「被災地」でワークショップ。だが、しかし。

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7月11日と12日とで気仙沼の唐桑へ。
去年の11月に続き、今回は3回のワークショップを開催してきました。

主催は「気仙沼Tシャツ海岸in唐桑半島 2015」の実行委員のみなさん。
http://www.tshirtkaigan.net

2012年に始まり今年で4回目の開催となる
美しいリアスの海岸にたくさんの手作りTシャツがたなびく
ローカルなアートプロジェクト。

実行委員のみなさんが過去3回を振り返り、
あらためて唐桑の未来を想像したところで、

では地域社会にとって本当に必要なことはなんであるのか?
アートのイディオムを越えたところで思い至ったのが
今回のワークショップであるとのこと。

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細長い半島の入り組んだリアスの海岸、
もしくは山あいの土地に集落が点在し、
その集落ごとに独自のコミュニティが育まれて来た唐桑。

しかし、海岸部の集落の多くが東日本大震災の津波被害で失われ、
そこからの復興が見せる「今まさに」の風景、
造成の進む高台に建築される真新しい住宅や、
港湾部を覆おうと準備されている8mの防潮堤や、
未だに立ち並ぶ仮設住宅だったり、
初めて訪れる人にはただ雑草の生い茂る土地としか見えないであろう
漁師町だったはずの場所の喪失の風景だったり、

そんな1つひとつから生じるコミュニケーションの断絶が、
現在人口8500人弱の自治体、
もしくはそれぞれの地域の未来にどんな暗い影を落とすのであろうか?

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みなさん切実な思いのもと、今回のワークショップを、
「気仙沼Tシャツ海岸」への参加者を募るための起爆剤であるとともに、
地域と地域の目に見えぬ壁を乗り越えた
コミュニケーションの現場として機能させたいとの願ったようです。

とは言っても、ボクの知名度では起爆剤としては限界があります。

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初日の夜は主に地域のコアメンバーが参加された懇親会も兼ねたワークショップ。
そこから始まり、
ワークショップ参加者と主催者チームがコミュニケートすることで、
次の次あたりまでを想像出来るような、人の輪を確かなものにする、
そう出来るよう、1人ひとりの「確信」を高める。

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ボクがやれることでは「被災」の現実が1ミリも動くことはなく、
ただ、ボクと「身も心も振り切った時」を共にしてくれたみなさんのハートに、
次へ進んでゆく上で、ちょっとのことではヘタらない免疫力がついてくれたらなあと、

人の活力そのものを生むエネルギーにはなれないけれど、
体内必要菌のよう存在として、毒を吐きつつ、過剰なモラルを食い漁ってきた。
そんな感じだったかもです。
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2015年7月
あの日から4年4ヶ月の夏の日にやれたこと、
これは時間をかけて追いかけてゆかねばならないし、
出来なかったことのケアは、ボクの責任として検証し、
足りない部分を補ってゆかねばと考えた、
やっぱその芯からしてアッツ熱の2日間でありました。

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ワークショップの詳細を記そうとタイプを始めたブログですが、
今回一番言葉にしなくちゃならないことは、
あらためて唐桑という地域と人のこと。
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太平洋に7kmほど突き出た唐桑半島に生きる人にとって、
まずそこは、それぞれの人が暮らす集落の名前、
「鮪立」(シビタチ)であったり「大沢」であったりで語られる
コンパクトな土地にそれぞれ独自のコミュニティー育まれてきた場所であり、

次いで、そんな集落が点在する
芳醇な海の恵みを与えてくれる唐桑という自然豊かなランドスケープ。

その行政区分的立地から見ると、
気仙沼と陸前高田を結ぶ街道から一歩外れた陸の孤島のような場所。
しかし、目の前には生活との親和性の高い、
庭であり道である開放的な海に面した町。

もうちょっと言ってしまえば、
気仙沼と同じく、目の前の海は東京など日本の中心を飛び越え
そのまま世界に繋がるグローバル意識を持つ遠洋漁業者の暮らす場所。
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それが2011年3月11日以降「被災地」と呼ばれるようになり、
そこからの復興途上である土地。

昨年の11月に続き、今回のわずかな滞在の中でのボクの捉えた
宮城県気仙沼市唐桑町のイメージです。

そんな町で、ボクが出会う人たちは元気な人であり、
それで地域のこそすべてが分かったような思考をしてはならないはずです。
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そんな2015年夏のボクが4年4ヶ月後に思うのは、

震災被害に遭った土地を「被災地」と呼ぶことによって
思考停止になってしまってはいないかということ。

被災はパーソナルな問題の集積であり、
国単位や県単位で行う「被災地復興」という事業の足元で、
ボクのようなものが見るべきものは「ひとり」というもの。
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「ひとり」を追うと、そこには被災の現実と共に、
その方が暮らしてきた、もしくは暮らしている土地の名前が浮上する。

それがたとえば「鮪立」(シビタチ)という土地であれば、
対岸の大島まで泳いでいったり、
漁港のスペースで行った野球やサッカーの子どもの頃の記憶があり、

高校生あたりでの「出る」「残る」
社会人になってからの「出る」「戻る」などの
パーソナルな葛藤があり、

震災の津波で受けた1人ひとりの「問題」があり、

復興に向けての1人ひとりの課題がある。

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そうしているうちに、
震災以前には無かったもの、
「目の前の海を無きものにする」防潮堤の計画が動き出し、
あらたな喪失を受け入れざるを得ない「ひとり」に出会う。

リアスのわずかな土地にへばりついたように展開する
「鮪立」(シビタチ)という小さな土地で「ひとり」と言葉を交わすだけで、
そこには鮪立でしかあり得ない個人のストーリーが堆積してるんだって。
(そんな大切なものが無情にも津波に流されている!)

そんな「ひとり」は、
ボクたちがGoogle MAPで読み飛ばしてしまう隣の小さな集落を指して、
「あそこはここと違う」なんてことを言うわけで、
人間「ひとり」の生活のスケール感を呼び起こされるような経験も得るわけです。
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では、岩手の宮古では、
お隣の陸前高田や気仙沼では、
福島の大熊町では、

やはりその土地ならではのパーソナルな問題、もしくは記憶で
地域の名前が呼ばれているんだなあと。

両手で包んでしまえるようなイメージの土地だからこそ感じられた
「ひとり」と出会う面白さから、
その「ひとり」が生きてきた場所を
「被災地」という言葉だけで語ってしまう危うさを痛感した今回。

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折しも、新国立競技場の問題で、
「2500億円あれば被災地復興に使え」なんて声も上がりましたが、
国や県レベルでの復興にはかなりのお金が注がれているなあ〜と。

しかし、個人レベルでは、それは潤沢なお金があるに越したことは無いだろうけど、
それ以上に重要なのは「1人ひとりの自活」であり、
そこで足りていないのは、お金以上に行政のスムースな対応だったり、
地域のコミュニティーの再生だったり、
土地を超えた人と人の繋がりだったりではないかなと。

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アートや絵やイラストレーションなんて呼ばれるものが
本当に活躍出来るのはこれからなはずで、
ただ、
「ひとり」が大きなものに向かっていっても道に迷うばかり。
「ひとり」が「ひとり」を目指すイメージで、
それがいかに遠回りになろうと、コツコツ地道に続けていった先に、
どんな未来を見るのか?

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個人的に言えば、今5歳の息子が成人するくらいの時代を想像し、
続けてゆけたらなあと思いつつ、

そうしてゆくための並走者としての友人を、
気仙沼唐桑に多く見つけることが出来た、
異常晴れ男伝説を更新した爽やかな三陸の時。

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ここに呼び込んでくれたみんな、

それは良く気のつく高校生から、
高校生のまんまのマインドのオトナまで、
他の土地ではなかなか出会うことの出来ぬ
奇跡のような群像を見せてくれたみんな、

ありがとう!

「気仙沼Tシャツ海岸in唐桑半島 2015」が盛会でありますよう。

ボクは同時期開催の個展で足を運ぶことは出来ないけれど、
個展の現場に今回の出会いを反映させてみます。

でもって、また元気で再開しよう!

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2015
0711
to 12
PEACE!!

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