福島県いわき市豊間でごく個人的に考えたこと


6月11日土曜日6時30分、
東京駅八重洲南口近くの駐車場に集合。

高速バス2台を駆って、福島県いわき市の豊間という土地を目指す、
震災ボランティア体験とLIVEがセットされたツアーに参加。

1万円の参加費は、全額豊間に義援金として寄付されます。

土砂降りの雨の中、時間通りに駐車場に着くと、
すでに多くの参加者が傘をさし、思い詰めたような表情をして待っていました。


7時20分出発。

首都高箱崎ジャンクションを抜けるまでは、いつもの渋滞。
常磐自動車道に入るとスムースに流れ始めます。

震災から3ヶ月後の土曜日、
『被災地に向けた車列の緊迫感や熱』を想像していたけれど、
上下線とも「こんなものか」と思われる通行量の少なさ。

その意味をぼんやりと考えている中、
参加者の自己紹介がスタート。

この企画は津田大介さんのプロデュースであり、
ツイッターで情報を手にし参加されたという学生さんが多く参加していました。
みなさん一応に”深い意気込み”を確かなコトバで語られていて、
この企画を自身のこれからの活動のきっかけにしてゆこうとする、
熱い気持が伝わってきました。


茨城県に入りしばらくすると、
未だに屋根にブルーシートのかかった民家を多く見ることになります。

そんな痛々しい点景を、
田植えの終わった緑色のみずみずしい風景が包み込む。

そんなのどかな景色が、100km先のいわき市まで繋がっていました。

人の手の回わり切らぬ被災の現実と、
どうしようもなく廻ってくる自然のサイクル。

放射能は人間社会にとって重大な障害であっても、
自然を相手にした人の営みのスベテを支配するものでは無い。
その事実がバスの車窓の外を小気味良く流れてゆきます。

「米、育てよ〜!」
「無事に出荷されろよ〜!」

雨も小降りに変わり空が明るくなってきました。

3時間ちょっと走り、高速を降りていわき市内へ。

バイパス沿いの工場や火力発電所はどこもフル稼働のイメージで、
煙突から白い煙を吹き上げています。

小雨の降る交差点で、2人の男の子が自転車にまたがったまま、
信号が変わるのを待っているのを見ました。

この日発表されたいわき市の放射線量は、
0.20マイクロシーベルト。

東京新宿が0.0598マイクロシーベルト。

この数字の意味を考えるのは、目的地に着いてからにしました。

しばらく行くと、日本中どこへ行っても出会う事の出来る景色。
ファミレスやDIY系の量販店や中古車販売店などが、いくつも軒を連ねる地域を通過。

常磐道とは一転、軽自動車が連なるバイパスを徐行するように走るバス。

東京でみられる「がんばろう」的なスローガンを出しているのが、
1店舗だけだったのにちょっと驚いたのですが、

その意味も津波被害に遭った目的地に着いて、改めて考えてみることにしました。

バイパスを左折、山道風情の切り通しや短いトンネルを抜けると、
景色は海の匂い。

福島県いわき市豊間(とよま)地区に到着

大きな地図で見る

太平洋に面し、なだらかな山が海岸線近くまで迫る、
南の合磯崎から北の塩屋崎まで、大きく弧を描く2kmほどのビーチを有する土地。

高速道路や常磐線といった幹線から離れ、近隣の漁港から揚がる海産物の加工場が点在。
わずかな土地を有効に使い米作も行われています。

福島第一原発から南に49km。

そんな土地の、住民の生活圏の85%が地震と津波で壊滅。

こちらの集落では80名からが犠牲になり、
向うでは100数十名が犠牲。
未だに発見されていない方も多く…
など、など、など。

しかし、かつて街だった場所を案内されても、
ボクはこの土地の3月11日14時46分以前の姿を知らず。

無惨に破壊された家や瓦礫の山を見ても、
それは1つの景色でしかなく…

そこにどんな痛みや悲しみが今も置かれているのか、
想像すら出来ず。

あらためて自分の心を探ってみても、
感情というものが涌いて来ないのでした。

間違いなく”感情”はこの土地で生活を重ねられてこられた方々のもの。

この土地に至る直前のバイパスで、「がんばろう」などのスローガンに出会わなかったのは、
この土地が未だに震災の真っただ中にあるからなんだと思いました。

ボクは豊間でかなりの枚数の写真を撮り、
その中には破壊された家も多く写っているのですが、
それをここで発表するのはボクの役割では無いように思います。

ただ、
感情とは別の部分の肌感覚。

風がどうとか、陽の光がどうとか、
そんなのを頼りに出会った景色を並べてみます。

この日のメインとなったのは、
渋谷慶一郎さんと七尾旅人さんのライブ。

津波の被害で鉄骨だけになったセブンイレブン。

それでも商売を再開された方々の心意気が、
津田大介さんを動かし、イベントを立案実行。

そんな現場を舞台にしたLIVEは、
2週間ほどの準備期間で当日を迎えたそうです。

区長さんやセブンイレブンの店主さんは、
「3ヶ月経ち、ともかく楽しいことに切り替えてゆきたい」との旨をスピーチ。

清掃ボランティアをする前に、被災地の一部を案内され、
被災の現実をコトバとして伝えて頂けました。

豊間のビーチはサーフィンの大きな大会が行われてきた場所。

今は堤防のすぐそばで波の立つのが見えるけど、
震災前は沖合の方まで“鳴き砂”の美しい砂浜が広がっていたそうです。

しかし、地盤沈下でその砂浜が失われてしまったとのこと。

それを語る区長さんの表情は、
『土地の方が犠牲になった悲痛さを簡単に説明してしまわぬよう』
凛とした姿で語られていたのとは打って変わって、
“町民の誇りであった美しい浜を失ってしまった淋しさ”が滲み出た表情をされていて、
それは決して「楽しい」に切り替わろうとしている人のものには見えなかったです。

ボランティア体験として街区の清掃作業が始まると、

ボクは区長さんの記憶の中にある豊間のビーチを想像して、
ならば、
『ここがまた美しいビーチに戻り、サーファーや海水浴に来たコドモたちが歩いた時足をケガをしないよう』
ガラスの破片を集めることにしました


清掃ボランティアの時間はあっという間で、
義援金受け渡しのセレモニーを経て、LIVEスタート。

しかし、イベントを目指して地元のコドモたちが集まっていたので、
その足元の安全確保のため、通りから駐車場、ライブ会場までと、
ガラスを拾い続けていました。

七尾旅人さんは今一番出会いたい人のヒトリだったけど、
彼のピュアネスに答えるボクのあり方は、
ガラス拾いだったように思います。

この日は、彼に正面から向き合うより、
風に流され届いてくる音と並走してガラス拾い。
そんなのがより音楽的に思えたのです。

なにより個人的危機意識が、
「ガラスを拾うこと」がここに居る意味だと、
直感的にボクに語り続けていたように思います。

みんながLIVEを見ているのに、自分はガラス拾いをしている。

3・11以前であれば、
自分のやっていることをイヤミな事だと思ったかもしれないけれど、

感情の入る隙間も無く、カラダが動いてガラス拾い。

それがとても当たり前であると思った6・11豊間。

いつかこの時のコトを七尾旅人さんと話すことがあると思うけど、
それは復興が成された遥か未来でもいいこと。

ともかくガラスを拾う。

そして14時46分。


雲も切れ、陽射しの暑さを肌に感じるようにもなった豊間。

凪の状態がしばらく続き、空気が停滞して蒸し暑さを感じる中、
2時間ほどの作業でガラスを拾い切ってしまったので、「そろそろLIVEに向き合おう」と。

すると、凪から海風へ。

東南東の方向から海を渡ってきた風を、
ボクは気持の良いモノだと感じた。

圧倒的にヒドい状況の土地にあって、
人は風を気持よく感じる?

「ここはこんなに心地よい風に包まれる豊かな土地なんだ!」

ボクはもっとこの土地を感じてみたくなり、
ヒトリで海岸に出てみた。

東南東の風であれば、
北にある原発の放射性物質も混じってはいないだろうしね。

夕暮れ近くの空と太平洋、
そこに美しい構図を添える豊間の海岸。

こんなものが10mもせり上がり押し寄せ、人を殺すのかって…

そのまま清掃していた地区と逆の方に歩いていったら、
そこは圧倒的になにもかも失われていた場所だった。

清掃してライブを見ていただけでは出会えない、
底なしの穴ぼこのような景色。

しばらくヒトリで迷って歩いていたら、
強烈な腐臭に出会う。

主の帰ってこない海産物の加工工場、
そこの冷蔵庫が圧倒的な臭いをまき散らしている。

この場所で1分こらえることが出来るかどうか、
それほそ暴力的な腐臭。

「ボクは東日本大震災の被災地にいるんだ!」

感情の扉が開き、
怒りが込み上げてきた。

後で確認してみたら、
被災後しばらくは“津波臭”に覆われていた被災地だけど、
それと交代で魚の腐臭が街を覆っていったとのこと。

腐臭はしばらくボクにまとわりついて、
ライブ会場に戻るころには潮風と混じり合い、
磯の匂いに化けていた。

この日のことはネット配信され、
多くの方がそれに触れられたそうだけど、
ボクが「被災地の海風が気持よく感じたこと」や、
「暴力的な腐臭」は配信出来ないことであり、

PCに開いた窓の向うへと働かせるべきイマジネーション、
それを支える足場のようなものを造るのは、
ボクのような立場にあるものの責任なんだと思った。

そのためには、
分かったふりをせず、
分かった口もきかず、
思考停止に陥らず、
コミュニケションを続けなければだ。

地元の方は遠巻きにして見ていたライブ、

中には炊き出しだと勘違いして来られた方もいたりする。

ガラスを拾いながら側に寄ってゆくと、なんとなく会話が始まり、

しかし、なんとも言いようの無い表情で、人の輪から遠ざかるご婦人がいたり。

そんな方々と、わずかな時間だったけど交わした言葉の中からいくつか。

・へたりこむように座っていた2人のご婦人との会話

「岩手にも宮城にも原発事故は無い」

「ともかく原発事故をどうにかしなければ、なにも始められない」

「今はまだいいけど、北風が吹く冬が恐い」

「数値がいくつなんてことは放射能が恐いってことと関係無い」

「出て行ってしまった人は、しょうがない」

「コドモたちはもう津波ごっこやってるよ」
「でも、すぐにホンモノの警報が出るから、カワイソウだよ」

「被災者の中でも格差がある」 

「地域はもう元に戻らない」

「政治家は自分たちことばかり、」「やることやれ、」

・海沿いの家と家族を流されたご夫婦

「ここに車とめたすぐ後だよ、津波が来たのは」

「もうここには家は建てられねえし、住む気には、なれねえんだよなあ」

・一匹の犬を囲んで朗らかな会話をしてた二家族

「ワンちゃんいい子ですねえ〜」

「いや〜、ただの雑種ですよ」

「ウチのワンは ばあちゃんと流されちゃってね、」

・海産物の加工品製造のおばちゃん

「三ヶ月前と何も変わってない」

・とても元気にしてる男の子がいたから
 ちょっとホッとした気分で交わした言葉

「キミ、どこから来たん?」

「あっち」

「被害が小さかったって聞いたとこかな?」

「小さく無いよ!2人も死んだんだ」

ボクは80名が犠牲になった土地に立ち、男の子とコトバを交わし、
ガツンと頭を殴られたよ。

人の痛みや喪失感は、恐ろしく個人的なことであり、
数字で表せることでは無いよね。

そんなこと分かり切っていても、
それでも分かった顔してちゃいけないんだ。

・あらためて2人のご婦人のことば

「なにもかも流されて、そしたら海ってこんなに近くあったんだって思った」


被災地を後に東京に戻ると、
東京の夜は2011年3月10日の夜と比べて、あきらかに暗いものであり、

東京で生活するボクたちも、「真っただ中」にあるんだって実感する。

福島に行って何が出来たのか分からないけれど、
今回のチャンスを有り難いことだと思い、

では、
同行した”ぼくよりずっと若い人たち”は何を感じたのだろうか?と想像してみる。

もしかしたら「やりきれない」だけで帰って来た人もいるののかもしれない。

ただ、
ボクはこの日の朝、
土砂降りの中で思い詰めた表情で出発の時を待っていたみんなの姿も、
被災地で見たものと共に、忘れちゃいけないことのように思った。

このツアーに参加された方とは、コトバをほとんど交わすことなく帰ってきてしまったのだけど、
いつか改めてコトバを交わしてみたく思うよ。

これからアクションを考えられている方は、
ともかく現地に行かれても良いのだと思いました。

人としてオトナとしての当たり前の節度を忘れず、
顔を合わせた現地の方と小さくても良いからコミュニケートされ、
そんな関係の中から義援を道びき出したら良いんじゃないかな。

ホント小さなことで良くて、
しかし、
顔の見える関係だからこその可能性はデカイと感じました。

ともかく想像を越えた時間も労力もかかる復興への道、
風化なんかさせちゃ人としてハズカシいことだし、
「政治が何をやる」なんて待ってる場合でもねえ。

東京に戻ったボクは、
被災地の映像を見ると、表情の失せたおばちゃんの顔と共に、
被災地を強烈に覆っていた魚の腐臭を思い返す。

コメント / トラックバック 10 件

  1. vivia より:

     
    アミイゴさん、
    ありがとう。

    やっぱり
    土地のかたとの生の会話が
    1番
    とてもリアルに迫ってきました。

    これから夏。
    ますます臭いに悩まされますね。

    そう!
    政府の縦割りを頼るのではなく、
    草の根のよこの繋がり。

    アミイゴさんの、
    私の、
    この一歩が

    日本をはじめるんだ。

    って気持ちでおります。。

  2. とみい より:

    アミイゴさん

    当日ご一緒したとみいです。諸々お疲れさまでした。
    素敵なポストカード、ありがとうございました。
    そして今回は、素敵なレポートをありがとうございます。

    実は私はまだ、あの日のことをちゃんと整理できない状態です。
    何かね、いろんな「もの」とか「こと」に負けたような、
    誰と戦ったわけではないのに、敗北感から抜け出せていないような、
    そんな後遺症です。
    アミイゴさんのレポートを読んで「おとなだな~」って、
    私も負けっぱなしでいるわけにはいかねぇぞって、
    ちょっとファイティングポーズがとれました。

  3. >viviaさん。
    厳しい現実に置かれた人や
    弱い立場にある人に
    当たり前のイマジネーションを持てる
    そんな社会でありたいです

    経済成長とは
    そういった当たり前に
    丁寧に肉付けしてゆくくらいのことで良いと
    ボクは思っています

  4. >とみいさん。
    ボクも当然混乱の中にあり
    そして被災地の現実を「すてき」にしてしまう恐さも感じながら
    でもまさに「ファイト」し続けなければなんて思い
    コトバにしてみました

    しかし
    現地でとみいさんと交わしたコトバ
    その多くが怒りだったり憤りだったり
    ボクはまだそれを書かないでいますね

    それこそ腐臭ただようそんな感情

    それをぶちまけるのか
    いやいや
    それを凌駕するLOVEでぶん殴るのか
    もしくは
    ただただLOVEで抱きしめてゆけばよいのか

    東京での生活の中で考えてゆき
    次の足場にしようと思っています。

  5. 空の上の雲 より:

    アミイゴさん、ありがとう。

  6. >空の上の雲さん。
    真実を伝えるのは難しい

    そもそも何が真実なのか?

    ただ、1人の感じたものは
    どうしようもなくリアルです

    そんな1人が想像力も届かぬほど沢山被災した事実

    しょうがない
    やはり1人から始めるしかないです

  7. karo より:

    初めまして
    ツイッターからお邪魔しました。
    豊間に行かれたのですね。
    私も縁あって数度豊間入りさせていただいています。
    明日は合同葬、みなさんの節目が終わった後に再び入る予定です。

    豊間は小さな地域ですのであまりボラが入らなかった地域でもありますが
    先日、片付けさせていただいたコンビニさんがテレビに!
    みなさんのイベントだったのですね。
    なんだか有難うございますと言う気持ちになってしまいました。

    仰る通り、被災地の皆さんの現実は全く終わっていません。
    私自身も伝えねばと思っていてもそのあまりにも現実が大きすぎて伝え切れる
    わけもないのです・・・。それでも行った者の役目として伝えねばとは思っています。
    豊間に行く間の田園風景が悲しく(作付許可になっていますが販売はまだ未知)
    そして自分達は3.11を境に本当に変わってしまったのだと思わされます。

    自分達が出来ることは少ないと思いますが出来ることをと思います。
    そして自分達が体力と気力を持つことが先々に繋がっていくと信じて。

  8. amigos より:

    >karoさん。
    豊間でのこと
    ブログを拝読させてもらいました。
    http://kyounokaze.blog68.fc2.com/

    まったく変わってしまった世界にあって
    karoさんのブログに目を通すことは、
    どんな立派な小説や論文を読む事より
    意味のあることに思えました。

    3・11以降
    ボクは「ボクの出来ることは小さなことでしかない」と
    言い続けてきましたが、

    しかし、
    ヒトリの問題として
    karoさんお1人の経験に触れる事は
    とてつもなくデカイことであり、

    それは
    3・11以前では思い至らなかったであろう感覚であります。

    小さいけれどデカイ

    そんなことを信じて
    目の前の1コ1コをやってゆけたらいいんだと、
    100日たった今、
    なにやら確信めいたものが掴めそうになっております。

    それと、
    被災地が未だ被災地のままであることは
    別のステージの問題ですね。

    だけど、
    やっぱやることは一緒。

    政治家とか電力とかが
    なんとも勘違いしたままのようです。

  9. karo より:

    一年がたとうとして、アミーゴさんが今個展を開かれていて
    お邪魔したいと思っていた時に、再び豊間に行く機会が与えられました。
    そしてあらためてこの日記を読んでココロを感じています。

    時間が流れて自分達が生活していく中で失ってはいけない何かを模索し続けている気が
    アミーゴさんの作品から(と言ってもリアルで見に行けず残念でならないのですが)
    感じられます。

    明日、豊間に入り真っ暗になってしまった街がどう呼吸しているか感じてきますね。

  10. 小池アミイゴ より:

    >karoさん。
    メッセージありがとうございます!

    個展は昨日無事に終わりました。

    足を運んで頂けなかったこと
    ザンネンに思いつつ、
    今回の個展は被災よりこちら側、
    3万人が自殺する国の人に向けて、
    パーソナルな視点の美意識を投げかけたものであり、

    それと並行した時に、
    豊間に行かれる人がいること、
    なんとも好ましいことであると思いました。

    夏に出会った豊間の海。

    今の季節のあの場所に立ってみたい気持がデカイです。

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