5000km


2009年9月9日「じゃあ、今日から走り始めよう」と考え
まずは2kmのジョグをしてから3年5ヶ月

先日2月22日に19km走って
これまでの合計が5000kmになりました

市民マラソンにエントリーしてるランナーとしては
実にのんびりとしたペースだけど
(仕事で描いたある市民ランナーは月に1200km走っていた!)

部屋で一日中絵を描く仕事をしながら
息子の子育てを分担で受け持つ生活の中でのこと

ヘッポコだけど
それがボクのペースだなあ〜と

走る出す直前までのボクは
大量のイラストレーションの仕事と
音楽の現場を大量の荷物を担ぎ廻る日々で
今思えば身体はボロボロ、、
寝るだけのことでも腰が痛かったもんね
よくガンバってたぜ、まったく

5000km
東京からどこまで行けたかな?

そんなことを考えながら
テレビでエントリーに落ちたTOKYOマラソンを見てたら
ビル・ロジャースを描きたくなりました

1970年代を駆け抜けたアメリカのランナー

ボストンマラソン’78-’80 3連覇(計4度優勝)
ニューヨークシティーマラソン’76-’79 4連覇
福岡 ’77優勝

「スポーツは辛いもの」なのが当たり前だった時代
ロックスターのような長髪にニット帽をかぶり
長い手足を大きく伸ばすストライド走法で空を飛ぶようにして
ボストンやニューヨークの街を駆け抜けたランナー

当時なにかで見たビル・ロジャースの身長と体重は
175cm / 57kg

ヤセっぽちの高校生だったボクと同じ

マッチョ全盛のニッポン体育会系にあって
ヒョロヒョロっと長い距離走るのが得意だったボクは
「ヤセッポチでもカッコいいスポーツ選手っているんだ〜!」と共感と感動

たとえばテニスのボルグとかマッケンローとか
それまでの「スポーツ選手」という言葉ではくくれない
時代のアイコンが登場してきた時代

「フィットネス」や「ダイエット」なんて言葉に初めて出会った頃
初めて「アスリート」なんて言葉で語られるのを聞いたのは
ビル・ロジャースじゃなかったかな?

「競技者」というより「アスリート」

もしくは
オリンピックで国を背負った活躍より
市民レースで楽しそうに走り連覇を重ねたということ

アスリートとしてのキャリアの全盛時に
ランニングシューズの専門店を開いたんだけど

日本のプロ野球選手が
引退後は「呑み屋でも開きたいっす」なんて言っていた時代に
なーーーんてクールな生き方なんだ!って

スポーツは引退するようなものではなく
一生のライフスタイルであるっこと
初めて気がつかせてくれた人

今回描いたのは1979年
雨のボストンマラソンのフィニッシュ
日本から海外初レースの早稲田の瀬古利彦が参加し
途中までビル・ロジャースとトップ争いを演じていたけれど
最後にニット帽を脱いでギアチェンジしたビルに着いてゆけず
ビル・ロジャース 2:09:27
瀬古利彦 2:10:12 というフィニッシュ

冷たい雨降る美しいボストンの街の風景の中

白いランニングにキッとした顔で走る瀬古の1歩前を
ボンボンつきのニット帽かぶったビルが
楽しそうに飄々と走る絵が
オシャレだしエレガントでさえある!

そしてフィニッシュはまさにAIR!!

この映像をどうやって見たんだったっけかな?
もしかしたらニュースで流れたちょっとした映像だったかもしれないけど、
あ、オレ、こんなして走りたいなあーなんてね

次にスポーツ選手に対してこんなふうに感じるのは
10年後のマイケルジョーダンだな〜

そして90年代に入って
ついにカズに出会った

ブラジルから日本に戻ってきた三浦知良さんの活躍や言動に出会った時
そのヒーロー像は長嶋さんや王さんに重なることはなく
ビル・ロジャースみたいだと思ったんだ

そんな気持ちはイチローや伊達公子さんや浅田真央さんに続く

そんなパーソナルの活躍に出会うことは
幸せなことだな〜

で!
ボクはフと思ったのだ

こういう個性のアスリートって
体罰では生まれないよね!

たとえば
フィギアスケートの浅田真央さんが世界の中で闘っていること
それを見てボクたちが感じること

それはコーチが真央ちゃんにビンタ40発食らわせてシゴイテも
決して手に出来るもんじゃないよね

もしかしたら
ビンタ40発で「全国大会」に出場出来て
その後の進学や就職とかのプラスになった

そんなことはあるのかもしれない

しかし
「走るのが好き」という理由だけで
ボストンやニューヨークの街をダレよりも早く駆け抜け
群馬の田舎の高校生のハートを熱くさせる人

そんな人は絶対に育てられない

体罰の是非(もしくは撲滅の路)を考えると共に
ボクたちがどこを目指して生きてゆくのか?
そんな選択を迫られているはずだ

ビル・ロジャースの走りを思い出しながら
36000人もの人がみんな楽しそうに走っているTOKYOマラソンを見ていたら
そんなところまで考えが廻ってゆきました

しかし、
1979年のボストンでビル・ロジャースの履いていたシューズは
ニューバランスではなくアシックスだったんだ!

そして
5000km走ったところで
シューズを新しくしたボクは
またトボトボと走り続けるのだ

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