うた


2月の終わりの頃、ハナレグミの永積くんから携帯に連絡をもらい
アルバム「だれそかれそ」のアートワークを担当することに

次の日にはウチの近所でランチミーティング

彼が白い紙に書いてきてくれた曲順表を眺め
文字で構成された風景が彼の唄そのもののように感じて
「これはなんなんだ?」としばらくフリーズ

その次の瞬間
心の中でジワジワと音が鳴り始めたと思ったら
一気に唄が押し寄せて来たという経験

唄はタイムカプセルだなあ〜
10年、20年なんて時は一気に飛び越え
「あの時」に連れて行ってくれる

そんなことを思い
そんな会話を彼としたのだけれど

その後
彼の唄ううたを抱え
街を廻り絵を描く作業の中で

いやいや唄がタイムカプセルなんじゃなくて
ボクが時の固まりなんだと

ボクが生きてきた時が
その場面ごとに沢山のヒキダシに小分けされ
ボクの心だか身体だかに納められている

そのヒキダシを開ける鍵が唄だってこと

しかし
実際に唄をうたうのは
ボクとボクの過去の時間とで組んだユニットなんじゃないか?
なんてことに気付き

ただ、その鍵がナマクラだったり錆びていては
時のヒキダシは開くはずはなく

逆に 永積 崇という人の唄が鍵となるのであれば
ひとつの唄でいくつものヒキダシが開いてしまうんだあ〜

白い紙にテレたように
そのくせ妙に切実な筆致でもって書かれた
(こんなのボクには描けない!)
「懐かしの曲」の愛しき名前たちを眺め

オトナと呼ばれる年齢になった男が
青色のペンで文字の一部を塗りつぶす行為が
どんなことなのか考えながら

ボクに唄が押し寄せてきたのではなく
ボクが唄い始めていたんだって

その瞬間「懐かしさ」なんて感情は雲散し
ただ今この瞬間の衝動だけが渦を巻いて
心と身体から飛び出してゆく

さて
ボクはこの曲順表を見て
もはやすべての唄をうたってしまったぞ

では
ハナレグミはこんなタイトルの曲を
どんなふうにして唄うのだろうか?

そんな興味はこのアルバムを
まるでハナレグミのデビューアルバムのような質感として想像させ
アルバムに納められる唄はすべて
偶然にも「カバー曲」というタイトルのつくオリジナル曲なんじゃないかと

そんなワケの分からぬ想像のジャングルに追い立てられたボクは
ああーー楽しい!と街に飛び出してゆくしかなかったんだ

18年前に永積 崇の唄というものに出会い
少なからずの衝撃を受け
(その直前はeliちゃんであり、その直後は宇多田ヒカルだ)

彼のいくつかの唄は
今も日常のあらゆる場面で心の中で鳴り続けてくれ

「サヨナラcollor」や「家族の風景」なんて曲は
その出産に立ち合ったような
今では親心さえ感じる曲でさえあるけど
(サヨナラから始めることが肝心なんだぞ!コラ。なんてね)

しかし
もちろん彼のすべての曲がボクにフィットするなんてことはなく

ボクみたいなヤツが
「ハナレグミ、サイコー!」みたいな立ち位置に居ては失礼だなあ〜と

同じ時代の尊敬出来る表現者として
その表現とキッチリ向き合い続けられるよう
キチンとした距離感を保って接してゆかねばなあ〜
彼の表現に答えられる自分の表現も磨かねばだな〜
いやいや、ボクの絵こそ唄のようでありたいなあ〜とか
そんな思いに駆られた10年後の「だれそかれそ」

まずは
「ウイスキーが、お好きでしょ」SAYURI
そう来たかあ〜!

そして
「接吻 Kiss」ORIGINAL LOVE!
「いっそ セレナーデ」井上陽水 だって!

そうなんだよね〜
彼にはこんな官能的な唄をうたってもらいたかったんだ
こんな唄を必用としている女性が
黄昏時に白い軽ワゴンを走らせ
郊外の巨大なショッピングモールに向かう県道に連なっている
そんなんが今の日本のホントウの風景だからね

だから
「中央線」や「プカプカ」なんて曲は
ハナレグミのオリジナルように感じるし

「オリビアを聴きながら」や「ラブリー」なんて
タイトル見ただけで笑えちゃう
オレが子育て中のママだったら
白い軽ワゴンのアクセル踏み込んじゃうでしょ!

そして
「空に星があるように」

「多摩蘭坂」かあ〜

ボクの「KING of 鼻唄」ではないか

たまらんなあ〜

小さなCLUBの深夜2時とかに
ゲロ吐きそうな顔して1曲1曲を絞り出してたタカシくん
それを見守っていたあの頃のボクと
今もボクは何も変わっていないなあ〜と

そう思ってこの手書きの曲順表を眺めてみると
やっぱこのアルバムはボクにとって
ハナレグミのデビューアルバムのように感じるんだ

そんな個人的なものを仕事に盛り込んでしまっては
プロとしてはイケナイのかもしれないけれど
そんな個人的なものに共鳴するのが唄だからなあ〜
なんとか多くの人とこのアルバムを共有出来るようにって
絵を描きまくった話は後ほど

ちょっと思い出した
かなり恩着せがましい想い出をひとつ

このアルバム制作よりずっと以前
インターネットはもちろん携帯さえ持っていなかった時
彼から連絡をもらって
「今度結婚式でうたうことになったんだけど、”Just the Two of Us” の歌詞わかりますか?」って

彼が官能的な唄をうたおうとしていることがウレシくて
「もちろんわかるよ!」「レコードあるから、歌詞カードコピーするよ」って

ボクは東京に居て
レコードは群馬の実家にあって
でもそのことは内緒で
その日のうちに群馬まで行って歌詞カードコピーして
次の次の日くらいには彼に渡したって話

こう書いて今気がついたけど
その電車賃で同じレコード3枚買えたよねっ!

なんだけど

ボクにとって唄ってそういうもんだし
好きな唄の刻まれたレコードってそういうもんなんだ〜
ぜっ!

今思い返してもそうすることが正しかったとしか思えない
相変わらず愚か者なボクの 永積 崇という人の唄との再会の時は

人の愚かさや可笑しさや淋しさや悲しさやなんかやも
曖昧にして見せてくれる「たそがれ」という時

そんなこんなを言葉にしたかったので
御本人の承諾を得て手書き歌詞カードをスキャンして
紹介させてもらいました

コメントをどうぞ