平塚養護学校で


9月22日は神奈川県平塚市へ。
小田急線の伊勢原駅から車でちょっと走った先、
平塚養護学校で午前と午後の2回にわけて
小池アミイゴの誰でも絵が描けるワークショップでした。


主催は学校ではなく、
「こどもよかよか」というグループを形成し、
福祉の現場を元気にしてゆこうと奮闘している方々

1度ボクのワークショップに参加してくれ、
その後、遠路はるばる打ち合わせに足を運んでくださり、
この日が実現。

ワークショップ会場となる体育館には、
新聞紙がファンキーに敷き詰められ、
もはや空間が作品になってました〜!

午前中の22名とのセッション

よかよかのメンバーで養護学校の先生でもあるKさんから、

小さい子から高校生にあたる人まで
重度の肢体不自由の人で知的障がいも併せ持つ人も来ますが
だいじょうぶですか?

と。

ボクの答えは、

きっとダイジョウブじゃないはずだけど、
ダイジョウブじゃない自分を発見したり、
そんな自分を見てもらうのも意味あるはずで、
そうなったらみんなで智恵を出し合って解決すりゃいいし、
そんなことこそ意味のあることなんじゃないかな。

なんてね、

「障がい」に対しては素人だけど
絵を描く人とのコミュニケートならなんとかなるだろうと。

ともかくノホホンと、
「はじめまして」のみんなに会うのが楽しみ!
そんな気持で臨みました。


それでも、
車椅子でやってきてくれた子たちを目の前にして、
「どうやって描くかね?」なんて戸惑いもあり、

しかし、
親御さんや先生たちに抱えられ
体育館の床の上にドシッと着地した姿が猛々しくて、
その姿をキャンバスに型どることから始めてみたら、

スイッチオン!

5mのキャンバス2枚
30分でイッキのドローイング
1時間でイッキの着彩!
みんなの作品ドドドと完成!

引きで見ればナイスなアート

近づいて見れば、
1人ヒトリの生きてきた時の痕跡。
「個性」てヤツだ!

人によっては、
筆の動き、そのほとんどスベテが介助の人の力で行われるのだけど、

その人は介助を受け入れるナニかを持ち合わせてるんだよね。

それは日々を共にしているご家族が、苦労して積み重ねて来たものかもしれない。

でも、それこそ個性って呼んでいいことだよな〜。
そんな個人的発見。

そして、
介助の人の手を借りて描いたものであっても、
ボクから見たら、どうしようもなくその人が描いたタッチにしか見えない。

これはなんだかとんでもなくデカイ発見!

これはどういうことなんだろう??

ともかく心地よく疲れて午前の部終了。

みんなー!まったね〜!!

ふう〜〜
よかよかのみなさんと弁当食いながらの昼休み

よかよかのみなさんとの会話
面白い!

なんだ?福祉の現場のみなさん、
その辺でブイブイ言わせてるオシャレなニーチャンネーーチャンよか、
オシャレでカッコいいぞ!

そのパワーに触れ、
午後へのモチベーション急上昇!

17名の参加者とのセッションスタート!

午前の部に比べて
さらに「動けない」人が多かった印象の午後。

スタッフのみなさんの手慣れた対応&奮闘に感激しつつ、
ボクがやれることは「今楽しいか?」その見極め。

参加者だけでなくスタッフや親御さんの作る景色を俯瞰し、
必用があれば1人ヒトリの懐に入り絵で会話。

絵を描くための小さなキッカケを手渡してゆけば、
その次の瞬間には技法が生まれる。

なるほどー!!
身体にキャンバスをまきつけ、
介助者が誘導する筆の動きを身体で感じながら描く絵、
かあ〜〜!!

それは美しい表現の現場の景色。

しかし、そうやって描いたものは、
人の心を動かすものになるのか?


いやいや、それが心を動かすからビックリ!

ほーんとビックリ。
常識、蹴散らされた!

う〜〜ん、オレ、ナニも指導してないもんね!
ただ、思いっきり一緒に楽しんではいる。

てか、思いっきり絵でコミュニケート出来ている。


1人はボクの手をつかむと、
グイグイ絵の具を塗り付けてきて、
「ウナギ」というタイトルの作品にしてくれた。
カタチが気に食わないようで、
中指と薬指の間で手を裂こうとしたりしてね!

そこまでの作業は、
世の中の常識で言えば「大暴れ」なわけで、
しかし、絵を描くということでは、スベテ理にかなっているんだよね。

一緒に来てたお母さんとはド突き合いを繰り返しながらの作業。
お母さんも怒りをぶつけるように、筆をぶん回しキャンバスに叩き付けたりしてね。
それだってハラハラするような光景なんだけど、

では、絵を描くってことだけで見れば、

そうやって親子で“コラボ”した作品が、
得体の知れないパワーに溢れていてともかく爽快!
なんやこりゃー!な面白さに生まれ変わっている。

結局、絵なんて本来立派なものじゃなくて、
とても背徳的なものだったんだろうね。

だからこそ快感がある。

「絵心」なんて言葉の以前に
「絵カラダ」なんてものがあって当たり前。

1人ヒトリの身体的な能力の範囲を振り切る快感。

もし、手を1センチしか動かせなくても、
その1センチを振り切るハートで描かれた1センチの絵であれば、
そこには宇宙を軽く飛び越えるくらいの快感がある。

それも不可能であったら?

そこにはその人を手助けしてくれる人がいて、
そこで生まれるコミュニケーションが1本の線に変わり、
ボクたちの感動が生まれる。


絵をコミュニケーションの手段として生きて来て、
今はここに居る必然、感じたなあ〜。

7~8年前、福岡の友人たちに誘われ、
彼らが取組んでいる、養護学校での影絵の公演に参加させてもらったことがあって、

それは素晴らしい体験であったけれど、

福岡の街で生活して、実にエレガントに影絵の公演を行うみんなと比べ、
(エレガントと言いつつ、とんでもない労力を払っていることも知っている)
ボクの無力さを突きつけられた経験でもあって、

ならばやはりボクは絵でコミュニケートするしかないだろうと、
その後、絵を専門に活動をしているアトリエブラヴォとの関係を深めていって、
今に至り、9月の土曜日に、神奈川の養護学校の体育館で絵を描いている。


それは、ボクが獲得した「当たり前」

しかし、日本の社会の中ではとても特別なこと。
それは現実だ。

ここに来れない人、来ない人、知らない人、などなど、
ボクのセンチメンタリズムなんて軽く踏みつぶされてしまう、
社会のリアリズム。

そんな話もよかよかのみなさんと交わして、

しかし!
やっぱ、こんなクレージーな企画をしてくれる人たちの存在を知ることは、
ボクの希望であり、社会の希望でもなければならないなー!と思ったんだ。

きっと、今回のこのレポートで、ボクは間違ったことを沢山語っているはず。

人によっては「ふざけるな!」なこともあるはず。

ただ、ダレがどうやったって、
ボクのこの日楽しかった記憶は変えることは出来ず、

ボクの間違いやダイジョウブじゃないことがあれば、
みんなでコミュニケートして、
みんなのダイジョウブに変えてゆくしかないのだと思った。

で、
そんな話をしているうちに、
スタッフのみんなとはどんどんエロな方に話が進んでいってしまったんだけど、

そりゃそうだよなあ〜

なんたって、圧倒的な人好きのみなさんの集まり、
そうじゃなければ、これだけの仕事出来るはずないよね。

そんな人たちの発想が、
もっともっとオシャレだったりセクシーだったりエレガントだったり、
そんなもので溢れたらどうだろうか?

そんなことも考えてみた。

もちろん現実はとんでもなく厳しいのだけれど、
せめて表現の部分だけでもセクシー&エレガント。
そんな福祉の現場!

いやいや、想像していたよりずっと
「こどもよかよか」のみんなのハートが
オシャレでセクシーであったということ。

そんな発見があり、
なにより、
1人ヒトリのセクシャリティーが
楽しい絵として表現されたという面白さ!

最後に描いた絵や新聞紙の上に寝転び記念写真。
この瞬間のボクらは、ダレに障がいがあるなんてことより、
「土曜日の午後に一緒に絵を描いた人たち」だったはず。

こんなんが社会の当たり前にならないかなあ〜


日本、元気無い。
しかし、
希望はここにあるなあ〜!

みんなー
出会えて幸せハッピー!
ありがとー

まったねー!!

2012
0922
PEACE!!

コメント / トラックバック 2 件

  1. サラ より:

    アミーゴさん、素敵なワークショップですね。いつでも、どこでも、だれでも出来る…とってもたのしそう。
    皆さん、お疲れ様でした。このようなワークショップが、あっちこっちで、行われたら、もっと元気になりますp(^_^)q
    ありがとうございました。

  2. 小池アミイゴ より:

    >サラさん。
    うれしいコメントありがとう!
    こういうことって、何かの裏付けがあるわけでなく、
    なんというか、根拠の無い確信でもって体当たりしてやるわけで、
    こんなコメントを頂けることは、
    次につながるチカラであります!

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