さよなららん


10月21日は群馬から西麻布へ
Rainyday bookstore & cafeでbaobabとPoPoyansのLIVE

4年前の10月8日
九州の森の中での出会いの演出をした2組

その時の旅は
個人的にも尋常ならざる決意みたいなものを抱えたものであり

その時九州で表現出来たものは
いつか自分の暮らす東京に伝えなくっちゃと考え

しかし
それには4年の時間がかかってしまったなあ〜と

LIVEを終え
Rainydayからみんなそれぞれの場所に帰ってゆく
その別れの瞬間に感じた深い切なさが気付かせてくれました

出会いが素晴らしいのではなくて
出会いから生まれたものが素晴らしいかどうかだよね

そしてその出会いが素晴らしいものだったかどうかは
別れを持って知るものだ

その別れを演出するためには
それぞれの表現以外に余計なサプライズは必要無く

ならばRainydayという場所で
Rainydayのアイデンティティ「読書のための音楽会」として
開催させてもらいました

4年の時間分成長した音が共鳴したRainydayでは
LIVEに立ち合ってくれたみなさんを祝福すると共に
関わるみんなの次へのスタートラインを引くことの出来た
そんな時を創ることが出来たと思います


演奏の合間に「自分なりの物語を描き、その物語を生きる」
そんな話をしたPoPoyans

だったらその物語にLIVEを与えるのがボクの仕事なんだろなと

それはボクひとりの力で出来るものではなく
たとえばPoPoyansにbaobabをぶつける
そんなブッキングの摩擦熱で物語にLIVEの灯を灯してゆく
そんな感じなんだろう

ブッキングはボクのアイデンティティであり
命でさえある

だから4年前の出会いに対しても
責任持って水や栄養を与え
唄を育ててゆかねばならない

それはすべて自分が生きるために必用なことだからね


旅が目的ではなく
「繋がり」や「友」を作るためでもなく
ただ自分に必用な美しさに出会いたい
小さくても美しく輝く唄に触れたい
それだけだと思う

その過程が偶然「旅」であり
その唄が人と人との奇跡のような繋がりを生み
その美しさが真に友と呼べる人の頬を照らしてくれる

それはたかが唄ひとつに対して
果てしなく遠回りすることなんだけど

その過程には必ず
この夜にbaobabとPoPoyansが手渡してくれたような唄があり
遠回りすることへの恐れを消し去ってくれる

そしていつだって振り出しへ戻る

またいつか
ヨロコビをもって再会出来るよう
それぞれの場所でそれぞれの美しさを育ててゆこう

それはなかなか手強い作業だけれど
この夜の最後に響いた小さくも美しい唄の記憶がある限り
この夜みんなで創ったものの手触りを忘れぬ限り
なんとかなるんじゃないだろうかね?

そんなLIVEが終わった

ボクらはなにを語るでもなく

ただ別れの切なさを振り切り

次の美しき別れを生むために

さよなら

らん

2012
1021
PEACE!!

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