‘東日本大震災’ タグのついている投稿

108ヶ月め

2020 年 3 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から3,288日
469週5日
9年
108回目の11日です。

1年後には10年となりますが、
これからの1年は、10年を「節目」と呼ばない生き方をしなければならない、
そう考えています。

2011年3月11日、
前日に亡くなった坂上二郎さんを偲び、
コント55号のDVDを見ていた2時46分。

それから7年、2011年3月11日はたえず去年のことのように感じてきて、
しかし、一昨年の3月のこの時期に父を亡くしてからは、
その記憶が間に差し込まれた向こうに感じる3月11日となっています。

そして、2年前に亡くなった父に関することを、
今だに何もできていないということに驚き、

たとえば、
2013年3月11日に、震災で被災された方々がどんな心情であるのか想像している今。

やはり想像力には「節目」をつられないボクです。

3月11日の今日、
岩手日報で続けられている”いわてのテとテ“を今年も絵でお手伝いしました。

今年は、震災の夜にトラックのおじさんたちに助けられた子どもたちが、9年後に感謝の手紙をトラックのおじさんたちに届けた物語。
リンク先、ぜひチェックしてみてください。
>> https://www.iwate-np.co.jp/content/…/newspaper/2……00311.html

ここにも「節目」など感じることのできぬ、
人と人の繋がりが生きています。
生かされています。


先日は福島県奥会津の昭和村で本年度の子どもワークショップ、
“アトリエしょうわのこども”のセッション2を行いました。

現在の人口が1200名ほどの昭和村で、
過疎による人口減と伝承技術消滅の危機に対して発案された、
からむし織の継承者を育てる”からむし織姫体験制度“が始まったのが1994年。

それから26年後の昭和村、
それまでの経過を知らぬボクですが、
「昭和村ならでは」を感じた今回です。

ボクが向き合った子供達は、今回は0歳から小学5年生まで。

こうしたワークショップは日本中で開催してきましたが、
未就学の子どもたちはどこでも変わらず子どもらしく、
しかし小学生に上がるくらいから地域やコミュニティーによる特徴が見えてくる傾向にあります。

昭和の子供たちは小学校に上がっても良い意味で子供っぽくあるのですが、
他の土地の子どもたちが良く使う「ふつう」という言葉を使わないなと。

子どもたちとなにかクリエイティブなことをやろうとする時
「ふつうそんなのやらないよ」なんて言われるのがなかなか辛い、、

「普通かあ〜」「じゃあ普通って?」そんな会話からクリエイティブを振り出しに戻すことがしばしば。

もしくは、きつい天然パーマのボクの頭が「ふつうじゃない!」みたく盛り上がっちゃったりね。

で、昭和の子どもたちもボクの頭をいじってくるのだけど、
それがほんとに面白がっているのが伝わってきて、ちっとも嫌な気がしないんだよね。

そういえば、村の中を歩いていてお年寄りとすれ違ったとして、
みなさんスッと通り過ぎてくれる。

ボクなんか地方の小さな村や町を歩いていると、
そのまま不審者で通報されてしまうんじゃないかって存在感なはずです。

でも昭和のお年寄りはボクの存在を「当たり前」として見てくれるのか、
その視線に「好奇」や「疑い」を感じることなく、
軽く会釈しスッとすれ違ってくれるのが、気持ち良い。

「普通」を使わぬ子どもたち
「当たり前」を生きるお年寄り

それは、昭和村が外の人を受け入れることで生きる道を選んだからじゃないかな〜〜?
どうだろう。

1st.セッションで子どもたちがお年寄りから料理を教えてもらい、
絵を描くワークショップをやったけど、
その時のお年寄りのみなさんの教え方の上手さ!優しさ。。

これはものすごい財産なんじゃないだろうか。

公民館に貼ってあった昭和村小学校全校27名の新年の書き初め、
その字の確かさに、習字を指導された方の愛と情熱を感じるんだよな〜。

今回のセッションでは、リラックマを描きたくて仕方ない3年生女子がいて、
もちろんここは学校のカリキュラムを行う場所じゃないので、とことん描いてもらうわけで。

で、仕上がった絵を見てみると、
たしかにリラックマなんだけど、線が気持ち良い!
ちょっとしたデザインのセンスを感じたりするくらい線が確か。

で、みんなで村の”からむし博物館”や”工芸館”を見に行って、
印象に残った絵を描いてもらったら、
やっぱリラックマちゃんのデザインセンスが素晴らしくて、
コラボ作品を作ってしましました。

これには村のオトナさんたちも「おお〜!」

もちろん彼女だけでなく、
クリエイティビティぶっ放す子どもたちばかり!

「子どもたちに自由やらせる」とか「自主性に任せる」じゃなくて、
「子どもたちが自ら見つける自由を守り、自主性を生かすコミュニケートを重ねる」
そんなことを意識してやったことだけど、

子どもたちから気づかされることはとても大きく、
それはそのまま、この村の魅力、大人たちが積み重ねてきたことが、
なにか魅力的な目に見えるものとして現れたというセッションではなかったかと。

こうしたことは9年後の被災地で、
コンクリートの復興と並行させた心の復興に生かせることではないかと思いつつ、

いやいや、コロナの閉塞感に包まれた今、あらゆる現場で必要とされることでもあるはずと。

2020の先で10年があろうと、
これからも人の必要に答えることをやってゆこうと思うのであります。

それにしても、奥会津の山間の美しい村、昭和村との心の距離はもはやお隣さん。

その昭和村で育まれた発想は、ひとつドアを開けたら世界につながっているように思うのだ。

そしてそこで育った子どもたち、
楽しみだ〜〜!

107ヶ月め

2020 年 2 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から3,260日
465週5日
8年11ヶ月
107回目の11日です。

去年に続き福島県奥会津の昭和村に滞在し子どもたちと絵を描くアトリエを、
今年は「アトリエしょうわのこども」と名付け開設しました。

2月4日から9日までの6日間をセッション1とし、
ここまでの作品の一部はアトリエとして利用した昭和村公民会で展示。
2月27日から29日の期間では、発表会も含めたセッション2を開催します。

震災後の東北をアートの力で元気にしてゆこうと試み”福島藝術化計画 × ART SUPPORT TOHOKU – TOKYO“の一環として、
3年前にお声かけいただき、今年で3度めとなる子どもたちとのセッション。
同じ場所で同じ子どもたちと、お互い1歳づつ年を重ねた再会は豊かな発見の現場となりました。

いつもは学童保育の現場として使われている公民館の一室を、
ボクが絵を描くアトリエとして使い、
そこに学校を終えた子どもたちがやってきて、宿題をしたり遊んだり絵を描いたり。
そんなコンセプトは去年と同じ。

昨年以上に考えたこと。

・子どもたちがいられる場所であること。
・子どもに「子どもらしさ」を先回りして求めない。
・子どもに「自由」を与えるのではなく、子どもが「自由である方」に向かってゆける現場であること。
・自分の知らない昭和村のことは子どもに教えてもらう。
・アートや藝術を教えない。(求められたら技術は伝える)

今回あらたにお願いされたこと。

・未就学の子どもたちと遊んでください。

・”からむし博物館”を利用したワークショップを考えてください。

今回ボクから提案したこと。

・昭和村の伝統的な食べ物を作って食べて描いてみたい。

以上、
これらは達成目標じゃなくて、
『この道を子どもたちと歩いっていったら何に出会うかな?』みたいなもの。

「こっちに行ってみよう」と呼びかけるけど、
その先を決めるのは子どもたち。

オトナのボクは子どもが見つけたものを一緒になって驚いたり楽しんだり。

ただ、子どもが危険に直面したり不条理な暴力が発生したら、
オトナの責任を発動させる。

そんな感じ。

で、
裏テーマ。

・子どもたちによる昭和村のブランディング

子どもたちが描いたものから『直感的に昭和村の楽しさに触れるもの』作れたら、
面白いよね〜〜!

というワルダクミ。

もちろん、望む通りのものばかり生まれるはずもなく、
脱線と失敗の連続。

が、その脱線と失敗がオトナの思惑を遥かに超えた豊かなコミュニケーションを生むのだから、
面白くて仕方ないのだ。

その昔、山に囲まれた日本有数の豪雪地帯ゆえ、
冬の間は自給自足が常とされた昭和村。

1950年代の5000名弱の人口をピークに、60年代の高度経済成長期から今に至るまで、
ゾッとするほどの加速度の人口減を経験した、現在人口1200名の自治体の昭和村。
(今回村の人口推移の年表を見て、毎年100名、200名と人口が減った過去を知り
 「おお、、」などと実際に声を上げてゾッとした俺っす)

過疎化と住民の高齢化に対し、危機感を持って生まれた新たなる産業としてのかすみ草栽培。

そして、
伝統農法であり伝統技術でもある”からむし”の生産を継承し、村を外部からのマンパワーで活性化させる、
村に一定期間滞在しからむし織の技術習得が行える“織姫体験生制度”

村の未来を創造するべく、オトナは確かな尽力を重ねてきた。

それを受け継ぐ子どもたちは、そうしたことにどんな名前を与え、
どんな色彩を与え、そんな形へとブラッシュアップさせてゆくのか、

もしかしたらボクなんかよりずっと多くの新鮮な情報に触れているかもしれない子どもたち、
その子たちの一瞬一瞬で見せる表現は、やはり新鮮で、ワイルドで、美しくしい。

その一瞬一瞬ていうものこそ、言葉にして伝えてゆくべきことなんだけど、
それはセッション2が終わったっら、今回生まれたもののその後の姿などとともに、
丁寧にまとめてゆけたらいいなと考えています。

ただ、セッション1を終えて確かな手応えとして感じていること、
去年と比べて、子どもたちも、それを見守るオトナたちも、
コミュニケーションのあり方が豊かなになってるなあ〜

それは2度めによる「慣れ」もあるだろうけど、
でも、去年子どもたちと一緒にやれたことが、
絵を描く際の子どもたちの会話の中に確かに生きているのが感じられる。

てか、絵を描くことがもはや会話のようであることが、
ほんと素晴らしいぞ!しょうわっ子2020。

震災があって意識してやってきたことが、
目の前でよくわかる形として見えたこと。

2年連続のチャンスをいただけた昭和村やプロジェクト関係各位に感謝。

人口1200名の村が日本のトップランナーの躍り出る可能性、
あるぞーー!!

では昭和村、「アトリエしょうわのこども」セッション2で〜

神戸での展覧会に参加

2020 年 1 月 30 日 木曜日


昨年神戸に生まれたスペース”BIOME”での展覧会に参加。
花の絵2点と風景画1点、
神戸にインスパイアされた絵1点の4点を送りました。

19人合同展「たからものforおくりもの」
2/1(土)〜2/11(火) ​(休:水曜)
12時〜18時 *最終日~15:00まで

=参加作家=
・イラストレーション:岩瀬ゆか、尾崎仁美 、小池アミイゴ、
 こうのかなえ、寺田マユミ、坂内拓、藤井紗和、船津真琴
・版画:尾崎カズミ、正一
・切り絵:いわたまいこ
・磁器:種田真紀
・漆:八尾さつき、山口浩美
・ガラス:有永浩太、杉山利恵
・陶器:坂口健、中里花子、脇山さとみ

展覧会詳細> https://www.biome-kobe.com

BIOME(バイオーム)
〒650−0011
神戸市中央区下山手通5−7−15 グローリー山手ビル101
090−3945−2040
mail : artroom@biome-kobe.com

++

神戸は好きで何度も足を運んでいて、
ではこの街でどんな展覧会を開いたら良いのか?
なかなかフォーカスを絞りづらい街という印象でいます。

ともかく上質なものである必要はあるはず。
でもツンとすました表情のものは違うよな〜〜、
などなど。。

今回グループ展参加のお話をいただいた際、
テーマである「たからもの」「おくりもの」というワードに対し、
ボクの場合それはすべて人との出会いを表すワードだろうと。

「はじめまして」の神戸の方々と1枚の絵でどんな会話が出来るか?
まずは以前描いたシロツメクサの絵を描きなおすことから始めてみました。

東日本大震災直後、岩手県の平泉で見たシロツメクサの群生。
勢いに任せて描いた絵だったけど、
あれから9年の今、阪神淡路から25年の時が交差する地点で、
ボクがシロツメクサになにを見たのかがやっとわかってきたなあと、
過去に描いた絵から余計なものを削り落とすような絵の具の重ねをしてみました。

今回残念ながら神戸に行くことが出来ず、
1枚の絵を挟んであれやこれや語り合うことも出来ず、
しかし、
その分ユックリ絵を楽しんでいただけたら幸いに存じます。

そして、
神戸に生まれた新しき場所が神戸に愛される場所に育ちますよう、
皆様の美しきお気持ちを注いで頂けたらと願っております。

106ヶ月め

2020 年 1 月 12 日 日曜日

今日は2011年3月11日から3,229日
461週2日
8年10ヶ月
106回目の11日です。

2020年が明けたばかりですが、
うっかりしていると今年もあっという間に2021になってしまいそうだし、
世の中がオリンピックで本格的にざわついてしまう前に、
今見ておきたいものを見るため、福島県いわき市の豊間のビーチをめざしました。


震災後毎年通って見てきた豊間から塩屋埼、薄磯や沼ノ内あたりの変化。

ここ2年は亡くなった父のことや仕事が立て込んだことで行けず、
今も年末年始とバタバタしていた中、ともかく今日行かねばと弾け飛んだ感じ。

東京からいわきまでのスーパーひたちの車窓から見える風景の中、
この8年で1番に感じた変化は、ソーラーパネルがとても増えたこと。

メガソーラーからJRの線路沿いの敷地や畑、個人宅の屋根に置かれたものまで、
ともかく目につきました。

ソーラー発電に関しては、山を無理やり切り開いたり、利権が絡んでいたり、
ネガティブな話を耳にしますが、
黒いソーラーパネルと親和性のある美しい景観を創造することも、
これからの課題などだと思いました。


いわき駅からタクシーで10分ほど移動し、途中からはランニング。
広々とした田園風景の中、海までの一本道をいつものように走ってみました。

震災直後から数年は休耕地が点在していた風景も、
今はしっかり人の手が入った農地であることがわかります。

真冬にしては寒くない陽気の中、海岸線までたどり着くと、
以前は大工事の途中として見えた防潮堤も、もうこれで完成なのだろうか、
今まで見たことの無い風景として塩屋埼の灯台のほうまで連なっていました。

防潮堤は2重構造で、海側にはコンクリートの護岸、
広くとった自動車道を挟んで緩やかな斜度を持った土手が”防災緑地”とし置かれ
そこから高台に向けて宅地が整備されています。


緑地は海側から潮風に強い黒松、
住宅側はこの辺りで自生しているクヌギなどの樹木が植えられ、
しかし今はまだ苗の状態で、これらが大きく育った時の風景はどうなっているんだろう?


震災から3年めあたりの夏。
確かこの辺で家のあった場所に向かって手を合わせている子どもを見たはず。

とても無責任にこの地を訪れてきたボクでも、
失ってゆくもののある8年10ヶ月の時。

震災前からここに暮らしてきた人たちの心を正しく知ることは、
なかなか難しいことなんだと、あらためて思います。

そんな感情の隣で、海の美しさに心奪われる自分もあります。

真冬の、そして満月の今日は大潮の太平洋。

日没までのわずかな時間の光の美しさ。

自然への畏敬と恋心。

津波の被害は甚大であるばかりで、今も言葉がみつかりません。

それでもこの土地で生きようとする人があることは「わかる」だし、
自分がここで暮らすイメージも持てた8年10ヶ月の11日でした。

そんなこんな、湧いてくる言葉はたくさんあるけれど、
ともかく描きたいなと思った今日でもあります。

ただ
「復興オリンピック」という言葉の整合性は見つけられなかったなあ。

105ヶ月め

2019 年 12 月 11 日 水曜日

今日は2011年3月11日から3,197日
456週と5日
8年9ヶ月
105回目の11日です。

10月31日未明に起きた首里城の火災は、
この場所を愛するボクにとって受け入れがたい出来事でした。

自分に出来ることは絵を描くことだろうと、
40号Mのボードに心象風景としての首里城を描きました。

こちらの絵はA2サイズくらいに印刷出来るデーターになっています。

今後チャリティーなどお考えの方でこの絵を使うアイデアのある方は、
無償で提供いたしますのでご連絡ください。

11月23日は、渋谷区代々木の”はるのおがわプレーパーク”で絵の具遊び。

9月30日に福島県福島市の清明小学校1年生と絵を描いたセッションの、
渋谷区へのおすそ分け企画。

福島からママさんに連れられやって来た3組の子どもたちと、
代々木の子どもたちとワイルドなセッションです。

代々木と福島の子どもたち、それぞれ経験も突破力ある子たちです。
その中でも特にコミュニケーション能力高い子がコアとなり、
オトナの思惑など蹴散らし破壊に破壊を重ねたクリエイティブな時間。

氷雨降りそぼる初冬の公園の水溜りに飛びこみ奇声を上げる子どもたちを見ながら、
母たちは代々木と福島の子どもたちの遊び場についてオープンに語り合う。

「フクシマ」というワードに言葉が出なくなってしまうオトナは今もいます。

ボクはそれを否定するつもりは無く、
ただ、子どもたちが元気に自分を発揮している姿に触れることで、
解凍さる言葉というものはあるなあと。

この日も福島県に対しての思い込みがいくつか解凍され、
「ではなにが必要なのか」という前向きな会話が交わされていましたよ〜

それにしても、
泥遊び用の着替えがゴソッとストックされている”はるのおがわプレーパーク”の底力!

代々木と福島とで経験のシェア。
このセッション、次はまた福島で開催されるかもね〜

そんなわけで、5メートルの壁画一気に完成!

福島チームは代々木八幡の銭湯にGO!!でありました。

ところでこの絵の具遊びは、
渋谷区が推進する”アロー プロジェクト”に紐つけしてありました。
http://shibuya-arrow.jp

渋谷駅周辺での発災時に、渋谷来訪者を一時退避場所である
青山学院大学と代々木公園にアートの矢印で導くプロジェクト。

リンク見てもらえたら分かるように、
イケてるアーティストが感性と筆を振り切るローカル最先端な発想。

が!こんなんこそ子どもたちとやったら楽しいだろうし、
前例をひとつ作っておけば、被災地なんて呼ばれているエリアに落としこむことも出来るだろうと、
区役所ご担当者に相談し、プロジェクトの名前をお借りし代々木にドロップ。

子どもたちが塗り込んだ絵には、
実は事前に矢印が描かれていて、

マスキングテープを剥がしてみると〜〜〜、

子どもたちのワイルドとのコントラストも眩しく一時避難所を指し示す矢印登場!
スタッフ一同「おおおーー!」な仕上がりと相成りました。

作画完成時、土砂降りの中わざわざ区長の長谷部さんも駆けつけてくれるも、
「矢印描いてないじゃん!!」などと、、
いやいや、まあ見ておいてくれと「USA」をダンスしながら代々木公園の方を指差しときましたが、
はい、やることやっていますよ〜!


福島と代々木の子どもたちとの「アロープロジェクトやってみた壁画」は、
来年1月いっぱいくらいまで”はるのおがわプレーパーク”物置小屋壁面にて、
西参道を行き交う人々に緊急時の避難所を指し示しつつ、
街にワイルド&セクシーに寄り添ってまいります。

本年度最重要案件、
宮城県の唐桑半島にある家族経営のお店”プランタン”様のロゴを制作。

この度無事に店舗に看板として設営したとの連絡を頂きました。

津波で流された店を、古民家再利用で店舗名も営業内容も改め再建したのが5年前。
ボクは友人の導きでこの店と出会い、ワークショップなど開催。

ご一家の地域に向けた愛ある眼差しとそれに伴う身の丈いっぱいに頑張る営業の姿に感激。
すぐにこの店のファンになりました。

「カラクワのプランタン」なんて聞いて、何かオシャレなものに出会うのか?なんて思うも、
行ってみれば人んちの居間。

「茶処」を謳う店内はどこまでも手作り。
が、トイレに美しく設けられたオムツ替えのスペースに、このご一家のなんたるかを見た。

なにより、提供される食いもんがうめーのよ。
カフェメシなんつー虚弱なものじゃねえ「ザ・食いもん」認定。

今回5年のタイミングで地域商工会などの助言と助成を受けてロゴの刷新や看板作りに着手。

あらためてご一家にとってこの店はどんなものなのか、
店名の再考なんてところから店を一軒立ち上げるくらいの会話や、
現状ご家族で行える接客のオペレーションの確認や、
未来のご一家のあり方も想像したコミュニケーションを重ねこんなロゴを制作。

が、なにか足りないなあなんて悩んでいたところ、海老茶色のご指定を頂きPC上で色変換。

ふわっと浮かぶご家族の顔!
お互いいい仕事したなあ〜!です。

今回のデザインには地域の「cafe縛り」なんてレギュレーションもあったのですが、
逆に『唐桑が今後必要とするデザインをこの店から発信』なんてことも込めています。

送って頂いた看板の写真を見て思うのは、ボクの考える「復興」という言葉の意味。

被災があり悲しいことも辛いこともあったけれど、どうにか生きる最低限の状況が整った後、
そこから未来を生きるためのアイデンティティを手に出来たパーソナルな心情。

国や県、大企業の描く復興からしたら些末なものでしかないだろうけど、
そこには人ひとりが生きてゆく意味が込められているし、
これは必要とする人にたやすくシェア出来ることでもある。

あの日から9年を前に掲げられた看板が、
地域再生の灯台の灯りのように見えたらいいな。

プランタンは春を意味するフランス語。
ここからまた新たなスタートだね〜
これからもよろしくねー!

プランタン
〒988-0534 宮城県気仙沼市唐桑町宿浦409-2
0226-25-8077
FBページ> https://www.facebook.com/prin.non/