福島で移動保育に携わる上國料さんのお話


福島県内で移動保育に携わる上國料さんの震災後の極私的な心情。
これはみなさんの日々に確実に投影されるお話であるはず。
みなさんぜひ聞いてください。

「PECAEてぬぐい」の売り上げの一部はこの移動保育に寄付されます。
ただ、僕の目的はチャリティーというより、個人を知るということ。

ボクはイラストレーションの仕事を通してこの活動を知り、
震災後の「義援」の次に発想される「支援」をこの活動に向けました。

それは、この活動の様子が移動保育のサイトやSNSを通して
「見える」ものとして「発想をシェア」する姿勢を貫いていること。

そんな発信の中に、どうしようもなく上國料さんの「人」が見えてくること。

当初は先行きの見えぬ中、
どこかで頓挫するなんて可能性もあったはずです。

しかし、
たとえそうあっても、ボクが視線を注ぐのは「ひとり」であり、
「ひとり」のサイズから「3月11日」を実感し、
そのひとりが次をどう発想し行動するのかを追いかけられるはず。

いわゆる「被災者 対 支援者」の関係が
「ひとり対ひとり」の関係であると考えれば、
「微力」と思い込んでいる人たちでも
確かなアクションに繋げられるんじゃないかと。

そんな考えから、てぬぐいに添えた『移動保育を紹介するテキスト』も
上國料さんのパーソナルな部分に一歩踏み込んだものにしました。

このタイミングで出会った、
さらに踏み込んだ私情を語る上國料さんの言葉。

なるほど、ボクがなぜ移動保育をピックアップしたのか、
あらためて上國料さんの語る人間ドラマに気づかされました。

「義援」は人間としての条件反射。
それを行う人の姿を見せることなく水や空気を差し出すように
行うことであると考えています。

「支援」は見る、聞く、知る、考えるなどなどの力を働かせ、
人と人の確かな関係を構築するための土台作り。

その次、
「支援」の先になにを創るのか。

3月11日は今でも昨日のことであって、
今からでも出来ることばかりだなあと思うのです。

*移動保育Pocare
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