田無ワークショップ容赦なし

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5月16日は雨の予報を蹴散らして田無へ
田無神社で開催されるローカルフェス「やおよろずのさんぽ市」で、
小池アミイゴのだれでも絵が描けるワークショップでした

HP
http://tanashi-naokichi.com/dragon/
FB
https://www.facebook.com/sampoichi?fref=ts&pnref=story

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田無神社というローカルの立派な装置の中で、
のべでどれくらいの人が参加したんだろうか、
ともかく昼前から夕方までみなさんマイペースに
この現場を楽しんでる感じが、意外や新鮮。

主催は田無でオープンな場所と時間を提供しているカフェ「田無なおきち」
http://tanashi-naokichi.com

ボクが絵とライフスタイルを学んだセツモードセミナーの後輩である
佐藤うららさんが営む店と、そこに集う人達が企画しています。

セツ出身の人ならではだと思うけど、
イベントの「ユルさ」が本物なんだよね。

そう思うのは、
「ユルさ」を観念的に考え頑張って演出してる
そんなイベントに出くわすことが多くなったな〜と。

人生のある瞬間に長沢節という美意識に触れ
絵とライフスタイルを学んだという記憶は、
持たざるものが一生をなんとか生きながらえる知恵を与えてくれてるはず。

そんなユルくも確かな足場があることを感じ、
どんな現場よりも表現のアクセルを踏み込めたように思います。

踏み込んでも、そこは未舗装のぬかるみだったりするんだけどね。

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「踏み込めた」のひとつの正体は、
子どもたちに対するアプローチというより、
お父さんお母さんたちに対するアプローチ、
もしくは、子どもと大人との距離感の調整、
もっと言ってしまえば分断。

お父さんお母さんもなんらかの表現をされている
そんな集まりであったはずで、

子どもたちが絵を描き始めると同時に
オトナも手を動かし始める、
そんなオープンな空気感が素晴らしいのだけど、

そのオープンさの中で、
子どもは今この瞬間にやっていることの本質って、
意外や見落としているんじゃないかなと、

表現において信頼のおける主催者の存在があるからこそ、
いつもより「見えてる」自分があったようで、

いつもより口うるさくオトナと子どものコミュニケーションを分断させ、
子どものリミッターを破壊させてゆけたように思います。

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たとえば
こういったワークショップでオトナが子どもに語りかけがちな
「自由に描いていいんだよ」という言葉があります。

ではオトナは何を持って「自由」を基準づけているのだろうか?

そもそも日本のオトナで「自由」を説明できる人ってどれだけいるのだろうか?

もしかしたら、自分では説明出来ない「自由」を子どもに押し付け、
その表層的な現象を見て「子どもらしい」なんて価値観で納得してないだろうか?

そもそも「子どもらしい」の基準はなんだろう?
(まあ、ぱっと見で感じる「子どもらしい」は否定するもんじゃないけど)

いやいや、ボクだって判断出来ないことばかりなんだ。

だから、目の前で子どもがやっていることから発見してみる。

それがどういうことなのか、
答えはすぐに得られなくても、ただ見て感じる。

そんなことが大切なんじゃないかと思うのです。

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たとえば、
「自分モード」に入ってすごい絵を描き始めた子どもがいるなと見ていたら、
その子のお父さんが「こうやって手に絵の具を塗ってペッタンすると楽しいよ〜」と、

その会話が聞こえた瞬間に
「あ、今はそれやらないで」「お子さんは今すごくキレイなの描いているから、放っておいたらいいっすよ」
なんてね、

世の中の「お絵描きワークショップ」と称するものの中で
オトナが子どもについついな感じで「手形」をやらせてしまってるよなあ〜。

それが美しい絵に仕上がれば良いのだけど、
なんだかオトナの思惑が空回りしただけの
それこそオトナの願う「子どもらしさ」で完結しちゃった
みすぼらしく弱々しいものってことが多いんだよ。

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手に絵の具をつけてペッタン

これを否定しないし、
実際やったら楽しかったりもするけれど、

こんなの放っておいたら子どもが勝手に発見する技術で、
それをやるかどうかも子どもの判断でいいんじゃないかと。

そんなこと以上に、
今目の前で子どもが凄い絵を描いてるぞ!という発見に驚き、
子どもに向かって「すげーなあ!」と言ってあげる。

そんなことの方が思いっきりクリエイティブではないかと。

この日のボクは、もしかしたらお父さんのプライドを傷つけかねない
割り込み方をしてしまったけれど、
でもその辺のケアもこの主催者なら安心だろうってね。

で、実際、その後そのお父さんもお子さんと共にリミッターを外し
表現の初期衝動の階段を駆け上っていってくれたのが
うれしかったなあ〜

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「自分モード」に突入して絵を描き始めた子どもがいたとして、
しかし、実は手元だけで夢中になっているのではなく、
まわりも感じた上で「何色を塗る」なんて選択をしている。

これは最近の発見なんだけどね、

言葉でどうにもならないことも、
絵でコミュニケート出来たりしてる。

その原始的なコミュニケーションの輪に
オトナがもっとフラットに入って楽しむことができたら、
その経験は息苦しさを感じる今の社会を生きてゆく上で、
とてもしなやかな力を与えてくれるんじゃないかと思うのだ。

こういった現場は、
まずは意識の高いお母さんがお子さんを連れてきて、
お父さんは「まあしょうがない」って感じでくっついてくるだけで、
所在無くも、いざとなると子どもにモラルを説く立場に収まってしまう。

じゃないんだよなーーー!!

子どもは放っておいても開放される

必要なのはオヤジの開放なのだ!!

なんて確信を得た現場
半端ない輝きの色面を生み出して終了!
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実は5歳の息子も参加させた今回。

ワークショップ終了後、
子ども同士で意気投合し鬼ごっこを始めたのだけど、
それが田無神社の大切な祠(ほこら)のまわりだったりして、
ボクがやめさせようとしたら、
小学生4年生くらいの男の子がやってきて
「ここで遊んじゃダメ」って全員強制排除。

知らない男子先輩に手を引かれて排除される5歳くんは
呆然としつつも何か言い訳みたいなこと口にしてたけど、

いいねえーー!
こういうの。

こういうことだよ

こういうニイちゃんがいれば、
ボクがワークショップする必要は無し!

なにより
この日集まったワルイ子のみんなのパパが
この光景を見ることが出来たらなあ〜と。

うららさん
クリエイティブで破壊的でザクッとした現場、
ありがとう!

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