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107ヶ月め

2020 年 2 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から3,260日
465週5日
8年11ヶ月
107回目の11日です。

去年に続き福島県奥会津の昭和村に滞在し子どもたちと絵を描くアトリエを、
今年は「アトリエしょうわのこども」と名付け開設しました。

2月4日から9日までの6日間をセッション1とし、
ここまでの作品の一部はアトリエとして利用した昭和村公民会で展示。
2月27日から29日の期間では、発表会も含めたセッション2を開催します。

震災後の東北をアートの力で元気にしてゆこうと試み”福島藝術化計画 × ART SUPPORT TOHOKU – TOKYO“の一環として、
3年前にお声かけいただき、今年で3度めとなる子どもたちとのセッション。
同じ場所で同じ子どもたちと、お互い1歳づつ年を重ねた再会は豊かな発見の現場となりました。

いつもは学童保育の現場として使われている公民館の一室を、
ボクが絵を描くアトリエとして使い、
そこに学校を終えた子どもたちがやってきて、宿題をしたり遊んだり絵を描いたり。
そんなコンセプトは去年と同じ。

昨年以上に考えたこと。

・子どもたちがいられる場所であること。
・子どもに「子どもらしさ」を先回りして求めない。
・子どもに「自由」を与えるのではなく、子どもが「自由である方」に向かってゆける現場であること。
・自分の知らない昭和村のことは子どもに教えてもらう。
・アートや藝術を教えない。(求められたら技術は伝える)

今回あらたにお願いされたこと。

・未就学の子どもたちと遊んでください。

・”からむし博物館”を利用したワークショップを考えてください。

今回ボクから提案したこと。

・昭和村の伝統的な食べ物を作って食べて描いてみたい。

以上、
これらは達成目標じゃなくて、
『この道を子どもたちと歩いっていったら何に出会うかな?』みたいなもの。

「こっちに行ってみよう」と呼びかけるけど、
その先を決めるのは子どもたち。

オトナのボクは子どもが見つけたものを一緒になって驚いたり楽しんだり。

ただ、子どもが危険に直面したり不条理な暴力が発生したら、
オトナの責任を発動させる。

そんな感じ。

で、
裏テーマ。

・子どもたちによる昭和村のブランディング

子どもたちが描いたものから『直感的に昭和村の楽しさに触れるもの』作れたら、
面白いよね〜〜!

というワルダクミ。

もちろん、望む通りのものばかり生まれるはずもなく、
脱線と失敗の連続。

が、その脱線と失敗がオトナの思惑を遥かに超えた豊かなコミュニケーションを生むのだから、
面白くて仕方ないのだ。

その昔、山に囲まれた日本有数の豪雪地帯ゆえ、
冬の間は自給自足が常とされた昭和村。

1950年代の5000名弱の人口をピークに、60年代の高度経済成長期から今に至るまで、
ゾッとするほどの加速度の人口減を経験した、現在人口1200名の自治体の昭和村。
(今回村の人口推移の年表を見て、毎年100名、200名と人口が減った過去を知り
 「おお、、」などと実際に声を上げてゾッとした俺っす)

過疎化と住民の高齢化に対し、危機感を持って生まれた新たなる産業としてのかすみ草栽培。

そして、
伝統農法であり伝統技術でもある”からむし”の生産を継承し、村を外部からのマンパワーで活性化させる、
村に一定期間滞在しからむし織の技術習得が行える“織姫体験生制度”

村の未来を創造するべく、オトナは確かな尽力を重ねてきた。

それを受け継ぐ子どもたちは、そうしたことにどんな名前を与え、
どんな色彩を与え、そんな形へとブラッシュアップさせてゆくのか、

もしかしたらボクなんかよりずっと多くの新鮮な情報に触れているかもしれない子どもたち、
その子たちの一瞬一瞬で見せる表現は、やはり新鮮で、ワイルドで、美しくしい。

その一瞬一瞬ていうものこそ、言葉にして伝えてゆくべきことなんだけど、
それはセッション2が終わったっら、今回生まれたもののその後の姿などとともに、
丁寧にまとめてゆけたらいいなと考えています。

ただ、セッション1を終えて確かな手応えとして感じていること、
去年と比べて、子どもたちも、それを見守るオトナたちも、
コミュニケーションのあり方が豊かなになってるなあ〜

それは2度めによる「慣れ」もあるだろうけど、
でも、去年子どもたちと一緒にやれたことが、
絵を描く際の子どもたちの会話の中に確かに生きているのが感じられる。

てか、絵を描くことがもはや会話のようであることが、
ほんと素晴らしいぞ!しょうわっ子2020。

震災があって意識してやってきたことが、
目の前でよくわかる形として見えたこと。

2年連続のチャンスをいただけた昭和村やプロジェクト関係各位に感謝。

人口1200名の村が日本のトップランナーの躍り出る可能性、
あるぞーー!!

では昭和村、「アトリエしょうわのこども」セッション2で〜

106ヶ月め

2020 年 1 月 12 日 日曜日

今日は2011年3月11日から3,229日
461週2日
8年10ヶ月
106回目の11日です。

2020年が明けたばかりですが、
うっかりしていると今年もあっという間に2021になってしまいそうだし、
世の中がオリンピックで本格的にざわついてしまう前に、
今見ておきたいものを見るため、福島県いわき市の豊間のビーチをめざしました。


震災後毎年通って見てきた豊間から塩屋埼、薄磯や沼ノ内あたりの変化。

ここ2年は亡くなった父のことや仕事が立て込んだことで行けず、
今も年末年始とバタバタしていた中、ともかく今日行かねばと弾け飛んだ感じ。

東京からいわきまでのスーパーひたちの車窓から見える風景の中、
この8年で1番に感じた変化は、ソーラーパネルがとても増えたこと。

メガソーラーからJRの線路沿いの敷地や畑、個人宅の屋根に置かれたものまで、
ともかく目につきました。

ソーラー発電に関しては、山を無理やり切り開いたり、利権が絡んでいたり、
ネガティブな話を耳にしますが、
黒いソーラーパネルと親和性のある美しい景観を創造することも、
これからの課題などだと思いました。


いわき駅からタクシーで10分ほど移動し、途中からはランニング。
広々とした田園風景の中、海までの一本道をいつものように走ってみました。

震災直後から数年は休耕地が点在していた風景も、
今はしっかり人の手が入った農地であることがわかります。

真冬にしては寒くない陽気の中、海岸線までたどり着くと、
以前は大工事の途中として見えた防潮堤も、もうこれで完成なのだろうか、
今まで見たことの無い風景として塩屋埼の灯台のほうまで連なっていました。

防潮堤は2重構造で、海側にはコンクリートの護岸、
広くとった自動車道を挟んで緩やかな斜度を持った土手が”防災緑地”とし置かれ
そこから高台に向けて宅地が整備されています。


緑地は海側から潮風に強い黒松、
住宅側はこの辺りで自生しているクヌギなどの樹木が植えられ、
しかし今はまだ苗の状態で、これらが大きく育った時の風景はどうなっているんだろう?


震災から3年めあたりの夏。
確かこの辺で家のあった場所に向かって手を合わせている子どもを見たはず。

とても無責任にこの地を訪れてきたボクでも、
失ってゆくもののある8年10ヶ月の時。

震災前からここに暮らしてきた人たちの心を正しく知ることは、
なかなか難しいことなんだと、あらためて思います。

そんな感情の隣で、海の美しさに心奪われる自分もあります。

真冬の、そして満月の今日は大潮の太平洋。

日没までのわずかな時間の光の美しさ。

自然への畏敬と恋心。

津波の被害は甚大であるばかりで、今も言葉がみつかりません。

それでもこの土地で生きようとする人があることは「わかる」だし、
自分がここで暮らすイメージも持てた8年10ヶ月の11日でした。

そんなこんな、湧いてくる言葉はたくさんあるけれど、
ともかく描きたいなと思った今日でもあります。

ただ
「復興オリンピック」という言葉の整合性は見つけられなかったなあ。