75ヶ月め


今日は2011年3月11日から2,284日め
6年3ヶ月
75回目の11日です。

アップした絵は以前描いた気仙沼唐桑の鮪立(しびたち)の集落と漁港。
津波で大変な被害を受けた場所ですが、
震災以前に撮影された写真と唐桑で出会った人の思い出話しを参考に描きました。

そんな話をうかがったのが鮪立の民宿「つなかん」

そこで料理人として働いていた竜介くんが、
「つなかん」を営む盛屋水産さんが育てたワカメを
東京の代官山で期間限定で販売する際、
この絵をポストカードにしてワカメに添えてくれてます。

・6月3、4日(土日)8~11 (木〜日)15~18(木〜日)
・14時〜20時
・ballena 代官山 
 〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西1丁目34−21 クレスト代官山302
 (東横線代官山駅徒歩2分、JR恵比寿駅から徒歩10分、UNITのすぐそばです。)

・主催:今井竜介 
・連絡先 sushi.to.oyster@gmail.com  
・協力:盛屋水産、池田晶紀、小池アミイゴ、鈴木歩、株式会社BambooCut、
・Ballena代官山、仕出し弁当きのこ、つなかんファンの皆様)
・FBページ https://www.facebook.com/events/1723291957969487/?fref=ts

=唐桑御殿つなかんとは=
宮城県気仙沼市唐桑町の小さな入江で、牡蠣の養殖業者が東日本大震災をきっかけに、始めた民宿です。
「御殿」の名前にふさわしい入母屋造りの一軒家。明るく、元気で、魅力的な女将さん。
家族で育てる牡蠣やホタテなどの海産物が食べられる宿でした。
しかし、そんな言葉では言い表せない魅力的な場所でもありました。
そのことが、この展示を通じて少しでも伝わることを願っています。
この3月に海難事故があり、社長含む家族3名がいなくなってしまいました。
それでも、残された女将さんは、再開に向けて動き出そうとしています。
今回、初めて、つなかんのことを知った方も、再開の一報がありましたら、ぜひ、唐桑を訪れてみてください。

ホーム

先日ちょっと顔を出して展示を見てきました。
そこに『明るく、元気で、魅力的な女将さん』いちよさんが、
海難事故からしばらく経ってとった行動について書いてありました。

海に生きるということ、強烈に知らしめられたこと。

それはここでボクが言葉にしてしまってはいけないように思います。
ただ、竜介くんが友人であってくれることで知る「人というもののなんたるか」
心に刻んで、これから創るものに反映させてゆこうと思います。


先日は会津へ。

昨年3月に初めて行って歩いた会津。

その際「これは初夏の風景を見ておかねば」と直感し、
今回梅雨入り直前のタイミングで行くことにしました。


前回は郡山から会津に入りましたが、
今回は特急が会津山田まで通った東武日光線を利用。

江戸-日光-会津 という江戸時代の必然を辿る道ですが、
それにしたって昔の人はよくもこんな深い山を抜けていったものだと。

会津山田から第三セクターの会津鉄道に乗り換えてゆくと、
会津は突然その姿を現すというイメージで、広大な会津盆地に出会います。

田植えが始まった季節の会津盆地は水の国。

この土地の豊かさに惹かれた昔の人々の気持ち、わかるな〜

豊かな土地は歴史に翻弄された土地でもあります。

会津若松の街のいたる場所に据えられた歴史を語る掲示板を読みながら、
近代はなぜ会津を押さえ込まなければならなかったのか、
東京から会津までの風景を思い返しながら、想像してみました。

今回の旅の目的の一つは、
福島県立博物館の学芸員を務められる川延安直さんにお会いすること。

震災以降の福島を、そして日本をあらためて考えるきっかけとなるアートプロジェクトを束ね、
日本の各地で展開されてこられています。

そんな会場のひとつに、
現在ボクが展覧会を開催している熊本のつなぎ美術館も含まれていて、
つなぎの学芸員の楠本さんからの紹介を頂いての訪問。

川延さんは、やはりボクと同じ地面に立ってこられた方だということでしょう。

ボクの震災以降のアクションは、そもそも闇雲なもの。
それが徐々に像を結んできているという段階だと思います。

なので、ボクの語る言葉は未だ曖昧なものだったりするので、
川延さんとお話をしていると、曖昧なりにもひとつ筋が通ってくる感覚を得て、
ともかく思うことをあれこれ語ることが出来ました。

急ぎ足で見た博物館の展示も、非常に面白く、
あらためて時間をかけて見学したと思いました。

川延さん、ありがとうございました!

ん?
これじゃやっぱ時間が足りないので、
次の日にまた、今度はお酒を酌み交わしながらお話する約束し、
次の会津へ。

午後の光が美しい会津盆地

JR只見線で新潟の県境近くまで、
現在は奥会津と呼ばれる地域を目指します。

山に囲まれたミニマムな空間にそれぞれには小さな宇宙が広がり、
大自然の際に小さな集落が点在しいる。
そんな風景を縫って走る只見線。

この土地の水の豊かさに圧倒されながらの旅です。

2011年、3月の震災の後、
この地域は台風の影響で川が氾濫、
甚大な被害を受けました。

その際、会津川口から只見間の只見線が寸断され、
その区間は現はシャトルバスが代行運行しています。

利用客の少ない区間ということで、
このまま廃線という話もあったようですが、
地元の方々の強い要望で復旧を目指すことに。

台風の被災から6年
未だ復旧ならずの只見線

東日本大震災から6年というものを
あらためて俯瞰し考えるきっかけになりました。

シャトルバスは暗くなった只見駅に着きました。

短パン半袖の姿でたどり着いたボクですが、
寒いです。

その夜は宿で酒飲んで寝てしまいました。


早朝の只見

空気が、光が、きれいだったなあ〜

ほんと、この季節に来れてよかったと、
朝の数分でそう思いました。

四方を山で(只見四山と呼ばれている峰がある)囲まれた水の豊かな只見。

会津盆地をギュッと縮めたようなイメージでもあり、
歩いて(ボクの場合走ってだけど)こんな土地の魅力を測れる面白さを感じました。

もしくは、会津のちょっと前で歩いた、
やはり水の豊かな水俣や津奈木という熊本の土地との比較の面白さとか。

なぜ、人はここで生きようと考えたのだろうか?

もしくは、現代を生きているボクたちが見失っているものはなんだろうか?

戦前から水力による電源開発が活発だった、水の豊かな会津地方。

戦争が終わると、それは国を挙げてのものとなり、
ここで作られる電気は、焦土と化した首都圏に送られてゆきます。

ブームとも言える電源開発の中、
巨大ダムの建設にともない、ダム湖に沈んだ集落がいくつもあります。

ボクは群馬県で生まれ育ったので、
やはり身近にそのような沈んだ集落の話があり、
子どものころから、その喪失の意味を考えていました。

ただ、それを含む自然の、初夏の風景があまりにもあっけらかんとしているので、
喪失の意味を考える以上に、
この土地で暮らす喜びがどんなものなのかに想像力の多くを費やしたはずです。

冬は新潟県の豪雪地帯に習い、深い雪に覆われる土地です。
江戸の頃から交通の便の厳しさを語られてきた場所でもあります。
が、実は、会津若松あたりより豊かな生活をしていたんじゃないかと言われる、
昭和初期の奥会津。

いくつかの集落が失われ、
そこで作られた電気で東京は再生してゆく。

そして、ダムによる電源開発も一区切りとなった今、
あらためてこの土地の魅力に出会い、心惹かれているボクがいて、

この土地から、福島県の太平洋沿岸部での原子力発電所の意味を考えてるボクもいて、

この場所から東京で暮らすことの意味を考えるボクもあり、

なんだろ、
この山に囲まれた土地でものを考えること、奥深いなあ〜。

今は言葉にできそうにないのだけれど、
東日本大震災の津波被害で失われたもの重大さを、
海から思いっきり離れた山に囲まれた小さな土地で気がついている部分もある。

これから描く絵の質もちょっと変わってくるんじゃないだろうか?

只見を流れる只見川は、会津を流れる阿賀川に交わり、
阿賀川は新潟の国境を越えると「阿賀野川」と呼ばれるようになり、
新潟平野を横切り、新潟市から日本海に流れ出る。

その途中に作られた工場の廃液に水銀が含まれていたことで、
第二水俣病と呼ばれる公害が発生。

先日の水俣でも思ったけれど、
こんな自然の美しさと人の営みの愛しさを目の当たりにしながらも、
廃液を川に流してしまう想像力の欠如とはどんなことなんだろうか?

只見を歩いていると、突然ひんやりした空気が降ってくる場所があって、
なるほど、これは残雪の山から吹き降ろす冷気なんだろうなと。

6月にもなるというのにこの冷気、
昔の人は神様とかの存在を感じたりしたんじゃないかな?なんて想像。

なんども川の氾濫で人命や家屋、土地そのものを失うも、
やはりこの土地に戻り、田畑を耕し、川や山の恵みを受け、
この土地ならではの豊かさを築き上げてきた人々。

「あの頃」の人たちに会って色々話を聞いてみたい。

来た道を戻り会津若松が近づいてくると、
会津磐梯山。

やはりあっけらかんとそこに在ってくれてるなあ〜

だけど、これも火山であって、
ある時は「人なんか住めたもんじゃない」なんて時もあったはずなんだけど、
今はもうただただ豊かで美しい。


川延さんに誘われ会津の酒が美味い店へ。
県立博物館スタッフさんと、デザイナーの佐瀬さんも合流し、
会津論、福島論、東北論、東日本論、日本論、などなど、
思いつくままの会話が楽しくて、酒も随分呑んでしまったのだけど、
これはほんと入り口。

人はなぞそこに暮らすのか?そんなことに想像力を働かせ続け、
さらに美しい会津、美しい福島、美しい東日本、水俣や津奈木、などなど、
描けるようにしてゆきたいなあ〜

旅の最後に佐瀬さんのご好意で、
ボクの絵の師匠にあたる長沢節先生の会津の生家に連れていってもらえました。

東京の新宿区船町のセツモードセミナーで出会った長澤節、
そして、長澤節のアート。

それはとても都会的に洗練されたものとして見ていたのだけど、
会津で再開した、長澤節の流れるようなドローイングやフォーブな筆致が、
ボクが会津で見た自然の造形をトレースしたもののように感じて、

あらためて、
長澤節は会津が生んだ芸術家だったのだなあと、

ではボクはどうなんだろうか?

ボクが向き合うべきもの、
会津という土地が問いかけてきたような旅になりました。


長沢徹さんご夫婦さま、
突然おじゃましてしまいましたが、
気持ちの良いおもてなしをしていただき、
ありがとうございました。

会津、さらに好きになりました。

この感覚のまま、
すぐにでも気仙沼唐桑の鮪立とかに飛んでいってみたい。

が、今は熊本の水俣のビジネスホテルの中で、
寝ぼけた頭のままタイプしています。

明日は津奈木町のつなぎ美術館でワークショップ。

さて、どんな人の風景に出会えるのだろうか?
楽しみです。

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