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74ヶ月め

2017 年 5 月 11 日 木曜日


今日は2011年3月11日から2,253日め
6年2ヶ月
74回目の11日です。

アップした絵は、
現在熊本県葦北郡津奈木町のつなぎ美術館で開催中の展覧会に出品しているF40号の絵。

今年3月に津奈木町に行った帰りに見た
「3月21日17時37分の不知火の海」です。

去年の4月、今年の3月、展覧会開催の4月とボクはこの海に出会い、
その度その美しさに心を奪われるのですが、
今のところその視線はどうしようもなく観光客のものでしかありません。

今は『美しい熊本の風景との出会いに無垢に驚いている自分』を
面白がって筆を走らせているのだと思います。

熊本を描いた絵で構成された壁面の反対側には、
主に東北の沿岸部を描いた絵があります。

6年かけてジワリその土地に暮らす人を知っていった「東日本」

描いた絵の背景にはそんな人の暮らしや「生」が塗りこまれているはずだと、
ここ1年で描いた熊本の絵との対比の中で感じています。

熊本の南の町での展覧会の会期7月17日まで、
そこで出会う人との会話の先で、新たな視線を持って見える風景はあるかな?

ともかく答えを先回りすることなく、
1つひとつ確かめてゆこうと思っております。


つなぎ美術館での展覧会の設営から開催までの数日は、
津奈木町ととなりの水俣のホテルに滞在していました。

群馬で生まれ育ち、今は東京に暮らすボクにとって、
「水俣」を考えると必ず「病」という文字がセットになって浮上していました。

子どもの頃に白黒テレビの映像と一緒に耳にした「みなまた」という言葉。

『今ボクが生きている世界には痛みと共に生きている人がいる。』

それはどんな場所なのだろうか?

すべてがモノクロームの印象のまま「水俣病」の街を想像し続けて、
やっと、
やっとそこに立つことができました。


市街地から走ってゆくと、件の工場の敷地の広さを実感します。

その先でささやかなスケールの漁港に出会います。

丸島港

漁業が盛んであったであろう頃の残像を、
漁港を囲む街並みから感じながらも、
ただただ思うのは「いいところだなあ〜」ということ。


不知火からの海はどこまでも穏やかで、
すれ違う人はそんな海のリズムを纏っているのでしょう、
その姿をとても優雅なものに感じました。

そしてなにより、
もちろん水俣はモノクロームではなく、
豊かな色彩に彩られた場所だったという感動。

そんなの「当たり前」なのですが、
人の意識のほとんどは思い込みに支配されてしまっているんだということ、
あらためて確認しました。

そして、
先日行った岩手県宮古市の田老の漁港を思い返してもみました。

田老も丸島とで漁港としてのスケール感が重なります。

そこに多くの共通する美しさを感じながらも、
田老から失われてしまったものを丸島に見つけようとしたり、
水俣で起きたことがなんであったのか?
田老でお話をうかがった漁師のおっちゃんの言葉の寂しさを重ねて想像したり。

もちろん、なにかを分かるはずは無く、
分かったようなことも言えるはずなく、
そのどこまでものどかな風景に甘えさせてもらっただけの時間、
だったはず。

そんな風景との出会いがうれしくて、
結局つなぎ美術館まで13kmくらいを走ってしまったのですが、
その途中、水俣川で行われていた高校生のカナディアンカヤックの競技会が、
やはりどうにもエレガントに見えてね〜。

豊かさってなんだろう?

これまで何度も何度も繰り返して考えてきたことをあらためて考え、
それはその時設営中の展覧会のレイアウトに少なからずの影響を与えたはずです。

ボクは今回の水俣や津奈木に滞在中、
その直前にあった政府の復興相の東日本大震災に関する発言、
「また社会資本等の毀損も、いろんな勘定の仕方がございますが、25兆円という数字もあります。これはまだ東北でですね、あっちの方だったから良かった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大なですね、甚大な被害があったというふうに思っております」
についても考え続けていました。

東北の太平洋沿岸部を巡ってきた自分。

東日本の東京に暮らす自分。

熊本県水俣市から津奈木町を往復して展覧会を作っている自分。

それぞれの自分が何を思うのか?
それぞれの自分で想像力の足りていないところは無いか?


昼間にカナディアンカヤックが滑り抜けていた水俣川は、
展覧会の設営の終えた夕暮れ時にはその姿もまったく変えていました。


沈みゆく夕日が演出する光の変化の中で、
数え切れぬほどの色彩を発見させてくれる風景。

その色彩の1つひとつを「何色」と語る語彙力を持たぬボクは、
バスを飛び降り、
ただ「わーー」と心で叫びながら水俣川の堤防を走ってゆきます。


夕闇迫る中、高校生のグループがカヌーを漕ぎだします。

不知火の海に穏やかに注ぐ水俣川。

カヌーの波紋は水面に現れると、
粘土に指で筋を入れたように、しばらくその姿を崩すことなく連なり、
さらなる色彩を魅せてくれた後、徐々に解けるようにして海に交わってゆきます。

ボクはこんな「質」の水に出会ったのは初めてだけど、
たとえば、気仙沼唐桑の入り江の奥の鮪立や小鯖なんて場所の海でも、
波の穏やかな時はこんな粘性の高い水に出会うことはあるのだろうか?

熊本で出会うタンポポの花は白いです。

西日本で未だ生息している日本の在来種だそうで、
「黄色はタンポポ」で育ってきたボクにはとても新鮮に、
しかし、出会ったこと無いくせに懐かしく感じられる花でした。

こんなささやかな場所にも自分の無知に出会える、
無知なるが上の出会いの喜びはありますね。

そんなことを考えて、あらためて、
たとえば人の命に関わる深刻な公害があったとして、

「これはまだ水俣でですね、あっちの方だったから良かった。
これがもっと福岡に近かったりすると、莫大なですね、甚大な被害があったというふうに思っております。」

とは言えないだろう。

そんなこと言えないってわかっていても、
そんなボクこそ、実際に来るまで水俣はモノクロームの世界と認識していたわけで、

しかし、実際は想像力が追いつかないほど色彩が豊かで、
タンポポの花は白く、

つくずく想像力が働かない、
もしくは働かせないことは恐ろしいことだと思いました。

そんなことを東京の帰りまでに、
津奈木町で、熊本市内で、福岡で出会う人たちと話してみると、

九州の人にとっては「東北」は「FUKUSHAM」であることが多く、
それは
ボクが「水俣」と「病」をセットで考えていたことと重なり、

しかし今のボクは、
「東北」は「岩手県宮古市鍬ヶ崎」だったり「宮城県気仙沼市唐桑町鮪立」だったり
「福島県いわきし豊間」だったりがある場所であり、

「水俣」には「丸島」があって「水俣川河口」があって、
そこから8km走ってゆくと津奈木町で、
そこから坂を登ったり降りたりしてゆくと「赤碕」という場所がある。

そんな自分は「TOKYO」に暮らしているという以上に、
「東京都渋谷区の代々木あたりで、街のみなさんと声かけながら生きている」であるなと。

そのことを必死に伝えるボクです。

そうすると九州の友人はこう続けます。

「東北でよかった」とかじゃ無いよね、
「なんでそこに原発があり、なんでそこにチッソって会社の工場があるのか?」

東京という大都会に含まれて生きるボクが常に考えて置かなければいけないこと。
ボクは良い友人に恵まれています。

1997年に水俣湾は安全宣言がなされ、漁が再開されたそうです。

「奇病」と呼ばれるものが発生し、
しばらく経った1956年に水俣病が水俣市から公式発表され今日まで、
どれだけの尽力が重ねられてあのボクの出会った美しい海が帰ってきたのか。

水俣や津奈木町の方とお話すると、
みなさん「ここはいいところだよ〜」と語ってくれます。

ボクのようなものが「東北でよかった」なんて言葉を振り回してはいけないな。

たとえば、福島県双葉郡大熊町に生まれ育った人が、
たとえば、宮城県気仙沼唐桑町鮪立に生きる人が、
「ここはいいところだよ〜」と心から言える日が来ることを願い、

しかし自分は自分の無力を日々確かめ、足りない想像力を働かせ続け、
小さなものを創り続けてゆきます。


水俣の沿岸部を歩いていたら、
草に覆われた丘に見えたところが
実はそこそこ高さのある古い防潮堤でした。

なるほど、こんな巨大な建造物も、
時と共にこんなにも風景に馴染んでしまうんだ。

そしてもう一度、
岩手の田老の漁港のことを考えてみたけれど、

やはりまったく想像力が追いつてゆかない。

個展「東日本」青山-横浜の会期を終えました。

2017 年 2 月 7 日 火曜日


横浜仲町台 YUI GARDEN での個展「東日本」の巡回
3月4日立春の日、10日間の会期を無事に終えることができました。

足を運んでくださったみなさま、
ありがとうございました。

会場で流していた映像「立春より」は、
去年の立春の日から4月14日の熊本地震までの毎日で続けて、
言葉と絵の往復書簡で作ったもの。

1年後の立春の人に展覧会のひとつの区切りを得たこと、
不思議な縁を感じています。

最後のお客様は、昔からの友人からトランペットを習っているという方。

じっくり作品と向き合ってくださり、
絵について3つ4つと質問してくださったのですが、
イラストレーションやデザインの現場とは違った発想の質問は、
ボクにとって刺激的なもので、
あらためて自分の描いたものの意味を知ることに繋がりました。

足を運んでくださった多くの方が、
「気持ち良い空間だった」との言葉を残してくれた横浜での展覧会。

展示設営の際、美しく心地よい空間創りを一番に考えるボクにとって、
YUI GARDEN での開催3度目にして、
「ここに来ることが楽しみ」と言ってくださる方が少なからずいらっしゃったこと、
とても嬉しく感じております。

青山yuiと横浜仲町台YUI GARDENとで1セットになった展覧会の1ヶ月は、
ちょっと長い旅を経験したような気持ちになります。

ボクは家とギャラリーを往復し、現場に立ってるだけなのですが、
それでも旅をした気持ちになるのは、
ボクにとって旅とは人と出会い人を巡ることであるのでしょう。

灯台のようにそこに立っているだけでも、
足を運んでくださる方が多くをもたらしてくださる展覧会。

誰彼拒まず扉を開いているギャラリーという場所、
そこを風通しの良い会話の空間としておく限り、
ボクたちはひとつの絵の前で多くを語りあえることが出来る。

絵が主役なのではなく、
その前に立つ人、そこで交わされる会話こそがボクの展覧会の主役であると、
今回の横浜の時で確認しました。

あるお客様が絵本「とうだい」を3冊購入くださり、
そのうち1冊はその方から手渡されたハンカチの絵を描いた女の子のお父さんに届けるとうかがいました。

絵本「とうだい」の参考にした灯台のある土地で、
東日本大震災の津波被害に遭い、10歳で人生を終えざるを得なかった女の子

彼女の夢は「デザイナーになること」だったそうで、
それを知ったプロのデザイナーさんが彼女の絵を使い企画し製作したハンカチ。

「とうだい」を届けられたお父様はなにを思われるのか、
ボクは想像することは出来ないでいます。

ただ、ハンカチをボクに届けてくださった方も、
そうすることでなんらかの救いを手にされるんじゃないか?

ボクも、それは今のタイミングではないけれど、
いつかこうしたことの先に救いを手にするんだろう。

我々は「被災者」と呼ばれることのない者ですが、
我々の間にも救いの種を蒔き、丁寧に育ててゆくことで、
人ひとりを救えるようなことに繋がらないだろうか。

焦ることなく確かにやって行かなきゃだし、
描く絵もさらに鍛えてゆかねばならないと思いました。

青山での展覧会に比べると、
より考える時間を手にできた横浜での時。

会期中に5度も足を運んでくださった高校生の女の子がいました。

他のお客様がいなくなった際じっくりお話をうかがい、
「将来」や「表現」なんてものについてちょっと偉そうに語ってしまったり、、

でもそういうことだよな〜。

普段ならちょっと恥ずかしいような話でも、
絵の前だったら出来ちゃうし、
そうすることで彼女の未来が彼女の望むものにちょっとでも近けたら、
ボクが「被災地」と呼ばれる場所を歩き絵を描いた意味はあったなと。

そういうことが「復興」のひとつであればと願いながらも、
答えはずっと先でいいから、ともかく続けてゆこう。

そんなやはり普段なら恥ずかしいような話を、
30年ぶりくらいに再会したトランペットを吹く兄さんと、
かなりテレながらも話すことができました。

ということにおいても、
絵を描いてきてよかったなあ〜

下神くん、
おたがい変にシャイで、本格的に変だけど、
これからもおたがい頑張ろう!

この展覧会は、前回2015年の「東日本」の作品を交え、
2月18日から3月5日まで大阪池田のラルゴに巡回します。
http://ameblo.jp/artspace-largo/entry-12239019447.html

次の現場もあらゆる人に開かれた風通しの良い現場になりますよう、
やはり美しく心地よい空間を創ってみます。

「東日本」横浜巡回展 1/23~2/4

2017 年 1 月 21 日 土曜日


小池アミイゴ個展「東日本」
福島、唐桑、東京、熊本。人と灯台をめぐる旅の記録
at 横浜仲町台 YUI GARDEN
2017年1月23日(月) ~ 2月4日(土)
日曜休み
11:00 ~ 19:00

=YUI GARDEN=
224-0041 神奈川県横浜市都筑区仲町台1-33-1 THE TERRACE 1F
tel:045-949-4911
MAP
FB

青山yuiで4度目の開催となった「東日本」と名付けた展覧会。
今回も横浜仲町台の YUI GARDEN に巡回します。

今回の青山yuiでは「東日本」と絵本「とうだい」との関係性をソリッドに表現しましたが、
YUI GARDEN ではそれに加え、
前回の2015年夏の「東日本」からの期間で生まれた作品も交え展示する予定です。

青山に引き続き絵本「とうだい」の販売もいたします。
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=12572

さらに、
熊本の橙書店、塩釜の共栄丸水産、福島のヒトト、
それぞれに向けた恋文を添えた「Peaceてぬぐい」も販売します。

青山のSHOZO COFFEE SOTRE の松本海央さんとの70日間の言葉とスケッチによる往復書簡
「立春より」を9分ちょっとの映像にして流しておきます。

都内からだと「わざわざ」足を運ぶイメージの場所ですが、
ちょっとの心の余裕を持たれ、
昔なら新春を祝う頃の新鮮な時を楽しまれて頂けたら幸いであります。

70ヶ月め

2017 年 1 月 11 日 水曜日

今日は2011年3月11日から2133日め
5年10月
70回目の11日です。

昨日から青山のspace yuiで4度目の開催となる展覧会「東日本」が始まりました。
http://bit.ly/2irg4ZT

昨日の初日を終え、足を運んでくださった多くの方と言葉を交わし、
ひとつ気持ちを落ち着かせて振り返る今朝。

ちゃんと向き合い言葉を交わしてみると、
人の心の中では風化は進んでいない。

しかし、
街ゆく多くの人が考えることを放棄してしまっているんだろう。

そう思えた70ヶ月目の東京青山あたりの人模様。

それをボクは批判的に思うのではなく、
ボクはボクのやるべきことで、人と関わり語り合える、
そんなものを創り続けてゆくだけだろうなと、

この考えは展覧会の会期を通し、
引き続き人と言葉を交わす中で確認してゆこうと思います。

あらためて、

ちゃんと向き合い言葉を交わし続ける限り、
風化なんてことはあり得ない。

が、多くの人が、
たとえばオリンピック、たとえばトランプ、そんな大きな言葉に振り回され、
小さな言葉を見落し、人とちゃんと向き合うきっかけを失ってしまっている。
そんな70ヶ月めの無情を感じています。

去年の7月の終わり、熊本の益城町でコスモスの花を見ました。
住宅地と田んぼとのキワに咲くコスモス。
視線を振れば、地震で甚大な被害を受けた無常の風景が迫ってきます。

それでもボクは、真夏の強い陽射しを浴びたコスモスの、
透き通って輝く花びらの後ろ姿を儚くも美しいものだと感じて、
やはりボクが描くものは東日本での経験と同じく「被災」ではなく、
その土地に生きてきた人の暮らしの息遣いだったり誇りなんだと、

人の生活のキワに置かれた色っぽいコスモスの花の後ろ姿から、
益城町で生きてきた人の姿を想像したはずです。

だからって「せっかくだから正面の顔も見てみよう」なんで思ったら、
田んぼだかドブだかに足を突っ込まなきゃならない。

そうやって見たとして、
陽の光は順光で花を照らしてるわけで、
「見えてしまう」ってことで、後ろ姿から感じたものが損なわれてしまわないか?

そもそも自分自身が陽の光を遮る立場になってしまうわけで、
本末転倒なことではないか?

自分にはコスモスちゃんを振り向かせるほどの器量もないしな、、なんて自問。

コスモスの輝ける後ろ姿に心を奪われるも、
身の程に合わぬ欲にイタズラに振り回されるようなことはせず、
この場を静かに後にするだけなんだよな。

こんなことをあらためて言葉にしてみたのは、
昨日の展覧会でボクのフィールドワークでのアプローチの仕方を訪ねてくれた人がいて、

ちょっと答えに窮しつつ、
描いた絵を見渡して再確認。

「なにかを知ろうとしないこと」
「必要なものは勝手に心に飛び込んでくる」
「あとは察すること」

そんな答えを返したはずです。

特に今は「察する」という力が世の中から失われつつあるんじゃないかな。

人の知らなくてもいいことをほじくり返して、
なにか達成したような気分に浸っている。

そこには考えることも想像力なんてものもなく、
ひとつコンプリートしたら、またひとつという欲を呼ぶだけで、

もしかしたら「絆」なんて言葉も、
オリンピックと抱き合わせで使われる「復興」なんて言葉も、
ただただ消費されてゆくだけのものに思えてしまうのです。

去年の年の瀬に、被災地と呼ばれる土地に暮らす方から、
新しい命の誕生のご報告をいただきました。

それが自分の想像以上に嬉しい出来事として感じられたことに、
ちょっと驚いたボクです。

片や、ひとつの喪失から時を止めたままの方、
そんな方がほんとに多く存在することを
心の中に置いたまま暮らしている今でもあります。

ひとつの命の問題に先回りしてなにか語ってしまうことで、
なにかを得る人もあるだろうけど、

ボクは誕生にも喪失にも自分の無力を突きつけられてばかりで、
ただ察し、その時目に入った小さな入江のキラキラ光る水面や
陽に照らされたコスモスなどを心に焼き付け、
しょうがない絵にしておく。

それに触れた方が、自身の心の中になにを見つけるのか?

その部分では思い切って人間を信じてやってゆこうと思います。

思うに「察する」という能力は、
失敗と喪失の繰り返しの中で手にするものじゃないかなと。

ただ、今はひとつの失敗でその人の全てが否定されてしまったり、
喪失を短絡的に絶望に結びつけたり、
そんな発想で人が息苦しさを感じている社会なんだろうなと。

ひとつの失敗を受け止め次を発想出来る社会。

「とうだい」は荒れ狂った海でもがく船に
「おーい おーい あらしにまけるな」
「とうだいは ここに いるぞ」と呼びかけます。

未来とか復興とか、
そんなものであればと願う70回目の11日です。

60ヶ月め

2016 年 3 月 11 日 金曜日

R0015734
今日は2011年3月11日から1828日め
5年
60回めの11日です。

5年前の3月11日の夜に日本列島の絵を描きこのブログにアップしてから
毎月11日に綴ってきたブログ。
JAPAN
なんとなく「5年は続けなくちゃ」と思い
しかし「5年も続けられるのか?」と思い

結果、5年はあっという間で、
これからやらねばならないことばかりが見えている今日です。

JAPAN_585

1828日

日々自分の無力を受け入れ、
大きなことは手に負えなかったりするけど、
「1日」とか「1人」なら次の5年も続けてゆけるイメージ。

身の回りに小さな会話の花を咲かせ、
人との風通しの良い関係を構築し、

そうすることでボクはこれからもしつこく考え、
絵を描き、
毎月11日には言葉を並べてゆきます。

R0015237
先日はLOVE FOR NIPPON のイベントで知り合った、
福島県双葉町出身で、現在は都内でデザイナーとして活躍し、
双葉町再興に向け、そのアイコンとなるダルマを使った企画運営を行う
GASさんこと、菅さんのお話をうかがってきました。

高校卒業後双葉町を離れ東京へ。
それは「早くここから出たかった」という思いと共だったそうです。

そうして2011年3月11日

悲劇の中からも、あらためて故郷を発見。

心の瞬発力を持って今の活動を興していったこと、
短い時間ですがうかがうことが出来ました。

その考えの推移が、
なるほど、ボクの心の移り変わりとシンクロするなあ〜と。

彼のダルマを使ったアクションがポンと心に飛び込んできた意味、
実際にお会いしてお話したことで確認することが出来ました。

なんつったって、いい男なんだ、GASくん。

R0015240
話し終えて外に出ると、
東京の街がちょっとマシに見えた。

そういうとこだよな〜

今後、微力ではありますが、
彼の活動を応援することで、本来見るべきものが見えてくるんじゃないかと。

みなさんにもお願いすることが生まれるかもしれませんが、
まずは答えを先回りすることなく進めてゆこうと思います。

R0015662
先日月曜日は福島県の郡山へ。

震災&原発事故以降、
放射線量の高い地域の子どもたちを安全な場所に運び遊ばせる
「移動保育プロジェクト」の活動を重ねてきたNPOの代表
上國料さんにお会いしてきました。

昨年秋にリアルな保育所を開設。
「移動保育プロジェクト」はその役割を終えたとのこと。

そこに至る経緯(とんでもない苦労)
もしくは、鹿児島出身の上國料さんの人となりだったり、
こんな活動に身を投じた理由などを伺ったのですが、

いつのまにかボクが自分を語っている。

上國料さん、人の話を聞くのがとても上手いんだ!

とても人ったらしで色っぽい人なんだよね。
人としての色気が、いざという時の瞬発力に繋がるんだって実感。

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保育の現場の大変さは、東京も郡山も変わらず、
日々は壮絶な喧騒に包まれ、お話中も絶えず携帯が鳴っていた上國料さん。

それでも、観念的のものを考えるのではなく、
日々の実感を現場に注ぎ、人材を育ててゆく人なんだと。

ボクからは他業種だけど、
那須のSHOZO COFFEEや富ヶ谷のルヴァンなんて場所のあり方伝えつつ、
次は酒でもと約束し、
(郡山で食べた蕎麦と地酒が、うまい!うまい!!)
郡山という場所、福島という場所を好きになり
東京に帰りました。
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そんな郡山の直前、
先週の金曜日は那須のSHOZOで2度目となる絵のセッション
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黒磯の街を歩き、
心にとまったデザインをシンプルに描写、
1人ひとりが街に望む色で塗りあげるワークショップ。

日本のほとんどの街で見られる
疲弊した商店街が見せる風景の中で何をみつけられるのか?

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SHOZOという美意識の中で働く若い人たちは、
それだけで感性が磨かれ、
思いがけず美しい絵、
生活の中に置き日々眺めていたいような絵が生まれました。

後で写真を整理してたら、
なるほど、絵を描いた人が絵と同じ色彩の中で生きている。
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では、こんな色彩を那須の自然や黒磯の街と調和させてゆくには?
いやいや、日本全部に染み渡らせるには?とかね、
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これからも彼らとのセッションを重ねられたいいなと願いつつ、
ボクがSHOZOから感じるものは、
ますます生きる本質みたいなところに向かっているようです。

で、今回のサプライズ!
以前SHOZOのアパレル店 04 STORE で働いていて、
今は故郷の福島市に帰っていた大橋佑香さんとの再会。
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ボクが初めて04 STORE で Tシャツを買った時、
彼女が実に丁寧にラッピングする手元に釘付けになってしまし、
そうして大切に手渡されたモノは、単なるTシャツを超えた特別なモノ、
なんだか、彼女が生きている意味そのもののようにさえ感じて、
ボクはこのブランドの服はここで、大橋さんから買おうと決めたし、
そのTシャツの首回りがボロボロになった今も着続けてたりもします。

西日がキラキラ差し込む小さな店のレジ脇で、
ボクは未来の生き方を教えていただいた。

それくらいの経験をしたということです。

その時はお姉さんに見えた彼女だけど、
再会した今回はまるで学生さんのようなイメージ。

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話をうかがうと、
というか、真剣にご自身から語り始めたのだけど、

震災後の福島で、真面目に美味しい野菜を作っている農家さんを応援したい。
私の出来ることで福島を元気にしてゆきたい。
そんな思いの先、
東京吉祥寺から移転してくる自然食の店を手伝うことになったって。

もうね、キラッキラした目で語るわけです。

福島、いや、東日本は未だに風評被害の中にあります。
しかし、人の食に対する不安を否定することも出来ません。

だからこそ真面目な生産者さんは、
自分に課した安全基準をクリアさせることに取り組んでることは、
行き先々で出会うことです。

そんな生産者さんと消費者を「信頼」で繋ぐ仕事。

ボクは大橋さんという美しい個性を知っています。

そんな彼女がどんな生産物を届けてくれるのか?
とっても楽しみだし、
その活動を見守ってゆきたいし、
お手伝い出来ることがあれば形にしてゆきたいと思いました。

SHOZOさん、
良い出会いをありがとう。
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絵を描いている時は、
幼い表情も見せてるSHOZOのスタッフだけど、
働く姿はみんなカッコイイ!

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もしくは、
冬場に荒れた道路を道普請する姿だったりね。

日々のなんちゃーない部分に
生きる本質は宿るなあ〜と。

こんなマインドが、
たとえば被災地と呼ばれる場所の「復興」に組み込まれたらいいのになあ〜と。

そういうことは、行政がなにかする以前に、
これからの5年とか10年とかの中でボクたちがやってかなければならないことだと、
ちょっと語気を強めて言葉にしときます。
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今回は那須から郡山に移動する途中というか、
大きく寄り道というかですが、会津を歩いてみました。
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震災後、福島はいわきを中心とした太平洋沿岸部に足を運んできましたが、
あらためて福島県のスケール感感じてみたいなと。

そんな思惑は、
磐越線の車窓から磐梯山を望み見た瞬間に達成。
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沿岸部の人が海をアイデンティティに、
そこが悲劇の土地であろうと「戻る」人がいることと同じく、

磐梯山の雄姿は、
この土地で生きる人たちのアイデンティティであり、
生きる勇気なんだとそうしようもなく思うのです。

冬は厳しいが美味しい米の採れる豊かな土地。

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福島県は奥羽山脈と阿武隈山地と太平洋とに切り取られ、
会津、中通り、浜通りと、
それぞれ広大な土地を有し独自の文化を育んできたけれど、

それは本来地続きであり、
東京にも西日本にも繋がっているのだけれど、

人の心に巣食う何かがボーダーを引っ張り、
福島をいびつな形に見せてしまってるんだって実感。

「あれから5年」を直前にしても
のんびりとした時が流れていた会津
駅前の賑わいが楽しかった郡山

そんな姿を東日本の中で出会えて
よかった。

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東京にもどると、
代官山でティーンズ相手に絵のセッション。

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池袋ではオトナなみんなとも宮城県塩釜を思い絵のセッション。
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ほんとね、無力ばかりを実感してるんだけど、
だけど、なにをやれば良いのか、ちょっとづつ確認出来ていて、
それは「5年」とかでピリオド打てるものでは無い。

でもって、
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描き終えたと思った絵。
旅から帰り描きなおしました。

いわきの田んぼ