人間はバカで出来ている「カフェ婆ぁ」

今年のcafe week で頼まれた「家族」についてのコラム「カフェ婆ぁ」
cafe week 2010の冊子に掲載させてもらいました

家族を考える時ボクは
「生」だけではなく「死」を考えることを避けることが出来ず

「死」を考えるからこそ「生」を考えるのだ
そこに創造は生まれるんだと
そんなでさえあります

多くの愛しき人々と出会うきっかけを頂いたcafe week
だからこそ出会って7年目の2010に
決定的な別れの果てを描いてみたくなりました

思うことがあり
ここに再掲載してみます

○「カフェ婆ぁ」 cafe week さらに10年
 小池アミイゴ

その店にゆくと
シマシマのふくを着て小さいエプロンのばーちゃんが
「いらっしゃいー」と言うのでぼくはこわいと思った

ぼくのかーちゃんがむかしから行ってる店だけど
ぼくはこわいのがいやで
でもかーちゃんが行くからぼくも行った

かーちゃんはコーヒのんで家とちがうかおで笑うから
ぼくはもっとこわいと思って泣いた

ぼくが泣いたら
「泣いたかおが死んだじーちゃんににてる」と言って
ばーちゃんは笑った
そしてボクの手をにぎったけど
ばーちゃんの手がしわしわで気持ちわるかった

かーちゃんが笑ってるとへんなじーちゃんが来た

ばーちゃんのじーちゃんは死んだので
ちがうじーちゃんだと思った

ちがうへんなじーちゃんは
へんながっきをひいてうたったので
ぼくはきいたけど
テレビやパソコソできいたのとちがううたで
しらないと思ってつまらないと思ったけど
かーちゃんは笑ってから泣いたので
ぼくはびくりして泣いた

ちがうへんなじーちゃんは
泣いてるボクを見て笑った
そして
「ボクのかーちゃんは死んだばーちゃんににてる」と言って
かーちゃんのオッパイをさわったので
かーちゃんはおこったけど笑った
そしてちがうへんなじーちゃんにお酒をおごた

ちがうへんなじーちゃんは
へんなにおいがして気持ちわるいと思った

いえにかえるのでかーちゃんと歩いたら
かーちゃんは「ひとはいつか死ぬの」と言った
そしてぼくの手をにぎったので
手がいたかった

コメント / トラックバック 2 件

  1. ナイフ より:

    アミイゴさんこんばんは。
    うちのじいちゃんとばあちゃんは
    かなりじいちゃんとばあちゃんになってから
    喫茶店を始めました。

    ばあちゃんはミント味の寒天作るのが得意で
    じいちゃんは焼きそばを作るのが上手でした。

    いろいろ、思い出しました。。。

  2. >ナイフさん。
    ミント味の寒天!!

    ねえ、
    人が創るものって可笑しく哀しくウレシく
    美味しいよね!

    それはナゼなのか、
    ボクもナニかを創り続ける中で
    ちょっとづつだけど分かってくる

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