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99ヶ月め

2019 年 6 月 11 日 火曜日

今日は2011年3月11日から3,014日
430週と4日
8年3ヶ月
99回めの11日です。

あの日から100ヶ月という時の前後で、
宮城県塩釜へ、岩手県岩手町へ、夏が終わったころには福島へと、
子どもたちと一緒に絵を描いたり、オトナとの気づきの時間を作りに行きます。

目指すのは、今触れ合う子どもたちの10年後、20年後、
彼らが自分の力や判断でもって生きられるようにすること。

それに気づかせてくれたのは、
やはり東日本での人との出会いであり、

それを実行するためには、
やはり人との確かなコミュニケーションが必要で、

インスタントに出来てしまうことは何も無いという実感の、
あれから99ヶ月めの今日です。

そして、
ここ数日はコスモスの花の絵を描いていました。

5月末に川崎の登戸で痛ましくも悲しい事件が起きました。

通り魔に襲われ失われた命、
傷つけられた幼き身体と心、

その事実を前に語れることは無く、
ただこうしたことが二度と起きなくなる世の中にしなくっちゃって、
自分が無責任な場所にいる者と自覚しながらも、
犠牲になってしまった命に報いる道を考えています。

こうした発想の背景には、
やはり東日本の各地で出会ってきた人の姿なり言葉なりから学んだことがあります。

未曾有と呼ばれた悲劇を目に前にし、しばし立ち尽くすも、
やはりそこから学び、より良きものを創造してゆかねばならないのは、
生きている自分の責任だと考えます。

そして、
刃物を振るった男の狂気の力を、人を救う力に変えられなかったのかと、
無力感に潰されながらも考えています。

そうした考えを綺麗事と思われる人もいるでしょう。

が!
たとえばボクが生業としているイラストレーションなんていう表現なり仕事が、
世の中の孤立ってものにちゃんと向き合ったことがあったのだろうか?
なんて思ってしまうのです。

たとえば、
登戸で多くの方が犠牲になった通りの風景は、
今日本の町の至る所で見られる「似たり寄ったりの殺風景な風景」です。

それは「人が興味を持たなくなってしまっている風景」ということでもあるはずです。
(実際にその地に暮らし、愛を持って街に人に向き合う人も必ずいるはずですが)

日々のルーティーンに機能的に答えるだけの町の風景は、
孤立しまっている男に「どうなってしまってもいいや」と思わせてしまう風景なんだと思いました。

この事件のあった次の日から数日、
息子の通う小学校の登校時間の見守りをしてみました。

普段暮らしていてとても愛しく感じる街ですが、
昨日の今日の視線で歩いてみると、
エアポケットに落ちたような感覚で出会う無造作な風景を目にすることがありました。

それは社会の合理主義で進められた開発の中で、
見捨てられたようにして存在する場所。

自分が自分勝手な理由で犯罪を犯すとしたら、
ここなら「どうなってもいいや」と思えてしまうんだろう。
そんな恐怖を宿す場所というのは確かにあります。

ではどうしたらいいのだろうか?

ボクは絵を描く仕事をしていますから、
「どうなってもいいや」の場所をいかに良い方に変えるのか、
どんな絵がここにあったら良いのだろうかって考え始めています。

答えはすぐに見つかるものでは無く、
とりあえず見送る子どもたちやすれ違う親御さんたちに
「おはよう」と声をかけることから始めています。

今までもそうやってきたつもりだけど、
もっと確かな意思を持ってやらねばです。

そして、
これから作るものはドヤ顔のなにか立派な物では無く、
より1人ひとりの存在に想像力を働かせたものにしてゆこうと考えています。

登戸の風景を見て、ボクは東日本の被災地と呼ばれている場所のいくつかの風景を思いました。

復興に向かう中、のっぺらぼうな表情を見せてしまっている街の景色。

いつも口にすることですが、
絵やイラストレーションに出来ることってこれからが本番。

それがそろそろ本気で急がなくちゃって感じになっているはず。

日本中で画一化された、もしくは、日本中で同様に寂れてゆく街の風景の中で、
ボクはひとりの存在と寄り添い、願わくばホッとひと息つけるようなものを作り、
それを必要とされる場所に置いてゆきたいと思っています。

それは雑誌の中の小さなカットを描く時でも、
ネット上の小さな画像ひとつでも、
働かせる想像力は同じでありたいです。

98ヶ月め

2019 年 5 月 11 日 土曜日

今日は2011年3月11日から2,983日
426週と1日
8年2ヶ月
98回めの11日です。

令和になりました。

平成は多くの情報がデジタル圧縮され、人はその情報にアクセスすることで、時間や空間を超え生きる術を得ました。

アナログのデーターのカタチは、乱暴に言ってしまえば円や球です。

膨大なデーターを人に届けようとし、アナログデーターを積み重ねてみると、そこにはどうしても隙間が出来てしまいます。

データーを運ぶ道幅は決まっていて、慢性的に渋滞しています。
そんなところをカサがデカイ割にスカスカの荷物を運ぶことは、効率的な行為とは言えません。

デジタルの技術は、これも乱暴に言ってしまえば、丸い形状のものを四角く削り、隙間なくコンパクトに積み重ねやすくすることです。

アナログレコードの音が丸くて耳に優しいのは、たくさんの隙間を持った球状に広がる音だからです。

その隙間は人それぞれの想像の余地であって、人は音楽を聴きながら(受け取りながら)も脳みそは想像を続ける。
その心地よい疲れが「気持ち良い」のだろうね〜。

しかし、そのデーターを運ぶためには、重い塩化ビニールの円盤に溝を刻んで、大してデーター量を書き込めないクセにかさ張る紙でジャケットを作らねばなりません。
そうして記録出来る音楽はわずか45分ほど。
しかもそれを再生するには、レコードよりさらにかさ張る機械に乗せなければなりません。

こんな非効率なことは無いわけです。

誰でもアクセスし易くし綺麗に積み重ね、効率よく取り出されるようにしておく。
amazonの配送センターみたいなのが理想でしょう。

これから情報はAIに集約され、さらに効率的に活用される時代になるのでしょう。

が、しかし、この丸っこくてスカスカのものがどうにも人を救うものだったりするんだよなぁ〜〜

時代超えの夜にそんなことを考えていたら、イラストレーターの仕事って益々面白くなってゆくんじゃないかってね。

確かな肉体を生かし作られるもの。その価値を磨き高めてゆくことで、今までに無かった絵の活躍する現場なんて創れるんじゃないかと、スカスカの脳みそでワクワク考えています。

その最初の一歩として描いてみたのは、相変わらずその辺に咲いている花なんだが、
そこには今まで出会ってきた人との、ピクセルでは表せない丸っとした記憶が塗り込められているはずです。

こうしたことを、今もこうやってデジタルな現場で語っているわけですが、
だからこそ大切にしなければならないこと、日々繰り返し考え、行動に移してゆこうと思います。

97ヶ月め

2019 年 4 月 11 日 木曜日


今日は2011年3月11日から2,953日
421週と6日
8年1ヶ月
97回めの11日です。

先日は岩手県宮古市へ。
2年前の3月にもお世話になった
岩手県太平洋沿岸部のすべての町から失われた映画館を復活させることで、
地域や遠方の土地とのコミュニケーションを生むプロジェクト”シネマ・デ・アエル”で、
子どもたちと絵を描いたり、展覧会を開催したり、映画上映後のディスカッションに登壇したり。

何より太平洋の真珠のような町宮古と、そこで出会った人たちとの再会が幸せな時間でした。


また、今回の上映作んのひとつ、
福島県双葉町に伝わる”盆唄”を震災後復活させてゆくドキュメントにして、
個人的にはミュージックエンターテーメントとしてとても楽しめた「盆唄」の上映後、
監督である中江裕司監督と言葉を交わせたことは、大きな財産になりました。

ボクがとても大切にしている映画「ナビイの恋」などを通して、
沖縄の人々の深い情や朗らかに生きる知恵を伝え続けてくれた中原さん。

今双葉町を描くことは、原発事故と向き合わざるを得ないことでもありますが、
中原さんはしっかり「ひとり」を見続け、ひとりから放たれる表現に耳を澄ませることで、
ひとりの背景に広がるリアルを確実に、しかし軽やかに描きとったはずです。

双葉町に広がるリアルは、ただ人前に放り出されるので無く、
最後は盆唄にしっかり抱きしめられる映画です。

失われたものに対して打ち鳴らされる盆唄の美しさ!

あの日から8年の春にこの映画に出会えてよかった。

あの日から8年の宮古。
ボクにとっては2年ぶりの宮古は、
変化の中にありました。

「盆唄」に出会った宮古の方々は、
この映画をエンターテーメントと捉える以前で、
福島の原発事故に対する深い憤りと宮古の現状を掛け合わせて受け止めたようでした。

そうしたことに監督である中原さんは、
ご本人としてエンターテーメントとして見てもらいたい「盆唄」を、
「宮古に来てやっとわかった。自分は双葉町の亡くなられた方々に、この映画を作らされたのだと思う」
と発言されていました。

宮古の漁港をグルッと囲むように建設された10mほどの高さの防潮堤には、
「海を失いたくない」という町のみなさんの声に答え、
厚いアクリル板がはめ込まれた小窓がいくつも作り込まれていました。

その制作費、ひとつ200万円ほどとうかがったのだけど、
これは都市伝説だったりするのか?
それとも本当に200万円?

ボクが何度も描いてきた鍬ヶ崎の浜の風景も失われています。

この感覚は、初めて被災の現場に立った時と似て、
初めて出会う風景に心の動きが止まる感じでした。

なので、それに対してボクが何か口にするのでは無く、
ここに暮らす人たちの言葉に耳を澄ませてゆかねばならないと思いました。

津波被害のあった場所では、未来の街づくりの実験のようなことも行われている印象で、
「復興」というものが、そこに暮らす1人ひとりにとってどういうものになるのか、
東京で暮らすボクは、引き続き宮古を訪ね、確認してゆき、
もし必要とされるのであれば、街に生活に必要とする彩りを与える仕事などしたいです。


震災直後から仮設で営業を再開した酒屋さんは、
前回は来た時は海側に移転していて、
今回は元あった場所に立派に再建されていました。

そんな志の先で、どんな人間の物語が育ってゆくのか。
そんな志がどんな美しさを街に与えてゆくのか。

「3・11」という記号を消費してしまうで無く、
「平成」の終わりにボクの勝手でリセットしまうでも無く、
ましてや「復興オリンピック・パラリンピック」などというワードを一人歩きさせることもせず、
自分の足の裏の感覚を頼りに、1人ひとりに出会ってゆかなくちゃだな〜

ワークショップに参加してくれた宮古の子どもたち、
とても豊かな色彩を持っています。

でも前回同様に絵に向かう最初の一歩がとても慎重。

それを前回は東北ならではシャイな資質と思ってしまったのだけど、
2年後の今は、それが全国的な傾向であることを、
この2年間に出会ったきた子どもたちの様子から感じています。

大人が過度に人に気を使い生きている。
もしくは、表現やコミュニケーションを失敗することを過度に恐れる。

震災以降、そんな傾向が深まったんじゃないかと。

子どもたちにはとても豊かなものを与えていながらも、
表現の最初の一歩めのところではつい
「それはやっちゃダメ」という言葉が優先されてしまう。

そういう言葉が使われる背景には、
日本人の「優しさ」という資質があるはずなので、
ボクがわざわざ矯正を促すべきでは無く、

ただ、ボクと子どもたちとの時間の中で、
子どもたちに埋まっている豊かな力を確認してもらえたらいいな〜

ちっちゃいうちに吹っ切れたことを1度でも経験出来ていたら、
いざという時の力になるはずだと思うのです。

などと、ある意味2年前に宮古で感じたことは、
日本の一番最先端で起きていたことだったんだって思いました。

良いものにたくさん出会えた宮古。

旅の最後に「人生フルーツ」なんて映画に出会えて、
その日がちょうど昨年亡くなった父の命日だったりして、

シネマ・デ・アエルの人の輪は、
やはり「死ぬまで会える」絆をじわり構築するものなんだよな〜と。

みんな、焦らず良いもの積み重ねてゆきましょう!なんて願い、
壁面に大量の絵を残して帰路につきました。

会期を延長していただいたボクの展覧会を守ってくれたのは、
この企画がご縁で結婚してお子さんを設けた方。

赤ちゃんのオムツ取り替えながらギャラリー番をします!って。

東京での展覧会みたくワッと人が足を運んでくれるはずは無く、
しかし、「効率」ってことでは語れない福をボクの絵に、そしてボクに与えてくれた宮古です。

30年くらい絵を描いて生活してきた中、
密かに求めていた絵のある風景に出会えたはずです。

ありがとう、宮古!
岩手、東日本
PEACE!!

5度めの「東日本」終了

2019 年 1 月 23 日 水曜日

青山のspace yuiで5度めの開催となったボクの個展「東日本」
1月19日に無事に会期10日間を終了することが出来ました。

年明けのゆったりした空気の残る1月10日に始まり、
足を運んでくださる方の口コミで、お客様が加速度的に増えてゆき、
最終日の賑わいはこれまでで一番ではなかったかと。

そんなワサワサした瞬間でも、しっかり作品や空間を楽しんでくださり、
ボクに温かな声をかけて下さったみなさんに感謝いたします。


最後のお客様は同業の方。

閉廊時間ギリギリのタイミングだったけれど、
それでも1点1点の絵にしっかり慈しみの視線を注いで下さる姿が、
なんだかとても美しく思えて、
今回の展覧会を記憶するものとして、1枚写真を撮らせてもらいました。

足を運んで下さった方お1人おひとりが、
それぞれの時を大切にされ、
1枚1枚の絵と語り合うようにして向き合って下さった展覧会。

震災から8年、5回続けてきたことでボクの中で像を結んでいった、
消費されてしまわない表現のあり方。

向き合う人の想像力を信じ、
心の奥に埋まっている「その人なりの美しさ」を掘り起こせるような
絵やイラストレーションのあり方を、さらに追求してゆける力を得られた、
青山での1枚の絵を介したみなさんとの語らいの10日間だったはずです。

これまで以上に東北の、いわゆる被災地と呼ばれる土地以外を描いた絵が多かった今回。

会期を通して自分の視点を振り返ってみると、
北海道の知床でも、熊本の天草でも、
そこに東北的な価値を見つけようとする目でいた自分に気がつきました。

生と死が隣り合わせの冬の厳しさを擁する知床では、東北で感じた温かさを、
とりあえず人が生きてゆけるであろう天草の温さの中で、東北で得た凛とした清涼感を、
それぞれの風景から削り出したような「ポスト3・11」の僕の視線。

もしくは水俣。

東北を描き続けた先で、熊本の津奈木町のつなぎ美術館にご縁が繋がり、
その隣、幼い時から見てきたニュース映像やユージン・スミスの写真で、
ボクの中ではモノクロの世界だった水俣が、絶対的な夕焼け色に染まり、
その豊かな色彩の変化の中で、東北の太平洋沿岸で失われたものを想像した時間。


これまでの5回を振り返ってみます。

2012年3月の1回めの「東日本」は、
2011年3月11日の時点で1歳3ヶ月だった息子に、
将来「震災」や「被災」を自分の言葉で語れるようにと、
ともかく弾かれるようにして巡った東北で、
思いがけず出会った美しさにクラクラしたまま、
思いつくままの言葉を絵にしていった展覧会でした。

2度めは2014年1月末
東北でのフィールドワークを重ねる中、
「確かなひとり」に出会い、言葉を交わす中、
それまでに出会ってきた東日本から、余計な言葉をそぎ落とし、
心に飛び込んできたシンプルな言葉にフォーカスし、絵を描き始めた展覧会。

3度めは2015年夏
過去2回の「東日本」を、主に西日本に巡回させていった中、
今まで以上に柔らかなの視線でローカルと向き合う術を手にし、
東日本から西日本へと漂白していった、ごく私的な東日本の記録。

4度めは2017年1月
東日本で手にした世界観や絵の技術を「とうだい」という絵本に結実させ、
これまで描いてきた絵を社会で活かす発想や、
今まで1人でやってきたことの隣に並走者を見つけられた頃。
会期を終えた時、少なからずの疲労感を感じ、
次は確かな並走者の必要を言葉にするも、展覧会は”つなぎ美術館”へ巡回。
今に繋がる人との確かな関係の構築が始まりました。

そして5回めの今回。
人との確かな関係は、作品からさらに余計な言葉をそぎ落とし、
絵がシンプルになった分、それを介して接する人との会話は、
よりスムースに饒舌に深めることが出来たかもしれません。

もっとも、
「人との確かな関係」の中には、
どうしようもない喪失がいくつも含まれています。

父の死や、古くからの友人、お世話になった先達、
震災があったからこそ友人になれた人、などなど。

「サンテンイチイチ」などと記号的な言葉で語られ、
放っておけば風化し、ある意味消費さえされてしまうことに対し、
ボクという人ひとり分の血肉を与え、考え、言葉にしてゆく作業には、
決定的な喪失が伴うことだと、想像はしていたけれどね、
現実はとてつもなく容赦無いものです。

それでもボクたちは、
足元に咲く名も無き花視線を投げかけ、
その美しさを記憶してゆかなくちゃならないんだ。

そう思える強さを、
やはり東日本を通して出会ってきた1人ひとりから学んできた8年です。

6回めの開催はあるのだろうか?

その答えを先回りせず考え続けるのは、
2011年3月11日の夜に直感したことに準ずるとして、

そもそもこんな展覧会の必要を感じられない世界であることが
一番なんだけどなあ。

5回めの今回、「東日本」というタイトルの必然についてずいぶん考えたけど、
会期を終えた今、まだ必要としている人ばかりであることを、
南青山のspace yui という美意識の現場で確認出来た2019年1月。

個人的には「イラストレーション」というものの日本語化みたいなことを、
漠然と考え始めています。

今の日本だからこそ生まれる美しい何か。

それも答えを焦ること無く、一歩一歩。

今は「東日本」という展覧会を3月の宮城県塩釜に持ってゆく準備を進めています。

2019花の絵のカレンダー

2019 年 1 月 1 日 火曜日

あけましておめでとうございます。
皆様の無病息災を祈念し、花の絵の仕事をアップしてみます。

SBIいきいき少額短期保険株式会社が採用してくれた
「その辺に咲いている花」を描いた花の絵のカレンダーです。

ほんとに地味な花の絵ばかりですが、こんな絵にも理解を注いで下さり、
こういったものを必要に思ってくれる人を想像し、繋いでくださる方のおかげで、
気持ちの良いカレンダーが生まれました。

ごくごく私的な創作として描き続けている花の絵ですが、
これからもしっかり育ててゆこうと思います。


表紙:知床の野菊 野に咲く花はじっとしていてくれたりしません。
知床で出会った花は、知床の風に吹かれた姿が美しいのだと思いました。


1月:春の七草 栃木県の黒磯に大好きな珈琲屋があります。
そこの若くて働き者のスタッフたちのことを思い、描きました。


2月:紅梅 とても気持ちの良いご家族と時を過ごした後、渋谷で見た紅梅です。
ボクは人と出会うことで花を見つけることができるようです。


3月:サクラソウ 群馬で農家を営む伯父は、ボクの描いた花の名を次々に言い当て、
サクラソウは一株くらいがポツンと咲いてるのがいいと言いました。


4月:染井吉野 渋谷区近所の桜の老木が切られてしまうことを聞いて、
小学3年生の息子が泣きました。それを見てボクもちょっと泣きました。


5月:ポピー 天草を案内してもらっている時出合った花は、
天草で出会った人そのもののように、天草の海風に揺らめいていました。


6月:額紫陽花 大家さんの家の庭に咲く額紫陽花は、
その手入れに丹精込められていた奥様を忍ばせる姿で、雨の中にありました。


7月:ルドベキア 友人のお父さんが働いていた長崎県の炭鉱の島で出会った花は、
やはり出会った頃の友人のように見えたのです。


8月:朝顔 明け方近くの窓ガラスにシルエットで見えた朝顔。
窓を開け「おやすみ」をしてみてから、布団に潜り込んだボクです。


9月:コスモス 震災直後の熊本の益城町で出会った花が、あまりにも凛々しく見えたので、
その後ろ姿だけを記憶に留めることにしました。


10月:野菊 宮城の塩釜の復興市場で働いていた彼女は、 自分の事は二の次に、
その朗らかさでこの地の美しさを語ってくれました。


11月:山茶花 津波で多くが失われてしまった福島の豊間の海岸、そのキワに咲く花は、
ここが多くの人に愛された場所だってことを想像させるのでした。


12月:かすみ草 一年の終わりを静かに過ごしたいと思い、手にした花は、
それでも心に引っかかる焦る気持ちを見透かしたように、ただユラリふわふわ。


一昨年から去年の春と、父の闘病、そして死に至る時に立ち会い、
医療や介護の現場を利用する人にとって癒しになるものを作れたらいいなと思うようになりました。

今回、ご縁をいただいて作れた花の絵のカレンダーですが、
これをさらに発展させたものを企画し、
こんなものを必要とされる方に届ける仕事をしてゆきたい2019です。