2021 年 3 月 のアーカイブ

「いくつもの空の下で」イラストレーション原画展@京都新聞

2021 年 3 月 29 日 月曜日

小池アミイゴ イラストレーション
いくつもの空の下で 原画展
4月2日 (金) – 8日 (木)
open 10:00 ~ 18:00
京都新聞社本社2階ギャラリー
〒604-8577
京都府京都市中京区烏丸通夷川上ル少将井町239番地
(地下鉄丸太町駅7番出口からすぐ)

昨年5月より京都新聞の日曜版で澤田康彦氏のコラムとコラボする形で連載を重ねてきた「いくつもの空の下で」

3月28日に全47回の連載を終えたのですが、
京都新聞社異例のお心遣いの元、
イラストレーションの原画展を京都新聞本社2階のギャラリーで開催することになりました。



澤田さんの軽妙な言葉で綴られる日々の言葉に対して、
毎回毎回どんな絵で答えたら面白いだろうかなあ〜と、
アイデア出しが楽しくて仕方なかった仕事。

このまま死ぬまで続けば良いのにと伝えてみるも、
終わりがあるからこそ愛しいのだろうね。

掲載47作品は以下のリンクでご覧いただけます。
1~20 https://www.tis-home.com/amigos-koike/works/16238
21~40 https://www.tis-home.com/amigos-koike/works/16239
41~47 https://www.tis-home.com/amigos-koike/works/16615



過去何十回も展示の現場を作ってきて、
振り返れば「イラストレーション」の「原画」だけで構成する展覧会は初めて。

イラストレーションの原画展

ただボクの描いたものを楽しんでもらうのでは無く、
京都新聞本紙に掲載された形と原画を見比べていただいたり、
澤田さんの言葉の行間のどの部分を鷲掴みしたのか、
もしくは、
澤田さん渾身のど真ん中のストレートを、
あえてパスボールしてみせたりしてはいないか?などなど、

イラストレーションという仕事の面白さが伝わったらいいなあ〜〜!

そして、
連載が終わってしまって寂しい〜
の気持ちは、
展覧会を美しいものにすることで昇華させてみようと思います。

コロナ感染拡大が続く中みなさまどうぞご無理のないよう、
丸太町あたりにご用事のついでにでもお立ちよりいただけたら幸いに存じます。

個展「東日本」2021、次へ。

2021 年 3 月 21 日 日曜日


2012年3月の開催から6回目の開催となった個展「東日本」
3月17日に9日間の会期を無事に閉じることごできました。

コロナの状況の中、お気遣い頂いた上でお運びくださいました皆様、
ありがとうございました!

描いた絵を前に語り合う言葉は、ボクが次に何をするべきかのインスピレーションに溢れていて、1人ひとりと向き合う時間がほんと愛しかったです。

そうした会話からは、「東日本」というタイトルで10年やって来た意味に気づくことも多かったです。

今回は「はるのひ」という絵本を上梓した直後ということもあり、
その原画も数点展示してみました。


「はるのひ」は、お話をいただいてから仕上がるまで3年3ヶ月かかりました。

小さな男の子がお父さんと声掛けあいながら走ってゆく、小さな冒険の物語。

10年前の震災や原発事故、その後も度々起きた自然災害、そしてコロナの感染拡大という時代の中、日本の各地でお会いする人たちの暮らしに触れ、子どもたちが育ってゆく上で必要とされる、親子関係の原風景みたいなものが創れたらいいなと願いました。

ただ、それは頭で考える物語では無く、身体で覚えるようなことだろうなと。

それがどういうことか深く考えること無く、地図も持たず、東北にも熊本にも台湾までにも広がる広野を駆けてみた。

そんなやり方だから、この物語が「春」を舞台とする必要を感じた時、
この少年が「こと」という名前を持った時の2回、
すべての絵を描き直しました。

さらには、少年の指先の角度が違っているのを修正しようとしたら、
結局その他99パーセントの画面全てを描きなおすことになった。

そんなことを20回くらい繰り返した場面もあり、
結果、3年3ヶ月も荒野を彷徨い続けてしまった感じです。

自分はなぜこんな遠回りをして絵本を作らねばならないのか?

制作期間中は分からなかったことが、
今回、東北を始め日本各地や台湾まで描いた絵と並べてみることで、
明快になったように思います。

ボクが子どもたちと共有したいことは、
ボクが人との出会いで得た感動の風景を、確信を持って一気に描き切る、
突き抜けた気持ちの良いもの。

1枚の絵を描き続ける先で、
「あ、描けた」とバタっと筆が止まる瞬間があります。

そうしたものはあらゆる理屈を突き抜け、
昔からそこにあったもののような、
もしくは、
おおらかな時間の流れを宿しただそこにあってくれる、
そんなものであるように思います。

理屈じゃなく、ただ存在する。

そうしたものの尊さと儚さと潔さ。

津波で、原発事故で、コロナで、
もしくは生きづらいと言われる時代の中で、
方っておいては失われてしまいかねない美しきもの。

それを表現するためには、
制作にちょっとでも躊躇いを感じたら、
全部を描きなおすしかないんだなあと。

そこで手を抜いてしまっては、
三陸の凍てつく海でワカメや牡蠣を育てている人や、
天草の灼熱の海で天日干しの塩を作っている人や、
台湾では育てるのが難しい梨の収穫に成功した人や、
一杯の珈琲を提供することに人生をかけて取り組んだ人に
伝わるものは出来ないということです。

それがわかっていれば、もっとスムースに描けたのか?
それがわかったことで、これからはもっとスムースに描けるのか?

それはわかりません。

ともかくこの3年数ヶ月は、こうした破壊と再生を繰り返すしか、
描くべきものが生まれなかったということです。


絵を描くことを続けてきて、
2021年の段階で、相変わらず新人のような気持ちでいられることが、
良いのかどうか分からないですが、

これからも「わからない」ことを自覚し、
人との愛しき出会いの中で、なにか輝くものを見つけて行けたらいいなと願って、この活動を続けてまいります。

今回の展覧会で最初に旅立ったポピーを描いた絵があります。

ご購入いただいたのは、ボクよりずっと若い方ですが、
ボクはこの人の仕事や現場に投下する美意識に深い尊敬を抱いています。

10年間で6回の「東日本」を開催した中、これまで3枚の絵をご購入くださって。

その3枚の違い、
以前はグレイッシュな作品を選ばれていたのが、
今回は暖かな色彩のものを選んでくれたということに、
今の時代に必要なものを教えていただけたような。

こうした気づきは、丁寧に構築してきた関係性の中でのみ感じられることだなあ〜と。

今はSNSの発信などで自分をアピールすることが当たり前になっていますが、
そんな中でも、
自分にとってSNSは1人ひとりとの対話をする道具だとの考えを持ち、
愚直にひとりとのコミュニケーションを重ねてゆこうと思います。

その先でまたなにか生まれたら、1人ひとりに分け合う考えの元、
絵のある気持ちの良い空間を創ってゆきますので、
その際はまた足を運ばれ、ひと言ふた言の会話を頂けたらうれしく思います。

こうした現場を丁寧なオーガナイズを与え続けてくれる space yui
今回もありがとうございました。

そしてもはや次
ですね。

2021
0317
PEACE!!

120ヶ月め

2021 年 3 月 11 日 木曜日

今日は2011年3月11にから3653日
521週6日
10年
120回目の11日です。

ボクは現在6回目の開催になる「東日本」という個展を開催中ですが、
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=14798
自分が10年続けてきたことを振り返るより、
会場にお越しの方と1枚の絵を挟んで語り合うことの中に、
次の10年でやるべきことが埋まっているように感じています。

それにしても、
出来ていなことの多さが気になる10年です。

被災地と呼ばれる場所に限らず、
人の誠実な生活の息吹の感じられる美しき風景、
それに向き合い記録してゆく仕事。
これからもただただ愚直に続けてゆかねばです。

2月に発表した絵本「はるのひ」は、
小さな男の子が森の向こうに見えた煙を見にゆくために、
畑で働くお父さんと「おーい」と声をかけあいながら走ってゆく、
小さな冒険物語です。

10年前の震災直後からネット上で交わされた棘のある言葉。

もちろん中にはとても有益な情報も確認出来ましたが、
それにしたって、これ見よがしの自己主張というものばかりを感じてしまい、
また、そうした言葉の洪水に呑まれるのうにして、
本来吐き出すべき言葉を押し殺してしまう人というものを感じ、
実際はどうなっているのだろうか?
せめて当時1歳だった息子にだけでも、自分の言葉でこの悲劇を語らねばと、
被災の現場に弾け飛んで行った10年前。


被災地と呼ばれる場所では、ネットを覗いて論争しているような人はおらず、
ただ目の前のやるべきことを粛々とやっている姿に出会いました。

そこが東京と被災地の1番の違いのように感じたのです。

目を覆うばかりの惨状のすぐ隣では、あっけらかんと美しい自然があり、
メディアでは伝わらぬ腐臭が漂い、足元には名もなき花が咲いている。
夏は暑く、冬は凍えるほど寒い。

ボクには被災の痛みも悲しみも代弁する言葉は持たず、
ただ何かのために尽力する人々の姿を目で追う。

「絶対」という言葉で未来が語れなくなった今、
ボクのようの人間ひとりで出来ること、やり続けられることはなんだろうか?

そんな自問の先で、1人ひとりと出会ってゆくという道に至り、
1人ひとりの中に埋まっている言葉に触れ、

「自分の力でどこまで走っていったらいい」

「しかし、そこから先は行ってはダメだ」

なんてことを今も測り続けているのだと思います。

未来を創る子供たちに向けて、
「行きたいところまで行ってみろ」と語れる大らかさと、
「もしもの時は俺を呼べ」と言い切れる強さと優しさ、
そんな力を身に染み込ませ、
人が生きるに足るものを作り続けてゆきたいです。

コロナ禍の中で思うことがあり、
子どもたちの登校の自主見守りを続けて8ヶ月ほどになります。

息子は11歳になり、
目の前を通り過ぎるのは震災後に生まれた子どもです。

学校行事をひとつ経験しただけで、顔つきがちょっと大人になる子どもたち。
もしくは、今日は今ひとつなだななんて表情で通り過ぎる子だったり、
良きも悪きもあるだろうけど、みんな何かしらの物語の中で生きている、
みんなかわいいし、みんな可能性の塊だと思う。

そうしたものが不当に失われてしまわぬよう、
自分が生かされてきた世界に報いるため、やれることやってゆかねばと思い、

こうして立つ自分の足の裏の地面は、
被災地と呼ばれる場所と確かに繋がっているという想像を続けています。

その想像に中には、
被災地と呼ばれる土地で出会った、ほんとにカコイイ大人の姿を次々と浮かんでくるのです。

なんつーか、
負けてられない。

これからも。

2011
0311

2021
0311

20〇〇
0311
PEACE!!