68ヶ月め

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今日は2011年3月11日から2072日め
5年8ヶ月
68回目の11日です。

11月11日の今日は
「ひとり」「ひとり」「ひとり」「ひとり」ということを
あらためて考えています。

東京オリンピックにまつわる醜聞とも聞こえる報道がなされる中、
「被災地」や「復興」という言葉がヒラヒラと舞っているように感じます。

そこには「被災者」という言葉も含まれるのだけれど、
どうにも「ひとり」が見えてきません。

ボクの知るあの愛しい人たちはそこに含まれているのだろうか?

もしくは、
ボクは「被災地」という場所より、
福島県いわき市「豊間」だったり
宮城県気仙沼市唐桑町「鮪立」だったり
岩手県宮古市「鍬ヶ崎」といった名前の土地を愛し、
そこに暮らす「ひとり」を想像し生きてるという
TOKYO2020との寂しい齟齬。

アメリカという国は大統領選挙で
社会の分断を容認したような結果に至りましたが、

日本も見るべきものを見ないようにしていると、
いつかそうなってしまうんじゃないかという恐れを感じる今、

そうならないように、
あらためて「ひとり」の存在を見つけてゆこうと考えています。

今年は多くの方からの希望に応え、
ワークショップの現場を創ってきました。
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その規模はまちまちですが、
多くの場合でボクは「〇〇実行委員会」「〇〇プロジェクト」「〇〇事業団」
「〇〇の会」などの団体やグループと関わることになります。

ただ、そんな中にあっても、出会うべきは「ひとり」です。

そもそもボクひとりのサイズでは
グループの大きさが手に余るってこともあるのですが、

大切に思うのは、
どんな「ひとり」の意思や希望が
そのグループの情熱の発火点になっているのかを知ること。

そんな「ひとり」と密なコミュニケーションを持ち、
「ひとり」のサイズからグループのサイズを見極め、
その先で出会うであろう1人ひとりを想像し、
自分の手をどこまで振りきれるのか、その範囲を判断し、
ワークショップで向き合う子どもでもオトナでも、
1人ひとりと思いっきりコミュニケートするための足場を確保します。

めんどくさいヤツだと思われてるはずですが、
特に子どもは簡単にウソを見破っちゃいますからね〜!
そこはやっぱ手を抜けないのです。

みんなと「せーの」で絵を描くワークショップでも、
1人ひとりとのコミュニケーション。

そうして気持ちの良い時が創れた後、
あらためて1人ひとりと交わす会話は
より風通しの良いものへと変わってくれます。
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そこで耳にする「疲れた」や「金がない」という言葉は、
より実態を持ったものとしてボクの生活実感と共鳴します。

ボクが漠然と思う「コンクリートによる行き過ぎた護岸工事はどうなんだろう?」という問いに、
「実際に動き出し、そこで生計を立てている人がいるからね、そこを考えないと」と答えてくれたのは、
今年の夏に「Tシャツ海岸」というアート企画の中心人物、小野寺さんでした。

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自分が生きてきた海の美しい景観が損なわれてしまうことは残念なことだ。
そんな「本音」が明快にあっても、
そこには生活実感という「本音」もべったり張り付いてくる。

きっと、こういったことはなにか事が起こるよりずっと以前の段階で、
生きる価値観の全てを見直すくらいのことをやり、
備えなけれならないことなんだと思っている今です。

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9月にボクを熊本での子どもたちのワークショップに招いてくださった伊藤さんは、
とても立派な公共団体さんの肩書きでアプローチされてきたので、
初めはボクがどんな役割として関わっていったら良いのか確認するところから、
密なコミュニケーションをさせてもらいました。

ところが、どうやっても発想が伊藤さんという「ひとり」に行き着く。

そこで、会話を一対一の状態で進めてみると、
伊藤さんの背景にいるであろう人や子どもの顔が見えてきたような。

で、実際にお会いし話をしてみると、
その企画は団体の名前で主催しているけれど、
そのほとんど全てが伊藤さん個人の情熱で動いているものだということ。

「震災支援」という活動でも、
ひとつのグループの中では考えも様々で、
実行に移す難しさもうかがいました。

ただボクは伊藤さんという「ひとり」を知ることで、
ボクがひとりで子どもたちに向き合う裏付けを得、

このワークショップでは
「ひとり」の『絵の描けない男の子』が
最後には1人で黙々と絵を描き続ける姿に出会うことが出来ました。

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先日は富山へ。
エコツアーの実践から地域作りにアプローチしはじめた安田さんのお誘いで、
ごく小さなワークショップ 2DAYS
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初日にオトナに向けたものを開催し、
まずはオトナが恐れず表現出来るってことを確認し、
次の日に子ども達と森を歩いたり絵を描いたり。

自然の中から豊かな色彩を見つけてくれた富山の子ども達はもちろん、
ボクより先輩世代の富山に暮らす人たちは、
普段目にしているものがよほど美しいものなんでしょう。

「絵の具使うの、何十年ぶりだろ」なんて言いながらも、
表現することを押さえつける殻を1つひとつ剥がす作業を重ねた先で、
実に美しい色彩の絵を描いてくれました。

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ボクたちがつい口にしてしまう「きれいな色」
それは「赤、青、黄色、緑、ピンク」のよう言われ方しちゃうはずですが、
富山の先輩達の色彩は、
たとえば赤とピンクの間から名もなき色彩を見つけ出し
「ある日の夕暮れ時の自分色」と名付けてしまう能力があるようです。

この日は大阪からの参加者もいましたが、
その色彩感覚の差がそのまま地域の違いとして表れた夜です。
(大阪の「どうにもならない灰色」なんてのも魅力的で仕方ないのですがね!)

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そうやって表現を開いた先で、
ほんと沢山のことを語りました。

ある方は抱えてきた痛みを語り。

ある方は「金に変えられぬ」豊かな暮らしの意味を語り。

みんなどうしようもなく問題を抱えてはいるけれど、
それでも生きる術を富山という土地が与えてくれてるんだと思いました。

そんな生活の1つひとつを、
思いっきり笑い飛ばしは語る熊本の人と、
グッと呑み込んだ上でユーモアに変える東北の人と、
みんなで富山に集いそれぞれの今を語ることで、
それぞれの土地の魅力を再発見すると共に、
さらに豊かな生き方を探るきっかけにもなるんじゃないかと思い、

さらには、日本の本当の意味での豊かな未来なんてものが、
こんな語らいから生まれていってくれたらなあと思い願った時間。

こんなことが安田さんの「次」を創造する力にもなってゆきますね!

富山での時と平行し、
東京銀座の森岡書店での「とうだい」原画展が最終日を迎えました。
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森岡さんとのお付き合いも、
唐桑で、熊本で、富山での人との接し方を変わる事なく、
それは森岡さんが絶えず「ひとり」をさらして下さっているからこそだなと。

森岡書店での6日間では1冊の絵本「とうだい」が売られ、

その他絵が2点とポストカードが少なからず売れ、
その売り上げは森岡さんとボクとで折半になりました。

そのお金の真っ当な価値を思うと、
それは唐桑で、熊本で、富山で動いたお金、
ワークショップの経費だったり、みんなで頂いた食事だったり、
工面してくださった交通費だったりの真っ当さと同質のもので、

「ひとり」と「ひとり」
顔の見える関係の人との信頼関係を現すものだと
思うことが出来ています。

そうして東京銀座は唐桑とも熊本とも富山とも
心の中で地続きになるし、

ボクはそこを自分の足で歩き、
その先で出会う人と豊かさの意味を確認してゆこうと思います。

そんなコミュニケーションのきっかけとなるよう、
もっと美しい絵を描かなくちゃです。

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  1. […] 音川に、東京からイラストレーターの小池アミイゴさんをお招きして開催されていた「一本の線から始まるストーリー」というワークショップに参加した際にご一緒したことがきっかけ。 […]

  2. […] 音川に、東京からイラストレーターの小池アミイゴさんをお招きして開催されていた「一本の線から始まるストーリー」というワークショップに参加した際にご一緒したことがきっかけ。 […]

  3. […] うことば。これは1年前の秋、イラストレーターの小池アミイゴさんの一本の線から始まるストーリーワークショップへの参加するために富山の音川という集落を訪れた時、アミイゴさん […]

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