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114ヶ月め

2020 年 9 月 10 日 木曜日


今日は2011年3月11日から3,472日、
496週
9年6ヶ月
114回目の11日です。

熊本県で7月4日の発生した豪雨被害。
その被災地3カ所の保育園の子どもたちと絵を描いてもらいたいとの要請を受け、PCR検査陰性を確認直後、熊本に飛びました。

日本の沢山の自治体を繋ぐ”応援村“の『77億人えがおプロジェクト』の要請で、
くまモン夢学校“企画として開催のワークショップ。


小山薫堂さんが企画を牽引する中、松任谷正隆さんとのディスカッションの中で生まれた『77億人えがおプロジェクト』は、コロナ禍の中人と人の関係が希薄になりが世界を、こどもたちが描く笑顔の絵で元気にしてゆこう!という発想のもと動き出しました。


すでに2,000点ほど集まっている「笑顔の絵」は、ユーミンの名曲「守ってあげたい」に載せ、ミュージックビデオとしてNHKで放送される作品になる予定です。

が、
こんなタイミングで行って良いのか?
豪雨被害から2カ月弱のタイミングで迷惑ではないか?
もしくは、いただいたテーマ「笑顔」が子どもたちにとって先回りし過ぎではないか?
中には笑顔どころじゃない子どももいるんじゃないか?
そんなエクスキューズが頭を駆け巡ります。

東日本大震災以降絵を描くことを通して接してきた子どもたちから学んだことは、子どもたちの今をただただ抱きしめてあげる。

そんなだったので、
今回も「なにが生まれるかわからないけどいいですか?」との考えをご理解を頂いた上でのセッションとなりました。

現場では自分から自身の体調チェクをしてもらうようお願いし、感染予防を徹底。(「もうしわけないですが、体温計らせてください」のようなお心遣いの言葉をかけてもらうことが多いので、まずは自分から。)


そうした原則を足場に子どもたちと向き合ってみたら、
「今来ることが出来て良かった」と思えるセッションとなりました。

3日間で巡った球磨村、人吉市、芦北町の保育園。

それぞれのエリアの豪雨被害の惨状は、
たとえば福島県いわき市豊間で見た風景、
たとえば、岩手県宮古市鋤ケ崎で見た風景、
もしくは、熊本県益城町で見た風景と重なる
「壊滅」という言葉しか浮かばない風景でした。


ここで生まれ、豊かな自然環境の元 4年、5年と元気に育ち、
しかし、7月4日の夜に恐怖の夜を経験したした子どもたち。

保育園の先生方がしっかり向き合い、守ってきたんだろうね、
俺のような外部の異物が乱入しても、まずはしっかり向き合ってくれ、
笑顔も投げてくれ、
じゃあ絵を描くよ!となれば、グイグイの前に進んで行く。


が、アウトプットされる絵には、洪水の恐怖が絵具と混ぜこぜになって表現されているのも感じる。

が、オープンなコミュニケーション重ね続け、彼らが動かす手の勢いを加速させてゆくと、そうした「なにか恐ろしきもの」が「なにか美しきもの」へと昇華させちゃうのが、本来子どもが持ち合わせる力なんだろう。



笑顔を描くというお題を超えた、黒く塗り込められたりA4の紙の美しさ!


別の現場では、絵の具で黒く塗った手を紙に叩きつけるようにして塗っていた男の子がいて、でも「やりたいことはとことんやったらいいね!」見守り、その勢いのある表現に美しさも見つけられて、
でも一応先生に「彼はなにかあった?」と聞いてみると、
洪水の夜にものすごい恐怖の体験をした子なんだって。


が、絵を描き終えてしまえば笑顔爆発させた元気でいい子に戻っている。



しかしBOY、君はいつもいい子でいる必要は無く、
憤る気持ちがどうにもならなければ、また絵の中で暴れれば良いよ。

紙を叩く手が人に向かってはつまらない。
しかし、紙に向かえばそれが君のアート。


そして、こんなワイルドなセッションを経験した保育園の先生たちは、
これからも君のアートに付き合ってくれるはずだぜ!



笑顔も恐怖もどちらも子どもたちの表現。
そのどちらも否定するすることなく、受け止めることの大切さ。

何より、描いた笑顔の絵以上に、心と体を振り切って描いた子どもたち1人ひとりの笑顔こそが、本来オトナたちが子どもたちと作って行くべきものなのだろう。


子どもたちの描く笑顔に癒されている場合では無く、子どもたちが笑顔でいられるよう目の前にあるやるべきことやってゆかねば。



しかし保育園の先生たちの愛に溢れた尽力を目の当たりに、俺もまだまだやらなー!と思えた熊本子どもセッション。

芦北の保育園では、1階の広い保育室が被災して使えず、しかし復興に尽力する親御さん達を助けているという避けられぬ理由もあり、2階のスペースをフルに活用し保育を行っていました。



園長先生に発災時から今まで、そしてこれからも続くであろう苦労話しをうかがい。その全てが子どもたちを守るということに向かっていることを知り、ただただ胸を締め付けられるばかり。
東京で(東日本の現場なども知りながらも)ぼんやりとしてしか感じられなかった被災は、ひとりの話をうかがうだけでその輪郭を確かにし、想像を超えた実像を心に叩き込んできます。


しかしメディアはどうしても「大規模な絵」を求めてしまうわけで、
そうしたことを批判する以前に、静かな心でひとりの言葉に触れるようなことをしてゆかねばと、あらためて痛感。

子どもたちに笑顔を描いてもらうというファンタジーのような企画だっけど、
ボクは笑えぬ子どもたちもいるであろうことを想像し、彼らのリアルにだけフォーカスしコミュニケートした。
そうして見えたものこそ、未来笑顔を創る力になるはず。

現場を繋ぎ構築してくださった皆々様、ありがとう。

どこの現場でも、車で現場を去るボクたちに手を振り続けてくれた人たち。
また会いに行き、ありがとうを伝えます。

その前に、お世話になった球磨村、人吉市、芦北町、そして津奈木町へラブレター

使い道あったら使ってみてください。

人吉ではボランティアセンターとなっているホテルに寄って、色々お話を聞けたのだけど、コロナで外部からボランティアの受け入れが出来ない中、県内の学生のネットーワークを構築して、かなり素早いボランティア組織を形成した実行力に関心。
ほんと、誰かにお伺いを立てるなんてこと以前に、目の前の困難は誰かが排除しなくちゃって、これはリアルに命の問題。

で、やはりこういう現場に駆けつける人たちは、なんつーか人として色気があるんだよね〜。


そんな現場で気仙沼で会ったお兄さんと再会。
だよな、俺たちはこういう場所で再会する仲間なんだよなと、お互エールを送りあい、次の台風を心配し、別れました。