43ヶ月め

手をつなぐill006_585
今日は2011年3月11日から3年7ケ月
1310日め
43回めの11日です

今日は昼前に東京の恵比寿で
コドモたちと絵を描くワークショップ。

コドモたちの元気が発揮される現場、
震災以降社会のニーズの高まりを感じ、
お声かけ頂ける限りカタチにしようと考えています。

そして、
11月の末にはご縁を頂き
気仙沼で開催することになりそうです。

そんな現場の1つひとつに対して
ボクが持ってゆけるものは極限られたものです。

その限られたものをなんとか駆使して、
その土地土地に暮らす人たちの
本来持ち合わせている力を
ちょっとでも開くことが出来たらなあ〜と考えています。

2011年3月11日に経験したこと、
そこから継続している危機や苦難、
そういったことに対して、
じっくり時間をかけて答えを出さなければならないこともあります。

しかし、最近では広島の大雨に夜土砂災害や、
御岳山の噴火被害、台風などによる被害などなど、
人の手に負えぬ自然の力によって齎される悲劇を、
ボクたちは我が身に直接の危機がおよばなかったとしても、
意識の中では共有し体験してしまっているはずです。
(共有という感覚がスベテの人のものかどうか、丁寧に見てゆかねばですが)

そんな経験の先で、
ボクたちはどうしようもなく厭世的な気分に
呑まれてしまっているんじゃないかと、

短絡的で猟奇的な事件が起こるにつけ、

自己防衛的な主義主張を振り回し
他者を廃除するような言葉が溢れているのに出くわすたびに、

そんな短絡した発想ではなにも生みやしないし、
なにも救いはしないぞ!と思ってしまうのだなあ〜

2011年3月11日

だれだって「助け合おう」という気持ちになったはず。

それが「絆」みたいな言葉で“消費”されてゆくなか、
「あきらめ」が生まれ、無関心が広がり、
狭い価値感の中で浮上する持論を言葉にすることで
創造力の停滞が起こり、
自分に都合の悪いものはすべて敵にして、
とりあえず溜飲を下げる。

そんな連鎖を社会の「当たり前」と勘違いさせられてしまいかねない、
とても強欲的な社会の力を感じ初めている今。

それでも、ボクたちは愚直に「あの日」に立ち返り、
なにがボクたちを生かす力になるのか、
ころまた愚直に考え、考えを交換し、
1コ1コをカタチにしてかなきゃだ。
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ワークショップで訪れた先々で出合うのは、
地方で暮らしているからこそ手に入れている
「どうにかしなくちゃ」という考え。

それは多分に混乱の中に置かれていたりするのだけれど、
「ではみんなで絵を描いてみよう」そんな行為の中で、
必要なことだけがコロコロこぼれ落ちてゆくようなことに出くわすわけで、

そうやってこぼれ落ちた考えの1つひとつは、
実に未来の発想だってこと。

日本という国の中央では立派な人たちが
国を動かすための素晴らしいことを考えている。

そんなアイデアと拮抗するどころか、
ずっと未来を思い描いているんじゃないか?
そんな驚きが地方に暮らす人の中に埋まっている。

ボクのような生き方をしている以上、
そんな考えを掘り起こし、磨き上げる、
そんなことが出来るようなアクションを継続するとともに、
生業である絵を描くということも、
そういった発想を可視化させる役にたてるよう、
腕を磨いてゆかねばなあ〜と、
ボクだってこの世界でコドモを育てながら生きてゆかなきゃならない、
そんな切実を持ちつつ思うのです。
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