夏のおばけ

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パジコ×TIS「ねんど夏フェス2014」

ボクが所属するイラストレーターの親睦団体TISの有志が、
TISのホームページのトップ画面を使い、
パジコさんの粘土を使い製作した“おばけ”の展覧会。

・以下のリンクはアーカイブページ
http://www.tis-home.com/clay-summer-festival-2014

企画からお手伝いしてきたイベント
参加くださった作家のみなさんはのほとんどは、
普段は平面作品を製作されている方ですが、

ねんどという素材、
そして“おばけ”というテーマとファイトして下さった熱が、
TISのホームページトップ画面を埋め尽くした風景から伝わってきました。

なにより、
いくつかの作品では、
ウチの4歳半くんが恐怖に後ずさりしたってこと!

ウッシッシ、、
大成功だね〜!

みなさん、
おつかれさまでした!

テーマの“おばけ”を考えたボクは、
「おばけ」「おばけ」とつぶやいているうち、
2006年に描いた潜水艦の絵を思い出しました。

その時に添えた文章を2014年バージョンに更新。

2006年版では
「世界中の戦争が終わるまで海の底で待つ潜水艦」だったけど、
2014年はちょっと恐怖が進んでしまったようです。

なのでもう1点作りました。
ボクの戦争の記憶の出発点を思い返しながら
アップしてみます。
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8月6日は父の誕生日

1945年8月5日夜
6歳の小池少年は西の空が異常に赤く明るくなっているのを見る

広島に原爆が投下される前日
群馬県前橋市が大規模な空襲に遭った

ボクの戦争は
父の話しから始まった

群馬の片田舎の空も
米軍のグラマン戦闘機が飛び交い
機銃掃射から逃れた話しを笑ってしてくれた

そして決定的な8月5日夜の記憶

小池少年7歳の誕生日
8月6日は何を見て
どんな気持ちで過ごしたのだろうか

それから8日後の夜
今度は南の空が赤く燃えるのを見る

伊勢崎の空襲

それから12時間もすると
小池少年は敗戦を聴かされる

そんな思い出を聴かせてもらったのは
ボクがやはり7歳だったころ

ベトナム戦争と冷戦の時代だ

それからずっと考えることを止めないでいる
しかし
ほとんスベテは正解に至らないでいる

ただ
ヒロシマの前日に前橋で起きたことも
8月15日の前夜に伊勢崎で行われたことも
犠牲になったのは「ヒトリ」だってこと

ヒトリ×数千とか
ヒトリ×10万とか
ヒトリ×200万とか
ヒトリ×数千万とか

そういった数字の束から正義を引きづり出す力を
ボクは持っておらず

無力を武器に生きる術を
これからも探し続けなくちゃだし

数年後の7歳の息子に
父が話してくれた戦争の話しを
一言一句間違えず聴かせる義務がある

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