54ヶ月め

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今日は2011年3月11日から1,645日め
4年6ヶ月
54回めの11日です。

今はお昼のちょっと前で、
テレビのニュースでは茨城や宮城の大雨被害の状況を伝えています。

2011年3月11日を思い起こされる映像と向き合い、
しかし、未だ多くの行方不明者がおられる中、
ボクは語る言葉を失っています。

まずは救助救難のプロの方々の奮闘を祈り、
今危機的な状況に置かれている人が
早く心の安堵を手にいれますよう願うばかりです。

昨晩は、刻々と変化してゆく大雨被害の状況を前に、
ボクより若い人とディスカッション。

若さというのは、こういった事態を全身で受け止め、
全力で思い悩むことなのだと、あらためて感じました。

こういった時、災害に対する特殊な技術を持った人であれば、
どんどん現場に入ってゆき、人の力になってゆけばいいし、
しかし、「なにもできない」という思いに陥ってしまう人は、
まずは「無力」であることを知っただけでも、
それはこれからを生きてゆくために、
さらには、
いつの日か危機的状況から生還された「ひとり」の人と
言葉を交わす歳の確かな道標になってくれるはずです。

ボクらは「弱く」「無力」なことを受け入れることで、
見つけ出すこと、広げられる発想があります。

そう出来るためにも、
未曾有の事態を前に、身近な「ひとり」との会話を作り続けなければならない。
そう思います。

たとえば、14年前の9月11日にニューヨークで起きた事に直面した時、

4年半前に東日本で起きたことに直面した時、

ボクは「人を想い、悩む、心やさしき日本人」を発見したようです。

1985年生まれの人は
バブル経済の喧騒をほとんど実感すること無く、
1995年の1月に阪神淡路で起きたことに10歳で直面し、
16歳でアメリカで起きた同時多発テロを
「映画を見ているようだ」と語り、
しかしそれを否定し、苦しみ、
26歳の春に東日本の惨禍に直面し、
「やさしく」あろうと願い思い、行動にも移して、
今は30歳です。

ボクは事あるごとにそんな世代に人たちの言葉を、
ボクより未来を生きる人の言葉なんだと感じ、
そこに通底する「やさしさ」を、
ボクたち世代が使う「優しさ」とは異質のもの、
文化的深度の深いなにかとして捉えています。

それは、ボクがボクの臭覚をもとに出会う人たちのことで、
今の日本人の典型とは呼べないことなのかもしれませんが、

それでも、5歳の息子の通う保育園で出会う
街に暮らし生活に奮闘人々の醸し出す「やさしい」空気感は、
ボクたちの暮らす街になにか起きた時、
人を助ける力に変わってゆくんだと思っています。

そんな人たちは
東京でオリンピックが開かれる2020年には
35歳前後の世代となっていますね。

数多の災禍に直面してきた中で出会ってきた人の「やさしさ」
それを失わないで社会であるためにはどうしたらいいんだろうか?

ボクのようなものが絵を描き生きてゆく中で、
今はとても重要な制作のためのモチベーションになっています。

ボクの個展「東日本」は、
青山yuiでの会期を終え、
今は横浜仲町台のYUI GARDEN で巡回開催しています。
(個展は9/19まで。詳細はこちらをご参照ください> http://bit.ly/1OMLtQm )
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あの日、3月11日から4年半の夏。

ボクは「震災について」
もしくは「それ以降のこと」などの会話が生まれることに、
あまり期待を持たずに臨みましたが。

しかし、まったくそんなこと無かった。

4年半が経ち、
ボクも「東日本」なんてタイトルの展覧会を3度重ねる中、
そこに足を運んでくださる人たちの中に
次の時代を生きるための確固たる決意のようなものを、
途切れること無く交わされた言葉の中に感じたし、

うれしかったのは、
絵やデザインに関わらぬ生活をしているような人に限って、
ボクの描いたものの本質的な部分を言葉にしてくれたりもして、

こうやって続けることで生まれる豊かなマインドはあると思ったし、
一枚の絵があるからこそ、
ボクたちはこうやって言葉を交わせてるんだと、
あらためて確信出来ました。

こんなことを、ボクの出来る範囲でしかないけど、
ちょっとでも被災地と呼ばれる土地の人とも出来るよう、
なにを描けばよいのかさらに頭を悩ませ、
心をハードワークさせてゆこうと、

こういったマインドはやはり
絵を見てくれた1人ひとりから手渡されたバトンなんだと思い、
そんなものを次の場所、次の人に手渡されるようなもの作り、
真摯に取り組んでゆきます。

2001年9月11日

その頃のボクは東京の青山で、
ボクより若い人たちと唄の現場を創っていました。

誰でも参加できる唄の時間。
それは表現することのヨロコビを分かち合う現場であり、
ひとりの唄うひとつの唄を大切にする時間でした。
夜遅くに始まり朝まで、ともかく唄。

そんな時を重ねている中、
9・11 同時多発テロは起きました。

多くの人が「映画を見ているようだ」と言葉を発する中、
ボクのイベントに出演していた若い人たち、
ハタチそこそこだったりするような人たちは、
「ひとつの唄」を頼りに、みんな自分の言葉で語り、
明け方のCLUBのバーカウンターの前で、
真摯なディスカッションを繰り返し、
いくつかの言葉は美しい「唄」へと昇華してゆきました。

その中には皆さん誰でも知ることになる曲もありますが、
大切なのは、
ボクたちは「唄」という表現を大切に共有したからこそ、
真摯な言葉の交換が出来たということ。

そんな言葉の1つひとつは今もボクの中でうごめき、
1枚の絵を描かせる力になっています。

そういった意味において、
みんなの小さな表現は生き続けているし、
そういったものを失わせるような社会は嫌だなあと、

どうにもならぬ自然の猛威に向き合い、
自分の無力を知るからこそ、
大切に思う小さな出会いや言葉を思い出すんだと思います。

この投稿のトップにアップした絵は
文芸誌「詩とファンタジー」で金子みすゞさんの詩に添えた絵

「土と草」

母さん知らぬ

草の子を、

なん千万の

草の子を、

土はひとりで

育てます。

草があおあお

茂ったら、

土はかくれてしまうのに。

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