29ヶ月め

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今日は2011年3月11日から29回目の11日
2年5ヶ月
884日めの14時46分を迎えます。

戦後68年の猛暑の夏
抱えきれぬ思いにふけり
答えに至らぬ考えをめぐらし
しかし最後は美しさを頼りに
今年の5月に塩竈港から松島を巡る観光船から見た
空と海の絵を描きました。

東日本大震災は
68年前の敗戦と同等に意味のあることだし、
そう思うことが必要であると考えてきました。

ただ、悲劇の1つひとつは極個人的な事件であり、
そこに至る不条理は、かたや自然の力であり、かたや人為的なものであり、
自然災害と戦争を簡単に結びつけてはいけないなあ〜と

しかし、目の前に広がる津波にさらわれた破戒の地に立ち、
それが自然災害でも戦争であっても、
個人の喪失の意味はじっくり考えてゆこうとしてきた2年5ヶ月です。

震災の個人の喪失や悲劇を想像し、
あらためて戦災による喪失や悲劇を想像する。
今この瞬間に起きているであろう個人の喪失や悲劇と結びつけてみる。

そうやって失われた土地から世界を想像し、
あらためてボクが何を求めてこれから生きて行くのか、
68年とか幕末からの100数十年の歴史の中から削り出すような作業。

その1つがボクにとっては絵であると考えています。

津波被害に遭った塩竈の港は
まだまだ震災の爪痕は残るも、
しかし心の目が開いている限り、
ボクに美しさを与えてくれました。

終戦直後の焦土の土地で
人は何を見たんだろう?

今年はそんな想像を働かせることが多いです。

では、ボクたちはどんな風景を見ているんだろう?

そんなことを言葉出し合い、会話を生むことで、
1人ひとりの進むべき方向を確かめるなんてこともありますね。

ひとつ確信を持っていることは、
原爆を落とす行為はもはや戦争でもなく「屠殺」だってこと。

その技術を行使し
それによる利益までは想像したであろう偉い人たち。

しかし
それによって失われる善良なる個人に対する想像力には
あえてフタをしていたはずです。

ボクは核が脅威なのではなく、
人の有り様が恐怖です。

そのためにも
息子は広島にも長崎にも連れてゆこうと思います。
沖縄の摩文仁の丘で一緒に考えることもしてみます。
東京の街を歩き、昔ここでなにがあったのか話そうと思います。
そして、東日本で感じたことを、自分の言葉で伝えてゆきます。

そういった中で息子が恐怖に襲われ、打ち負かされそうになったら、
そんな時こそ「父親」を行使すればいいよね。

かなり気の長い考えですが、
そうやることで世界がちょっとでもまともになればなあ〜と願うのです。

2013
0811
PEACE!!

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