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88ヶ月め

2018 年 7 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から2,679日
382週5日
7年4ヶ月
88回めの11日です

こうやって毎月日数をカウントしてきて、
しかし、
大阪北部地震に遭われた方は、
2018年6月18日からの3週間ちょっとを、
振り返る余裕もなく今を奮闘されているであろうこと。

西日本豪雨に遭われた方は、
ここ数日なにかを考える余裕も無く、
恐怖と不安の時を過ごされていること。
もしくは、
2018年の七夕の夜が「恐怖と不安」で語られるであろうこと。

ボクはボクの想像力が追いつかないでいることにイラつきながらも、
今この瞬間困難に置かれている1人ひとりを想像し、
ボクのようなものでも誰かの力になれる瞬間があることを信じ、
いつもと変わらぬ毎日を大切にして過ごしておきます。

その前に、東日本に思いを寄せた絵を描いておきました。
なにか役に立つようなことがあればご自由にお使いください。

大きなデーターで必要な方はメッセージいただけたらです。

こんな絵を思いついた背景には、
関西で暮らす友人がボクのFBのポストに寄せてくれたコメントがあります。

お蔭で雨あがりました。
青空が、夕焼けが、俯いていた人々の顔をこんなにも上げさせるって知らなかった。

東日本大震災発生直後の宮城県塩釜の生産者さんは、
時が来て漁を再開した際、見上げた空を以前と変わらずカモメが飛んでいる姿に、
自身のなんたるかを確認したようなことを、ボクに教えてくださいました。

雨もあがり、見回せば自身の無力に押しつぶされてしまいそうな現実が、
洪水の水以上に押し寄せてくるのではないかと、
やはり足りぬ想像力を働かせてそう思います。

ただ、1日のどこか、わずかな時間でも空を見上げる余裕が生まれたらいいなと。

そんな簡単に思えるようなことでも、1人でいては叶わぬ場合もあります。

もしわずかでも心に余裕を見つけることの出来た方があれば、
身近の方へのちょっとした声掛けを大事に、
一緒にちょっと空を見上げてみる、そんな時間が生まれますよう、
こんな絵がそんなちょっとしたことに役立ってくれたらいいなと願っております。

大変暑い季節です。
被災された方も、それを助ける方々も、どうぞご自愛のほど。
ボクもやれることやってゆこうと思います。

先日は去年に続き「よよぎえほん」
渋谷区の”かぞくのアトリエ”主催で長野県茅野市の今井書店の高村志歩さんの講演、
『絵本でのびる子どもの力』がありました。

親が子どもと絵本を介し交わすコミュニケーションの「甘やかな記憶」
そうすることで子どもが手にすることが出来る想像力と言葉の力。

自然災害に遭ったお子さんが受けた恐怖を、
一気に晴らすことは難しいことなんだと承知しています。

ただ、生活の中のちょっとした時間で、
名作と言われる絵本を親子で共有することが出来たら、
お子さんの心はその時間分救われるんだと思います。

それがどんな「ためになる本か」なんてことはどうでもよく、
しかし、美しい絵と言葉の綴られた、
親と子の間で豊かな会話が生まれるものであったらいいなと。

高村さんの講演を聴きながら思いました。

高村さんはさらにこう続けました。

「母なる者の手を持った大人たち、子ども達に深い物語を届けましょう!」

子育てというものがお母さんひとりの力では叶わない時代にあって、
子どもに関わる大人がどんなマインドを持ち、子どもになにを与えたらいいのか、
端的に語っていると思います。

これは自分の仕事にも関わっていること。
今この瞬間なにが必要されているのか、
たえず耳をすませ、自分の中に落とし込んでゆこうと思います。

以下身近な場所の出来事をちょっと。

ボクが暮らす街にある20メートル×4メートルの壁面2面を、
息子の通う小学校の生徒全員とボクとで描くことになり、
先日は、小学校のオヤジグループで掃除を下地塗りを行いました。

息子の小学校のPTA会長sさんの発案で、
後々は学校カリキュラムの中でも時間をとっていただき、
このエリアの町会のみなさんや、
壁面に関わる電鉄や渋谷区や東京都、
画材総合卸しのバニーコルアートさんなどのご協力のもと、
それがみな並列に置かれるような関係性で、
渋谷区のある街に子どもたちの故郷を創るイメージ。

素晴らしい壁画を生まれることと共に、
それがどんなコミュニケーションのもと生まれたのか、
壁画完成の後、そんなコミュニケーションのあり方を「とみがやモデル」と名付け、
それを必要とされる地域にシェアしてゆくことまでも目標にしています。

壁画は2019年末あたりを目指して、ゆっくり姿を変えながら描かれてゆきます。

代々木八幡駅、山手通り高架下の20メートルの壁2枚、
その前を通り過ぎるみなさんに楽しんでいただけたら幸いです。

もしくは、
今の白い壁の前で写真をパチリ。

ハッシュタグ
#八幡白壁 #とみがやモデル
インスタにポストしてみてください〜


そんなこんなで、ここ数ヶ月地域の先輩方とコミュニケートすることが多く。
地域のお祭りで「提灯絵付けワークショップ」なるものまでやっております。

以前は、代々木八幡の例大祭になると、
街中にズラ〜〜っと提灯が並んだのですが、
徐々に、徐々によ減ってゆき、今はほとんど提灯が並びません。

ならば、地域の子どもたちが絵をつけた提灯が並んだら、
それは子どもと地域の先輩方を結びつけるとともに、
やはり、楽しいよね〜〜!って。

とりあえず実験的に始めています。

こんなアイデアがうまくいったら、
東北や西日本の小さな街とかにも持ってゆけたらいいな。

そう出来るようにも、
まずは自分の足元から。

88ヶ月めの自分。
足場がしっかり見えてきました。

LOVE OSAKA

2018 年 6 月 18 日 月曜日

使える人使ってみて〜
ちょっとした声掛けのきっかけにでもなればいいかな。

大阪、好きな人多すぎです。。

正方形も作りました。

ブラッシュアップ版。
大阪の友人たちの顔を思い浮かべていたら、
手の位置のアイデアに至りました。

85ヶ月め

2018 年 4 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から2,588日
369週5日
7年1ヶ月
85回めの11日です。

ちょっと報告が遅くなってしまいましたが、
peaceてぬぐい7刷りめが動いています。
https://www.facebook.com/peacetenugui/

これまで東日本大震災や熊本の震災の以降の現場をつないできたてぬぐい。

あれから7年の春の7刷りめでは、さらに一歩踏み込んだ発想を盛り込んでみました。

ひとつは、
震災以降懇意にさせてもらってきた塩釜で養殖漁を営む共栄丸水産さんの願い、
塩釜港から松島湾に至る海を万葉の歌人にも詠われた名前「千賀の浦」で呼ぶこと、
そのロマンチックな発想を後押ししたいと思いました。

やることはとてもシンプル。

てぬぐいに付けたポストカードに個人的な「海にまつわる幸せな思い出」を綴り、
共栄丸様付け”千賀の浦さん”宛に送ること。

peaceてぬぐいを管理運営してくださっているのは、
長崎県諫早市のオレンジスパイス

諫早湾の干拓事業で広範囲な海を失った町と、
東日本大震災の被害を受けた千賀の浦という海。

この2つの場所を一本のてぬぐいで結び、
それを頼りに1人ひとりの海の記憶が千賀の浦に注がれる。

この手紙を書くことには一切の見返りはありません。

ただ、このてぬぐいを手にし手紙を書く方の
人や海に対する想像力が働き続けてくれたらいいなと思います。

peaceてぬぐいに添えたポストカードの絵は、
1年間羽田空港でも見ることが出来ます。
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=13538

空の旅の直前で「あの絵は宮城県塩釜の”千賀の浦”って名前の美しい海だよ」
そんな会話が生まれたうれしいですし、
この絵がどんどん一人歩きし、千賀の浦にまつわる仕事をしてくれたら面白いなと、
これまでのイラストレーションのあり方を超えた発想を働かせてみるつもりです。

今回のpeaceてぬぐいにはもうひとつのストーリーを添えています。

気仙沼唐桑でプランタンという喫茶を営む一家に加わった
小さな仲間をめぐるささやかな日常の描写です。

「被災地」「被災者」というワードで語らなければならない事態は、
現在もどうしようもなく存在することです。

それでも「なんでも無い日々」を語ることは、
明日を確かに迎えるための力になるはず。

もしこれから「被災地」と呼ばれる土地に行かれる方がありましたら、
その視線の何割かは、
奇跡的にそこにある「なんでも無い日々」に注いでもらえたらいいなと思います。

プランタンさんには、
震災以降青山のHADEN BOOKS の林下さんとヴァイオリニストの金子飛鳥さんとボクとで続けてきた、
「本・つながる・未来」というプロジェクトの7年めの最初の一歩として、
絵本をお届けすることを進めています。

詳細はあらためてお伝えしますが、
小さな命の生まれた場所が、地域の子育て中の家族の拠点と育ってゆくことを想像し、
子どもたちが未来を生きてゆくための心の免疫力を高められるような、
豊かな物語を届けたいと思っています。

父が亡くなった後、いろいろやらなくちゃならないことがあって、
時間を見つけては群馬に行っています。

先日は父の入院していた病院へ医療費を払いに、
駅から伊勢崎市を流れる粕川に沿って歩いてゆきました。

季節が2歩3歩と進んだ土手にあがると、
菜の花の咲く粕川の風景に「おお」と声が漏れました。

全国的に有名な場所では無く、観光案内で語られることも無い、
なんでもない河原の風景がこれほど美しいものかと。

父をケアし、わずかだったけど共に過ごした時は、
ボクにこんな風景を見せてくれたんだと思いました。


粕川の河原では、関東地方では目にすることのなかった
白い花のタンポポに出会いました。

西日本に自生してきた日本の固有種のタンポポ。
気候の変化でこちらでも咲くようになんたんだろうか?

ただ、この花に気づくことが出来たのは、
去年の春に熊本で生まれて初めてこの白い花に出会えていたからこそ。

一昨年の熊本の震災発生以降、熊本での人との確かな出会いがあり、
その経験はボクの視線を熊本城にも、街を歩く足元にも届くものにしてくれました。

粕川を遡ってゆくと、父の生まれ育った、ボクも生まれ育った旧粕川村、
現在の前橋市粕川町にいたります。

粕川に沿って赤城山に向かい細長くなだらかに連なる町です。
春の暖かさに包まれた田舎の風景の中、
父の気配を感じられるであろう場所を走って回ってみました。

この季節のタンポポは、地面にへばりつくようにして花を咲かせているんだ。
そんな発見。

冷たく強い風の吹く冬の群馬で、
地面いっぱいに葉を広げて陽の光をなるべくたくさん浴びようとするタンポポ。

花の咲く季節もまだ頭を低くして風をやり過ごし、
しかし、周りに背の高い草が伸び始めると、
タンポポも花の茎を虫たちを呼び寄せるのに必要なだけ伸ばす。

そうしてその環境の必然に合わせてその立ち姿を変え、
しかし、綿毛を遠くに飛ばすその時が来たら、
一気にその茎を伸ばし綿毛を風の中に突き出す。

こんなことに心を奪われるのは、
3月11日以降の東北の各地を歩き出会った人から、
身をもって感じさせていただいたものがあるから。


そして今、
父の不在が見せてくれた故郷の風景は、
たとえば、あまりにも当たり前のはずの「田んぼの風景」は、
実は放っておいたら失われてしまう「棚田の風景」であったことに気づき、


2018年4月はもう2度と出会うことが無いんだってことに気づく。

美しい風景との出会いは、
人との出会いと別れがあってこそのボクです。

父の喪失を経験し、
あらためて2011年3月11日のこと、
12日のこと、
13日のこと、
14日のこと、
15日のこと、

そこを生きた1人ひとりのことを想像するも、
いまだに想像力が追いついていないことに気がつく、
あれから7年めの春のボクです。

ただ、今なにが必要とされているのか、
ボクであればなにを描けば良いのか、
7年の出会いと喪失の分だけ明快になっているボクでもあります。

自分が出来ることを、
それを必要とする顔の見える1人へ。

そんな基本をもって生きて行こうと、
あらためて心に念じた2018年春。

もっと絵を描きてー!!

です。

78ヶ月め

2017 年 9 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から2,376日め
6年半
78回目の11日です。

8月11日からあっという間に1ヶ月が過ぎてしまった印象の今年の夏。

8月13日、毎年この時期に足を運んでいる、福島県いわき市の豊間に行ってきました。

防潮堤とビーチの整備が済んだ薄磯は、多くの海水浴客がいて、
『あの日から6年5ヶ月後の夏』という確かな時の流れを感じました。

もっとも、海から顔を転じた津波被害に遭った場所は、
かさ上げ工事などは進んでいますが、人の生活が戻ってくるのはこれから。

これからこの土地で必要とされるもの、例えば絵だったらどんな仕事ができるのか?
想像力を働かせてみました。


今回は福島の地元新聞「福島民友」の記者さんと待ち合わせて、
絵本「とうだい」の作画の話をしたり、震災から後の活動について話をしたりもしました。

震災前のこの土地を知る記者さん。

震災後にこの土地を知り、復興の経緯を見てきたボク。

お互いの記憶のすり合わせをして、
お互いの違いも共通するものも交換出来たことに、
6年5ヶ月の時の意味を感じることができました。

防潮堤が完成に向かうにつれ、海の見えなくなってしまった豊間。

震災前を知る記者さんはそのことを「仕方ないことだけど寂しい」と語ります。

ただ、なだらかに土の盛られ、植林の行われる防潮堤の景観は、
宮城や岩手の沿岸部で見た垂直で巨大なコンクリートの景観と比べたら、
柔らかな未来の風景を想像出来るもので、

引き続きこの土地を訪れ、どのような人の風景が育って行くのか、
確認し続けてゆこうと思いました。

今回はいわき駅のひとつ手前、湯本駅で降りて海を目指して走ってみましたが、
相変わらずいわきは陽の光が力強く、目にする花が美しい。

ささいなことかもしれませんが、ボクがいわきに「また行きたい」と思うのは、
そんなこの土地の方々の花を愛でる気持ちに触れたいと思うからかもしれません。

花に人を見るボクです。

いわきに行った直前で、熊本の天草を取材していた今年の夏。

天草の沿岸部に残される昔ながらの美しい景観。

東北の太平洋沿岸部でその多くが失われてしまったことを考えると、
どうにも愛しいものだと、
取材には天草市の職員さんがアテンドくださるのですが、
彼らの「見てもらいたい」天草とは違った視点で、
天草の魅力に取り憑かれていったボクです。

「それ、そんなに魅力ありますかね?」なんていう市の職員さんたちに対して、
いちいち泣き出したい気持ちになりながら「素晴らしいです!」ってね。

東日本を知るからこそ見える天草。

その魅力が未来に生きるものであってくれたらなあと心から願い、
今取り組んでいる仕事の絵を描いています。

そんなボクの考えを裏付けてくれたのが、
8月20日21日とお邪魔させてもらった飛騨高山の街。


展覧会とワークショップ開催のためにうかがったのですが、
電車を降りて空気を吸って、すぐにこの土地が特別な場所なのだと分かるような感覚。

富山と尾張や三河を結ぶ交通の要所で、
林業や養蚕など盛んに行われ、それなりに豊かな土地であったはずですが、
戦後の高度成長期にある意味取り残されるも、
70年代に入るあたりで観光で生きる道を明快にして、
今はミシュランのガイドに載るほど「日本の行くべき場所」と認識され、
多くの観光客を集めるに至っています。

ここ数年津波で失われた東北太平洋沿岸部を巡る共に、
津波で失われなかった会津若松なんていう街にも出会うようになりました。

さらには広島の尾道や大分の日田のように古い町並みを残す街。
そして天草、飛騨高山。

そんな場所の魅力は、古いものが残っているから素晴らしいのではなく、
良いものを残してゆこうという人の気持ちこそが美しいのだろうと思えた今年の夏です。

上に掲げた土地の一部は江戸時代に天領であったことで共通しますが、
それ以上に
太平洋戦争の際に無差別爆撃のような空襲を遭わなかった土地であることで共通します。
(天草も尾道も一部で空襲があったのですが、、)

日本が喪失の中にあるなか、街は残った場所。

ボクのつたない想像でしかないのですが、
こんな街で生まれ育った方は、戦後から高度経済成長期、バルブル世と、
日本が激動を繰り返す中、それでも心に優しさのようなものを内包させ、
人の作ってきた良き風景を残して行くことに使命感も抱き、
今の時代に、人に癒しを与えられる場所を守ってきてくれたんだと思っています。

東北の沿岸部で進む復興の中に、
こんな街の過去から今へと育まれてきた優しさのようなマインドが反映されたらいいなと。

高山も天草も尾道も日田も会津若松も
ある意味日本の最先端の場所として再認識されると共に、
各街通しで交流を深め、その魅力を東京(中央)とは別の価値観で深めてゆく。
そんな輪の中に被災し復興を目指す土地の方が自然と混じってくれてたらいいなと。

個人的に、それぞれの土地の方と仕事をしてゆくことがあるはずなので、
ボクは絵をもって人と人の架け橋となってゆけたらいいな。
です。

77ヶ月め

2017 年 8 月 11 日 金曜日


今日は2011年3月11日から2,345日め
6年5ヶ月
77回目の11日です。

8月5日より4泊5日のスケジュールで
熊本の天草を取材してまいりました。

天草に着いた夜の「本渡ハイヤ祭」から、
山の頂上や岬のとったん、人の家の食卓と、
ともかく巡りに巡った5日間となりました。

天草市役所の主に若手職員有志による企画。
天草出身の脚本家 小山薫堂さんの地域作りゼミ「N32」に関わる市役所のみなさんが、
税金に頼らぬ方法で人と地域を育ててゆく試みの一歩か二歩めかのタイミングで、
ボクも歩みを共にさせていただき、これから共に歩んでゆきます。

初めての天草行きに際して、
名刺がわりに、熊本の不知火の海の向こう側、
芦北や津奈木町や水俣から見えた天草も描かれている絵3点を送りつけたところ、
市長さんのお話をうかがうチャンスを得ました。

非常に人情家である中村市長さん、
その人格と天草や天草の若い世代にかける熱いお気持ちに触れたことで、
天草を見るボクの視点も更新されたようです。

簡単に言ってしまうと「お客様」から「当事者」の視線に変わったという感じ。

もしかしたら、市長さん、その辺も計算済みなのかな。

ともかく貴重なお時間、ありがとうございました!

「天草の東シナ海に沈む夕日はものすごく綺麗だから見てくれ」

そんな市役所のみなさんのお気持ちに対して、
ボクは相変わらず街中のしょうもない夕暮れ時の光に心を奪われています。

ともかく良い絵を描いて、
まずは市役所ヤングガンズなみなさんとあらためてコミュニケートする。

そこからさらに削り出してゆくことで、
これから先の天草にとって必要な価値観が見つかったらいいな。

1000枚ほど撮ってきた写真を見返しても、
そこに答えは無く、
答えは天草で生きる人の中に埋まっているんだと、

ただ、思いがけず多様性の土地であった天草、
(直前での津奈木町や水俣での経験があってこその発見ばかり!)

そこからなにかひとつを掘り出すことは難しく、
掘り出したものを並べたり組み合わせたり、
そんな作業までお付き合いしてゆく必然を感じています。

こんなリミッターの外れた仕事のあり方を提示してくださった小山薫堂さん、
ありがとうございます。

こんな仕事のあり方をボクも考えていたのですが、
小山さんは実際に動かすためのギアの入れ方が見事!

4日目の夜には、小山さんを交えたゼミと食事会に参加させてもらいましたが、
なるほど、人とこんなコミュニケーションとるんだ!と、
心にメモ、メモ、の繰り返しでした。

この仕事のあり方や方法を今の段階で「こういうことだ」と叫んでしまっても意味は無く、
まずは良い絵を描いて、みなさんに喜んでいただけるものを届けること、
そこでどんなレスポンスがあり、あらためてそれに答えてゆく。

そんなことが出来たら「イラストレーション天草モデル」として
たとえば東北の太平洋沿岸部の友人のもとにも届けられるはずです。

いや、ほんとこれからです。
絵なんてものが今の時代で力を発揮できるのは。

天草についてもっと語りたいことはあるのだけど、
(もしくは、津奈木町や水俣、東北の沿岸部と並列して語るとか)
変に観光案内な感じになってしまうのも違うなと、

その辺、心の粗熱が抜けたあたりであらためて言葉にしてみます。

ただ、天草で確信出来たことは、
ボクが必要としている風景は、人との出会いが見せてくれるってこと。

てことは、あらためてだけど、
天草、人がサイコーなんだ。

5日間、お心づくしをいただいた天草市役所ヤングガンズなみなさん、
ほんとありがとう!
LOVEです。

そして、これからもよろしくお願いいたします。