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53ヶ月め

2015 年 8 月 11 日 火曜日

日本列島くん新色
今日は2011年3月11日から1,614日め
4年5ヶ月
53回めの11日です。

ボクと長崎諫早のオレンジスパイスと手ぬぐいの「かまわぬ」との
震災以降のマインドシェアプロジェクト「Peaceてぬぐい」
https://www.facebook.com/peacetenugui?fref=ts

4刷めの今回、新色を作りました。

初回の紺色をベースにしたものに対して、
今回は東北の太平洋沿岸部の海の色をベースにしました。

東北の海と言うと「濃い碧」というイメージなのですが、
天気の良い日のリアスの深い入り江では
キラキラしたエメラルドの海を見ることができます。

冬の厳しい寒さが「東北」のイメージの多くを占めがちなのが、
東京に暮らすボクたちだと思うのですが、

夏のきらびやかな色彩を知るからこそ、
冬の風雪にも耐えることのできた東北人というものを、
エメラルドグリーンの海が想像させてくれました。

「あの日」から4年5ヶ月
ボクがお付き合い出来ている東北の「元気な人たち」は、
自身が「被災者」と呼ばれる立場であっても、
もしかしたら、そろそろ自身よりより厳しい立場にある人、
たとえば、宮城や岩手の土地から
福島の原発事故の困難の渦中にある人に対して「なにか出来ないか」と
考える余裕を手にされている方がいるんじゃないか?
そんな実感のもと、

今までは「被災地」と呼ばれる土地のこちら側で、
風化を抑え、想像力を生かし続けるきっかけになるため
働かせてきた手ぬぐいを、

「被災地」と呼ばれてきた土地の中でも働かせる可能性を想像し、
初回の背筋を伸ばしたような色彩から、
より楽しげな色を選んで作りました。

これを実際にどう扱ってゆくかは、
これを扱われる方1人ひとりの想像力に委ねるしかないのですが、
前回の紺色共々、お取り扱いご希望の方は、
商品管理をしてくださっているオレンジスパイスまで
ご連絡くださいませ。
http://www.orange-spice.com

また、東京都内では、
「かまわぬ」代官山店で引き続きお取り扱いくださるほか、
8月20日からのボクの個展でも販売しますので、
まずは美しい仕上がりの手ぬぐいに出会いに来ていただけたらです。
・展覧会詳細
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=11453

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手ぬぐいの売り上げの一部は、
引き続き福島県内で行われている
放射線線量の高い地域の子どもを線量の低い土地で遊ばせる
「移送保育プロジェクト」への寄付とさせてもらいます。
http://idouhoiku.com

今回はそれと合わせて、
東北からの手紙「ウミネコ書簡」というものを添えました。

宮城県塩釜の港で出会い、その後も懇意にしていただいている、
養殖業を営む協栄丸水産の長女、水間さわこさんの「今」を
手ぬぐいに寄せるという視点で言葉にしていただいています。

震災で大変なご苦労を重ねてこられたご一家ですが、
その中でも希望が見え始めている。

悲劇の土地は、そこに暮らす人にとっては、
当たり前の土地であり、希望の土地でもあります。

手書きの文章だからこそ想像しうる「人の営みの美しさ」
手ぬぐいの肌触りと共に触れてもらいたいと思いました。

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あの日から1,614日めの今日、
川内原発再稼働がニュースのトップになっています。

安保法案を巡る国会で議論の応酬や、

2020年東京オリンピックに向けた
ずさんな計画(開発)案が公になったり、

沖縄の基地問題やTPP導入に向けての動きとか、

そういったことに直接「反対」の声を上げることが
2011年3月11日以降当たり前になってきました。

ボクがそういったすべてに対して思うのは、
「ちょっと待ってくれ」ということ。

震災の夜の暗がりの中、
多くの人が「助けあわねば」と願い、誓い、
日本人としての優しさを総動員し必要な対話の扉を開けたはずです。

義援の初期段階で大きな力が「被災地」と呼ばれる土地に注がれるも、
「被災」というパーソナルな問題を前に、
一個一個確認してゆかねばならないことばかりであることに気づき、
しかし、実は「復興」のイメージを社会全体で共有は出来てはおらず、

そんな先で、やはり3000億円なんていう新国立競技場建設費は寝耳に水なわけで、

いやいや、ちょっと待ってくれ、
社会が必要とされるもの、みんなで考えてゆくんじゃなかったっけ?と、
ともかく残念に思うのです。

これは現政権を批判すれば良いということではなく、
前政権、さらにその前からと繰り越されてきたことも確認しなくちゃならないし、
当事者意識が欠如していた自分のあり方も見直さなきゃならないわけで、

震災で起きた人命に関わる問題は
ともかく最優先にやらなきゃならないのは当たり前として、

しかし「これからどんな社会にしてゆくんだ」という考えの伸びしろは、
今を生きる人1人ひとりが手にし、
その上で、落ち着いて考えを交換してゆくべきことなんだと思うのです。

そういった唐突な事案に、瞬発的に「反対」の声を上げるのは、
動物としての必然であるように思います。

ただ、言葉を発することは、そこにフィジカルな喜び、
もしくはカタルシスを得るということでもあり、
そこに熱狂が発生した場合、言葉の一人歩きになりかねないなあと。

知人のボクよりずっと若い女性が、
やはり直感的に安保法案反対のデモに参加してみたが、
そこで使われていた言葉の「痛さ」に耐えられなかった。

そんな胸の内を伝えてくれると共に、

彼女が取り組んでいる仕事から、
人を幸せにする道を探ってゆくのが「私のやり方」だと思ったと、
これは宣言のようにして語ってくれました。

これはデモを批判する話では無く、
与えられた権利として必然あることを訴えてゆくべきと信じています。

ただ、言葉を必ず自分に返ってくるし、
自分の身の回りの人にも影響を与えてゆく。

場合によっては、その声の大きさに耳をふさぐ人も現れ、
結果社会全体の思考停止に繋がる。
もしくは、繋がるように仕向けられる。

そうならないためにボクがやるべきことは、
「痛さ」に耐えられなかったという
ひとりの弱く小さな声に耳を澄ませることではないかと。

そういうことに対してこと、
絵で出来ることの可能性を感じているあれから5回目の夏。

そして70回目の夏。

震災直後に被災地に足を運び感じたのは、
そこには強烈な匂いがあるということ。
もしくは凍てつく寒さや真夏のとろけるような暑さ。

液晶画面のこちら側に決して伝わってこないものはあります。

言葉も同じで、
戦争を語るのでも、復興を語るのでも、
そこに死の現場についてまわる強烈な腐臭の実感や、
どうにもならない手のかじかみや流れ落ちる汗の記憶など、
そういった裏付けが内包されているのかいないのかの判断。

日々ボクたちの想像力は試されているはずで、
ボクであれば絵を描くことで想像力の井戸を掘り続け、
そこに湧くを水を誰彼の垣根無く配り続けたいです。

あらためて、
8月20日からの展覧会の現場が、
みなさんの小さな声で溢れるようになればと願っております。

小池アミイゴ個展「東日本」そして西日本漂泊
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=11453

豊間ビーチ2014

最後に、
先月ワークショップ3連チャンで訪れた気仙沼の唐桑で、
ボクも参加させてもらっているアートアクション
「気仙沼Tシャツ海岸in唐桑半島」が始まっています。
https://www.facebook.com/tshirtkaigan

復興よりちょっと先の未来を想像してる人たちのアクション。

気仙沼の唐桑ののんびりした空気を吸えたら、
あとはその辺にいるであろうスタッフだれとでもいいから
あれやこれや言葉を交わしたらいいね!

16日までの会期で行けるひとがあれば、ぜひ!!

ボクはみんなとのワークショップで描いた、
子供の頃歩いた街のイメージをTシャツデザインにしましたので、
見つけてみてください〜
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