2017 to 2018

死、死、死、死、
そうマジックぺんで書いては真っ黒に塗りつぶし続けた小3女子が、
最後に仕上げたワイルドに美しい色面。

2017年12月17日
群馬の高崎のpeace tree というセレクトショップに
200名からのお客様が集まったライブイベントで開催した
子どもワークショップで生まれた絵の一部です。

キャンプやフェスが日常の風景であるであろう
意識の高い人たちの集うオシャレセレクトショップのパーティーで開催した子どもワークショップ。

が、子どもたちみんなシャイ。

なるほど、お父さんお母さん、ちゃんとした人ばかり。
ちゃんと子どもに自由を与え、
ちゃんと子どもにモラルを与えているのがわかる、
みんないい子ばかりなんだよね〜!

「死」を恐れる小3女子が描いては真っ黒に塗りつぶす、
そんな姿に一瞬ひるんだボクだけど、
どうやら学校で「死」という漢字を習ったばかりで、
それとともに「死」について考え込んでしまっているよう。

お父さんお母さんがどんな方かを確認し、
これまでの経験の引き出し開けまくって判断して、
親子の間でコミニケーションは失われておらず、これは大丈夫!って、

小3女子の書く「死」という文字に対して「死、だね〜」
それを黒く塗りつぶす姿に「うん、その黒かっこいい!」ってね。

なんったって、ボクも小3の時死の意味が受け止められず毎日泣いていた子どもだったんだ。

そんなコミュニケートの先で、ここぞというタイミングを見つけ着彩へシフト。

繊細に野蛮にコミュニケートしまくったら、
ぐいぐいクリエイティビティを加速させ、ものすごい色使いで腕を振り切る。

その一瞬一瞬に驚き感動するボクは、
その気持ちを自分の言葉で注ぎ続ける。

彼女の手が一瞬止まる。
次の瞬間黒の絵の具を掴んだと思うと、両手でドバっと。

その画面への置き所が見事で、
遠目で見ていたオトナたちからも「おお〜〜!」と歓声。

次の瞬間ハイタッチ!

ボクの右の手のひらも一瞬で絵の具まみれの快感。

小3女子、にゃっと笑うと、
クルッと背を向けお母さんのとこに走っていった。

こんな感じで子どもたちと絵を描いてきた中で思うのは、
自由は子どもに与えてるものではなく、
子どもが自分から獲得することに意味がある。
そのチャンスの現場を作るのが親の仕事なんだということ。

そのためには、
ある種野蛮なコミニケーションってものが必要なんだということ。

下品ではなくて、野蛮。


この冬は東京で最も新しい街のひとつ、
天王洲で子どもワークショップを重ねてたのだけど、

新しい街のマンションに暮らす若いカップルのお子さんが、
やはりとてもシャイで、

これはどういうことだと、
子ども以上にお父さんお母さんとのコミュニケーションを慎重に重ねてみたら、

これはボクの想像でしかないのだけど、
みなさん新しい街でとても慎重に、周りに迷惑をかけぬよう生活されいるんだなと。

その慎重さが子どもたちの資質にもなっている。

で、そんな子どもたちとじっくりコミュニケートし、
「絵を描きたい」気持ちを引き出してみると、
これがスゲーんだ!!

ものすごくセンスの良い子どもばかり。

お父さんお母さん方、慎重に生活されているけど、
しかし、お子さんにはとても豊かなものを与えている。

シャイだけど1つトビラを開くと、
メチャクチャ高いクリエイティビティを発揮する子どもたち。

ボクはその最初のトビラを開く作業を
ワークショップとし称してやってんだなって。

実社会では丁寧で慎重に暮らし、
ネットに触れた際は言葉の暴風雨から身を守るような生き方が強いられる今。

今ボクと絵を描くような子どもたちのほとんどは、
その生きてきた時間を東日本大震災発生後の世界で生きている。
絆や思いやりを持てることが、人としての資質の上位に置かれる世界。

しかし、
子どたちにはあと一歩も二歩も踏み出して良いことを伝えてあげたい。
紙の上ならどこまでも突っ走って大丈夫!

そんなことで誰彼を傷つけるようなことは無いよって。
ただ、その勢いが暴力に変わる瞬間を見極め、
暴力より美しい表現の方がカッコいいことを伝えてやるのがオトナの仕事。

子どもが思いっきり絵を描いているから、
オトナの心も開き、より豊かなコミュニケーションが生まれる。

そんな中から、オトナも創造と暴力の際を見極める能力を獲得してゆくことの必要。

ボクがワークショップを通して見せていること、
今を生きるオトナの1人ひとりが、
そしていつか子どもたち1人ひとりが出来るようになればいいな!

高崎の peace tree
素晴らしい発見の現場をありがとう!

アミイゴ
2017
 to
2018
PECAE!!

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