「花さくところ」小池アミイゴ花の絵展_宮崎

花さくところ
小池アミイゴ花の絵展

2025年10月26日(日)〜11月9日(日)
S.A.Lgallery
11:00-17:00 木曜定休日
作家在廊10月26-27日

イラストレターの小池アミイゴが描き溜めてきた花の絵を、
約束の場所、宮崎県都城のS.A.Lギャラリーに咲かせます。
花の絵の販売と共に、代表作となる絵本の販売や原画の展示も予定。
深まる秋に心安らぐ空間を創り、お待ちしております。

誰でも絵が描けるワークショップ
こころの花を描きましょう
11月1日(土)18:00~
参加費_1,000円(画材等すべて用意します)

表現の最初の一歩が幸せなものであることを願い、
小池アミイゴが日本各地で開催している絵の時間。
初めましての方の多い都城の展覧会会場で、
心通うクリエイティブな絵の具遊びが出来たらです。
土曜日の夜なので、乾杯も出来たらうれしいです!

S.A.Lgallery
〒885-0093
宮崎県都城市志比田町3778-2
0986-22-1435
https://www.instagram.com/s.a.l_gallery/

173ヶ月め_花まんごー


今日は2011年3月11日から5,267日
752週3日
14年5ヶ月後
173回めの11日です。

先日沖縄の友人よりマンゴーが届けられ、
そのお礼をFacebookのメッセンジャーを使って伝えようとし、
「まんごー」とタイプしたところで何かを押してしまい、
「まんごー」という名前のFacebookグループが出来てしまったようで、
多くの方から「招待ありがとうございます」とメッセージを頂き、
そしてきっと、それ以上の方にご迷惑をかけてしまったはずです。

まずはお騒がせしてしまったこと、ここにお詫び申し上げます。

そうした私の過ちに対し、
「招待ありがとうございます」と伝えて下さった方の多くが
「何が始まるんでしょうか?」「いっそ何かやってください」などなどのコメントを下さりました。

タイミングが7月20日投票日の参議院議員選挙の直後だったこともあって、
ボクが「まんごー」という名を使って何か考えているんだと期待されたのかもしれません。

そこで、
『みなさんが見たその辺で咲いている花の写真を、なぜその花を見たのかの簡単な説明と一緒にアップしてください』
『それに対してその花の絵を描いて返信します』
という企画を立ててみました。

ここに掲載されている60点の花の絵はこの企画で描いたものです。
(その後ポストされた写真1点はまだ描けていない、、)

ここで1人ひとりの花物語に触れることは避けます。

ただ、日本で「戦争」が語られる季節に、
今年はさらに「80年」というワードが添えられるタイミングで、
見渡せば1945年8月15日以前に生まれた方、戦争体験を語れる方がわずかになっている今、
ボクは花物語を伝えて下さった1人ひとり、その尊さを強く感じ、
こうした1人ひとりの物語が不当に失われてしまわぬためにはどうするべきか?
日々繰り返して考えています。

2011年3月11日から14年半。
自分が生まれたのは1945年8月15日からわずか17年3ヶ月後。
2025年8月から17年3ヶ月前のこと、
昨日のことのように思い出すことの出来るボクです。
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前橋市役所セッション


7月14日群馬の前橋市役所の職員とのセッション。

6月29日まで前橋の敷島のフリッツアートセンターで開催していた展覧会「まえばしスケッチ」で、ボクからの『この絵を前橋市のシティプロモーションに使ってみませんか』という偉そうな提案を、市のスタッフがキャッチしてくれ意見交換。

そもそもこんなプロジェクトが実現可能なのか?
『コアグループになる得る人を募って探ってみよう!』というセッション One

集まってくださったのは15名。
まだ実現可能か分からない案件のため、就業時間外、仕事の終わった直後の1時間をいただき、ボクも経費含めギャラは辞退し、フラットな関係で膝突き合わせました。


前橋で一番高いビルは県庁の建物で、前橋市役所の庁舎はそれに続く高さです。
都内まで100km、関越道と東北道とのアクセスはスムースですが、上越新幹線の駅は隣の高崎市にあります。
北に赤城山を仰ぎ、西は榛名山、その間に轟々と利根川が流れ、人々の足元から南に向かって関東平野が広がる前橋市。
海はありませんが、”まちなか”を流れる広瀬川や、桃の木川などなどの河川も多く、「水と緑の街」をアイデンティにしています。郊外では米や野菜作り、養豚などが盛んです。

過去日本の一大養蚕地帯であった群馬に在って、前橋は生糸の集積地として栄えましたが、1945年8月5日の空襲により市街地のほとんどが灰燼に帰した過去を過去を持ちます。
戦後復興を果たし商都として発展するも、日本の社会構造の変化と、国内有数の車社会の影響、そもそも失われた30年の波を受け、1990年以降”まちなか”は衰退。
しかし、”めぶく“を合言葉に、ここ数年起きている「新たなまちづくり」の動きが、全国的に注目を浴びていたます。

人の気質は、「荒っぽい」と言われる群馬の中では穏やかな方で、文化的な嗜好を持つ方が多い印象でいます。

ボクがザクっと認識している前橋はこんな。

ちなみに、平成の大合併でボクが生まれ育った勢多郡粕川村も前橋市粕川町になりました。
それによって、自分も「前橋出身」と語られることになるのですが、今だに慣れません、、

その魅力はなんだろうか?
まずは対面で1人ひとりに聞いてみました。

すると、ほぼ自分の認識と重なった回答がありました。

ならば紙とペンを配って、
「ともかく思いつくだけの前橋の魅力を書いてみて〜」とブレインストーミング。

以下、

田んぼ
金色の稲
赤城
おいしい水
山、山、山、平地!!
ぜいたくな広さの駐車場

雷、そして ひょう
グリーンドームの道から見る花火大会
誰もいない児童館
工科大でやるトランポリン大会
るなぱあく の木馬
前橋公園の夜桜
すきま がある
朔太郎がいた
夕焼けがきれい
朝日もきれい
夜景もきれい
雷が多くて停電にドキッ
広瀬川は用水路 でもきれい
義理人情
ネコがいる街
人なつっこい
自転車で遊べる
おいしいものが多い
赤城山には龍がいる
景色が四季折々で楽しめる
自然とたわむれる街
るなぱあく の親子
雪に埋もれた小沼周り
敷島公園沿いの桜並木を写真撮影している人たち
敷島公園で野生化した猫の大群
馬場川通りの若者
焼きまんじゅう(原嶋屋)
中央児童公園
ばら園
赤城の旧料金所
中央通りの入り口
敷島公園のボート
利根川の河川敷
中央病院
広瀬川の柳
赤城山
上電
田園風景
臨江閣
豚が名産
るなぱあく
利根川
広瀬川
白井屋ホテル
ブルーボトルコーヒー
敷島公演(バラ)
GRASSA
自然豊か
医療機関が充実
野菜がもらえる
木馬
八幡山 たか
空気、水が美味しい
暑い
風が強い
女子高生 立ち漕ぎ
人情
るなぱあく
かけっこ
おばちゃんトーク
赤城山からの風
北を探す時は赤城山
いちご
「なっから」という言葉が好き

欅並木の緑
るなぱあく の木馬
原嶋屋の焼きまんじゅう
空っ風に自転車で向かう女子高生
裾野が長い赤城山
まちなかがしゃれてる
めしがうまい
ほどよく田舎
晴れが多い
自然がいっぱい
温泉が多い
夏の広瀬川
夕方の県立図書館
田植えの後の田んぼ(湖みたい)
カエルの鳴き声(大合唱)
新緑の柳(広瀬川)
おせっかい(良い意味で)
空っ風
かかあ天下(働き者)
県庁からの眺め
おいしい野菜
前橋ウイッチチーズ
職員は真面目
まちなかと山エリアの差
スローシティ
赤城山
広瀬川
アート
古い街並みと新しさ
空っ風
ウエルカム感
人の近さ
太陽の光を感じる
色の豊かさ(茶色)
欅並木

「前」と「橋」という陽時ティブな漢字
海に憧れてるのは共通
利根川の「ゴー」という音
利根川の石の大きさ
平野パノラマ
水田
水田のカエルの声

以上。

これをテキストマイニングすると。

 

面白いなあ〜

ここに上がったワードは、全部絵にしてみますよ!

が、
ボクが風景を描く際に大切にしているのは『そこに人の気配を感じられるか?』

ある土地を訪れて、素晴らしい風景に出会っても、その記録は写真でいいじゃん。
なんだけど、
だれかひとりでもいい、「愛しきひとり」に出会うことで、風景はボクにとって描くべき意味を持ちます。

今回のフリッツアートセンターでの展覧会も、
当初オーナーの小見さんと出会うことで、描くモチベーションをいただくも、
展覧会を通して出会った1人ひとりへの愛しい気持ちが、また自分に前橋を描かせ、
それまで描いたものを超えた愛しい絵が生まれ、展覧会を成長させました。

市の職員がボクをキャッチしてくれたのも、そこを感じてくれたからのはず。

なのであと一歩、今回の参加者に近づいてみるワークショップ。
「わたしが今まで一番楽しいと思った前橋を教えてください」

これはずっと続けてきた一本の線を描くワークショップの形式で行いました。

以下。

次男の子守りで”さちの池”に遊びに行った時。
子どもの顔と景色が今でも鮮明に思い起こすことができ、幸せな時間だった。


仕事が終わった後に同級生と集まって、マックでMサイズのドリンクとポテトをつまみながら、
今日あった事やこれからなにをしたいか話して、夜の11時ぐらいに帰宅する。


私は中学生の時に、田んぼの道を部活の友達と赤い車に追いかけられながら走ったことが、
苦しくて楽しかった。


私は赤城山へ友達と登山に行きました。山の頂上から見た大沼と緑色の山々が本当にきれいでした。
沼から吹き上がる涼しい風が、登山後の汗をかいた体に心地よかったです。


私は、入職した年に初めてみこしに参加した時が楽しかった。


私は県外出身で、大学生の頃から前橋に住んでいますが、最近まで赤城山に登ったことがありませんでした。
職場の仲間5〜6人で初めて登山してみた景色。道中のコーヒー、滝のようにかいた汗が忘れられず、
その後登山の楽しさに触れ、色々な山に行くきっかけになりました。

私は、小学校の時に学校のマラソン大会で田んぼに落ちたけど、巻き返して一位を取れて嬉しかったです。

私は前橋市民文化会館で宝塚の公演をみて、客席降りてハイタッチしてもらって幸せでした。


小学生の頃、地域のまつり(子ども会)でのお祭り(太鼓の練習を3ヶ月前くらいからして山車に乗る)や、
上毛かるた大会に出場するため必死に練習したり、幼馴染みと過ごしたのが良い思い出です。


小学校の頃、先生に促されるまで放課後友達と校庭であそんだ帰り道、友達と用水路の葉っぱレースを初めて、
石爆弾を葉っぱに投げ合って、水の流れに沿って走っていたとき楽しかった!


雪の降り積もる中、「カーン」と竹の割れる音を布団の中で母と姉とじっとして聞く。
次はいつ割れるのであろうか?耳を澄まして待っている時。

部活の帰りに上り坂しかない道を「やいのやいの」他愛もないことを話しながら、
夕陽を浴びて歩いていた時。自然とだれかと過ごした時。


4月末ごろ近所を散歩していた時に、何も知らずに入ったら美味しくて、
お気に入りの居酒屋を発見した時。


同期と飲みに行ってふざけてる瞬間


子供の頃、自分の部屋から見える赤城山の、それはそれは深い緑の雄大な姿を、今でも強く思い出します。
その赤城山の色が、どんどん開発され、変化してしまったことを寂しく想います。


高校生の時の真冬、友人と2人で赤城山に向かって自転車をこいでいたら、
友人が風に煽られて田んぼに落ちた。


私が小学生の頃、前橋七夕まつりで七夕飾りをかきわけながら進んだこと。
妹と「キャーキャー」言いながら笑ったこと。


小さな頃に父と母と手をつないで夜の中央通り商店街を歩いた時、
人混みの中で何度もジャンプさせてもらい、街の灯りが揺れて見えたのが楽しかった。
(これはボクの思い出)

以上。

面白いね〜!
そして美しい。
色が紛れもなく前橋!

なにより、
市の職員15名から「楽しかった思い出」を聞いたら、
2人が「田んぼに落ちたこと」が楽しかったって!

このセッションの前日、
ボクは眼鏡のJINSを興した田中 仁さんからのお誘いを受け、
JINSの前橋サテライトオフィスに施設されたオブジェ「ばばっかわ男」のお披露目式に参加しました。

田中 仁さんは私財を投じ、民間主導で(もちろん官民連携で)アートによる前橋の再興を進めていて、
今回のオブジェをどのように考え製作設置したのか、作者の尾花賢一さんのお話と共に聞けることは、
とても貴重と思いました。

そんなお話の中で気になったのは、
「ばばっかわ男」に対し「気持ち悪い」という意見が少なからずあるとのこと。

自分から見ると、このオブジェは街の絶妙なポイントに置かれていて、
街に「気持ち良い不協和音」を与えてくれるなと。(JAZZ的な快感!)
そもそも造形自体「きもちわるカワイイ」(今の東アジア圏に通底する何か!)

スクエアに整備されがちな街に、山から転げ落ちてきた岩のような造形が加わることで、
街を歩く人が間接視野で捉える街が優しい印象に変わる効果があるだろうなと。
この作品とこの設置方法をポジティブに捉えました。

自分はビジュアルアートや音楽に関わってきたので、こうした捉え方の出来るアート脳が育っているから、
こうした捉え方が出来るんだろうと思います。

なので、前橋の街を利用する人が、こうした感覚を持てれば、街はもっとポジティブに発展するんだろう。
しかし、放っておいたら多くの人を取りこぼしてしまうのが「アートを使った〇〇」のようなプロジェクトだなと。

さて、どうしたらいいのか?なんて考え始めた次の日、この市役所のセッション。

集まったみなさんから掘り起こされた「楽しさ」と「ばばっかわ男の」造形が、
ボクの中では思いっきり重なったんよね。

ということは、
実は前橋に暮らす人の中に答えは埋まっているんだろうということ。

うん、もっと多くの「わたしが今まで一番楽しいと思った前橋」に出会ってみたい。

それを元に、必要なら取材して、絵にしたら、
それは今の前橋の、そして前橋に暮らす人の合わせ鏡のようなものになってくれるはず。

そこからボトムアップ的動きで、じゃあ何を誇りに思い、何を改善し、何を創造したらいいのか。
そんなエクスキューズを多くの人にシェアしやすい簡潔でリアル言葉で語ることが出来るんじゃないかと。

ちょっと壮大な話ではあるけれど、引き続き市のスタッフのコアグループの話し合い、
次にやるべきをことを導き出せたらいいなと考えています。

ところで、今回たくさん吐き出された言葉の中で、
「立ちこぎ」というワードに、何か前橋らしさを感じている自分です。

172ヶ月め


今日は2021年3月11日から5,236日
748週
14年4ヶ月
172回目の11日です。

参議院議員選挙投票日が近づき、
あらゆる方向からなんやかやの言葉が飛び交っていますが、
東北各県の候補者の公約を眺めてみると、
「震災復興」のようなワードはあまり語られなくなっているんですね。
ならば石川県は?と調べてみると、
なるほど、今回の参議院議委員選挙の争点は「物価対策」

「生活者の暮らしをいかに守るのか?」という問いに対し、
それを争点とすることで「票」が集まるという思惑の元、
各党各候補施策案を公約にしているのが2025年7月の日本の風景なんでしょう。

そんな今の「雰囲気」に呑まれることなく、しかし引いた位置では見守り、
自分は引き続き能登や東北や、群馬だったり地元のシブヤだったりに思いを寄せ、
政治では出来ない手法で、社会の幸せみたいなものにコミットした活動を重ねようと思います。


昨日は渋谷区地元小学校の5年生ひとクラスと1時間、そして6年生全生徒と1時間、
それぞれ自主性を持った探求学習のマインドにに火を着けるセッションに呼ばれました。

これは渋谷区が先進的に進める探求的学びのカリキュラム「シブヤ未来科」の時間を利用したもの。

5年生は、初夏から初めているバケツを使った米の栽培、から、収穫した米をどうするのか?
経営、商品開発、広報、出版などの視点から考えるというもの。

6年生は、地域の課題にコミットした学びを導き出すための、ごく初期段階のセッション。

旧来の『与えられた課題をひたすら覚え、応用力を高める』という学びでは、
社会に益をもたらすイノベーションは生まれないだろう。そんな危機感から、
『自分で課題を見つけ、自分で考え、自分で解決する道を探る』
そんな人材が育ってくれたらいいなという願いの元に考えられた教育プログラムです。

課題に対して当事者意識を持つことで、自主的な学びの意識が高まる。
そこに旧来の記憶&繰り返し&応用学習も必要に応じて組み込むことで、
バランスのとれた”ぶっ飛んだパーソナリティ”が育つことは、ポジティブなことです。

ボクは、震災以降被災地と呼ばれる場所のデカすぎる課題を前に、
絶えず考続けている人たちに出会いました。

当事者意識を持って絶えず考え、しかし被災された仲間同士の考えを否定することなく、
聞く耳を持ってさらに考えることで、いつかその場所に新鮮な発想を纏った何かが生まれる。

そんなことをたくさん見てきたので、
今を生きている子どもたちにも、ぜひそうあってもらいたいと思うのです。

もちろん、大震災や原発事故のようなものは起こってもらっては困るわけで、
そうした経験が必要というわけでな無いです。

未曾有と言われるような事態に直面しなくても、
たとえば、身の回りの他愛もないと思えることでも、ある人にとっては重大事だったりするので、
やはり日常で聞く耳を持った”ひとり”であることが重要だなあと。

聞く耳を持てるためには、まずは自信が表現することを恐れぬ”ひとり”であるべきです。
(そもそもなんでこんなにも表現を恐れなきゃならないのだ?日本の社会。)

子どもたちとのセッションも、ひとつのテーマに対し、思い浮かぶことなんでもいいからアウトプットしてみる、
ブレインストーミングを内包した簡単なアートセッションを行うところから始めます。

ボクが答えを先回りすることなく、ごく簡単な表現を利用し子どもたちのアウトプットを促すと、
出る、出る。

良きも悪しきも混在した子どもたちの言葉や発想は、
すべて愛しくて楽しくて、アウトプットし尽くした子どもたちの顔はみな湯上がりのように良い顔している。

良い顔出来てることは、心のゆとりをもたらし、
「じゃあ他の人はどんなこと語ったんだろう?」
なんて興味心に火をつけます。

そうして出会う「自分と同じ」だとか、「思いもよらぬ」だとか、
他者への興味が、実は自主性の発火点になることは、
ボクが呼吸をしてきたすべての現場で起こったことです。

今回の5年生も6年生も、大人の求める回答、もしくは「子どもらしい自主性」なんてものに答えようとして、
結果、エクセルやワード、キャンバといった道具を使うことが目的の学びに陥る可能性を感じてしまいました。

が!

そんな容易く「自主性」は芽生えなですよね。
そもそもオトナで自主的な探求が出来てる人って、ほとんど見たことないのにね、、
子どもには安易に求めちゃっていないだろうか?

目的は「自主的な探求的な学びを引き寄せる力を持った人の育成」で良いのだけど、
子どもたちの発想を一度更地に戻してやったり、
1人ひとりまったく別の「自主性の着火口」を一緒に見つける作業こそ、
オトナがコミットする部分じゃないだろうか。

というわけで、この学校で過去にトライしてきた通り、
見晴らしの良い発想の荒野に立つためのブレインストーミング。
そこで大量に吐き出した大量のワードをタイプし、
chatジピティ子ちゃんに食わせてパワーワードを生成。

さあ子どもたち!
AIが考えた凡庸な言葉をなぎ倒し
2025年のこの仲間だからこそ吐けるワードを導き出してくれ!!

アップした絵は、
1人ひとりが思う米の魅力を気持ち良い一本の線で表現したもの。
と、一部自分とのコラボ。 

ネットに転がっている素材を使ってアプリで小綺麗にデザインするより、
おめーら1人ひとりの破壊力は素晴らしいのだ!!

 

「まえばしスケッチ」謝辞


小池アミイゴ・イラストレーション展「まえばしスケッチ」
群馬の前橋の敷島のフリッツ_アートセンターでの5月10日から6月29日まで、50日間の会期を終えました。

まず、設営の際にお手伝い下さった群馬在住のイラストレーター丸山一葉さんと、今回のご縁の元となった2年前の前橋”まちなか”の陶器店「石渡」での展覧会を実現させてくれた石渡さんに感謝申し上げます。

アップした絵は、99枚のスケッチの中で唯一左手で描いた水仙の花の絵。

思い入れ深い前橋を描くことは、気になる風景に出会っては立ち止まり、自分を見つめるような作業。
ファイル名に「50」とある水仙の絵は、制作の折り返しで自分が抱えている「何か」を下すような作業だったかもしれません。

80年前の空襲で失われ、今は「平和町」と呼ばれる場所の、主を失った家の前で咲いていた水仙の花は、自分がこれから向かうべき方を向いてくれていたように思います。

あとの2枚は、
最後から4番目に描いた「県庁前でひとつ咲いていたコスモスの花」

そして最後に描いた「帰りの両毛線の中から見た前橋の街」

どちらも「あ、描きたい絵が描けた!」と思えた2枚です。

「こんな儚さが自分の前橋なのか」という発見と、
「この余白こそボクの愛する前橋なんだ」という確信を得られたことは、これから動き出す前橋での仕事に生かしてゆかねばです。

今回の展覧会では25点の絵がどなた様かの元に旅立ちました。
が、ここにアップした3枚は手元に残っています。

この価値観の余白を埋めるのか、色付けるのか、さらに広げるのか?
答えを急ぐことなく、さらに描く先で答えに出会えたらいいなと思っています。

思いがけず多くの方と出会え、多くの会話が生まれた展覧会。
久しぶりに会うことが出来た友人からは「小池は物静かだった」とか「何を考えているかわからなかった」とか「だいじょうぶかな?と心配していた」とか『あの頃の自』を教えてもらえて、19歳で後ろ足で砂をかけるようにして群馬を離れ、何者でも無い自分を振り回して生きた自分が、何者なのかちょっと確認出来たように思います。(てか、昔の友人が来てくれるんだ〜!)

などという展覧会。
この場と多くの出会いを与えてくださり、お互いの美意識のすり合わせから熱を起こしてくれた、フリッツ_アートセンターの小見さん、ならびにスタッフの皆さんに感謝申し上げます。

自分にとってフリッツでの展覧会は、展覧会というより、みんなで創ったLIVE。
本の森、baobab、エリ・リャオ&ファルコン、水と青、ドロップス、公園のおはなし会などなど、
ご一緒出来て、うれしかったぜ!

そのLIVEのアイをオーに変え LOVEへと育てて下さった、ここで出会ったすべてのみなさん。
愛してます。
ありがとう。

これは始まりの挨拶です。

20250510
20250629
アミイゴPEACE!!

171ヶ月め_前橋のこと


今日は2011年3月11日から5,206日
743週5日
14年3ヶ月
171回目の11日です。

アップした絵は、
現在群馬の前橋のフリッツアートセンターで開催中の展覧会「まえばしスケッチ」に追加展示した絵。

展覧会が始まって1週間後の5月17日、フリッツアートセンターでbaobabのコンサート
「かぜつちうた」を開催しました。

過去に何度かやってきたように音響を自分が担当し、
baobabが積み重ねてきたたことを大切に、お互い尊重し合いアイデアを出し合い、
この場所にアジャストさせたことで、フリッツという場所ならではのコンサートを目指します。

本番前には土砂降りだったの雨も上がり、リハーサルで高まった心の熱をちょっと冷ましておこうと、
マジックアワーの光に包まれた敷島を歩いてみました。

ああ、綺麗だなあ〜

池に浮かぶ白鳥ボートの可愛らしさ。
水道タンクとヒマラヤ杉が生む光と影の構図。
松林に斜めに差し込む光の帯の鮮烈さ。

人と志を共にし、ひとつの現場を創る作業は、
ボクに「美しいものをただ美しい」と思わせてくれる目を与えてくれるようです。

積もった松葉を踏んで歩く時の体が浮くような優しい感覚。
自分は今前橋を描いた展覧会を開催しているが、
その目の前に広がる風景を何一つとして描けていないと思う刹那。

直後に始まったbaobabのコンサートは、
やはりこの日この場所でしか生まれ得ぬ作品へと昇華しました。

あとは東京に戻り見たものを描くだけです。

baobabとは2008年に東京の渋谷で出会いました。

彼らの暮らしのある大分から車で移動しながらコンサートを続け、
最後に渋谷で開催していたボクのイベントに出てくれた。

その音楽に「若い兄妹が生きてきた時間だけがきっちり鳴っている」と直感し、
1ヶ月後に彼らの暮らす大分県、現在の杵築市山香という町まで足を運び、
森の中の古民家で半農の生活と、楽器作りや音楽活動を両立させる彼らの生き方に出会いました。

今振り返ると、その後に起きた東日本大震災に対しわずかでも正気を保ち向かってゆけたのは、
そんな彼らの暮らしに出会っていたことで、人間に対する希望を窒息させずにいられたからなんだと思います。

あの日から14年めの初夏、baobabと前橋でひとつの作品を創るような作業を出来て、
何かひとつ前進させることが出来たのではと思っています。


「まえばしスケッチ」という展覧会は5月10日から始まり6月29日が最終日で、
ちょうど1ヶ月が経ったところです。

baobabのコンサート以外でも在廊を繰り返し、来場される方と言葉を交わすことで、
自分のやっていることの意味がわかってきます。(自分はコンセプトを立てる前に体が動いてしまう)

より明快になったことは、
自分は前橋という街を喪失した心の痛みに対し、セルフケアのような作品制作をしている。
ということです。

子どもの頃に憧れたキラキラした街前橋は、バブル経済が弾けた頃から急速に寂れてゆく。
日本一の車社会と言われる群馬にあって前橋の市街地は、求心力を持つ観光スポットを持たず、
またその周辺に郊外型の大規模商業施設が出来たことや、人々の画一的な消費行動が進んだことで、
2000年代初頭には学校の教科書に「典型的なシャッター商店街」として掲載されるほどに凋落してしまう。

こうしたことは日本の各地で同時進行的に起きたことだけど、
それでも前橋の風景は、東京に出て「よそ者」となった自分でも心に傷のつくほどの凋落です。

これはボクの勝手な印象でしかないのですが、
『前橋という街は経済の津波にさらされ大切なものを流されてしまった』と。
実際、東日本で津波被害に遭った場所に立って「前橋みたいだ」と思ってしまったこともあります。

それでも「いつかボクの前橋を描かねば」と考え続けてきて、今回。

数年前より前橋をアートの力で更新させてゆこうという動きが生まれ、
多くの人が前橋に力を注ぐようになりました。
薄汚れて見えてた場所にやわらかな光が当たって見えるようにもなっています。

方や前橋の郊外である敷島では、
フリッツアートセンターという場所がオーナーの小見さんの美意識を保つ形で40年、
「敷島らしい」空気を模索しながらも醸成を続けています。

自分はそのふたつのエリア、前橋駅から街中を抜け広瀬川沿いに敷島までの5kmを歩いて、
目に止まるものを描くことで展覧会を作ってみようと考えました。

その5kmの途中に「平和町」と名付けられた街があります。
それは日本各地で、特に空襲による被害を受けた場所に対し与えられている町名です。

前橋では、現在の中心地の周辺部、街の賑わいの途切れたのどかな住宅街エリアが「平和町」です。

子どもの頃父から何度か前橋空襲の話は聞いていましたが、
こんなのんびりした場所まで爆弾を落とされたのか?という疑問から、
空襲被害に遭ったエリアを調べてみました。

ちょっと古い資料なので、
Googleマップに消失エリアを被せてみると、

なんと!
自分がボケ〜っと歩いている場所の半分は火の海だったのか、、

1945年8月5日の夜から6日の朝にかけて、
535名の命が失われ、6万人以上の人が焼き出された。
(その数時間後には広島で原爆が投下され、9日後には無条件降伏が国民に知らされる…)

自分が子どもの頃に憧れたあのキラキラした前橋は、
完全な焦土の上に再建された街だったんだと、あらためて…

わかっていたつもりだったけど、
自分は今回あらためてこの街を歩き、この街を自分の身体に刻み込むことで、
この街に暮らす人の視線に寄り添い、この街の何か美しきものを見つけようとしているんだろう。
それは自分の喪失感を癒す作業でもあるわけです。


人は焼け野原にボクが憧れたキラキラした街を造り、
焼け出されてしまったあるエリアを「平和町」と名付けた。

そんな街も経済の大津波に晒され、
ボク個人の感覚では喪失してしまった。

それでも視線をちょっと振ると、
どなたかの家の塀の脇に刈られずに残された小さな花と目があったりする。

そんなふうにして描いてきた絵を間に置いて、展覧会に来られた方と言葉を交わすと、
色々と気がつくことがあります。

まず、人が穏やかで優しいなあ〜ということ。
これは東京に出る前までに感じていたガラッパチさと随分印象が違います。
それはどうしたことか、さらに会話を重ねてみて、自分なりに考察してみました。

前橋は全国亭に有名で求心力のある観光スポットを持たない街、それも県庁所在地です。

過去には養蚕業から製糸業の核として、日本の経済を牽引する街でしたが、
昭和に入るあたりで失速し、戦争で街ごと焼かれてしまいます。

そんな歴史を振り返ってみると、
今回のスケッチは空襲に耐えて遺ったものを自然と街の象徴として描いてることに気づきます。

ともかく前橋は「何も無い」状態から、
ボクのような子どもが憧れるキラキラの街を再建させた。

そうした街を造るには、とてつもないパワーが必要とされるんだけど、
でも自分が憧れたキラキラ前橋はパワフルなだけでなく、優しかったように思い出されるんよね。

その優しさとは?
ともかく街を歩き続け、疲れた身体が気がついてくれたのは「余白」

過去の前橋には「誰でも居て良いと思わせる余白」あ、物理的にも心の領域にもあった。

メインの商店街を歩くと誰かと肩が触れちゃうくらいの人出でも、余白があった。

「誰でも」なので、ある意味清濁呑み込む街の懐の深さがあり、それは場合によっては危険も含むのだが、、

あれはもしかしたら、戦争で焼かれた街の人の心に宿り続けた刹那なる思いが、
他者に対しても「居ても良い場所」を与えていたのではなかっただろうか?

また、戦争による喪失は、街に暮らす人たちに文化に対する強い憧憬を生んだはず。
言葉に出来ぬ理不尽な出来事に無力を叩きつけられた人は、文学や芸術からその回答を得ようとします。

それはとてもパーソナルで静かな行いであり、そうしたものが徐々に束になってひとつの運動のように育っても、
大声で何か訴えるようなことでは無く、やはり静かに粘り強く続けられるようなものです。

ただ、ボクはそこから漂うほのかな香りのようなものに気がつき、
そこはかとない文化的に香りこそ前橋の魅力であると、幼いながらに気がついていたはずです。

父に連れて行かれたクラシックのコンサートや、母に連れられていった演劇などなど、
今振り返ればなんて凄い表現者たちを前橋は呼んでいたんだと思う。

 

そうしたものを高度経済成長期の最後の方にキャッチし、良きものと捉えるも、
世の中のほとんどの人が「中流」を意識し始めた80年代、
バブル前夜の前橋がどんどんと漂白され、表向きオシャレな装いを見せ始めたのには違和感を感じ、
ふと気づくと自分の居て良い場所が見えづらくなっていなかっただろうか。

古く使い勝手が悪いから「しょうがない」取り壊された前橋駅の駅舎のことを、
自分は事あるごとに個人的喪失として思い出したりしています。

もちろん「誰も」が住みやすい街づくりに、自分の憐憫の情など関係無いのだと思うのだけどね。
でもそも「誰も」がなんだか生きづらさを感じているのはなんでだろう?

そうして前述するように個人的な喪失を感じるほど衰退してしまった前橋の街ですが、
ここ数年で新たな魅力的な顔を見せるようになっています。

そこには、たとえば成功を収めたJINSの田中仁さんのような民間の力が投下したお金や発想、
そこに集う人の力、そこから育つ人の力、そして行政との噛み合わせの妙があります。

では、それはなぜ実現出来たのか考えてみると、
極論だけど前橋にお城が無かったことではないかななんて思うんよ。

立派なお城がある街の人は、その力を活かそうとする街づくりをするんだけど、
前橋には城が無い。

力強くアイデンテティとして語れる産業も、そもそも街そのものを空襲やバブルで失っている。

遺されたものは「危機意識」だけってくらいなんだけど、
しかし、お城のようなもの、極論すれば富士山のような象徴が無い分、
前橋の人は危機意識をエネルギーに、あとは何物にも囚われぬ軽やかな発想とマインドで、
新しい街作りに取り組めたんじゃないかな。

新しい街の姿がちょっとでも見えてきたら、
もともとの人の優しさが「あなたの居て良い場所」を可視化させる力を発揮させてくれる。

あれ?
もしかして前橋は「軽い」という言葉を今の日本に必要なポジティブなものに更新させ、
なんなら社会の価値観も良い方に変えてしまう力を持っているんじゃないか?
なんて思い始めています。


求心力のある観光スポットは持たぬが、街が余白だけになりかけてしまったが、
人の気持ちに覆い被さる余計なことは、街を流れる利根川や広瀬川の豊かな水が、
そして上州名物赤城降ろしの空っ風がどこかに流してすっ飛ばしてくれる軽やかな街。

それが魅力だと思うと、
前橋には希望しか感じられないぜ!と思うのはボクだけだろうか。

ところでこの感じ、
ボクは福島県の福島市の街中で起きていることと似ているかも。

震災と原発事故を経験した福島。
それはある意味「何も無い」というくらいの場所まで人のマインドを落とし込むも、
その危機感があるからこそ、人は考え続け、人と人のつながり大切に育て、
人と人の間に生まれる発想を生かして、今。
「誰でも居て良い場所」があちこちに感じられる優しい街に変わってるイメージ。

これからの前橋が、東京を頂点とする中央の価値観に追従するとは考えられず、
しかし、福島の街の人たちと繋がることには、価値を感じるなあ〜。
もしくは、大分の山間の町baobabの暮らす山香とかね。

そんなことを思えるのは、日本の社会が画一的に漂白されてゆく時代に争い、
人の弱さを慈しみ美しく生きることを良しとし、ツッパらかって本屋なども営み40年、
前橋の優しい文化の生命維持装置のような敷島のフリッツアートセンターという場所が、
前橋の過去と今をパラレルに見せてくれるからなんだろう。

フリッツアートセンターでの展覧会「まえばしスケッチ」はあと2週間ちょっと、
6月29日が最終日です。

『まえばしスケッチ』小池アミイゴ イラストレーション展
フリッツ・アートセンター / ギャラリー
 2025年5月10日(土) – 6月29日(月・祝)
11:00-18:00
入館料 _無料
休館日 ‖ 火曜日(祭日の時ははその翌日)

〒371-0036  前橋市敷島町240-28
Tel. 027-235-8989
web. theplace1985.com
mail. info@theplace1985.com

ボクの在廊予定は
6月15日(日)、16日(月)
6月27日(金)、28日(土)、29日(日)

最終日イヴの28日には、エリリャオとファルコンをお呼びして、
架空の絵本の世界を唄で表現する試みを行います。

ライブ + ワークショップ
エリ・リャオ + ファルコン c/w 小池アミイゴ
6月28日(土) 18:30 開演(開場 18:00)
フリッツ・アートセンター


15日午後と29日午後にはそれぞれお話会が行われ、
15日はガザと渋谷の子どもたちを絵で繋いで作った絵本「みんなで見た こどものえ」で、
ボクが子どもたちに行ったセッションを再現して体験してもらえます。

などなど、
もはや終わってしまうことの喪失感が込み上げてくる展覧会に育っています。

 

 

170ヶ月め


今日は2011年3月11日から5,175日
739週と2日
14年と2ヶ月
170回目の11日です。

今日5月10日から、群馬の前橋の敷島にあるフリッツ・アートセンターでの個展「まえばしスケッチ」が始まりました。
https://yakuin-records.com/amigos/?p=16456

初日は敷島薔薇園と敷島本の森のお客様が重なり、地方での展覧会にこんなにも人が来てくれるんだ〜!という驚きの1日。
テーマが地元前橋を描いた作品群なので、老若男女多くの方が絵の前で立ち止まり語り合い、さらにはボクに前橋愛を伝えてくれました。

夕方には地元新聞の取材が入ったのですが、
記者とボクとで話が弾み、自分がやっていることはどんなことなのか?を探る会話が4時間。。

それだけ語り合えるだけ、今の前橋は新しく生まれ変わろうとしている。
しかしその前は個人的に「喪失」を感じるほどに寂れてしまっていました。

インタビューの中で、自分が東日本大震災発災直後に東北に弾き飛ばされるようにして向かった理由の中には、前橋という美しき憧憬の街の喪失と東北の太平洋沿岸部の喪失とで何が同じで何が違うのか?そんな探究心もあったのだろうと気がつきました。

震災後の東北を歩いて育った目で、今あらためて見る前橋の街。

そこから生まれた絵に向き合って下さったみなさん1人ひとりが、それぞれの前橋を語ってくれた。

こんなアウトプットがあって、はじめて「より好ましい街」についてのアイデアが生まれるんじゃないかなと。
今回シャカリキになって前橋を描いた意味にあらためて気がついた展覧会初日でした。

「まえばしスケッチ」は6月29日まで。
この期間で前橋に対し貢献出来るとこと探り実践できるよう、
この展覧会をさらなるコミュニケーション場へと育ててゆこうと考えています。

という自分の思惑や理屈は関係なく、
みなさんがこの展覧会を楽しんで頂けることを願っております。

4月17日は能登でのフィールドワーク。

2年前の夏に「なんて見事な田んぼだ!」と感激し、田んぼ仕事してたおじさんにその理由を尋ねた場所は、川になってしまってた。

昨年元旦の地震で土地の隆起と陥没が重なり、川の流れが変わってしまい、田んぼだったところに川が入ってしまったとのこと。

2年前のことはこちらに綴ってあります。
しかし、おじさんが大切に育てた田んぼの土が流された今、田んぼの復活は可能なのだろうか?

この日はこの近所に暮らしている別のおじさんと立ち話。

震災後、一旦はここを離れたが、やっぱり生まれ育ったここがいいから帰ってきた。

「ここはね、きれいなところなんだよ」
「ここ歩いて花を見て、今は飛行機雲が見えてるけど『あれは晴れてるから見えてるんだ』と思うのがね、いいんだよ」
「気持ちが沈んだ時は、ここから海岸線グルっと回ってくると、気持ちが晴れてな」
なんて語ってくれるもんだから、ついハグしちまったぜ。
「でも自然というオバケがきちゃったんだ」
「こんなことは考えたこともなかった」と。
そうか、、
「また元気で会いましょう!」と声かけあって別れました。
その後チャリティ企画のお手伝いをした輪島塗の田谷木地店のたくじさんと合流し、
能登を巡りながら輪島塗の今を伺いました。

農業も輪島塗も自然との共生と人の絆で育まれ保たれてきたこと。
しかし今まさに危機に瀕していることの確認。
それでも希望を感じさせる人の存在があること。
引き続き応援は続けるのは当然として、
じゃあ自分は何を描けば良いのか?
想像力のケツを蹴り上げつつ、 大切なのは理解じゃなくて、まずは認知。
まずは人として当たり前の目を持つこと。
では当たり前とは?
ともかく続けます!

169カ月め


今日は2011年3月11日から5,145日
735週
14年1ヶ月
169回目の11日です。

3月に開催したボクの個展「東日本」能登の杣径に合わせて行った能登半島地震へのチャリティ、
輪島塗レスキュー「ぬりだくみ」にたくさんのご賛同を頂けたことに感謝します。

輪島の木地屋さん田谷漆器店 桐本拓ニさんが尽力されて来られた輪島塗レスキュー活動を、
3月15日、個展最終日の青山yuiで、
そして16日と17日は地元のパン屋ルヴァンのご協力の元、三日間開催。

16日は「お座敷演芸会」と称し、小唄、落語、紙芝居を楽しみながら、
能登や輪島塗の今を「楽しく」知ることの時間が作れました。

こうしたことは一時的なアクションで終わらすでなく、愚直に続けてゆくことが、
被災の対岸にある者に求められます。

1人ひとり出来ることには限りがある。
しかし、1人ひとり出来る範囲のことを無理なく、可能であれば楽しく続けることは、
ほんと力になるんだから〜!

ということを自分は東日本で学んできました。

もちろん、それで誰も彼も救えるはずは無く、
自身の無力を絶えず自覚し続けなければです。

その自覚の上で、せめて困難な立場にある人への想像力だけは絶やさず、
なんなら想像力の尻を蹴り上げ前に進めさせるようなことは必要と思います。

今回のチャリティを持ちかけてくれた澤村愛さんは、
能を舞い、特別支援学校で紙芝居を上演する方。

先日、今回のチャリティでの輪島塗りの売り上げを報告くださりましたが、
え!?
1,225,000円の売り上げがあり、
被災された職人さんや木地屋さんそれぞれ、

新屋さん68万円

余門さん165000円

田谷さん38万円

と分配されたそうです。

すげーーー!


今回輪島から輪島塗を運んで売ってくれた桐本拓ニさん、
東京に来る直前で右手を骨折。

輪島で長年暮らしてきた家が地震の被害に遭い、
東京に来られる直前に取り壊しになった。
そのの様子を写真に撮りながら色々考えていたらフラッとして倒れ、
腕をつき、、

痛みを我慢しながら東京へ。
「どうやって代々木八幡駅行ったら良いのか」と、
超絶人混みの新宿駅からSOSを投げてきた。

そういや人ってこういうことなんだよなと。
東京の生活に慣れ、いかに東京で颯爽と振る舞えば良いのか実践しちゃっていないか?俺。
なんてことを振り返って考えた、人との出会い。

今回ボクたちは仲間を募り、能登力になれるようにとチャリティを企画し、
想像を超える多くの方のご賛同を得た。

そのこととと同じくらい、
ボクは能登輪島に拓二さんというひとりの友人を得たこと、
これも重要だし、能登をはじめボクたちがこれから生きる社会の希望だと思いました。

2025
0315
0317
PEACE!

ところで展覧会情報をふたつ。


小池アミイゴ個展「まどをあけて」
2025年3月29日(土) – 4月20日(日)

3/29(土)・30(日)・4/20(日) 作家在廊予定
デジタルマガジン「まどをあけて」(ダイハツ)で連載のイラストエッセイ「日本各地、コトづくり旅」に寄せた作品。
旅先で見つけた場所や、そこであたりまえに日常を営む人々の姿をお愉しみください。
古本屋「かえりみち」
〒484-0083 愛知県犬山市犬山東古券661
Tel:090-9749-9895
かえりみちへの推薦経路


絵本「はるのひ」原画展

3月22日(土)〜4月19日(土)
メルヘンハウス2階ギャラリー
10:00~17:00

*お休み_3/28~30、4/6.7.14

アミイゴのアートセッション
◯子どもセッション「覚王山で、はるの美しさを探して、美しいはるの絵を描こう!」】
日時:4月19日(土)10:00~12:00(9:45集合)※雨天決行
メルヘンハウス集合→日泰寺→揚輝荘→メルヘンハウス
参加費:1,000円
小学生〜中学生の子ども10名(大人付き添いウエルカム)
申し込み方法
メルヘンハウスHPの「お問合せ」より
題名に「子どもセッション」と記載
メッセージ本文に
①参加するお子さんのお名前
②連絡先電話番号
③参加人数(兄弟、友達など複数の場合)を明記の上、
お申し込みください。なお、お申し込みは先着順となります。
◯トークショー「美しさとはなにか?」
日時:4月19日(土)13:30~15:00
場所:メルヘンハウス2階ギャラリー
参加費:1,000円
参加人数:大人15名(先着順)
申し込み方法
メルヘンハウスHPの「お問合せ」より、
題名に「トークショー」と記載
メッセージ本文に
①お名前 ②連絡先電話番号 ③参加人数(友人など複数の場合)を明記の上、お申し込みください。
◯サイン会
日時:4月19日(土)15:00~17:00
場所
メルヘンハウス2階ギャラリー
※サインにつきましては今回の原画展会期中にメルヘンハウスにてご購入された本に限ります。
メルヘンハウス
〒464-0064 愛知県名古屋市千種区山門町1丁目11 1階3号
TEL:052-887-2566

 

『まえばしスケッチ』小池アミイゴ イラストレーション展


『まえばしスケッチ』小池アミイゴ イラストレーション展
フリッツ・アートセンター / ギャラリー
 2025年5月10日(土) – 6月29日(月・祝)
11:00-18:00
入館料 _無料
休館日 ‖ 火曜日(祭日の時ははその翌日)

〒371-0036  前橋市敷島町240-28
Tel. 027-235-8989
web. theplace1985.com
mail. info@theplace1985.com

後 援_群馬県・群馬県教育委員会・前橋市・前橋市教育委員会・各報道機関


群馬県前橋市の開放的だけどどこか懐かしく美しい場所「敷島」にあるフリッツ・アートセンターで展覧会を開催します。
名付けて「まえばしスケッチ」

ボクが子どもの頃に憧れであった良き人々が沸き立つように集う美しい前橋への憧憬と、新たな風に吹かれ再生しようとしている今の前橋への恋心みたいなものを、シンプルな絵やスケッチにして展示する予定です。

「人は美しさで生きられるのか?」「ほんとうの幸せってどんなことだろう?」「子どもたちの未来はどんな姿が好ましいのか?」などなど、みなさんと語りえる余白のある展示を目指しますので、ぜひ足を運ばれてくださいませ。

以下フリッツのオーナー小見さんの言葉。

前橋に生まれた 小池アミイゴさん。少年のころ、町へ行くのが楽しみで、駅を降りて小走りで向かった風景は忘れていないと言う。50年経ち、そんな風景にもう一度出会いたくて、同じ道を歩きます。今度はスケッチブックを持って、敷島公園まで ….。

この展覧会では、この春に前橋で描かれたものを中心に、知床、能登、福島、台湾と、今まで各地で描かれたスケッチや絵本の一場面も。また「敷島。本の森」開催の、オープニングでは敷島公園周辺を描いて展示を仕上げます。

5/17 には、大分から兄妹のユニット “baobab” を招いた待望のライブ。そして会期の最後には、台湾出身の歌い手 “Eri Liao” さんとのコラボライブ。架空の絵本を仕上げて、未来につなげます。

以上、
うわ〜〜、てんこ盛りだ、、
頑張らねば。

イベント

◉ opening sketch『敷島。本の森』
5月10日(土)・11日(日) 11:00-16:00あたり
・2011年から始められた『敷島。本の森』。たくさんの本屋とコーヒー店が公園の松林に並びます。
小池アミイゴさんは公園内でスケッチを行い、その作品もギャラリーに並べます。


◉ ライブ

『baobab』~かぜつちうた
5月17日(土) 18:30 開演(開場 18:00)
チケット販売開始 : 4月17日(木) 10:00
料金 : 前売り_4,000円 当日_4,500円

大分県 山香にあるカテリーナの森を本拠地に
多彩なアコースティックサウンドを奏でつづける兄妹ユニット baobab の
待ちにまった フリッツ・アートセンター公演の実現です。


◉ ワークショップライブ
エリ・リャオ + ファルコン c/w 小池アミイゴ
6月28日(土) 18:30 開演(開場 18:00)
チケット販売開始 : 4月17日(木) 10:00
料金 : 前売り_3,000円 当日_3.500円

誰でも描ける簡単な絵のワークショップとライブ。
画材等すべてこちらで用意します。

小池アミイゴが「日本で一番すごい唄うたい」と推すエリ・リャオと盟友のギタリストファルコンを迎え、
唄にまつわる架空の絵本「うたうーさん」の世界を旅します。

小池アミイゴ
1962年 前橋市出身。イラストレーター・画家。一般社団法人東京イラストレーターズ・ソサエティ前理事長。長澤節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学ぶ。書籍や雑誌、広告等の仕事に加え、クラムボンなど音楽家との仕事も多数手がける。2000年以降は日本各地を巡り、地方発信のLIVEイベントや絵のワークショップを重ね、近年では、台湾など海外まで活動の場を広げる。
絵本に『とうだい』(斉藤倫 文 / 福音館書店)、『水曜日郵便局 うーこのてがみ』(KADOKAWA)、児童書の挿絵に、『小さな赤いめんどり』(アリソン・アトリー 作 / こぐま社)、『こぐまと星のハーモニカ』(赤羽根じゅんこ 作 / フレーベル館)などがある。
2022年、『はるのひ』(徳間書店)で第27回日本絵本賞を受賞した。


baobab
Maika : Vocal / Fiddle
Mirai Matsumoto : Vocal / Guitar etc…
https://www.baobab-csf.com

サポートメンバー
田辺玄/guitar
和田尚也/bass

2004年結成。Maika (歌 / fiddle) 、古楽器製作家でもある松本未來を中心としたアコースティックサウンドを奏でる兄妹ユニット。結成当初より大分県山香町を活動の拠点とし、小さな場から発信する音楽表現、ものづくりや土に根ざした生活の中から生まれる音づくりを続け、二人の音楽的ルーツであるトラッド、古楽、フォークを自由なアレンジとスタイルで生み出している。

2007年のニュージーランド全20公演の海外ツアーを経て4枚のアルバムをリリース。自主制作でつくられたアルバムはインディーシーンでロングセラーを記録。CM、映画への楽曲制作も行う。これまでに数多くのミュージシャンとも共演を重ねる。カテリーナの森で、森全体を自らデザインし、自然環境と人、音楽やアートと暮らしの融合をテーマにした音楽祭”Sing Bird Concert”を14年間主催してきた。その活動は多くの共感者を集め、地域からの表現発信の核となっている。
写真家・川内倫子とともに映像作品を制作。
2019年 baobab+haruka nakamura名義で「カナタ」を発表。
2022年5月、スコットランドツアーを敢行。
2024年 baobab 20周年の節目に土着をテーマにした待望のフルアルバム『かぜつちうた』を発表した。

◎ エリ・リャオ

https://eriliao.jimdofree.com

台湾・台北生まれ。東京大学文学部宗教学科卒業。同大学大学院から、コロンビア大学大学院芸術学科に編入。ルーツである台湾・タイヤル族についての研究をやめて、ずっと一番好きだった、歌をうたうことを人生のメインにと中退。
歌うのは、生まれ育った台湾の歌、日本の歌。新しい歌、古い歌。ジャズ、ポップス、ボサノバ、外国民謡、ニューヨークで習ったジャズ、沖縄・日本の民謡。自分のうた、友人のうた、すごいうた、言葉のないただの声 …. 好きな “うた” たち全部。



◎ ファルコン
(ハルカストリングス)
https://falconguitar.jimdofree.com

ボーダレスな分野で活躍するギタリストファルコン。
彼がコンボーズしエリ・リャオが歌う「ハルカストリング」は、ヴァイオリニストのマレー飛鳥主催の飛鳥ストリングス3名を迎え結成。エリ・リャオによる多言語の歌唱と多様な弦楽器が織りなすフォークロアな世界観を表現する室内楽編成のユニットとして、その演奏に出会ったすべての人に異次元の感動を与えています。2023年1st.アルバム『風の中の夢』を発表。

168ヶ月め_大船渡へ、能登へ。

今日は2011年3月11日から5,114日
730週4日
14年
168回目の11日です。

あの日から14年を振り返るどころではなく、
大船渡の山林火災で大変な思いをされている方への想像力を働かせる今です。

自分が東京で出会った大船渡出身の友人は、東日本大震災の津波でご実家が被害に遭い、いつか大船渡の力になれることを願い東京で働き、満を持して故郷にUターン。その後ご結婚されお子さんが生まれて今回の山林火災。
高台移転された家から小さなお子さんを連れて避難所に避難しているところで連絡が付きました。

避難解除が出て帰ってみるとご実家は無事だったとのことですが、沿岸部で被災され高台に移転された方の少なからずが大きな被害に遭っていることに、行き場の無い悲しみを感じてしまっているとのこと。

被災の対岸に暮らす自分ですが、あの日から14年経ってもまだまだやれること、やるべきことばかりだなと。
引き続き東北に心寄せてまいります。

アップした絵は2021年にフィールドワークした大船渡の風景。
「高台」と言われる場所にお家が何軒か並び、そこから見えるリアスの海では牡蠣の養殖の筏が並び、ボクの足元ではたくさんのフランスギクの白い花が太平洋からの風に揺れていました。
*その時のことはこちらに記しています> https://www.daihatsu.co.jp/lyu_action/book/no03/madowoakete03/

この美しい場所は被害に遭っていないだろうか?
時を見て、また足を運んでみるつもりでいます。

大船渡のみなさま、まずはご健康であられますよう心よりお祈り申し上げます。

自分は今「東日本_能登の杣径」と名付けた個展を開催中です。

昨年の元旦に発生した能登半島地震と9月の豪雨、その被害の深刻さに触れ、無力感に首まで浸かるも。それ以前に出会った豊かな能登への恋心のようなものにフォーカスし、描いた絵を展示しています。

連日足を運んで下さる方と能登にまつわる会話を重ね、描いた絵を指差し「この場所にはこんな思い出がある」とか、「ここにはこんな花が咲いていた」とか、「ここで会った人と見たものは」などなど、それは拙い経験でしかないのだけど、自分なりの「能登物語」をシェアする展覧会になっています。

言葉で伝えきれぬ能登の魅力を人に伝えられる、もしくは、言葉にしづらかったことを一枚の絵があるからこそ言葉できる、それは結局とてもイラストレーション的なことなんだろうな。

そんな絵1枚1枚をなぜ自分は描いたのか?

風景でも、花の絵でも、人の姿でも、自分の中の何かが共鳴して「描きたい!」と思うわけなんだけど、その「自分の中の何か」とはなんだろう?

何かを見るということは、実はそのほとんどすべては「自分に都合の良いものだけ」を選んで見ていたりするんだろうなと。
私たちは日々「見ているようで見ていない」と「見るとも無く見ている」繰り返して生きているはずで、そんな「見る」が「描きたい!」になる瞬間、自分の中の何と共鳴しているんだろう?

「都合の良いものだけ」を「生きるに足るものだけ」と置き換えると、より自分のやっていることに近づいた表現になるはずだけど、自分の場合は「描きたい!」から行き先を決めず描き始め、描きながら自分の中に埋まっているものと会話し、ある瞬間自分の中の何かと接続した瞬間、絵が完成するって感じです。

じゃあ「自分の中の何か」とはなんだろう?
それは子供の頃の穏やかな記憶だったり、ある時受けた心の痛みだったり、人を傷つけてしまった後悔だったり、息子が生まれてからしばらくの凪のような日々の記憶だったり、、
今なら、東日本大震災の被災地で出会ったことも、たとえば能登の風景をボクに見せてくれるスイッチになっているはず。

ただ、自分が描いた1枚の絵が、実際は自分の中のどんな記憶と接続しているのかは分からず。
なんだけど、でも確かに過去の何かとは接続している実感のある絵は、「分からない」からこそ答えを出すことの無い揺らぎを抱えたまま、自分と絵に向き合って下さる方との間に、優しく誠実な会話が出来る余白を作ってくれ、ボクはお客様と能登について、大船渡について、東日本について、時間が許す限り会話を続けられています。

このことは、自分の命が続く限り止まることはないだろうし、止めるつもりのないのです。

2枚目にアップした絵は、2017年5月に会津で出会った風景。

会津は自分が知る限り日本でも最も美しい光に出会える場所。
それを描くのはとても大変なことで、この風景を自分は何度も描いてきました。

東日本大震災の痛ましい被害の現場を歩き、そのリアルを自分の中に刻み込む作業の隣には、
描くべき美しいものとの出会いもあり、そのポジティブなマインドこそ、息子たち世代に渡してゆきたいものだと考える今です。

小池アミイゴ個展 東日本「能登の杣径」@青山space yui
2025年3月6日(木) – 15日(土) *休_9日(日)
12:00~19:00 *最終日~17:00マデ
space yui
〒107-0062 東京都 港区 南青山 3-4-11ハヤカワビル1階
TEL : 03-3479-5889