27ヶ月め

なでしこ001小
今日は2011年3月11日から823日目
27回目の11日

「あの日」が3年前だったのか2年前だったのか
一瞬考えないと「2年3ヶ月前」と正しく言えないこともあるのが
正直なところの今のボクです

そんなことに気がついたここ数ヶ月
イラストレーションの仕事と子育てに抹殺され
なかなか描けないでいた花の絵

ベランダのナデシコがそろそろ盛りを過ぎるので
昨日の午後にサッサと描いてみました

花言葉として「純愛」「可憐」「貞節」「無邪気」「大胆」
「いなくなった人を思う」などが語られる撫子の花ですが

白いナデシコには「器用」や「才能」などが語られるようです

花は可憐だけど
そのグイグイっと育つ姿や茎のスッと伸びた佇まいから
「日本人はこうあってもらいたい」という願いが
「大和撫子」という言葉を生んだんだろうね

「大和撫子は失われた」なんてことよく聞くけど
そもそも「ナデシコのような人」なんてそうそういるもんじゃない

ただ
ボクたちは生きる理想を求め続けなくちゃ
その道の途中で失われてしまった多くの人に申し訳がたたないよな

可憐な花を描きながら
心の中では鎮魂のような気持ちが静かに横たわっているようです

3月11日からのことは
家族の間では相変わらず良く語りあっています

しかし
家を出ると話題にのぼることも減り
マスコミを通して聞こえてくるのは
為替の乱高下に一喜一憂した叫びのような声

社会に必要な投資というものはあるし
それで日本が元気になってゆくのは良いことだけど
金に踊らされてしまうような生き方はイヤだなあ〜

夜のカモミール小
ナデシコを描きながら
やはり花の盛りを終えようとしているカモミールも描きました

夕暮れ時に白い花びらを閉じ
夜の間眠るようにしているカモミールの花

小さく可憐な花だけど
質実剛健な生きる芯みたいなものを感じています

白く可憐な花をワッと咲かせるけれど
夜になると祈りのような姿を見せる花

ボクたちは
たかだた2年ちょっと前の夜の暗がりの中で
なにを思い願ったんだっけかな?
そしてどんな生き方を望んだんだろうか?

その辺で咲いてくれてる花を見るたびに
3月11日の深夜の暗がりを思い返すことができる
もしくは
思い返すようにしています

それにしたって
あれだけ株を乱高下させるだけの金があったんだと驚く毎日

あれだけの金
復興支援にドンと使っちまえば最高の社会的投資になるし
巡り巡って社会が元気になるって思うオレは
やっぱ「あまちゃん」なのか?

しかし
誰に愚者呼ばりされたとしても
人は美意識や品、思いやりや優しさなんてものでもって
生きてゆくことだってあるんだってこと
息子には伝えてゆこうと思う

少なくともそんな指名感を持った生き方は
ボクは選択済みだと確認した2013年6月11日

2年前の今日は
まさにそんなことを考え
福島のいわきの海沿いの街へ行った

福島県いわき市豊間でごく個人的に考えたこと

2013
0611
PEACE!!

コメントをどうぞ