気仙沼、一ノ関、平泉


6月22日は東北新幹線東京駅9時8分発のやまびこ号で東北へ

栃木県から福島県に入った辺りから
住宅の屋根がブルーシートで覆われている景色が点々と
これは6月11日に常磐道で見た景色と重なります

そして
田植えの終えた緑の田んぼが永遠のように連なる景色

ボクたちが東北に日本の原風景を求めるのは
何があってもまず米を作り続けて来た
東北人の粘り強い資質があってこそでしょう

3時間ちょっとで一ノ関
岩手県の南の入り口の町で新幹線からJR大船渡線へ乗り換え


内陸部の一ノ関から太平洋湾岸の気仙沼までは直線距離で38km

大船渡線はその線形が龍の姿に似ているため
“ドラゴンレール”という愛称で呼ばれ
山間のうねった渓谷に沿うようにして走るため
走行距離は62kmになります

本来は気仙沼の先、陸前高田を経由し大船渡からひとつ先の盛駅まで
総延長105.7kmの大船渡線ですが
震災の被害を受け気仙沼から先は未だに不通です

気仙沼に向かう列車の車窓からはこれぞ日本の原風景と言える景色
山、川、田畑に梅雨の晴れ間の陽の光が美しく踊り
おおい繁った木々や草花は緑のトンネルを作っています

下りが続くレールの上を走る2両編成のディーゼル列車は
エンジンを度々止めては滑空するよにして痛快に駆け抜けてゆきます

ジブリの映画で育ってきたコドモたちなら
歓声を上げてヨロコブであろうちょっとした冒険のような1時間


そして点在する集落では
土地の人々の生活が粛々と行われ続けている景色

この先に甚大な津波被害を受けた気仙沼があることが信じられず
今は本当に2011年3月11日以降の世界なのだろうか?なんて思いさえ涌いてきます

今回は通り過ぎるだけの土地だけれど
いつかユックリと歩いてみたいと思う車窓の向うの世界

それは気仙沼駅に着いても変わらぬ東北の輝きでありました

家を出る前に曖昧に眺めてきた地図では
港から1kmほどの距離にある気仙沼駅

ひとつ手前の新月駅を出た辺りから
「どんな被災の景色が車窓の向うに見えても、まずは落ち着いておこう」
なんて気構えでいたのだけれど

それは東京から地続きで連なってきた
豊かな田園風景の延長にある町の玄関口でありました

駅を出て港の方に向かって歩く街道は
漁業で栄えた誇りがデザインとして現れた建物が軒を連ねていて
ボクはここを歩く事が楽しいと思いました


自然や人が造り上げて来た美しさに出会う度
寄り道して歩みを止めしばし深呼吸

メディアで伝えられている2011年3月11日以降の気仙沼も
そもそもボクが勝手に思い描いていた東北の漁港気仙沼も
そのどちらにも出会う事無く
ただ人の慈しみがカタチになったような町を
深い親近感を感じながら歩いてゆきました


福島第一原発から北北東に170kmの町

そこにはコトバにならぬ厳しさを突きつけられてもなお
人が当たり前に生きようという意思と
郷土への愛が息づいているのを感じる町です

港まであとちょっとであるはずの街道の角を曲がると
そこは圧倒的な被災地でした

さっきまで歩いていた場所からは想像できない
まるで月面に放り込まれたような感覚

福島県いわき市豊間から帰ってきた時もそうしましたが
ここで「被災」の写真をアップするのはやめにしておきます

絵を生業としているボクは
ボクの表現でもっていつかケリをつけなければです


失われた市街を抜け港へ
再開されたフェリーに乗って25分ほど
気仙沼大島に向かいました

周囲22kmの緑豊かな島は
東北地方では最大の有人島

港から坂道を登り切ると
その先には美しいビーチが広がり

さらに山道を登り
徒歩でしか行くことの出来ぬ道を下ってゆくと
神話に出て来るような小さな浜に出ます

十八鳴浜(くぐなりはま)と呼ばれる小さな砂浜は
歩くと砂がクックと鳴くので
九足す九で十八 で「クック鳴り」の浜


否応無しに再会を約束させられたような美しさに出会い
フェリーの時間に間に合うよう山道を駆けて戻りました


震災でライフラインを断たれた島は
米軍が艦船ごと乗り付け支援活動を行ったことでニュースになった場所

津波の爪痕が圧倒的な姿をして
今も目の前に立ちはだかり続けています


それでも
目の前をイッキに駆け抜けていった元気な小学生の集団だったり
瓦礫の山のすぐそばで農作業を再開したばあちゃんだったり
コトバを交わすお1人おひとりの温かさだったり

ささやかであろうけれど
希望の芽は確実に顔を出しているんだと感じ

被災地からこちら側のボクたちがやるべきこと
あらためて考えてみました

そんなスベテを美しい自然が包み込んでいる島
今度はこの島の美しさだけを浴びに来るんだと思いました


帰りのフェリーから気仙沼の町を見ます

夕日ごと消えてしまうんじゃないかと思われる被災した町も
明日には震災後始めて港に漁船が入り
気仙沼の誇りであるカツオが水揚げされるとのこと


町ですれ違う人の誰もが無口で
うつむいてさえいて

何かのお店だった建物の軒先にしゃがみ込み
何かの芽が3つ顔出してる鉢植えを
ただ見つめているおばちゃんの姿が
気仙沼の今そのものであるんだと思い

それでも自力で希望を創造しようと必死であり続ける人々の姿に
ボクはなんだかとても無力で
「男はつらいよ」のテーマ曲を心の中で唄い続けていた気仙沼

気仙沼駅に向かって歩いていると「ワーッ」と歓声
アンパンマンのテーマ曲が耳に飛び込んできました

小さな集会所のような場所でそれを唄っていたのは
ソウルフラワーユニオン

スタッフにの呼び止められ中に入ると
コドモたちがギャンギャン盛りあがっている中で
スゲー勢いのアンパンマン

そして最後の曲
「男はつらいよ」

なるほど
人と人とを地続きでつなぎ生き続ける唄ってあるんだよな

今度はおばちゃんたちがナミダ流しながら笑顔の喝采

「ドブに落ちても 根のあるヤツは いつか蓮の花と咲く」

スゲー歌詞だなあ〜

ボクは東京から持ってきたものをスタッフに手渡し
この街出身の畠山美由紀さんに唄ってもらうイベントをやることを告げたら
誇らしそうな笑顔を返してくれました

また帰ってきたいと思う愛しさを心に気仙沼をあとに

夕日に包まれ美しく輝く気仙沼から一ノ関への田園風景を行く大船渡線

ボクは結論めいたことをコトバにすることは出来ないのだけど

ああゆる視線を駆使して見続けてゆくことの大切さを
確認出来た時となりました


一ノ関で一泊

何度も河川の決壊による洪水を受けた
歴史と文学の誉れ高き土地

ちょっと歩いただけで多くの文化遺産に出会ってしまい
なかなか先に進めぬウレシさに溢れている土地は

洪水のたびに復興を果たし
そこに文化を植え付けてきた土地でありますが

2011年6月の駅前の商店街は
経済的に疲れ切った顔をしていました


東京から来てウラヤマシく思う文化の香りと土地の豊かさ
しかし経済原理で押し流されてしまった何か

これからたどり着かなければならない「復興」の姿
日本中の生活のレベルで語り合ってゆけたらいいですね!


東京に帰る前に
一ノ関から東北本線で2駅
平泉を歩き中尊寺まで


奥州藤原三代が浄土を理想として築いた町

震災以降訪れる人が減ってしまったとのこと
この日は雨の木曜日でさらに人はまばら
ましてや駅から中尊寺まで歩いてゆくような人にも出会わず

しかしだからこその豊かさに触れられた時でありました


手の届く先に被災の現実はあるけれど
人の営みは静かな川のように流れ続け
中尊寺金堂や仏像の姿は圧倒的で
そこには当たり前に沸き立つ感動があり

決定的な喪失の傷は癒されるものでは無いのだけれど
それでも人はただ生きるのだと

芭蕉が平泉を読んだ句
「夏草や 兵どもが夢の跡」は

決してこの世の無常観だけを詠ったのではなく
夏草に再生を感じた詩なんだと思いました

そして
これからのボクが創るものが目指すべき方が見えたように思えた
気仙沼から一ノ関、平泉と歩いた時

東京にもどる時間が近づいて来て
それでもどうしても最後に会っておきたい場所に走りました


岩手県を北から南に貫き宮城県の石巻から太平洋に注ぐ川
北上川

流域面積日本4位の足がすくむほどの水の流れ

治水こそが政の1番の仕事であり続けてきた日本

洪水の危険と隣り合わせても
人は土地のスケール感を肌で感じながら
田畑を耕し生活の足場を置き続けてきたんだよな

それが日本の心となり
国をカタチ作る力となってきて
しかし
身の丈に合わぬ経済原理とかの眩さに翻弄され
積み重ねてきたことを無理矢理忘れてしまおうと踊り続けた何十年かが
つい最近まで続いてきたんだろう

ではこれからどうする?
だね

被災の現実は今もただ厳しいものとして存在し続けているけれど
それに対してボクたちは出来る限りのコトをやり続けるだけ
余裕のある人は被災地にボランティアに行けばいい

でも日常でもボランティアの合間でもちょっと深呼吸して
東北の美しさに目を向ける事は
被災地の復興だけでなく
日本のこれからを美しいモノにしてゆく力になると思うよ

震災以降の報道やネットからの情報に触れているだけでは
東北地方がそのまま失われてしまったかのように思えてしまう今

ボクのブログを訪れる方は西日本で生活されている人が多いけど
今の東北のイメージはどんななんだろうか?

西日本に足繁く通ったボクでも掴み切れない
西と東での意識の違いや温度差

でも
ボクたちは畠山美由紀さんの唄を知っていて
愛してさえもしていて
そんな唄を育んだ土地は壊滅的な状態に置かれてしまったけれど
そこを取り巻く東北はボクたちの原風景そのままの美しさを保ち
出会う人々はみな穏やかにボクを迎え入れてくれた東北の地

そんな場所がみんなの心の中でも地続きであり続けてくれたらいいなあ〜と思い
歩いてみました

2011
0622
0623
PEACE!!

帰ってきたら
中尊寺がユネスコの世界遺産に登録が決まるかもしれないとの報道

失われてしまった観光客が戻ってくるような結果でありますよう

コメント / トラックバック 2 件

  1. らび。 より:

    平泉、世界遺産に登録されましたね。
    すごくうれしい。東北の希望です。
    アミイゴさん、行かれていたんですね。ありがとうございます。
    青森から、感謝を込めて。

  2. >らび。さん。
    3・11以降のメディアやネットから伝わってくる東北の姿は、
    関東に住むボクたちが知って、愛してもいた東北の姿とはかけ離れたもの。
    もちろん、被災の厳しさを伝えるのは報道の役割だし、
    個人レベルから被災者の痛みを伝える事も必要。

    しかし、それだけではないだろうって部分、
    それは美しさであったり慈しみ深さであったり、
    そんなものを絵を描き続けてきた経験を足場に歩き回り、
    感じてこようと思いました。

    特に、
    東京以西の友人には
    今でも輝きを失わずにいる東北に興味を持ってもらうことで、
    あらためて義援のあり方を、
    角度の違う部分から考えてもらえるんじゃないかと思いました。

    実際は、
    原発問題には食いついてくるけど、
    被災の実態や支援、被災地からこちら側での生活のあり方などについては、
    なかなか触れてきてくれないような実感を持っています。

    でも、
    今回歩き回ったことは
    7/10~15日の青山CAYでイベントで
    http://bit.ly/mUB9LS
    素晴らしい音楽家の表現と並べて感じてもらえるようにしようと思っています。

    感じ方、やり方、その他なんでも
    人の数だけあるはず。

    そこを信じて
    それを結集出来るような事、
    続けてゆきますよ!

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