豊間、いわき、福島、東日本。
3月11日から3ヶ月後の2011年6月11日に初めて訪れ、
それから2ヶ月後の8月15日に再訪した土地。
ボクのこれからの表現や生き方のために。
息子に震災を伝える言葉にウソが無いよう。
この直後で訪れる山梨の昌福寺での個展現場で
作品の背景になっているものの「今」を伝えられるよう。
運が良ければ、いわきの郷土芸能
じゃんがら念仏踊りに出会えたらなんて思いながら、
常磐線に飛び乗り いわきを目指しました。
良く晴れた猛暑の夏の日の午後、
豊間のビーチは太平洋からの気持ちよい風が吹き抜け、
宇宙へのトビラを開いたような気持ちに包まれます。
(「宇宙」は「イマジネーション」と訳してもいいね)
2年前では見ることの出来なかったサーファーたちの姿に、
確かにあれから2年経ったんだって実感を持ちました。
そもそも豊間の砂浜が2年前より穏やかに広く感じたのは、
2年分の自然の治癒力によるものなんだろうかな?
豊間の先の塩屋崎の灯台の手前に広がる砂浜も、穏やかな表情で迎えてくれ、
その手前に広がる砂浜には、水遊びで来た観光客が何組も。
2年前も観光で訪れる人に出会ったけれど、
それは防波堤のこちら側で柵につかまり、
腰の引けた状態で恐怖の海と向き合っている、
そんな印象だったけど、
人はどこかで折り合いを見つけ、自ら癒しを生み出す力があるね。
しかし、社会がそうさせてくれないものになってしまっている
ここ20年だかの日本の歪んだ顔が心に浮かびもしてしまうんだよな。
そんなエレガントとも言えてしまいそうな風景から
堤防をひとつ挟んだ手前は、
2年前と変わらず時が止まったままの場所。
お盆の季節、少なからずの人がこの地に足を運び、
それぞれの場所で手を合わせたり、花を手向けたりの姿に出会いました。
そんな津波で失われてしまった「人の領域」の多くは
夏草に覆われていたけれど、
それは夏の美しさを感じさせるものではなく、
なんとも暴力的な、
緑色した津波のように感じられました。
そもそも「人の領域」なんてものもともと存在しなく、
ここもそこもどこも自然の領域であり、
ボクたちは空と海との間にチビッと広がる地面の上で、
謙虚に善良に生きているだけなんだなあ〜と、
震災から2年5ヶ月めに、あらためて強烈に実感。
だからこそ、
津波で失われてしまった善良なるもの、
その儚さと底なしの哀しみを
深く心に刻んでしまうのだー。
そういったことと真逆にあるのが
東京電力福島第一発電所の事故なんだろね。
津波被害を受けた海岸沿いの集落から内陸へ数キロ。
前回のその美しさについ途中下車してしまった
田園風景が広がる地域を今回も歩いてみたけど、
2年前には見られなかった米作を休んでる田んぼに出会ったり、
ここに来る途中にタクシーの運ちゃんが
風評被害で農家がずいぶん大変な思いをしているって話をしてたけど、
目の前の休耕田は、そんな現実の表れなのだろうか?
ただ、津波に呑まれた土地の夏草に比べ、
田んぼの雑草は明らかに人の手の入った土地ならではのもので、
そこに可憐な美しさを感じてしまうからこそ、
人の世の不条理な悲しみが増幅されたようにして
心に迫ってくるんだな〜。
ちょっとでも謙虚に自然と向き合えば、
人はつねに死と並走して生きていることに気がつき、
自然はつねに不条理なものであることも気づくことが出来ます。
圧倒的な不条理な存在に含まれ、
そのごく一部、
海抜0cmから200cmくらいの間でどうにか生きているボクたちが、
まだ手に負えていない技術を過信して使用してしまったこと、
一瞬で手に入る利便性と莫大な金と引き換えに、謙虚さの放棄。
1人ひとりの問題として向き合ってゆかねばならないなあ。
震災後の街では、復興に沸き立つ空気感の中で、
残虐な事件が多発していたってことも
タクシーの運ちゃんから聴いたけど、
津波で失われたものが人の心であっていいはずは無く、
そうならないよう考え続けるのが人であるはずなんだけど、
そうではないらしい。
そう思うと悔しくてね。
その悔しさが心の毒に変わらぬよう、
やはりボクは東日本と呼ばれる土地から
ボクが必要とする美しさを削り出し続けてゆくんだと思いました。
2013
0813
PEACE!!
追記
今回はじゃんがら念仏踊りに出くわすことはなく、
田んぼの向こう側から聞こえて来る太鼓の音だけを聴いて帰りました。
しかし、そんな距離感も人と自然との間で醸し出される風情だなあ〜と。
そして、お盆のこんな時期に青年が駆り集められ、
過酷な念仏踊りと共に、地域の新盆の家を巡る行事なんていうものは、
若い男どもの爆発しそうなエネルギーをコントロールしつつ、
顔の見える関係の地域を作り、犯罪を未然に防ぐなんていう目的もあったんだろうな。
そんなしなやかな人の知恵をボクたちは日本中で、
グローバル経済の合理性と引き換えに手放し続けながら
「今」はどこかに向かっている。