20ヶ月め


2011年3月11日から20ヶ月目
あの日から611日

11月3日に行われたJリーグナビスコカップ決勝を受け、
サッカーマガジンでナビスコカップ優勝インタビューを受けた
鹿島アントラーズの小笠原満男さん。

被災地岩手県大船渡市出身で、
被災地茨城県鹿嶋でサッカーを続ける彼の、
震災復興が滞っている現実を真摯に訴えかけるコトバに心打たれました。

震災直後から比べたら頻度は減りましたが、
東北から茨城や千葉に至る太平洋岸では
今も震度4以上の余震が起こります。

その度に自分や愛する人の命を守ろうと
身を固くし恐怖に堪える人々に想像を働かせます。

そしてもちろん、
東京に住む自分は家族を守ることに神経を働かせます。

20ヶ月
611日

ボクたちは未だ「真っただ中」に在る
それがボクの実感です。

そんなボクでも
ボク自身の心の風化に気付くことがあります。

ぼくたちは終始
「緊張を強いる雰囲気」と「ここちよいふんいき」に
取り巻かれているようです。

その間には「自由」という
素晴らしい人間の状態があります。

ただ、
それを行使するためには
とても厳しい実践を伴うものでもあります。

今厳しい状態に置かれた人に対しイマジネーションを働かせることは、
それなりのエネルギーを必用とすること。

しかし、そんな状態こそ人間の自由の本質だと考えます。

しかし、ボクたちの今は
それこそ津波のごとく押し寄せる「雰囲気」に
死なない程度まで首までつかり、
生かされているように感じてなりません。

「今」というか、
ここ何十年もそんな暮らしをしてきてしまった。
暮らしをさせられてきてしまった。

ボクは自分の心の風化に気付いた。

それはボクの弱さの確認でもあります。

弱ければどうする?

「絆」というコトバはすっかり消費されてしまい
それこそ心地よい雰囲気を醸し出す流行語として
死語の世界に送りこまれてしまったのでしょうか?

それとも、
あたらめて
ボクたちの当たり前の日常に対してこそ必用なコトバとして、
血の通ったものへと育ててゆくべきなんじゃないか?

人間はその弱さを持って進められる考えもありますね。

未曾有の事態に呑まれ失われた人々の叫びは、
まずはボクたち1人ヒトリの日常の中でこだまして、
それは目に見えるものではないかもしれないけれど、
つまらぬ雰囲気に呑まれ心を死なせてはいけないと
気がつかせてくれたはずです。

1人ヒトリが気がついたことは、
それはあまりにも小さなことだけど、
それを繋いでいった先で生まれるものは、
ちょっとのチカラでは折れることのない、
シナヤカな強さを持った何かであるはず。

それが今はナニか分らないから、
1歩踏み出すのに恐怖を感じるだろうけど、

ならば、1歩踏み出せる現場を創ること、
小さな会話を積み重ねられるためのものづくり、
そんなことがボクやボクのような仕事をしてきたものの
これから未来への仕事だと考えています。

そんなことを日々ひとつひとつ確認しながら
1コ1コ積み重ねてゆこう。

2011
1111
PEACE!!

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