものであろうと願っています。


そして、やはり「ひとり」という単位から想像を働かせていったイラストレーションの仕事です。

オンラインフォーラム 
がんと生きる ~こころとからだ 私らしく~
2020年9月5日(土) 13時~15時45分

オンラインによるライブ配信:無料
↓詳細、視聴申し込みフォーム
https://www.npwo.or.jp/info/16849
必要とされる方はぜひご視聴ください。

制作の方向性としてクライアントから届けられたのは、
「がん患者さんは実は強いのです」という言葉。

自分の経験を振り返り、
がんで先に逝ってしまった友人と交わした言葉、
今もがん治療中の友人たちと交わした会話、
カミさんのがん闘病の側で感じたことなど、
「強い」を先回りして語ることはボクには出来ないなあ〜。

1人ひとり病状も環境も経済状況も違う中、
「がん患者はこうあるべき」的なことに追随して苦しくなってしまう人はいないだろうか?

もしくは、
被災された方に向けられた「がんばれ」という言葉や、
無邪気に語られる「被災者から逆に元気をもらっちゃいました」のような言葉から考えたこと。

そして、実際にがん治療を続ける友人との会話からいただいたインスピレーションから、タンポポとシロツメクサの花の絵を描きました。

が、この絵が正解ということでは無く、「がんと生きる」という”強い”言葉を優しく抱きしめるようなものにしなければと、イラストレーターのエゴはタンポポの根元に埋めてしまい、協力を頂いたデザイナーとディスカッションを重ね、情報をスムースに伝えることに粛々と取り組みました。

正解の無い仕事ですが、ある人にとっては生活に寄り添うものであればいいなと思うし、ある人にとっては踏み潰していっていいものだと思う、そうした幅は確保しつつ、
製作中に交わしたコミュニケーションは、これかも続けてゆくべきものだという確信を得たことは大きなことです。

生活を彩るなにか華々しきものを提供するイラストレーションという仕事ですが、
イラストレーションという仕事を通して、関わる人たちが想像し語り、より良き社会を作る力を創造する。
今はそんなことを考え、仕事をしています。

もしくは、ソーシャルディスタンスが求められる社会の中にあって、人ひとりの存在も社会の環境の一部であるという考え。
そこから導く一枚の絵はどんなものだろうか?
つねき考え続ける夏です。