めぐみめぐって
昨日で「めぐみめぐる」やまぐちめぐみ作品展と「分ける会」が終わりました。
見てもらいたいと願った多くの方が足を運んでくださり、
見てもらえないだろうなあという遠方の方とも、
ネット上でもちょこっ言葉を交わせたり、
何より、
この時をともに創ることのできた1人ひとりを、
とても愛しく感じていることが嬉しく、
まさに「めぐみめぐる」時を楽しんでしまいました。
やまぐちめぐみ、やるな〜、オメー。
ゴメン、オレはオメーを甘く見てたぜ、
です。
その他、思うことは星の数ほどあれど、
まだみんなとやるべきことがあるので、
まあボチボチと小出しにしてくか、
めんどくせえ、自分の絵に込めるかします。
その滋味深き時を終え、
家に戻り家族とたこ焼きを焼きながらの晩餐。
テレビのニュースで何度か「殺害」という言葉が繰り返されました。
『米軍が後藤さん殺害の男を狙いシリアで空爆』
『ジハーディ・ジョンは殺害された模様です』
たこ焼きと殺害
ボクが住んでいる世界はそんな場所なんだと思い、
「殺害」という言葉に出会ってしまったもうじき6歳には、
これがどういうことか、かいつまんで説明しときました。
やまぐちめぐみが闘病の末亡くなり、
しかし、多くの作品を残し、
多くの有志がその思いを汲んで展覧会を創ったことと、
テロリストとして生きることを決めた男が
殺害されたらしいというニュース。
どっちも1つの生と死
その次の瞬間に起きたパリでの邪悪なテロ
そこに至りこれからも続く中東の地で繰り返される殺戮
大きなところを見て語るのか、
小さなところに触れてゆくのか、
ボクたちは思考停止に陥らぬよう
日々語り合わねばならない。
例えば、
日本での自殺者の数が減少傾向にあり、
それを「成果」と語るのを何度か耳にしたけれど、
いや、死んでるでしょ、
(ひとりの喪失)×(喪失したひとりをめぐる人々)
その痛みの総量についての想像だけで、
ボクはヘトヘトになる。