folk
2014年5月9日
大分県日田市にある小さな映画館リベルテでの
ボクの個展「東日本」の設営から始まった旅
そこで出合ったこと1つひとつは
言葉にするとウソになってしまうような
人の美しさや生々しさに彩られた時間でした
そうすることが出来たのは
ボクが「東日本」を歩き絵を描いたから
そんなことを足場に何が見えるのか?
この旅の目的はそんなことに設定していたようです
まずは日田唯一の映画館リベルテを営まれている原さん
その5年の奮闘の先で展覧会のお声かけを頂けたことが
この旅の始まり
その出発に美しき人の輪を添えてくださったり
小鹿田焼の里を案内してくださったことは
ボクの「ものづくり」のハードルを上げてくれたようです。
原さんありがとう
原さんには
さらに大分の山香まで送っていただき
baobabが主催するsing bird concert 前夜祭を共にしました
baobabの暮らすカテリーナの森
ここに足を運ぶのは9回目
初めて来たのが6年前だけど
今回は特にその表現の質の深さに
あらためて気がつかされたように思います
ボクは凧作りのワークショップ担当
大切なのは
凧を作って上げることではなく
どれだけ自由に楽しく絵を描くかってこと
そうするために
sing bird ではいつも異物であり
破壊者であり続けねばと考えています
ヒトリのサイズでぶち当たって行く限り
コドモは自由を武器に表現し続けてくれます
そこでの発見は
結果いつも自分の表現の財産になっていくれているようです
11年続けているsing bird
関わる人も増え
しかし多くの人が自分から仕事を見つけ動く姿が
美しかったです
祭りが終わった後
初めてbaobabの暮らす場所で
数日間生活を共にしました
いくつかのイラストレーションの仕事を行い
(いつもと変わらぬ仕事が出来てしまう)
コドモの頃の記憶と重なる仕事を手伝ったり
目に入るものはそのままに
それがなんであるかなんて説明は
とりあえず保留
ただ恐れたり
ただ圧倒されたり
ただ想像したり
この土地の歴史の深さに触れてゆくことで
baobabの一家がここに移り住んで刻んできた20年ちょっとの時を
神話の世界を俯瞰して眺めているような気分になりました
決して楽な生き方ではないはずだけど
それを支えるのはつくづく
ものつくりの質であり美意識であるな〜と
試しにbaobabのお父様の作られる楽器をスケッチしてみたら
まったく太刀打ち出来なかった
これを作る環境
ここに住む必然
神話とはそんな人の営みの現場から創造されたものなんだろう
そう思いました
理屈じゃなく理にかなっている
働く身体に染みる生活のスキルから生まれる美しさ
もしかしたら官能なんてものさえ感じていたかも
出合って6年のbaobabだけど
その間にボクも親になったり
東日本が大変なことになったり
そういう経験の1つひとつの先で
今回初めて生活の質の部分で触れられたものがあり
今回の経験は
あらためて東京で
東日本で
生かしてゆこうと思いました
そしてbaobabの新しいアルバム「folk」を届ける旅
熊本のイタリアンレストランsazae
すべての場所で
人の生々しさと向き合い
個人的にはさらに異物として
人と人との出会いの摩擦熱の温度を上げる
作業を繰り返していたように思います
baobabの20年ちょっとの暮らしと共鳴した
農業とcafeを営むwaranayaさんの9年間
その苦労を笑い飛ばし語る店主さんご夫妻
美しかったなあ〜
なぜ本屋なのか
なぜbaobabのライブなのかを熱く語ってくれた
ブックキューブリックのオーナーさん
美意識を持って同じ時代を生きてゆく力
確認させてもらいました
ここでの生活が始まって1年の糸島シェアハウス
その清貧な志が眩しくてね
農業も狩猟もなんもかも
大変なことではあるけれど
baobabやwaranayaなどなど
価値感の共有を続けてゆくことが
生きて行くための力になってくれたらだな〜
そう思いました
いやいや
あらゆることの答えはずーーっと先
だからこそ
ボクたちは声を掛け合い
生きてることを確認しあってゆかねばだなあ〜と
そんなことを思えば
別れこそ次へのエネルギー
振り返れば美しい別ればかりの旅だった
その期間生き続け進化してきたものは
やっぱ旨い!
食い物も人も
そんなことを旅の間
出合う人出合う人に語り続けていたように思う
そうすることで
ボクがなにを掴んだのかは
また絵にするとして
こんな人の風景を見せてくれたのは
ボクの歩いた東日本の風景であり
baobabがこさえた「folk」というアルバムだったってこと
旅の間世界中のホットな音楽をぶつけ続けてみたけれど
ボクにとって2014年5月にファレルの「HAPPY」に対抗出来たのは
baobabの「folk」だったなあ〜
田舎という場所に暮らしていても
そのトビラを世界に開きながら
目の前にあるやるべきことを20年続けられれば
それは唯一無二のホンモノとして世界1を生む
ただその世界1を計るモノサシが
以前の価値感のものと違うものになっているということ
その一目盛りの基準をどれくらいのものにしたらいいのか?
ボクたちはさらに風通しの良いコミュニケーションを通じて
確認し合ってゆかねばならないなあ〜
旅先で出会いボクたちが必要とするLOVEを確認しあったすべてのみなさん
色んなことの答えはずっと先にあるはずだけど
今はまず
ありがとう
そして
また会いましょう
2014
0509
0519
PEACE!!