81ヶ月め


今日は2011年3月11日から2,467日め
6年9ヶ月
81回目の11日です。

ボクは先ほどまで台湾にいました。

台北で開催された第二回Culture & Art Book Fair in Taipeiに参加。
東日本大震災発生後、国を挙げて義援の気持ちを届けてくださった台湾、
この国の方々の他者を思いやる心がどんなものなのか、
限られた条件の中ではありましたが、ちょっと触れられたように思います。

「とうだい」という絵本を通して多くの方と語り合い、
ワークショップでは「だれでも出来る」シンプルな表現の中で出会った台湾の若い人たち。

彼らは自分の内側で ”HAPPY” を創造する力がすごい!

極論で語ってしまうと、
日本人の ”HAPPY” とは「経験」や「関係」の中から手にするイメージなんだけど、
台湾の若い人たちは、「カルチャー」や「アート」という言葉の元に集っても、
そんな「なにか素敵なもの」をただコンプリートしてゆくだけじゃ無い、
自分から率先し動き楽しさを見つけ出し、自分ならではのHAPPYに変えてゆく、
そんな自家発電能力がとても高いように感じました。

その辺、あらためて言葉にしてゆこうと思いますが、
まずは台湾、LOVEです!ありがとう。

11月10~15日のスケジュールで、
福島県の奥会津、柳津という山間の美しい町に滞在し、
“ジャンプやないず”という柳津小学校に付随する学童保育を利用する子どもたち、
1年生から4先生まで38名と、街を歩いたり、只見線に乗ったり、絵を描いたり、
3日間に渡るセッションとして格闘してまいりました。

福島藝術化計画』の一貫として、福島県の事業で、福島県立博物館の学芸員の主導で開催。

こうやって書くと漢字ばかりの並ぶ難しいことみたく思われてしまいますが、
会津、中通り、浜通りと、ひとつの県であっても、生活習慣や文化の違う福島で、
なにも分かっちゃいないボクが突然現れて偉そうなこと言えるはずは無く、

『柳津で生まれ育った子どもたちから柳津の魅力を教えてもらおう!』
そんなコンセプトの元、子どもたちと向き合いました。


現場は斎藤清美術館

柳津を愛し描き続けた世界的な版画家の美意識の側で、
2011年3月11日前後に生まれたであろう子どもたちの価値観に触れる。

彼らは学校や学童保育の現場で顔馴染みであるグループです。

ボクにスキがあればすぐにナマイキ爆弾を投げてよこします。

学年が上がれば上がるほど、
コミュニティの中での自分をキャラ設定してしまい、
本来の個性とは異なる自分を演出して生きてしまうのは、
大量の情報にまみれて生きて行かねばならない日本中どこでも一緒の現象。

もしくは、
挨拶のひと言めからして「え〜、わたし絵かきたくな〜い、」
だもんね、、

でも、そういったある意味「馴れ合い」も含めて彼らの今。

それを決して否定すること無くマルッと受け止めた上で、
1人ひとりそれぞれの個性に出会って行かなきゃならないと、
これはボクの経験からそう思うことです。

学校での生活に近い現場に集う子どもたちには、
日々それなりに厳格なルールのもと生活をしなくちゃならないです。

子どもたちの紹介されるボクも、まず「先生」と呼ばれてしまいますし、
日頃彼らをケアされている方々からは「絵を描く上での注意」が語られもします。

でも、ボクも含めたオトナがどれだけアートを語れるのか?

そもそも藝術って何?
アートって面白いの?

ボクと子どもたちの間でなにも共有できていないのに、
ルールを先に作るわけにはいかないので、

まず、彼らと電車に乗って地域を見て回り、
街を歩いて彼らの自慢話しを聞きまくって、
「もういい加減にしろ!」ってくらいの元気さを浴びた上で、
ワイルドに手を動かし絵を描く時間を設けました。

そうしたら、
四季によって豊かな色彩に溢れる柳津で生まれ育った子どもたち、
とても豊かな色彩を持っていました。

「図工」や「美術」で「描いちゃダメ!」と言われるキャラクターも、
実に生き生きとした色彩を放っています。

今まで色んな場所でこんなワークショップを開催してきましたが、
この山間の小さな町で今れ育った彼らの色が一番カラフルかもしれない。

こんな美しさが生まれる過程では、
普段生活を共にしている同士だからこそのコミュニケーションの事故みたいな現象が
キャンバスの各地で発生するのです。

ただ、事故も含めてコミュニケーション。

彼らは思いっきり絵を描きながらも、
お互いちょっとづつ気を配りながらコミュニケートしています。

その中で事故が起きても、それが暴力でない限り「表現の喜び」を優先させる。

彼らの表現の喜びをとことん守り、
ただ、暴力だけは見極める。

そんなオトナの仕事ということをこの現場で確信的に発見出来たように思います。

柳津の子どもたちの絵を描く姿を思い返しながらタイプしている、
台湾から戻ったばかりのボクは、

台湾の自己発電能力に優れた若い人たちと、
柳津で美しさを発揮しまくった子どもたちがガチッと結びついて感じられています。

柳津の子どもたちが、今の感性をそのままに、
自分から”HAPPY”を創造出来るオトナになった時、
柳津は、会津は、福島県は、日本は、どんな国になっているだろうか?

アートとか芸術を難しく考えることより以前に、
ボクはそんな想像が楽しくて仕方ないのです。

実際には、少なからずの子どもがオトナになる過程で、
この町から出てゆくんだと思います。

それでも、ある日変なおじさんと思いっきり絵を描いた記憶、
その楽しさが身体のどこかに残っていてくれたら、
それがこの土地の次の時代の宝を生んでくれるんじゃないか。
ぜひ、そうあってくれー!と願うのです。

彼らとのセッションは来年1月にあと2回。
次はぜひ彼らの素晴らしさを、
彼らの親御さんにも知ってもらえるようなやり方でやってみます。

まってろ!柳津っこ。

こんな試みを見にわざわざ尋ねてくれた人が、
福島市でもなにかやりたいと申し出てくれたり、

ワークショップに先駆け展示していた、
ボクが描いた福島県いわきの豊間の海岸の絵を見てくださった方が、
ご自身の、まさに現地での被災のお話を、まるで昨日のことのように語ってくださり、
あらためてそんなお話をうかがいうゆく約束をさせていただいたり、

宿の女将さんが、原発事故から避難してきた人たちをケアした話を、
やはり昨日か一昨日のことのように真摯に語ってくれたり。

あの日から7年なんて声が聞こえてくる手前で、
ボクの福島へのアプローチは、やっと始まったなあと。

それは、2011年3月11日に出会ったことに対して、
時間をかけてやってゆかねばならないことがあると思ったこと、
その時想像した時間の流れと一致するものだという実感でいます。

ともかく確かに一歩一歩。

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コメント / トラックバック 2 件

  1. 高橋万寿子 より:

    素敵なブログ、有難うございます(^^)
    3.11からずっと継続して活動を続けられていること、素晴らしいです。
    子どもたちの健やかなようすを教えていただき、自分のことのように、とても嬉しい気持ちになりました。
    私は、3.11のとき、さいたまスーパーアリーナに避難されていた お子さんに絵本を読ませていただいた事をきっかけに足かけ6年間、ス-パ-アリ-ナのけやき広場で月1回のおはなし会を、仲間と一緒に開催していました。本来ならば楽しい場であるはずのさいたまスーパーアリーナに、「避難」という異常な経験をなさった被災者のみな様。辛い記憶は楽しいことで上書きしないと忘れられない、という気持ちのもと、本当に小さな活動ですが続けられた事は幸いでした。私は、今は実家にUタ-ンして高齢の両親のサポートをしています。さいたま新都心での活動を続けられなかったのは残念ですが、ボランティア仲間が継続してくださっており、たいへん嬉しく思っています(*^^*)
    実家のある京都でも、本を絵本を通じて3.11を忘れない活動ができたらいいなと模索中です。

    『とうだい』を森岡書店の原画展で知ることができたのは、本当にしあわせな事でした。最近、あの原画展にアミイゴさんのお父様が体調がすぐれないのを押して駆けつけてらしたというお話しを伺い、この『とうだい』という絵本のこころを、さらに大切にしたいと思っております。

    寒い日が続きますが、どうぞお身体大切に、風邪などひかれませんようお過ごしください。

  2. 小池アミイゴ より:

    >高橋万寿子さん。
    ご丁寧なコメントありがとうございます。
    個人的に思うのは、こういった活動が本当に必要とされるのはこれからということ。
    東日本大震災前後に生まれた子どもたちが小学校にあがるようになった今、
    震災や原発事故を目の当たりにしたお父さんお母さんの気持ちを想像しながら、
    子どもたちと向き合っている感じです。

    子どもたちの想像力溢れた元気な姿に出会うことで、
    オトナの凝り固まった心がほぐれたらいいな。
    そんな考えであります。

    高橋さんがお届けくださったお考えに反するようなことを考えで恐縮ですが、
    辛い記憶は忘れられるものでは無いと思っています。

    ただ、いつか自分と同じような痛みを抱えた人に出会った際、
    自身の痛みの経験をもって手を差し伸べるようなことが出来た時、
    痛みと折り合いがつけられるのではないかと。

    そう出来る日を迎えられるよう、
    自分の中にある元気な部分を確認する。

    そんなきっかけを、
    ボクは子どもとの時間から手にしてもらいたいと願っています。

    6年9ヶ月、ボクにとってはあっという間の期間でした。

    ではボクより困難な立場にあった人たちはどうなんだろうか?

    いまだに想像が追いつかないことばかりですが、
    ほんと、こんなことを通して「元気」なんて言葉にたどり着けるのは
    これからなんじゃないかなと。

    答えも持たず、行き着く先も想像できないでいますが、
    ただ乞われる限りやってゆくなくっちゃって思っております。

    で、そうでした、父と会ってもらいましたね。。

    その後7月に父は倒れ、入院から施設入居といった生活になってしまっております。

    ボクも介護とは言えたものではありませんが、
    出来る範囲で父に寄り添った5ヶ月を過ごしておりました。

    思うに、子どもたちと向き合うことと父と向き合うことに大きな違いは無いなと。

    高橋さんが現在ご両親のサポートをされていることは、
    さいたまスーパーアリーナーとも、東日本とも地続きであることだと思い、
    また、ボクなんていうものとも時代を並走して下さっているんだと思います。

    うん、お互いまずは元気で!
    ささやかながらも今いる場所の「とうだい」であり続けましょうね〜!

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